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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

『箭喩経』 ―知るべきこと

訓読

中阿含經ちゅうあごんきょう巻第六十

東晋とうしん罽賓けいひん三蔵瞿曇くどん僧伽提婆そうぎゃだいば

中阿含例品れいほん 箭喩經せんゆきょう第十

れ聞くことかくの如し。一時、ほとけ舍衛しゃえい國に遊び勝林しょうりん給孤獨園きっこどくおんに在し玉へり。その時、尊者まん童子どうじ、獨り安靜處あんじょうしょ宴坐えんざ思惟しゆいして、心に是の念をなさく。所謂いわゆる此の見、世尊せそん捨置しゃち除却じょきゃくしてことごとく通説し玉はず。謂く、世は常有り、世は常有ること無し、世は底有り、世は底無し、命即ち是れ身なり、命異り身異ると爲す、如來にょらい終る、如來にょらい終らず、如來にょらい終りて終らず、如來にょらいまた終るにあらず亦終らざるに非ずやとなり。我此れを欲せず、我此れを忍ばず、我此れを可とせず。若し世尊、我が爲に一向に世は常有りと説き玉はば、我れ彼に從て梵行ぼんぎょうを學す。若し世尊、我が爲に一向に世は常有りと説き玉はざれば、我れ當に彼を難詰なんきつして之を捨てて去るべし。是の如く、世は常有ること無し、世は底有り、世は底無し、命即ち是れ身なり、命異り身異りと爲す、如來終る、如來終らず、如來終りて終らず、如來亦終るに非ず亦終らざるに非ずやとなりと。若し世尊、我が爲に一向に此れは是れ眞諦しんたいにして餘は皆な虚妄こもうの言なりと説き玉はば、我れ彼に從て梵行を學す。若し世尊、我が爲に一向に此は是れ眞諦にして餘は皆な虚妄の言なりと説き玉はざれば、我れ當に彼を難詰して之を捨てて去るべし。

是に於て尊者まん童子どうじ、則ち晡時ほじに於て宴坐從りたちて佛所に往詣おうけいし、稽首けいしゅ作禮さらいしてしりぞいて一面に坐し、もうしてもうさく、世尊、我れ今獨り安靜處に宴坐し思惟して、心に是の念を作く。所謂いわゆる此の見、世尊は捨置し除却して盡く通説し玉はず。謂く、世は常有り、世は常有ること無し、世は底有り、世は底無し、命即ち是れ身なり、命異り身異ると爲す、如來終る、如來終らず、如來終りて終らず、如來亦終るに非ず亦終らざるに非ずやとなり。我此れを欲せず、我此れを忍ばず、我此れを可とせず。若し世尊、一向に世は常有りと知り玉はば、世尊、當に我が爲に説くべし。若し世尊、一向に世は常有りと知り玉はざれば、當に直に知らずと言ひ玉ふべし。是の如く、世は常有ること無し、世は底有り、世は底無し、命即ち是れ身なり、命異り身異ると爲す、如來終る、如來終らず、如來終りて終らず、如來は亦終るに非ず亦終らざるに非ずや、若し世尊、一向に此れは是れ眞諦にして餘は皆な虚妄の言なりと知り玉はば、世尊、當に我が爲に説くべし。若し世尊、一向に此は是れ眞諦にして餘は皆な虚妄の言なりと知り玉はざれば、當に直に知らずと言ひ玉ふべし。

世尊いわく、まん童子どうじ、我れもとし汝が爲に是の如く、世は有常なりと説きて、汝來りて我に從て梵行を學するや。まん童子どうじ答て曰く、しからず、世尊。是の如く、世は常有ること無し、世は底有り、世は底無し、命即ち是れ身なり、命異り身異ると爲す、如來終る、如來終らず、如來終りて終らず、如來は亦終るに非ず亦終らざるに非ずと、我れ本頗し汝が爲に是の如く、此れは是れ眞諦にして餘は皆な虚妄の言なりと説きて、汝來りて我に從て梵行を學するや。まん童子どうじ答て曰く、しからず、世尊。まん童子どうじ、汝は本頗し我に向て、若し世尊、我が爲に一向に世は常有りと説き玉はば、我れ當に世尊に從て梵行を學すべしと説くや。まん童子どうじ答て曰く、しからず、世尊。是の如く、世は常有ること無し、世は底有り、世は底無し、命即ち是れ身なり、命異り身異ると爲す、如來終る、如來終らず、如來終りて終らず、如來は亦終るに非ず亦終らざるに非ずと、まん童子どうじ、汝は本頗し我に向て、若し世尊、我が爲に一向に此れは是れ眞諦にして餘は皆な虚妄の言なりと説き玉はば、我れ當に世尊に從て梵行を學すべしと説くや。まん童子どうじ答て曰く、しからず、世尊。

世尊告て曰く、まん童子どうじ、我れもとより汝に向て所説しょせつ有らず。汝、本より亦た我に向て所説有らず。汝、愚癡人ぐちにん、何の故にか虚妄こもうに我を誣謗むほうするや。是に於て尊者まん童子どうじ、世尊の爲にまのあた訶責かしゃくされることしばしばせられ内に憂慼うしゃくいだい低頭ていず默然もくねんとし、辯を失て言無く、所伺しょじん有るが如し。是に於て世尊、まん童子どうじまのあたしかおわりて、諸の比丘に告げ玉はく、若し愚癡人ぐちにん有て是の如き念をし、若し世尊、我が爲に一向に世は常有りと説き玉はざれば、我れ世尊に從て梵行を學せずとせば、彼の愚癡人、竟に知り得ずして、其の中間に於て命終らん。是の如く、世は常有ること無し、世は底有り、世は底無し、命即ち是れ身なり、命異り身異ると爲す、如來終る、如來終らず、如來終りて終らず、如來は亦終るに非ず亦終らざるに非ずと、若し愚癡人有て是の如き念を作し、若し世尊、我が爲に一向に此れは是れ眞諦にして餘は皆な虚妄の言なりと説き玉はざれば、我れ世尊に從て梵行を學せずとせば、彼れ愚癡人、つひに知り得ずして、其の中間ちゅうげんに於ていのち終らん。

現代語訳

中阿含経ちゅうあごんきょう』巻第六十

東晋とうしん罽賓けいひん三蔵瞿曇くどん僧伽提婆そうぎゃだいば

中阿含例品れいほん箭喩経せんゆきょう』第十

私が聞くことこのようである。ある時、仏陀は舍衛しゃえい〈Śrāvastī〉にあって勝林しょうりん給孤獨園きっこどくおん〈祇園精舎〉に留まっておられた。その時、尊者まん童子どうじ〈[P]Māluṅkyaputta. マールンキャプッタ〉は、独り閑静な林にあって宴坐えんざし、思惟しゆいしていたところ、心にこのような思いを抱いた。
「このような見解について、世尊〈bhagavant. 薄伽梵〉は放置し除却されてことごとく明らかにされていない。すなわち、《世界は永遠である》・《世界は永遠でない》・《世界は有限である》・《世界は無限である》・《命と身体とは同一である》・《命と身体とは異なる》・《如来は死を越えて存在しない》・《如来は死を越えて存在する》・《如来は死を超えて存在し、かつ存在しない》・《如来は死を越えて存在しないのでもなく、存在するのでもない》(ということに対する見解)である。私はそれを望まず、私はそれを我慢できず、私はそれを良しとしない。もし世尊が私の為にはっきりと《世界は永遠である》と説かれるのであれば、私はまさに彼に従って梵行ぼんぎょうを修めるとしよう。もし世尊が、私のために全く《世界は永遠である》と説かれないのであれば、私はまさに彼を難じて責め、彼を捨てて去ることにしよう。それと同様に、《世界は永遠でない》・《世界は有限である》・《世界は無限である》・《命と身体とは同一である》・《命と身体とは異なる》・《如来は死を越えて存在しない》・《如来は死を越えて存在する》・《如来は死を超えて存在し、かつ存在しない》・《如来は死を越えて存在しないのでもなく、存在するのでもない》と、もし世尊が私の為にはっきりと『これは真理であり、他はすべて虚妄の言である』と説かれるのであれば、私は彼に従って梵行を修めることにしよう。もし世尊が、私の為に全く『これは真理であり、他はすべて虚妄こもうの言である』と説かれないのであれば、私はまさに彼を難じて責め、彼を捨てて去ることにしよう」

そこで尊者まん童子どうじは、夕暮れ時となって宴坐よりち、仏陀のところに往詣おうけいして頭を地につけ礼拝し、少し退きそのかたわらに座して申し上げた。
「世尊よ、私は今、独りで閑静な処にあって宴坐し、思惟していた時、心にこのような思いを抱きました。『このような見解について、世尊は放置され、拒絶されて明らかにされていない。すなわち、《世界は永遠である》・《世界は永遠でない》・《世界は有限である》・《世界は無限である》・《命と身体とは同一である》・《命と身体とは異なる》・《如来は死を越えて存在しない》・《如来は死を越えて存在する》・《如来は死を超えて存在し、かつ存在しない》・《如来は死を越えて存在しないのでもなく、存在するのでもない》(ということに対する見解)である。私はそれを望まず、私はそれを忍びがたく、私はそれを良しとしない』と。もし世尊がはっきりと《世界が永遠である》ことを知られているのであれば、世尊よ、まさに私の為に説いて下さい。もし世尊がまったく《世界が永遠である》ことを知らないのであれば、世尊よ、まさに率直に『知らない』と言うべきです。そのように、《世界は永遠でない》・《世界は有限である》・《世界は無限である》・《命と身体とは同一である》・《命と身体とは異なる》・《如来は死を越えて存在しない》・《如来は死を越えて存在する》・《如来は死を超えて存在し、かつ存在しない》・《如来は死を越えて存在しないのでもなく、存在するのでもない》ということについて、もし世尊がはっきりと『これは真理であり、他はすべて虚妄の言である』と知られているのであれば、世尊よ、まさに私の為にそれを説くべきです。もし世尊が、(それらの事柄について)全く『これは真理であり、他はすべて虚妄の言である』と知られていないのであれば、まさに率直に『知らない』と言うべきです」
すると世尊は(鬘童子に)問いかけられた。
「鬘童子よ、私はそもそも汝の為にそのように『世界は永遠である』と説き、そこで汝は来たって私に従い梵行〈[P]brahmacariyā〉を修めたのか?」
鬘童子は答えて言った。
「いいえ、世尊よ」
「それと同様に、《世界は永遠でない》・《世界は有限である》・《世界は無限である》・《命と身体とは同一である》・《命と身体とは異なる》・《如来は死を越えて存在しない》・《如来は死を越えて存在する》・《如来は死を超えて存在し、かつ存在しない》・《如来は死を越えて存在しないのでもなく、存在するのでもない》と、私はそもそも汝のためにそのように、『これは真理であり、他はすべて虚妄の言である』と説き、そこで汝は来たって私に従い梵行を修めたのか?」
鬘童子は答えて言った。
「いいえ、世尊よ」
「鬘童子よ、汝はそもそも私に対し、『もし世尊が私の為にはっきりと《世界は永遠である》と説かれるのであれば、私はまさに世尊に従って梵行を修めましょう』と申したであろうか?」
鬘童子は答えて言った。
「いいえ、世尊よ」
「それと同様に、《世界は永遠でない》・《世界は有限である》・《世界は無限である》・《命と身体とは同一である》・《命と身体とは異なる》・《如来は死を越えて存在しない》・《如来は死を越えて存在する》・《如来は死を超えて存在し、かつ存在しない》・《如来は死を越えて存在しないのでもなく、存在するのでもない》と、鬘童子よ、汝はそもそも私に対し、『もし世尊が私の為に『これは真理であり、他はすべて虚妄の言である』と説かれるのであれば、私はまさに世尊に従って梵行を修めましょう』と申したであろうか?」
鬘童子は答えて言った。
「いいえ、世尊よ」
そこで世尊は告げられた。
「鬘童子よ、私はそもそも汝に対してそのように言ったことはない。汝もまた、そもそも私に対してそのように申したことがない。汝、愚かなる者よ、一体どうして虚妄に基づき私を責め立てるのか?」
ここに至って、尊者鬘童子は、世尊から直接叱責されることしばしとなって、心に憂い悲しみを抱き、頭を垂れて黙然とし、言葉を失って無言となって、悩んだ様子となった。そこで世尊は、鬘童子を直接叱責せられてから、諸々の比丘に告げられた。
「もし愚か者があって、このような思いを抱き、『もし世尊が私の為にはっきりと《世界は永遠である》と説かれないのであれば、私は世尊に従って梵行を修めない』としたならば、その愚か者は、ついに(何一つとして)知り得ること無く、中途にその生を終えるであろう。それと同様に、《世界は永遠でない》・《世界は有限である》・《世界は無限である》・《命と身体とは同一である》・《命と身体とは異なる》・《如来は死を越えて存在しない》・《如来は死を越えて存在する》・《如来は死を超えて存在し、かつ存在しない》・《如来は死を越えて存在しないのでもなく、存在するのでもない》ということについて、もし愚か者があって、このような思いを抱き、『もし世尊が私の為にはっきりと『これは真理であり、他はすべて虚妄の言である』と説かれないのであれば、私は世尊に従って梵行を修めない」としたならば、その愚か者は、ついに(何一つとして)知り得ること無く、中途にその生を終えるであろう」