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Maṅgala sutta 『吉祥経』

Maṅgala sutta 解題

吉祥とは何か

Maṅgala suttaマンガラ・スッタ(以下、『マンガラ・スッタ』)とは、Khuddaka Nikāyaクッダカ・ニカーヤ(小部)のKhuddakapāṭhaクッダカパータの第5章に収められ、また同じく小部のSuttanipātaスッタニパータにも、その第2章第4経として収められている、13の偈頌からなる小経です。

『マンガラ・スッタ』のマンガラ(Maṅgala)とは、「吉祥」あるいは「幸運」、「瑞兆」、「祝い事」などを意味する言葉です。すなわち「喜ばしいこと」、あるいは「なにか良いことの訪れを示す前触れ」などといった意味です。日本では、これを「幸せ」もしくは「幸福」などと訳す人もありますが、それは原意から離れた正確なものではない。今述べたようにマンガラとは、むしろ幸福を訪れさせる事柄、幸福の訪れの前兆であって、幸福そのものを指す言葉ではありません。したがって、『マンガラ・スッタ』を漢訳するならば『吉祥経』となります。なお、南方ではしばしば頭に「偉大な」・「大いなる」を意味するMahāの語が付され、Mahā maṅgala sutta(『マハー・マンガラ・スッタ』)とも呼称されています。

この経が説かれた場所は、サーヴァッティのジェータバナ、漢訳でいうところの舎衛城は祇園精舎です。夜半を過ぎた頃、一人の神が、仏陀に対して「吉祥とはなんですか?」と問いかけたところからこの経は始まり、これに仏陀が答えて吉祥とは何であるかを列挙されています。

『マンガラ・スッタ』は、パリッタ(護経)としてでなくとも、上座部が信仰される国々で最も唱えられることが多い経典の一つです。パリッタとしても、『マンガラ・スッタ』・『ラタナ・スッタ』『メッタ・スッタ』の三経は、何よりもまず先に憶えるべきとされ、何につけ欠かすことの出来ないものとなっています。特に『マンガラ・スッタ』の場合は、人の誕生日や結婚式、あるいは新築や改築祝いなど何事か祝い事をするときには、在家信者達が僧侶らを招き、あるいは自ら寺院・精舎へ赴いて布施をする際にて必ず読誦されています。

この世における最上の吉祥

『マンガラ・スッタ』がパリッタとして唱えられる場合、以下のNidānaニダーナ(序分)が冒頭に付加されて唱えられることがあります。

yaṃ maṅgalaṃ dvādasashi, cintayiṃsu sadevakā, sotthānaṃ nādhigacchanti, aṭṭhattiṃsañca maṅgalaṃ.
Desitaṃ Devadevena, sabbapāpavināsanaṃ, sabbalokahitatthāya, maṅgalaṃ taṃ bhaṇāma he.
十二年間、(人々は)神々と共に、吉祥とは何であるかを探し求めたが、幸福の因となる三十八の吉祥を見つけることは出来なかった。
さあ、友らよ、すべての世界の利益のために、神々の中の王(仏陀)によって説かれた、一切の悪を滅ぼす吉祥を唱えよう。

吉祥、瑞兆などというと、例えばインドでは 白蛇・白象が夢の中、もしくは現実にあらわれることなどであったようです。また日本では、白あるいは金色の蛇・鳥(鶴)、白衣の翁や輝く天人などが夢に現れる、または彩雲や狐雨など何か通常ならざる自然現象が現実に生じるなどといったことが、瑞兆として昔よく言われています。

しかし、この『マンガラ・スッタ』において、仏陀は吉祥としてそのようなものを一つとして挙げることはなく、現実における数々の行為がそれであるとされています。上座部の教学では、『マンガラ・スッタ』にて仏陀が説かれた吉祥の数を、その注釈書などにて三十六または三十七、あるいは三十八と数えています。数に少々ばらつきが見られますが、これは数え方による相違で、その内容に違いはありません。ここでは一応、先の序分にある「三十八吉祥」という説に従っています。

三十八吉祥
No. パーリ語 内容
1 Bālāsevana 愚者に親しまないこと。
2 Paṇḍitasevana 賢者に親しむこと。
3 Pūjaneyyapūja 尊敬すべき人を尊敬すること。
4 Patirūpadesavāsa 適当な場所に住むこと。
5 Pubbe-katapuññatā 過去に様々に功徳を積んでいること。
6 Attasammāpaṇidhi 正しい誓願を起こしていること。
7 Bāhusacca 博識であって、教養のあること。
8 Susikkhita-sippa 芸術や技術を身につけていること。
9 Susikkhita-vinaya 身の振る舞いが正しいこと。
10 Subhāsitā-vācā 語る言葉が見事であること。
11 Mātāpitu upaccayuddesa 母父を養うこと。
12 Puttadāra saṅgaha 妻子を養うこと。
13 Anākulā kammanta 秩序ある仕事をすること。
14 Dāna 施与(布施)をなすこと。
15 Dhammacariya 法に適った行いをすること。
16 Ñātaka saṅgaha 親族を養うこと。
17 Anavajja kamma (社会から)非難を受けない行為をすること。
18 Pāpa-ārati 悪を離れること。
19 Pāpa-vratī 悪を慎むこと。
20 Majjapānā-saṃyama 飲酒を断つこと。
21 Dhamma-appamāda 法において誠実であること。
22 Gārava 敬意を忘れないこと。
23 Nivāta 謙虚であること。
24 Santuṭṭhī 足るを知ること。
25 Kataññutā 感謝すること。
26 Kālena 適当な時に法を聞くこと。
27 Khantī 堪え忍ぶこと。
28 Sovacassatā 従順(人の忠告を受け入れる)であること。
29 Samaṇa-dassana 適時に沙門に会うこと。
30 Kālena dhammasākacchā 適時に法について語り合うこと。
31 Tapa 苦行(五欲を抑制)すること。
32 Brahmacariya 梵行(不淫)を実践すること。
33 Ariyasacca dassana 聖なる真理(四聖諦)を観ること。
34 Nibbānasacchikiriya 涅槃を得ること。
35 Citta alampana 世俗の事物に触れても心が動揺しないこと。
36 Asoka 憂いがないこと。
37 Viraja (心に)汚れがないこと。
38 Khema 安穏であること。

仏陀の説かれた「吉祥(Maṅgala)」とは、何事かに対して祈ってその恩恵に預かろうとするものでもなく、またその救いを求めようとするものでもありません。あるいは絶対的存在へのいわゆる「信心」を要するものでもない。

それはあくまで、なにごとか「いいこと」が現れるのを手をこまねいて受動的に待つものでなく、自らの行いにおいてこそ実現していく主体的なものです。そしてそれらが現実になされた結果として、その人に幸福が訪れるのであって、じっとその到来を祈ると与えられるものではありません。

幸福とは、日々の自らの生活のうちに、以上のように吉祥とされる諸々の現実的・具体的行為を積み重ねたその先に自らが得ていくものです。

Ñāṇajoti