Metta sutta(以下、『メッタ・スッタ』)のMettaとは、日本語でいうところの「慈しみ」です。したがって『メッタ・スッタ』を漢訳すると「慈経」となりますが、それはそのままこの経の主題を端的に示したものです。
涅槃に至ることを望む者、また涅槃に達した者はいかに生きるべきか、いかに「生きとし生けるものすべて」に対して慈しみの心をもって生きるかを説くのが『メッタ・スッタ』です。そのようなことから、「なすべきこと」・「義務」を意味するKaraṇīyaの語を頭に付して、Karaṇīya mettha suttaとも、しばしば称されます。『メッタ・スッタ』は、わずか10のgāthā(偈頌)からなる小経で、上座部所伝の経蔵のうちKhuddaka Nikāya(小部)のKhuddakapāṭhaの最後第9章に収められ、また同じく小部のSuttanipāta第1章第8経として収められています。
『メッタ・スッタ』は、数あるパリッタの中でもMaṅgala sutta(『吉祥経』)やRatana sutta(『宝経』)と共に最も重要とされる三つのうちの一つで、多くの場合、祝福と加護の意で用いられています。在家信者が比丘をその家で食事を接待するために招待したり、何か寺院に寄進などしたりした時にはほとんどの場合、五戒の授戒がなされ、併せて『メッタ・スッタ』などが比丘によって必ず唱えられます。また、人が出家して沙弥となった時や受戒して比丘となった時にも、やはりその者の安泰を願って、サンガにより唱えられます。
(なお、これを今の日本人が聞くと「それはおかしい」と思うかもしれませんが、実は比丘と在家信者とが経文を一緒に唱えることは律で禁じられています。これは「上座部だから」・「東南アジアの習慣として」などといった話でなく、支那でも日本でも全く同様で、比丘は比丘でない者と経文や偈文を共に読誦することは出来ません。したがって、僧俗が併せてパリッタを斉唱するということはない。比丘がパリッタを唱えるのを在家信者はただじっと聞くのみです。また逆に、在家信者がパリッタを唱えるときは比丘がそれを黙って聞いているだけです。なお、授戒の際にはまず比丘が言った言葉を信者が復唱する形で進行します。)
これは別項「パリッタとは」の中で言及していることですが、パリッタはそれを唱える者に「慈しみの心」、慈心があるかどうかが、その加護を得ることの非常に重要な鍵となります。したがって、『メッタ・スッタ』などまさにその慈心を説くものでありますが、その内容を実現しようと日々努めている者にこそ、パリッタの効験があるとされます。「慈しみ」は誰かから与えられるものではなく、自らが積極的にあらゆる対象に対して想うものです。
慈しみといえば、キリスト教が「愛を説く宗教」であるのに対して仏教は「慈しみ(慈悲)を説く宗教」である、と言われることがあります。仏教において、慈しみの心をもって生きることの功徳・効能は、しばしば強く、そして随所に説かれます。
そもそも「慈しみ(metta)」とは何か。
『メッタ・スッタ』では、それを「母が己の一人子を命を賭しても護るように、そのようにすべての生けるものに対してもまた、はかりしれぬ(慈しみの)心を修めよ」と、それを母の一人子に対する思いに喩えています。この喩えからすると、慈しみとは「母親の愛情」に等しいものと解されることでしょう。
そもそも何故に、母親が己が一人子を命を賭して護るのか。それは、まず人と動物の本能としてそうするのであり、またその子が「我が子である」と思うからです。それが一人子であるならばなおさらです。(血のつながりの有無はともかく)「我が子である」という思いがなければ、つまり「他人様の子」であったならば、命を賭してこれを護る女性は普通ありません。ここでは、「深く強い」という意味において喩えられたものであって、その対象が特定されない「すべての生きとし生けるもの」である点で、いわゆる母の我が子に対する愛とは異なります。実際、仏教においてそれはむしろ「渇愛 」(taṇhā)という根源的煩悩に基づいたものであるとされます。そのようなことからも、愛と訳すことは不適とされます。
近年、仏教が広まりつつある西洋では、これをbenevolence(善意・好意)と英訳されることもありますが、loving-Kindness(情愛)あるいは単にlove(愛)との英訳がつけられることが一般的となっています。そのようなことから、スリランカやビルマなどの学僧達も、英語が出来ることが「高等教育を受け、学があることの証」となっている彼らは、西洋人の充てた訳語を疑問に思わず受け入れ従って、「慈しみ」を英語で説明するのにloving-kindnessあるいはloveとの訳語を当たり前のように用いています。
けれども、実はmettaをloving-Kindnessなどと訳すことは適当でなく、benevolenceがより適したものです。しかし、これは歴史的な背景からのことででしょうけれども、loveといった言葉こそ西洋人にはしっくりとくるようです。なお、mercyは日本語で慈悲、あるいは恵みと訳される語ではありますが、その語源(ラテン語)からすると「報酬」から転じて「神の恩寵」とされたものであって、mettaの訳にはあまり使用されません。
mettaはまた、それが虫であろうが動物であろうが、神であろうが餓鬼であろうが地獄の住人であろうがどのような者であれ、我々人と同様の存在であるという観点・前提に立っている点において、キリスト教の説く愛(agape・caritas・charity)と全く異なったものです。
なお、仏教の伝統的理解では、これは阿毘達磨というやや込み入った分野における話になり、したがってここではあまり深入りせず簡単に紹介しますが、「いかなる嫌悪も伴わない、善なる心の働き」・「敵愾心・害意を伴わない心の状態」などと定義されます。
もっとも、ただ単に「怒りや敵意・害意がない心の状態」を慈しみとは言いません。もし、心に怒りが無いだけのことであるならば、人が寝ている時やただ酔っ払って何も心にない状態でも、それを慈しみと言えてしまう。慈しみとは、その心に害意・敵意・嫌悪(怒り)のない状態で、自分そして自分以外の人や生物を対象に、その幸福や平安であることを願うことです。
そして、その対象が自分だけ、あるいは誰か自身の親族・友人だけなどに限定しないとき、それを無量(aparimāṇa・appamaññā)と言います。また、「慈しみ(metta)」だけでなく、他に「悲れみ(karuṇā)」・「喜び(muditā)」・「平静(upekkhā・捨)」の三つを併せて四無量心あるいは四梵住とまとめて説かれてもいます。
以上、あれこれと述べはしましたが、慈しみとはどのようなものかの解釈にあまり拘泥する必要はありません。その言葉一つ一つをいかに理解するかは、それが仏教徒にとって経典にある言葉ならなおさらとても大事なことです。しかし、たとえ人がLoveという概念、言葉でもってmettaという語を解釈したり説明したりしたとしても、たとえそれが適訳といえるものでなかったとしても、その人が現実にそれであらゆる生命を害そうとする心を持たず、また実際に優しく接し、その幸福を願いつつ生活していけるのならばそれで大変結構な話です。
そこでしかし、「安楽であれ」・「幸せであれ」・「生きとし生けるものが幸せでありますように」と日頃想うことは誠に喜ばしいことですけれども、それをわざわざ他者に対していちいち口にし、いわば「どうですか?私は慈しみを実践していますよ?」などと開陳する必要はありません。人は一度定型的な言葉を作るとたちまちその内容を形骸化させ、これをオウムのように繰り返すだけ、言葉の上で言っているだけで中身を伴わない、ただ独善的なものになってしまうことが多くあるためです。
重要なのは、空念仏のように口にそれを唱えることではなく、それをみずからの内に育み保ち続け、そこでまた己が日常の三業に様々な形で現実に反映することです。
慈しみ、聞けばホンワカする言葉かもしれません。しかし、それを実際に自ら行うことは並大抵のことではありません。
何故ならば、慈しみとは、上に述べたように怒りの無いことであり、すなわちその対極にある怒りと対峙するものであるからです。仏教は、怒りとは自他を破壊するものであり、苦しみをもたらすものであり、故に不善であり悪である、と説きます。しかし、いくら仏教が慈しみを説き、怒りがいかに人を不幸にするかを説いていたとしても、いくら人がこの教えに従って慈しみの心を念じ続けようと努力していたとしても、人は時として、あるいは常日頃から、実につまらないことで怒るものです。
慈しみはすばらしい、慈しみを持つことで人は幸福になれる、様々な災難が降りかかることが無い、などと聞いて、「あぁ、そうかな」とその気になって、これを実行するとたちまち怒りが消えた、怒りを容易く我慢できるようになった、心に慈しみが溢れてとめどなくなった人など無いでしょう。怒りとは人だけはなく、生命に生来備わる、ごく普通の精神活動の一環です。人によって程度の差はあるでしょうけれども、いくら普段温厚な人であっても、突如として怒りが沸々と湧き上がってしまうものです。そして、怒りの力は強大で刺激的です。そうやすやすと抑えられる、あるいは根絶出来るようなものではありません。それが強力な刺激であることから、怒ることが癖になってしまっているような人も少なくありません。
そこでまず大切なのは、自心に怒りが生じた時、その怒りの起こったことを知ることです。そしてその自らのうちにある怒りを怒りとして認め、それが何故に生じたのかを考えてみることを勧めます。
あるいは、怒りをきっかけとして何か別の力に転換するというのも一つの手ではあります。これは根本的解決には全然ならないものですが、しかし歴史的にそうして偉業を成し遂げていった人もままあります。怒りだけでなく、これも一種の怒りですけれども悔しさや悲しさ、そして怨みを元に、自らを奮い立たせ努力に努力を重ね、ついに世に群を抜いた才を磨き上げ、衆人が驚くような成果を挙げる人もある。それも一つの怒りに対する方法であり、それが実現できたならば素晴らしいことではあるでしょう。が、怒りということについてういえばそれは対症療法のようなもの。その根を枯らすことは出来ません。
そこで自心に怒りの起こった時、まずそれを自覚するように勤め、そしてその怒りを身体的・言語的な行為として外に放出せぬよう自制する訓練をする必要があります。とはいえ、これは標準的日本人ならば、その文化的風土や小さい頃からの教育・躾として当たり前に身に備えていることでしょうから、わざわざ言うまでもないか。しかし、ただ怒りを抑え込むだけでは、それがために身心の病を呼び起こすことになることがあります。したがって、ただ抑制するだけではなく、怒りの本質がどのようなものであるか、どれほど破壊的で無益なものであるかを、普段の生活の中で自ら確かに知らなければなりません。
世の中には怒りを溜め込まずその時時で放出すれば良いと考える人もありますが、結果的にそれで良いこと決してない。怒りはまた別の怒りを呼び、怒りに起因する行為はさらに自らだけでなく他者をも苦しめ、その結果がまた自分に苦しみとして跳ね返り、それにまた怒るをたぎらせる。そこに際限は決してありません。
とはいえ、現実に人や社会は怒りによってこそ大きく動いています。それだけ「怒り」というものが大きな力をもっている証です。そして、世界の歴史には、むしろ怒りに基づく暴力によってこそ諸問題を「解決」してきたという事実があります。しかしその一方、その解決方法が因となって、新たな問題を惹起させてます。
Na hi verena verāni, sammantīdha kudācanaṃ;
Averena ca sammanti, esa dhammo sanantano.
実に、この世界において怨み〈vera〉によって怨みが止むことは決してない。怨まないことによってこそ(怨みの連鎖は)止む。これは永遠の真理である。
DN, Dhammapada, Yamakavagga 5
ここでは怒りでなく怨みとありますが、怨みは怒りによって生じるものでその逆ではない。故に怒りを放置し、ただそれを抑え込み飲み込んで放置していたならば、その思いは種々様々でさらに悪しき結果を招くことになります。怒りをもって怒りを静めることは出来ず、憎しみに憎しみをもって相対しても、その連鎖は留まることを知りません。
上の偈頌によって仏陀が言われた通り、それは普遍の真理です。しかし、残念ながらこれは常に実行されることのない真理であることも、また人の歴史が証明しています。ある力ある者が暴虐を働き人々を苦しめたならば、それを憎んだ人が暴力によってこれを誅殺する。それが国家規模のことであったならば、それによって体制が変わり、ある場合にはしばらくでも天下泰平の世が訪れることもある。あるいはジョージ・オーウェルの小説Animal Farm(『動物農場』)で描かれたように、すなわち(あくまでも自身らが中心となった限りにおける)暴力を厭わない革命を正義とする共産主義者や社会主義者がそうしたように、ただ暴虐を振るう者の首を自身らのものにすげ変えただけでさらに恐るべき非道が繰り返される国家が誕生するだけとなる。
そのような暴力に対して暴力を、怨みに対して怨みをもってする構造は、また新たな怨みを産み出し、あるいはその構造を正しいものとすることで新たな暴力を産んで果てもないものとなります。
実際、仏陀だけがこのようなことを言っているわけではなく、支那の歴史書『史記』においても、その愚かしいことを嘆いていた人(伯夷・叔斉)があったとされています。
以暴易暴兮 不知其非矣
暴を以て暴に易へ 其の非なることを知らず。
司馬遷『史記』伯夷伝
この言葉を遺したとされる彼らは仏陀よりも五世紀ほども前の、支那は殷王朝末期の人であるという、儒教において聖人とされる人です。けれども彼らが非であるとした「暴を以て暴に易えた」人、すなわち殷の紂王を倒した周の武王もまた、儒教では聖人とされています。武王の挙兵は、それがたとえ忠に逆らい、また暴力によるものであったとしても、あくまで「天命を革たにした」もの、すなわち革命であったのであり、その後に天命に従って善政を布いた人であるから聖人である、という理屈によります。
この話は人の世の難しさが凝縮されたものとなっており、その構造は今も全く変わらず、世界のあちこちで現に見ることが出来ます。武王そしてその遺志を継いだ周公旦は、理想的善政を布いた人であったとされますが、それが長く続くことはなく、むしろ暴力による政権交代を正義とする前例を作ったことによって支那の歴史はひたすら暴力革命を繰り返しています。現代にあってもまたそれほど遠くない未来において、同様の事態が生じることでしょう。
また、人の怒りや恨み、そしてそれに基づく行為というものは、多くの力なき人々にやるせなき悲しみをもたらして新たな恐怖・怒り・恨みを生じさせるだけでなく、時としてそれを利用しようとする第三者に莫大な利益をもたらしています。人の怒りや恐怖というまったく強力な感情・刺激は、社会に悲劇的な破壊をもたらすだけではなく、一部の人には様々な利得をもたらすのです。
世の中は正邪であるとか善悪などといった基準で動いてはいません。そして世界を主体的に動かす自在者、善悪を司る主催者など存在しない。ある基準からして善なる者、正しい者が常に評価され、必ず幸いな生を送るなどということはなく、むしろ邪悪な者が世にその不正を糺されることもなく、この世の春を謳歌して天寿を全うするという事例は枚挙に暇ありません。
天道是邪非邪。
天道、是か非か
司馬遷『史記』伯夷伝
『史記』を著した司馬遷 は支那人たちが信じてきた、世界の主催者の如きものである「天道」の存在について、現実に照らせば疑いを抱かざるを得ずにこういっています。
真理がどのようなものであれ、あるいは人の世の理想がどのように描かれたとしても、それが世に実現されることは実に稀です。歴史が繰り返すことはありません。しかし、人が同じ人であり続ける以上、似た条件下ではその行いは似たようなもの必然的に為され続け、結果的に歴史は繰り返されているように見えてしまう。それはまさに生死輪廻の愚かで苦しく、悲しい有り様に他ならない。
娑婆はどこまでいっても娑婆です。
怒りと怨みの連鎖を断ち切ることは、歴史を見る限り、人の集団において期待できることでは全くありません。また、自分の心身を修めず平静を保てず、家族・友人・隣人など他者と些細なことで諍いを絶えさせない者、自身とその思想が食い違うものに対してたちまち攻撃的になるような者が、「世界平和!」・「戦争反対!」などと横からいくら叫んでも意味は全くありません。
修身斉家治国平天下。世界というもの、天下というものは個人の集合体です。天下が変わるから人が変わるのではない。人が変わるから天下が変わるのでしょう。であるならば、自ら何もせず、他人に期待してはいけない。もし天下の泰平であることを望むのであれば、まずは自らを修めることから始めることが道理というものです。
もっとも、先に述べたように、世界平和などおとぎ話であってその実現は不可能であるでしょう。世界平和は人がこの世からなくなったときに初めて実現される。けれども、一個人の内において怒り・恨みの循環を断ち切り、その平和・平安を得ることは決して不可能ではありません。難しいことではありますが可能です。では如何にすれば実現されるのか。それは怒り・憎しみ・恨みを抑えること、許すこと、忘れること、そしてなによりその本質を知ることによってこそ実現されます。
故に、真の意味で慈しみを自らの心に育み備えていくためには智慧が必要となります。仏教は「慈悲と智慧の宗教」などと言われることがありますが、その智慧とは事物の本質を見通す力のことです。智慧によって怒りの本質を知れば、同事に慈しみの価値を知ることになり、よりその思いも強まっていく。しかし、それは突然として獲得されるものではなく、日常生活における一つ一つの積み重ねによって次第に得ていくものです。
騏驥之跼躅不如駑馬之安歩
騏驥〈駿馬.優れた人物〉の跼躅〈行き悩むこと。思いあぐねて動かないこと〉は駑馬〈足の遅い馬.知の劣った鈍い人物〉の安歩〈ゆっくり歩き行くこと〉に如かず
司馬遷『史記』淮陰公伝
努力した最初から十全に、完全に実現することなど誰も出来ません。また、慈しみについて考えてばかりでそれを自ら実際に修めることがなければ、何も変わりはしません。これは頭の中だけであれこれ考えること、思うことではなく、自分で努力して実践すべきことです。ゆっくりと、しかししっかりと、これを念じ努めて。
慈しみの心をもって生きることは、自分だけではなく他者を、他者だけではなく自分を、大いに利する道です。それが真理であること、そしてその果がどれほど大きいものであるかは、他の誰でもない、自らが確かめていくべきことであり、実際自ら確かめることが出来ます。
『メッタ・スッタ』は、その道をいかに歩めばよいかを実に端的に示す、心に刻みつけて憶念すべき誠に尊い言葉を人に伝えるものです。
Ñāṇajoti