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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

河口慧海 『在家仏教』緒言

原文

在家ウパーサカ佛敎緒言

ウパーサカ佛敎が生れた、ウパーサカ佛敎が生れた。何が爲に生れ、如何にして生れたるか、一言もつてこれを掩へば、何事も行詰って、精神的にも、道德的にも、まさに自ら滅びんとする現代社會が、眞にその出生を餘儀なくせしめたのである。

見渡す限り、現今の社會は上層の人々も、下層の人々も目前の利益と瞬間の享樂の爲に、道徳を破るは言ふまでもなく、法律を犯すことすら互に相競ってゐる。上下交々利の爲に動いてゐるばかりでなく、かの生命にも代ゆべき男女の貞操すらも惜氣もなく踏み蹂つて怪まない。さらに國際間の關係を見るに、いづれの國々も外には正義人道を裝うも、内には豺狼の飽く事を知らないやうな欲望に燃えてゐる。外交といふ巧妙な手段ではとてもその目的を遂げ難いと知ると、忽ちにその假面を脱し醜惡なる本能を現して、まつしぐらに進んで來る。條約はあつても、誓約はあつても殆んど一片の故紙として顧られない。これを要するに、現代社會の人々は、眞實の生活をなす者が少く、却つて虛僞の生活をなす者が多い。かくの如き虛僞生活の流行は、そもそも何に原因するであらうか。それは雜然紛然としてゐるので一規に律することは出來ないけれども、しかも最も重大な責任は精神界の指導者であるべき宗敎家が負わなければならない。殊に我日本にあつては、宗敎界の大部分を領してゐる佛敎の出家僧侶が負はなければならない。

然らば出家僧侶は、現在奈様の生活をしてゐるであらうか。彼等が地は幽雅淸淨、溫光和風の境に占め、居は金殿玉樓、高堂刹宇に住し、衣も食も尋常人より遙かに優さつているものが多い。盛んなる者は或は地主の如く、或は家主の如く、時には債権者たる権威をも揮ふ。概して彼等は經濟的に安定してゐるのである。加ふるに國家は彼等の廣大なる住地に對して租税を免除し、國庫は或堂塔の建築修繕に多額の補助金を支給してゐる。かくの如き特待、かくの如き優遇を、國家は何の見る所あつて僧侶に與ふるか。詮ずる所、國家は古來の慣習に倣つて、今もなほ彼等僧侶をもつて國民敎化の道場主、人心向上の指導者となすからである。しかも彼等の日常爲す所は、一として國家の期待を裏切らないものはない。

もし仔細に點檢するならば、極めて僅小の例外を除いては、上は各宗各派の管長を始めとし、下は一介の所化小坊主に至るまで、國家の期待に副ふ所の眞實の出家僧侶はないのである。大抵は外形上の末節と輕視して居るけれども、その實内心生命の表徴問題に就て、現在僧侶の中に於て、出家の資格になくてはならない、解脱幡相の袈裟である三衣を、四六時中身から離さない者が幾人あるであらうか。恐らくは下衣(五條にして腰巻衣)上衣(七條にして身上より掛ける衣)複衣(九條以上にて上衣の上に重ねて着るもの)の三衣を完全に着けたものは一人もあるまい。出家としては入浴中ですらも、下衣卽ち五條の袈裟を腰に纏つてゐなければならない。不離三衣が嚴戒であることすら知るものが少ない。三衣を離れて一日一夜を過せば、出家の資格は忽ちに失せるのである。しかし或高僧達は次のやうな広言をしてゐる。「かくの如き外形上の末節はどうでもよい、心だに淸淨で内心に袈裟を着けてをれば、それでよい。佛陀立戒の御主意も大乘の眞精神も内心の淸淨にある」と。かくの如き主張の下に、戒律嚴持の必要を説くものを一笑に附し去つてゐる。成程かの輩の如くに、佛陀立戒法の深旨を眞面目に考察しないものには、不離三衣は外形上の一末節と見えるかも知れない。けれどもこの袈裟は佛陀王國の軍旗である。軍旗は軍陣の精神の宿る所である。かの軍旗を表掲することの出來ない軍人が、國家のために働くことの出來ないように、解脱旗と離れた出家は、解脱のために働くことは出來ない。かりに一歩譲つてこれを一末節として見るもその一末節すら實行することに堪へない程の連中が、大節たる不媱不飲酒の戒を嚴持することが出來るであらうか。各宗の管長と仰がれる高僧等が陽には不媱の大戒を嚴持すと装いながら、陰には妻妾を蓄えて媱樂に耽つてゐるのを見たならば、誰が眉をひそめないでをられようぞ。かの飲酒に到つては甚だしきを極めてゐる。體質が酒を用ゐることを許さないものはしばらく別として、その以外のものは公々然として不飲酒戒を破ることを恥づる所なく、酒は酒でなくして般若湯である等と稱し、この詭辯巧言に互に興じ合いつゝ大盃を傾けて豪飲するものが多い。さらにまた寡婦を奸し少女を脅かして得々然たるものも少くない。かくの如き無賴漢をも凌ぐ魔僧共が、淸淨なる殿堂を穢しつゝ、なほその腐爛の肉を包むに金襴玉裳を着け、虛僞生活の毒菌を無垢の人々に植付けてゐるのである。かの殿堂も往事は、精神淨化の道場であつた、道德向上の修練所であつた。然るに現今に於ては、虛偽生活の發源地である。精神惡化の孵化場であると言ふも誰かこれを否定するものぞ。思ひ一たびこゝに至れば夏なほ肌の寒きを覺えるのである。

さらに一歩を進めて檢討するならば、實は僧は僧でなくして魔僧であり法は法でなくして死法である。現代の敎法は僅に形骸を留める死滅の敎法である。要を約むと十無二有の言葉で表現することが出來る。

□世界無僧無佛法 世界に一人も比丘はなし、故に佛も法もなし。
□天台無根律無行 天台敎義に根拠なし、律には真実行爲なし。
□真言無眞日無戒 真言誤読で真言なし、酒飲む日蓮戒律なし。
□念佛無敎禪無燈 念佛往生佛語なし、禅は偽作で伝燈なし。
□皆無敎化無實效 それ故一切敎化なし、社會に実効毫もなし。
■徒有迷信虛偽生活 空しく在家に迷信あり、出家は虛偽の生活のみ。
■並有害他流毒國家 それゆえ自他を害しつゝ、毒を國家に流すなり。
 (これ等の敎義的實證の説明は本論中に譲つてこゝには略す)

眞の出家僧は我國にゐないばかりでなく、世界のいづこを尋ねてもこれを見ることが出來ないのが現代の實狀である。たとひ出家僧と呼ばれるものがあつても、これは名のみであつて實はその名に伴つてゐない。何故ならば彼等の中の一人でも、眞に禁受蓄金銀寶學處を持つものがないからである。セーロン緬甸バルマ等では形式上この禁戒を持つてをるやうに見えるものがあるけれども、内實には金銀を受けてこれを蓄へてゐるのである。實に現代は正法五百年、像法五百年も過ぎ去つて、眞の出家僧はゐない時代である。釋尊が賢劫經や、佛臨涅槃記時經や、大涅槃經等に於て敎示せられたそのまゝが實現してゐるのである。眞の出家僧はない時代である。隨つて出家が護持する佛法もない時代である。かくの如く、出家僧のない現代に於て、出家の相貌をして淸淨生活と聖僧行義を外面に示すことは、取りも直さず虛偽である、虛偽に陥るのが当然である。或はこれがためにか彼等の中にはわざと俗服を著けて、自ら得たりとするものがあるけれども、これはたまたま醜い内容を外面に露出したまでゞあつて、彼等は依然として出家僧の特権と幸福を享受してゐるのであるから、盗人猛々しとも評すべき暴擧である。いづれにしても現代に於ける佛敎の伽藍、精舎、寺院、殿堂等佛聖の名に屬するものは、悉くみな虛偽生活という毒水濁流を發出する源泉である。

かくの如き源泉は如何にせば淨化が出來るか。これは時代に適當しない出家佛敎を廢して、佛陀直示の在家ウパーサカ佛敎を興起させることの一事があるばかりである。これに關する三有の言葉をこゝに提示する。

■眞有優婆索迦ウパーサカ佛敎 眞實敎と云ふべきはウパーサカ佛敎あるのみぞ。
■當有現代眞實生活 これには現代適當と眞實生活あるのみぞ。
■故有除害利益國家 されば総ての害をのぞき國家に利益あるのみぞ。

詳密なる説明はこれを本論に譲るも、こゝに一言を呈して、諸君子の注意を願いたきことは、ウパーサカ佛敎は大乘佛敎卽ち菩薩佛敎の根源であつて、この敎法を信奉するならば、何の世何の時を問わず、よく相応して虛偽なく、欺瞞なく、真実に佛敎と一致して淨化向上の一路に進むことが出來るのである。これこそ實に現代における弊害の由つて來る所を根本から革正する要道であつて、この敎法を實行宣揚しない限りは、社會も國家もこれを救濟することが斷じて出來ない。

言う迄もなく基督経、印度敎マホメット敎拜火敎、神道、儒道、道敎等の大宗敎が存立し、いづれも社會國家の淨化向上に努めてゐる。しかも理學哲學の進歩した今日に於ては、果してこれらの宗敎が現代人をして首肯させることが出來るか、頗る大なる疑問である。これらの諸宗はそれぞれの獨斷ドグマをもつてゐるから、この獨斷に壓伏されて自己の理性の光りを消滅する人々のみには信奉されるであらう。けれども理性の是認を起點として進行するとするならば、これらの諸宗敎は現代人には不適當であると言はなければならない。これに反して、佛敎はその本性あたかも黄金の如く、理性のあらゆる强い能力で、打ち敲き、磨り研き、さらに火に焼くに益々燦然たる光輝を放つものである。かるが故に將來かの歐米人等も眞の文化に進み行くならば、いよいよこの眞性黄金の佛敎を究め、その本質の光輝を發見し、歡天喜地、以て尊き理会の上に信心を起すこととなるであらう。早くも旣にその徴候は十分に見えてゐる

向後益々世界的にならんとする佛敎は、誤解に出發する南方佛敎徒の涅槃思想であつてはならない。卽ち涅槃那ニルバーナを灰身滅智都絶虛無とする外道的思想であつてはならない。釋尊在世の砌り、かゝる誤解からして自殺したものが多數出來たので、釋尊はいたくこれを御戒めになつたのである。これを今の世に再び繰り返すの愚を學んではならない。また大乘と言つても宗敎的偏狹心から一二の經典のみを偏重して、同じ佛陀の諸狹を蔑視抑下してはならない。なほまた歐米の理解ある人々は、基督敎の神の救濟的獨斷には厭き厭きしてゐるのであるから、これと同轍の阿彌陀佛の救濟的獨斷を以てするのは當を得たものでない。阿彌陀佛の他力救濟は基督敎のそれに比べると、餘程哲學的に説明されてはゐるけれども、歐米人には一種の言譯とより外には受取れないであらう。實際に淨土門は言譯で出來上つた、言譯上手の宗旨である。他力救濟の無根に愛相盡かしをしてゐる歐米人に對して、こんな信仰を强いても全く無效である。されば世界に宣揚するに足る佛敎は、宗派的佛敎であつてはならない。阿彌陀や大日や妙法や觀音の本尊佛敎であつてはならない。釋迦牟尼佛の佛敎でなければならない。しかも釋尊直説の敎法中、比丘出家的のものは過去のもので、旣に死滅に歸し、これを現代に宣揚するが如きことがあると、益々虛偽を重ねて罪過を深からしめるものである。ただウパーサカ佛敎のみが、現在及び將來の世界を淨化向上する力のあることを發見した。これ余が中心からウパーサカ佛敎を高調する所以である。

大正十五年四月十五日武州大宮町東角井別墅森口氏寓にて

雪山道人 慧海識

現代語訳

在家ウパーサカ仏教緒言しょげん

ウパーサカ仏教が生れた!ウパーサカ仏教が生れた!何の為に生まれ、どのようにして生まれたのであろうか。一言でもってこれを表したならば、何事も行き詰まって、精神的にも、道徳的にも、まさに自ら滅びんとする現代社会が、真にその出生を余儀なくさせたのである。

見渡す限り、現今の社会は上層の人々も、下層の人々も目前の利益と瞬間の享楽の為に、道徳を破るのは言うまでもなく、法律を犯すことすら互いに相い競っている。その上下の交々こもごもが利の為に動いているばかりでなく、かの生命にも代えるべき男女の貞操すらも惜し気もなく踏みにじって怪しまない。さらに国際間の関係を見たならば、いずれの国々も外には正義や人道を装ってはいるけれども、内には豺や狼が飽く事を知らないような欲望に燃えている。外交という巧妙な手段では、とてもその目的を遂げ難いことを知るやいなや、たちまちにその仮面を故紙こしとして顧みられない。これは要するに、現代社会の人々は、真実の生活をなす者が少なく、却って虚偽の生活をなす者が多いということである。このような虚偽生活の流行は、そもそも何に原因するのであろうか。それは雑然ざつぜん紛然ふんぜんとしているので一つの物差しにて測ることは出来ないことであるけれども、しかし最も重大な責任は精神界の指導者であるべき宗教家が負わなければならない。殊に我が日本にあっては、宗教界の大部分を領している仏教の出家僧侶が負わなければならない。

ではその出家僧侶は、現在どのような生活をしているであろうか。彼等の地は幽雅清浄、温光和風の さかいに占めており、その居は(世間一般の人々のそれに比せば)金殿玉楼、高堂刹宇に住しており、衣も食も普通の人々より遙かにさっている者が多い。(勢力)盛んなる者は、あるいは地主のようであり、あるいは家主のようであり、時には(金貸しを副業として)債権者たる権威をもふるっている。概して彼等は経済的に安定しているのである。加えて国家は、彼等の広大なる住地に対して租税を免除し、国庫はある堂塔の建築修繕に多額の補助金を支給している。そのような特待、そのような優遇を、国家はいかなる見立てに基づいて僧侶に与えるのか。せんずる所、国家はただ古来の慣習に倣って、今なお彼等僧侶をもって国民教化の道場主、人心向上の指導者となすからである。ところが彼等が日常なす所は、一つとして国家の期待を裏切らないものは無い。

もし子細に点検したならば、極めて僅小さしょうの例外を除いては、上は各宗各派の管長を始めとし、下は一介の所化しょけ小坊主こぼうずに至るまで、国家の期待にう所の真実の出家僧侶はないのである。大抵(の僧侶)は外形上の末節と軽視して居るけれども、その実際は内心生命の表徴問題に就いて、現在僧侶の中に於いて、出家の資格になくてはならない、解脱げだつ幡相ばんそう袈裟けさである三衣さんねを、四六時中身から離さない者が幾人あるであろうか。恐らくは下衣げえ(五条にして腰巻衣)上衣じょうえ(七条にして身上より掛ける衣)複衣ふくえ(九条以上にて上衣の上に重ねて着るもの)の三衣を完全に着けたものは一人もあるまい。出家としては入浴中ですらも、下衣すなわち五条の袈裟を腰にまとっていなければならない。不離三衣ふりさんね(という律の学処)が厳戒ごんかいであることすら(出家僧を自称する者の中に)知るものが少ない。三衣を離れて一日一夜を過せば、出家の資格は忽ちに失せるのである。しかし、ある高僧達は次のような広言をしている。
「そのような外形上の末節はどうでもよい。心だに清浄しょうじょうで内心に袈裟を着けておれば、それでよい。仏陀立戒りゅうかい御主意ごしゅいも大乗の真精神も内心の清浄にある」
と。そのような主張のもとに、戒律を厳しく持つべきことの必要を説くものを一笑いっしょうに附し去っている。なるほど、かのやからのように、仏陀が戒法を立てられた深き趣旨を真面目まじめに考察しないものには、不離三衣ふりさんねは外形上の一末節と見えるかも知れない。けれども、この袈裟とは(いうならば)仏陀王国の軍旗である。軍旗は軍陣の精神の宿る所である。その軍旗を表掲ひょうけいすることの出来ない軍人が、国家のために働くことの出来ないように、解脱旗と離れた出家は、解脱のために働くことは出来ない。かりに一歩譲ってこれを一末節として見るもその一末節すら実行することにえない程の連中が、大節たる不婬ふいん不飲酒ふおんじゅの戒を厳持することが出来るであろうか。各宗の管長とあおがれる高僧等が、陽には「不婬の大戒を厳持す」とよそおいながら、陰には妻妾さいしょうを蓄えて婬楽にふけっているのを見たならば、誰が眉をひそめないでいられようか。かの飲酒に到っては甚だしきを極めている。体質が酒を用いることを許さないものはしばらく別として、その以外のものは公々然として不飲酒戒を破ることを恥る所すらなく、「酒は酒でなくて般若湯はんにゃとうである」等と称し、この詭弁きべん巧言こうげんに互いに興じ合いつつ、大盃を傾けて豪飲するものが多い。さらにまた寡婦かふおかし、少女をおびやかして得々然たるものも少なくない。そのような無頼漢ぶらいかんをも凌ぐ魔僧まそう共が、清浄なる殿堂をけがしつつ、なおその腐爛ふらんの肉を包むに金襴きんらん玉裳ぎょくもを着け、虚偽生活の毒菌を無垢の人々に植え付けているのである。かの殿堂も往事は、精神浄化の道場であった、道徳向上の修練所しゅれんじょであった。ところが現今に於いては、虚偽生活の震源地である。精神悪化の孵化場ふかじょうであると言ったとしても、誰がこれを否定するであろう。思い一たびここに至れば、夏なお肌の寒きを覚えるのである。

さらに一歩を進めて検討するならば、実は僧は僧でなくして魔僧であり、法は法でなくして死法である。現代の教法は僅かに形骸を留める死滅の教法である。要を約むと十無二有の言葉で表現することが出来る。

□世界無僧無仏法 世界に一人も比丘はなし、故に仏も法もなし。
□天台無根律無行 天台教義に根拠なし、律には真実行為なし。
□真言無真日無戒 真言誤読で真言なし、酒飲む日蓮、戒律なし。
□念仏無教禅無灯 念仏往生、仏語なし、禅は偽作で伝灯なし。
□皆無教化無実效 それ故一切教化なし、社会に実效、毫もなし。
■徒有迷信虚偽生活 空しく在家に迷信あり、出家は虚偽の生活のみ。
■並有害他流毒国家 それゆえ自他を害しつつ、毒を国家に流すなり。
(これ等の教義的実証の説明は本論中に譲ってここには略す。)

真の出家僧は我が国にいないばかりでなく、世界のいずこを尋ねてもこれを見ることが出来ないのが現代の実情である。たとい出家僧と呼ばれるものがあっても、これは名のみであって実はその名に伴っていない。何故ならば彼等の中の一人でも、真に禁受蓄金銀宝学処を持つものがないからである。セイロン、緬甸ビルマ等では形式上この禁戒を持っているように見えるものがあるけれども、内実には金銀を受けてこれを蓄えているのである。実に現代は正法しょうぼう五百年、像法ぞうほう五百年も過ぎ去って、真の出家僧はいない時代である。釈尊が『賢劫経げんごうきょう』や、『仏臨涅槃記時経ぶつりんねはんきじきょう』や、『大涅槃経だいねはんきょう』等に於いて教示せられたそのままが実現しているのである。真の出家僧はない時代である。随って出家が護持する仏法もない時代である。そのように、出家僧のない現代に於いて、出家の相貌をして清浄生活と聖僧行義を外面に示すことは、取りも直さず虚偽である、虚偽に陥るのが当然である。あいはこれがためにか彼等の中にはわざと俗服を著けて、自ら得たりとするものがあるけれども、これはたまたま醜い内容を外面に露出したまでであって、彼等は依然として出家僧の特権と幸福を享受しているのであるから、盗人ぬすっと猛々たけだけしいとも評すべき暴挙である。いづれにしても現代に於ける仏教の伽藍がらん精舎しょうじゃ、寺院、殿堂でんどう等、仏聖ぶっしょうの名に属するものは、悉くみな虚偽生活という毒水の濁流だくりゅうを発出する源泉である。

かくの如き源泉は如何にせば浄化出来るか。これは時代に適当しない出家仏教を廃して、仏陀直示の在家ウパーサカ仏教を興起させることの一事があるばかりである。これに関する三有の言葉をここに提示する。

■真有優婆索迦ウパーサカ 仏教 真実教と云うべきはウパーサカ仏教があるのみだ。
■ 富有現代真実生活 これには現代に適当なる真実生活あるのみだ。
■ 故有除害利益国家 ならば総ての害をのぞき国家に利益あるのみだ。

詳密しょうみつなる説明はこれを本論に譲るけれども、ここに一言を呈して、諸々の君子の注意を願いたいことは、ウパーサカ仏教は大乗仏教即ち菩薩仏教の根源であって、この教法を信奉するならば、何れの世、何れの時を問わず、よく相応して虚偽なく、欺瞞なく、真実に仏教と一致して浄化向上の一路に進むことが出来るのである。これこそ実に現代における弊害の由って来たる所を根本から革正する要道であって、この教法を実行宣揚しない限りは、社会も国家もこれを救済することが断じて出来ない。

言うまでもなく基督キリスト教、印度教、マホメット教、拝火はいか教、神道しんとう儒道じゅどう道教どうきょう等の大宗教が存立し、いづれも社会国家の浄化向上に努めている。しかも理学・哲学の進歩した今日に於いては、果してこれらの宗教が現代人をして首肯しゅこうさせることが出来るだろうか、すこぶる大なる疑問である。これらの諸宗はそれぞれの独断ドグマをもっているから、この独断ドグマに圧伏されて自己の理性の光りを消滅する人々のみには信奉されるであろう。けれども、理性の是認ぜにんを起点として(その人生を)進行していくというのであれば、これらの諸宗教は現代人には不適当であると言わなければならない。これに反して、仏教はその本性あたかも黄金の如く、理性のあらゆる強い能力で、打ちたたき、磨り研き、さらに火に焼くに益々燦然さんぜんたる光輝を放つものである。そのようなことから、将来かの欧米人等も真の文化に進み行くならば、いよいよこの真性黄金の仏教を究め、その本質の光輝を発見し、歓天喜地、以て尊き理会の上に信心を起すこととなるであろう。早くも既にその徴候ちょうこうは十分に見えている。

向後こうご益々ますます世界的にならんとする仏教は、誤解に出発する南方仏教徒の涅槃思想であってはならない。即ち涅槃那ニルバーナ灰身滅智けしんめっち都絶虚無とぜつきょむとする外道げどう的思想であってはならない。釈尊在世のみぎり、かかる誤解からして自殺したものが多数出来たので、釈尊はいたくこれを御戒めになったのである。これを今の世に再び繰り返すの愚を学んではならない。また大乗と行っても宗教的偏狭心へんきょうしんから一二の経典のみを偏重して、同じ仏陀の諸経を蔑視、抑下よくげしてはならない。なおまた欧米の理解ある人々は、基督教の神の救済的独断を以てするのは当を得たものでない。阿弥陀仏の他力救済は基督教のそれに比べると、余程哲学的に説明されていはいるけれども、欧米人には一種の言訳いいわけとよりほかには受取れないであろう。実際に浄土門は言訳で出来上った、言訳いいわけ上手じょうずの宗旨である。他力救済の無根に愛相あいそうかしをしている欧米人に対して、こんな信仰をいても全く無効である。ならば世界に宣揚するに足る仏教は、宗派的仏教であってはならない。阿弥陀や大日や妙法や観音の「本尊仏教」であってはならない。釈迦牟尼仏の仏教でなければならない。しかも釈尊直説の教法中、比丘出家的のものは過去のもので、既に死滅に帰し、これを現代に宣揚するようなことがあると、ますます虚偽を重ねて罪過を深くさせるものである。ただウパーサカ仏教のみが、現在および将来の世界を浄化向上する力のあることを発見した。これが私が中心からウパーサカ仏教を高調こうちょうする所以ゆえんである。

大正十五年四月十五日、武州大宮町東角井別墅森口氏寓にて

雪山道人 慧海えかい

  1. 故紙こし

    古い紙。ここでは用無しとなったちり紙の意。

  2. 所化しょけ

    修行僧。いまだ入門して一通りの学問も修禅も修め了っていない者。これを指導する者を能化という。

  3. 小坊主こぼうず

    年少の僧。

  4. 解脱げだつ幡相ばんそう袈裟けさである三衣さんね

    幡は旗に同じで、幡相は旗印の意。出家者の着する三種の袈裟衣が仏教の目指す解脱の旗印、その象徴であること。

  5. 不離三衣ふりさんね嚴戒ごんかい

    仏教の正式な出家者を比丘と云い、その持すべき学処(禁則・規定)の中に「常に三衣を肌身離さずいるべきこと」がある。しかしながらその学処は、ここで慧海が「厳戒」というようなものでない。具体的には律の波逸提法という範疇の学処、すなわち比丘・比丘尼として常識的な諸行為の規定の一つ。

  6. 三衣さんねを離れて一日いちにち一夜いちやを過せば...

    慧海は「出家の資格は忽ちに失せる」と言うが誤認。仮に比丘が一日どころか一ヶ月であっても三衣を離れたとしても、確かにそれは懺悔すべき罪となる行為ではあり、比丘として非常識な行いではあるけれども、それで「出家の資格は忽ちに失せる」ことは決して無い。また、直前の一節で「入浴中ですらも、下衣卽ち五條の袈裟を越しに纏つてゐなければならない」とも言うが、これも誤認。律では入浴・沐浴の際に雨浴衣という三衣とは別の、水浴び用の腰衣を着けることが許されている。そしてそれは、あくまで許されているのであって必ずしも所持して使用しなければならないものでない。極端な話、それが精舎の中や周りに人がない場所であれば、素っ裸で入浴・沐浴してもまったく問題ない。

  7. 大節たいせつたる不媱ふいん不飲酒ふおんじゅの戒

    これも慧海における律についての誤認が表されている。比丘あるいは沙弥が不淫学処を守ることは大節、すなわち重大な節度である。しかし、不飲酒学処は不淫と並んで挙げられるような大節たる学処ではない。不離三衣学処と同様、それを犯すことは比丘として非常識な行いであり、他から責められ自ら懺悔すべき行為ではあるけれども、ここで慧海が声高に主張する「出家の非存在」の根拠となるものではない。
    慧海はそれらが表層的には出家の行儀として、世間的にまず最初に目に付く行為であることから、このように列挙したのであろう。

  8. 禁受蓄こんじゅちく金銀寶こんぎんほう學處がくしょ

    比丘は金や銀など貨幣として用いうる貴金属、あるいは銭などに自ら触れ、また自ら蓄えてはならないことを規定する学処。
    これも袈裟や飲酒、そして女などと同様、出家者の基本的な禁則としてよく目に付くものであろう。実際、現代の南方でも持律の比丘として見なされる最初の基準が、この学処を護っているか否かであることが多い。しかし実際は、これはすでに仏在世の当時から、社会において金銭がなければ何事もなしえない。そこで比丘が諸々の学処を保つための手助けをする者として、「浄人」すなわち介添人や随行、あるいは秘書というべき在家の人が精舎や比丘個人に付いた。

  9. セーロン

    セイロン、錫蘭。現在のスリランカ。

  10. 緬甸バルマ

    ビルマ。現在のミャンマー。慧海はバルマと訓じていることから、往時はそのように呼称していたのであろう。

  11. 賢劫經けんごうきょう

    おそらくは日本で古代末期から中世初頭以来、特に天台系統の宗派でもてはやされてきた『末法灯明記』に引用された諸仏典を念頭に、以下の諸経典の題目を挙げているのであろう。それら経典には、仏滅後、戒律を護持しなくなった比丘ら、それは破戒の自称比丘で俗人に過ぎないのであるけれども、彼らがどのような振る舞い、いかなるあり方をするかが予言の形で説かれている。そしてその記述は、驚くほど、現実に存在する諸々の堕落僧らの様相を言い当てたものであった。

  12. 佛臨ぶつりん涅槃ねはん記時經きじきょう

    慧海が記したまま題目の経論は存在しない。あるいは『仏臨涅槃記法住経』を意図したものか。当経は仏滅後、どれほどの時を経て正法が衰微し、悪僧らがはびこっていくかが予言される体裁をもつ。

  13. 大涅槃經だいねはんきょう

    大乗の『大般涅槃経』。仏涅槃後に破戒が横行する有り様が随所に説かれる。

  14. 印度敎いんどきょう

    いわゆるヒンドゥー教。ヒンドゥーとは「印度の」との意。

  15. マホメット敎

    イスラム教。

  16. 拜火敎はいかきょう

    ゾロアスター教。

  17. 獨斷ドグマ

    ギリシャ語dogmaの日本語訳。元は特にキリスト教の教義を意味する。しかし、ここで慧海は、いわゆる自然科学的真理や合理など根拠をもたず、ただ宗教的聖典の記述に基づいた独善的思想、真理とは異なる、文字通り「独断」に対していうものとしている。

  18. 早くもすでにその徴候ちょうこうは...

    慧海はチベット入域以前にシンガポールやインド、そしてネパールにあり、そこで種々の人種、インド人やセイロン人、そしてビルマ人ばかりでなく、イギリスやアメリカの白人との接触があって、その中に仏教に傾倒する者もあったのであろう。あるいは自身の出国前、来日して各地で公演したヘンリー・オルコットが念頭にあったのかもしれない。明治大正期は、それがたとえ国家がアジアを植民地支配するための術として出資されたものではあっても、西洋人にも仏教に傾倒し、ひいては出家して比丘となる者もあったことを、慧海はよく承知していたのであろう。

  19. 涅槃那ニルバーナ灰身滅智けしんめっち都絶虛無とぜつこむと...

    慧海は上座部の教理やその実際は目にしておらず、したがってそれほど理解していなかったと思われる。南方仏教すなわち上座部の僧徒らのあり方で批判されるべき点、その思想や志向において膠着して教条主義的となっている箇所は確かに存しているが、実際を見て経験したものでなければこれはわかり得ぬことである。そこでこのような従前の部派に対する理解、いわゆる小乗に対するステレオタイプの見方しか持ち得なかったようである。

  20. 釋迦牟尼佛しゃかむにぶつ佛敎ぶっきょうでなければ...

    釈迦牟尼仏の仏教、宗旨宗派を超えて原点回帰すべきとする態度は、ここで慧海に始まるものでなく、すでに近世江戸期の最初期からその萌芽があり、中後期には慈雲がこれを主張して正法律を宣揚していた。また、特に大乗は常人のなしえるものでなく、仏滅後はるか時を経た我々になし得るのは小乗の行法のみであろうと主張し実践した普寂の如き者もあった。それは近世の朱子学に対抗して出た古学や、儒教や仏教に対抗して勃興した国学など合理主義との、仏教として真摯に対決した結果生み出された態度であり、思想であった。そのような潮流の上にまして、明治期に西洋から流入した考古学・文献学としての仏教学との葛藤において、慧海もまた自ら仏教徒して如何に生きるべきか、これを如何に世に宣揚するかを考え抜いた結果が、このような主張であった。

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