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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

『法句譬喩経』塵垢品第二十六

訓読

昔、一人有り。兄弟有ること無し。小兒たりし時、父母憐愛し、赤心㥪㥪として成就せしむと欲す。將いて師友に詣り、之に書學を勸む。其の兒、憍蹇し永く心を用ひず。朝に受け暮に棄て初より誦習せず、是の如く年を積むも知識する所無し。

父母呼び歸へし家業を治めしむ。其の兒、憍誕し勤力を念はず。家道遂に窮り衆事妨廢す。其の兒放縱し録を顧る所無し。家物を糶賣し快心意を恣にす。頭を亂し徒跣し衣服不淨なり。慳貪唐突し恥辱を避けず。

愚癡自ら用ひ、人に惡み賤しめらるる。國人咸憎み、之を凶惡と謂ふ。出入行歩、與に語る者無し。自ら惡なるを知らず、反て衆人を咎む。上は父母を怨み、次で師友を責む。先祖の神靈肯て祐助せず。我をして頼帶轗軻、此の如くならしむ。佛に事へ其の福を得るに如かずと。即ち佛の所に到り佛の爲に禮を作す。前みて佛に白して言く。佛道、寛弘にして容れざる所無し。願くは弟子と爲らん。乞ふ聽許を蒙むと。

佛、此の人に告げ給ふ。夫れ道を求めんと欲せば當に清淨行を行ずべし。汝、俗垢を齎らし我が道中に入る。唐に自ら去就するも何ぞ益を長ずる所あらん。家に歸り父母に孝事するに如かず。師教を誦習し命沒まで忘れざれ。居業を勤修し富樂にして憂ひ無く、禮を以て自ら將ひ非宜を犯さざれ。沐浴し衣服し言行を愼み、執心して一を守り所作の事を辦ぜよ。行を敏め精修して人に歎慕せられよ。此の如きの行ひ、乃ち道と爲るべき耳と。

是に於て世尊、即ちを説ひて言く、

誦せざるを言の垢と爲し、勤めざるを家の垢と爲し、
嚴かならざると色の垢と爲し、放逸を事の垢と爲す。
慳を惠施の垢と爲し、不善を行の垢と爲し、
今世にも亦た後世にも、惡法を常の垢と爲す。
垢中の垢は、癡より甚しきは莫し。
學ぶものは當に此を捨つべし。比丘よ、無垢なれ。

其の人、偈を聞き自ら憍癡を知る。即ち佛の教を承け歡喜して還歸し、偈義を思惟して改悔自ら新たなり。父母に孝事し師長を尊敬して、經道を誦習し居業を勤修す。戒を奉じ自ら攝して非道を行ぜず。宗族孝と稱し、郷黨悌と稱す。善名遐かに布き國内賢と稱す。

三年の後、還び佛所に至て、五體をもって禮を作し懇惻に自ら陳ぶ。至眞に尊敬し全き形骸を得たり。惡を棄て善を爲して上下慶びを蒙る。願くは大慈を垂れて度を接し道を爲したまへと。佛言く、善哉と。鬚髮、尋いで落ち即ち沙門と成り、内に止觀と四諦正道を思ひ精進して日に登り、羅漢道を得たり。

現代語訳

その昔、兄弟の無いある一人の者があった。その幼少時代、その父母は彼を大変に愛し、大切に育てて成功させようと心から願っていた。そこで彼を連れて尊敬する友人のところに行き、彼に学問を修めさせようとした。しかし、その子は驕り怠けて、全く勉学を熱心にすることがなかった。朝に学んだことを夕暮には忘れてしまい、そもそも初めから誦習しなかった。そのようにして年月を重ねてみても、知識が増すことなどあるわけは無かった。

そこで父母は彼を家に呼び戻し、家業に就かせてみた。けれども彼は、驕り勝手気ままで努力することなどなかった。ついに家計は逼迫し、何事にも差し障りが生じるようになった。しかし、それでもその子は放縦な生活を続けて家計を省みなかった。金に困れば家の物を競売にかけるなど放縦を続けたのである。ついには髪を振り乱して裸足で歩き回るようになり、衣服は汚れて不潔であった。慳貪で突拍子もなく、人から恥辱を受けることも意に介さなかった。

自らの愚さにより、人々から憎まれ賤しめられた。国の人々は皆彼を憎み、これを凶惡人とすら呼んだ。彼がどこに往くにせよ何をするにせよ、彼と共に語らう者など無かった。しかし、彼は自らが悪いことなどわからず、逆に人々を咎めた。上は父母を怨み、次いで先生を責めたのである。そこで彼は「先祖の神霊など私を助けてくれなどせず、むしろ私をこの様なならず者で、世間に認められない者にすらさせたのだ。(父母や先生や先祖に仕えるなどするより)佛陀に仕えてその功徳を得たほうがましであろう」と考えた。そして、仏陀の所を訪れて仏陀を礼拝し、前に進み出てこう申し上げた。
「仏道とは、寛大なものであって来た者を拒まないものと聞いております。ついては私も仏弟子となって出家したいと思います。どうかお許しいただけるでしょうか?」

仏陀は彼に告げられた。
「そもそも道を求めようと思うならば、まさに清淨行を行わなければならない。しかし、汝は世俗の垢にまみれたままに我が道の中に入ろうと言う。そのようにいたずらに自らの態度を貫こうとして我が元で出家したとしても、何一つ自らを益することはないであろう。家に帰って父母に孝行するのが最善である。また、師の教えを誦習し、死ぬまで忘れることのないように。家業に勤め、富を蓄えて憂い無く、礼を正して自らを直し、不適切な振る舞いをせぬように。沐浴して身なりを清潔にし、言動を慎み、心を修め落ち着いて為すべきことを為せ。行いを正して努力し、人から尊敬されるようにせよ。そのように行えば、それがすなわち道となるであろう」

そこでまた世尊は偈頌を説かれた。

誦さぬことは言葉の垢、勤めぬことは家の垢であり、
厳粛でないことは見た目の垢、放逸は修道の垢である。
物惜しみは恵施の垢であり、不善は行の垢であって、
現世にもまた後世にも、悪法は常に垢である。
垢の中の垢には、無明より甚しきものは無い。
道を学ぶ者はまさに垢を捨てよ。比丘達よ、無垢たれ。

彼はこの偈頌を聞いて、自らの驕りと愚かさとを知った。そして、仏陀の教えを信受し歓喜して、家に帰り、偈文の意味をよく考えて、(それまでの自身の奔放怠惰な行いへの)悔悟の思いが自ずから次々起こった。そこで父母に孝行し、先生と年長者とを尊敬して、経典を誦習し、家業に励み勤めた。また戒を受持し自らを修めて非道を行うことが無くなった。やがて彼の一族郎党は彼を孝行であると称え、地元の人々は悌順であると讃えた。彼の善名は遠くまで聞こえるようになり、国内で賢者であるとすら称賛されるまでとなった。

三年後、彼はふたたび仏陀の御下を訪れ、五体投地の礼をなして、丁重に申し上げた。
「至真に(仏陀の教えを)尊敬し、ついに全くその通りに実行することが出来ました。悪行を捨てて善行を為し、上の者も下の者もその慶びを蒙ることが出来ました。どうか大慈をもって私の出家をお許しくださり、悟りにお導き下さい」
仏陀は言われた。
「よろしい!」
彼の鬚髮は間もなく落ちてついに沙門となり、止観を修めて四諦・八正道を思惟し、勤め励んで日々を重ねて、ついには阿羅漢となった。

現代語訳 沙門覺應