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智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

VIVEKAについて

VIVEKAとは

画像:VIVEKA logo 三法印

Vivekaヴィヴェーカとは、古代印度の言語サンスクリットあるいはパーリ語で、弁別・分別を原義とし、転じて智慧・熟慮・議論・研究・批判・真の知識・遠離・独処などの意として用いられる言葉です。

本ウェブサイトviveka.siteは、今からおよそ2500年前、南アジアは中インドに生を受けたゴータマ・ブッダ、釈迦牟尼しゃかむにに端を発する仏教について、特定の宗旨宗派に必ずしも拘らず、声聞乗・菩薩乗・金剛乗のいずれかにも偏らずして、その思想や歴史について広く講説しています。それに際し、ここでは仏教を文化的・学問的対象として講じるというのではなく、種々様々なるアジアの国々で伝えられ信仰されてきた思想、生きた宗教として行っています。

すなわち、ここで講じているのは仏教であって仏教学ではありません。あくまで「自らが自らを救う」思想・宗教である仏教という枠組みの中での伝統的理解とその歴史を紹介し、講じるものです。したがって、ただ客観的・比較的にどうこうといった傍観者的解説は基本的に行っていません。かといって、世人に仏教を勧めようとするものではありますが、特定の宗派・団体などに人を勧導しようとの意図は全くありません。また広く講説といっても、種々様々に展開した仏教の伝統をここで無闇に混淆こんこうし融合させようとするなど、いわゆる混合主義(Syncretismシンクレティズム)に類する態度は極力廃しています。

ところで、現代の日本では、「仏教」あるいは「宗学」と、「仏教学」とが混同され、結果として仏教徒ではなくて仏教学徒、あるいは仏教信者ではなくて仏教学信者と言える人こそ多く存在しているかのように思われます。たとえば西洋のキリスト教において、神学と聖書学とで採られる態度は完全に峻別されるべきものです。しかし日本では、そのようなキリスト教における神学と聖書学にあたる宗学(伝統的仏教)と仏教学との区別が出来ず、僧職者であれ学者であれ、それらに対する態度がまったく混同されて曖昧となり、ともすればご都合主義、ある場合には欺瞞とすらいえる極めて矛盾した事態となっているのがまま見られます。

思えば近世、江戸中期すでに富永仲基とみなが なかもとの『出定後語』によって唱えられ、以来あたかもおきのようにくすぶっていた大乗非仏説が、近代の明治・大正時代、西洋から入ってきた「科学としての仏教学」により歴史的事実であると日本人に突きつけられました。そこで当時の仏教界に生じた非常に大きな撞着と葛藤、そして怠惰を、たとえば村上専精せんしょうといった当時の仏教者が真摯に向き合い、『仏教統一論』なる主張が展開されています。それは大乗の非仏説であることを是認した上で、しかし大乗を総体的に仏教として肯定し信奉するという、大きな矛盾を孕んだものでした。それはそもそも仏教と仏教学とを混同したことによるものであったのですが、少なくとも道者たらんとする強い志に基づいた苦心の態度であり、説であったものです。

それに似たような説は、鎖国されていたチベットへ法を求め決死の冒険を敢行した英雄であり、真に求道の人であった河口慧海かわぐち えかいにより、また異なる立場から当時の仏教界の堕落に対する厳しく鋭い批判とともに提唱されており、『在家仏教』という形で結実していました。

しかし、大勢としてはその後、日本で僧でありながら妻帯してなお、ただ職業・生業の術として仏教を続けた人々から、また仏教学者としても身を立てる者が多く出たことにより、そのような矛盾を矛盾とも思わず、また葛藤など微塵もすることもない歪んだ態度を当たり前のものとして取り続けるようになっています。その結果として、現代日本人における仏教に対する見方もまた、一般にそのようなものとなってしまったのだと思われます。

また同時に、明治維新以来、日本人みずから率先して従来の伝統をかなぐり捨てることが行われ、西洋の文物を闇雲に摂取する近代化が漸次推し進め、大東亜戦争終戦以降はさらに旧来の思想の遺棄をGHQの政策としてはもとより日本人自身も積極的に進めてきたことによって、さらに仏教は思想・宗教として死に体となったことにも由るのでしょう。

今、非常に残念なことながら、現実として日本の僧職者が必要としているのは仏教ではなく、仏教の皮を被りながらほとんど全く儒教に基づいた儀礼、おおよそ近世に根付いた祖霊崇拝を日本人が継続すること、そして迷信・俗信に基づいた諸々の因習や儀礼を社会が維持することに過ぎない、として過言でありません。仏教はもはや祖霊崇拝と商業としての祈禱を正当化するため、かいつまむ程度の虚飾にすぎません。いや、それらで生計を建てる者にとっては、その営為や意味を否定するやっかいな思想・宗教に仏教はなっている、とすら言える場合もあるでしょう。

去聖の為に絶学を継ぐ

「去聖の為に絶学を継ぐ」、これは11世紀の北宋における儒学者、張載ちょうさい張横渠ちょう おうきょ )の言葉であって、儒教にて崇められる往古の支那の為政者、賢人の思想に対する詞であり、仏教について云われたものではありません。しかし、本サイトではこれを仏教に転用して副題としています。ここで去聖とは、釈迦牟尼および往古の仏弟子達であり、絶学とは、去聖によって語られ代々伝えられてきたその思想、いわゆる仏教を意図しています。

世間でしばしば流布している根拠不明で杜撰なデタラメや、恣意的な解釈がなされた怪しげな俗説でなく、また特定の宗派の偏向な解釈や理解、またはいずこかの仏教系新興宗教の特殊な教義に依るのでなく、あるいは現代の学的態度に偏重してただ往古の神話や文学のように扱うのでなく、仏教を「人はいかに生きるべきか」を示す生きた思想としてその根拠を明示しつつ詳しく、出来得る限り広範に示すことを目標としています。

もっとも、ここで宗旨宗派を問わず広く伝統的理解を示すなどといっても、仏教はその長い伝統において種々様々な学派や宗派が形成されており、それは時に相対立して双立不可能な思想を擁したものとなっている場合があります。また伝統と一口に言っても、中にはただ歴史があるというだけで質も筋も悪いものが多数あり、伝統であるから良いということなどありません。そして現在、伝統といわれるもの中には、実は近年突如として主張されだした「造られた伝統」であることも少なからずあります。

その中には、その思想があまりに不合理であったり、インド以来の伝統から乖離した極めて特殊なものであったり、観念的・思弁的に過ぎた空理となっている場合もあります。そのような場合は、いずれかの立場に立ってそれを批判的に指摘し、その一方の何が問題であるかを批判しつつ排除した言説となっていることがあります。

何らか文献を引用する際には、その出典を明示し、根拠不明瞭な文言を可能な限り避け、原文が漢文・古文あるいはサンスクリットやパーリ語であっても、冗長とはなりますが常に掲示し、併せてその現代語訳を記載するなど、出来るだけ人々の理解に資するであろう形式、「わかった気にさせる説明」ではなく「確かにわかる説明」となるよう心がけ、紹介しています。もっとも、シンプルであることと、わかりやすいこととは異なります。真にわかりやすい説明にしようとした結果、長く込み入った文章となってしまっている、という場合がないこともありません。

智慧之大海

仏教とは「智慧と慈悲の宗教である」としばしば世に評されます。そして仏教では、智慧には無分別智としてのPrajñāプラジュニャーPaññāパンニャー)と、分別智としてのJñānaジニャーナÑānaニャーナ)との二種があると時に云われます。

最終的に獲得すべきとされる無分別智は文書・文筆によって他に示すことは出来ず、また他から与えられるものでもなく、あくまでそれぞれ自身の弛まぬ努力の果てに自らが備えることが出来るものです。それは持戒と修禅によってこそ得られるものであって、該博な知識を備えても獲得出来るものではありません。その意味では本来、仏教にいわゆる学問は必要ありません。

しかしながら、無分別智を得るにはいくらかでも分別智をまず獲ておくことが必須です。そこで、ここで拙いながらも示そうとしているのはその分別智Jñānaジニャーナであり、すなわちそれはVivekaヴィヴェーカ に同じものです。ややこしいことをつらつら述べましたが、要するに、学問とまではいかなくとも、基本的な諸々の事項は確実に踏まえなければなりません。そこで確実に、というのは諸々の仏典から直接学ぶことであり、また印度以来の伝統的理解の助けを借りることです。

菲才は生来、「去聖の為に絶学を継ぐ」などと言うもおこがましき無徳不貞の迷人、低劣極まりない愚蒙であって、他に法を説くなど狂気の沙汰というべき芥塵にまみれた小輩。それに微塵も値するものでありません。しかしながら、幾歳月を費やし彷徨うなか、そこここで拙が触れ得た知識や経験の幾ばくかには、有徳の人の耳目に触れてその真価を見出し、それを発揮し得るものもあろうかと、敢えて恥を捨て錯迷してここに悪文を開陳しています。

人生にまつわる様々な辛苦を超克する真理をこそ探究し示すのが仏教であり、その智慧の広く深いことは、あたかも大海原のようなものです。その智慧の大海に、我が拙文によって人が迷わず漕ぎ出し渉猟する、小さくともその一助となれば幸甚。

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viveka.site 運営管理人

沙門 覺應 / Ñāṇajotiニャーナジョーティ

1974年 生
2000年 伝法灌頂入壇(眞別處圓通律寺)
2002年 高野山大学密教学科卒
2009年 受具足戒(Mahābodhi monastery, Myanmar)

受具後五夏をミャンマーの僧院にて過ごし、律学と修禅、阿毘達磨を習学。後、ラオス、タイ、カンボジア、スリランカ等々諸国の僧院を渉猟して逗留。欧州・北米にて仏教講義・修禅指導に従事。