大唐大慈恩寺三藏法師傳 卷第三
沙門慧立本 釋彦悰箋
起阿踰陀國終伊爛拏國
《中略》
法師、寺に在て瑜伽を聽くこと三遍、順正理一遍、顯揚・對法各一遍、因明・聲明・集量等の論各二遍、中・百二論各三遍。其の倶舍・婆沙・六足・阿毘曇等、曾て迦濕彌羅諸國に於て聽き訖るを以て、此に至て尋讀し決疑するのみ。兼て婆羅門の書を學ぶ。印度の梵書、名けて記論と爲す。其の源、始め無くして作る者を知るは莫し。毎に劫初に於いて梵王、先づ説て天人に傳授す。是の梵王の所説を以ての故に梵書と曰ふ。其の言、極めて廣く、百萬頌有り。即ち舊譯に毘伽羅論と云ふは是なり。然も其の音、不正なり。 若し正しくは應に毘耶羯剌諵音女咸反と云ふべし。此に翻じて名けて聲明記論と爲す。其の廣く諸法を能く詮じて記するを以ての故に聲明記論と名く。
昔、成劫の初め、梵王先づ説て百萬頌を具ふ。後、住劫の初めに至て、帝釋、又略して十萬頌と爲す。其の後、北印度健馱羅國の婆羅門、覩羅邑の波膩尼仙、又略して八千頌と爲す。即ち今、印度に現行するは是なり。近くは又、南印度の婆羅門、南印度の王の爲に復た略して二千五百頌と爲し、邊鄙の諸國、多く盛んに流行す。印度博學の人の遵習せざる所なり。此れ並に西域音字の本なり。其の支分を相ひ助けるものに、復た記論略經有て、一千頌有り。又、字體三百頌有て、又、字縁に兩種有り。一には名づけて聞擇迦三千頌、二には名づけて温那地二千五百頌なり。此れ別して字縁・字體を辯ず。
又、八界論八百頌有り。此の中、略して字の縁・體を合ず。此の諸記論、能詮・所詮を辯じて其の兩例有り。一には名けて底丁履反彦多聲、十八囀有り。二には名づけて蘇漫多聲、二十四囀有り。其の底彦多聲、文章の壯麗の處に於て用ひ、諸の汎文に於て亦用ひること少しき。其の二十四囀は一切諸文に於て同じく用ふ。其の底彦多聲の十八囀は兩つ有て、一に般羅颯迷、二に阿答末泥なり。各九囀有り。故に合して十八有り。初めの九囀とは、汎そ一事を論ずる如し。即ち一事に三有て、他を説くに三有り、自ら説くに三有り。一一の三の中、一を説き、二を説き、多を説くが故に三有り。兩句皆然なり。但だ其の聲の別の故に二九に分るのみ。
般羅颯迷聲に依て、有無等の諸法を説くに、且く有を説くが如し。有の即ち三名、一は名けて婆𬾢之靴反底丁履反下同、二は名けて婆𬾢矺多訛反、三は名けて婆飯底なり。他を説く三とは、一に名けて婆𬾢斯、二に名けて婆𬾢矺、三に名けて婆𬾢他なり。自ら説く三とは、一に婆𬾢彌、二に婆𬾢靴去聲、三に婆𬾢摩此の第三は四吠陀論の中の説に依る。多くは婆𬾢末斯と言ふなり。阿答末泥の九囀に依らば、前の九囀の下に於て、各の毘耶底言を置き、餘は上に同なり。此を安ずるは、文をして巧妙ならしめて別義無く、亦た極美を表する義なり。
蘇漫多聲の二十四囀は、謂く總じて八囀有り。八囀の中に於て一一各三あり。謂く、一を説き、二を説き、多を説くが故に、開して二十四と爲す。二十四の中に於て一一皆三あり。謂く、男聲・女聲・非男非女聲なり。八囀と言ふは、一に諸法の體を詮じ、二に所作業を詮じ、三に作具及び能作者を詮じ、四に所爲事を詮じ、五に所因事を詮じ、六に所屬事を詮じ、七に所依事を詮じ、八に呼召事を詮ずるなり。且く男聲を以て丈夫の上に寄して八囀を作さば、丈夫は印度語に布路沙と名く。體の三囀は、一に布路殺、二に布路筲、三に布路沙去聲なり。所作業の三は、一に布路芟、二に布路筲、三に布路霜なり。作具作者の三は、一に布路鎩拏、二に布路𧩰音鞞僣反、三に布路鎩鞞、或は布鎩呬と言ふ。所爲事の三は、一に布路厦沙詐反耶、二に布路沙𧩰鞞僣反、三に布路鎩韵鞞約反なり。所因の三は、一に布路沙哆他我反、二に布路鎩𧩰同上、三に布路鎩韵鞞約反なり。所屬の三は、一に布路鎩��子耶反、二に布路鎩𧩰、三に布路鎩諵安咸反なり。所依の三は、一に布路䐤所齊反、二に布路殺諭、三に布路鎩縐所芻反なり。呼召の三は、一に系布路殺、二に系布路稍、三に系布路沙なり。略して一二を擧ぐれば此の如く、餘の例も知るべし。具さに述ぶること爲し難し。法師は皆、其の詞に洞達し、彼の人と清典を言ふに逾妙たり。是の如く諸部を鑚研、及び梵書を學ぶこと、凡そ五歳を經れり。
大唐大慈恩寺三藏法師伝 卷第三
沙門慧立本 釋彦悰箋
起阿踰陀国終伊爛拏国
《中略》
(玄奘三蔵)法師は、(那爛陀)寺〈Nālanda〉に在って『瑜伽師地論』を聴くこと三遍、『順正理論』一遍、『顯揚聖教論・『對法』各一遍、『因明正理門論』・『聲明』・『集量論』等の論各二遍、『中論』・『百論』の二論各三遍。その『倶舍論』・『大毘婆沙論』・「六足論」・『阿毘曇』等は、かつて迦濕彌羅〈Kaśmīra〉の諸国にて聴き訖っていたため、ここでは詳しく読んで疑問を解消したのみであった。(そこでさらに)兼ねて婆羅門の書も学んだ。印度の梵書は「記論」という。その源は、始めが無く作ったの誰か知る者は莫い。それらは劫初に於いて梵王が先づ説いて天人に伝授したものである。それが梵王の所説であることから「梵書」という。その言は極めて広く、百万頌ある。すなわち、旧訳で「毘伽羅論」と云うのがそれである。しかしながら、その音は不正である。もし正しく(云うなら)ば、まさに「毘耶羯剌諵〈Vyākaraṇa〉」と云うべきである。ここに翻じて、『声明記論とする。その広く諸法をよく詮かにして記していることから、『声明記論』という。
昔、成劫の初め、梵王が先づ説いて百万頌となった。後、住劫の初めに至って、帝釈天がまた略して十万頌とした。その後、北印度の健馱羅〈Gandhāra〉国の婆羅門、娑羅覩羅邑〈Śalātura〉の波膩尼仙〈Pāṇini〉が、また略して八千頌とした。すなわち今、印度に現に行われているのがそれである。近くはまた、南印度の婆羅門が南印度の王の為、また略して二千五百頌とし、(それが)辺鄙の諸国で多く盛んに流行している。(しかしそれは、)印度の博学の人が遵習することはない。それはいずれも西域における音字の本である。その各章を(理解する)助けとするものとして、また『記論略経』があって、(それに)一千頌ある。また、字体に三百頌あって、また字縁に二種類ある。一つに聞擇迦〈Muṇḍa (Muṇḍaka)〉といい三千頌、二つには温那地〈Uṇādi〉といって二千五百頌ある。これらは別して字縁・字体を論じたものである。
また、『八界論』八百頌がある。この中、略して字の縁・体を合わせて論じている。その諸々の記論は、能詮と所詮を論じており、それに二つの例がある。一つは底丁履反彦多声〈tiṅanta. 動詞の活用〉といい、十八囀ある。二には蘇漫多声〈subanta. 名詞の格変化〉といい、二十四囀ある。その底彦多声は、文章の壮麗の処において用い、諸々の一般的文章においても、また用いることが少しはある。その二十四囀は、あらゆる諸文において同じく用いる。その底彦多声の十八囀には、両つあって、一つは般羅颯迷〈parasmai(-pada). 能動態〉、二つには阿答末泥〈ātmane(-pada). 反射態〉であって、それぞれ九囀ある。故に合わせて十八ある。初めの九囀とは、およそ一事を論ずる如し。すなわち、一事〈三人称〉に三囀あって、他を説く〈二人称〉に三囀あり、自ら説く〈一人称〉に三囀ある。それぞれの三囀の中、単数を説き、双数を説き、複数を説くことから三ある。両句いずれも同じである。ただその声の別の故に、二九に分けるのだ。
(それがいかなることか、その一例として)般羅颯迷聲〈能動態〉に依って、有・無等の諸法を示すのに、仮に「有〈語根bhū〉」の場合を示す。有の三人称は、単数はbhavati、双数はbhavatas、複数はbhavantiである。二人称の三とは、単数はbhavasi、双数はbhavatas、複数はbhavathaである。一人称の三とは、単数bhavāmi、双数bhavāvas、複数bhavāmaこの第三は「四吠陀論」の説に依る。多くはbhavāmasと言うである。阿答末泥〈反射態〉の九囀に依っていうならば、前の九囀の下において、それぞれ毘耶底言〈vyati. 反射態の語尾〉を置き、他は上と同じである。このように(格により語尾を)変化させることは、その文章を巧妙なものとして曖昧でなく、また極めて美しい表現とする義がある。
蘇漫多聲〈名詞の格変化〉の二十四囀には、総じて八囀ある。八囀の中にそれぞれの三種(の異なり)がある。すなわち単数・双数・複数で、故に開いて二十四となる。二十四の中にまたそれぞれすべて三種(の異なり)がある。すなわち男声〈男性名詞〉・女声〈女性名詞〉・非男非女声〈中性名詞〉である。八囀と言うのは、一つに諸法の体〈主格(Nominative)〉を表し、二つに所作業〈業格(Accusative)〉を表し、三つに作具及び能作者〈具格(Instrumental)〉を表し、四つに所爲事〈具格(Instrumental)〉を表し、五に所因事〈従格(ablative)〉を表し、六に所屬事〈属格(Genetive)〉を表し、七に所依事〈於格(Locative)〉を表し、八に呼召事〈呼格(Vocative)〉を表す。(それがいかなることか、ここでその一例を示すため、)仮に男声で「丈夫」について八囀を作ったならば、「丈夫」は印度語で布路沙〈puruṣa〉というが、体〈主格〉の三囀は、単数puruṣās・双数puruṣāu・複数puruṣāsである。所作業〈業格〉の三は、単数puruṣam・双数puruṣāu・複数puruṣān。作具作者〈具格〉の三は、単数puruṣena・双数puruṣābyām・複数puruṣāis、あるいはpuruṣebhisと言う。所爲事〈為格〉の三は、単数puruṣāya・双数puruṣābyām・複数puruṣsbyasで。所因〈従格〉の三は、単数puruṣāsya・双数puruṣayos・複数puruṣeṣu。所属〈属格〉の三は、単数puruṣasya・双数puruṣāyos・複数puruṣānām。所依〈於格〉の三は、単数puruṣe・双数puruṣyos・複数puruṣeṣu。呼召〈呼格〉の三は、単数he puruṣa・双数he puruṣāu・複数he puruṣāsである。略して一、二を挙げたならばこのようであり、他の例も(同様に)知れ。(ここで全てを)詳しく述べることはし難い。法師は皆、その詞に洞達され、彼の(印度の地の)人と清典について語らって勝るとも劣らないほどであった。そのように諸々の部派の典籍を鑚研し、および梵書を学んで、およそ五年を経たのである。