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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

『雑阿含経』 巻二十九 ―安般念の修習

訓読

《No.807》

かくごとけり。一時いちじ、佛、一奢能伽羅林いっしゃのうきゃらりん中に住しき。の時、世尊せそん、諸の比丘に告げたまはく。我れ二月にがつ坐禪ざぜんせんと欲す。諸の比丘、復た往来することなかれ。送食そうじき比丘びく及び布薩ふさつ時を除く。爾の時、世尊、是の語を作しおわって、即ち二月坐禪したまふに、一比丘も敢へて往来する者無し。唯だ送食、及び布薩時を除くのみ。爾の時、世尊、坐禪したまふこと二月過ぎおわって、禪よりめ、比丘僧の前に於て坐し、諸の比丘に告げたまはく。若し諸の外道げどう出家しゅっけ、来たりて汝らに沙門しゃもん瞿曇くどんは二月中に於て云何いかんが坐禪せしと問はば、汝まさに答へて言ふべし。如来にょらいは二月、安那般那念あんなぱんなねんを以て坐禪思惟して住したまへりと。所以者何ゆえいかんとならば、我れ此の二月に於て安那般那を念じ、多く思惟して住せり。入息にっそくの時、入息を念じて実の如く知り、出息しゅっそくの時、出息を念じて実の如く知る。若しは長し、若しは短しと。一切身いっさいしんを覺して入息するを念じるを実の如く知り、一切身を覺して出息するを念じるを実の如く知る。身行しんぎょう、休息して入息するを念じるを実の如く知り、乃至ないしめつして出息するを念じるを実の如く知る。ことごとく知り已て、我れ時に是の念をさく。此れ則ちなる思惟しゆいに住せるなり。我れ今、此の思惟に於て止息し已て、當に更に餘の微細みさい修習しゅじゅうして而も住することを修すべし。爾の時、我れ麁なる思惟を息止し已て、即ち更に微細の思惟に入り、多く住して而も住せり。時に三の天子てんし極上ごくじょう妙色みょうしきなる有り。夜を過ぎて我が所に来至せり。一天子、是の言を作さく。沙門瞿曇、とき到れり。復た一天子有りて言く。此れ時到るに非ず。是の時の至るに向へるなり、と。第三の天子言く。時到れりと為すに非ず、亦た時の至るに向へるにも非ず。此れ則ち修に住せるなり。是れ阿羅訶あらか寂滅じゃくめつせるのみ、と。佛、諸の比丘に告げたまはく。若し正說しょうせつせば、聖住しょうじゅう天住てんじゅう梵住ぼんじゅう學住がくじゅう無學住むがくじゅう如來住にょらいじゅう有り。學人がくにんの得ざる所はまさべし。到らざるは當に到るべし。しょうせざるは當に證すべし。無學人むがくにん現法樂住げんぽうらくじゅうとは、謂く安那般那念なり。此れ則ち正說なり。所以者何ゆえいかんとならば、安那般那念は、是れ聖住・天住・梵住、乃至ないし、無學の現法樂住なればなり。佛、此の經を説き已りたまひしに、諸の比丘、佛の所說を聞きて、歡喜かんぎ奉行ぶぎょうしき。

《No.808》

是の如く我れ聞けり。一時、佛、迦毘羅越かびらおつ尼拘律樹園にくりつじゅおんの中に住しき。爾の時、釋氏しゃくし摩訶男まかなん、尊者迦磨かま比丘の所に詣り、迦磨比丘の足に礼し已て退きて一面に坐し、迦磨比丘に語て言はく。云何が、尊者迦磨、學住がくじゅうとは即ち是れ如來住にょらいじゅうと為すや。學住異り、如来住異ると為すや。迦磨比丘答へて言はく。摩訶男、學住異なり、如来住異なる。摩訶男、學住とは、五蓋ごがいを斷じて多く住することなり。如来住とは、五蓋を已に斷ずと已に知ることなり。其の根本こんぽんを斷ずること多羅樹たらじゅの頭を截るが如く、更に生長しょうじょうせず、未来世みらいせに於て不生法ふしょうぼうじょうずるなり。一時、世尊、一奢能伽羅林中いっしゃのうきゃらりんに住しき。爾の時、世尊、諸の比丘に告げたまはく。我れ此の一奢能伽羅林中に於て二月坐禪せんと欲す。汝、諸の比丘、往来せしむること勿れ。唯だ送食の比丘及び布薩時を除く。廣說すること前の如し。乃至ないし、無學の現法樂住なればなり。是を以ての故に知る。摩訶男、學住異なり、如来住異なることを。釋氏摩訶男、迦磨比丘の所説を聞きて歓喜かんぎし、座よりたって去りき。

《No.809》

是の如く我れ聞けり。一時、佛、金剛こんごう聚落じゅらく跋求摩河ばつぐまがの側なる、薩羅梨林さらりりん中に住しき。爾の時、世尊、諸の比丘の為に不淨觀ふじょうかんを説き、不淨觀を讃歎さんたんしていはく。諸の比丘、不淨觀を修するに多く修習せば、大果だいか大福利だいふくりを得。時に諸の比丘、不淨觀を修し已て、極めて身を厭患おんげんし、あるは刀を以て自殺じせつし、或は毒薬どくやくを服し、或はなわにて自ら絞り、いわおより投じて自殺し、或は餘比丘よびくをしてあやめしむ。異比丘いびくの極めて厭患を生じ、不淨をあらはすをにくむ有り。鹿林ろくりん梵志子ぼんししの所に至て、鹿林梵志子に語て言く。賢首けんじゅ、汝、能く我を殺さば、衣鉢えはつは汝に属せん。時に鹿林梵志子、即ち彼の比丘を殺し、刀を持ちて跋求摩河の邊に至りて刀を洗う。時に魔天まてん有り、空中に於て住し、鹿林梵志子を讃じて言く。善哉よいかな善哉よいかな。賢首、汝無量の功徳を得たり。能く諸の沙門しゃもん釋子しゃくしの持戒の有徳うとくをして、未だ度せざる者は度し、未だ脱せざる者は脱し、未だ蘇息そそくせざる者に蘇息することを得せしめ、未だ涅槃せざる者に涅槃を得せしめたり。諸の長利じょうり衣鉢えはち雑物ぞうもつ悉く皆、汝に属せり、と。時に鹿林梵志子、讃歎を聞き已て悪邪見あくじゃけんを増し、是の念を作く。我れ今、真実に大なる福徳を作せり。沙門しゃもん釋子しゃくしの持戒の有徳うとくをして、未だ度せざる者は度し、未だ脱せざる者は脱し、未だ蘇息せざる者に蘇息することを得せしめ、未だ涅槃せざる者に涅槃を得せしめたり。衣鉢・雑物悉く皆、我に属せり、と。是に於て手に利刀りとうを執り、諸の房舎・諸の經行処・別坊・禪坊をめぐり、諸の比丘を見ては、是の如く言を作せり。何等の沙門をか持戒有徳なる。未だ度せざる者を我れ能く度せしめん。未だ脱せざる者は脱せしめん。未だ蘇息せざる者は蘇息せしめん。未だ涅槃せざる者は涅槃を得せしめん。時に諸の比丘に身を厭患せる者有って、皆房舎を出で、鹿林梵志子に語て言く。我れ未だ度すること得ず。汝、當に我を度すべし。我れ未だ脱すること得ず。汝、當に我を脱すべし。我れ未だ蘇息すること得ず。汝、當に我をして蘇息することを得せしむべし。我れ未だ涅槃を得ず。汝、當に我をして涅槃を得せしむべし、と。時に鹿林梵志子、即ち利刀を以て彼の比丘を殺し、次第して、乃至ないし六十人ろくじゅうにんを殺せり。爾の時、世尊、十五日じゅうごにち説戒せっかいの時に至て、衆僧しゅそうの前に坐し、尊者阿難あなんに告げたまはく。いかなるいん、何なるえんもて諸の比丘、うたた少く、うたげんくるや、と。阿難、佛にもうしてもうさく。世尊、諸の比丘の為に不淨觀のしゅするを説き、不淨觀を讃歎したまふ。諸の比丘、不淨觀を修し已て、極めて身を厭患す。廣說して、乃至ないし、六十の比丘を殺せり。世尊、是の因縁を以ての故に、諸の比丘、転た少く、転た減じ転た盡きしむなり。だ願はくは世尊、更に餘の法を説いて、諸の比丘の聞き已て、智慧を勤修ごんしゅし、正法しょうぼう樂受らくじゅし、正法に樂住せしめたまへと。佛、阿難に告げたまはく。是の故に我れ今次第して説かん。微細住みさいじゅうに住し、随順ずいじゅんして開覺かいかくせば、已起いき未起みきの悪不善の法を速やかに休息ぐそくせしむ。天の大雨だいうの、起・未起のちりく休息せしむが如し。是の如く比丘、微細住を修さば、諸の起・未起の悪不善の法を、能く休息せしむ。阿難、何等をか微細住を多く修習し、随順して開覺せば、已起・未起の悪不善の法を能く休息せしむと為すや。謂く安那般那念あんなぱんなねんに住するなり、と。阿難、佛に白さく。云何いかんが安那般那念住を修習し、随順して開覺せば、已起・未起の悪不善の法を能く休息せしむるや、と。佛、阿難に告げたまはく。若し比丘、聚落じゅらく依止えじすること、さきに廣說せるが如く、乃至ないし、滅において出息しゅっそくするが如く念じ、而も學するなりと。佛、此の經を説き已りたまひしに、尊者阿難、佛の所説を聞きて、歡喜かんぎ奉行ぶぎょうしき。

現代語訳

《No.807》

このように私は聞いた。ある時、仏陀は一奢能伽羅林いっしゃのうきゃら〈Icchānaṅgala〉の林の中で留まっておられた。その時、世尊せそんは告げられた。
「比丘たちよ、私は二ヶ月間坐禅しようと思う。比丘たちは、(私のところに)往来しないように。ただし、(毎日私のもとに)食を届ける比丘と布薩ふさつ〈説戒. 毎月二回の僧伽における重要儀式〉時は除く」
と。そこで世尊は、このように語られてから二ヶ月間坐禅されたが、一人の比丘として敢えて往来する者はなかった。ただ食を届けるのと布薩時を除いては。そして、世尊が坐禅されること二ヶ月が過ぎて禅より出られ、比丘僧の前に坐して告げられた。
「比丘たちよ、もし諸々の外道げどう出家しゅっけが訪ねて来、比丘たちに沙門しゃもん瞿曇くどん〈Gotama〉は二ヶ月の間、どのように坐禅したのであろうかと問い尋ねたならば、比丘たちはこのように答えるべきである。「如来は二ヶ月、安那般那念あんなぱんなねんをもって坐禅思惟して住された」と。その訳は何かと云えば、私はこの二ヶ月、安那般那を念じ、多く思惟して住していた。入息にっそくしている時は入息を念じてありのままに知り、出息しゅっそくしている時は出息を念じてありのままに知る。(その入息・出息は)あるいは長いままに、あるいは短いままに。一切身いっさいしんを覚知しつつ入息していれば、それを念じてありのままに知り、一切身を覚知しつつ出息していれば、それを念じてありのままに知る。身行しんぎょうが寂静であって入息していれば、それを念じてありのままに知り、乃至ないしめつにあって出息していれば、それを念じてありのままに知る。(そのように)私は悉く知り終わったとき、私にこのような考えが起こった。「これは麁大そだい思惟しゆい〈vitakka. 尋〉に住したものである。私は今、この(麁大なる)思惟において止息したならば、更に他の微細みさいを修習して住することを修そう」と。そして、私は麁大な思惟を止息し、さらに微細の思惟〈vicārā. 伺〉に入って多く住し、さらに住した。ちょうどその時、三人の見た目の素晴らしい天子〈devatā. 神霊〉があり、夜を過ぎて私のところにやって来た。一人の天子は、このように語った。「沙門瞿曇には、(寿命が尽き、無余依涅槃に入る)その時が来た」と。また一人の天子が言うには「その時が来たのではない。その時が今まさに来ようとしているのだ」と。第三の天子が言うには「その時が来たのではない。また、その時が今まさに来ようとしているのでもない。修習に住しているのだ。阿羅漢が定に入っているだけである」と」
仏陀は語られた。
「比丘たちよ、もし正説しょうせつしたならば、聖住しょうじゅう天住てんじゅう梵住ぼんじゅう学住がくじゅう無学住むがくじゅう如来住にょらいじゅうがある。学人で、いまだ得ていないものがあるならばまさに得るべきである。到っていないければ至るべきである。証していなければ証するべきである。無学人の現法楽住げんぽうらくじゅう〈diṭṭhadhammasukhavihāra〉とは、安那般那念である。これが即ち正説である。その所以は何かと云えば、安那般那念とは、聖住・天住・梵住、乃至ないし、無学の現法楽住だからである」
仏陀がこの経を説き終わられたとき、諸々の比丘は、仏陀の所説を聞いて歓喜かんぎ奉行ぶぎょうした。

《No.808》

このように私は聞いた。ある時、仏陀は迦毘羅越かびらおつ〈Kapilavattu 〉尼拘律樹にくりつじゅ〈Nigrodha 〉の園に留まっておられた。その時、釈氏しゃくし〈釈迦族〉摩訶男まかなん〈Mahānāma〉は、尊者迦磨かま〈Lomasakaṃbhiya 〉比丘の所を訪ね、迦磨比丘の足を礼拝した。そして、すこし退いてから(迦磨比丘の)一面に坐し、迦磨比丘に語った。
「尊者迦磨よ、学住とはすなわち如来住でしょうか。学住と如来住とは異なるものでしょうか」
迦磨比丘が答えて言った。
「摩訶男よ、学住と如来住とは異なるものである。摩訶男よ、学住とは、五蓋ごがい〈貪・瞋・睡眠・掉悔・疑〉を断じて習熟すること。如来住とは、五蓋をすでに断じ終わったと知ることである。その根元を断つことは、多羅樹〈Tāla〉の頭を切るようなものであって、さらに生長することはない。未来世において不生法を成ずるのである。ある時、世尊は一奢能伽羅林の中に留まっておられた。その時、世尊は語られたのには「比丘たちよ、私はこの一奢能伽羅林の中において二ヶ月間坐禅したい。比丘たちよ、汝らは(私のところにこの二ヶ月間は)往来しないように。ただし、(毎日私のもとに)食を届ける比丘と布薩(に比丘が全員集まる)時は除く。すでに広く説いたところに同様であって、無学の現法楽住であるからである」と。このようなことから知られるであろう、摩訶男よ、学住と如来住とは異なることが」
釈氏摩訶男は、迦磨比丘の所説を聞いて歓喜かんぎし、座より立って去った。

《No.809》

このように私は聞いた。ある時、仏陀は金剛こんごう〈Vajjī〉の集落の跋求摩河ばつぐまが〈Vaggumudā 〉の辺りにある、薩羅梨林さらりりん〈未詳〉の中で留まっておられた。その時、世尊は諸々の比丘の為に不浄観ふじょうかん〈Asubha bhāvanā〉を説かれ、不浄観を讃嘆してかく語られた。
「比丘たちよ、不浄観を修するのに、多く修習すれば、大果だいか大福利だいふくりを得る」
と。そこで諸々の比丘は、不浄観を修したところ、極めて(自身らの)身体を厭い煩わしく思うようになり、あるいは刀をもって自殺し、あるいは毒薬を服用し、あるいは縄でもって首を吊り、崖から身を投じて自殺し、あるいは他の比丘に依頼して(自分を)殺させた。異比丘〈おかしな比丘〉で、極めて(身体に)嫌悪感を生じ、不浄〈死体. 身体に属する諸々の組織・器官〉を見るのをにくむ者があった。(彼は)鹿林ろくりん梵志子ぼんしし〈Migalaṇḍika. 外道の人〉のところに行き、鹿林梵志子にこう告げた。
「賢者よ、汝が私を殺したならば、(私の)衣と鉢は汝のものとなるだろう」
と。そこで鹿林梵志子はその比丘を殺し、(殺すのに用いた)刀をもって跋求摩河の辺りに行って刀を洗った。その時、魔天があって空中に留まり、鹿林梵志子を賞賛して言った。
「善い哉、善い哉。賢者よ、汝は無量の功徳を得た。諸々の沙門しゃもん釈子しゃくしで持戒の有徳うとくを、いまだ度されていない者を度し、いまだ脱していない者を脱し、未だ蘇息していない者には蘇息することを得させ、未だ涅槃していない者には涅槃を得さしめたのである。(その比丘の所有していた)諸々の余剰品・衣鉢えはち・生活用品のすべては、汝の物となった」
と。鹿林梵志子は、(魔天が)讃嘆するのを聞きおわって悪邪見を増長させ、このような考えをなした。「私は今、真実に大きな福徳を作ったのだ。沙門釈子で持戒の有徳をして、いまだ度されていない者を度し、いまだ脱していない者を脱し、未だ蘇息していない者には蘇息することを得させ、未だ涅槃していない者には涅槃を得さしめたのである。(その比丘の所有していた)諸々の衣と鉢・生活用品のすべては、私の物となった」と。そこで手に鋭い刀をとり、(比丘たちが住む)諸々の房舎・経行処・別坊・禅坊を巡り訪ね、諸々の比丘を見ては、このような言葉をなした。
「どの沙門が持戒して有徳であろうか。いまだ度されていない者を私が度してやろう。いまだ脱していない者は脱してやろう。未だ蘇息していない者には蘇息してやろう。未だ涅槃していない者には涅槃を得さしてやろう」
と。すると比丘たちの中には身体を厭い煩わしく思っていた者があり、彼らは皆な房舎を出てきて鹿林梵志子に言った。
「私はいまだ度し得ていない。汝よ、私を度せよ。私はいまだ脱し得ていない。汝よ、私を脱せよ。私はいまだ蘇息し得ていない。汝よ、私を蘇息せよ。私はいまだ涅槃を得ていない。汝よ、私に涅槃を得させよ」
と。そこで鹿林梵志子は、鋭い刀でもってその比丘らを次々と殺し、ついには六十人を殺すにいたった。さて、世尊が十五日の布薩説戒の時となって、衆僧の前に坐され、尊者阿難〈Ānanda〉に語りかけられた。
「いかなる原因、いかなる条件によって、比丘たちがひどく少なく、減ったのであろうか」
と。阿難は仏陀に申し上げた。
「世尊は、比丘たちの為に不浄観の修習を説かれ、不浄観を讃嘆されました。比丘たちは、不浄観を修したところ、極めて身体を厭い患わしく思うようになりました。(先に同じく)広く説いて、乃至ないし、六十人の比丘を殺しました。世尊よ、このような因縁によって、比丘たちはひどく少なく減ったのであります。願わくば世尊よ、どうかさらに別の法をお説きになり、比丘たちはこれを聞いて、智慧を勤修し、正法を楽受し、正法に楽住するようにして下さい」
と。仏陀は阿難に語られた。
「それでは、私は今ここに次第して説こう。微細住みさいじゅうに住し、随順して開覚すれば、已に生じ、または未だ生じていない悪・不善の法をすみやかに制止させるであろう。天から大雨が降ったとき、已に舞い上がり、または未だ舞い上がっていない塵芥ちりあくたを鎮めるように。そのように、比丘が微細住を修習すれば、諸々の已に生じ、または未だ生じていない悪・不善の法を、よく制止させる。阿難よ、なにを微細住を多く修習し、随順して開覚すれば、已に生じ、または未だ生じていない悪・不善の法を、よく制止させるというのであろうか。それは、安那般那念に住することである」
と。阿難は仏陀に申し上げた。
「どのようなことが、安那般那念住を修習し随順して開覚すれば、已に生じ、または未だ生じていない悪・不善の法をよく制止させる、というのでしょうか」
と。仏陀は阿難に語られた。
「もし比丘が、集落に留まり、すでに広く説いたところに同様であって、乃至ないし、滅において出息するをありのままに念じ、さらにまた行ずるのである」
と。仏陀がこの経を説き終わられたとき、尊者阿難は、仏陀の所説を聞いて歓喜かんぎ奉行ぶぎょうした。