二に釋名。二有り。初めに通名とは、經律を總括するに、或は袈裟と名づけ染色に從て名と爲す、或は道服と名づけ、或は出世服と名づけ、或は法衣と名づけ、或は離塵服と名づけ、或は消痩服と名づけ煩惱を損ずるが故なり、或は蓮華服と名づけ染著を離れるが故なり、或は間色服と名づけ三色を成すが故なり、或は慈悲衣と名づけ、或は福田衣と名づけ、或は臥具と名づけ、亦は敷具と云ふ皆被褥に相同じきを謂ふ。次に別名とは、一には梵に僧伽梨と云ふ。此には雜碎衣と云ふ條相多きが故に。用に從へば則ち入王宮聚落衣と名づく乞食説法時に著す。二には欝多羅僧、中價衣と名づく財直二衣の間に當るを謂ふ。用に從へば入衆衣と名づく禮・誦・齋・講の時著す。三には安陀會、下衣と名づく最も下に居るが故に。或は下に著するが故に。用に從へば院内道行雜作衣と名づく聚に入り、衆に隨ふときは則ち著することを得ず。若し相に從へば、即ち五條、七條、九條乃至二十五條等なり。義翻、多く別れたり。且らく一二を提ぐ。
三に求財を明すに、二を分かつ。初めに求乞に過を離れることを明かす。是れ法衣なるに由て、體は須く清淨なるべし。西梵の高僧、多く糞掃衣を拾う。今、如法なることを欲すれば、但だ邪求を離れよ。事鈔に云く、利を興し販易して得たる者は成ぜず。律に云く、邪命得 下に疏を引いて釋す、激發得 彼に得る所を説いて此に發して施さしむ、現相得 詐て乏少を現じて他の憐愍を欲すを以て得ざれ。犯捨墮の衣 三十の諸衣の戒等なり、竝びに作ることを得ずと。業疏に云く、邪命とは、言、略にして事、含なり。大にして之を言はば、但だ邪心を以て貪染に渉ること有り。利の爲に法を賣り、禮佛し、誦經し、斷食するなど諸の業によって獲る所の贓賄は、皆邪命と名づく。今の人は嚢に積み盈ちて餘れども、強に他に從いて乞ひ、言を巧みにして諂い附き、餉遺して家を汚す。凡そ此等の類を竝びに邪利と號す。次に貿に對り過を離れることを明す。若し本の淨財をもって貿得るは最も善し。必ず犯長の錢寶有らんに將て衣財に貿えば、律に準ずるに、犯捨の衣を以て新衣を貿得ば、但だ先罪を悔すべし。衣體は染無し。以て例通すべし。若し自ら物を貿んには、白衣と價の高下を爭ひて市道の法に同ずることを得ず。淨人を遣せども、亦た所損無し。有るが云く、淨財、手に觸るるを即ち不淨と爲すと。此れ律制に非ず。人の妄傳なるのみ 但だ捉寶を犯ず。財體を汚すには非ず。
四に財體を明す。二を分かつ。初めに如法を明す。律中に猶ほ絹・布の二物を通せり。若し業疏の諸文に準ずれば、絹も亦た許さず。疏に云く、世に絹・紬を用いる者多し。體、害命に由るを以て、亦た通じて制約す。今、五天竺及び諸胡僧、倶に絹を用て袈裟を作る者無しと。又云く、衣を以て梵服と爲して、四無量を行ず。審かに知ぬ、殺を行じて而も故に之を服するは、義に應ぜざるなりと。感通傳の中に、天人讃じて云く、佛法東傳してより六七百年。南北の律師、曾て此の意無し。安ぞ殺生の財を用て而も慈悲の服と爲さんやと。廣くは章服儀に之を明すが如し。義淨の寄歸傳に、輒ち責めて非と爲す。蓋し大慈の深行は、彼が知る所に非ず。固に其れ宜なるかな。次に非法を簡ぶ。然れども其の衣體は、須く厚密なるを求めて、諸の華綺を離るべし。律に云く、若し細薄生疎 蕉葛生紵並びに用ふるべからず 綾・羅・錦・綺・紗・縠・紬・綃等、並びに非法の物なりと。今、佛語を信ぜず。此等の諸衣を貪服せり。智論に云く、如來は麁布の僧伽梨を著したまへりと。此方の南嶽山の衆、及び古より有道の高僧は布衲艾絮にして一絲をも雜えず。天台は唯だ一衲を被る。南山は繒纊兼ねず。荊溪は大布にして而も衣る。永嘉は衣、蠶口せず。豈に慈惻の深きに非ずや。眞に尚ぶべきなり。今時は縱に怠りて、加復知無し。反て如來正制の衣を以て、用て孝服と爲し、且つ僧に服制無しとす。何ぞ妄行することを得んや。釋氏要覽、輔教の孝論は訛説に相循へり。愼みて之に憑むこと勿れ。近ろ白布をもって頭絰と爲す者を見る。斯れ又た怪しむべし。法滅の相、代て漸く多し。有識者、宜く爲に之を革めば、則ち法、少しく留ることを得ん。
五に色相を明す。律に云く、上色の染衣は服することを得ず。當に壞して袈裟色 此には不正色染と云ふと為すべしと。亦た壞色と名づく。即ち戒本中の三種染壞は、皆如法なり。一には青色 僧祇には銅青と謂ふなり。今時の尼衆の青褐は、頗る相近きことを得たり、二には黒色 緇の泥涅の者を謂ふ。今時の禪衆の深黲竝びに深蒼褐、皆黒色に同じ、三には木蘭色 謂く西蜀の木蘭皮、染めて赤黒の色を作すべし。古へ晋の高僧、多く此の衣を服せり。今時の深黄染の絹、微かに相渉ること有り。北地の淺黄は定んで是れ非法なり。然れども此の三色は名は濫して體は別なり。須く俗中の五方正色 謂く青・黄・赤・白・黒及び五間色 謂く緋・紅・紫・緑・碧、或は硫黄と云ふを離るべし。此等は皆道相に非ず。佛竝びに制斷したまへり。業疏に云く、法衣は道に順ずべし。錦色・斑・綺は心神を耀動す。青黄の五綵、眞紫の上色は流俗の貪する所。故に齊しく削るなりと。末世の律を學ぶもの、特に聖言に反して冬は綾・羅を服し、夏は紗縠を資す。亂朱の色、鮮華を厭はず。非法の量、長く髀・膝に垂る。況んや復た自ら色衣を樂て妄りに王制と稱す。過を飾ると云ふと雖も、深く謗法を成ず。祖師の所謂、何ぞ惡道の分無しと慮る。悲きかな 多論に王教に違すれば吉を得と云ふは、國の禁令を犯すを謂ふのみ。
第二に釈名。二通りある。初めに通名とは、経律を総括するに、あるいは袈裟 染めた色をもって名としたもの と名づけ、あるいは道服と名づけ、あるいは出世服と名づけ、あるいは法衣と名づけ、あるいは離塵服と名づけ、あるいは消痩服と名づける (衣が)煩悩を損なうものであるためである。あるいは蓮華服 (衣が)染著を離れるため と名づけ、あるいは間色服 純色ではない青・鼠・木蘭の三色とするため と名づける。あるいは慈悲衣と名づけ、あるいは福田衣と名づける。あるいは臥具と名づけ、または敷具と云う それらが夜具と形状が同じことからかく言う。次に別名とは、一つは梵語で僧伽梨 〈saṃghāṭi〉と云う。ここ 〈支那〉では雜碎衣という 条相が多いためである。その用途から、入王宮聚落衣と名づける 乞食・説法の時に着るのである。二には欝多羅僧〈uttarāsaṅga〉であり、中價衣と名づける 財・直二衣の中間にあたるものを言う。その用途から、入衆衣とも名づける 礼拝・誦経・斎食・講経の時に着るのである。三には安陀會[あんだえ]〈antarvāsa〉であり、下衣と名づける衣のうち最も下に着ることから、あるいは下半身を覆うものであるからかく言う。用途に従えば、院内道行雜作衣とも名づける村落に入るとき、あるいは僧伽に従って何か行じる時は着てはならない。もし形状に従えば、五条、七条、九条乃至二十五条などである。義翻〈意訳〉は多くあって、今は一応、その一、二を提げた。
第三に求財〈衣のための布の入手法〉を明かすに、二つに分かつ。初めに求乞〈衣の仕立てるための布を乞うこと〉に際して過失を離れることを明かす。これは「法衣」であるから、その元はすべからく清淨〈律に違反しないもの〉でなければならない。西梵〈西国・印度〉の高僧らは、多くの糞掃衣〈糞掃はpāṃśu-kūlaの音写。ゴミの山(に捨てられた布)の意〉を拾っている。今、(この支那の地にて)如法であることを求めるならば、(必ずしも糞掃衣に固執せず)ただ邪求を離れよ。『行事鈔』には、「利得を目的とした交換によって得た布によっては衣とすることは出来ない。律に説かれるところの、邪命得後に疏を引いて説明する・激発得他者が得た物を説き伏せて己に施させること・現相得偽って貧乏困窮しているかのように振る舞い、他者の憐憫をかって得ることによるものを離れよ。または犯捨墮の衣〈捨墮に違反して得た衣〉(捨墮とは)三十ヶ条からなる衣等の比丘の所有物についての規定である、そのいずれも作ってはならない」とある。『四分律刪補隨機羯磨疏』〈道宣による『四分律』に基づいた諸行事における羯磨の集成『四分律刪補隨機羯磨』を自ら注釈した書。以下『業疏』〉には、「邪命とは、言葉は簡略であるけれどもその意味することは様々である。広くこれを言ったならば、ただ邪なる心によって貪欲に染まっての活動全般である。(具体的には)利得を目的として仏法を売り物とし、礼仏し、誦経し、断食するなど諸の行為によって獲得した所得は、すべて邪命である」とある。今の人は、多くの物を蓄えて有り余るほどであるのに、敢えて他者に対して(更に何事かを得ようと)乞い願い、言葉巧みにへつらい餉遺〈食物を贈ること〉するなどして在家(の信仰や経済)を汚している。およそこれらの類の行為はいずれも邪利という。次に貿うに対って〈例外的に受けることが許された、衣を仕立てるために施された金銭である「衣直」の使用〉に際して過失を離れるべきことを明かす。もし本の浄財〈律で許された方法によって得たもの〉でもって(衣のための布を)貿えるのであれば、それが最善である。犯長の銭宝〈衣の入手のため以外の金銭の布施〉を得て、それを衣財として用いることになった場合は、律に準じたならば、犯捨の衣〈捨堕に抵触した捨てられるべき衣〉をもって新しい衣に交換する過失を犯したならば、ただその罪を懴悔しなければならない。その衣体〈衣を仕立てるための布自体〉は律に違反するものとならない。この事例をもってまた類似の事態も理解せよ。もし自らが物と貿える場合は、在家者と価格交渉で争うなど、市場の流儀と同様にしてはならない。浄人を遣わした場合は、その限りではない。ある者は「浄財であろうとも、それを(比丘が実際に)自ら手にすることを不浄〈律に違犯〉という」などと主張している。しかし、それは律が制限する行為では無い。その者の妄伝にすぎないそれはただ(波逸提の)捉宝の犯である。財体を汚すものではない。
第四に財体〈衣の素材〉を明かす。これを二つに分かつ。初めに如法〈律の規定に適ったもの〉を明らかにする。律の中では(財体として)絹と布〈植物繊維の布.特に麻〉との双方が通じて許されている。しかし、『業疏』の諸文に準じたならば、絹を使うことは許されない。『業疏』には、「世間では絹紬〈つむぎ〉を用いる者が多い。しかし、その材料は(蚕の)命を損なって得るものであるから、また総じて制限する。今、五天竺〈印度全土〉および諸々の胡僧〈印度以外の中央亜細亜や南海の外国人僧〉の中には、絹を用いて袈裟を作る者などいない」とある。また、「(仏教の出家者は)袈裟衣をもって梵服として四無量心を行じるのだ。明らかに知られる、(絹製の衣は)殺生によって出来たものであるのに、それを知りながら着用することは筋の通らないことが」ともある。『律相感通伝』〈道宣の著作〉の中に、「天人〈神霊〉が讃嘆して云うには、『仏法が東のインドから(支那に)伝わってから六、七百年間、南北の律師らには、そのような(絹で衣を作るなどという)発想など無かった。一体どうして殺生の財を用いながら、それを慈悲の服などとすることが出来ようか」とある。詳しくは『章服儀』にて、これについて明らかにしている通りである。義浄は『南海寄帰内法伝』において、(道宣を始めとする支那の律宗の僧徒らが絹を強いて禁じていることを)批判して誤りであるとしている。思うに大慈の深行というものは、彼〈義浄〉が理解出来ることではない。(大慈を理解出来ない哀れな者であるならば)まことに(義浄がそう批判するのは)もっともなことであろう。次に非法〈律の規定に適わないもの・行為〉について詳細にする。しかしながら、その衣体はすべからく厚くしっかりとしたものを求め、諸々の奢侈なるものを避けなければならない。律にはこうある。「あるいは細・薄・生・疎 蕉葛・生紵、いずれも使用してはならない なるもの、または綾・羅・錦・綺・紗・縠・紬・綃など、いずれも非法の物である」と。今時(の支那の僧徒らの)ほとんどは、むしろ仏陀の言葉を信じず、それら(律で禁じている素材)で出来た諸々の衣をこそ好んで着用している。『大智度論』には、「如来は麁布〈粗末な布〉で作られた僧伽梨〈大衣〉を着用されていた」とある。支那の南嶽山〈南岳慧思〉の衆〈天台宗徒〉は、古より有道の高僧らの衣は植物繊維によるものであって、一本の絹糸すら雑えたものはなかった。天台大師〈智顗〉は(四十有余年のも)ただ同じ衣をのみ被着していた。南山大師〈道宣〉は絹と綿とを混じえたものを着なかった。荊溪〈妙楽大師湛然〉は(晩年、天台山において)大布〈粗布〉をのみ衣ていた。永嘉〈永嘉玄覚〉は蚕口〈絹〉を着ることがなかった。(これら絹を用いなかった先徳らが)どうして慈心の深くなかったということがあろうか。まことに尊ぶべきことである。今時(の支那の僧徒ら)は自ら思うがままに振る舞って怠り、ますます(律についての)知識も無い。むしろ如来が正しく制定された衣を「孝服〈喪服〉である」としている。そもそも僧に服制〈喪服ついての規定〉など無い。どのようにすれば、そのように妄行することが出来るのであろうか。『釈氏要覽』〈道誠による仏教辞典的著作〉や『輔教編』〈明教大師契嵩が仏教・儒教・道教の三教一致を主張した書〉で述べられている孝論〈葬送論〉は誤った説を含んだものである。慎んでそれらの説に依ることのないように。近頃は白布をもって頭絰〈喪首戴。喪服の襟巻き〉としている者があるのを見る。それもまた見咎めるべきものである。(そのように僧徒らの振る舞い・姿形など)法滅の相が、むしろ次第に多くなってきている。有識の者らよ、是非ともそのような非法・法滅の振る舞いを改めたならば、仏法は今少し永くこの世に留り得るであろう。
第五に色相〈衣の規定された色〉を明かす。律には、「上色〈五正色・五間色〉に染められた衣を着用してはならない。まさしく(そのような純色を)染め濁して袈裟色支那では不正色染というとしなければならない」とある。(袈裟色は)また壊色〈壊はnāśā(覆沙・敷曬)の訳〉とも言われる。すなわち、戒本で説かれている三種の染壊はすべて如法である。一つは青色 『摩訶僧祇律』では銅青と云う。今時の尼衆の青褐は、それに頗る近いものとなっている。二つ目は黒色 緇泥涅(ねずみ色)である。今時の禅衆が着用している青黒および藍色などは全て(律で許されている)黒色の類である。三つ目は木蘭色 西蜀の木蘭の皮を染料とすると赤黒の色となる。古の晋の高僧は、その多くがそれで染められた赤黒の衣を着用していた。今時通用している深黄染の絹織物は、それにわずかながら似た色である。北方の支那の僧徒らが着用している淡い黄色の衣は紛れもなく非法である。しかしながら、これら(青色・黒色・木蘭色の)三色の名称は世間でも通用しているものではあるが、その実際(の色と)は異なったものである。すべからく俗世間での五方正色 青・黄・赤・白・黒、および五間色 緋・紅・紫・緑・碧、あるいは硫黄を避けなければならない。これらはすべて道相〈出家修行者のあるべき姿形〉ではない。仏陀は通じて(それらの色を)禁制されたのである。『業疏』には、「法衣は道に順じたものでなければならない。錦色・斑・綺〈所々に美しい模様のあるもの〉は心神〈精神〉を揺り動かすものである。青黄など純五色に彩られた綵、真紫の上色は流俗の者らが欲するものである。そのようなことから(仏道修行者においては)等しく制限されたのだ」とある。末世の律を学ぶ者らは、殊更に聖言に反して冬は綾・羅〈美しい模様の絹織物〉を着し、夏は紗縠〈薄い絹織物〉を服している。乱朱の色〈紫色〉、鮮華〈鮮やかで華美なもの〉を厭うこと無く、非法の寸法でもって、長くは髀・膝〈腿と膝〉にまで垂れさせている。ましてや、また自らが色衣〈紫色の衣〉を(得て着ることを)願い、かこつけて「王制である」〈「皇帝から下賜されたものであり、それを着ることは国法に従うことに他ならないから色衣を着けても差し支えない」との主張〉と強弁している。(自らが犯している)過失を取り繕わんとしての言であろうが、それは深く仏法を謗った行為である。祖師〈道宣〉のいわゆる、「どうして(そのような非法の衣を願い、用いることが)悪道には関わりなきことだと考えられようか。悲しきことである」〈『行事鈔』〉と『薩婆多論』に「王教に反したならば突吉羅となる」とあるのは、国家の禁令を犯した場合を意味したものである。