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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

栄西 『斎戒勧進文』

解題

『斎戒勧進文』とは

斎戒勧進文さいかいかんじんもん』とは、臨済禅を日本に初めて伝え、その開祖とされる千光せんこう法師栄西ようさいによって元久元年〈1204〉四月七日に著された、全国の僧俗の門徒らに持戒を促した勧進文です。勧進かんじんとは、人を仏道に勧めて善に導くことを意味します。

栄西の出た平安末期から鎌倉期初頭、仏道修行において先ず最も重要となる戒そして律の伝統もそれに対する知識もほとんど失われていました。持戒持律など夢のまた夢となっていた時代にあって、栄西もまた日本にのみあって天台僧であったその当初は、仏教における戒や律の極めて重要であることなど理解などしていませんでした。むしろ持戒しようと酒を飲まぬ者に、強いて酒を飲ますなど、いわゆる今の日本仏教における僧とさして変わらぬ有り様であったと自ら述懐しています。

しかしその後、宋に渡ること二度。そこで見聞した彼の地における僧院の様相は、いくら唐代のそれに比せばその程度も規模も随分衰えていたとはいえ、日本における寺家、僧徒らが如何に堕落を究めているかを栄西に痛感させるに十分なものであったようです。宋代の禅院は当時、律宗の行儀を多く継承した在り方をいまだ維持していました。そこでの修行生活を経験し、またその行儀を実地に学んだ栄西は、仏教において戒律がいかに重要であるか初めて知らされ、またそこで学んだ禅が戒行の上に立ってこそ意味あるものであることを自覚。

宋にて禅を相承して日本に帰った時、栄西にとってすべきことは、すでに日本にて学び深めていた天台教学や密教と、宋にて印可を受けた禅とを日本で広めるのはもちろんですが、しかし、そこで先ずなにより持戒持律という仏教の根本を僧俗に啓蒙することでした。

栄西の主著として知られる『興禅護国論』は一般に、禅をいわゆる宗として独立させることを目的とした、いわば禅宗独立宣言の書であるなどと説明されることがあります。しかし、それは極めて一面的・局所的な見方による正鵠を射たものではありません。確かに、『興禅護国論』はその題目の通り、特に「禅を興す」ことを主眼とし、それによって鎮護国家の利益あるものとする書であります。が、栄西がその最初に強調しているのは外でもない、僧徒が律を遵守することでした。そしてそれは、それによってこそ仏教は後世に正しく、そして久しく伝え得るという、通仏教的理解に基づくものです。

第一令法久住門者。六波羅蜜經云。佛言。爲令法久住說毘尼藏 大論云。佛弟子有七衆。一比丘。二比丘尼。三學戒尼。四沙彌。五沙彌尼。六優婆塞。七優婆夷。前五是出家。後二是居家 此七衆淸淨。則佛法久住。因玆禪宗禪苑淸規云。蓋以嚴淨毘尼。方能弘範三界。然則參禪問道。戒律爲先。旣非離過防非。何以成佛作祖。是故如四分律。四波羅夷。十三僧伽婆尸沙。二不定法。三十尼薩耆。九十波逸提。四波羅提提舍尼。一百衆學。七滅諍法。梵網經三聚淨戒。十重四十八輕戒。讀誦通利。善知持犯開遮。但依金口聖言。莫擅隨於庸輩
第一 仏教をして世に久しく留まらせる門
『六波羅蜜経』に、「仏は言われた、『法をして久しく住させるために律蔵を説く』」と説かれている。
『大智度論』には、「仏弟子には七衆がある。一に比丘、二に比丘尼、三に学戒尼、四に沙弥、五に沙弥尼、六に優婆塞、七に優婆夷である。前の五は出家者、後の二は在家者である」とある。この七衆が(それぞれの分際に応じた戒あるいは律に従って)清浄であれば、仏法は久しく(この世に誤り伝わらず、また滅びること無く)住するのだ。
このようなことから禅宗の『禅苑清規』には、「まさしく(僧侶が)律を厳しく持つことによってこそ、世界に広くその範として(仏法を)示すことが出来るであろう。したがって、参禅問道は戒律を先とする。まず過失ある行いを離れ、非法なる言動・思考を防がないことには一体どのようにして成仏作祖できるというのか。この故に、『四分律』の四波羅夷・十三僧伽婆尸沙・二不定法・三十尼薩耆・九十波逸提・四波羅提提舍尼・一百衆学・七滅諍法、そして『梵網経』の三聚淨戒・十重四十八軽戒などを読誦し、その意味内容に通暁して、よく持犯開遮を知らなければならない。ただ金口の聖言に拠って頼りとこそすれ、思うままに凡庸な輩(の言動)に従ってはならない」とある。

栄西『興禅護国論』

栄西が望んでいたこと、それはただ禅宗の宣布興隆などでなく、広く仏教の復興です。

本書『斎戒勧進文』は、禅宗や密教あるいは天台などといった特定の宗門に言及し、その興隆を勧進するものではありません。本書において栄西が端的に述べ勧めているのは、出離・解脱を望むならば、まずなにより斎を守り、そして菩薩戒を護持することです。本来、斎を護ることは僧であれば当然のことでありますが、ここで栄西は僧俗問わずその門徒らに勧進しています。

そもそも斎とは、その字形は「祭祀する女の姿」から「祭祀すること」を表していますが、転じて「つつしむこと」「物忌みすること」を意とする漢字です。しかしその後、支那における仏教で、日の出から正午までの時間の食事を意味する語ともなっています。というのも、日の出から正午までの時間、それを仏教では(出家者が食事をするのに適切な)時といい、その間に取る食事を時食と云います。そしてその時においてのみ食を取ることは出家者にとって義務とされ、それ以外の時分に食をすることは律で禁止されています。そのような禁止事項を「不非時食学処」といい、「非時に食事を取るのをつつしむ」のを支那では、斎と称するようになったためです。

今の日本においても僧の食事をして斎食あるいはお斎、または中食などと言うのですが、それはそのような斎・不非時食学処に由来するためです。

何ぞ仏法に依て出家しながら仏誡に従わざらんや

栄西は本書を認める以前、建久六年〈1195〉に著した『出家大綱』の序においてもまた、仏門にある出家者に斎戒を厳持すべきことを強く主張していました。

厥佛法者齋戒爲命根。不可不識其命根焉。《中略》
七佛通戒云諸悪莫作諸善奉行自淨其意是諸佛教文。一代金言八教大抵只此一偈意也。何依佛法乍出家不從佛誡哉。
そもそも仏法とは斎戒を命根とする。(仏教者でありながら)その命根を知らぬなどあってはならない。《中略》
七仏通戒偈に「諸々の悪を為すこと無く、諸々の善を行い、自らその意を清める。それが諸仏の教えである」と説かれる。仏陀一代のあらゆる説法、また今に伝わる八宗の綱要は、ただこの一偈に集約されている。一体どうして仏法によって出家しておきながら、仏陀の誡めに従わないのか。

栄西『出家大綱』序

仏教の教えにおいて出家したならば、その仏教の教えとその戒めに従わなければならない。至極当然なことでありましょう。けれども、これは現在の僧職者らにおいても全く変わりなく、むしろより悪化していると言えますが、仏陀の法(教え)も律(取り決め)もまるで従わず、そもそも知りもせず、好き勝手な我説我流を仏教であるとして世間に吹聴し、仏教僧を名乗っているという事態は異常という以外、他ありません。

大工は家の建て方、作り方を知り、実際にそれをなし得るからこそ大工であり、料理人も同じく素材を知り、それを用い調理して食事を作り得るからこそ料理人です。また医者は、人体の構造、病理など医学を知り、人に薬を処方し、また手術によって怪我や病を取り除くことが出来るからこそ医者です。では日本で仏教僧を名乗る者らはどうであるか。

彼らは戒定慧の三学をまるで修めず仏教を知らず、また特に知ろうともせずしてこれも仏教であると僻事を云い、またその外見すら「僧侶のような装束」をしかも一日のうち一刻ばかり着るか着ないかで、最近では頭を丸めることすらせずして、僧侶を自称するばかりのがほとんどです。それがどうして仏教僧を自ら名乗ることが出来るのか。

栄西は当時、ひどく堕落し奔放となっていた僧徒らの有り様を嘆き、しかしただ嘆くばかりでなく仏教復興をめざしました。そしてその第一歩として、まず僧俗の門徒らに斎戒を守ることを勧める勧進文を提出したのであるのでしょう。

『斎戒勧進文』、これはごく短いものではありますが、その他『興禅護国論』や『出家大綱』などの著作にも通じて見られる、日本に再び戒律を興して仏教の力の真を取り戻さんとする栄西の志がまさに表出したものです。本書は宗旨宗派などといったつまらぬ立場の違いなど関せず、仏教徒として傾聴して従うべき言葉であることは、その昔も今も変わりありません。

貧道覺應 拝記