令和六年(2024)九月一日
受講条件 | 無し |
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束脩 | 一万円 |
年間 受講料 | 二万五千円 (年間十回以上開催予定) |
※ 受講希望者が一定数以上となってから開講。
・ 束脩は第一回開講前に徴収。第一回を聴いた上で、悉曇相承を最後まで受講し、考試まで進むことを希望する方は年間受講料を第二回講義前に納入のこと。
・ 広く日本全国、海外の方も受講出来るよう、講座は基本的にZoomあるいはSkypeにてリアルタイム方式のオンラインにて行い、資料は基本的にPDF等にて配布(PC環境として動作可能なWebカメラ・マイク必須。筆記具として文房四宝は各自用意のこと。必要な資料・資具がある場合は別途実費)。
・ 一回の講義時間は休憩時間除く三時間程度を想定。参加者の少なかった回については補講を実施。
・ 当初は年二回程度は大阪(法楽寺)あるいは京都にて対面での講義を実施予定。考試は原則として対面にて実施(受講者が海外等の場合は別途に実施)。
1. | 悉曇について | 悉曇に関する基本的かつ重要な諸事項を解説。 |
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2. | 『摩多体文』 Ⅰ | 悉曇の基本となる十二の母音と三十三の子音の書き方、そして伝統的読み方を慈雲の口説に依って講説。まず摩多を、次に体文を各自が筆記し習得する。 |
3. | 『摩多体文』 Ⅱ | 摩多体文に配当されるそれぞれの字義を講説。 |
4. | 『悉曇字記』 Ⅰ | 古来、悉曇を学ぶ者ならば必ず習読した智広『悉曇字記』を、宗叡による注釈書『林記』に即して通読する。 |
5. | 『悉曇字記』 Ⅱ | 慈雲の口説に依って『悉曇字記』の主要点を読解。 |
6. | 「悉曇十八章」 | 悉曇十八章を各自、建立(筆記)する。 |
7. | 考試 | 悉曇の基礎を習得しているかを試し、次第すれば印可。 |
8. | 悉曇実践 Ⅰ | 「仏頂尊勝陀羅尼」を実際に筆記して読誦。 |
9. | 悉曇実践 Ⅱ | 梵文「法身偈」や「八不偈」、梵文『般若心経』、または巴文Dhammapadaなどを悉曇にて筆記し読む。 |
・ 上記の講義内容は講義一回あるいは一年間の講義計画でなく、本講における悉曇相承の全過程。
・ 受講を希望される方は、メール件名に「悉曇相承受講申込」とし、本文に「氏名(フリガナ)」・「住所」・「電話番号」・「メールアドレス」を記載の上、info@viveka.site宛に送付のこと。
※ 個人情報の取り扱いについては、別項「プライバシーポリシー」参照。
本講において教授するのは、江戸時代後期、大阪および京都を中心に超宗派的に仏教復興運動を展開した律僧、慈雲尊者飲光が法楽寺にて相承し、後に高貴寺および長栄寺などにて伝えられた悉曇の流れです。
奈良時代中期に日本にもたらされ、平安時代初頭の日本に真言宗が伝えられて以降、相承されてきた悉曇は、やがて日本で独自の展開を見せてきました。そこで日本では悉曇について、字形・字音・字義の三種にわかって学ばれていました。ところが、近代に入った頃に西洋の印度学がもたらされたことにより、悉曇学は排斥されてほとんど絶えて滅んでいます。悉曇学の基礎の基礎となる悉曇の読み書きだけは、その残滓として今も縷縷伝えられているものの、ただその字形のみ注目されて、その字音と字義については全く等閑視されて不明、あるいは誤伝が続けられたままとなっています。
悉曇は歴史的に師資相承されてきたものであるため、どうしても何事か本だけ読んで終い、ということに出来ず、伝統的な相承という手順を踏まなければなりません。慈雲尊者は自ら相承した悉曇を極めて批判的に考究し、適宜自身の見解に改めながらも、しかし相承を非常に重んじ不可欠のものとしていました。
そこで本講は字形だけでなく、むしろその字音・字義に重きを置き、これを伝授するものです。実践的に悉曇を書いて読み、またその意義が何であるかを明らかにすることを目的としています。したがって、尊者以来の相承である以上、手本とするのは慈雲の遺作ではありますが、本講に於いては如何に流麗に書くか、悉曇を書として味わいあるものとして書くかなど相承の本旨に違えたものとなるため、本より問題としていません。
そもそも、慈雲が悉曇を相承した経緯は、以下のようなものでした。
小子十三歳の時薙染す。翌年十四歳七月十八日大和上云。佛學は梵文にあり。汝に梵字を敎ゆべし。此は弘法大師より相承し來るなり。昔日醍醐山法繁昌の時師資相承く。其次第眞雅。源仁。聖寶。淳祐。乃至定海。元海。一海。靜慶阿闍梨興正菩薩に付屬す。それより西大寺に相承し高喜長老に至る。高喜長老野中寺 河内國丹南郡野ノ上村 開山慈忍律師 名惠猛 に傳ふ。律師に三人の弟子あり。上座を慈門律師 名信光 と云。不空王寺 河州黑土村 の中興。野中寺の第二代なり。次をば戒山律師 慧堅 と云。近江の安養寺の中興なり。次は先師洪善和上 普攝 なり。此の三人に御付屬なり。和上は予一人に傳ふと。乃ち一紙を出し玉ふ。摩多の文なり
小子〈慈雲〉は十三歳の時〈享保十五年〈1730〉〉、薙染〈髪を剃り、染衣を着ること.出家〉した。翌年十四歳の七月十八日のことである。大和上〈法楽寺中興第二代 忍綱貞紀〉が云われた、
「仏学は梵文〈サンスクリット〉にあり。汝に梵字〈悉曇文字〉を教えよう。これは弘法大師より相承し来たったものである。昔日、醍醐山で法繁昌の時、師資相承けていたものだ。その次第は、真雅・源仁・聖宝・淳祐、乃至、定海・元海・一海、静慶阿闍梨は興正菩薩〈叡尊〉に付属した。それより西大寺に相承し(江戸前期の)高喜長老に至った。高喜長老は野中寺 河内国丹南郡野ノ上村 開山の慈忍律師 名は惠猛 に伝えた。律師には三人の弟子があった。上座を慈門律師 名を信光 と云う。不空王寺 河州黒土村 の中興、野中寺の第二代である。次をば戒山律師 慧堅 と云う。近江の安養寺の中興である。次は先師の洪善和上 普摂 〈法楽寺中興第一代〉である。この三人に御付属された。和上〈洪善〉は予〈忍綱〉一人に伝えられた」
と。そして一紙を出したまわれた。 摩多〈mātāの音写.悉曇の母韻十二字〉の文である。
慈雲『悉曇章相承口説』巻上
十四歳という出家したばかりの尊者がこのように悉曇を法楽寺の師僧から教授されたのは、あくまで西大寺にて門外不出として相承されていた菩薩流(西大寺流・松橋流)という密教の法流を修めるため必須のことであったためです。それはあくまで、密教と不可分の秘伝として師資相承されたものでありました。
(慈雲と悉曇については、別項「梵学への情熱」を参照のこと。)
ところがその後、そのような秘伝としての悉曇を、慈雲は世に広く公開するに至っています。それは前代未聞のことであったのですが、尊者が恣意的に始めたことではなく、やはりその師から以下のように命じられてのことでした。そして、ここに伝えられる経緯こそ、慈雲における悉曇相承の最も肝要なところとなっています。
洪善和上は攝之田邊法樂寺の中興なり。則弟子忍綱貞紀和上に傳ふ。和上は則吾が大和上の親教師なり。則之を吾が大和上に授く。故に其中天相承の悉曇西大寺の法流と共に傳へ。唯其密誨口授して世に公にせざること久し。又野中寺僧房となるや。輪番持の故に其傳全ことあたはず。多は唯其一班を窺ひ。其全貌に於る唯綱和上に傳るのみ。時に和上一時我大和上に告玉はく。此悉曇たる敢て輕がろしく傳へ來らざれども。今より學密者の爲に廣く之を授與せよ。其故は一々の文字法の上に在ては眞言なりといへども。印度世俗の文字なれば眞俗に通ず。而るに數百年來其傳を失ふが故に。或は唯其切附をなして其字を讀むことや難く。或は漫りに深義を談じて其傳を失ふに至る。殊に知らず三密門に入て之を觀ずれば聲字即實相の故に世間の梵文に就て出世の深義を示す。今家に所謂種子傳等の如き是なり。即是世間通用の悉曇の義を談ず。故に或は高妙に馳せて其悉曇の通用たるを知らず。或は特に切附に勞して其文字の音韻すらも知らず。其弊苟も眞言陀羅尼に於て國字を假るに非ざれば讀むこと能はざるに至る。設ひ聊讀ことを爲すも或は清濁を混じ若は長短を亂る。一に皆今家の相承なきが故なり。悲哉。對譯音注の如きは遂に無用となして。誦持訛舛し眞言功驗なきに至る。有力の大士坐して視るべきに非ず。汝今より此弊風を救ふて此中天相承の悉曇西大寺の流を離れて別途に其機あらば傳へよ。夫然るときは世の梵文を讀む者清濁了々長短明々。唯二種連聲の的傳を以て彼四種連聲の臆説に勞せず。字として讀むべからざるは無く。音として正しからざるはなけん。何の麁顯か之れ有らんや。何の耎密か之れ有らんや。唯其初に摩多體文を授け。乃筆意を習はし乃字義を記せしめ。清濁長短暗誦に誤ること無くして。而して後正に切附せしめよ。然則道在邇何尋諸遠。事在易何求諸難。斯乃是大師の正傳中天相承の悉曇なる者なりと。大和尚敬て其命を受玉ひて。正に思惟すらく。傳承の古則に違するに似たれども佛祖の本意に合べきに論なしと。於是初て其道を倡へて卒に海内を風靡す。故に自東自西來り學べるの輩。實に悉曇の悉曇たる所以を知て淸濁分れて長短差はず。幸に闕支分念誦を免るべきに至り。而して漸く入佳境種子傳等に及び。美善共に盡して眞言家の本色を得るあり。偏に是高祖の鴻恩相承の的傳に由れり。故に予も亦其口説の如く乃ち之を傳ふと云。
洪善和上は摂州の田辺法樂寺の中興である。和上はそして弟子の忍綱貞紀和上に伝えた。和上〈忍綱〉はすなわち我が大和上〈慈雲〉の親教師〈和上.師僧〉であり、そしてこれを我が大和上に授けたのである。このようなことから、中天相承の悉曇および西大寺の法流〈西大寺流・菩薩流〉とを共に伝えたが、ただその密誨は口授によって(伝え)世に公にしないこと久しくあった。ところで、野中寺が僧房となるや、輪番の住持制とした故に、その伝承を全うすることが出来なかった。多くはただ一端をのみ窺う程度であり、全貌については畢竟、ただ忍綱和上にだけ伝わったのである。そんな中、和上〈慈雲〉はある時、我が大和上〈慈雲〉に告げられた。
「この(我が伝える)悉曇の伝承は、これまで敢えて軽々しく伝え来たったものではない。けれども、今より以降は学密者のために広くこれを授与せよ。その故は、(悉曇は)一々の文字は法の上にあっては真言であるけれども、印度では世俗の文字であるから真俗に通じたものである。しかるに(日本では)数百年来、その伝承を失ってしまったが故に、ある者はただその切附〈二つ以上の子音を合成すること〉をしてもその字を読むことは出来ず、ある者はみだりに深義を談じてむしろその伝を失うに至っている。特に三密門〈三密瑜伽〉に入ってこれ〈悉曇の字義〉を観じたならば、声字即実相であるが故に、世間の梵文について出世間の深義を示すことをなお理解していない。今家〈中天相承〉で説くところの種子伝〈悉曇一字で諸尊を象徴することの伝承〉などがそれである。すなわち、それは世間通用の悉曇の義を談じたものである。故に、ある者は(悉曇の字義について)高邁な思想にのみ考え巡らせて、その悉曇がそもそも真俗に通用なるものであることを知らず、あるいは特に(悉曇の)切附にのみ拘泥してその文字の音韻すらも知らない。その弊として、いやしくも真言陀羅尼に於いて国字で仮名が振られていなければ読むことが出来ぬようになってしまった。たとい聊か読むことが出来ても、あるいは(発音の)清濁を混ぜ、もしくは(発音の)長短が乱れている。偏に今家の相承が途絶えてしまったためである。悲しいことである。対訳・音注の如きは、遂に無用のものとし、誦持するにも訛舛して、真言の功徳効験は無くなった。これは有力の大士たる者が坐視すべき事態でない。汝〈慈雲〉、今よりこの弊風を救ってこの中天相承の悉曇を、西大寺の法流を離れて、別途にその機会があれば伝えよ。さすれば世間で梵文を読む者は(その発音が)清濁了々、長短明々となり、ただ二種連声の的伝〈嫡伝〉によって彼の四種連声〈安然以来の連声に関する学説〉の臆説に労することなく、字として読めないものは無く、音として正しからざるものは無くなるであろう。どのような麁顕〈連声の分類の一〉が生じることがあろうか。どのような耎密〈連声の分類の一〉があろうか。(中天相承の悉曇を伝えるには、)ただその初めには摩多体文〈悉曇の母音と子音〉を授け、それから筆意〈筆使い・書き方〉を習わし、次にその字義を記させ、(その発音の)清濁長短など暗誦する際には誤ることを無くさせ、そうして後にまさしく切附〈切継・截続〉の仕方を教授せよ。さすれば則ち『道は邇きに在り、何ぞ諸を遠きに尋ねん。事は易きに在り、何ぞ諸を難きに求めん』〈『孟子』〉である。それがすなわち大師の正伝、中天相承の悉曇たるものである」
と。大和尚〈慈雲〉は敬ってその命を受けたまわれて、すぐこのように思われた。
「(和上〈忍綱〉の命は)伝承の古則〈秘して他に容易く教えないこと〉に違えたもののように思われるが、仏祖の本意に合うることに異論はない」
そこで初めてその(悉曇の)道を唱えて、ついに海内 〈国内〉を風靡した。故に東西から(大和尚のもとに)来たって学ぶ輩は、実に悉曇の悉曇たる所以〈悉曇の意は「成就」〉を知って、(その発音の)清濁を明瞭にし、その長短を誤ることはなかった。幸いにも「闕支分念誦」〈『大日経疏』にて指摘されている誤った真言の発音・念誦法〉の過失から免れることが出来、そうして漸く佳境に入って種子伝等に及び、美・善共に尽くして真言家の本色を得るものも出た。偏に高祖〈弘法大師〉の鴻恩、相承の的伝に由るものである。故に予〈菩提華祥瑞〉もまた、その口説のようにこれを伝える。
菩提華祥瑞師記『悉曇相承来由』(『梵学発軫』)
以上のような経緯から、慈雲はただ僧ばかりでなく、また宗派をまったく問わず、広く世間に悉曇の基礎となる『悉曇十八章』を教授して読み書きの正しきを示すこととなったのでした。そして、その先を望む者には、というよりそれこそが尊者の目的であったのですが、羅列した梵字をただ読みあげるだけでなく、さらに一歩進んで梵語という外国語をを梵字を通して読み、その内容を理解するという段階にまで踏み込ませています。
本講は、慈雲尊者がその高みを一気に引き揚げた梵学という日本独自の学問をやがては復古せんと志すものではありますが、そこまでを内容とするものではありません。先ずはその初門として不可欠の悉曇相承を、伝統に則りつつ、さらに現代における印度古典学の知見をも併せて示すものです。
菲才には他に何事か教授する徳も才も無いものの、その持てる浅狭なる知識の幾分かは世に示してわずかでも価値あるもの、中世云われた「糞袋の中の黄金」も有ろうと自負するものであります。好学の士、まさに絶えんとする伝統を継がんとする志ある者、あるいは悉曇を一種の鑑賞物の対象として習字や書道のように書くことでなく、実践的に読み書くことをこそ習得したいと思われる人は、ぜひご参加ください。
今現在、悉曇を伝統的に学ぶことを望む人など奇特でほとんど無く、極小さくささやかな会となることが予想されますので、悉曇だけでなくその他の様々な話題など交えつつ、肩肘ばらず講義を行っていく所存です。
貧道覺應
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