『仏説尸迦羅越六方礼経』(以下、『六方礼経』)は、仏陀が摩訶陀国〈Magadha〉の首都であった王舎城〈Rājagṛha〉に滞在されていた時、尸迦羅越〈[S].Sīṅgālaka / [P].Siṅgāla〉(以下、シーンガーラカ)という名の一人の青年に対してなされた説法を伝える経典です。
本経は漢訳経典としてはその最初期となる紀元二世紀中頃の人、安世高 によってなされたものです。まず、安世高は支那でなく安息国〈Parthia〉(あるいは安国〈Bokhara〉)出身とされる人であり、またその訳文については訳語や体裁の統一がいまだほとんどされていない、いわゆる古訳の経典であるため、かなり読みにくい漢文となっています。
若干の相違点・出入は存するものの本経とほぼ同内容の教えを伝えるものとしては他に、漢語仏典では『長阿含経』巻十一「善生経」や『中阿含経』巻三十三「善生経」、『仏説善生子経』・『優婆塞戒経 』などがあります。パーリ語によって伝えられた経典としては、Dīgha Nikāya, Siṅgālasutta があります。
本経での世俗におけるいわば倫理的教説は、大乗経典や大乗の僧からもしばしば取り上げられており、古来、大乗・声聞乗の違いを問わず重要視されてきた経典の一つです。
経の題目となっている青年シーンガーラカは、毎朝起きたならば東・西・南・北・天・地の六方に向かって四拝していました。早朝、托鉢中であった仏陀は、そのように六方を礼拝している青年のあることを認められ、彼のところに近づいてその理由を問われます。しかし、彼は実は自分はなぜ六方を礼拝するのかの意味・目的などわからず、ただ亡き父がそうせよと命じていたのに従ってそうしているだけであると答えます。そこで仏陀はシーンガーラカに対し、六方を礼拝することの真の意味を明らかにされていかれる、というのが本経の内容です。
仏陀は礼拝という行為自体を全く否定されることはないものの、それが現実的な意味内容を持ち、実際の日常の行為に善く反映されるものでなければ、礼拝などしても意味は無いと説かれます。要するに、仏陀は闇雲に六方を礼拝していたシーンガーラカの行為を換骨奪胎し、人はいかに生きるべきかをより現実的・実際的に説かれていきます。
そこで彼が六方を四拝していることに掛け、まず四種の戒めるべき行為と四種の制するべき心の働き、そして自らの身と家とを滅ぼす為すべきでない六種の行為、すなわち四悪と六事が示されます。六方向それぞれ、すなわち東方には両親、南方に師、西方に夫、北方に親族・朋友、地に奴婢〈現代では雇用者として可〉、天に沙門〈仏教の出家者〉が当てられ、身をもって礼拝することについては親と子・師と弟子・夫と妻・親族/朋友と自分・雇用主と雇用者・出家と在家の相互の関係における、いわばその「あるべきようわ」が説かれていきます。
例えば、東方にあてられる親と子との関係について、子は親に従い仕えるべきであるけれども、親にもまた子に対してなすべき義務があるとされます。親子であれ師弟であれ、けっしてその関係は一方からのものでなく、互いに敬意をもってその義務を果たし合うことによってこそ、それは円滑で上質なものとなる。
もっとも、現代社会において、日本の場合は相変わらず自らの問題意識からでなく西洋の潮流にただ闇雲に押し流されてのことではありますが、従来の家族構造や社会構造、また男女の関係性についても大きく変わることが求められています。実際、『六方礼経』で問題となるのは、夫婦の関係について夫は外でよく働き稼ぎ、その妻は家をよく守って夫に尽くし、また夫は妻をよく養い家を任せすべきとされている点でしょうか。これは今の時勢とは真逆をいったものです。したがって、これを受け入れられず、あるいは反感を持つ者もあることでしょう。
そこで『六方礼経』に説かれる人や家族、社会のあるべき姿、その理想など、もはや通用しない時代錯誤のものではないか、という見方も出てくるかもしれません。
確かに、社会の構造は変化して然るべきもので実際往古から様々な段階を経て、大きく変化してきたものです。たとえばこの日本における近いところで言えば、大東亜戦争前後ではまるで違ったものとなっているでしょう。まず政治体制が異なります。そして、これはGHQによってそのように強制され誘導されたものではありますが、「家」や家族というものに対する概念が打ち壊され、必然的に男女のあり方も隨分変わっています。
ところが、そのように政治体制や家のあり方は確かに大きく変わったとはいえ、しかし社会における会社・団体など組織などは皮相ではずいぶん変わったようにみえてそれほど変わっていない、いや、全く変わっていないと言えることが多々ある。それはそこに属する人の精神構造が変わらず、また社会も以前からの慣習・因習を廃すことなく漫然と引き継いでいるためでもあるでしょう。
結局、時代の変化に一刻も早く同調しなければならない、とアレコレ新しいことをやかましく言い立て、それに同調する者がいくら現れたとして、これも業というものですけれども、良しにつけ悪しきにつけその大勢はたやすく変わるものではない。実際、社会が急速に変化したとして、人は簡単についていくことが出来ません。社会の変化にあわせて人のあり方も理想も柔軟に変化させたら良いと言う者もあるでしょう。しかし、事はそんな簡単なものではない。
時代が急激に変わるということは、多くの場合、それ以前の理想像や規範への批判や喪失を伴うもので、だいたい人は、そこでどうしたら良いかがわからなくなってしまう。変われ変われといわれても、ではどうすればよいか、いかに振る舞えば良いかの確たる模範も好例もないために迷ってしまう。結果的にそのように急激に変わる社会、そしてそこで次々謳われる制度や主義が持続されることは無いでしょう。現代社会はまさしくその過渡期にあっていわば試行錯誤しているのでしょうが、すでに非常に多くの深刻な問題が生じています。
思えばシーンガーラカのように、あるい祖父母や両親に倣い、あるいは地域の人々に従って、その意味もわからず昔からの慣習を漫然と行うだけということは、今の世にもしばしば見られることです。なんだかわからないけれどもやっている。根拠など知らない。ただまわりがそうしているから慣習としてそれに従っている。その意味・目的も価値もわからないし何の実感も無い。けれども、なんとなく「そういうものなのだ」と思いつつ漫然と行ってはいる、という人は少なくないことでしょう。
仏教に関するものでその具体例を挙げてみれば、読経というごく当たり前になされている行為があります。しかし、仏教にまつわるものとしてごく当たり前になされている行為、いや、むしろ欠くべからざる行為と見なされているであろう読経であっても、実のところその意味・目的も知らず、ただ周囲に倣ってとりあえず行っている人は非常に多いに違いありません。また、盆や彼岸などの習慣も、その起源・由来と実際など、その違いをよく理解している人などまず無いと見てよい。
さらにいえば、死者に戒名を付けることなども、まるでその意味・目的など知らない人がほとんどでしょう。しかし、戒名に関しては、その不明なことを義務として半強制的にさせられ、少なからぬ金銭が要求されることから、これを大いに不満として疑問に思っている人が多くあるでしょう。けれども、それが死者に関することであるため、そのように不満に思いながらも現代はいまだ放置されてままとなっているようです。
そのような慣習に対するモヤモヤとした状況、漫然とながらしかしずっと行われている行為に言うなれば漬け込み、全く無根拠で単なる思いつきであったり、むしろ仏教とは完全に反する内容であったりするものを、自己の利益に誘導するためにさも本当のことであるかのように世人に吹聴。そして、それを当初の目的通り自身の商売の種とするような輩は、伝統的寺院をはじめ、葬儀屋の経営者そして墓石屋、はてまたは新興宗教の運営者など、今もそこらに跋扈しています。
それにしても、そのような人々の商売文句を聞いていると、一体どうしたら仏教の名のもとにそのような嘘八百を飄々と言えるのかしらん、と不思議に思えるほどです。そう言わないと寺商売や祖霊崇拝商売など、人の漠然とした信仰や習慣を利用した集金活動が成立しない、ということでしょうか。
事実、率直に言って現在の先祖供養や墓にまつわる行為のほとんど、例えば盆・彼岸・戒名・墓参などは、寺院や葬儀屋、墓石屋や仏壇仏具屋の飯の種に過ぎないものとなっています。それらはすでにその意味も目的も必然性も全く無い因習となっており、今となってはもはや必ずしも行う必要など無いと言えたものです。なぜならば、それら慣習の背景に、その起源は仏教にまつわる何かであったとしても、もはや仏教としての確たる根拠も意味もないためです。
すでに都会だけではなく地方の人ですら葬儀や法事の簡素化、盆や彼岸にまつわる地方の習慣を簡略化したり廃絶したりし、流行りの「墓じまい」を真剣に考え実行する人は少なくありません。そもそも、普通の庶民が墓も仏壇も必ず構えなければならないなどということは決してない。構えたら構えたでそれを重荷に思うのであれば、最初から無いほうが良い。
寺院経営者や拝み屋、仏壇屋・墓石屋などは、それが自身らの経営を傾けるどころか廃業にも直結することであり、そのような祖霊信仰や民間信仰にまつわるあれこれを廃しようとする社会の傾向に、「けしからんことだ」・「伝統の危機だ」・「日本の精神性はどこへいった」などと感情的に反発しています。しかし、それこそ何をか言わんやというところでありましょう。
とは言え、その起源や由来、意味・目的などはっきりしない社会や家の慣習の類を、親の敵のように全て完全に排除する必要などありはしないでしょう。実際、それらの中には、なんとなく「文化」という言葉によって包含しうるものとなっている場合もあることでしょうし、社会の風物詩となっているものもあります。そしてまた、「人の行動全てはすべからく意義付けされたものでなければならず、全て何らかの目的を持ったものでなければあるべからず」などとしたならば、普通の生活を送る人にとっては実に窮屈に感じる事態となってしまうことでしょう。
しかし、やはりどうせ何事か日課として行っている行為があるならば、そして実はその意味内容などわからず漫然と行っているとすれば、もしそれを自身が生きていく上で意味あるもの、人生において価値あるものとして行えるようになれば、それに越したことはありません。いや、それがよっぽど良いに違いありません。
およそ二千五百年前、仏陀はその指針を人に示され、それは今に至るまで伝えられています。それは決して、現代の人が仏教に対してもっているであろういわゆる「抹香臭い」ものではないし、また霊が云々などと言った超常的、怪異を扱うものでもありません。特にこの『六方礼経』に示されているのは、世俗にあって自らの人生を送る人々への、いかに生きるべきかの指針です。それはきっと、現代においてなお価値あるものとなるでしょう。
シーンガーラカがそうしていたような六方を礼するに類した慣習、あるいは何らか宗教的行為や儀礼を、その意味もわからずただ漫然と行うのではなく、悪を離れて善を修めるべく自らの行為を戒め、自他相互に敬意とけじめをもって現実に接することとして換骨奪胎すること。それは、人の信仰の有無・その違いを問わず、現代においてもなし得ることです。事実、この『六方礼経』は、明治・大正・昭和と近現代においても諸宗の僧職者や学者ばかりでなく、事業家など商人によってもしばしば注目され、その内容が講義・出版などされて世に伝え示さんとする努力がなされています。
現在、日本では仏教が、これは時流だけではなく日本の僧職者ら自身の怠慢・怠惰に基づくものでもあるのでしょうが、もはやその真価を発揮することなどほとんど無く、長い歴史の中でただ諸々の慣習に埋没して、ますます顧みらぬようになっています。
あるいは「狂瀾を既倒に廻らさん」とするに等しいことでありましょう。しかし、ここに菲才もまた本経を示すことにより、仏陀の教えの何たるかを片鱗を知って自身を自身で救う道を歩むきっかけとなる人が幾ばくかであっても現れたなら幸甚。
非人沙門覺應 識