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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

『仏説尸迦羅越六方礼経』 (『六方礼経』)

訓読

佛、偈を唄説し玉ふ。

鷄鳴當に早起し、衣を被來りて下牀し、
澡漱して心を淨らかしめ、兩手に花香を奉るべし。
佛の尊きこと諸天に過ぎ、鬼神も當ること能はず。
低頭して塔寺を遶り、叉手して十方を禮せよ。
賢者の精進せざるは、譬へば樹の根無きが如し。
根斷たるれば枝葉落つ。何時か當に復た連ねるべき。
華を採りて日中に著くれば、能く幾時か鮮か有らん。
心を放ち自ら意を縱にせば、命過ぎて復た何をか言はん。
人は當に非常を慮るべし。對し來るに期有る無し。
過ちを犯して自ら覺らず、命過ぎて自ら欺くことを爲す。
今當に泥犁に入るべくば、何時か出るの期あらん。
賢者は佛語を受け、戒を持し愼みて疑ふこと勿れ。
佛は好華樹の如く、愛樂せざる者無し。
處處に人民は聞きて、一切皆歡喜す。
我をして佛を得せしむるの時、願くば法王の如く、
諸の生死を過度して解脱せざる者無からしめん。
戒徳は恃怙すべし。福報常に己に隨ふ。
現法には人の長と爲り、終には三惡道を遠くす。
戒にして愼めば恐畏を除き、福徳は三界に尊し。
鬼神は邪に毒害すれど、戒有る人を犯さず。
俗に墮すれば世苦を生じ、命速かなること電光の如し。
老病死の時至れば、對し來るに豪強無し。
親として恃怙すべき無く、處として隱藏すべき無し。
天福尚ほ盡くること有り。人命豈に久しく長からんや。
父母家室に居ること、譬へば寄客人の如し。
宿命の壽盡くるを以て、故を捨て當に新を受くべし。
各作す所の行を追て際り無きこと車輪の如し。
起滅は罪福に從ひ、生死に十二因あり。
現身遊びて亂を免れ、一切人を濟育す。
衆の邪に墜ち、深淵に流沒するを慈傷す。
勉進するに六度を以てし、修行して自然を致す。
是の故に稽首して禮し、天中天に歸命す。
人身既に得難く、得る人復た嗜欲す。
意識、痛想に貪婬して厭足すること無し。
豫め種を後世に栽え、歡喜して地獄に詣る。
六情幸ひに完具するに、何爲ぞ自ら困辱する。
一切能く心を正し、三世の神吉祥、
八難の與に貪らず、隨行して十方に生ぜん。
所生の趣にて精進して、六度を橋梁と爲し、
廣く無極の慧を勸めて、一切の神光を蒙らしめん。

佛説尸迦羅越六方礼経

現代語訳

仏陀はここで偈頌を説かれた。

鶏が鳴くと共に起床し、衣服を着けて床座を降り、
沐浴・漱口して心を清らかにし、両手に華香をもって捧げよ。
仏陀の尊きことは諸々の神々に過ぎ、鬼神も害し得ない。
低頭して仏塔・寺の周囲を廻り、叉手して十方を礼拝せよ。
賢者であって精進しない者は、根の無い樹のようなものである。
根が断たれたならば枝葉は落ち、二度と回復することはない。
華を摘んで日中それを着けても、その鮮やかさは一時のみ。
心が放逸で自ら意を縦とすれば、命終わる時に後悔しても遅い。
人はまさに無常を思うべし。それは突如としてやって来る。
過ちを犯して自ら気づかなかれば、命の終わりに報いを受ける。
今まさに地獄に入るならば、いつ出られるかわかりはしない。
賢者は仏陀の言葉を受け、戒を持ち慎んで疑うことなかれ。
仏陀とは好ましき華樹のようであって、愛楽しない者は無い。
処々で人々は(その言葉を)聞いて、全ての者らが歓喜する。
自ら仏陀に等しい悟りを得る時、願わくは法王〈仏陀〉のように、
今までの幾多の人生を超克して解脱しない者が無いようにと。
持戒の徳を頼みとせよ。その福報は常に自身に付き従う。
現世では人の長となり、ついには三悪道を遠くする。
戒をよって慎めば恐れなく、その福徳は三界に尊きものとなる。
鬼神が邪に毒害しても、持戒の人を犯すことは出来ない。
俗に染まれば世苦を生じ、命の速やかなこと電光のようである。
老・病・死の時が至れば、これに抗い勝ち得るる者はない。
親であっても頼みとならず、隠れる場所などありはしない。
天人すら寿命あり、人の命がどうして長くはあり続けようか。
父母の家にあっても、譬えば客人のようなものである。
寿命が尽きれば、その家を捨て新しき生を受けるであろう。
それぞれ為した行いに応じた報いのあること車輪の如し。
生死は罪福に従い、生死の基には十二因縁がある。
(仏陀は)現身に出離して世俗の喧騒を脱し、全ての人を導く。
衆生が邪に堕ち、深淵に沈溺している様を慈しみ憐れむ。
努め励むのに六波羅蜜を以てし、修行してついに悟りを得た。
この故に稽首して礼拝し、天中天は(仏陀に)帰命する。
人の生を受けることは得難く、得ても欲に溺れて際限が無い。
意識は刺激に溺れ迷い、貪って飽き足ることが無い。
自ら後世への業因を植え、むしろ歓喜して地獄に詣る。
五体満足して生まれたのに、どうして自ら苦を招くのか。
あらゆる行いにおいてよく心を正し、三世の優れた吉祥や、
八難のために迷うこと無く、隨行して十方に生じよう。
自ら生まれた境涯において精進し、六波羅蜜を橋梁として、
広く無極の慧を勧めて、一切の優れた光で照らし出せせよう。

佛説尸迦羅越六方礼経

現代語訳:Ñāṇajoti