ここにまた一つ、補足しておいたほうが良い点があります。一般に、十二縁起の中でそれが何か一番理解しにくく、現実に最も理解されていないであろう支は、おそらく[P].saṃkāra([S].saṅskhāra)であろうと思われます。そう、それは行についてです。
行とは何か。仏教においてきわめて重要な語であり、概念であるにも関わらず、これを確かに理解しようとする者、理解している者は、実は決して多くありません。そこで現代、一昔前の仏教学者によってsaṃkāraの伝統的な漢訳であり、術語となっている「行」では意味不明であると考えられ、saṃkāraに対して「潜在的形成力」などという語が造り出されています。
そこで今の学者もまた、「やぁ、新しい現代的なわかりやすい訳がある。実にめでたい」といった調子(?)で、それをあたりまえのように一般に用いるのがあります。しかしながら、saṃkāraは「潜在的形成力」…とは、なんでしょうか。それもわかるようでやっぱりその実全然わからない語です。これを等閑視してわかったつもりで済ますことは許されません。もし、真剣に縁起を理解せんとする者ならば。
そこで参考までに、英語ではどう解されているかと言えば、essential condition(要件)・a thing conditioned(条件付けられたモノ)・mental coefficients(心的共同作因)とされています。またさらに、現代の英訳仏典ではどう訳されているかを見れば、例えば優れた英訳仏典を数々出しているアメリカ人比丘Bodhiなどは、これをvolitional formation(意志に基く形成)などとしています。
しかし、「潜在的形成力」にそれら英訳essential conditionであるとかvolitional formationなどを併せもって考えてみたとしても、やはりよくわからないことでしょう。実は、欧米の印度学・仏教学の学者らは、日本の学者などと異なり、これを率直に「極めて難解な仏教術語の一つ」として捉えています。また、これを英訳することはまず相当する概念が西洋に存在せず、故に該当する単語が無いために不可能であるとし、充てている訳語はその一側面を表すものに過ぎない、と英訳が正確ではないと素直に認める態度を採っている人があります。
結局、ほとんど多くの人はよくわからないままに、従来の漢訳である「行」を漫然と使い続け、あるいは日本の学者が創作した「潜在的形成力」なる言葉で以ってなんとなくわかったような状態で放置し、その上で仏教の核心である縁起について互いに云々カンヌンしているようです。それはまさに養老孟司氏の言った「バカの壁」の出現というべき事態です。
とはいえ、潜在的形成力にしろvolitional formationなどの英訳にしろ、saṃskāraの訳として的外れで全く間違ったものでは、実はありません。しかしながら、「行とはsaṃkāraの伝統的訳で、現代的にで云うならば潜在的形成力のことです。英訳ではvolitional formation」などと言われ、自らも言うのみでは、何のことだか全然わかりません。英訳について言えば、精神的な側面に比重を起きすぎ、十二縁起の行の訳として用いるのは妥当でありません。それはむしろ、なぜそう言うのかは後述しますが、五蘊のうちの行蘊を言うに適したものです。
西洋の学者たちがそう認識しているように、仏教においてsaṃkāra(そしてその漢訳の行)という言葉は難解で多くの意味内容をもち、文脈によって意味が異なるので、この点注意する必要があります。
実際、十二縁起で言われる行と、五蘊で挙げられる行蘊の行、そして諸行無常と言われる場合の行とは、それぞれ意味合いがやや異なります。例えば、諸行無常について「諸々の潜在的形成力は無常である」として、「ははぁ、なるほど。よくわかりました」となる者がいるとはとても思われない。いや、「潜在的形成力」などという語でわかるわけがない。むしろ、現実そうなっていますが、わかったつもりの者を闇雲に量産するだけとなってしまう。
行とは何か、その定義は伝統説に従ったならば明瞭で、以下のようなものとされます。
問五蘊有爲皆應名行。何縁於一獨立行名。答如十八界雖皆是法。而但於一立法界名。廣説乃至三寶三歸雖皆是法而但立一法寶法歸。如是五蘊雖皆是行。而但於一立行蘊名亦無有過。復次行蘊有一名。餘蘊有二名。一名者。謂共名。謂五種蘊皆是行故。二名者謂共不共名。共名如前。不共名者。謂餘四蘊欲令易了顯不共名。行蘊更無不共名故。但顯共名故名行蘊。《中略》 行謂造作。有爲法中能造作者思最爲勝。思但攝在此行蘊中。故此行蘊獨名爲行
問:(色・受・想・行・識の)五蘊とは有為〈saṃskṛta. 造られたモノ。因縁所生法〉なのであるから、(五蘊の)すべては行〈saṃskāra〉の名が付されるべきであろうのに、どのような理由で一つに限って行蘊と言われるのか。
答:(六根・六境・六識の)十八界すべては法〈dharma. 存在するモノゴト〉であるのに、しかし、ただ一つをもって法界と名付けるようなものである。あるいは(仏・法・僧の)三宝や(仏帰依・法帰依・僧帰依の)三帰依もすべて法〈dharma. 真理〉であるのに、しかし、ただ一つをもって法宝・法帰依とするようなものである。そのように、五蘊はすべて「行」ではあるけれども、しかし、ただ一つをもって行蘊と名づけることに、何の過失も無い。また次に、行蘊はただ一つ名のみであるが、他の蘊には二つ名がある。一つ名とはいわゆる 共名である。すなわち、五種の蘊はすべて(本来的には)「行」であるからである。二つ名はいわゆる不共名である。共名については前述の通り。不共名とは、すなわち他の四蘊がいかなるものか解しやすくしようと(それぞれ)不共名を以て表したものである。しかし、行蘊は(つけるべき)不共名が無いために、ただ共名を以て「行蘊」と称するのだ。《中略》
行とは「造作」のことである。有為法の中において、よく造作するのは思〈cetanā. 意思〉が最たるものである。そして思はこの行蘊の範疇に包摂されることから、この行蘊にのみ行の名が冠される。
五百大阿羅漢造『阿毘達磨大毘婆沙論』巻七十四(T27, pp.384c-385a)
(ここでパーリ仏典の一節、一語を講じるに際し、他部派における論蔵の典籍のみをもってすることは不適切であり正しくない、と指摘されることでしょう。しかし、これについて上座部も説一切有部もその定義は異なっていないため、今は敢えてそうしています。パーリ語の論蔵における定義はまた機を改め、併せて示します。)
これは 五蘊のうち行蘊について論じられている一節です。
この世の存在全ては因(原因)と縁(条件)によって「造られたモノ」すなわち有為であり、よって本来的にはこの世の一切は「行」に包摂されるべきものである。けれども、行蘊以外の諸法は他の名をもって表することが出来るから、その他の名を用いてその範疇に納める。ただ特に行蘊に包摂されるのは、「行」以外に表しようのないものであるから、特に行蘊という、と説明されます。行とは、この世に存するのあらゆる事物を表する語であるわけです。
そこでまた、「行とは造作のことである」と定義されます。造作とはすなわち「(物事を)作り出す働き」のこと、つまり「(ある行為に基づいて)結果を生じさせる力」のことです。くどいようですが、いきなり「行とはsaṃkāraの漢訳で、現代で言えば潜在的形成力です」などと言われてもまったくわかりはしません。むしろ、ここで「行とは造作」とする伝統的定義のほうが、といってもそれは行の原語を直訳したようなものですが、最も端的でその原義を比較的把握しやすいでしょう。
しかしそこで、その「造作」という行の本質をなす主体は何か、といえば、まず心であるのですが、その働きの最たるものが思であるとされます。
では、思とは何か。思とはcetanāの訳で、いわゆる意思のことです。しかし、そこでまた「思とは意思のことです」などといわれても、やはりピンと来ることはないでしょう。それは心の働き、それを仏教では心所([S].caitasika / [P].cetasika / 心数)と言いますが、その中でも常に休みなく、心と伴って働き続けるものの一つです。
(cetanāを知性と訳すことも可ではありますが、それは別に人や高等生物が限定して有するものでなく、広く命あり意識を有するもの一般が備えるものであるため、意志と訳した方が妥当なものです。)
心と心所とは必ず常に伴ってあるもので、そのどちらか一方のみが生じることは決してありません。ただし、心所の中には常に休み無く働き続けるいくつかのものと、特定の条件下や機会にのみ生じる多くのものとに分けられます。仏教は、往古から心理・精神というものを非常に細かに分析してきた宗教です。
より具体的には「考えようとする精神的働き」あるいは「(知覚対象を)求める精神的働き」であり、心と常に共なる、その根本的働きの一つです。人が閑処に修定し、普段の粗雑な心の動きを鎮めていった時、しかしそれでも最後まで残って常に動き続ける心の働きがあることを知るでしょう。その一つがまさに思です。
これはすなわち、思という働きを有する心が諸々の事象の元となり、それらを生み出し形作る、ということであります。そのような理解はそもそも阿毘達磨において初めて為され、創られたのではありません。これは無論と言うべきことですが、そもそも仏語に基づいてのものです。
manopubbaṅgamā dhammā, manoseṭṭhā manomayā. manasā ce paduṭṭhena, bhāsati vā karoti vā. tato naṃ dukkhamanveti, cakkaṃva vahato padaṃ.
manopubbaṅgamā dhammā, manoseṭṭhā manomayā. manasā ce pasannena, bhāsati vā karoti vā. tato naṃ sukhamanveti, chāyāva anapāyinī.
諸々の事物〈dharmā〉は心〈mano〉に基づき、心を先とし、心によって作られる。もし悪しき心で、あるいは語り、あるいは行ったならば、その者に苦しみ〈dukkha〉が付き従う。車輪〈cakka〉の(後には)跡〈pada. 足跡〉がつくように。
諸々の事物は心に基づき、心を先とし、心によって作られる。もし清らかな心で、あるいは語り、あるいは行ったならば、その者に安楽〈sukha〉が付き従う。影〈chāyā〉が(その者に)従うように。
Dhammapada, Yamakavagga 1-2 (KN 2.1)
物事は心によって形作られる。ではその心の働きとは何かというに、その最も強盛にして根本的なものが思(cetanā)である、というのが伝統的理解です。
ここで少し本題から外れますが、日本では[P].mano([S].manas)を意と訳すことが、近現代の学問的には正しいとされます。しかし、そのような慣習に異を称え、このDhammapadaの一節におけるmanoを「心」と訳したのは中村元でした。それは一昔前の仏教学者としては非常な挑戦であったようです。もっとも、これは唯識を専門とする学者らの立場が強く反映してのことなのでしょうけれども、心と意と識とを厳密に訳し分け、使い分けるべきとする学者は今も多く見られます。
しかしながら、そもそも漢訳『法句経』において、このDhammapadaのまさに第一と第二偈は以下のように訳され伝えられています。
心爲法本 心尊心使 中心念惡 即言即行 罪苦自追 車轢于轍
心為法本 心尊心使 中心念善 即言即行 福樂自追 如影隨形
心は事物〈dharma. 法〉の本である。それは心を先とし、心が作るもの。心に悪を念じてあるいは言い、あるいは行えば、罪苦は自ら追いしたがう。車が踏み通れば轍があるように。
心は事物の本である。それは心を先とし、心が作るもの。心に善を念じてあるいは言い、あるいは行えば、福楽は自ら追いしたがう。影が形に従うように。
『法句経』双要品(T4, p.562a)
ここでもmano(manas)は心と訳されており、不佞も『法句経』の訳を踏襲したのですが、中村元もそれを意識してそうしており、その訳は何も間違ったものでも、伝統に反するものでも決してありません。それに付け加えて指摘しておくと、仮にmanoを「意」と訳したとしても、それは伝統的に「こころ」とも訓じられるものです。
以上のことからすれば、心と意と識とは、唯識系の仏教学者などが無闇矢鱈と口やかましく言うような、厳密に使い分けるべきものではありません。それはただ、唯識という大乗の一学派においてのみ適用させるべき理解であり、態度です。これはパーリ文献ではありませんが、説一切有部における論書(Abhidharmakośa-bhāṣya)の梵文において、心と意と識とは以下のように定義されています。
cittaṃ mano `tha vijñānamekārthaṃ,
cinotīti cittam|
manuta iti manaṃ|
vijānītīti vijñānam|
心と意と識とは同義である。
集起する故に心であり、思量する故に意であり、了別する故に識である。
Vasubandhu. Abhidharmakośabhāṣya, Indriyanirdeśa
この一節を、玄奘は以下のように訳しています。
頌曰心意識體一 《中略》論曰。集起故名心。思量故名意。了別故名識。
偈に曰く、心と意と識とは一体である。《中略》論じて曰く、集起することから心といい、思量することから意といい、了別することから識という。
世親『阿毘達磨倶舎論』巻四 分別根品第二之二 (T29, p.21c)
説一切有部の見解を批判的ながらも概説した『倶舎論』において、我々のいわゆる精神とは、それが集める(cinoti)ものであるから心(citta)と言い、それが考える(manute)ものであるから意(manas)と言い、それが識別する(vijñānāti)ものであるから識(vijñāna)と言う、と定義されます。
(「こころ」がいかなるものであるかの仏教における以上のような根本的理解を知っておくことは、これは単なる知識としてでなく、実は瑜伽を修習する上でも非常に重要です。)
いずれにせよ、それら心・意・識などの語で表される、いわゆる精神、我々の「こころ」なるものは、総じて考える(cinteti)ものです。そして、繰り返しになりますが、(唯識学派を除く)仏教において心・意・識は一体とされるであって、そうしなければならない場合も確かにありますが、常に必ず厳密に使い分けるべき語などではありません。
そのような「こころ」と必ず伴って働くもの一つが、思(cetanā)という心所です。先に示したDhammapadaおよび『法句経』における偈文に言及される心、諸々の事物を作り出し、為していく心の働きで最も強く、根本的力が思です。そしてその思は、五蘊のうちの行蘊に摂せられ、その代表とされます。
以上を踏まえ、ここでの本題である十二縁起にて挙げられる行とは何か。
saṃskārāḥ pūrvakarmaṇaḥ
行〈saṃskāra〉とは 前の業〈pūrvakarma〉である。
Vasubandhu. Abhidharmakośabhāṣya, lokanirdeśa
先に同じく、玄奘訳『倶舎論』を示せば以下の通り。
宿諸業名行 《中略》於宿生中福等業位至今果熟總得行名
先の諸々の業を行という。 《中略》宿生〈宿世〉に於ける福等〈善・悪・無記〉の業の位より、今の果〈現世における生〉が熟すに至るまでを、総じて行という。
世親『阿毘達磨倶舎論』巻九 分別世品第三之二 (T29, p.48b)
以上のように、十二縁起において挙げられる行とは、無始の昔から積み重ねてきた業が、その報いとして現世における生に結果するまでの力のことです。諸々の業が、やがて何らかの結果をもたらす力、それが行です。
では、その業([P].kamma / [S].karma)とは、そもそも一体何であるかという人もあるでしょう。業とは本来、ただ「行為」を意味する言葉です。しかし仏教では、ただ行為という意味だけではなくて、これに「(ある行為が)結果を引き起こす力」という意味でも用います。そこで行は、その意味での業に同じことを意味する言葉ですが、特にこの後者の意を強調したものであるために、ここでは行と言って業とされません。
なお、十二縁起には「有ること」をその原義とする、有(bhava)という支がその第十に挙げられますが、これは前者を意味するものです。すなわち、十二支縁起において行と有とは業の別称と言えるもので、それぞれその異なる側面を言い表したものです。
釈尊は、外道の人から業論者(Kammavādin)などと称されることがあったほど、業に関して様々なことを説かれた人でした。仏教は、因業とその果を説きながら、それからの解脱の道を示す宗教です。
以上のように示したならば、「なるほど現代の学者が[P].saṃskāra([S].saṅkhāra)を潜在的形成力などと訳したのはそういうことであったか」と初めて頷けるでしょうか。けれども、また同時に、潜在的形成力という語が英訳のvolitional formationと同様、その意を一面的にのみ表した片手落ちのものであることも露呈します。
そこで、あらためて行という伝統的な漢訳を顧みたならば、経論の理解があったならば、決して悪い語でないこともわかるでしょう。「行」という漢字一文字が、行為を広く表した語であることによって種々の意味を込められ得るのに対し、「潜在的形成力」などと特定したならば一面的・限定的な語となってしまうためです。どちらにせよ、すぐその意味を了解できない点では両者同じなのですけれども、そこで両者比較した場合、伝統的な行という語こそより良く、適した訳であろう、と不佞には思われます。
最後に、これは先に示したことの言い換えであり、その要約でもあるのですが、諸行無常などという場合の行について示しておきます。
諸行即是一切有爲。謂色心心所心不相應行
諸々の行〈saṅkhāra〉とは、すなわち一切の有爲〈saṅskṛta. 作られたもの・因縁生起したもの〉、いわゆる色〈rūpa. 物質〉・心〈citta〉・心所〈caitasika〉・心不相応行〈citta-viprayukta-saṃskāra〉である。
世親『阿毘達磨倶舎論』巻九 分別根品第二之二 (T29, p.19a)
この一節の後半部は説一切有部独自の阿毘達磨に関わることが述べられており、ここではそれに深入りしませんが、前半部の「諸行即是一切有爲(諸行は即ち是れ一切の有爲)」というのが、諸行とは何かを端的に示した一句となっています。あらゆる有爲(saṅskṛta)、つまり諸々の原因と条件によって形作られた全てのものが諸行です。そして、すべて有為は、必ず生・住・異・滅という四つのすがた(四相)を示すもの、すなわち無常です。
諸行無常とは、「因縁によって生起する、この世のあらゆるものは無常である」ことを意味します。先にも述べたように、そこでこれを「諸々の潜在的形成力は無常である」としては全く意味がわかりません。
(諸行無常については別項「Himavanta gāthā(雪山偈)」も併せて参照のこと。)
難しいから良い、高尚なものは難解であるべきだ、なんであれ必ず伝統に則り従うべきである、などと考えてこのように言うのではありません。しかし、そもそも術語というものは、その分野がなんであれ、一見・一聞して直ちに理解が出来るようなものでは大くの場合ありません。これを無理やり平易で人々にとっつきやすいものにしようとしたならば、むしろ逆に「わかるようで、よくわからんもの」になり、故に非常に効率が悪いことになりかねない。
けれども、一昔前はそのようにすようとすることが一部の学者の間でも流行していました。昭和中後期に吹き荒れた悪平等思想、今なおその余波がそこここに見られてもはや取り返しがつかないように思えますが、自分がその水準、高みに登ろうとする努力を嫌い、何でもおしなべて吾人の低く、卑しい程度にまで引きずり降ろそうとする日本における現代社会の傾向が、そうしようとしたことの背後にあるのでしょう。
したがって、[P].saṃkāra([S].saṅskhāra)を無理に現代的に訳す必要など無く、そこに上に示した種々の意義が込められた、行という伝統的な訳による術語をそのまま以ってしたほうがより良い、と菲才は考えています。
釈尊は成道されて後、その悟られた法すなわち縁起法を、世間に開示することをためらわれています。
何故か。それは縁起法が甚深微妙であってまことに見難く、いくらこれを説いたところで人は理解し得ず、ただ疲労困憊するのみであろう、と仏陀は考えられたからであると言われます。
adhigato kho myāyaṃ dhammo gambhīro duddaso duranubodho santo paṇīto atakkāvacaro nipuṇo paṇḍitavedanīyo. ālayarāmā kho panāyaṃ pajā ālayaratā ālayasammuditā. ālayarāmāya kho pana pajāya ālayaratāya ālayasammuditāya duddasaṃ idaṃ ṭhānaṃ yadidaṃ idappaccayatāpaṭiccasamuppādo.
私が得たこの真理は深遠で、見がたく、解しがたく、静謐で、極妙であり、推量の域を超え、微妙であり、賢者によって知られるものである。しかしながら、人々は執着することを喜び、執着することを楽しみ、執着することを享受している。そこで、人々は執着することを喜び、執着することを楽しみ、執着することを享受しているが故に、(人々には)此縁性〈idappaccayatā〉すなわち縁起〈paṭiccasamuppāda〉は見がたい。
Sagāthāvagga, Brahmāyācanasutta (SN 6.1.1)
しかし、そのように考えられていた仏陀のもとに、当時の印度で宇宙の創造神にして最高神であるとして信仰された梵天という神が現れて最上の敬意をもって礼拝し、「世間にも少数とは言えこれを理解する眼あり耳あるものがあって、そのような人々のために是非とも法を説いて欲しい」との懇請があります。そこで、釈尊があらためて世を見渡してみた結果、確かにそのような人々があり、「ではそのような人々のためにこそ法を説こう」と決意された、と言われます。梵天勧請といわれる説話です。
仏陀がひるまれたほどに人をして見難く、解し難い真理、それが縁起法です。
しかしながら、私のように半解知の、全く理解が及んでいない者でも、上のようにペラペラとわかったようなことを挙げ連ねることが出来てしまうのも事実です。このようなことから、多くの場合、縁起法そして十二縁起はその真価に対してずいぶんと軽視され、また等閑視されてしまう傾向にあるようです。それは、日本の大乗が伝統的に言ってきた、「十二縁起とは独覚(小乗)の悟りであり、浅く劣ったものである」という単純な見方を鵜呑みにし、これを端から軽視して真摯に学ぼうとしないことが、その大きな原因の一つに違いないでしょう。
もっとも、これは現代であるからだとか、大乗であるからそう思われるというのでは無くして、実は仏陀ご在世の当時からすでにそのようなことがあったようです。例えば、釈尊の随行を務められていた阿難(Ānanda)尊者ですら、ある時このような思いが起こったことを経典は伝えています。
āyasmā ānando bhagavantaṃ etadavoca — “acchariyaṃ, bhante, abbhutaṃ, bhante. yāva gambhīro cāyaṃ, bhante, paṭiccasamuppādo gambhīrāvabhāso ca, atha ca pana me uttānakuttānako viya khāyatī”ti. “mā hevaṃ, ānanda, avaca, mā hevaṃ, ānanda, avaca. gambhīro cāyaṃ, ānanda, paṭiccasamuppādo gambhīrāvabhāso ca. etassa, ānanda, dhammassa ananubodhā appaṭivedhā evamayaṃ pajā tantākulakajātā gulāgaṇṭhikajātā muñjapabbajabhūtā apāyaṃ duggatiṃ vinipātaṃ saṃsāraṃ nātivattati.
阿難尊者は世尊にこのように申し上げた。
「不可思議なものです、大徳よ!驚くべきものです、大徳よ!この縁起法とはなんと深遠であり、その相もまた深遠なることは。けれどもしかし、私には(縁起法が)一目瞭然の(浅い)もののように思われます」
と。(世尊は答えられた。)
「阿難よ、そのように言ってはならない。阿難よ、そのように言ってはならない。この縁起法は深遠であり、その相もまた深遠なるものである。阿難よ、この真理に対する無知と無理解によって、人は、糸がもつれ絡まったかのように、腫れ物に覆われたように、ムンジャ草やパッバジャ草のように、悪趣〈apāya〉・苦界〈duggati〉・堕処〈vinipāta〉への輪廻〈saṃsāra〉を超えることが出来ないのだ」
Mahāvagga, Mahānidānasutta (DN 15.1)
阿難尊者は、ひとまず仏陀の説かれた縁起法を賛嘆しておきながら、しかし縁起法がそれほどまでに難解なものなどとは思われないとの意見を、実に率直に釈尊に述べています。けれども、釈尊はこれを「そのように言ってはならない」とたしなめられ、その理由について、あらためて十二縁起の一一を然々と、阿難に説かれています。
この時、いまだ阿難は未だ阿羅漢果に達しておらず、その故に十二縁起の実義を理解していませんでした。言うまでもなく、残念ながら、かく言う愚かな私も理解出来ていませんけれども。はたして阿難尊者が阿羅漢となるのは、釈尊の死後三ヶ月のことです。この経に漢訳で対応するのが『長阿含経』巻十 「大縁方便経」(T1, p.60a)であり、他に同内容のものとして『中阿含経』巻二十四「大因経」(T1, p.578b)等々があり、縁起を理解する上で特に重要な経典の一つとなっています。
さて、かえって現代ではなおさら、「これが有るときにそれが有り、これが生じるときにそれが生じる」と聞いたとして、「二千五百年の昔にはそのようなことが大発見で、故に仏陀は偉大な人と祀り上げられたかも知れぬ。しかし、今やそんなことは中高学生でもわかるような常識」などと一笑に付し、歯牙にもかけない者は多くあっても、この意を深く追求せんとする人は稀であるように思われます。けれども、それだけですむような問題、理解できるような事であったならば仏教はいらない。そして、仏教は仏教たりえず、今にまで伝わり得なかったでしょう。
そもそも、そのように単純な理解で済むものであれば、梵天がわざわざ出っ張って釈尊に説法を懇請する必要など毛頭なかった。縁起法をして、あたかも誰でも机の上のみ頭の中でのみたちまち理解出来、それですべて事足りえるようなもの、いわゆる単なる自然科学の原理・法則の如きもののみとして捉え、理解しようとする態度は、たちまち一知半解に導くもの、誤りとなる可能性の大なるものです。
いや、これでは少々語弊がある。釈尊が悟られ、説かれた縁起は真理であり、そうであるならばそれは不変かつ普遍であり、それはすなわち原理・法則です。先に意図したのは、先ず、合理的であることとシンプルであることとは必ずしもイコールではなく、またシンプルであることと理解が容易いことは全く異なるものである、ということです。いくらその内容が合理的・シンプルであっても、それが人をして容易く理解へ導くものであるかどうかは、また全く別の問題であるからです。
そして、これが重要な点ですが、仏教の見解からして、縁起法は頭だけで理解できるものでは決してありません。この点、教科書が教えるような自然の法則の如きものではない。現在、仏教の教えの核心は、自然科学に相通じる合理性・論理性にあって、時にその見解が最先端科学とすらなんら矛盾しないものという驚くべきものであり、故に現代社会でも受け入れられるなどと考えている人も多いでしょう。
しかし、そのような合理的側面は、仏教の一側面に過ぎません。同時にまた神秘主義的側面もあります。いや、神秘主義などというのは「全知者との合一」であるとか、「世界の根源的存在との接触」などという意味で用いられるものであるため、全く不適切か。仏教はそのような意味での神秘主義では全くない。一発逆転を狙うかの如く、神秘主義的に理解したがる者は、それこそ五万といはしますけれども。
ここで言いたいのは、むろん頭での理解はもちろん必要であるけれど、、仏教はそれを前提とし、さらに戒・定・慧の三学を修めることによって、縁起法を徹頭徹尾理解することを求めるものであることです。これは、神秘主義というのでなく、かといって実証主義でもありません。これは、仏教です。
縁起法についての全き理解。それは、己の心のあり方がまるで変わったものとなること、苦たる我が生の連続から脱することをもって、その証とするものです。それは先に徴した経文にある、阿難尊者に対する釈尊の答えによって明らかなことで、わざわざここで繰り返す必要もないでしょうか。
実に、道を知ることと、道を歩むことは異なる。
おそらく、仏教が知的・理性的な教えであるという現代的見方が、人をして知的(頭だけの)理解に留めてしまうということがあるのでしょう。例えば、いくら仏陀の教えは斯く斯く云々なるもので、インド思想史においてはこのような位置にあり、このような価値があった、そして現在にいたるまでこのように伝えられてきた、などと理解したところで、それはその人自身になんら関しないものです。
「ふーん、そう?」で終わってしまうでしょう。それでその人の生き方が変わることはない。
実際、人が此縁性・縁起を説く経説をただ聞き、その表面的な論理的意味を解し、その思想史的重要性を見出したとして、それだけでその人の苦しみが減じられることなど、ただ一欠片としてないでしょう。この点はどれだけ強調しても、し過ぎということは決してない。それは「知ったこと」、「学んだこと」にはまるでならない。これはなにも無闇矢鱈に神秘なるもの・不可思議体験をありがたがろうとする志向から、そう云うのでは毛頭ありません。
しかし、最初仏陀が説法を躊躇されたほどまでに縁起法が甚深微妙であると言われること、これを単なる伝説、仏教の教えを何か高尚なものとして虚飾するための創作に過ぎないと見るのではなく、誰でも深く意に留めるべきものであると、菲才は考えます。