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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

念(smṛti, sati)とは何か

仏典に説かれる「念」

注意深く、よく気をつけること

我々は、楽を求めてむしろ苦をこそ掴むがごとき失態や過失を犯さないにようにするために、如何にするべきか。それを仏陀は、仏教では如何様にすべきであると説かれているか。

いままで色々と述べましたが、それを確認するのには、漢訳経典であれパーリ語経典であれ、実際に契経を被覧するに如くものではありません。いや、そもそも、仏教における念というものについて上述したのは、あくまで以下に示す諸経の所説や、後述する部派や大乗での定義に基いてのことです。ならば最初からそれを示せ、と先来の言説は実に迂遠と感じられるかもしれません。が、先に原典に基づいて云うよりも斯くしたほうが良しと思い、なしたまでのことです。

まず、日本における伝統では、といっても近世以来のことですが、説一切有部のĀgamaの漢訳であると伝えられる『雑阿含経』所収の一経を示します。

譬如聚落邊。有奈林多諸棘刺。時有士夫。入於林中有所營作。入林中已。前後左右上下盡有棘刺。爾時士夫正念而行。正念來去。正念明目。正念端視。正念屈身。所以者何莫令利刺傷壞身故。多聞聖弟子亦復如是。
譬えば、町外れに林があり、その木々にはいばらが多くあったとする。ある時、一人の男がその林でなさなければならない仕事があって林に入ったけれども、その前後左右上下には無数のいばら。そこでその時、その男はよく気をつけて〈正念して〉進み、よく気をつけて戻り、よく気をつけて目を見開き、よく気をつけて見、よく気をつけて身を屈める。その理由は何故かと云えば、鋭い刺によって身体に怪我を負わぬようにする為である。多く(仏陀の教えを)学んだ聖弟子もまた、それと同様に(念を)行じるのである。

求那跋陀羅訳『雑阿含経』巻四十三 [No.1173] (T2, p.314a)

今は一応、漢訳経典を徴しましたが、パーリ三蔵にも対応する同内容の経典があります。Saṃyutta Nikāya, Saḷāyatanavagga, Saḷāyatanasaṃyutta(相応部 六処品 六処相応)のDhukkhadhammasutta (35.197)です。以上の経説によって明瞭でしょうけれども、念とは感覚する対象に対して「よく気をつけること」・「注意深いこと」です。

次は、分別説部がパーリ語によって伝持してきた経蔵から、一つの小経を示しましょう。そこでは、念(特には身念住)をどのように理解し、どのように行なうべきかが譬喩によって説かれています。

evaṃ me sutaṃ — ekaṃ samayaṃ bhagavā sumbhesu viharati sedakaṃ nāma sumbhānaṃ nigamo. tatra kho bhagavā bhikkhū āmantesi — “bhikkhavo”ti. “bhadante”ti te bhikkhū bhagavato paccassosuṃ. bhagavā etadavoca — “seyyathāpi, bhikkhave, ‘janapadakalyāṇī, janapadakalyāṇī’ti kho, bhikkhave, mahājanakāyo sannipateyya. ‘sā kho panassa janapadakalyāṇī paramapāsāvinī nacce, paramapāsāvinī gīte. janapadakalyāṇī naccati gāyatī’ti kho, bhikkhave, bhiyyosomattāya mahājanakāyo sannipateyya. atha puriso jīvitukāmo amaritukāmo sukhakāmo dukkhappaṭikūlo. tamenaṃ evaṃ vadeyya — ‘ayaṃ te, ambho purisa, samatittiko telapatto antarena ca mahāsamajjaṃ antarena ca janapadakalyāṇiyā pariharitabbo. puriso ca te ukkhittāsiko piṭṭhito piṭṭhito anubandhissati. yattheva naṃ thokampi chaḍḍessati tattheva te siro pātessatī’ti. taṃ kiṃ maññatha, bhikkhave, api nu so puriso amuṃ telapattaṃ amanasikaritvā bahiddhā pamādaṃ āhareyyā”ti. “no hetaṃ, bhante”. “upamā kho myāyaṃ, bhikkhave, katā atthassa viññāpanāya. ayaṃ cevettha attho — samatittiko telapattoti kho, bhikkhave, kāyagatāya etaṃ satiyā adhivacanaṃ. tasmātiha, bhikkhave, evaṃ sikkhitabbaṃ — ‘kāyagatā sati no bhāvitā bhavissati bahulīkatā yānīkatā vatthukatā anuṭṭhitā paricitā susamāraddhā’ti. evañhi kho, bhikkhave, sikkhitabban”ti.
 このように私は聞いた。ある時、世尊はスンバ国〈sumbha〉に留まっておられた。セーダカ〈sedaka〉という名のスンバ国の街である。そこで世尊は比丘達に語りかけられた。
「比丘達よ」
「尊者よ」
と比丘達は世尊に応えた。世尊はこのように語られた。
「比丘達よ、ちょうど「地方一番の美女だ!地方一番の美女だ!」と、比丘達よ、大勢の群衆が集まったとしよう。そこで地方一番の美女が優美に踊り、優美に歌う。すると「地方一番の美女が踊っている!歌っている!」と、比丘達よ、さらにまた大勢の群衆が集まってくるであろう。その時、生を望み、不死を望み、安楽を望み、苦しみを厭う、ある一人の男がやって来るとする。(そこで)ある者が(その男に)このように言うのである、「そこの汝!汝は、この縁までなみなみと油で満たした鉢を、群衆と地方一番の美女との間を、持ち運ばなければならない。すると、剣を抜いた男が汝のすぐ後ろをつけるであろう。そして何処であれ、汝がたった一滴であっても(鉢から油を)こぼしたならば、その場で彼は汝の頭を落とすであろう」と。そこで、どのように思うであろうか、比丘達よ、男は(持たされた)その油の鉢に気を払わず、外に気を逸らしてしまうであろうか?」
(比丘達は答えた)
「いえ、そのようなことはありません、大徳よ」
「さて、比丘達よ、私はその意味を教授するために、このように譬えたのである。これがその意味である。実に、比丘達よ、縁までなみなみと油で満たした鉢とは、身体についての念〈kāyagatā sati〉を示すものである。その故に、比丘達よ、このように修められなければならない。「身体についての念を増上させ、繰り返し行い、乗り物とし、礎とし、実行し、慣れ親しみ、よく努め励もう」と。実に、比丘達よ、このように(身体についての念は)修められなければならない」

 Mahāvagga, Satipaṭṭhānasaṃyutta, Janapadakalyāṇīsutta (SN.47.20)

この短い経典で譬喩として説かれる「縁までなみなみと油で満たした鉢」、すなわち油鉢ゆはつ、あるいは持油鉢という語は、しばしば念を正しく持することの譬えとして用いられてきたものです。

この経典においても、先ほど挙げた『雑阿含経』に同じく、念(sati)とは「リラックスして、感覚する対象を気づく」などといった趣旨では、全然説かれていません。、念(sati)とは、むしろ緊張感をもって「感覚する対象によく注意すること」、「認識対象についてよく気をつけ、他に気をそらさぬようすること」であることが、ここに明瞭に示されています。

再確認しておきますが、基本的な念の意味は、単に「忘れないこと」・「認識対象を失わないこと」、あるいは「注意」・「気をつけること」です。それを喩えていうならば、「対象を捉え続けること」・「対象を掴んで離さないこと」です。

あるいはまた、「繋ぎ止めること(upanibandhana)」という譬喩によって念の意味・内容を説いている経説に、ここではまさに四念住が説かれているのですが、以下のものがあります。

seyyathāpi, aggivessana, hatthidamako mahantaṃ thambhaṃ pathaviyaṃ nikhaṇitvā āraññakassa nāgassa gīvāyaṃ upanibandhati āraññakānañceva sīlānaṃ abhinimmadanāya āraññakānañceva sarasaṅkappānaṃ abhinimmadanāya āraññakānañceva darathakilamathapariḷāhānaṃ abhinimmadanāya gāmante abhiramāpanāya manussakantesu sīlesu samādapanāya; evameva kho, aggivessana, ariyasāvakassa ime cattāro satipaṭṭhānā cetaso upanibandhanā honti gehasitānañceva sīlānaṃ abhinimmadanāya gehasitānañceva sarasaṅkappānaṃ abhinimmadanāya gehasitānañceva darathakilamathapariḷāhānaṃ abhinimmadanāya ñāyassa adhigamāya nibbānassa sacchikiriyāya.
「アッギヴェッサナ〈Aggivessana〉よ、あたかも象の調教師〈象師〉が、巨大な柱を大地に掘り立て、それに森(に住む野生)の象の首とを繋ぎ止めることによって、(その象の)森での(野生の)習慣を鎮め、森での記憶と思考とを鎮め、森での不安と疲労と熱〈消耗〉とを鎮める。そして、村での(生活を)楽しませ、人との(生活に)適応した習慣を教えこむようなものである」
「実にそのように、アッギヴェッサナよ、四念住〈cattāro satipaṭṭhāna〉が聖なる弟子〈Ariya-sāvaka〉の心を繋ぎ止めることによって、家族と共に過ごした(在俗での)習慣を鎮め、家族と共に過ごした記憶と思考とを鎮め、家族と共に過ごした不安と疲労と熱とを沈める。そのことによって、(聖なる弟子は)正道を獲得し、涅槃を現証する」

 Uparipaṇṇāsapāḷi. Suññatavagga, Dantabhūmisutta (MN.125)

これは先に示した栄西禅師の『興禅護国論』に引用されていた、ここでは心の類比として用いられているのが猿ではなく象でありますが、念をして心を対象に「繋ぎ止めるもの」とする点ではまったく同様の譬喩が、釈尊によって説かれています。

そしてまた、これは経ではなく律の典籍で、漢訳された五大広律のうち化地部けじぶ〈Mahīśāsaka〉の律蔵である『五分律』にもまた、まさに「念とは何か」が端的に示された一節があります。

汝等各當繋念在前自防護心。是諸佛教。何謂繋念。謂行四念處觀内身循身觀除無明世間苦觀。外身内外身及痛心法亦如是。何謂在前。所謂若行若立若坐若臥若睡若覺若去若來若前後視瞻若屈伸俯仰若著衣持鉢若食飮便利若語若默常一其心。此是我教。
 汝らは、それぞれまさに「繋念在前」して自ら心を防護しなければならない。これは諸々の仏陀の教えである。
 では何が「繋念」であろうか。すなわち、四念処観〈四念住〉を行ずることである。内身循身観によって無明と世間の苦とを除き、外身・内外身、及び痛〈vedanāの古訳。受・感受〉と心〈citta〉と法〈dharma〉とを観じることもまた同様である。
 何が「在前」であろうか。それは、あるいは行き、あるいは立ち、あるいは坐り、あるいは臥し、あるいは睡り、あるいは目覚め、あるいは去り、あるいは来り、あるいは前後を瞻視し、あるいは屈伸俯仰し、あるいは衣を著け鉢を持ち、あるいは食し、飲み、便利〈大小便すること〉し、あるいは語り、あるいは默するにも、常にその心を一つとすることである。これはまた我が教えである。

佛陀什・竺道生訳『彌沙塞部和醯五分律』 (T22, p.135b)

これは釈尊らが毘舎離を訪れた時、彼の地においてその美貌で高名であったAmbapālīアンバパーリー〈阿范和利・菴摩羅〉が、その他多くの遊女〈芸者・娼婦〉を引き連れて仏陀と対面しようと来訪する直前、釈尊が弟子の比丘たちに教誡された内容とされるものです。多くの遊女らを前にした比丘たちが情欲に駆られることがないよう、念とは何か、どのように心を護るべきかが説かれたものとなっています。まさに「念とは、心と対象とを繋ぎ止めるもの」であることが、律蔵においても端的に示されているのです。

あるいは、実はこれは正しく経典とは呼べないものではありますが、漢訳仏典としては最初期のものである『大安般守意経』には、修道における念について、以下のように説かれています。

守意者。無所著為守意。 《中略》
守意者為離罪。守意者為不離因緣也。《中略》
守意者欲得止意。守意者念出入息。已念息不生惡故為守意。
守意〈念・satiの意訳〉とは、(認識対象に)執着することが無い為に守意〈心を守護するもの〉である。《中略》
守意とは、罪を離れることであり、守意とは、因縁を離れないことである。《中略》
守意とは、心の静寂を得ようと求めることである。守意とは、吐く息・吸う息を念じる〈意識に留めて失わない〉ことである。息を念じたならば(心に)悪が生じることがないために、守意である。

『大安般守意経』 (T15, pp.164a-165b)

念にはまた別に、古訳といわれる漢訳経典には「守意」との訳のあることを先に触れておきました。それは以上に挙げたように、「心を守る」すなわち「心に煩悩の付け入る隙を与えない」という念の効用に基づいたものです。

故に、諸々の経典に頻繁に説かれている「五根を制する」とは、「感覚することを我慢する」とか「感覚を制御する」ということではなく、「物事を感覚するに、よく気を付け、その感覚した対象に囚われて自らを害することが無いようにする」ことを意味したものと解するのが適切です。

それはたとえば以下の、これは『仏遺教経』の一節で別段「念とは何か」・「念ずるとはどのようなことか」などを明示して説いているものではありませんが、経説においても明らかとなるでしょう。

當制五根。勿令放逸入於五欲。譬如牧牛之人執杖視之。不令縱逸犯人苗稼。若縱五根。非唯五欲将無崖畔不可制也。亦如悪馬不以轡制。将當牽人墜於坑陷。
 まさに(眼・耳・鼻・舌・身の)五根を制して、勝手気ままに(色・声・香・味・触への)五種の欲望に溺れさせぬように。たとえば牛飼いが、杖を持って牛を監視し、好き勝手に他人の農地を荒らさぬようにするようなものである。もし五根をほしいままにして制することがなければ、ただ単に五欲が際限ないものとなるばかりではない。それはまるで、人が暴れ馬に乗るときに、くつわを噛ませてそれを制御しなければ、畢竟その馬はその人を深い穴底に転落させようとするようなものである。

鳩摩羅什訳『仏垂般涅槃略説教誡経(仏遺教経)』 (T12, p.1110c)

Milindapañhāミリンダパンハーにて説明される「念(sati)」

これは経論ではありませんが、紀元前二世紀後半の西北インドにまで侵攻し、現アフガニスタンから北インド一帯にかけてを支配していたギリシャ人王 MilindaミリンダMenandrosメナンドロス)と北インド僧Nāgasenaナーガセーナとの、仏教の教理についての質疑応答の記録であるMilindapañhāミリンダパンハー(『ミリンダ王の問い』)があります。

ビルマの分別説部ではこの典籍をKhuddaka Nikāya(小部)に収め、ほとんど経典と同等の権威あるものとして扱っています。しかし、それ以外の国、たとえばシャムやセイロンの分別説部では、その価値の高いことは認めつつも経典としては認めず、故に蔵外文献として扱われています。

実はこのMilindapañhāは、そのいくつかの内容から、必ずしも分別説部の教学を正しく宣揚しているものではない、経論の説に合致しない点があるとして、過去のビルマやセイロンにおいて幾度か争論の元となったような問題の書でもあります。けれども、分別説部の教学の大成者とでも言うべき大徳 Buddhaghosaブッダゴーサは、本書に大なる影響を受けたようで、それはその著作のそこここに認めることができます。

また実際、Milindapañhāという書が、仏教をまるで知らぬ、けれども教養あっていわば知的水準の高い人からの仏教の教義についての直截な疑問に多彩な譬喩をもって平易に答えたものであることから、仏教の根本的教理を簡潔に示すものとして古来珍重され、現代においてもなお多くの人に愛好されています。

また、これには失訳ながら二本の漢訳本が伝わっています。『那先比丘経』です。Milindapañhāに対して『那先比丘経』は、漢訳経典ならではの問題も多数あるものの、より簡潔な内容であってその分量も少ないことから、原型に近い古き内容を伝えるものと見なされています。ただし、少々読解に難を伴います。

Milindapañhāと『那先比丘経』とは、サンガが諸部派が完全に分裂する以前、あるいはそれぞれ独自の教義を完全に打ち立てる以前のより古い見解を、断片的でも伝えているものであろうと目されています。中でも説一切有部の教義の片鱗が見られるなどと、文献学者らによって言われています。

実際、Milindapañhāには現在の分別説部の教学に必ずしも合致しない点や、ある語はMilindapañhāにのみ見られる用法があるとされており、したがってこれがパーリ語によって伝えられているとは言え、ただそれだけで分別説部が伝持した典籍とはただちに見なすことは出来ません。

また、説一切有部に一応属する典籍である、世親の『倶舎論』にもMilindapañhāを引く箇所があるのですが、現存するMilindapañhāにも『那先比丘経』にもその該当箇所は見いだせません。そして今伝わるMilindapañhāと『那先比丘経』ともその内容に若干の齟齬・出脱があります。そのような事実は、Milindapañhāの原本には当時、諸本があったことを物語っています。

さて、Milindapañhāにもまた「念とは何か」という問いに答えている一説があります。それは他の典籍と少々毛色が違ったものでもあるのでここに徴します。

rājā āha “bhante nāgasena, kiṃlakkhaṇā satī”ti. “apilāpanalakkhaṇā, mahārāja, sati, upaggaṇhanalakkhaṇā cā”ti. “kathaṃ, bhante, apilāpanalakkhaṇā satī”ti. “sati, mahārāja, uppajjamānā kusalākusalasāvajjānavajjahīnappaṇītakaṇhasukkasappaṭibhāgadhamme apilāpeti ‘ime cattāro satipaṭṭhānā, ime cattāro sammappadhānā, ime cattāro iddhipādā, imāni pañcindriyāni, imāni pañca balāni, ime satta bojjhaṅgā, ayaṃ ariyo aṭṭhaṅgiko maggo, ayaṃ samatho, ayaṃ vipassanā, ayaṃ vijjā, ayaṃ vimuttī’ti. tato yogāvacaro sevitabbe dhamme sevati, asevitabbe dhamme na sevati. bhajitabbe dhamme bhajati abhajittabbe dhamme na bhajati. evaṃ kho, mahārāja, apilāpanalakkhaṇā satī”ti.
“opammaṃ karohī”ti. “yathā, mahārāja, rañño cakkavattissa bhaṇḍāgāriko rājānaṃ cakkavattiṃ sāyaṃ pātaṃ yasaṃ sarāpeti ‘ettakā, deva, te hatthī, ettakā assā, ettakā rathā, ettakā pattī, ettakaṃ hiraññaṃ, ettakaṃ suvaṇṇaṃ, ettakaṃ sāpateyyaṃ, taṃ devo saratū’ti rañño sāpateyyaṃ apilāpeti. evameva kho, mahārāja, sati uppajjamānā ...pe...”
“kathaṃ, bhante, upaggaṇhanalakkhaṇā satī”ti. “sati, mahārāja, uppajjamānā hitāhitānaṃ dhammānaṃ gatiyo samanveti ‘ime dhammā hitā, ime dhammā ahitā. ime dhammā upakārā, ime dhammā anupakārā’ti. tato yogāvacaro ahite dhamme apanudeti, hite dhamme upaggaṇhāti. anupakāre dhamme apanudeti, upakāre dhamme upaggaṇhāti. evaṃ kho, mahārāja, upaggaṇhanalakkhaṇā satī”ti.
“opammaṃ karohī”ti. “yathā, mahārāja, rañño cakkavattissa pariṇāyakaratanaṃ rañño hitāhite jānāti ‘ime rañño hitā, ime ahitā. ime upakārā, ime anupakārā’ti. tato ahite apanudeti, hite upaggaṇhāti. anupakāre apanudeti, upakāre upaggaṇhāti. evameva kho, mahārāja, sati uppajjamānā ...pe... bhāsitampetaṃ, mahārāja, bhagavatā — ‘satiñca khvāhaṃ, bhikkhave, sabbatthikaṃ vadāmī’”ti.
“kallosi, bhante nāgasenā”ti.
王は言った、
「大徳ナーガセーナよ、念〈sati〉の特徴〈lakkhaṇa〉はなんでしょうか?」
(ナーガセーナは応えて言った、)
「大王よ、念とは列挙〈apilāpana. 数え上げること〉を特徴とし、また把持〈upaggaṇhana. 確かに掴むこと〉を特徴とするものです」
「大徳よ、どのように念は列挙を特徴とするのでしょうか?」
「大王よ、念が生じつつあるとき、彼は善と不善、有罪と無罪、劣等と優等、黒と白との対照的な法〈dhamma〉を列挙する。『これらは四念住である。これらは四正勤である。これらは四神足である。これらは五根である。これらは五力である。これらは七覚支である。これらは八支聖道である。これは止である。これは観である。これは明である。これは解脱である』と。そこで、瑜伽行者は学ぶべき法を学び、学ぶべからざる法を学ばず、親しむべき法に親しみ、親しむべからざる法に親しまない。大王よ、そのように念は列挙を特徴とするのです」
「大徳よ、譬喩で示して下さい」
「大王よ、たとえば転輪王の財務官が、夕刻・晨朝に、その栄誉を転輪王に記憶させる〈sarāpeti〉。『王よ、貴方には象がこれだけあり、馬はこれだけあり、戦車はこれだけあり、歩兵はこれだけあり、金塊はこれだけあり、金貨はこれだけあり、財物はこれだけあります。王よ、どうかそれを記憶して下さい』と、王の財物を列挙するように。大王よ、そのように、(行者に)念が生じつつあるとき…〔同上〕」
「大徳よ、どのように念は把持を特徴とするのでしょうか?」
「大王よ、(行者に)念が生じつつあるとき、彼は利益・不利益なる法の道程を追従する。『これらは利益の法である。これらは不利益の法である。これらは資助の法である。これらは不資助の法である』と。そこで、瑜伽行者は不利益の法を排し、利益の法を把持し、不資助の法を排し、資助の法を把持する。大王よ、そのように念は把持を特徴とするのです」
「大徳よ、譬喩で示して下さい」
「大王よ、たとえば転輪王の財務大臣は、王にとっての利益・不利益を知る。『これらは王にとって利益である。これらは不利益である。これらは資助である。これらは不資助である』と。そこで、彼は不利益を排し、利益を把持し、不資助を排し、資助を把持する。大王よ、そのように、(行者に)念が生じつつあるとき…〔同上〕」
「大王よ、世尊によってこの(言葉が)説かれたのです、『実に、比丘達よ、私は念が、あらゆる場において有益なものと説くのである』と」
「賢明なり、大徳ナーガセーナよ!」

KN. Milindapañhā, Mahāvagga, Satilakkhaṇapañha

以上のように、Milindapañhāでは、satiとは何かを説明するのに"apilāpana"と"upaggaṇhana"という二つの語を以てしています。

なお、ここでなされる念についての説明は、煩悩を滅して解脱を果たすための「善なる法〈kusala dhamma〉」の一つとしての、修道の助けとしての「念(という心作用)」についてのものであることに注意する必要があります。いや、これはまさしく修道に関する「念」についての解説であり、ここでもやはり「念とは気づき」などと毫末も説かれていないことを確認しなければなりません。

そこでapilāpanaとは「数え上げること」あるいは「繰り返すこと」の意であり、upaggaṇhanaとは「確かに掴むこと」の意です。しかし、もちろんそのように言われるだけでは何のことかわかりかねるため、ナーガセーナ長老はさらに続けてそれがどのようなことかをミリンダ王に説明しています。

まず、ここで長老は"apilāpana"を、satiの意の一つである「記憶」を説明するために用いており、また"upaggaṇhana"はsatiの「注意」・「気をつけること」の意を説明するために用いています。特に"upaggaṇhana"の場合は、その対象の善悪(利益・不利益)を「よく気をつけて斟酌する」ものとして説明している点、特異と言えるかもしれません。

またミリンダ王は、インドの外道の論師らがこの点について批判したのと同様に、「無我」を標榜するはずの仏教において「記憶」は何物によってなされるのか、その主体は何かという点に大いに疑問を持っていたようです。そこで「記憶(sati)」について、時を改め、さらに突っ込んだ説明をナーガセーナに求めています。

以下に示すのは、その一連の問いの導入であってその一部です。

rājā āha “bhante nāgasena, kena atītaṃ cirakataṃ saratī”ti? “satiyā, mahārājā”ti. “nanu, bhante nāgasena, cittena sarati no satiyā”ti? “abhijānāsi nu, tvaṃ mahārāja, kiñcideva karaṇīyaṃ katvā pamuṭṭhan”ti? “āma bhante”ti. “kiṃ nu kho, tvaṃ mahārāja, tasmiṃ samaye acittako ahosī”ti? “na hi, bhante, sati tasmiṃ samaye nāhosī”ti. “atha kasmā, tvaṃ mahārāja, evamāha ‘cittena sarati, no satiyā’”ti? “kallosi, bhante nāgasenā”ti.
王は言った、
「大徳ナーガセーナよ、はるか昔に為されたことを思い出す〈sarati. 憶える〉のは、何モノによるのでしょうか?」
「大王よ、念〈sati. 記憶〉によります」
「大徳ナーガセーナよ、心〈citta. 意識〉によって思い出すのであって、念によるのではないのではないでしょうか?」
「大王よ、あなたは何か為すべきことをした後に、それを忘れてしまったのを気づく〈abhijānāsi〉ことはありませんか?」
「大徳よ、そのとおりです」
「大王よ、(思い出すことが心によってなされるのであれば、何かを忘れてしまった)その時、あなたには心が無かったのですか?」
「尊者よ、そうではありません。その時は念が無かったのです」
「大王よ、ならば何故、あなたは『心によって思い出すのであって、念によるのではない』などと言われるのでしょう?」
「賢明なり、大徳ナーガセーナよ!」

KN. Milindapañhā, Sativagga, Cirakatasaraṇapañha

古代ギリシャ思想でプシュケー〈Psyche, Anima〉と言われ、インド思想の多くでは我〈Ātman, Atta〉や霊魂〈Vedagū〉、はてまたは神我〈Puruṣa〉などとして認められる、恒常的実在としての認識主体の存在しないこと、すなわち無我(非我)をいう仏教に対し、諸々の認識や精神活動をなすその主体は何か、特に「思い出すこと」は何によってなされるのかという、素朴でありかつ重大な問い。それに対する答えの中、まさに「sati」が持ち出されています。それは先に示したこの語の原義、まぎれもなく「記憶(をなす心作用)」の意で用いられています。

このナーガセーナの答えは、ミリンダの求めた「個の主体は何か?」・「個我が無いならば何が記憶するのか?」という問いに直截迫ったものではなく、一種のはぐらかしのようにあるいは聞こえるかもしれません。しかし、実体として「無いモノ」を説明するのには、このようにその周辺・部分から答えていくという方法を取らざるを得ないでしょう。少なくとも、ここでミリンダ王はこの答えに納得したとされています。

恒常的実在としての「我」のないことを主張する仏教の見方として、諸々の心作用を統合する主体的存在となる「心・意・識」とは、恒常的な実体であるとされる「我」でもなく「霊魂」でもなく、あくまで業によって生滅を繰り返す連続体〈santati〉であって実体としては無いものです。

いずれにせよ、古来、分別説部で珍重されてきたMilindapañhāにおいてもまた、satiに現代声高に主張されるところの「気づき」などという意味があることなど、(そんな意はそもそも無いので当然のことながら)微塵も説かれていません。

もしsatiにそのような意があるならば、仏典にはっきりとそう示されていることでしょう。「satiは気づきだ!…とも言えるはず」と未だに主張し続ける一類の人々は、そのように強弁し続けるのではなく、また奇妙な捏ねくり回しをすることなく、ただその根拠を仏典に基づいて種々に示せば良いだけのことです。