當寺律法再興以來歴代住持名位
一 律法再興始祖俊正房明忍大律師
慶長七年自誓受戒成比丘
住持八年 同十五年六月七日示寂
享壽三十五歳
慧雲房寥海和尚
慶長十七年二月二日寂
住持二年
玉圓房空溪大徳
四月十八日寂
住持二月
澄圓房良祐大徳
元和五年三月廿四日寂
住持七年
空爾房友戒大徳
元和九年八月十七日寂
住持四年
空印房忍盛大徳
寛永十年六月廿四日寂
住持十年
全理房慧燈大徳
慶安元年六月廿六日寂
住持十五年
慈雲房智城大徳
寛文二年十二月廿日寂
住持拾四年
了運房不生大徳
寛文七年二月廿七日寂
住持五年
尊光房空如大徳
同十年八月十日寂
住持三年
存正房卓然大徳
寛文十二年二月廿二日寂
住持四年
本寂房惠澄大徳
延宝四年十一月廿一日寂
住持四年
當住持
智本房理澄 大山崎神照院居住
雲松房實道 賀茂現光寺居住
慈猛房惠眼 大原野安養院居住
會暁房實通 河州獅子窟寺居住
普聞房寂然 木津大智寺居住
影幻房妙道 丹州安祥寺居住
月堂房道梁 宇治田原巖松院居住
超然房惠照 宇治元通寺居住
義空房法忍 大原野正法寺居住
春鏡房快辯 友岡慈照庵居住
慧印房一道 調子瑞泉寺居住
尊海房明基 調子瑞泉寺共住
新學四人
慧定房補性
戒門房元澄
無寂房玄清
海印房亮道
當寺律法再興以來、歴代住持の名位
一.律法再興始祖俊正房明忍大律師
慶長七年自誓受戒、比丘と成る。
住持八年 同十五年六月七日示寂
享壽三十五歳
慶長十七年二月二日寂
住持二年
玉圓房空溪大徳
四月十八日寂
住持二月
澄圓房良祐大徳
元和五年三月廿四日寂
住持七年
空爾房友戒大徳
元和九年八月十七日寂
住持四年
空印房忍盛大徳
寛永十年六月廿四日寂
住持十年
全理房慧燈大徳
慶安元年六月廿六日寂
住持十五年
慈雲房智城大徳
寛文二年十二月廿日寂
住持拾四年
了運房不生大徳
寛文七年二月廿七日寂
住持五年
尊光房空如大徳
同十年八月十日寂
住持三年
存正房卓然大徳
寛文十二年二月廿二日寂
住持四年
本寂房惠澄大徳
延宝四年十一月廿一日寂
住持四年
當住持
智本房理澄 大山崎神照院居住
雲松房實道 賀茂現光寺居住
慈猛房惠眼 大原野安養院居住
會暁房實通 河州獅子窟寺居住
普聞房寂然 木津大智寺居住
影幻房妙道 丹州安祥寺居住
月堂房道梁 宇治田原巖松院居住
超然房惠照 宇治元通寺居住
義空房法忍 大原野正法寺居住
春鏡房快辯 友岡慈照庵居住
慧印房一道 調子瑞泉寺居住
尊海房明基 調子瑞泉寺共住
新學四人
[S] upādhyāya / [P] upajjhāyaなど印度語がコータンなど中央アジアの胡語に転訛した語の音写。和上とも。先生の意で、親教師などと漢訳される。仏教では特に、具足戒を受けてから十年以上経過しており、經と律に通じて後進を育てるに足る徳ある者で弟子を実際にとった僧、すなわち師僧の称。新訳の訳経僧らは「和尚」は胡語に基づいた訛謬であるとし、鄔波馱耶こそ正確な音写であるとする。
ここで興律始祖とされる俊正明忍の名位を「大律師」とし、慧雲蓼海をこそ「和尚」と称し分けている点に注目しなければならない。明忍ら五人は自誓受戒によって興律を果たしたものの、明忍は独り渡海を志して槇尾山を後にし、槇尾山に集っていた幾人か後進の教導は専ら慧雲に任されていた。したがって、明忍は実際に教導し育成したいわゆる弟子(比丘・沙弥)というものを、その後進の出家者の中には一人として擁していない。いわゆる和尚として槇尾山の徒弟の指導にあたったのは、まさに慧雲であった。なお、元法華僧であり西大寺僧となった後にその同志に加わった友尊は、そもそも律院僧坊として中興された槇尾山に何故か永く住しておらず、しかも明忍に先んじて逝去していることから住持となることはなかった。
そのような事実がこの「歴代住持の名位」に反映されており、すなわち槇尾山の衆徒の認識として存していたものと見るべきであろう。▲
平等心王院の第三代住持・衆首。明忍ら四人と共に通受自誓受によって比丘となった人。しかし、にも関わらず、出自が京城(京都)であり没年が慶長十七年〈1612〉四月十八日であったこと以外、いかなる経緯で明忍らに交衆したのか何も伝えられておらず委細不明。
根拠無き憶測に過ぎないが、あるいは神護寺僧で明忍の師であり同志でもあった晋海に側仕えるなど縁ある僧でなかったか。そして何等の伝記も遺されていないことからすると、特に律学に長じ威儀整厳であって後進の育成を主導しえる人であったということもなく、ただ最初期の衆の一人として極短期間住持を務めたに過ぎなかったか。▲
平等心王院第四代住持・衆首。山城州西岡桂郷の人。慶長十六年、その他十人と共に自誓受具。時期から考えて慧雲の徒弟であったろう。大原野正法寺中興。安養寺住。元和五年〈1619〉三月廿四日入滅、享年四十二。▲
平等心王院第五代住持・衆首。出自不明。澄圓らと共に慶長十六年自誓受具。元和九年〈1623〉八月十七日寂。▲
平等心王院第六代住持、第七代衆首。和州三輪之辺の人。澄圓らと共に慶長十六年自誓受具。寛永十年〈1633〉六月廿四日寂。▲
平等心王院第七代住持、第八代衆首。奥州の人。澄圓らと共に慶長十六年自誓受具。山崎神照院開基。慶安元年〈1648〉六月廿六日寂、享年八十。▲
平等心王院第八代住持、第九代衆首京師の人。元和元年〈1615〉、その他三人と共に自誓受具。和州極楽寺開山、安養寺住。。寛文二年〈1662〉十二月廿日寂、享年五十八。▲
平等心王院第九代住持、第十代衆首。洛陽の人。寛永三年〈1626〉、その他一人と共に自誓受具。調子瑞泉寺開山。寛文七年〈1667〉二月廿七日寂、享年六十二。▲
平等心王院第十代住持、第十一代衆首。寛永八年〈1631〉、その他四人と共に自誓受具。元通寺第二代。平等心王院における仏名会の発起人。寛文十年〈1670〉八月十日寂。防州の人。▲
平等心王院第十一代住持、第十二代衆首。洛陽の人。寛永十二年〈1635〉十一月朔日、その他二人と共に自誓受具。寛文十二年〈1672〉二月廿二日寂。▲
平等心王院第十二代住持、第十三代衆首。山城南相楽郡木津郷人。寛永十八年〈1641〉三月六日、その他二人と共に自誓受具。木津大智寺中興。延宝四年〈1676〉十一月廿一日寂。▲
既出。平等心王院第十三代住持、第十四代衆首。丹州の人。明暦四年〈1658〉四月五日、その他二人と共に自誓受具。正徳六年一月十五日寂、享年八十六、夏五十八。▲
現在の京都府乙訓郡大山崎町横山、アサヒが所有する大山崎山荘美術館北側の山中に位置する寺院。八代衆首、全理恵燈により開基。その昔は槇尾山衆徒が入り結界され律寺としてあったが、近世末には衰微していたものと思われる。今はかろうじて一宇を残すのみでほとんど廃寺に等しく、寺として全く機能していない。▲
平等心王院衆徒。寛文三年〈1663〉二月廿五日、その他三人と共に自誓受具。初め宇治田原巌松院に入って住した後、加茂現光寺中興。宝永二年〈1705〉四月廿二日寂。▲
京都府木津川市加茂町加茂町に位置する寺院。元禄十年〈1697〉、雲松実道により中興された。今は近傍の海住山寺が管理するが、寺として機能していない。▲
平等心王院第十五代衆首。和州の人。寛文十三年〈1673〉正月七日、寂賢霊明(委細不明)と共に自誓受具。初め大原野安養寺に住した後に八幡大乗院に転じた。享保七年〈1722〉七月九日寂、享年九十、夏五十。▲
当時は大原野における律宗の拠点として、正法寺に並び栄えたようであるが現存しない。▲
平等心王院第十六代衆首。摂州浪花の人。延宝二年〈1674〉正月十一日、その他四人と共に自誓受具。獅子窟寺住。その後、巌松院に転じた。▲
大阪府交野市私市に位置する寺院。槇尾山衆徒、光影𥧬通により中興。現在は堂宇がいくらか残るが寺として機能していない。▲
平等心王院第十七代衆首。予州、河野氏の人。延宝八年〈1680〉十一月十日、その他八人と共に自誓受具。享保十三年〈1728〉九月廿八日寂、享年六十、夏五十。大智寺住。▲
京都府木津川市木津雲村に位置する寺院。寛文九年〈1669〉、本寂惠澄が東福門院和子の帰依を受け中興された。今は真言律宗の末寺となり律院でなく世襲寺院と化した。▲
出自、没年等不明。貞享三年〈1686〉五月朔日、その他四人と共に自誓受具。▲
現存しない。委細不明。▲
出自不明。元禄四年〈1691〉五月十四日、一人自誓受具。ただし、それは重受であったというから元泉涌寺か西大寺、もしくは唐招提寺僧であったか。巌松院住。享保四年六月廿日寂。▲
京都府綴喜郡宇治田原町岩山に位置する寺院。寛永十六年〈1639〉、槇尾山衆徒の智鏡恵海による中興。▲
平等心王院衆徒。元禄二年〈1689〉二月七日、義空法忍などその他三人と共に自誓受具。元通寺住。宝永五年〈1708〉九月三日寂。▲
現存しない。槇尾山衆徒、真空了阿による開基。委細不明。▲
平等心王院衆徒。元禄二年〈1689〉二月七日、超然惠照などその他三人と共に自誓受具。正法寺住。享保七年〈1722〉九月七日寂。▲
京都市西京区大原野南春日に位置する寺院。第四代衆首、長圓良祐による中興。おそらくは慧雲が明忍らと交わる以前、法華宗徒としてあった既知の土地であったことにも依るのであろう、桂における槇尾山の律宗門徒らの一大拠点であった。▲
平等心王院第十八代衆首。元禄二年〈1689〉二月七日、超然惠照などその他三人と共に自誓受具。友岡慈照庵住、後に太子堂にて終わる。享保十六年〈1731〉正月廿四日寂。▲
現存しない。委細不明。▲
平等心王院衆徒。元禄五年〈1692〉三月廿日、尊海涼光(明基)と共に自誓受具。宝永元年〈1704〉十一月廿二日寂。▲
現存しない。槇尾山衆徒、了運不生による開基。近世末には衰微。▲
平等心王院衆徒。元禄五年〈1692〉三月廿日、慧印一道と共に自誓受具。元は諱を涼光としていたが後に明基に改む。瓶原佛性寺(現存しない)住。享保四年〈1719〉十二月廿八日寂。▲
受具して後、五夏を満たしていない比丘となって間もない者で、その和上あるいは阿闍梨に依止することを要する人。▲
平等心王院衆徒。勢州の人。元禄十二年〈1699〉三月十九日、以下三人と共に自誓受具。神照院住。享保十二年〈1727〉六月七日寂、享年六十三。▲
平等心王院衆徒。和州の人。元禄十二年〈1699〉三月十九日、慧定補性以下三人と共に自誓受具。現光寺一代。享保六年〈1721〉閏七月朔日寂。▲
平等心王院第十九代衆首。元禄十二年〈1699〉三月十九日、慧定補性以下三人と共に自誓受具。瑞泉寺一代。享保十七年〈1732〉四月十一日寂。▲
平等心王院衆徒。元禄十二年〈1699〉三月十九日、慧定補性以下三人と共に自誓受具。享保四年〈1719〉四月廿日寂。▲