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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

最澄 『山家学生式』

訓読

勸奬天台宗年分學生式

《第一条》
凡そ天台宗の得業の學生の數、一十二人と定むるは、六年を期と爲す。一年に二人闕くれば、卽ち二人補ふべし。其の得業生を試むるならば、天台宗の學衆、倶に學堂に集會し、法華・金光明二部の經訓を試み、若し其の第を得ば、具さに籍名を注し、試業の日、官に申し送らん。若し六年、業を成ずるは、試業の例に預る。若し業を成ぜざれば、試業の例に預らず。若し退闕有らば、具に退者の名幷びに應補者の名を注して、官に申し替へよ。

《第二条》
凡そ得業の學生等の衣食は、各私物を須ひよ。若し心才如法にして、骨法成就すれども、但だ衣食具らずんば、此院の状を施し、檀を九方に行じて、其の人に充て行へ。

《第三条》
凡そ得業の學生、心性法に違し、衆制に順わずんば、官に申し送り、式に依て取り替へよ。

《第四条》
凡そ此の宗の得業者、得度の年、卽ち大戒を受けしむ。大戒を受け竟らば、一十二年、山門を出ずして、勤めて修學せしめよ。初めの六年は聞慧を正と爲し、思修を傍と爲す。一日の中、二分は内學、一分は外學、長講を行と爲し、法施を業と爲す。後の六年は思修を正と爲し、聞慧を傍と爲す。止觀業には、具さに四種三昧を修習せしめ、遮那業には、具さに三部の念誦を修習せしめん。

《第五条》
凡そ比叡山一乘止観院、天台宗學生等の年分、幷びに自ら進む者は、本寺の名帳を除かず。便ち近江の食有る諸寺に入れ、供料を送らしむ。但だ冬夏の法服は、大乘の法に依り、檀を諸方に行じ、有待の身を蔽ひて、業をして退せざらしむ。而今而後、固く常例と爲す。草菴を房と爲し、竹葉を座と爲し、生を軽んじて法を重んじ、令法久住、国家を守護せん。

《第六条》
凡そ他宗年分の外、得度受具の者、自ら進みて住山十二年、両業を修學せんと欲する者あらば、具さに本寺幷びに師主の名を注し、明らかに山院の状を取りて須く官司に安置すべし。固く一十二年を經竟らば、此の宗年分者に準じて、例へて法師位を賜へ。若し式法を闕かば、本寺に退却せしめよ。

《第七条》
凡そ住山の學生、固く一十二年を經て、式に依て修學せば、大法師位を慰賜したまへ。若し其の業具せずと雖も、固く山室出ずして、一十二年を經ば、法師位を慰賜したまへ。若し此の宗の者にして、宗式に順はず、山院に住せず、或は山に住すと雖も、屡衆法を煩し、年數足らずんば、永く官司の天台宗の名を貫除し、本寺に退却せしめよ。

《第八条》
凡そ此の天台宗の院・俗別当両人を差し、番を結んで檢校を加へしめ、兼ねて盜賊・酒・女等を禁ぜしめ、佛法を住持し、国家を守護せん。

以前の八条式は、佛法を住持し、国家を利益し、群生を接引し、後生を善に進めんが爲なり。謹んで天裁を請ふ。謹んで言す。

弘仁九年八月二十七日

前入唐求法沙門㝡澄

現代語訳

勧奬天台宗年分学生式

《第一条》
およそ天台宗で得業とくごう〈年分度者となって止観業あるいは遮那業いずれかを専攻すること.業とはこの場合、専攻する学問の意〉しようとする学生の数を十二人と定めるのは、六年を一期とする。一年で二人の欠員が出たならば、ただちに二人を補わなければならない。その得業生を試験するには、天台宗の学衆が皆共に学堂に集まって、『法華経』と『金光明経』との二部の経典を読ませて訓じられるかを試し〈この二経は当時の年分度者として共通課題であり、その読誦は漢音にて行わせた〉、もしその者が次第点を得たならば詳細にその籍名を記して、試業の日に役所に申し送る。もし六年で業〈修めるべき学問〉を成じたならば、試業させる。もし業を成じなければ、試業させない。もし途中脱落があったならば、詳細にその中退者の名と補欠者の名を記して、役所に申し伝えること。

《第二条》
およそ得業の学生などの衣食えじきは、各々私物を用いること。もし心才如法にして骨法成就していたとしても、ただ衣食が具わらない者があれば、この院の書状を与え、布施を諸方に乞いて(得た物を)その者に与えること。

《第三条》
およそ得業の学生で、心性が法に違い、諸々の規制に従わない者があれば、役所に申し送り式に従って取り替えること。

《第四条》
およそこの宗の得業者は、得度の年に大戒を受けさせる。大戒を受けたならば十二年間、山門を出ずに勤めて修学させること。初めの六年間は聞慧をしょうとし、思慧・修慧とをぼうとする。一日の中、二分は内学、一分は外学とし、長講を行とし法施を業とする。後の六年間は思慧・修慧とを正とし、聞慧を傍とする。止観業には具さに四種三昧を修習させ、遮那業には具さに三部の念誦を修習しゅじゅうさせる。

《第五条》
およそ比叡山の一乗止観院にて、天台宗学生等の年分度者とそれを志す者らは、本寺〈出家得度した際にその籍として登録した寺〉の名帳から除かぬこと。すなわち近江の食封〈国からの支給〉がある諸寺に入れて、供料を送らせる。ただ冬夏の法服は、大乗の法に依って布施を諸方に請い、はかない身体にまとわせて業から脱落させないこと。今より以降、これを固く常例とする。草菴を房とし、竹葉を座とし、(己の)命を軽んじて仏法を重んじて、仏法を久しく住せしめて、国家を守護するのである。

《第六条》
およそ他宗の年分度者など、すでに得度受具している者で、自ら進んで十二年間比叡山に住み、(止観業と遮那業との)両業を修学しようと欲する者があれば、詳細に本寺ならびに(その者の)師主の名を記し、確かに山院の書類を得てから、かならず官司に保管すること。確かに十二年を経たならば、この宗の年分度者に準じて、法師位を与えること。もし(当該者が)式法に違えることがあれば、本寺に退却させよ。

《第七条》
およそ住山の学生で、固く十二年の間、制式に従って修学したならば、大法師位を慰賜したまえ。もしその業を備えなかったとしても、固く山室を出ずに十二年を経たならば、法師位を慰賜したまえ。もしこの宗の者であって宗式に順ぜず、山院に住まわず、あるいは山に住みはしたものの、しばしば衆法を乱して年数も足らない者があれば、永久に官司に登録している天台宗の名を除き、本寺に退却させよ。

《第八条》
およそこの天台宗の院では俗別当ぞくべっとう二人を指名し、当番制にして検校を加え、かねて盜賊・酒・女等を禁じ、仏法を守り伝えて、国家を守護する。

以上の八条式は、仏法を守り伝えるためのもので、国家を利益し、衆生を導き、後生を善にすすめることを目的とするものです。謹んで帝の御決済を請うものであります。謹んで申し上げます。

弘仁九年〈818〉八月二十七日

前入唐求法沙門最澄