天台法華宗年分度者回小向大式
合肆條
《第一条》
凡そ佛寺に三有り。
一には一向大乘寺。初修業菩薩僧所住の寺なり。
二には一向小乘寺。一向小乘律師所住の寺なり。
三には大小兼行寺。久修業菩薩僧所住の寺なり。
今天台法華宗、年分學生、並びに回心向大の初修業者は、一十二年、深山の四種三昧院に住せしめん。得業以後、利他の故に、小律儀を假受せば、假に兼行寺に住することを許す。
《第二条》
凡そ佛寺の上座に、大小二座を置く。
一には一向大乘寺。文殊師利菩薩を置き、以て上座と爲す。
二には一向小乘寺。賓頭盧和尚を置き、以て上座と爲す。
三には大小兼行寺。文殊と賓頭盧と両上座を置き、小乘布薩の日には、賓頭盧を上座と爲して小乘の次第に坐し、大乘布薩の日には、文殊を上座と爲して大乘の次第に坐す。此の次第の坐は、此の間に未だ行はれざるなり。
《第三条》
凡そ佛戒に二有り。
一には大乘大僧戒。十重四十八軽戒を制し、以て大僧戒と爲す。
二には小乘大僧戒。二百五十等の戒を制し、以て大僧戒と爲す。
《第四条》
凡そ佛の受戒に二有り。
一には大乘戒。普賢經に依て、三師證等を請す。
釋迦牟尼佛を請して菩薩戒の和上と爲す。
文殊師利菩薩を請して、菩薩戒の羯磨阿闍梨と爲す。
彌勒菩薩を請して、菩薩戒の敎授阿闍梨と爲す。
十方一切諸佛を請して、菩薩戒の證師と爲す。
十方一切諸菩薩を請して、同學等侶と爲す。
現前の一の傳戒師を請して、以て現前の師と爲す。若し傳戒師無くんば、千里の内に請せよ。若し千里の内に能く戒を授くる者無くんば、至心に懺悔して、必ず好相を得、佛像の前に於て、自誓受戒せよ。今天台年分學生、并びに回心向大の初修業者には、所説の大乘戒を授け、将に大僧と爲さん。
二には小乘戒。小乘律に依り、師に現前十師を請して白四羯磨す。清淨持律の大德十人を請して、三師七證と爲す。若し一人を闕かば戒を得せず。
今天台年分學生、并びに回心向大の初修業者には此の戒を受くることを許さず。其の久修業を除く。
竊かに以るに、菩薩国宝は、法華經に載せ、大乘の利他は、摩訶衍の説なり。彌天の七難は、大乘經に非ずんば、何を以ってか除くことを爲さん。未然の大災は、菩薩僧に非ずんば、豈に冥滅することを得んや。利他の德、大悲の力は、諸佛の稱する所、人天歓喜す。仁王經の百僧、必ず般若の力を假り、請雨經の八德、亦た大乘戒を屈す。国宝・国利、菩薩に非ずんば誰ぞや。佛道には菩薩と稱し、俗道には君子と號す。其の戒広大にして、真俗一貫す。故に法華經に、二種の菩薩を列す。文殊師利菩薩・彌勒菩薩等は、皆な出家菩薩。跋陀婆羅等の五百菩薩は、皆な是れ在家菩薩なり。法華經中に、具さに二種の人を列ね、以て一類の衆と爲す。比丘の類に入れず、以て其の大類と爲す。
今此の菩薩の類、此の間に未だ顯傳せず。伏して乞ふ、陛下、維の弘仁の年より、新たに此の大道を建て、大乘戒を傳流して、而今而後、利益せんことを。固く大鐘の腹に鏤めて、遠く塵劫の後に傳へん。仍りて宗式を奉り、謹んで天裁を請ふ。謹んで言す。
弘仁十年三月十五日
前入唐天台法華宗沙門㝡澄上
天台法華宗年分度者回小向大式
合せて肆条〈四条〉
《第一条》
およそ仏教寺院には三種ある。
一つは一向大乗寺、初修業の菩薩僧が住まう寺である。
二つには一向小乗寺、ただ小乗の律師が住まう寺である。
三つには大小兼行寺、久修業の菩薩僧が住まう寺である。
今の天台法華宗では、年分学生ならびに回心向大の初修業者は、十二年間、深山〈比叡山〉の四種三昧院に住させる。得業以降、利他のために小律儀を仮受したならば、仮に兼行寺に住まうことを許す。
《第二条》
およそ仏教寺院の上座には、大乗・小乗の二座を安置する。
一つには、一向大乗寺においては文殊師利菩薩像を置いて上座とする。
二つには、一向小乗寺においては賓頭盧和尚像を置いて上座とする。
三つには、大小兼行寺においては文殊と賓頭盧との両上座を置き、小乗布薩の日には賓頭盧を上座として小乗の次第にて坐し、大乗布薩の日には文殊を上座として大乗の次第にて坐す。この次第の坐は、(日本において)今まで未だ行われたことはない。
《第三条》
およそ仏戒には二種ある。
一つには大乗大僧戒、十重四十八軽戒を制し、これを以って大僧戒とする。
二つには小乗大僧戒、二百五十等の戒を制し、これを以って大僧戒とする。
《第四条》
およそ仏教の受戒には二種ある。
一つは大乗戒であり、『観普賢菩薩行法経』にしたがって三師証等を請じる。
釈迦牟尼仏を請じて、菩薩戒の和上とする。
文殊師利菩薩を請じて、菩薩戒の羯磨阿闍梨とする。
弥勒菩薩を請じて、菩薩戒の教授阿闍梨とする。
十方一切諸仏を請じて、菩薩戒の証師とする。
十方一切諸菩薩を請じて、同学等侶とする。
現前の独りの伝戒師を請じて、これを現前の師とする。もし(当地に)伝戒師がいなければ、千里(の彼方であったとしてもその地)から請ずること。もし千里のうちにも、よく戒を授け得る者がいなければ、至心に懺悔して必ず好相を得てから、仏像の前にて自誓受戒すること。今の天台年分学生ならびに回心向大の初修業者には、すでに説いたところの大乗戒を授け、それによって大僧〈比丘〉とするのである。
二つには小乗戒、小乗律に従って(受戒の)師として現前の十師を請じて白四羯磨〈僧伽における重要事項を決定するための形式〉する。清浄持律の大徳十人を請じて、三師七証とする。もし(十人のうち)一人でも欠ければ戒を得ることは出来ない。
今の天台年分学生、ならびに回心向大の初修業者には、この(小乗)戒を受けることを許さない。ただし久修業の者は例外である。
ひそかにおもんみたならば、菩薩という国の宝は『法華経』に説かれ、大乗の利他は摩訶衍の説であります。弥天の七難は、大乗経典でなければ、何を以って除くことが出来るでありましょう。未然の大災は、菩薩僧でなければ、どうして冥滅することが出来るでしょうか。利他の徳・大悲の力は諸仏の称える所であり、人と天が歓喜するものです。『仁王経』を講説する百僧は、必ず般若の力を借り(護国除災の徳を現し)、『請雨経』の八徳は、また大乗戒に順じたものであります。「国宝・国利とは菩薩のことではない」と云うならば、誰をして(国宝・国利と)言うのでありましょうか。(国宝たる者をして)仏道には菩薩と称し、俗道には君子と号すのであります。その(人をして国宝たらしめる『梵網経』所説の)戒は広大にして、僧俗に一貫するものであります。故に『法華経』では、二種の菩薩が挙げられているのです。文殊師利菩薩・弥勒菩薩等は皆な出家菩薩であり、跋陀婆羅等の五百菩薩は皆な在家菩薩です。『法華経』の中では、詳しく(出家と在家の)二種の(菩薩たる)人が列ね挙げられており、これらの人を「一類の衆」としております。彼らは「比丘の類」には入れられず、彼らは「大類」とされているのであります。
今、この菩薩の類については、(日本では)今まで未だかつて顕わに伝えられたことがありません。ここに伏して乞います。陛下〈嵯峨天皇〉、この弘仁の年より新たにこの大道を建て、大乗戒を伝流して、今より以降(私最澄の天台宗によって世間を)利益させたまわんことを。固く大鐘の横腹に刻みこみ、遠くはるか未来世の後にまで伝えたく存じます。そのようなことから、この宗式を奉り、謹んで朝廷の御決済を請うものであります。謹んで申し上げます。
弘仁十年〈819〉三月十五日
前入唐天台法華宗沙門最澄上