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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

最澄 『山家学生式』

原文

天台法華宗年分度者回小向大式
 合肆條

凡佛寺有三
一者一向大乘寺 初修業菩薩僧所住寺
二者一向小乘寺 一向小乘律師所住寺
三者大小兼行寺 久修業菩薩僧所住寺
今天台法華宗。年分學生。並回心向大初修業者。一十二年。令住深山四種三昧院。得業以後。利他之故。假受小律儀。許假住兼行寺

凡佛寺上座。置大小二座
一者一向大乘寺 置文殊師利菩薩。以爲上座
二者一向小乘寺 置賓頭盧和尚。以爲上座
三者大小兼行寺置文殊與賓頭盧兩上座。小乘布薩日。賓頭盧爲上座。坐小乘次第。大乘布薩日。文殊爲上座。坐大乘次第。此次第坐。此間未行也

凡佛戒有二
一者大乘大僧戒 制十重四十八輕戒。以爲大僧戒
二者小乘大僧戒 制二百五十等戒。以爲大僧戒

凡佛受戒有二
一者大乘戒 依普賢經。請三師證等
請釋迦牟尼佛。爲菩薩戒和上
請文殊師利菩薩。爲菩薩戒羯磨阿闍梨
請彌勒菩薩。爲菩薩戒敎授阿闍梨
請十方一切諸佛。爲菩薩戒證師
請十方一切諸菩薩。爲同學等侶請現前一傳戒師。以爲現前師。若無傳戒師。千里内請。若千里内無能授戒者。至心懺悔。必得好相。於佛像前。自誓受戒
今天台年分學生。并回心向大初修業者。授所説大乘戒。將爲大僧
二者小乘戒依小乘律。師請現前十師白四羯磨。請清淨持律大德十人。爲三師七證。若闕一人不得戒 
今天台年分學生。并回心向大初修業者。不許受此戒。除其久修業

竊以。菩薩國寶。載法華經。大乘利他。摩訶衍説。彌天七難。非大乘經。何以爲除。未然大災。非菩薩僧。豈得冥滅。利他之德。大悲之力。諸佛所稱。人天歡喜。仁王經百僧。必假般若力。請雨經八德。亦屈大乘戒。國寶國利。非菩薩誰。佛道稱菩薩。俗道號君子。其戒廣大。眞俗一貫。故法華經。列二種菩薩。文殊師利菩薩。彌勒菩薩等。皆出家菩薩。跋陀婆羅等五百菩薩。皆是在家菩薩。法華經中。具列二種人。以爲一類衆。不入比丘類。以爲其大類。

今此菩薩類。此間未顯傳。伏乞 陛下。自維弘仁年。新建此大道。傳流大乘戒。利益而今而後。固鏤大鐘腹。遠傳塵劫後。仍奉宗式。謹請天裁。謹言

弘仁十年三月十五日

前入唐天台法華宗沙門㝡澄

訓読

天台法華宗年分度者回小向大式
 合て肆條

凡そ佛寺に三有り。
一には一向大乘寺。初修業菩薩僧所住の寺なり。
二には一向小乘寺。一向小乘律師所住の寺なり。
三には大小兼行寺。久修業菩薩僧所住の寺なり。
今天台法華宗、年分學生、並びに回心向大の初修業者は、一十二年、深山の四種三昧院に住せしめん。得業以後、利他の故に、小律儀を假受せば、假に兼行寺に住することを許す。

凡そ佛寺の上座に、大小二座を置く。
一には一向大乘寺。文殊師利菩薩を置き、以て上座と爲す。
二には一向小乘寺。賓頭盧和尚を置き、以て上座と爲す。
三には大小兼行寺。文殊と賓頭盧と両上座を置き、小乘布薩の日には、賓頭盧を上座と爲して小乘の次第に坐し、大乘布薩の日には、文殊を上座と爲して大乘の次第に坐す。此の次第の坐は、此の間に未だ行はれざるなり。

凡そ佛戒に二有り。
一には大乘大僧戒。十重四十八軽戒を制し、以て大僧戒と爲す。
二には小乘大僧戒。二百五十等の戒を制し、以て大僧戒と爲す。

凡そ佛の受戒に二有り。
一には大乘戒。普賢經に依て、三師證等を請す。
釋迦牟尼佛を請して菩薩戒の和上と爲す。
文殊師利菩薩を請して、菩薩戒の羯磨阿闍梨と爲す。
彌勒菩薩を請して、菩薩戒の敎授阿闍梨と爲す。
十方一切諸佛を請して、菩薩戒の證師と爲す。
十方一切諸菩薩を請して、同學等侶と爲す。
現前の一の傳戒師を請して、以て現前の師と爲す。若し傳戒師無くんば、千里の内に請せよ。若し千里の内に能く戒を授くる者無くんば、至心に懺悔して、必ず好相を得、佛像の前に於て、自誓受戒せよ。今天台年分學生、并びに回心向大の初修業者には、所説の大乘戒を授け、将に大僧と爲さん。
二には小乘戒。小乘律に依り、師に現前十師を請して白四羯磨す。清淨持律の大德十人を請して、三師七證と爲す。若し一人を闕かば戒を得せず。
今天台年分學生、并びに回心向大の初修業者には此の戒を受くることを許さず。其の久修業を除く。

ひそかにおもんみるに、菩薩国宝は、法華經に載せ、大乘の利他は、摩訶衍の説なり。彌天の七難は、大乘經に非ずんば、何を以ってか除くことを爲さん。未然の大災は、菩薩僧に非ずんば、豈に冥滅することを得んや。利他の德、大悲の力は、諸佛の稱する所、人天歓喜す。仁王經の百僧、必ず般若の力を假り、請雨經の八德、亦た大乘戒を屈す。国宝・国利、菩薩に非ずんば誰ぞや。佛道には菩薩と稱し、俗道には君子と號す。其の戒広大にして、真俗一貫す。故に法華經に、二種の菩薩を列す。文殊師利菩薩・彌勒菩薩等は、皆な出家菩薩。跋陀婆羅等の五百菩薩は、皆な是れ在家菩薩なり。法華經中に、具さに二種の人を列ね、以て一類の衆と爲す。比丘の類に入れず、以て其の大類と爲す。

今此の菩薩の類、此の間に未だ顯傳せず。伏して乞ふ、陛下、維の弘仁の年より、新たに此の大道を建て、大乘戒を傳流して、而今而後、利益せんことを。固く大鐘の腹に鏤めて、遠く塵劫の後に傳へん。仍りて宗式を奉り、謹んで天裁を請ふ。謹んで言す。

弘仁十年三月十五日

前入唐天台法華宗沙門㝡澄

脚註

  1. 初修業菩薩僧しょしゅごうぼさつそう

    いまだ十二年の業を終了していない、梵網戒のみを受けて比丘を自称する天台僧。もっとも、最澄がこの『山家学生式』を上奏した時点では、そのような者は一人として存在しない。これはあくまで最澄が天台僧の養成についてそのような制度を官許を得て始めたいという構想にすぎない。ただし、最澄は弘仁八年以降の比叡山延暦寺を本寺とする天台宗の年分度者については、東大寺戒壇院に赴かせ具足戒を受けさせていない。門下が離散することを防ぐ措置を、この一連の『山家学生式』を上奏する前に取っていた。

  2. 久修業菩薩僧くしゅごうぼさつそう

    十二年の業を終了した梵網戒のみを受けて比丘を自称する天台僧。これも当時、そのような者は存在しておらず、ただ最澄の衆徒離散を防止するための構想の中でのみ言われた者。現在、天台宗で行われている十二年籠山行とは、最澄の構想においては全ての天台僧がなすべきことであって、本来自ら進んで行うだけの特別なものでなかった。

  3. 回心向大えしんこうだい

    小乗から大乗へと転向すること。この「四条式」の正式な題である「天台法華宗年分度者回小向大式」の「回小向大」に同じ。ここで最澄は「小」のなかに南都六宗の僧徒を含めて考え言っている。南都六宗いずれかの宗から天台宗に転向してきた僧の扱いをどうするかを、ここで具体的に述べている。あくまで自宗こそが「大」であり、他は「小」であるという主張がまさしくここにも込められている。

  4. 小律儀しょうりつぎ仮受けじゅ

    最澄が考案した、「具足戒を『仮に受けること』」を意味する造語。十二年間、比叡山に籠って修学した者であれば、東大寺戒壇院にて具足戒を受けに行っても、それまでの者のように天台宗を棄てて離散することはないであろうことから「仮」ということで最澄は許すと想定していた。
    しかし、具足戒を「小律儀」すなわち小乗の律儀であると断じ、(最澄の伝記が事実であるとして)最澄自身もこれを捨てておきながら、後に「利他の為に」これを受けることを良しとするのは、筋の通らぬ話であろう。なんとなれば彼の理論では小乗に「利他」は無いためである。実際、この点は僧綱によって厳しく指摘・批判されており、対する最澄は『顕戒論』上巻の中でこれについて三か条にわたって反論している。たとえば「鑑真和上も出家後まず菩薩戒を受けており、その後に具足戒を仮受しているのだから、天台もこれに倣うことは僻事でない」などと反論している。しかし、これは最澄の完全な勘違い、あるいはそれが不適当な言であることを知りながらの強弁であった。鑑真を含め、それまでのすべての大乗の比丘は、具足戒を最澄の言うような意味で「仮受」したわけではないのだから。
    あるいは最澄は「声聞が律を受けたら自利にすぎないが、菩薩が律を受けたならばそれは完全に利他である」とも反論している。しかし、そうだとすると「であるならば、端から律を捨てる必要など無いではないか。何故に強いてこれを捨てるのか?」ということになってしまうので、彼の主張はやはり無理に過ぎたものであった。彼は『顕戒論』で僧綱に反駁し、みずからの正しいことを証明できたわけは全然ない。
    最澄亡き後、朝廷が最澄の望みを叶えたとき、弟子の光定は「仮受」ということも門弟らに実行させていない。直系の弟子らがそれを実行しなかったことは、最澄の遺志を継いだものとは言えない行為であった。しかしながら現実問題として、天台宗の僧徒はすでに伝統的な仏教僧の伝統・制度から、国家の仕組みとしても切り離してしまっていたため、「仮受」を行おうにも行えない事態が生じて結局うやむやになったのであろうと思われる。なんとなれば、最澄の言った通り十善戒で得度したと称する者は、たとえ僧形であっても立場としては在家に過ぎず、したがって具足戒を受けさせることも出来無いためである。

  5. 賓頭盧和尚びんずるかしょう

    六羅漢のうちの一人。[S]Piṇḍola Bharadvājaの音写による名。その説法が非常に巧みで迫力があり、また優れた神通力をもっていたと云われる人。むしろ、彼が神通力を他者に見せびらかすような行いをしたことによって、釈尊はその類の行為を禁じられた。また、僧侶は木製の鉢を使用することが禁じられているが、その禁じられる原因を作った人でもある。
    支那以来、釈道安師の説話の影響から、大乗においても非常に尊敬・信仰されてきた尊者。

  6. 小乗布薩しょうじょうふさつ

    具足戒にもとづいた布薩。布薩とは、新月と満月の日の毎月二回必ず行われるべき「僧伽が清淨であることを確かめ、また戒の条項一一を再確認するための儀式」。しかし巷間、一般に「布薩とは、罪を犯した僧侶が懴悔反省する儀式」などと説明されるがまったくの誤り。なんとなれば、なんらか罪を犯して出罪してない状態の比丘は布薩に参加することが出来ないためである。小罪であれば布薩の直前に懺悔し、出罪してから参加する。重罪の場合、それに応じた罰則を受けなければならないが、その期間は比丘としての立場・権利が失われる。
    布薩とは元来、バラモン教において満月と新月の日に行われていた、バラモンらへの布施の日であった。しかし、これをビンビサーラ王の勧めに由り、釈尊みずから仏教教団に取り入れられた。その後、紆余曲折を経て「僧伽の清浄性を確認し、律の条項一一を再確認する日」となった。僧伽(比丘・比丘尼)にとって最も重要な儀式。

  7. 大乗布薩だいじょうふさつ

    梵網戒(十重四十八軽戒)にもとづいた布薩。梵網戒では布薩について、四十八軽戒のうち第五戒ならびに第三十七軽戒および第三十八軽戒において若干の規定がなされている。たとえば『梵網経』「若布薩日新學菩薩。半月半月布薩誦十重四十八輕戒。時於諸佛菩薩形像前。一人布薩即一人誦。若二人三人乃至百千人亦一人誦。誦者高座。聽者下坐。各各披九條七條五條袈裟」(T24, p.1008a)。

  8. 普賢経ふげんきょう

    『仏説観普賢菩薩行法経』「今釋迦牟尼佛。爲我和上。文殊師利。爲我阿闍黎。當來彌勒。願授我法。十方諸佛。願證知我。大徳諸菩薩。願爲我伴」(T9, p.393c)とあることに基づいての言。

  9. 和上わじょう

    師僧。[S]upādhyāyaが胡語(中央アジアのいずれかの言語)に転訛した語の音写。和尚とも。慣用読みで「おしょう」または漢音で「かしょう」と訓じられる。
    今の日本において、和上とは僧侶の位階を示すものか単に僧侶の敬称として誤用されているが、「受具(受具足戒)する際の身元保証人、かつその後の比丘としての律儀および素養を手取り足取り享受する師僧」(いわば比丘としての父)がその本来の意味。故に和上とは、僧侶の根本の師のこと。したがってある僧にとっての和上は、他の僧を師僧として出家した者には和上ではない。和上とは、たとえば子の無い父などありえないように、比丘が弟子を持つことで初めてなり得るものである。しかし、それには条件がいくつかある。比丘が弟子を持つのには、「具足戒を受けてから最低十年を経ていること」・「経と律とに精通していること」・「その学徳・行徳がすぐれて高いこと」などである。これについては諸々の律蔵に詳細な規定がなされている。ただ受戒後十年経っているからといって、誰でも彼でも師僧になることは出来無い。
    多くの者が誤解しているが、出家者に戒を授ける主体は和上ではなく、あくまで僧伽(サンガ)である。授戒における和上の役割は、受具足戒の式に際し、僧伽にその弟子(受戒者)が比丘となることの許可を「乞うこと」であって「与えること」ではない。しかしながら、日本仏教における現実としては、そのような授戒におけるそれぞれの根本的な役割・意義を完全に誤解し、その誤解に基づいて授戒の法式が構成されていることが多い。

  10. 羯磨阿闍梨こんまあじゃり

    授戒会において、僧伽に対して羯磨文を三唱し、新たに受戒する者への授戒の賛否を問う者。いわば議事進行役であり、授戒における主導者。
    阿闍梨はサンスクリットācāryaの音写で「教師」の意。律の規定では、阿闍梨たりえるのは受戒後五年以上を経ており、経論と律とに精通して、後進を指導するにその器ある者とされる。羯磨とは[S]karma/[P]kammaの音写であるが、授戒について用いられる場合は「新受者への授戒の賛否を問う言葉」が意味される。なお、羯磨は北京および天台においては一般に「かつま」と訓じられる。

  11. 教授阿闍梨きょうじゅあじゃり

    新たに受戒する者に授戒会の場における所作・次第を教え示す者。受戒における重要な役の一であるが、羯磨阿闍梨のいわば補佐役。五夏以上の比丘がその任に付き得る。

  12. 証師しょうし

    授戒の場において構成される僧伽の成員であり、具足戒(律)を授ける主体。また、その授戒が正しい手順と規定通りに行われたことを証明する比丘等のこと。

  13. 自誓受戒じせいじゅかい

    自ら誓って戒を受けること。沙弥や比丘など出家者の受戒において自誓受は決して成立しないが、確たる根拠も無くまた伝統説も無視して、ここで最澄は成立するのだと強弁している。

  14. 現前十師げんぜんじゅっし

    具足戒は、比丘十人以上が同処(戒壇)に揃っていなければ成立しない。ただし、比丘十人が集まることが困難な僻地においては、例外的に五人で良いとされる。たとえばその昔の日本では、京師にあった東大寺戒壇院においては十人の比丘により授戒が行われたが、僻地である筑紫観世音寺や下野薬師寺の戒壇では五人の比丘によって行われた。

  15. 白四羯磨びゃくしこんま

    白とは、僧伽に対して発せられる、授戒の場合であれば「新受者への受戒の可否という議題」を意味する。この白(議題)が発議された後、つづいて先に述べた羯磨(賛否を問う言葉)が三唱される。この際、賛意を表すのには沈黙をもってされる。(新受者を除く)授戒の参加者が一人でも異議を唱えたならば授戒は棄却され、新受者は受戒することが出来ない(もっとも、普通異議を唱える者などいない)。
    白四羯磨は、ただ授戒においてのみ行われるものではなく、僧伽における重要な課題はすべてこの形式で行われなければならないと規定される。仏教の僧団すなわち僧伽は、釈尊の昔から誰か「偉い人」によってトップダウンで行われたのではなく、あくまで律に基づいた合議制で運営されていた。ただし、それはインドとその周辺国においてのことであって、支那と日本ではいわゆるヒエラルキーが形成された。それは仏教僧のあり方として正しくないものであった。

  16. 三師七証さんししちしょう

    現前十師に同じ。三師とは、和上(乞戒師)・羯磨阿闍梨・教授阿闍梨であり、七証とは授戒が正しく行われたことを証明する七人(以上)の比丘。本来、授戒を主導するのは羯磨阿闍梨であって和上ではない。

  17. 菩薩国宝ぼさつここくほう

    菩薩をもって国の宝とすること。続けてすぐ「『法華経』に載せ」とその根拠を示しているが、それは「華光如來亦以三乘教化衆生。舍利弗。彼佛出時雖非惡世。以本願故説三乘法。其劫名大寶莊嚴。何故名曰大寶莊嚴。其國中以菩薩爲大寶故」(T9, p.11b)が意図されたものであろう。しかしながら、これは「華光如来が三乗教をもって衆生を教化する世における話」であり、最澄の『山家学生式』における主張と真っ向から矛盾した不適切な引用である。
    最澄はこの「六条式」において不適な引用をいくつかしているが、たいして推敲することなく上奏したのであろうか。いや、後に著した『顕戒論』の中で、南都の僧綱らに対して「不適切な引用をするな」・「天皇に上表するのに、理解の足りない、軽々しい引用をするな」などと激しく攻撃している最澄の性格からすれば、そんなはずはないであろう。
    彼が最初に朝廷に上奏してからこの「六条式」までおよそ一年が経っているが、一向に彼の主張が朝廷に認められず、徳一との論争も激化するなど彼を取り巻く状況が悪化していく中における、彼の焦りと苛立ちがこの一節から感じられよう。

  18. 摩訶衍まかえん

    [S]mahāyānaの音写。大乗のこと。ここで最澄は「大乗の利他は、大乗の説なり」と同じ語をただ重ねているだけ、すなわち同義語反復(トートロジー)しているだけでしかも上手くなく、意味不明である。最澄は空海から悉曇の手ほどきを受けていたが、基本的に全く梵語を理解していない。漢語も話せなかったことから語学はまったく不得手であったのであろうが、彼は個人的に「摩訶衍」という語になんらか特別な意味あるものとして理解し、衒学的にこのように言ったのであろうが、まったく見当ハズレの言であった。

  19. 彌天みてんの七難

    『仁王護国般若波羅蜜多経』巻下 奉持品第七「是諸國中若七難起。一切國王爲除難故。受持解説此般若波羅蜜多。七難即滅國士安樂 波斯匿王言云何七難。佛言一者日月失度日色改變。白色赤色黄色黒色。或二三四五日並照。月色改變赤色黄色日月薄蝕。或有重輪一二三四五重輪現。二者星辰失度。彗星木星火星金星水星土等諸星各各爲變或時晝出。三者龍火鬼火人火樹火。大火四起焚燒萬物。四者時節改變寒暑不恒。冬雨雷電夏霜氷雪。雨土石山及以砂礫。非時降雹雨赤黒水。江河汎漲流石浮山。五者暴風數起昏蔽日月。發屋拔樹飛沙走石。六者天地亢陽陂池竭涸。草木枯死百穀不成。七者四方賊來侵國内外。兵戈競起百姓喪亡」(T8, p.843a-b)。

  20. 仁王経にんのうきょうの百僧

    『仁王護国般若波羅蜜多経』巻下 護国品第五「諦聽諦聽我爲汝等説護國法。一切國土若欲亂時。有諸災難賊來破壞。汝等諸王應當受持。讀誦此般若波羅蜜多。嚴飾道場置百佛像。百菩薩像百師子座。請百法師解説此經。於諸座前然種種燈。燒種種香散諸雜花。廣大供養衣服臥具。飮食湯藥房舍床座一切供事。毎日二時講讀此經。若王大臣比丘比丘尼優婆塞優婆夷。聽受讀誦如法修行災難即滅」(T8, p.840a)を意図したもの。
    「国家に騒乱あるいは諸々の災厄が起ころうとしている時、国王はこの『仁王経』を信受し読誦し、百の仏像・百の菩薩像・百の獅子座を道場に安置し、百の法師に請いてこの経を解説してもらうなどしたら、それら災難が消滅するであろう」と、『仁王経』に説かれている。平城京以来、朝廷は日常的に国家鎮護のために『仁王経』を諸大寺の諸僧に読誦させていたため、この一節の意図する所は通じ易いものであっただろう。

  21. の戒広大こうだいにして

    『梵網経』所説の戒が、僧俗の双方に「通じて説かれたもの」であること。『梵網経』盧舍那佛説菩薩心地戒品第十 卷下「佛子諦聽。若受佛戒者。國王王子百官宰相。比丘比丘尼。十八梵天六欲天子。庶民黄門婬男婬女奴婢。八部鬼神金剛神畜生乃至變化人。但解法師語。盡受得戒」(T24, p.1003c)
    最澄は、律(具足戒)が出家者に対してのみ説かれたものであることに対し、梵網戒が僧俗に通じて説かれたものであることを、梵網戒(菩薩戒)がより優れていることの証左であると考え、主張している。また彼は、先に大乗戒が自誓授戒によっても成立することと、具足戒が必ず三師七証を必要とすることを比較して述べている。いわば大乗戒が容易に受けられるものであるのに対し、具足戒を受けることが比較的困難であるとしている点からも、大乗戒が具足戒に比して優れていることを言わんとしたのであった。しかしながら、それぞれがそもそも全くその性質も役割も異なった、比較対象に全くならぬものであるから、そのような主張は最澄による強弁・詭弁に過ぎない。彼は戒と律について、まったく理解していなかったのである。であるからこそ、本書におけるおかしな主張が堂々と出来たのであろう。

  22. 法華経ほけきょうに、二種の菩薩を列す

    『梵網経』が僧俗(真俗)に通じて説かれた菩薩戒であることと、『法華経』の対告衆として僧俗の菩薩が説かれていることを関連付けている。
    最澄は、「文殊師利菩薩・彌勒菩薩等は皆な出家菩薩」としているが、実のところ『法華経』において文殊菩薩や弥勒菩薩が出家であるかどうかは定かではない。たとえば「一時佛住王舍城耆闍崛山中。與大比丘衆萬二千人倶。皆是阿羅漢。《中略》菩薩摩訶薩八萬人。皆於阿耨多羅三藐三菩提不退轉。皆得陀羅尼樂説辯才。轉不退轉法輪。供養無量百千諸佛。於諸佛所殖衆徳本。常爲諸佛之所稱歎。以慈修身善入佛慧。通達大智到於彼岸。名稱普聞無量世界。能度無數百千衆生。其名曰文殊師利菩薩。觀世音菩薩。得大勢菩薩。常精進菩薩。不休息菩薩。寶掌菩薩。藥王菩薩。勇施菩薩。寶月菩薩。月光菩薩。滿月菩薩。大力菩薩。無量力菩薩。越三界菩薩。跋陀婆羅菩薩。彌勒菩薩。寶積菩薩。導師菩薩。如是等菩薩摩訶薩八萬人倶」(T9, p.1c-P2a)
    しかし、龍樹『大智度論』においては、弥勒菩薩ならびに文殊師利菩薩ともに出家菩薩とされる。「我一説法時無量阿僧祇菩薩皆得阿鞞跋致論菩薩所以作此願者。諸佛多以聲聞爲僧無別菩薩僧。如彌勒菩薩文殊師利菩薩等。以釋迦文佛無別菩薩僧故。入聲聞僧中次第坐。有佛爲一乘説法純以菩薩爲僧。有佛聲聞菩薩雜以爲僧」(T25, p.311c) ここで注目すべき一節は「如彌勒菩薩文殊師利菩薩等。以釋迦文佛無別菩薩僧故。入聲聞僧中次第坐(弥勒菩薩、文殊師利菩薩等の如きは、釈迦文仏に菩薩僧の別無きを以っての故に、声聞僧の中に入り次第に坐せり)」という点である。釈尊の僧伽においては、菩薩僧であってもそれを特に分け隔てる(区別する)法は無いため、彼らも声聞僧の衆中に入って、(大乗小乗の別無く)法臈にしたがって順に坐すとされている。『大智度論』は天台宗においても非常に重要なその教学の核につらなる典籍であるが、この一節からしても最澄の主張は破綻している。

  23. 跋陀婆羅ばっだばら

    [S]Bhadrapālaの音写。漢訳名は賢護あるいは善守。『法華経』ならびに『首楞厳経』等に説かれる菩薩。彼が入浴中に水大(水界)において覚りを得たという伝説から、禅宗では浴室・湯屋に、いわばその守護者として祀られる菩薩比丘。『法華経』では前掲の「序品」第一ならびに「常不軽菩薩品」第十九に登場する。「今此會中。跋陀婆羅等五百菩薩。師子月等五百比丘尼。思佛等五百優婆塞」(T9, p.185b)
    最澄はここで跋陀婆羅を在家菩薩として挙げているが、この「常不軽菩薩品」では、過去に常不軽菩薩を誹謗した増上慢の四衆(出家在家の男女)のうち出家者の代表として説かれている。すなわち跋陀婆羅は出家者であって菩薩比丘である。なぜ最澄がこれを在家菩薩の代表などとしたのか理解に苦しむ。単に最澄の思い込み・誤認であろうが、ここでも最澄の論拠は崩れる。
    なお、最澄は漢訳の『法華経』にのみ基いて言っているのであるから、これはあくまで参考となるが、現存する『法華経』の梵本の序品に於いては、Bhadrapālaすなわち跋陀婆羅はbodhisattva(菩薩)ではなく、十六名のsat-puruṣa(善士)の筆頭として挙げられている。(普通はsat-puruṣaは在家信者と解されようが、)sat-puruṣaは出家か在家かただちに判断しかねる。

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