VIVEKA For All Buddhist Studies.
Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

「僧尼令」(『令義解』)

原文

第一 觀玄象條
凢僧尼。上觀玄象。假說灾祥。語及國家。妖惑百姓 謂。天文爲玄象也。非眞曰假也。天反時爲灾也。吉凶先見爲祥也。過誤爲妖言也。語及國家者。不敢指斥尊號。故託曰國家也。言假說之語。閞渉人主也。妖惑百姓者。以假說之言。惑一人以上。其自觀玄象。至惑百姓。惣是一事。相湏得罪也。若上觀玄象。所說有實。及非觀玄象。說他災祥。并雖說玄象。而不惑人者。並入下條也。 并習讀兵書 謂。雖不成業亦是也。若蓄之而不習讀。及畜餘禁書者。亦入下條也。 殺人姧盗 謂。若殺及姧家人奴婢。并姧盗未得者。並依下條也。 及詐称得聖道 謂。四果聖人之道也。 並依法律。付官司科罪。 謂。不論罪之輕重。皆先還俗。何者。案道僧格。犯詐稱得聖道䒭罪。獄成者。雖會赦猶還俗。故知必先還俗。其僧尼還俗。猶俗人除名。依律。犯除名者。罪雖輕。從例除名。罪若重。仍依當贖法。准此言之。僧尼詐稱得聖道䒭者。罪雖輕猶還俗。不可更論本罪。々若重者。仍依以告𤗊當之法也。

第二 ト相吉凶條
凢僧尼。卜相吉凶。謂。灼龜曰卜。視地曰相。占筮亦同也。及小道。 謂。厭符之類也。巫術 謂。巫者之方術。旣是淫耶多端。不可具言。是並雖不終事。理而已始行者。皆處還俗也。 療病者。皆還俗。其依佛法。持咒救疾。不在禁限。

第三 自還俗條
凢僧尼自還俗者。三綱綠其貫屬。謂。還俗者。先已還俗訖者。非今始欲還俗。故下文云。師主三綱。隱而不申也。三綱者。上座。寺主。都維那也。 京經僧綱。自餘經國司。並申省除附。若三綱及師主。 謂。依止師是也。自爲白衣時服事者也。出家以降受業亦同也。 隠而不申。卅日以上。五十日苦使。六十日以上者。百日苦使。

第四 三寶物條
凢僧尼。将三寶物。餉遺官人。謂。三寶者。佛法僧也。餉遺者。無心嘱請。直將送與。若送私物。妄相嘱請者亦同。官人者。内外百官主典以上。若遺凢人。并自用者。湏准同居卑幼用財之法。其三寳物。混在一處。未經分割。故不科盗罪。若僧物分訖而盗者。依凢盗法。其同財弟子盗者。亦從同居卑幼之律也。 若合構朋党。擾亂徒衆。 謂。假有。一耶僧。欲排寺主。招引黨類。合謀潜害。互相撥毀。亂人視聽之類也。 及罵辱三綱。凌突長宿謂。罵者。惡言也。辱者。恥辱也。陵者。慢易也。突者。猝欺也。長宿者。長老宿德。其罵辱者重。陵突者輕。長宿旣尊。三綱稍卑。卽明陵突三綱者。不合苦使之。 者。百日苦使。若集論事。辞状正直。以理陳諫者。不在此例。

第五 非寺院條
凢僧尼。非在寺院。別立道塲。聚衆敎化。 謂。道塲敎化、相湏還俗。若雖立道塲。而不敎化者。湏科違令。毀去道塲也。 并妄說罪福。 謂。在寺院而妄説也。 及殴撃長宿 謂。據上條。長宿三綱。尊卑旣異。今此條。唯擧尊者。故敺卑者。不可還俗。自湏准敺傷輕重。依格律條論。但不可輕於罵辱之罪。其凢僧相敺者。亦依下條也。 者。皆還俗。國郡官司。知而不禁止者。依律科罪。 謂。不禁止者。犯上三事。已過之後。知而不糺。若知其始犯。而不禁止者。依律。合與同罪也。依律科罪者。科違令罪。但敺擊長宿。以至徒以上。而知不糺者。科知所部有犯法。而不擧劾之罪也。 其有乞食者。三綱連署。經國郡司。勘知精進練行 謂。精進者。慇懃也。言精鋭求道。進而不退也。練者。陶練也。言陶練情性。而以求解脱也。 判許。京内仍經玄蕃知。並湏午前。捧鉢告乞。不得因此更乞餘物。 謂。衣服之類也。

第六 取童子條
凢僧聴近親 謂。三䒭以上。餘稱近親。皆准此也。 郷里。 謂。本貫也。 取信心童子 謂。未成人之稱也。 供侍。至年十七。各還本色。其尼取婦女情願者。 謂。不限年之長幼。但取於近親鄕里。

第七 飲酒條
凢僧尼飲酒。食宍。服五辛者。謂。飲酒者。不至醉亂也。食宍者。廣包含生之肉也。五辛者。一曰大蒜。ニ曰慈葱。三曰角葱。四曰蘭葱。五曰興菃也。 卅日苦使。若爲疾病藥分所湏。三綱給其日限。若飲酒醉亂。及與人鬪打者。各還俗。 謂。若本罪徒以上。及僧尼相鬪打者。並依下條也。

第八 有事可論條
凢僧尼有事湏論。不縁所司。輙上表啓。 謂。有事者。寺家事也。所司者。治部玄蕃。其外國者。可經國司也。 并擾亂官家。妄相嘱請 謂。不論主司許與不許。唯止嘱請者。卽是也。 者。五十日苦使。再犯者。百日苦使。 謂。已發再犯。與律更犯其意同。若先上表啓。後妄嘱請者亦是。再犯文。爲承兩事之下故。其第三度犯者。更始五十日苦使。第四度犯者。百日苦使。與三犯徒流之律其義同。若二罪以上倶發者。亦依律取例。其前後四度累犯。而一度惣斷者。不得過二百日。何者。爲准杖法故也。 若有官司及僧綱。断決不平。理有屈滯。湏申論者。不在此例。

第九 作音楽條
凢僧尼作音樂。及博戯者。 謂。雙六樗𧜿之類也。 百日苦使。碁琴不在制限。

訓読

第一 觀玄象條
凢僧尼、上玄象を觀て、いつはて灾祥を說き、こと國家に及し、百姓を妖惑し 謂、天文を玄象と爲す。眞に非ざるを假と曰ふ。天、時に反るを灾と爲す。吉凶、先見るを祥と爲す。過誤を妖言と爲す。語、國家に及ぶとは、敢て尊號を指斥せず。故に託して國家と曰ふ。言は假說の語、人主を閞り渉るを云ふ。百姓を妖惑すとは、假說の言を以て、一人以上を惑すなり。其玄象を觀ると云ふより、百姓を惑はすと云ふに至るまで、惣じて是の一事なり。相ひ湏て罪を得。若し上、玄象を觀て、說ける所實有らむ。及び玄象を觀るに非ずして、他の災祥を說き、并に玄象を說けりと雖も、人を惑はさざれば、並に下條に入る。あはせ兵書を習ひ読み 謂、業を成らずと雖も亦た是れ、若し之を蓄へて習讀せず、及び餘の禁書を畜へば、亦た下の條に入る。、人を殺し姧盗謂、若し家人・奴婢を殺し及び姧み、并に未だ得ざるを姧盗せば、並に下の條に依る。、及詐て聖道を得たりと称せらば 謂、四果の聖人の道を云ふ。、並に法律に依て官司に付けて罪を科せよ。 謂、罪の輕重を論ぜず、皆先還俗せしむ。何とならば、道僧格を案ずるに、詐て聖道を得たりと稱する䒭の罪を犯し、獄成るをば、赦に會ふと雖も猶ほ還俗せしめよと云り。故に知ぬ、必ず先ず還俗せしむと。其僧尼の還俗は、俗人の除名の猶し。律に依るに、除名を犯せらば、罪輕しと雖も、例に從て除名せよ。罪若し重くば、仍ち當贖の法に依れと云り。此に准て言はば、僧尼詐て聖道を得たりと稱する䒭は、罪輕しと雖も猶ほ還俗せしむ。更に本罪を論ずべからず。罪若し重くば、仍ち告𤗊を以て當る法に依るなり。

第二 ト相吉凶條
凢僧尼、吉凶をうらなはか謂、龜を灼くを卜と曰ふ。地を視るを相と曰ふ。占筮も亦た同じ。、及小道謂、厭符の類を云ふ。巫術ふじゅつ謂、巫者の方術、旣是淫耶多端にして、具に言ふべからず。是並事を終へずと雖も、理として已に始行せば、皆還俗に處す。にて病を療せらば、皆還俗せしめよ。其仏法に依て咒を持して疾を救へらば、いひむる限に在らず。

第三 自還俗條
凢僧尼、自ら還俗せらば、三綱其貫屬を綠して謂、還俗とは、先に已に還俗し訖るをば、今始めて還俗を欲するには非ず。故に下文に云く、師主・三綱、隱して申せざるなり。三綱とは、上座・寺主・都維那なり。、京は僧綱 れよ。自餘は國司に經れよ。並に省に申して除き附けよ。若し三綱及び師主謂、依止師是れなり。白衣爲りし時より服事せる者を云ふ。出家の以降、業を受けたるも亦た同じ。、隱して申せざること卅日以上ならば、五十日苦使せよ。六十日以上らば百日苦使せよ。

第四 三寶物條
凢僧尼、三寶の物をて、官人にをくり、謂、三寶とは、佛・法・僧を云ふ。餉遺とは、嘱請に心無くして、直に將て送り與ふるを云ふ。若し私の物を送て、妄に相嘱請せば、亦た同じ。官人とは、内外の百官の主典以上を云ふ。若し凢人に遺り、并に自ら用ひば、湏く同居卑幼の財を用ふるの法に准ずべし。其三寳の物、混て一處に在て、未だ分割を經ず、故に盗の罪を科せず。若し僧の物分ち訖て盗めば、凢ての盗の法に依れ。其同財の弟子盗まば、亦た同居卑幼の律に從れ。若くは朋党を合せ構へ、徒衆を擾亂し、謂、假有は、一耶僧、寺主を排せんと欲して、黨類を招引し、謀を合せて潜に害し、互に相ひ撥毀そて、人の視聽を亂る類を云ふ。及び三綱を罵 はづかしめ、長宿を凌突しののつけらば、謂、罵は、惡言なり。辱は、恥辱なり。陵は、慢易なり。突は、猝欺なり。長宿とは、長老宿德を云ふ。其罵辱は重く、陵突は輕し。長宿は旣尊く、三綱は稍卑し。卽ち明けし三綱を陵突せば、苦使しすぺからず。百日苦使せよ。若し集て事を論ずるに、辞状正直にして理を以て陳べいひめ むは、此例に在あらず。

第五 非寺院條
凢僧尼、寺院においてするに非ずして、別に道塲を立て、衆を聚て敎化し謂、道塲敎化、相湏て還俗せしむ。若し道塲を立つると雖も、敎化せざれば、湏く違令を科せて、道塲を毀ち去るべし。、并て妄に罪福を說き謂、寺院に在て妄に説けるを云ふ。 、及び長宿をうた らば 謂、上の條に據るに、長宿・三綱、尊卑旣に異り。今此の條には、唯だ尊き者を擧ぐ。故に卑き者を敺たば、還俗すべからず。自ら湏く敺ち傷ける輕重に准じて、格律の條に依て論ずべし。但し罵辱の罪よりも輕くすべからず。其凢僧相敺たば、亦た下の條に依れ。、皆還俗せしめよ。國郡の官司、知て禁め止めざれば、律に依て罪を科せよ謂、禁め止めずとは、上の三事を犯し、已過ぎての後に、知て糺さざるを云ふ。若し其始めて犯せるを知て、禁め止めざれば、律に依て、與同罪と合す。律に依て罪を科すとは、違令の罪を科するを云ふ。但し長宿を敺ち擊て、以て徒以上に至らむ。而を知て糺さざれば、所部に犯法有ることを知て、擧劾せざるの罪を科す。。其乞食せる者有れば、三綱連署して國郡司に經れよ。精進練行を勘へ知て謂、精進は、慇懃なり。言は精鋭に道を求めて、進で退かざるを云ふ。練は、陶練なり。言は情性を陶練して、以て解脱を求るを云ふ。、判て許せ。京内は仍ち玄蕃に經れて知しめよ。並に湏く午より前に鉢を捧げて告げ乞ふべし。此に因て更に餘物 謂、衣服の類を云ふ。を乞ふことを得ざれ。

第六 取童子條
凢僧は近親 謂、三䒭以上を云ふ。餘の近親と稱するは、皆此に准ぜよ。郷里 謂、本貫を云ふ。に、信心の童子を取て 謂、未だ人と成らざるの稱なり。 供侍することを聴せ。年十七に至らば、各本色に還せ。其尼は婦女の情に願はむ者を取れ。 謂、年の長幼を限らず。但近親鄕里を取る。

第七 飲酒條
凢僧尼、酒を飲み、にくを食ひ、五辛を服せば謂、酒を飲むとは、醉亂に至らざるを云ふ。宍を食ふとは、廣く含生の肉を包む。五辛とは、一に曰く大蒜、ニに曰く慈葱、三に曰く角葱、四に曰く蘭葱、五に曰く興菃なり。 卅日苦使せよ。もし疾病の藥分の為に湏る所は、三綱其日限を給へ。もし酒を飲で酔亂し、及び人と鬪ひ打たば、各還俗せしめよ。 謂、若本罪徒以上ならむ。及僧尼相鬪ひ打たば、並に下條に依れ。

第八 有事可論條
凢僧尼、事有て論ずべからむ、所司に縁らずして、輙く表啓たてまつ謂、事有りとは、寺家の事を云ふ。所司とは、治部玄蕃を云ふ。其外國は、國司に經るべし。、并て官家を擾亂し、妄に相嘱請 謂、主司の許すと許さざるとを論ぜず。唯止嘱請せば、卽ち是れなり。 せらば、五十日苦使せよ。再び犯せらば、百日苦使せよ 謂、已に發て再犯せるを云ふ。律の更犯と其意同じ。若し先に表啓を上り、後に妄に嘱請せらば亦是なり。再犯の文、兩事の下に承たるが爲の故に、其第三度犯せらば、更に始めて五十日苦使す。第四度犯せらば、百日苦使す。三犯徒流の律と其義同じ。若し二罪以上倶に發れらば、亦律に依て例を取れ。其前後四度累て犯せらむ。而を一度に惣へて斷ぜば、二百日に過すことを得ざれ。何とならば、杖の法に准ずるが爲の故に。 。若し官司及び僧綱、断決不平にして、理屈滯すること有て、申論すべきこと有らば、此の例に在らず。

第九 作音楽條
凢僧尼、音樂を作し、及博戯せらば、 謂、雙六樗𧜿の類を云ふ。 百日苦使せよ。碁・琴は制する限に在らず。

脚註

  1. 百姓ひゃくしょう 貴族・奴婢(および大化の改新までは部民)を除く、姓氏を有するあらゆる公民。はくせい。現代のように特に農家を指す語ではない。
  2. 兵書ひょうしょ 『孫子』・『呉子』・『六韜』など、兵法を記した書。仏教の律には、兵書を読んではならないという規定など存在しない(そもそも釈尊当時に「書」は存在しない)が、比丘が軍の演習や陣地を観覧することが禁じられている。この条は、僧(宗教者)が軍事に関わることを制限したもの。
  3. 姧盗かんとう 姧は情交、性交渉すること。仏教の律において性交渉とは、相手の性や人間であることを問わず、口・性器・肛門に自らの性器をもって通じること。盗は窃盗・偸盗。未だ自己に与えられず、また所有していないものを、他の許しを得ずに我が物とすること。
    仏教の律では、比丘が男・女・動物・神などを相手に性交渉し、あるいは一定の価値以上(死罪相当)のものを盗んだならば、波羅夷罪となって比丘の資格が剥奪され、僧伽から永久追放される。
    比丘の場合、波羅夷罪には淫・盗・殺・妄の四種(比丘尼の場合は八種)あるが、それに基づいた条。
  4. 聖道しょうどう 悉地、一定以上の悟りの境地。『令義解』ではこれを「四果」(四沙門果)以上の境地と規定している。四果とは、預流・一来・不還・阿羅漢という声聞における聖者の位であり、それぞれに向(未達)と果(已達)の違いがあることから四向四果とも言われる。預流果に至ったものは、七生(七度の転生)の内に必ず阿羅漢果に至るといわれ、聖者の流れに預かったものであるから「預流」と言われる。
    仏教の律において、もし比丘がいまだ達してもいない四果あるいは禅定を得たなどの宗教的虚言をなした場合は波羅夷罪の犯となり、僧伽から永久追放となる。これを大妄語という。その他の虚言は小妄語であり、追放の罪とまではならない。
    なお、仮になんらかの境地や境涯を得ていたとしても、それを在家信者に対して語ることもまた禁じられている。その故は、その者に信者からの布施・寄進が集中することになり、遂には僧伽の運営を妨げることになるため。儒教の「怪力乱神を語らず」とは異なるが、仏教僧も不可思議なことをいたずらに人に説いてはならないのである。
  5. 道僧格どうそうきゃく 唐代の支那における「格」法典。道教の道士・女冠および仏教の僧・尼についての取締規定。日本で「僧尼令」が編纂されるに際し、その元となった法典。
  6. 告𤗊こくちょう 僧尼が出家するに際し、太政官から発行された公験(証明書)。後代の度牒に同じ。
  7. かめ 亀占。古代支那で盛んであった海亀の甲羅を用いた占法であり、日本に伝来するとそれまで鹿の肩甲骨を用いた太占に代わり、あるいは並行して行われるようになった。支那ではむしろ唐代において滅びて伝わらないが、日本では現代に至るまで朝廷(皇家)にて行われている。続いて「地を視るを相と曰ふ」とあるが、この地とは亀甲を焼いた際に出来たヒビのことであろうか。
  8. 厭符えんぷ 護符の類。元は道教において生じ盛んであったものであるが、日本にては仏教に取り入れられ盛んとなった。
  9. 淫耶多端いんじゃたたん 方術とは天文から占いそして医術など多岐にわたる当時の水準での技術であるが、それを行う巫者は、当時すでに怪しく、性的で邪なものであると見なされていたようである。ここで「耶」は「邪」の俗字・異字。
  10. 僧綱そうごう 「法務の綱維」たる者が推挙されて任じられる僧官。仏教の振興と僧尼の規範となって指導することを目的とした役職(当時は僧正・大僧都・少僧都・律師の四位で定員各一人)。政や制度に関わる事項の審議や文書作成もその任の一つ。一度補任されると個人の意志で容易く自由に辞任出来なかった。行政上の手続きでは玄蕃寮の下に置かれたが、治部省玄蕃寮に属するものではなく独立した別個の機関。朝廷の官僚機構においてはただ僧のみによって構成される特殊な存在であった。実際、僧正は玄蕃寮の頭より相当官位は上。
    その嚆矢は推古天皇代、ある僧が自分の叔父をナタで殴り殺すという事件が発生し、その取り締まりについて建言した百済僧観勒を僧正に任命したことにある。当初はほとんど渡来僧が任じられたが、それはその創立の所以が日本の僧徒が戒律について全く無知であった為であり、当時その知識を有していたのがほとんど渡来僧に限られたため。
    僧綱については後の「第十四 任僧綱條」にその就任および解任などについて規定し、『令義解』ではそれに注解が加えられている。
  11. 自餘じよ 京以外の国・地方。
  12. 苦使くし 苦役。ただし「僧尼令」における苦使とは、僧には特別な位置づけがなされていたため、民に対するものとは全く異なり、写経や寺院の修理、あるいは境内の清掃に従事することであって、全く苦役と言えたものではなかった。僧を苦使に処すことは、身体的懲罰ではなく不名誉な状態に置いて精神的懲罰を与えることであったと思われる。
  13. 主典さかん 四等官(長官・次官・判官・主典)の最下位。公文書の作成・管理を行う官職。
  14. 耶僧じゃそう 邪僧、悪僧。
  15. 玄蕃げんば 玄蕃寮。仏寺および僧尼の名籍、法会や斎会などを監督・管理する官庁。民の戸籍や裁判などを管掌する治部省に属した。
  16. すべからうまより前に鉢を捧げて云云 ここで托鉢を午前に限るとしているのは、仏教僧は本来、その日の食は托鉢で得たものを正午までに摂り終わらなければならず、したがって托鉢は必然的に午前においてのみ行われるることに基づいたもの。そのような仏教の常識を逸脱し、僧尼が街衢に出て寄進を人に迫ることを、国としても放置することは出来ないため法として規制したのであろう。
  17. 本色ほんしき 本来の身分・職種。
  18. にくを食ひ、五辛ごしんを服せば 仏教の律において肉を食べることは必ずしも禁止されていない。禁じられているのは、食を施す在家信者に対し自ら肉を求めることであり、その肉が特に自身に施すために生き物を殺して作られたものでないことを、「①見ていない・②聞いていない・③疑いがない」ものである場合には許可されている。それは、日々の食を全面的に俗世間に依存し、それを托鉢で得る比丘が、在家信者にアレコレと選り好みして注文などしてはならない為であり、また極端な禁欲主義を釈尊が取らなかったことによる。五辛についても禁止はされておらず、ただニンニクのみ「自らの口が臭くなるとそれを気に病み、衆中に入って聞法をためらうようになるといけないから」という理由で禁止されている。
    しかしながら、『梵網経』においては、これは戒として肉および五辛を摂ることを禁じている。したがってこの條は、明らかに『梵網経』に基づいての規定であり、これを国家が承認し推奨していたことが知られる。
  19. 疾病しつびょうの藥分の為にもちヰ 特に『四分律』において、病比丘が他に有効な薬がない場合に限り、薬として酒を用いてよいという例外規定がある。この條はそんな『四分律』の規定に基づいて、酒を治病のために用いて良いことを記すが、それは必ず寺院の監督責任者の許可を得て、しかも日限を定めて行なえとして、僧尼がこれを建て前として飲酒に耽ることを警戒し、禁じている。
    仏教の律では、比丘など出家者が酒を飲むことを禁じてはいるが波羅夷罪までの重罪とはしていないが、この條では酒を飲んだ上に暴力沙汰を起こした者は還俗と、僧尼が飲酒することに対して非常に厳しい態度を示している。
  20. 所司しょし その事態に関連する役人。ここでは寺院の監督責任者である三綱のこと。
  21. 表啓ひょうけい 官庁に訴え出ること。奏。
  22. 嘱請しょくしょう 何事かを、人に依頼して求めること。
  23. 雙六すごろく 当時、世間で非常に流行していた遊び。朝鮮あるいは唐からもたらされたものであるといい、その起源は印度にあると言われる。それがあまりに流行し賭博としても行われていたことから、持統天皇三年〈689〉に「禁断雙六」の勅が出されている(『日本書紀』)。おそらくは勅が出されたところで、貴族及び民衆の間での流行が冷めることはなかったであろうが、そのような世間での風潮を僧尼が共有しないようにしたのがこの條であろう。
  24. 樗𧜿ちょぼ 支那から渡来したサイコロを用いた博打。一つのサイコロを振って出るその目を予想して賭けた。

関連コンテンツ