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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

『令義解』「僧尼令」

原文

第十九 遇三位已上條
凢僧尼於道路遇三位以上者隱。 謂。若無處可隱者。斂馬側立也。 五位以上。斂馬相揖而過。若歩者隱。

第二十 身死條
凢僧尼等身死。三綱月別經國司。國司毎年附朝集使申官。其京内。僧綱季別經玄蕃。亦年終申官。

第二十一 准格律條
凢僧尼有犯。准格律。合徒年以上者還俗。許以告牒當徒一年。 謂。格者。臨時詔勅。律云。事有時宜。故人主權斷。詔𠡠量情處分是。其格律者。元爲俗人設法。不爲僧尼立制。是以称准也。徒年以上者。死罪以下也。告牒者。僧尼得度公驗也。依律。雜犯死罪者除名。卽知僧尼犯死罪者。亦先還俗。然後處死。其流罪者。比徒四年。以告牒當徒一年。其餘三年。依下文役身也。若犯加伇流者。亦還俗而配流。不得以告牒當。卽至配所。不免居作也。 若有餘罪。自依律科断。 謂。假有。犯徒二年者。以告牒當一年徒。其餘一年者。依律伇身。其犯徒以上。還俗之後。猶有餘罪。籍父祖蔭。應得減贖者。一依俗人之法也。問。今依此條。徒以上還俗。杖以下苦使。未知過失疑罪。若爲科断。答。歷撿律令。過失疑罪。不同正犯。仍聽収贖。但僧尼者。私無財物。理難可贖。量事議罪。誠合放免。 如犯百杖以下。毎杖十。令苦使十日。若罪不至還俗。及雖應還俗。未判訖。並散禁。 謂。犯苦使。已断訖。未付三綱者散禁。若未經断者。付寺參對。其應還俗。判断已訖者。一同俗人之禁法也。 如苦使條制外。復犯罪。不至還俗者。 謂。准據格律。所犯之罪。旣非苦使。亦非還俗。故付三綱。量事令科罰。是内法之制。非俗律之科。其違令違式。及擧輕明重。并不應得爲等類者。並律有科條。不可更依佛法也。 令三綱依佛法量事科罸。其還俗。并被罸之人。不得告本寺三綱及衆事。 謂。還俗之人。至于終身。被罸之僧。苦使之間。並不得告言也。 若謀大逆。謀叛。及妖言惑衆 謂。以妖言而惑三人以上。卽雖妖言。而不惑衆者。不可告言也。 者。不在此例。

第二十二 私度條
凢有私度。及冒名相代。 謂。冒覆也。言甲冒承乙名。而官司不覺與度。或詐受身死僧尼名。相代爲僧尼者也。 并已判還俗。仍被法服者。依律科断。師主。三綱及同房人知情者。各還俗。 謂。此唯據私入道未除貫。若知已除貫者。自依格律條也。 雖非同房。知情容止。經一宿以上。皆百日苦使。卽僧尼知情。居止浮逃人。經一宿以上者。亦百日苦使。本罪重者。依律論。 謂。假如。知情容停反逆之類也。

第二十三 敎化條
凢僧尼等令俗人。付其經像。歷門敎化者。百日苦使。其俗人者。依律論。 謂。旣云僧尼令俗人歷門敎化。卽明僧尼是爲造意。其俗人者。自依從減一等之律。合杖九十也。

第二十四 出家條
凢家人奴婢等。若有出家。 謂。稱等者。官戸奴婢亦同。其依内敎。奴婢者。不許出家。而此稱出家者。緣其入道。免賤與度故。 後犯還俗。及自還俗者。並追歸舊主。各依本色。其私度人。縦有經業。不在度限。 謂。責其初犯法制。不聽其度。若改正之後。更應得度者。不在禁限也。

第二十五 外國寺條
凢僧尼有犯百日苦使。經三度。改配外國寺。 謂。已發更犯。是卽與上條再犯義同。其第三度百日苦使者。爲其外配。不更苦使也。若前犯二百日苦使。其役未畢者。便於配所而役之。其三犯百日苦使。止數赦降之後爲坐。與律三盗徒流義同也。改配外國寺者。若外國僧尼。有此三犯者。不可更移配他國也。 仍不得配入畿内。

第二十六 布施條
凢齋會不得以奴婢。牛馬及兵器。充布施。 謂。若違法輙充。及受之人。各當違令之罪。仍准上條僧尼蓄財物法。其物皆須沒官之。 其僧尼。不得輙受。

第二十七 焚身捨身條
凢僧尼不得焚身捨身。若違。及所由者並依律科罪。

訓読

第十九 遇三位已上條
凢僧尼道路に三位さんい以上あへらば隱れよ。 謂、若隱るべき處無くば、馬を斂めて側に立て。 五位以上には、馬をおさめて相揖して過ぎよ。若かちよりせば隱れよ。

第二十 身死條
凢僧尼等身死なば、三綱月別に國司にれよ。國司年毎に朝集使てうしふしに附て官に申せ。其京内は、僧綱季別に玄蕃に經れよ。亦年の終に官に申せ。

第二十一 准格律條
凢僧尼犯有らむ。きゃくりつに准ずるに、づ<年以上なるべくは、還俗せしめよ。告牒を以て徒一年に當つることを許せ。 謂、格とは、臨時の詔勅を云ふ。律に云く、事に時宜有て、故人主權斷し、詔𠡠して情を量り處分すと云ふ是なり。其格律は、元俗人の爲に法を設たり。僧尼の爲に制を立てず。是を以て准と称す。徒年以上とは、死罪以下を云ふ。告牒とは、僧尼得度の公驗を云ふ。律に依るに、雜犯の死罪は除名す。卽知ぬ、僧尼死罪を犯せらば、亦先還俗せしめ、然後に死に處することを。其流罪は、比徒四年。告牒を以て徒一年に當らば、其餘の三年は、下の文に依て身を役す。若加伇流かえきるを犯せらば、亦還俗せしめて配流せよ。告牒を以て當つることを得ざれ。卽配所に至て、居作を免さざれ。あまりの罪有ば、自律に依て科断せよ。 謂、假有は、徒二年を犯せらば、告牒を以て一年の徒に當つ。其餘の一年は、律に依て身を伇す。其犯徒以上、還俗せしめて後に、猶餘の罪有らば、父祖のおんに籍て、應に減贖げんしょくをうべくは、一に俗人の法に依れ。問、今此の條に依るに、徒以上は還俗せしめよ、ぢゃう以下は苦使せよと云へり。未だ知らず、過失疑罪かしつぎざいは、若爲いかが 科断せしむかを。答、律令を歷撿するに、過失疑罪は、正犯に同じからず。仍収贖しゅうしょくすることを聽す。但僧尼は、私に財物無し。理贖すべきこと難し。事を量て罪を議し、誠に放免すべし。 如し百杖以下を犯せらば、杖十毎に、苦使十日せしめよ。もし罪還俗にいたらざらむ、及まさに還俗すべしと雖も、未だ判り訖らずば、並散禁さんきんせよ。 謂、苦使を犯し、已断し訖て、未だ三綱に付けざるは散禁せよ。若未だ断を經ざるは、寺に付けて參對さんたいす。其應に還俗せしむべくして、判断已に訖りなば、一に俗人の禁法に同じ。 如し苦使の條制の外に、復罪を犯して、還俗に至らずは、 謂、格律に准據するに、犯せる所の罪。旣苦使に非ず、亦還俗に非ず、故に三綱に付けて、事を量て科罰せしむ。是内法ないほうの制なり。俗律の科に非ず。其違令・違式、及輕きを擧げて重きを明し、并應に等類と爲すことを得るべからざる者は、並律に科條有り。更に佛法に依るべからず。 三綱をして佛法に依て事を量て科罸せしめよ。其還俗し、并て罸せらるる人は、本寺の三綱及衆の事を告することを得ざれ。 謂、還俗の人は、終身に至るまで、被罸の僧は、苦使の間、並告言こうごんすることを得ず。 若謀大逆、謀叛、及妖言して衆を惑せらば 謂、妖言を以て三人以上を惑すを云ふ。卽妖言すと雖も、而も衆を惑さざれば、告言すべからず。、此例に在らず。

第二十二 私度條
私度しど、及冒名むみょうして相代れること有らむ。 謂、冒は覆なり。言は甲、乙の名を冒承し、而を官司覺らざるを度を與へむ。或詐て身死たる僧尼の名を受けて、相代て僧尼と爲れる者を云ふ。 并て已還俗を判れるを、仍法服ほうぶくを被たらば、律に依て科断せよ。師主、三綱及同房の人、情を知れらば、各還俗せしめよ。 謂、此唯、私に入道して未だかんを除かざるに據て云ふ。若已に貫を除することを知れらば、自格律の條に依る。 同房に非ずと雖も、情を知り容れ止め、一宿以上を經たらば、皆百日苦使せよ。卽僧尼情を知て、浮逃ふてうの人を居き止めて、一宿以上を經たらば、亦百日苦使せよ。本罪重くば、律に依て論ぜよ。 謂、假如ば、情を知て反逆を容れ停むるの類を云ふ。

第二十三 敎化條
凢僧尼等俗人をして、其經像をさずけ、門をて敎化せしめたらば、百日苦使せよ。其俗人は、律に依て論ぜよ。 謂、旣僧尼、俗人をして門を歷て敎化せしめばと云へり。卽明けし、僧尼は是造意爲ることを。其俗人は、自從減一等の律に依て、杖九十すべし。

第二十四 出家條
凢家人・奴婢等、若出家すること有て 謂、等と稱するは、官戸・奴婢亦同じ。其内敎ないきゃうに依るに、奴婢ぬひは、出家することを許さず。而を此に出家と稱するは、其道に入るに緣て、賤を免じて度を與たるが故に。 後に還俗を犯せらむ。及自ら還俗せば、並に追して舊主に歸し、各本色に依れ。其私度の人は、たとひ經業きぁうがふ有りとも、度の限に在らず。 謂、其初に法制を犯せることを責め、其度を聽さず。若改正しての後に、更に應に得度すべくば、禁ずる限に在らず。

第二十五 外國寺條
凢僧尼百日苦使を犯ること有り、三度を經て、改めて外國げこくの寺に配せよ。 謂、已發更犯、是卽ち上の條の再犯と義同じ。其第三度の百日の苦使は、其外に配するが爲に、更に苦使せず。若前犯の二百日の苦使、其役未だ畢らざれば、便配所に於て役す。其三犯百日の苦使は、止赦降しゃかうの後を數へて坐することを爲す。律三盗徒流と義同じ。改めて外國の寺に配せよとは、若外國の僧尼、此三犯有らば、更に他國に移配すべからず。 仍て配して畿内に入ることを得ざれ。

第二十六 布施條
齋會さいえに奴婢、牛馬及兵器を以て、布施に充つることを得ざれ。 謂、若法に違ひて輙く充て、及受けたる人は、各違令の罪に當つ。仍上の條の僧尼、財物を蓄へし法に准じて、其物は皆須く沒官すべし。 其僧尼も、輙く受ることを得ざれ。

第二十七 焚身捨身條
凢僧尼身を焚き身を捨つることを得ざれ。若違へらむ、及所由の は並律に依て罪を科せよ。

脚註

  1. 三位さんい以上

    公卿。高位の貴族。何故このような規定が令としてあるのか不明。
    昭和の史学者などには、当時の朝廷・公家にとって僧尼はある種賤しい存在であったためだと見る者があった。しかし、そのような見方が正しいかは疑わしく、またその根拠も乏しい。
    『令集解』では、大宝元年当時、僧綱は正五位、大小の僧都および律師は従五位に准じたものとされていたとし、『続紀』では宝亀四年十一月の詔で、僧正は従四位、大小の僧都は正五位、律師は従五位に准じるとされている。玄蕃寮の頭が従五位上であったことからすると、僧綱の位は玄蕃寮の役人を上回るものであった。

  2. 朝集使てうしふし

    ちょうしゅうし。国司が行財政の状況を朝廷に上申するために上京させる使者。四度使の一つ。

  3. 自由刑、すなわち自由を奪う刑罰であり、なんらかの場所・形で拘禁する刑。律において定められる五刑のうちの一つ。五刑とは重いものから順に死・流・徒・杖・笞。このうち死刑はさらに二等、流刑は三等に分類され、流徒・杖・笞はそれぞれ五等に細分される。

  4. 加伇流かえきる

    加役流。三等に分けられる流罪のうち最も重いもの。配流した場所で三年間の労役が課せられる。

  5. 父祖のおん

    蔭とは、律令制における有位者の諸々の特権。たとえば五位以上の者が死去したならば、その子孫・親族は一定の年齢以上になると、その位を授けられる資格が与えられ、これを蔭位という。いわば位階の世襲。その他にも、何事か犯罪を犯した際、その者の位階に応じ、官に金品を納めることで罪の減免があってこれを贖といった。

  6. 減贖げんしょく

    罪を犯した事情あるいは犯罪の程度により、金銭を納めさせて減刑すること。

  7. ぢゃう

    杖で罪人を打ちすえる刑罰。五刑の一つ。六十回から百回までの五等級ある。

  8. 過失疑罪かしつぎざい

    罪を犯したことが確定するまでにはいたらないものの、その疑惑があること。

  9. 収贖しゅうしょく

    金銭を納めて罪を減免されること。

  10. 散禁さんきん

    枷や縄などで縛らず、一定の場所に拘束する刑。禁固刑。

  11. 參對さんたい

    対問すること。

  12. 内法ないほう

    仏教。ここでは特に仏教の律のこと。

  13. 告言こうごん

    告訴・告発すること。こくげん。

  14. 私度しど

    官の許し無く、秘かにあるいは私に出家すること。当時、律では官許なく出家することは禁じられており、それが発覚した場合は杖刑を課すとされていた。しかし、実際には当時、私度僧といわれる者が相当数存在し、厳しく取り締まりもされていなかった。

  15. 冒名むみょう

    他人の名をかたること。偽名を名乗ること。ぼうめい。

  16. 法服ほうぶく

    三衣・僧祇支・涅槃僧など出家の衣服。平安初中期から律令制の衰退とともに僧侶の貴族化が始まったことにより、次第に法服ではなく、朝服の影響を受けた官僧の装束が次々生み出されていった。特に袈裟はその流れとともに縮小し、素材や色など華美なものとなって、もはや袈裟と言えない衣装となる。それらはすべて法服ではなく俗服(栄西『出家大綱』)。

  17. かん

    戸籍に記載されること。あるいは戸籍そのもの、またはその戸籍が登録された土地。本貫。

  18. 浮逃ふてう

    公民が自身の本貫(土地)を離れ、他所に流れること。

  19. 内敎ないきゃう

    仏教。

  20. 奴婢ぬひは、出家することを許さず

    仏教の出家者が比丘となるためには、遮難といわれる諸々の条件を満たしている必要があると律蔵に規定される。その中に奴婢あるいは官人でないことが挙げられる。奴婢は誰か家人の所有物であり、官人はいわば国家の所有物もしくは公の義務下にあるため、出家して比丘となることは出来ない。

  21. 經業きぁうがふ

    きょうごう。複数の経典の読誦やその内容の学習を修めること。当時、出家するにはいずれか寺の僧を師主とし、その元で経業を修める必要があった。たとえば現存するいくつかの「優婆塞貢進文」には、その経の内容や出家を希望する在家者の名および師主名を記すものがある。

  22. 外國げこく

    その場所以外の地方。苦使に該当する罪を犯した者で、京がその居所であった場合は、畿内以外の国。

  23. 赦降しゃかう

    しゃこう。赦免(罪の免除)と温降(罪の減免)。

  24. 齋會さいえ

    僧に食事を供養する法要。食事以外にも様々な生活必需品を布施した。仏教の在家信者にとって功徳を積む方法として、インドの釈尊当時以来行われてきた、仏教としてもっとも原初的・根本的なもの。南アジアや東南アジアの仏教が伝わる各地では、今も法事・法要といえば基本的に齋会のこと。

  25. 身をき身を捨つること

    『梵網経』に「若しは身を燒き臂を燒き指を焼かしむべし。若し身・臂・指を焼いて諸佛を供養せざらば出家菩薩に非ず。乃至、餓えたる虎・狼・師子、一切の餓鬼にも、悉く應に身肉・手・足を捨ててこれを供養すべし」などと説かれ、あるいは「皮を剥いで紙と爲し、血を刺して墨と爲し、髓を以て水と爲し、骨を析て筆と爲して、佛戒を書寫せよ。木皮・穀紙・絹素・竹帛にも、亦た應に悉く書きて持すべし」と説かれる。これはいわゆる梵網戒の一条項として、必ず実行すべき行為とされている。そのような狂気の振る舞いを現実に行うことをむしろ禁じた条。
    そもそも、律蔵では出家が自身の身をいかなる形であれ損ねることが禁じられている。しかし『続日本紀』には、この種の行為を行う者(行基の教団)が街に多くあったことを言い、それを盛んに批判している。焚身・捨身の類は七世紀の支那でも盛んに行われていたらしく、これを義浄は非法であるとして激しく批判している。この条が「道僧格」にあったものかどうか定かでないが、「僧尼令」は『梵網経』の所説に肉食の禁などある場合には則り、このような焚身のような場合には律蔵の所説に則るなどして合理的に対処しようとしている。

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