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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の爲に絶学を継ぐ

『令義解』「僧尼令」

原文

第十 聽着木蘭條
凢僧尼聽著木蘭。青碧。皂。黄。及懐色䒭衣。 謂。木蘭者。黄橡也。青碧者。碧亦青色也。壞色者。失錯常色。漫壞非全者也。 餘色及綾羅錦綺。並不得服用。違者。各十日苦使。輙著俗衣者。謂。衣冠並著也。縱不並著。犯其一者。亦須依佛法論也。 百日苦使。

第十一 停婦女條
凢寺僧房停婦女。尼房停男夫。謂。男女不限年之多少。但須臨時斟酌之也。 經一宿以上。其所由人。 謂。所停僧尼。其被停男女者。自依首從律。但僧尼者。雖是爲從。猶科苦使。不合減罪也。 十日苦使。五日以上。卅日苦使。十日以上。百日苦使。三綱知而聽者。同所由人罪。

第十二 不得輙入尼寺條
凢僧不得輙入尼寺。尼不得輙入僧寺。其有覲省師主。及死病看問。 謂。雖非師主。皆聽看問也。 齋戒。 謂。齋會也。 功德。 謂。修善也。 聽學 謂。學問也。 者聽。

第十三 禪行條
凢僧尼有禪行。 謂。禪靜也。 修道。意樂寂靜。不交於俗。欲求山居服餌者。 謂。服辟穀藥。而靜居靜行氣也。雖不服餌。亦聽山居也。 三綱連署。在京者。僧綱經玄蕃。在外者。三綱經國郡。勘實並綠申官。判下山居所隷國郡。 謂。假如。山居在金嶺者。判下吉野郡之類也。 毎知在山。不得別向他處。

第十四 任僧綱條
凢任僧綱。謂律師以上。必須用德行能化徒衆。道俗欽仰。綱維法務者。 謂。僧綱者。僧正。僧都。律師也。德行者。内外之稱也。在心爲德。施事爲行也。綱維者。張之曰綱。持之曰維。言張持法務。令其不傾弛也。 所擧徒衆。皆連署牒官。若有阿黨朋扇。 謂。阿黨者。阿曲朋黨也。朋扇者。朋黨相扇也。 浪擧無德者。百日苦使。一任以後。不得輙換。若有過罸。及老病不任者。 謂。過罰者。十日苦使以上也。僧綱若犯此罪者。唯解其任。不更苦使也。老病不任者。緣老若病。不任其事。 卽依上法簡換。

第十五 修營條
凢僧尼有犯苦使者。修營功德。 謂。書寫經典。莊嚴佛像之類也。 料理佛殿。 謂。丹堊塔廟之類也。 及灑掃 謂。灑散水。卽酒掃堂宇。其斲斧春耘之役。非道人所可親。故立其限制。使不浪執也。 䒭使。須有功程。若三綱顏面不使者。卽准所縱日罸苦使。 謂。顏面。々柔也。言犯苦使僧。無所請求。而三綱自阿容不使者。卽准所縱日多少。反罸苦使。若雖不滿十日。猶亦准所縱須苦使。其被縱僧者。不可陪使。何者。下文云。輙許之人。與妄請人同罪。卽明非妄請者。不可科罪也。 其有事故。須聽許者。並須審其事情。知實。然後依請。 謂。事故者。身病。及父母喪之類。旣云知實依請。卽知不可追役也。依律。有所請求。已施行者。各杖一百。然則妄請之人者。本罪之外。更合百日苦使。其輙許三綱者。依二罪法。本罪與施行杖一百。遂一重者科之也。 如有意故無狀輙許 謂。犯苦使之僧。無可許之狀。而貨賂潜行。嘱詫屢進。三綱受容。挾情輙許者也。 者。輙許之人。與妄請人同罪。

第十六 方便條
凢僧尼詐爲方便。移名他者。 謂。僧尼以己公驗。授與俗人。令其爲僧尼。其本僧尼者。或猶爲僧尼。或還成白衣。皆同。但防其猶爲僧尼。故立還俗之文。 還俗。依律科罪。其所由人與同罪。 謂。所由人者。俗人受公驗爲僧尼也。與同罪者。准還俗罪。合徒一年。

第十七 有私事條
凢僧尼有私事訴訟。來詣官司者。權依俗形參事。 謂。依俗形者。旣爲俗形。卽須稱俗姓名也。參事者。參對官司。申論事緒也。 其佐官 謂。僧綱之綠事也。 以上及三綱。爲衆事。 謂。衆僧之事也。 若功德。須詣官司者。並設床席。

第十八 不得私蓄條
凢僧尼不得私畜園宅財物。及興販出息。 謂。蓄者。聚也。其尋常所須。及緣身資用。如此之類。不在禁限。然不得仍出息興販也。興販者。賤買貴賣也。出息者。貸物生子。凢僧尼犯此法者。其物皆沒官也。

訓読

第十 聽着木蘭條
凢僧尼は木蘭・青碧しょうひゃくしょうおう、及懐色えじき䒭の衣を著ることを聽せ。 謂、木蘭とは、黄橡きつるばみなり。青碧とは、碧も亦青色なり。壞色とは、常の色を失錯して、漫に壞して全からざるものを云ふ。 餘の色、及あやうすぎぬにしきかんはたは、ならびに服用することを得ざれ。違へらば、各十日苦使せよ。輙く俗衣ぞくえを著たらば、謂、衣冠並び著たるを云ふ。縱並著ざるも、其一を犯せらば、亦須く佛法に依て論ずべし。 百日苦使せよ。

第十一 停婦女條
寺の僧房に婦女を、尼房に男夫を停めて、 謂、男女とは年の多少を限らず。但須く臨時に斟酌しべし。 一宿以上を經たらば、其所由の人 謂、停所の僧尼を云ふ。其停められし男女は、自ら首從の律に依る。但僧尼は、是從なりと雖も、猶苦使を科せよ。減罪すべからず。、十日苦使せよ。五日以上ならば、卅日苦使せよ。十日以上ならば、百日苦使せよ。三綱知てゆるせらば、所由の人の罪に同じ。

第十二 不得輙入尼寺條
僧はたやすく尼寺に入ることを得ざれ。尼は輙く僧寺に入ることを得ざれ。其師主を覲省かんしょう、及死病するを看問らひ 謂、師主に非ずと雖も、皆看問することを聽す。、齋戒 謂、齋會を云ふ。、功德 謂、修善を云ふ。、聽學 謂、學問を云ふ。すること有ば、聽せ。

第十三 禪行條
凢僧尼禪行 謂、禪靜を云ふ。修道しゅどう有て、こころに寂靜をねがひ、俗に交らず、山居せんきょを求めて服餌ふくじせんとねがはば、 謂、穀を辟け藥を服し、靜居して靜に氣を行ずを云ふ。服餌せずと雖も、亦山居することを聽せ。 三綱連署して、在京は、僧綱、玄蕃に經れよ。在外は、三綱、國郡に經れよ。實を勘へて並綠して官に申せ。ことわて山居のしける所の國郡に下せ。 謂、假如ば、山居金のみたけに在らば、判て吉野の郡に下すの類を云ふ。 つねに山に在ることを知れ。別に他處に向ふことを得ざれ。

第十四 任僧綱條
凢僧綱 律師以上を謂ふ。 を任せむことは、必須く德行ありて能徒衆を伏せむ、道俗欽い仰で、法務に綱維たらん者を用ふべし。 謂、僧綱は、僧正・僧都・律師を云ふ。德行とは、内外の稱なり。心に在を德とし、事に施すを行とす。綱維とは、之を張るを綱と曰ひ、之を持つを維と曰ふ。言は法務を張り持て、其をして傾き弛せざらしむを云ふ。 擧せむ所の徒衆、皆連署して官に牒せよ。若阿黨朋扇して 謂、阿黨とは、阿曲朋黨なり。朋扇とは、朋黨相扇ぐを云ふ。 、浪に無德の者を擧ること、百日苦使せよ。一任の以後は、たやすく換ることを得ざれ。若過罸有む、及老病にして任ふざしふば、 謂、過罰とは、十日苦使以上を云ふ。僧綱、若此罪を犯さば、唯其任を解け。更に苦使せざれ。老病任へざれば、老若くは病に緣て、其事に任ざるを云ふ。 卽上の法に依て簡び換へよ。

第十五 修營條
凢僧尼苦使を犯せること有は、功德を修營し 謂、經典を書寫し、佛像を莊嚴するの類を云ふ。、佛殿を料理し 謂、塔廟を丹堊するの類を云ふ。、及灑ぎ掃 謂、灑は水を散ず。卽堂宇を酒掃するを云ふ。其斲斧春耘の役は、道人の親むべき所に非ず。故に其限制を立てて、浪に執らざらしむ。 䒭に使へ。須く功程くじょう有るべし。若三綱、顏面をも子て使はざれば、卽ゆるす所の日に准じて罸苦使せ。 謂、顏面は、面柔なり。言は苦使を犯せる僧、請ひ求むる所無き。而を三綱自ら阿容して使はざれば、卽縱す所の日の多少に准じて、反て罸苦使す。若十日に滿たずと雖も、猶亦縱す所に准じsて苦使すべし。其縱されたる僧は、陪使ふべからず。何とならば、下の文に云、輙く許せる人は、妄に請へる人と同罪と云り。卽明けし妄に請へるに非ざれば、罪を科すべからず。事故じこ有らば、聽許すべくは、並須く其事の情を審し、實を知て、然て後に請に依るべし。 謂、事故とは、身病し、及父母喪せるの類を云ふ。旣に實を知て請に依れと云へり。卽知ぬ、追役すべからざることを。律に依るに、請ひ求る所有て、已に施行せば、各杖一百と云り。然れば則、妄に請へる人は、本罪の外に、更に百日苦使すべし。其輙く許せる三綱は、二の罪法に依て、本罪と施行の杖一百と、一の重き者に遂て科せよ。 もし意有て故かたち無して輙く許せらば 謂、苦使を犯せる僧、許すべきの狀無き。而を貨賂潜に行ひ、嘱詫屢進して、三綱受け容れて、情を挾で輙く許せる者を云ふ。、輙く許せる人は、妄に請へる人と同罪なり。

第十六 方便條
凢僧尼詐て方便を爲し、を他に移せらば 謂、僧尼己が公驗を以て、俗人に授け與へ、其をして僧尼爲らしむるを云ふ。其本の僧尼は、或猶僧尼と爲り、或還て白衣と成るも、皆同じ。但し其猶僧尼爲ることを防ぐ。故に還俗の文を立たり。 還俗せしめ、律に依て罪を科せよ。其所由の人は與同罪。 謂、所由の人とは、俗人公驗を受けて僧尼と爲るを云ふ。與同罪とは、還俗の罪に准じて、徒一年すべし。

第十七 有私事條
凢僧尼私の事の訴訟有て、官司に來りいたらば、かりに俗の形に依て事にまじはれ。 謂、俗の形に依るとは、旣俗の形と爲て、卽須く俗の姓名を稱すべし。事に參はれとは、官司に參對して、事の緒を申し論するを云ふ。 其佐官 謂、僧綱の錄事を云ふ。 以上及三綱、衆の事 謂、衆僧の事を云ふ。、若くは功德の爲に、官司に詣るべくは、並床席を設けよ。

第十八 不得私蓄條
凢僧尼はわたくしに園宅財物を蓄へ、及興販出息することを得ざれ。 謂、蓄は、聚なり。其尋常に須ふる所、及身に緣れる資用、此の如きの類は、禁ずる限に在らず。然仍出息興販することを得ず。興販とは、賤く買て貴く賣るを云ふ。出息とは、物を貸て子を生すを云ふ。凢僧尼、此の法を犯せらば、其物は皆沒官せよ。

脚註

  1. しょう

    栗色、黒褐色。

  2. おう

    濁り淀んだ黄色、黄土色。
    現代、タイやスリランカなどで色鮮やかなオレンジの衣をまとう僧が目立ち、それが当地での衣の色の代表のように日本で思う者が多くあるけれども、実は現地でもそのような色は非法であって着るべきでないとされている。オレンジ色の袈裟を着る僧は都会に住む、一時出家者に多い。律に忠実たろうとする派(タイであればタンマユット、スリランカであればラーマンニャやアマラプラ派)の比丘らは、「僧尼令」でいう木蘭や皂・黄あるいは赤褐色の衣を着用していることに気づくであろう。

  3. 懐色えじき

    青・赤・黄・黒・白(五正色)でない濁りくすんだ色。仏教の出家者は、俗で好まれる五正色の衣をつけてはならないと律蔵に規定される。
    日本では仏教僧が着用する衣を一般に袈裟と称するが、袈裟とは[S]kāṣāyaの音写であって衣服の称ではなく色のことであり、特に赤黒色・赤褐色を意味する。それはインドにおいて最も賤しい色であり、だからこそ仏教者の衣の色として用いられた。往古の支那でもインドからの渡来僧のほとんどが赤褐色の衣を付けていたと諸々の古記録に記される。例えば唐招提寺伝わる鑑真像は、袈裟は糞掃衣であるけれどもその下衣は赤褐色。

  4. ならびに服用することを得ざれ

    仏教の律において、出家が絹や毛など動物由来の材料で出来た衣を布施として得、これを着用することは禁じられていない。しかしながら、特に支那の南山律宗祖道宣が絹などの着用は慈悲に反するものであり、また印度においても一般に絹など用いられていないと主張したことにより、絹衣を着用しないことは持戒持律の象徴的行為となって一種の禁忌となり、またその教義の一つとなっていた。そのような事実を反映しての条であろう。しかし、これに類似した条が「道僧格」にあって倣ったものか、あるいは当時すでに伝わっていた『行事鈔』など南山律宗の典籍に基づいて日本独自に制したものかは不明。
    なお、印度で絹衣が用いられていないという道宣の主張は事実に反したものであり、故に後代、実地にそして長年印度および南海諸国を周遊した義浄は、道宣および南山律宗の主張・教義について激しく批判している。

  5. 俗衣ぞくえ

    律蔵で出家者に許されている以外のすべての衣服。出家者に着用が許されているのは、ただ三衣と、下着として上半身には僧祇支、下半身には涅槃僧(裙)、および水浴用の雨浴衣などのみである。今伝えられている奈良期における僧の図像を見たならば、その服装は皆同一であり、平安中期頃から見られるような下着として白衣を着けたものは無い。僧祇支と涅槃僧が中国風に改変されたものが褊衫であるが、おそらく当時は今風の褊衫は用いられておらず、支那風の改変がなされたものではあろうけれども、律蔵の規定通り僧祇支と涅槃僧とが着用されていたように思われる。
    唐末から南宋頃に褊衫の上下を繋げた直綴が考案され、禅宗の伝来と共に鎌倉期初頭に日本にもたらされているが、これは当時の支那でも非法とされた服であり、法服ではなく俗服である。当初の臨済宗および律宗でもこれを非法の服として扱われていたが、特に禅宗において、その後の律儀を持さない渡来僧の影響もあってなし崩しに用いられ一般化した。
    いわゆる袈裟については、当時の実物、特に聖武天皇の袈裟が正倉院に伝わっているが、平安末期から鎌倉期にかけて用いられだした南山衣とは全く異なり、むしろ遥か後代の近世の慈雲によって改正された如法衣に近い。その着装法はしかし近世のそれと異なり、長い紐が二本用いられた緩やかなものであることが、いくつか残る奈良期の高僧像からわかる。

  6. 寺の僧房に婦女を

    「僧房に」ということではないが、比丘は女性と同室で宿泊してはならない、と律蔵(波逸提法)に規定される。ここでは国法として、そもそも女性を同室であろうがなかろうが、僧坊内に泊めること自体を禁じている。

  7. 僧はたやすく尼寺に入ることを得ざれ

    比丘など仏教の男性出家者が尼僧寺院に説法や教化、布薩などで訪問する場合、その僧は事前に僧伽から羯磨によって僧差(指名)されなければならないと仏教の律で定められており、比丘が比丘尼のところに自由に訪問することは出来ない。その逆もまた然りである。そのような律の規定に準じ、国法として定められたもの。

  8. 覲省かんしょう

    安否を尋ねること。ご機嫌伺いすること。あるいは見送ること。「きんせい」とも。

  9. 服餌ふくじ

    薬を服すこと。当時の修行の法として、どうやら五穀を断ち、諸々のいわゆる漢方薬に類する植物のみを取って修行する法が行われていたようであるが、しかしそのような思想は仏教に無い。それは道教の神仙の法に基づくものである。日本に道教そのものが伝わり行われることはなかったが、しかし護符や神仙の法などの形にて日本の仏教者に取り込まれ、行われていた。

  10. 金のみたけ

    金峰山(大峰山)。

  11. 一任いちにんの以後は...

    ひとたび他の推薦によって僧綱職に補任されてしまうと、その僧は自らの意志で辞職することは出来なかった。少なくとも律令が機能している時代は僧綱職は名誉職ではなく実務職であった。その故、その位にあることは僧にとって非常な負担であったようである。そこでしばしば僧綱職から解任してほしいと希望する者があったが、この条で規定されているように、たやすくその願いが聞き届けられることはなかった。

  12. 丹堊たんあく

    ベンガラ(丹・酸化鉄)を堂塔や門などに塗ること。

  13. 功程くじょう

    一日になすべき仕事の定量。

  14. 事故じこ

    その事態が生じた原因、理由。

  15. 僧籍。ここでは自身の僧籍を偽って他者のものとすること。当時、俗人の籍いわゆる戸籍は民部省が管理し、僧籍および氏姓は治部省が管理した。俗人が出家して僧となった場合、その籍は民部省から治部省に移された。それはその者の租税が免除されることを意味し、故に僧籍は脱税の術として使えるものでもあったであろう。

  16. わたくしに園宅財物を蓄へ

    僧が衣や鉢その他の比丘としての生活必需品を除く私有財産を所有することは仏教の律によって禁じられているが、それをこの条ではさらに「園宅財物」と特定し、国法として重ねて制限している。

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