Khandha paritta(以下、『カンダ・パリッタ』)とは、これを唱える者に害をなそうとする、あらゆるものからの危難を避けるために唱えられるパリッタです。
khandhaとは、「集積」あるいは「本体」・「章」の意で、「積み貯えたもの」を意味する「蘊」と漢語されるパーリ語です。
『カンダ・パリッタ』は、もとVinaya Pitaka, Cūla Vagga(『律蔵』小品)において説かれている、比丘が害獣などから自らの身を護るため、なにか経や偈頌などをいわゆる「パリッタ」として唱えることが聴された最初のものです。
比丘たちがパリッタを唱えるようになったきっかけ、それはある比丘が毒蛇に噛まれて命を落としたことでした。彼の死の報告を受けたブッダは、他の比丘達に言います。「彼の比丘は、蛇たち(四つの蛇王族)に対する慈悲が欠けていたために、(毒蛇の害を被り)死んだのである」と。そして、比丘が四つの蛇王族を代表とする毒蛇、ひいては比丘に害をなそうとするあらゆる獣・生物から身を護るために、パリッタを唱えても良いとの許可が下されます。そこで、説かれたのがこの『カンダ・パリッタ』でした。
もっとも、その要は、ただこれを唱えると言うことではありません。それは、ありとあらゆる生命に対して「慈しみ(metta)」の想いを心にまず持ち育んでいることです。慈心を持った上でパリッタを唱える者には危害を加えるものは無い、というのが『カンダ・パリッタ』の要であり、その功徳です。
本項で紹介する『カンダ・パリッタ』は、『律蔵』に伝えられたパリッタとしての偈文のみでなく、Aṅguttara Nikāya, Cattukanipātaの第7経、Ahirāja sutta(以下、『アヒラージャ・スッタ』)という小経です。南方の上座部諸国では、『カンダ・パリッタ』として唱えるのに、『律蔵』所伝のパリッタとして説かれた偈文のみである国と、その因縁譚と偈文とを一経典として伝える『アヒラージャ・スッタ』を用いる国とで違いがあります。そこで、『アヒラージャ・スッタ』を出しておけばそのすべてを知ることが出来るでしょう。
なお、Jātaka(本生譚)には、Khaṇḍa jātaka(第203話)として、まるごとこのパリッタが収録されています。ジャータカの注釈書Jātaka Aṭṭhakathāでは、この一説は釈尊がKāsī で生まれた苦行者だった前世の話に基づくものであると注されています。当時、カーシーの苦行者で、毒蛇に咬まれて死ぬ者が大勢出るようになったとの報告を受けた苦行者は、他の苦行者達を集め、いかにして毒蛇など害なす動物から身を護るかを教えます。それは、彼らに対して慈しみを持つことであると。この菩薩によって慈しみを持つことの教授がなされてパリッタとしての偈文が示された後は、毒蛇によって命を落とす者がなくなった、と言う話です。
今でも、南方、特にビルマとスリランカなどにおける、これは決して多数ではなく少数ですが、都市部ではなく森林や山間部にてひっそりと暮らし、修行の日々を続ける比丘達にとって、毒蛇や害獣・毒虫は非常に大きな脅威です。
これは彼の地で実際にあったことですけれども、夕べの水浴のあと、壁に掛けておいた袈裟を取ろうと手を伸ばすと、なんとそこには大きなコブラ。その大きく、そしてとても美しく丸い目でジッとこちらを睨み付け、今にも飛びかかろうとの構えでいるかのよう。そこを慌てず騒がず、静かにソロリソロリと後ろに下り、裸のまま扉の外へ出てやり過ごす。夕暮れや日の出前後の暗がりの中、小道を通り抜ける時、小さくも美しい黄色や緑色の蛇、あるいは連続する大きな三角模様が特徴的な百歩蛇など猛毒をもつ蛇が這い進んでいるのを寸前まで認めることが出来ず、あと一歩で踏みつけるところであった。すこし垂れ下がった木の枝をくぐろうとした時、その木の枝には毒蛇が巻き付いてチロチロと舌を出しながらこちらを見ていた、等々それほど珍しいことではありません。
いや、都市部の住宅街であっても側溝にコブラが巣をつくっており、蓋をあけたらその子供がワラワラ這い出てくるということも、稀ではありません。そのような土地では蛇に咬まれることは、ほとんど死を意味しており、毎年のように人が命を落とし、あるいはその神経毒によって深刻な後遺症を患っています。
蚊や虻、蛭、そして南京虫などは、好ましからぬも日々共存している隣人であるために、大抵の場合はそれほど大きな害となることもありません。しかし、時にそれら小さき虫などによっても深刻な、命を落としかねない事態が生じます。
これも菲才が実際に経験したことでありますが、蚊によって媒介されるデング熱に罹患し、しかも二度目であったために劇症化してデング出血熱となり、生死の境を彷徨いました。菲才の場合、明日明後日にはもう駄目であろう、というところまでいきましたが、何の因果か生き延びることとなりました。それは非常なる痛みを伴う、そしてずいぶん永く続いた苦しみで、我が拙い宿世の果報、慈心の欠けた不徳の致す処であったというべきところ。私はなぜ、あの時、死ななかったのか。こうしていまだ生き永らえ、人生の残り時間を無益に浪費していることは、誠に恥がましい限り。せめて慈心はわずかでもより強く、深く、我が心中に日々養いたく思うばかりです。
毒蛇はもとより虎や野生の象、その他の危険な寄生虫・毒虫など動物・昆虫による、往往にして生命に関わる難など、場所によっては蝿ですら目にするのが稀になり、男ですらゴキブリを見ただけで悲鳴を上げるような現代日本で暮らす者には、まったく想像すら出来ないことと思われます。
スリランカ南部の密林奥地にある修禅寺院にあったときは、真っ暗闇の密林の奥から野生の象がこちらに木をなぎ倒しながら突進してくる経験もありました。といっても、その象は若い好奇心旺盛な子で、精舎に食べ物をねだりにちょくちょく来るだけのことでしたが、しかし闇夜で象がミシリミシリ、ドシドシと突進してくる音を聞くのは実に恐ろしいものです。
この点、仏陀ご在世の北インドと今の南アジア・東南アジアの状況は、それほど変化無いのかもしれません。風土的なことでいえば、むしろ蛇などの危難は南方の方が多いに違いないでしょう。むしろ人が彼ら多くの生命の場に入って修行などしているのですから、それら恐るべき、しかし美しく、たくましく、そして哀れな野生生物に対し、深く、等しく慈しみの心をもって在ることは、比丘らにとって現実に必要なことでもあります。
今の日本のような、南方の密林・寒村とはかけ離れた環境であっても、またほとんど害獣害虫の恐れも縁もないような地にあっても、しかし世人にはなんの知見も展望も持たず、ただ時々の欲望と世情に踊らされて生きるのみの、害獣や害虫に等しいのが少なからずある。
そこで人は、やはり自他への慈心を育まなければなりません。何故ならばそれは、自らの幸せに直結し、自らの平安に直に連なるものであるからです。パリッタを唱えるとき、それが常に慈心と共にあるように。揺らぎうごめく精神によって日々の生活を送っていたとしても、パリッタを唱える時には常に慈心が生じるように、そのようにパリッタを護持することを勧めます。
Ñāṇajoti