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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

『仏垂般涅槃略説教誡経(仏遺教経)』

訓読

汝等比丘、諸の飲食を受けること、まさに薬を服するが如くすべし。好に於いても悪に於いても、増減を生ずること勿れ。趣に得て身を支して、以て飢渇を除け。蜂の花を採るに、但だ其の味のみを取って、色香を損ぜざるが如し。比丘もまた爾なり。

人の供養を受けて、趣に自ら悩を除け。多く求めて、其の善心を壊ることを得ること無かれ。譬えば智者の、牛力の堪うる所の多少を籌量して、分を過ごして以て其の力を竭さしめざるが如し。

汝等比丘、昼は則ち勤心に善法を修習して、時を失せしむること無かれ。初夜にも後夜にも、また廃することあること勿れ。中夜に誦経して、以て自ら消息せよ。睡眠の因縁を以て、一生空しく過して、所得無らしむること無かれ。まさに無常の火の諸の世間を焼くことを念じて、早く自度を求むべし。睡眠すること勿れ。諸の煩悩の賊、常に伺って人を殺すこと、怨家よりも甚だし。安んぞ睡眠して、自ら驚寤せざる。

煩悩の毒蛇、睡って汝が心に在り。譬えば黒蚖の、汝が室に在て睡るが如し。まさに持戒の鉤を以て、早く之れを屏除すべし。睡蛇既に出でなば、乃ち安眠すべし。出でざるに而も眠るは、是れ無慚の人なり。

慚恥の服は、諸の荘厳に於て最も第一と為す。慚は鉄鉤の如く、能く人の非法を制す。是の故に比丘、常にまさに慚恥すべし。暫くも替ることを得ること無かれ。もし慚恥を離れば、則ち諸の功徳を失う。有愧の人は、則ち善法あり。もし無愧の者は、諸の禽獣と相異なること無し。

汝等比丘、もし人あり来たって節節に支解するも、まさに自ら心を摂めて、瞋恨せしむること無かるべし。

またまさに口を護って悪言を出すこと勿るべし。もし恚心を縱にすれば、則ち自ら道を妨げ、功徳の利を失す。忍の徳たること、持戒苦行も及ぶこと能わざる所なり。能く忍を行ずる者は、乃ち名づけて有力の大人と為すべし。

もし其れ悪罵の毒を、歓喜し忍受して甘露を飲むが如くすること能わざれば、入道智慧の人と名づけず。所以者何、瞋恚の害は則ち諸の善法を破り、好名聞を壊ぶる。今世後世、人見んことを喜ばず。

まさに知るべし、瞋心は猛火よりも甚し。常にまさに防護して、入ることを得せしむること勿るべし。功徳を劫る賊は、瞋恚に過ぎたるは無し。白衣は受欲、非行道の人なり。法として自ら制すること無きすら、瞋なお恕むべし。出家行道、無欲の人にして而も瞋恚を懐くは甚だ不可なり。譬えば青冷の雲の中に、霹靂火を起こすは所応に非ざるが如し。

汝等比丘、まさに自ら頭を摩づべし。以て飾好を捨て、壊色の衣を著し、応器を執持して、乞を以て自活す。自ら見るに是の如し。もし憍慢起こらば、まさに疾く之を滅すべし。憍慢を増長するは、尚お世俗白衣の宜き所に非ず。何に況や出家入道の人、解脱の為の故に自ら其の身を降して而も乞を行ずるをや。

汝等比丘、諂曲の心は道と相違す。是の故にまさに宜しく其の心を質直にすべし。まさに知るべし、諂曲は但だ欺誑を為すことを。入道の人は則ち是の処無し。是の故に汝等、まさに宜しく端心にして質直を以て本と為すべし。

現代語訳

「比丘たちよ、(托鉢や請食によって)諸々の飲食を受ける時は、(その見た目・音・匂い・味・舌触りに頓着することなく、ただ身体を維持するための)薬を服用するかのようにせよ。(その食の内容が)良いものであれ悪いものであれ、頓着・嫌悪の思いを起こさぬように。わずかに得たもので身体を維持し、飢えと乾きとを除け。蜜蜂が花から蜜を採るのに、ただその蜜のみを採って花の色・香りを損なうことがないように、比丘もまた同様である」

「人から供養を受け、それでわずかに自身を養え。多くを求めて、人の善心を損なってはならない。たとえば智慧ある者が、牛を労働に使役するのにその力を量って加減し、限度を超えて牛を疲弊させないようなものである」

「比丘たちよ、昼は勤めて善法を修習し、時を無駄にしてはならない。初夜にも後夜にもまた(努力を)止めてはならない。中夜に誦経し、それを以て自ら休息せよ。心昏く呆けて一生を空しく過ごし、得るものが何も無いようではならない。まさに無常の火が諸々の世間(の事象・事物)を焼くことを心にとどめ、速やかに自らが自らを救うことを求めよ。心昏く呆けていてはならない。諸々の煩悩という賊が、常に人を殺そうと窺っていることは、仇敵よりも甚だしいものである。どうして心昏く呆けるままにして、自らを奮い立たせ覚醒させないで良いことがあろうか」

「煩悩という毒蛇が眠って汝の心にある。それは譬えば黒蛇が汝の部屋にあって眠っているようなものである。まさに持戒という鉤をもって速やかにそれを取り除け。心昏く呆ける蛇を排除してこそ、安眠せよ。これを排除せずして眠るのは、恥を知らぬ者である」

「慚恥という服は、諸々の装飾の中で第一に優れている。慚は鉄の鉤棒のように、よく人の非法を制するのだ。このことから、比丘たちよ、常に慚恥せよ。ひと時として恥を捨ててはならない。もし慚恥を忘れたならば、たちまち諸々の功徳を失う。慚ある者には、すなわち善法がある。恥を知らない者は、諸々の禽獣と異なることはない」

「比丘たちよ、もし何者かが来て自らの手足をバラバラに切り裂いたとしても、よく自らの心を制して、瞋り・怨んではならない」

「また、まさによく口を慎み、粗暴な言葉を発してはならない。もし怒りの心を制しなければ、それは自ら仏道を妨げて、諸々の功徳を失う。堪え忍ぶことの徳は、戒を持って苦行することすら及ばないほどである。よく堪え忍ぶことを行う者は、これを名づけて有力の大人という」

「もし(他者からの)悪罵という毒をむしろ喜び忍受して、あたかも甘露を飲むかのようにすることが出来ないならば、入道智慧の人とは言えない。なんとなれば、瞋恚の害は諸々の善法を破り、評判を損なうためである。現世だけでなく来世においても、(怒りを制せられない者を)人々は眼にすることすら嫌うであろう」

「まさに知るべきである、怒りの心は猛火よりも甚だしいことを。常によく(自心を)護って、(怒りの炎が心に)入り込ませてはならない。功徳を盗み取る賊の中で、怒りに勝るものは無い。在家者は欲を楽しみ、道を修すことを専らとしない人である。しかし、宗教的徳義から自ら制することが無くとも、怒りは抑えるべきものとされている。出家して道を修め無欲を奉じる人であるのに関わらず、瞋恚を懐くことなどあってはならない。それは譬えば、澄み切った青空に浮かぶ白い雲が、雷鳴と稲妻とを発することは相応しくないようなものである」

「比丘たちよ、まさに自ら(剃髪した)頭をなでてみよ。そうしてすでに身を飾ることを捨て、壊色の袈裟をまとい、鉄鉢を携えて、托鉢によって生活しているのだ。自ら顧みてそのような立場であろう。もし驕り高ぶりの心が起こったならば、速やかにそれを取り除け。驕り高ぶりの心を強くさせるのは、世俗の在家者ですら良しとされるものでない。ましてや出家入道の人で、解脱を求めて自らその身を降し、托鉢する者ならばなおさらである」

「比丘たちよ、他者から良く思われようとへつらいおもねる心は、仏道と相違する。このことから、まさによくその心を質直にせよ。まさに知るべきである、他者に諂いおもねることは、人を欺くことに他ならないことを。入道の人に相応しいものでない。このことから、比丘たちよ、まさによくよく心を正し、質直をもって自らの本分とせよ」