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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

『仏垂般涅槃略説教誡経』(『仏遺教経』)

『仏遺教経』とは

仏陀、最期の教え

画像:クシナガラ、仏陀般涅槃の現在

仏遺教経ぶつゆいぎょうきょう』とは、仏陀が般涅槃されるまさに最後の時を伝える、鳩摩羅什くまらじゅう〈Kumārajīva〉(以下、クマーラジーヴァ)によって漢訳されたと伝えられる経典です。正式な経題は『仏垂般涅槃略説教誡経ぶっすいはつねはんりゃくせつきょうけきょう』で、ただ『遺教経』とさらに略称されることもあります。

仏陀最期の説法を伝えている経典は他に種々あり、漢訳経典では法顕訳『大般涅槃経だいはつねはんぎょう』、そして『仏般泥洹経ぶつはつないおんきょう』ならびに『般泥洹経』、『長阿含経じょうあごんきょう』所収の『遊行経ゆぎょうきょう』、および『仏本行実経ぶつほんぎょうじつきょう』があります。パーリ語経典では、Dīghanikāyaディーガ・ニカーヤ(長部)に収録されているMahāparinibbāna suttaマハーパリニッバーナ・スッタがこれに該当します。

また、サンスクリットで書かれたものとして、二十世紀という比較的最近になって中共により侵略・蹂躙されたウイグルのトルファンで発見された、 Mahāparinirvāṇa śūtraマハーパリニルヴァーナ・スートラがあります。 

そして、これは経典ではなく仏陀の一生涯を賛嘆した仏伝文学ですが、Aśvaghoṣaアシュヴァゴーシャ馬鳴めみょう)という非常に優れた詩人でもあったインド僧により、正規のサンスクリットにてKāvyaカーヴィア体といわれる流麗な美文で綴られたBuddhacaritaブッダチャリタが伝わっています(全28編のうち前半14編のみ現存)。古の日本にも伝わった『仏所行讃ぶっしょぎょうさん』はその漢訳で、非常にすぐれた仏伝の一つであって、仏教徒として必読の書の一つです。近年はサンスクリットの前半部が直接日本語訳され、散逸した後半部はチベット訳と漢訳『仏所行讃』に依って復元翻訳されたものが出版されています。

『仏遺教経』は、サンスクリットおよびパーリ語、チベット語などで伝えられた経典に対応するものが存在していません。そのことから、『仏遺教経』は訳者のクマーラジーヴァが種々の仏典の記述を斟酌・抜粋して編纂したものではないのか、と現代の文献学者の一部により考えられてもいます。

『仏遺教経』が今列挙した仏典と比して特異な点は、その仏陀入滅の場面のみに特化し伝えているところにあります。その内容は、今まさに沙羅樹の間にて死にゆかんとされる釈尊が、その弟子達に対し、自らの死後には何を頼りとして、いかに修行するべきかを端的に示したものとなっています。

また釈尊は弟子達に、いわゆる八大人覚はちだいにんかくの教説を垂れられた上で、四聖諦ししょうたいについて誰にも疑いのないことを確認。自身は仏陀としての生涯において為すべきことをすべて為し終え、また説くべき事をすべて説きつくしたことを宣言されています。そして、この世のすべては無常であるが故に、修行者は一時も無駄に過ごさず勤めて修行するよう勧められ、これが仏陀の最後の教えである、と結ばれます。

『仏遺教経』は、支那以来多くの著名な学僧・論師たちによって盛んに引用されていますが、中でもよく知られているのがその冒頭にある以下の一節です。

汝等比丘。於我滅後。當尊重珍敬波羅提木叉。如闇遇明。貧人得寶。當知此則是汝等大師。若我住世無異此也。
比丘たちよ、私の滅後は波羅提木叉はらだいもくしゃ尊重そんじゅう珍敬ちんぎょうせよ。それは暗闇の中で光明こうみょうに出会うようなもの、貧しい人が宝を得るようなものである。まさにこのように知れ、これこそお前たちの大師であると。もし私が(入滅せず)命を留めたとしても、これに異なること(を説くこと)はない。

鳩摩羅什訳『仏垂般涅槃略説教誡経』(T12, p.1110c)

この一節にある「波羅提木叉はらだいもくしゃ」という、一般にはまったく馴染みのない言葉。これはサンスクリットPrātimokṣaプラーティモークシャ(パーリ語Pātimokkhaパーティモッカ)の音写です。仏陀はご自身の滅後には、それが修行者たちの師、すなわち第一に遵ずべき規範・寄る辺とせよと言われたと、『仏遺教経』ではされています。

波羅提木叉とは何か

『仏遺教経』において「汝等の大師である」とされる、波羅提木叉はらだいもくしゃとは何か。その意味は何であるか。

実はその原語であるPrātimokṣaプラーティモークシャあるいはPātimokkhaパーティモッカの語源がなんであったか、今もよくわかっていません。サンスクリットなどインド語において語源がわからないということは、その原義が不明ということです。もっとも、それは現代の学問的に、ということであって、いくつかの律蔵には波羅提木叉の定義が記されており、また伝統的にも様々な語源解釈がなされています。

まず、律蔵では波羅提木叉がどのように定義されているか。

波羅提木叉者戒也。自攝持威儀住處行根面首集衆善法三昧成就。
波羅提木叉とは戒である。自ら威儀〈戒律〉摂持しょうじ〈受容〉することであり、住処〈依って立つ処〉であり、行根〈行の根本〉であり、面〈顔〉であり、首〈初め〉である。諸々の善法を集め、三昧〈samādhi. 定.深く集中した意識の状態〉が成就する。

鳩摩羅什訳『四分律』巻三十五(T22, p.817c)

以上のように、『四分律』において波羅提木叉とは「戒」・「自ら威儀を摂持すること」・「住処」・「行根」・「面」・「首」であるといい、それは「諸々の善法を集め、三昧が成就する」ものだとされています。しかし率直に言って、これではその意味内容がわかるようでわかりません。ここで「戒」とあるのも、その原語がśīlaシーラであったのかśikṣāpadaシクシャーパダであったか、あるいはsaṃvaraサンヴァラであったのか、またなぜそのように云うのかもわからず、どうにも曖昧模糊としています。

そこでまた波羅提木叉の定義を伝える漢訳の律蔵、『五分律』ではどう示されているか。

波羅提木叉者。以此戒防護諸根増長善法於諸善法最爲初門故。名爲波羅提木叉。復次數此戒法分別名句。總名爲波羅提木叉
波羅提木叉とは、その戒によって諸々の根〈感覚器官〉を防護して善法を増長する、諸々の善法における最も初門たるものであることから、波羅提木叉と名づけられる。また次に、しばしばこの戒法が名句を分別することをも、総じて波羅提木叉と名づけられる。

仏陀什・竺道生訳『彌沙塞部和醯五分律』巻十八(T22, p.122a)

以上のように、『五分律』と『四分律』とではその文面がほとんど一致していません。ただ波羅提木叉とは、戒を内容とするものであって、また善法の根本・初門である、としている点は共通したものを見ることが出来ます。

『五分律』において波羅提木叉とは、その内容である戒(śikṣāpada/学処?)を護ることに依り、その者の諸感覚器官を通じて受ける内外の刺激に心惑わされて身口の悪しき行為を為さぬようになって善法を強める、その初門であるとされています。しかし、後半の「この戒法が名句を分別する」は何を意味するものか、不佞が無知無能であるため見当もつかず、未だわかりません。

いずれにせよこれらはやはり漢訳であるため、そこに曖昧な点があることが否めない。そこで、分別説部ふんべつせつぶ(上座部)が伝持してきた『パーリ律』における波羅提木叉の定義も併せて示します。

pātimokkhanti ādimetaṃ mukhametaṃ pamukhametaṃ kusalānaṃ dhammānaṃ. tena vuccati pātimokkhanti.
Pātimokkhaプーティモッカ〈波羅提木叉〉とは、諸々の善なる法〈kusalā dhammā〉の、その根本〈ādi〉であり、その顔〈mukha〉であり、その首領〈pamukha〉である。その故にPātimokkhaといわれる。

Vinaya Piṭaka, Mahāvagga, Uposathakkhandhaka, Pātimokkhuddesānujānanā

『パーリ律』でも、波羅提木叉とは善法の根本である、としている点まったく同様です。しかし、波羅提木叉が戒であるとはされていませんが、『四分律』にあった「面」であるとか「首」という語も同じくあり、むしろこの『パーリ律』を見ることによって、何故『四分律』でそのような意とされているのかが明瞭となります。なんとなれば、『パーリ律』ではPātimokkhaの mokkhaモッカを、それが本来意味する「解脱・解放」の意味に取っておらず、顔・口・正面・入り口を意味するmukhaムカに由来する語、あるいは正面・入り口・初め・首領を意味するpamukhaパムカpāmokkhaパーモッカ)に由来した語であるとされているためです。

『四分律』にて、波羅提木叉を「面」であるとか「首」であるとするのは、『パーリ律』における語源解釈と同様であったからこそあり得るものです。『四分律』における「首」とは体の部位のそれではなく、はじめ・第一という意味での首であることが、『パーリ律』を見ることによってこそわかります。なお、『五分律』における「最も初門たるもの」としている点についても、これについては若干曖昧ですが、『パーリ律』や『四分律』と同様の理解であったからのことであったと考えられます。

戒本と別解脱

いずれにせよ波羅提木叉とは、仏教の出家修行者にとってその根本であり、最も重要なものとされます。後代の様々な論書や律の注釈書においても波羅提木叉はらだいもくしゃの定義や意味が様々に解説されていますが、ほぼ通じてその理解が核となって展開しています。

波羅提木叉の律蔵における定義は上掲の通りですが、さらに伝統的理解にはそれが指し示す意味に二つあるとされます。

まず第一には、戒律として定められた諸々の条項の体系、あるいはその条文の要を集成したもののことです。この意味では戒本かいほんと漢訳されます。そして第二には、(戒律によって身語の行為を制することにより)我々が多数有する諸々の煩悩から一つ一つ解脱すること。この意味において、漢訳では別解脱べつげだつとされます。このような説明だけではわからないと思うので、また後に解説します。

波羅提木叉という言葉を知る人はあっても、日本の僧職者ですらその意味を正しく理解している者は決して多くありません。

波羅提木叉が戒本と漢訳されていることについて、「波羅提木叉とは、戒律の条項がまとめて書きつけられた本(文献)であるから、戒本と言う」などという理解をしている者が多くありますが、違います。波羅提木叉とは、律蔵などに規定されている諸条項(いわゆる戒律、正確には学処)の制定の因縁譚から条文解釈、そして例外事項など詳細に伝え記されているものの主文を集めたものであり、それが「戒律の根本」であることから「戒本」とされたものです。これは『パーリ律』にて「諸々の善なる法の、その根本であり」とあるのに同じ理解に基づく語です。

また「別解脱」と訳され、その意味で理解されていることについての補足ですが、これはその原語prātimokṣaの prāti プラーティ はpratiに由来した語であると解釈されて「別々に」・「それぞれ」の意であるとされ、 mokṣaモークシャ はそのまま「解放」・「解脱」とされたことによります。

これをさらにわかりやすいよう言いますと、たとえば不悪口すなわち「粗暴な言葉を発してはならない」という学処〈学ぶべき事柄〉があって、これを受持した者が確実に守っていったならば、その者は悪口という悪しき行為〈悪法・悪業〉を止め、その業から次第に解き放たれていきます。そのように、一つ一つの学処を受持することによってそれぞれの学処に対応する悪しき行為から個別に解放され、ひいてはその基となる煩悩から解脱することから、別解脱とされます。特定の学処に准じて行うことで、śīla/sīla(戒)の原義である道徳・習慣が、部分的にであっても実現するのです。

先程、『パーリ律』での定義を示しましたが、後代の南方の分別説部においてその上でさらになされたパーリ語での語源解釈はそれと異なり、pātimokkhaのpāti(用心する・監視する)とは rakkhatiラッカティ (護る)の意であり、それによって悪趣等の諸々の苦から mokkhaモッカ(解放)させることからpātimokkhaという、とされていますVisuddhimagga, Sīlaniddesa, Pātimokkhasaṃvarasīla 14。何故そのように理解されるかといった細かい語源解釈にまでここで言及することは控えますが、このような分別説部における解釈は、先程示した『五分律』における「防護諸根」という定義に重なるものでもあります。

いずれにせよ、それを護持することによって解脱を得るという解釈は結局変わらないのですが、インドやチベットそして支那においてなされてきた「別々に」とする理解は、分別説部にはありません。

波羅提木叉という語は、世間一般には縁遠く、そもそも日常生活上知る必要のない言葉ですけれども、律蔵に限らず経典・論書など、仏教においてかなり頻繁に用いられるものです。したがって、仏教を学ぶ者がその意味内容を確かに押さえておくことは不可欠の、非常に重要な言葉です。それは『仏遺教経』においても同様で、特に出家修行者である比丘たちにとってその波羅提木叉というもの、それは結局、仏陀が種々様々に定められた律ということになるのですが、それがどれほど重要なものであるかを説いているのが上掲の一節です。

しかしながら、先に示した『仏遺教経』の一節の最後にある「若我住世無異此也(もし我、世に住すれども此れに異なること無けん)」という一連の言葉、この一句は、仏陀がその死の直前にいわば遺言として遺されていた「ある言葉」と矛盾するものではないか、という疑問を人に 惹起じゃっき させるものです。そしてその遺言は『仏遺教経』には伝えられていません。したがって、「仏陀、最期の教え」に触れるならば、その遺言を伝える経典をも読み、それがいかなるものであったかを知る必要があります。