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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

最澄『末法灯明記』

訓読

次に像法千年中、初の五百年には、持戒ようやく減し、破戒漸く増す。戒行有りと雖、而も證果無し。故に『涅槃ねはん』の七に云く、「迦葉かしょう菩薩、佛に白して言さく。世尊、佛の所説の如く、四種の魔有り。若は魔の所説、及び佛の所説、我れ當に云何いかがして分別わかたることを得べき。諸の衆生の魔行に隨遂ずいちくする有らん。また佛の所説に隨順する者有らん。是の如き等のやから、復云何いかんが知らんや。佛、迦葉に告げたまはく。我れ般涅槃はつねはんして、七百歳の後、是の魔波旬まはじゅん漸く起りて、我が正法を沮壞しょえせん。譬へば猟師の、身に法衣ほうえを服するが如し。魔王波旬も、亦復またまた是の如し。比丘の像、比丘尼の像、優婆塞うばそく優婆夷うばいの像と、亦復須陀洹しゅだおんの身を化作けさし、乃至阿羅漢の身及び佛の色身を化作せん。魔王、此有漏うろの形を以て、無漏の身を作して、我正法を壞せん。是の魔波旬、正法を壞せんが爲に、當に是の言を作すべし。佛、舍衛しゃえい國の祇陀ぎだ精舍しょうじゃに在りて、諸の比丘に、奴婢・僕従、牛・羊・象・馬、乃至銅・鉄の釜鍑、大小の銅盤、所須の物を受畜することを聽す。耕田種植し、販売市易して、穀米を儲積ちょしゃくする。是の如きの衆事、佛大慈の故に、衆生を憐愍して、皆之を蓄ふことを聽す。是の如きの經律は、ことごとくこれ魔の説なり」と。云云 旣に七百歳の後、波旬漸く起ると云ふ。故に知ぬ、彼の時の比丘、漸く八不淨物はちふじょうもつ貪畜とんちくすることを。此妄説を作す、即ち是魔説なり。此れ等の經中、あきらかに年代を指して、つぶさに行事を説く。更に疑ふべからず。しばらく一文を挙ぐ。余は皆準知せよ。

次に像法の後半は、持戒減少し、破戒巨多こたなり。故に『涅槃ねはん』の六に云く、「佛、菩薩に告げて言たまはく。善男子ぜんなんし、譬へば迦羅から林、其樹衆多しゅたなり。是の林中に於て、唯一樹有り。鎭頭迦ちんずかと名く。是の迦羅樹と、鎭頭迦樹と。二果相ひ似て、分別すべからず。其果熟する時、一の女人にょにん有りて、悉皆拾ひ取る。鎭頭迦果は、唯一分有り。迦羅迦果は、乃ち九分有り。是の女識らずして持ち来り、市に詣りて之を衒賷げんせいす。凡愚小兒、復わかたざるが故に、迦羅迦を買ひ、噉ひ已りて命終す。有智の人の輩、是の事を聞き已りて、是の女人に問ふ。汝、何の處り、是の果を持ち來ると。是の時女人、即ち方所を示す。諸人即ち言く、是の如き方所には、多く無量の迦羅迦樹有りて、唯一根の鎭頭迦樹有りと。諸人知り已り、笑ひて捨て去るが如し。善男子、大衆の中の、八不淨の法も、亦復是の如し。是の衆中しゅちゅうに於て、多く是の如きの八法を受用すること有り。唯一人の清淨しょうじょう持戒なる有りて、是の如きの八不淨の法を受けず。善く諸人の非法を受蓄することを知りて、然も事を同くして、相捨離しゃりせず。彼の林中の一の鎭頭迦樹の如くならん」と。又『十輪經じゅうりんきょう 』に云く。「若し我が法に依りて、出家して惡行を造作ぞうさす。此れ沙門しゃもんに非ずして、自ら沙門と稱し、又梵行ぼんぎょうに非ずして、自ら梵行と稱す。是の如きの比丘、能く一切の天龍・夜叉に、一切善法の功徳、伏藏を開示して、衆生の善知識ぜんちしきと爲る。少欲知足ならずと雖、鬚髪しゅほつを剃除し、法服ほうぶくを被著す。是の因縁を以ての故に、能く衆生の爲に、善根を増長し、諸の天人に於て、善道を開示す。乃至破戒の比丘、是死人と雖、而も戒の餘勢よせい、猶ほ牛黄ごおうの如し。此牛死すと雖、而も人、ことさらに之を取る。亦麝香ざこうの死して後に用有るが如し」と。云云 旣に迦羅林の中に、一の鎭頭迦樹有りと云ふ。此は像運、已に衰へて、破戒世に滿て、僅に一、二持戒の比丘有るに喩ふ。又破戒の比丘は、是死人と雖、猶ほ麝香の死して而も用有るが如しと云ふ。死して而も用有るは、衆生の善知識と爲るなり。あきらかに知ぬ。此時、漸く破戒を許して世の福田と爲すこと、前の『大集』に同ずることを。

現代語訳

次に像法の千年間における、初めの五百年には、持戒(の比丘)が次第に減少し、破戒(の比丘)が次第に増加する。戒行があるといっても、しかし證果は無い。したがって『涅槃経』の巻七に、「迦葉菩薩が仏に申し上げた。『世尊よ、仏がお説きになったように、四種の魔〈五蘊魔・煩悩魔・死魔・天魔〉があります。あるいは魔の所説、および仏の諸説を、私はまさにいかにして見分けるべきでしょうか。諸々の衆生には魔行に従う者もあれば、仏の所説に従う者もあります。この様な者たちも、またどのように(その違いを)知られるでしょうか』と。仏は迦葉にお答えになった。『私が般涅槃はつねはんして七百年の後、その魔波旬まはじゅん〈[S]Māra Pāpīyas〉が次第に力を持つようになり、我が正法を妨げ毀損しようとするであろう。譬えば猟師が、身に法衣ほうえ〈袈裟衣〉をまとうようなものである。魔王波旬もまたその様なものである。比丘の姿、比丘尼の姿、優婆塞うばそく優婆夷うばいの姿、あるいは須陀洹しゅだおん〈預流〉の姿に化け、及び阿羅漢の姿や仏の姿にも化けるであろう。魔王は、その有漏〈煩悩のあること〉の身でありながら無漏〈煩悩の無いこと〉の姿に化け、我が正法を毀損しようとするであろう。この魔波旬は、正法を毀損しようとして、この様に語るであろう。『仏陀が舍衛しゃえい國の祇陀ぎだ精舍しょうじゃ〈祇園精舎〉 に在ったとき、諸々の比丘に対して、奴婢・従僕、牛・羊・象・馬、および銅・鉄の鍋釜、大小の銅盤など、所有することを許された。田を耕し苗を植えるなど農業に従事し、商品の売買など商業に従事し、米穀を蓄えること。そのような諸々のことについて、仏は大慈心によって衆生を憐れまれ、すべてそれらを蓄えることをも(比丘たちに)許された」と。この様な経律は、ことごとく魔の説である』」と。 すでに七百年の後、波旬が次第に旺盛になると説かれている。故に知られるであろう、その時の比丘は、次第に八不淨物はちふじょうもつを求めて蓄えるようになると。そのような妄説をなすのが、すなわち魔の説である。これらの経の中において、明らかにその年代を指して、詳しく行事が説かれている。これ以上疑うべきでなかろう。今は仮に一文を挙げた。その他はすべて準知せよ。

次に、像法の後半は、持戒(の比丘)は減少し、破戒(の比丘)が圧倒的多数となる。したがって『涅槃経』の巻六に、「仏は菩薩に説きたまわれた。『善男子よ、譬えば迦羅から〈Kalā. 柿の一種〉林があって、その樹が多くあったとしよう。この林の中には、ただ一本だけ(異なる)樹があっって、鎭頭迦ちんずか〈Tinduka. 柿の一種〉という。この迦羅の樹と鎭頭迦の樹と、二つの果実はよく似ており、見分け難かった。その果実が熟れる頃、ある女性があって、そのすべてを拾い取った。鎭頭迦の果実はただ一割、迦羅迦の果実はすなわち九割であった。この女は(どれもが鎭頭迦の実であると思い、実はそれがほとんど迦羅迦の実であることを)知らずに持ち帰り、市場に行ってそれらを売った。凡愚なる子供が、その違いを見分けることが出来なかったため、迦羅迦の実を買い、食べたところ死んでしまった。智慧ある人が、この事を知って、その女に問いただした。『おまえはどこからこの実を持って来たのか』と。そこで女は、その場所を答えた。すると人々は言った。「その辺りには、多くて数え切れないほどの迦羅迦の樹があって、ただ一本だけ鎭頭迦の樹が生えているだけだ」と。人々はそれを知ると、(女の無知を)笑い(女の採ってきた実をすべて)捨てたようなものである。善男子よ、大衆における八不浄の法も、またそれと同様である。この衆の中において、多くの者がそのような八法を受用している。ただ一人だけ清浄持戒なる者があって、そのような八不浄の法を受領していない。(彼は)よく多くの者らが非法を受蓄していることを知って、しかしそれでも(彼ら非法の比丘たちと)生活を同じくして、捨てて離れはしない。(その持戒の比丘は)その林の中の一本の鎭頭迦樹のようなものであろう』」と説かれている。また、『十輪経』には、「もし我が法に従い出家して、悪行を行うこと。それは沙門しゃもんでなくして、自ら沙門であると称し、また梵行ぼんぎょうでなくして、自ら梵行と称するものである。その様な比丘が、よく一切の天龍・夜叉に一切の善法の功徳、伏蔵を開示して、衆生の善知識ぜんちしきとなる。小欲知足ではないけれども、鬚と髪を剃って法服ほうぶく〈袈裟衣〉を被着する。その因縁によって、よく衆生のために善根を増長し、諸々の天や人に善道を開示する。および破戒の比丘とは、(出家として)死人であるけれども、戒(をたとえ護らず破っていたとしても、「戒を受けたこと」)の余勢は、あたかも牛黄ごおう〈牛の胆嚢に生じる黄色い結石.漢方で希少な良薬とされる〉のようなものである。その(牛黄を有した)牛が死んだとしても、人は敢えてこれを取る。または麝香ざこう(鹿など)が死んだ後に(その死体から採れる麝香が)有用であるようなものだ」と説かれている。すでに迦羅林の中に一本の鎭頭迦樹があるという(譬えが『涅槃経』にあること見た)。これは像運〈像法時〉がすでに衰えれば、破戒(の比丘)が世に満ちて、わずかに一、二人の持戒(の比丘)のみあることに喩えたものだ。また破戒の比丘は、(出家として)死人であるけれども、あたかも麝香(鹿など)が死んでも有用なものである、と説かれている。(出家として)死んでもなお有用であるならば、衆生の善知識たりえるのだ。明らかに知られるであろう、この時代〈像法末期〉においては次第に破戒(の比丘)たることを許すようになって、それを世の福田とすることは、先に(示した)『大集経』の説と同じであることが。