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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

最澄『末法灯明記』

原文

次像季後。全是無戒。佛知時運。爲濟末俗。讚名字僧。爲世福田。又大集五十二云。若後末世。於我法中。剃除鬚髪。身著袈裟名字比丘。若有檀越。信施供養。得無量阿僧祇福。又賢愚經云。若有檀越。將末來世。法埀欲盡。正使比丘。畜妻挾子。四人以上名字僧衆。應當敬視。如舎利弗。大目連等。又大集云。若打罵破戒無戒。身著袈裟罪。同出萬億佛身血。若有衆生。爲我法故。剃除鬚髪。被服袈裟。設不持戒。彼等悉已。爲涅槃印又所印也。是人猶能爲諸人天。示涅槃道。是人便已於三寶中。心生敬信。勝於一切九十五種外道。其人必能速入涅槃。勝於一切在家俗人。唯除在家得忍辱人。是故。破戒天人應當供養。又大悲經云。佛告阿難。於後末世。法欲滅時。當有比丘比丘尼。於我法中。得出家已。手牽兒臂。而共遊行。從酒家至酒家。於我法中。作非梵行。彼等雖爲酒因縁。於此賢劫。一切皆當得般涅槃。斯賢劫中。當有千佛興出世。我爲第四。次後彌勒。當補我處。乃至最後。盧遮如來。如是次第。汝應當知。阿難。於我法中。但使性是沙門。汙沙門行。自稱沙門。形似沙門。當有被著袈裟者。於賢劫中。彌勒爲首。乃至盧遮如來。彼諸沙門。如是佛所。於無餘涅槃。次第得入涅槃。無有遺餘。何以故。如是一切沙門中。乃至一稱佛名。一生信者。所作功德。終不虚設。我以佛智。測知法界故。云云 

維摩經云。佛十號中。聞初三福。佛若廣説。經劫不盡。云云 

此等諸經。皆指年代。將末來世名字比丘。爲世導師。若以正法時制文。而制末法世名字僧者。敎機相乖。人法不合。由此律云。制非制者。是制斷三明所記。豈有罪。

此上引經配當已訖。後擧敎比例者。末法法爾正法毀壊。三業無記。四儀有乖。

且如像法決疑經云。若復有人。雖造塔寺。供養三寶。而不生敬重。請僧在寺。不供養飲食衣服湯藥。返更乞貸。食噉僧食。不問貴賤。一切專欲於衆僧中。作不饒益。侵損惱亂。如比人輩。永墮三途。今見俗間。盛行此事。時運自爾。非人故爾。檀越旣無檀越志。誰得誹僧無僧行。

又遺敎經云。一日乘車馬。除五百日齊。當代行者之罪。何呈持齊之德。

又法行經云。我弟子。若受別請。不得國王地上行。不得飲國王地水。五百大鬼。常遮其前。五千大鬼。常從罵言佛法大賊。

鹿子母經云。別請五百羅漢。猶不得名福田。若施一似像惡比丘。得無量福。當代道人。已好別請。何處植福。持戒之人。豈加之哉。旣不踐王地上。亦不許飲王地水。五千大鬼。當罵大賊。嗟乎持戒僧衆。何於其改過乎。

又仁王經云。若我弟子。爲官所使。都非我弟子。立大小僧統。共相攝縛。當爾之時。佛法滅沒。是爲破佛法。破國因縁。云云 推仁王等。拜僧統。以爲破僧之俗。彼大集等。稱無戒。以爲濟世之寶。豈留破國之蝗。還弃保家之寶。

須不分二類。共飡一味。僧尼不絶跡。鳴鐘不失時。然乃允末法之敎。令有國之道。

訓読

次に像季の後は、全く是無戒なり。佛、時運を知りて、末俗をすくはんが爲に、名字みょうじの僧を讚して、世の福田と爲す。

大集だいじゅう』の五十二に云く、「若し後の末世に、我が法中に於て、鬚髪しゅほつを剃除し、身に袈裟を著する名字の比丘を、若し檀越だんをち有りて、信施供養すれば、無量阿僧祇あそうぎの福を得」と。

賢愚經げんぐきょうに云く、「若し檀越有りて、將末來世、法盡んと欲するに埀なんなんとして、正使たとひ比丘、妻を蓄へ子をはさむも、四人以上の名字みょうじの僧衆、當に敬視すること、舎利弗しゃりほつ大目連だいもくれん等の如くすべし」。

大集だいじゅうに云く、「若し破戒・無戒の身に袈裟を著するを打罵だめするの罪、萬億の佛身ぶっしんの血をいだに同じ。若し衆生有りて、我が法の爲の故に、鬚髪を剃除し、袈裟を被服せん。たとひ戒を持たずとも、彼等ことごとく已に、涅槃の印の印する所と爲る也。是の人、猶ほ能く諸の人天の爲に、涅槃の道を示す。是の人、便ち已に三寶の中に於て、心に敬信を生じて、一切の九十五種の外道に勝る。其人、かならず能く速に涅槃に入り、一切在家の俗人に勝る。唯在家の忍辱にんにくを得たる人を除く。是の故に、破戒なるも天人、當に供養すべし」。

大悲經だいひきょうに云く、「佛、阿難あなんに告たまはく。後の末世に於て、法滅せんと欲するの時に、當に比丘・比丘尼、我が法中に於て、出家を得已りて、手にの臂を牽きて、共に遊行ゆぎょうし、酒家しゅけ從り酒家に至り、我法中に於て、非梵行を作すこと有る。彼れ等、酒の因縁爲りと雖、此賢劫げんごうに於て、一切皆當に般涅槃はつねはんを得べし。斯の賢劫中に、當に千佛有りて世に興出すべし。我は第四爲り。次後に彌勒みろく、當に我が處を補ふべし。乃至、最後に盧遮るしゃ如來なり。是の如く次第す。汝當に知るべし。阿難、我が法中に於て、但使たとしょうのみ是沙門にして、沙門の行をけがし、自ら沙門と稱す、形は沙門に似て、當に袈裟を被著する者有るべし。賢劫中に於て、彌勒をはじめと爲し、乃至盧遮如來、彼の諸の沙門、是の如き佛の所にして無餘涅槃むよねはんに於て、次第に涅槃に入ることを得て、遺餘ゆいよ有ること無し。何を以ての故に。是の如き一切の沙門の中に、乃至一たび佛名を稱へ、一たび信を生ずる者は、所作の功德、終に虚設こせつならず。我れ佛智を以て、法界を測知するが故に」。云云 

維摩經ゆいまぎょうに云く、「佛の十號じゅうごうの中に、初の三を聞くの福、佛若し廣く説かば、こうを經るも盡きず」と。云云 

此れ等の諸經は、皆年代を指して、將末來世の名字の比丘を、世の導師と爲す。若し正法の時の制文を以て、而も末法の世の名字の僧を制せば、敎と機と相乖あひそむき、人と法と合せず。此に由りてりつに云く、「非制を制せば、是の制、三明さんみょうの記する所を斷ず」と。豈罪有らんや。

此上經を引きて配當すること已に訖ぬ。後に敎を擧げて比例すれば、末法は法爾ほうにとして正法毀壊す。三業さんごう無記、四儀しぎ乖くこと有り。

且く像法決疑經ぞうほうけつぎきょうに云ふが如し、「若し復人有りて、塔寺を造りて三寶を供養すと雖、而も敬重きょうじゅうを生ぜず。僧を請じて寺にくも、飲食おんじき衣服えぶく湯藥とうやくを供養せず。返て更に乞貸して、僧食そうじきを食噉し、貴賤きせんを問はず一切專、衆僧の中に於て、不饒益ふにょうやくを作し、侵損惱亂せんと欲す。比の如き人の輩、永く三途に墮す」と。俗間ぞくけんを見るに、さかんに此事を行ず。時運自ら爾なり。人の故に爾るに非ず。檀越旣に檀越のこころざし無し。誰か僧に僧の行無きことを誹ることを得んや。

遺敎經ゆいぎょうきょうに云く、「一日車馬に乗すれば、五百日の齊を除く」と。當代行者の罪、何ぞ持齊の德を呈せんや。

法行經ほうぎょうきょうに云く、「我が弟子、若し別請べっしょうを受くは、國王の地上に行くことを得ざれ。國王の地水を飲むことを得ざれ。五百の大鬼、常に其の前に遮り、五千の大鬼、常に從ひ罵りて佛法の大賊なりと言はん」と。

鹿子母經ろくしもきょうに云く、「五百の羅漢を別請せんは、猶ほ福田と名くることを得ず。若し一の似像の惡比丘に施せば、無量の福を得ん」と。當代の道人、已に別請を好めり。何の處に福を植えんや。持戒の人、豈之の如くならんやと。旣に王の地上を踐まず、亦王の地水を飲むことを許さず、五千の大鬼、當に大賊なりと罵むべし。嗟乎ああ、持戒の僧衆、何ぞ其れに於てあやまちを改めんや。

仁王經にんのうきょうに云く、「若し我弟子、官の爲に使は所れんは、すべて我が弟子に非ず。大小の僧統そうとうを立てて、共に相攝縛しょうばくせん。爾の時に當りて、佛法滅沒す。是を佛法を破し、國を破する因縁と爲す云云」と。『仁王』等を推するに、僧統そうとうを拜する、以て破僧はそうの俗と爲す。彼の『大集』等には、無戒を稱して、以て濟世の寶と爲す。豈破國のいなごを留め、かえって保家の寶をてんや。

須く二類を分たず、共に一味をさんして、僧尼跡を絶たず、鳴鐘めいしょう時を失せざるべし。然れば乃ち末法の敎、國をたもた令むるの道にかなはん。

脚註

  1. 大集だいじゅう』の五十二

    『大集経』巻五十五「次五百年於我法中鬪諍言頌白法隱沒損減堅固。了知清淨士。從是以後於我法中。雖復剃除鬚髮身著袈裟。毀破禁戒行不如法假名比丘。如是破戒名字比丘。若有檀越捨施供養護持養育。我説是人猶得無量阿僧祇大福徳聚」(T13, p.363b)。

  2. 檀越だんをち

    [S]dānapatiの音写。施す人、施主の意。

  3. 阿僧祇あそうぎ

    [S]asaṃkhyaの音写。無数、膨大な数の意。無量に同じ。

  4. 賢愚經げんぐきょう

    『賢愚経』巻十二「若有檀越。於十六種具足別請。雖獲福報。亦未爲多。何謂十六。比丘比丘尼。各有八輩。不如僧中。漫請四人。所得功徳。福多於彼。十六分中。未及其一。將來末世。法垂欲盡。正使比丘。畜妻侠子。四人以上。名字衆僧。應當敬視如舍利弗目犍連等」(T4, p.434a)の略抄。

  5. 四人以上の名字みょうじの僧衆

    ここで「四人以上」としているのは、僧伽(衆)とは四人以上の比丘が集まることによってはじめて成立する事を受けてのこと。もっとも、集まるのが「名字の僧衆」すなわち外形ばかり名ばかりの似非比丘では、百人集まっても僧伽を形成することは出来ない。

  6. 舎利弗しゃりほつ

    [S]Śāriputra. 舎利弗と音写され、あるいは舎利子と漢訳される、釋迦牟尼の高弟の一人。Śārīという母の子であることからŚāriputraと通称されるが、分別説部ではその実名は[P]Upatissa([S]Upatiṣya)であったとされる。もと六師外道の一人、サンジャヤの弟子であったが、釋迦牟尼の初めての五人の弟子(五群比丘)のうち[S]Aśvajit([P]Assaji)が托鉢している姿を見て思うことあり、それが釋迦牟尼の弟子であることを知ると、ただちにその門下に同法であった目連と共に参じて弟子となった。非常に聡明で、釋迦牟尼の説法に預かるや時を経ずして大阿羅漢となりその教化を助けたことから、Dhammasena(法将軍)とも称えられる。

  7. 大目連だいもくれん

    [S]Mahāmaudgalyāyana. 大目犍連(大目乾連)などと音写される、釋迦牟尼の高弟の一人。舎利弗に同じく、もと六師外道のサンジャヤの弟子であったが舎利弗とともに釈門に入ると、たちまちその高弟となった。神通力に最も優れていたと云われ、釈迦十大弟子として挙げられる際には神通第一と云われる。釋迦牟尼の般涅槃以前に、前世の宿業から外道に依って撲殺された。

  8. 大集だいじゅう

    『大集経』巻五十四「若有爲佛剃除鬚髮被服袈裟不受禁戒受已毀犯。其刹利王與作惱亂罵辱打縛者得幾許罪。佛言。大梵。我今爲汝且略説之。若有人於萬億佛所出其身血。於意云何。是人得罪寧爲多不。大梵王言。若人但出一佛身血得無間罪。尚多無量不可算數。墮於阿鼻大地獄中。何況具出萬億諸佛身血者也。終無有能廣説彼人罪業果報。唯除如來。佛言。大梵若有惱亂罵辱打縛爲我剃髮著袈裟片不受禁戒受而犯者。得罪多彼。何以故。如是爲我出家剃髮著袈裟片離不受戒或受毀犯。是人猶能爲諸天人示涅槃道。是人便已於三寳中心得敬信。勝於一切九十五道。其人必速能入涅槃。勝於一切在家俗人。唯除在家得忍辱者。是故天人應當供養」(T13, p.359b)。

  9. 佛身ぶっしんの血をいだ

    仏教において最も悪しく重い罪となる行為、五逆罪の一つ。①母を殺すこと、②父を殺すこと、③阿羅漢を殺すこと、④僧伽の和合を破ること、⑤仏身を傷つけること。これらいずれかを一つでも犯した者は無間地獄に堕ちるとされ、五無間罪ともいわれる。

  10. 忍辱にんにく

    [S]kṣānti/[P]khanti. 耐え忍ぶこと。特に怒りをこらえ、制すること。
    ここでは破戒無戒の似非比丘であっても、末法においてはいかなる外道に勝る存在であると言い、しかし、忍辱の徳を備えた在家人には劣るという。

  11. 大悲經だいひきょう

    大悲経』巻三「阿難。我爲一切天人教師。憐愍一切諸衆生者於當來世法欲滅時。當有比丘比丘尼於我法中得出家已。手牽兒臂而共遊行。從酒家至酒家。於我法中作非梵行。彼等雖爲以酒因縁。於此賢劫一切皆當得般涅槃。阿難。何故名爲賢劫。阿難。此三千大千世界。劫欲成時盡爲一水。時淨居天。以天眼觀見此世界唯一大水。見有千枚諸妙蓮華。一一蓮華各有千葉。金色金光大明普照。香氣芬薫甚可愛樂。彼淨居天因見此已。心生歡喜踊躍無量而讃歎言。奇哉奇哉。希有希有。如此劫中當有千佛出興於世。以是因縁。逐名此劫號之爲賢。阿難。我滅度後此賢劫中。當有九百九十六佛出興於世。拘留孫如來爲首。我爲第四。次後彌勒當補我處。乃至最後盧遮如來。如是次第汝應當知。阿難於我法中但使性是沙門汚沙門行。自稱沙門形似沙門。當有被著袈裟衣者。於此賢劫彌勒爲首。乃至最後盧遮如來。彼諸沙門如是佛所。於無餘涅槃界次第當得入般涅槃。無有遺餘。何以故。阿難。如是一切諸沙門中。乃至一稱佛名一生信者。所作功徳終不虚設。阿難。我以佛智測知法界非不測知」(T12, p.958a-b)。

  12. 阿難あなん

    [S/P]Ānanda. 阿難、阿難陀と音写される、釋迦牟尼の高弟の一人。釈尊が入滅にいたるまでの二十五年間、その随行として側仕え、多くの教説を耳にして記憶していたという。ただし、長年釈尊に側仕えたにもかかわらず、その性格から釈尊の涅槃に至るまで阿羅漢に達することが出来ず、それがために諸々の過失ある行為を為していたことを迦葉に責められている。しかし、第一結集の開催される早暁に阿羅漢果に達したとされ、結集に際しては「如是我聞」と多くの教説を誦出した。したがって如是我聞の我とは阿難のこと。阿羅漢となって後は特に西印度に教宣を張って多くの弟子を育てた。仏教における比丘尼が生まれる第一功労者でもあり、比丘尼から生前から死後に至るまで非常に篤く信仰された。

  13. 賢劫げんごう

    現在の宇宙時間、一大劫波(Kalpa)の称。劫波は宇宙の誕生から破壊までに至る長大な宇宙的時間を一単位としたもので、現在の宇宙の名は賢劫とされ、この宇宙が安定している期間(住劫)において千人の仏陀が順次現れるとされる。

  14. 彌勒みろく

    [S]Maitreyaの音写。釈迦牟尼仏の次に現れる未来仏。現在は菩薩として兜率天にて修行しており、釋迦牟尼の滅後56億7千万年後に兜率天から下生して成道するとされる。

  15. 盧遮るしゃ如來

    毘盧遮那如来の略。毘盧遮那は[S]Vairocanaの音写で、太陽そのもの、または太陽に属する者、太陽から来る者の意。『華厳経』や『梵網経』の教主。

  16. 無餘涅槃むよねはん

    菩提を得た後に死に、前世からの宿報である肉体も離れる完全な涅槃。前世からのいかなる宿業、果報からも離れて残りない、まったく存在することから離れた状態。

  17. 維摩經ゆいまぎょう

    支謙訳『仏説維摩詰経』および鳩摩羅什訳『維摩詰所説経』のいずれにも該当する文はない。ただし基撰述とされている『西方要決科註』巻二(卍蔵経, vol.61, p.109b)に「故維摩經云。佛初三號。佛若廣説。阿難經劫不能領受」とほぼ同一の文があって、これを孫引きしたものであろう(仮に本書を最澄真撰であるとして、この書が当時すでに日本にあったかは未考)。そもそも、このあとで「此等諸經。皆指年代。將末來世名字比丘。爲世導師」などと主張しているが、この文はその論拠に全くなり得ない。

  18. 佛の十號じゅうごう

    仏陀に対する十の異称。如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏世尊。

  19. りつ

    このままの一節は律蔵に見出すことは出来ない。おそらくは律において破僧とは何かを定義した一節、『四分律』巻五「破有十八事。法非法律非律。犯不犯若輕若重。有殘無殘麁惡非麁惡。常所行非常所行。制非制説非説。是爲十八。住破僧法者即住此十八事是」(T22, p.595a)を意図したものであろう。

  20. 三明さんみょう

    仏陀が備える三種の智慧。宿命明・天眼明・漏尽明。ここでは仏陀そのものを指していった語であろう。

  21. 三業さんごう

    身業・口業・意業。業は[S]karmaの訳で、行い・行為の意。

  22. 四儀しぎ

    四威儀。行・住・坐・臥からなる、日常における起居動作。

  23. 像法決疑經ぞうほうけつぎきょう

    『像法決疑経』「雖造塔寺供養三寶。而於三寶不生敬重。請僧在寺不與飲食衣服臥具湯藥。返更於中借取乞貳。食噉僧食不畏未來三途之苦。當爾之時一切俗人不問貴賤。專欲於僧中作不饒益侵損惱亂。不欲擁護。如此人輩永墮三途」(T85, p.1337b)。

  24. 俗間ぞくけんを見るに、さかんに此事を行ず

    この『末法灯明記』が最澄真作であるとして、平安初期の当時、『像法決疑経』にて云われるようなことが世間で「盛に此事を行ず」とはとても言いがたい。むしろこれは、平安中後期に、律令制が崩壊し、大寺院が広大な荘園を領有してさらに近隣の領主などと小競り合いを頻繁に生じるようになっていた頃にあったような話であろう。すでにその内容が総じて最澄が書いたものと見がたいが、この一節は具体的に『末法灯明記』が偽書であることを裏付けるものの一つとなる。

  25. 遺教經ゆいぎょうきょう

    完全に孫引きである。『遺教経』と言えば、一般に『仏垂般涅槃略説教誡経』を指すが、それにこのような一節はない。『法苑珠林』巻九十一「又遺教法律云。若出家人乘車馬一日除五百日齋」(T53, p.958a)とあるのを、孫引きしたのであろうが、ここにいう「遺教法律」とは『遺教経』ではなく『遺教三昧法律経』を指したもの。これは諸々の経典目録にその名を残すのみで現存しない。しかし、これを『遺教経』とは普通言わないし、最澄のその他著作にも例を見ない。したがって、これは本書を最澄作として捏造した者がそもそも『遺教経』を読んだことがなく、「遺経法律」を『遺教経』と言うものと勘違いしてそう記したものと見て間違いない。
    『遺教経』は支那における天台の書典のあちこちで繁く引用される経典であるが、そもそも『遺教経』は支那以来全宗派的に重用された経典である。最澄も東大寺戒壇院で具足戒を受けた時、その講経を確実に聞かされており、このような間違いを犯すことはありえない。

  26. 法行經ほうぎょうきょう

    『法行経』とは『比丘応供法行経』を指すのであろうが現存しない。また、日本に請来された経典かも不明。もっとも、これはおそらく『仁王経疏』巻三「是故比丘應供法行經云。若我弟子有受別請者。是人定失一果二果三果四果。不名比丘。是其不得國王地行。不得飲食國王水。有五百大鬼。常遮其前。是比丘七劫不見佛。佛不授手。不得受檀越物。五千大鬼常隨其後。言佛法中大賊」(T33, p.426b)の孫引きであろう。また、ほぼ同様の一節が香象大師法蔵の『梵網経菩薩戒本疏』にある。「若我弟子有受別請者。是人定失一果二果三果四果。不名比丘。是人不得國王地上行。不得飲國王水。有五百大鬼常遮其前。是比丘七劫不見佛。佛不授手。不得受檀越物。五千大鬼常隨其後後言佛法中大賊」(T40, p.647a)。

  27. 別請べっしょう

    施主が僧侶を指名して食事に招待すること。特に指名せず定員を設けて法臈順にする招待は僧次請と言う。そのいずれであれ受けることは律蔵で許されている行為で、釈尊も別請を受けていたことが数々の経典から知られる。しかし、何故か支那にて撰述された偽経、特に『梵網経』ではこれを四十八軽戒のうち第二十八軽戒に挙げて強く制している。理由は「平等ではないから」であるという。この『法行経』なる経の所説はさらに極端である。別請を受けた者は悟りを失い、国王の領地を移動出来ず、その地の飲食も出来ず、長大な時間を輪廻しても仏に出会って教えを受ける事も出来ず、鬼達が罵る、などという。
    別請を受けることは、律蔵やその他の諸経の所説からして印度におけるごく一般的な出家者への供養のあり方の一つであった。これを「破戒」であるとするのは、まったく馬鹿げた話である。律蔵と『梵網経』との所説はしばしばひどく矛盾する点があるが、この件もその一つ。しかしながら、法蔵もその著で同様の引用をしている事から、別請を受ける事は、そもそも『梵網経』がその発端なのであろうけれども、支那において「悪」とされたのは間違いない。これは、インドやインド周辺国での僧のありかたと支那でのありかたで全く異なる特徴的な、というより古代支那人に特殊の思考・価値観に基づくものであった。おそらく、仏教伝来した支那において、在家からの食事の招待に預かれず、それをひどく恨みに思った者が、強い憤りをもってセッセと偽経の中に書き込んでいったのであろう。実に卑しい、浅ましい行為である。

  28. 鹿子母經ろくしもきょう

    『鹿子経』ならあるが『鹿子母経』なる経典は存在しない。これも偽書『末法灯明記』の作者による孫引きであろう。『優婆塞戒経』巻六「是故我於鹿子經中。告鹿子母曰。雖復請佛及五百阿羅漢。猶故不得名請僧福。若能僧中施一似像極惡比丘。猶得無量福德果報」(T24, p.1065a)。また『鹿子経』は経録にその名を留めるのみで現存しない。なによりも『優婆塞戒経』の趣旨は別請を否定したものでは全くない。極めて不適切な引用。

  29. 仁王經にんのうきょう

    『仁王経』巻下「大王。未來世中一切國王太子王子四部弟子。横與佛弟子書記制戒。如白衣法如兵奴法。若我弟子比丘比丘尼。立籍爲官所使。都非我弟子。是兵奴法。立統官攝僧典主僧籍。大小僧統共相攝縛。如獄囚法兵奴之法。當爾之時佛法不久」(T8, p.833c)。

  30. 僧統そうとう

    支那における僧官で、僧尼・寺院を管轄する官職。日本における僧綱に相当。『仁王経』は支那撰述の偽経の疑いのある経であるが、印度に存在しない僧統の如き存在に経が言及している点は、まさしくその疑いを強くさせるもの。

  31. 僧統そうとうを拜する、以て破僧はそうの俗と...

    最澄が上奏した『山家学生式』に関して論争(『顕戒論』)した相手は、まさに日本の僧綱であった。そして最澄はこれを僧綱でなく、支那風に僧統と呼称していた。そこでもし、『山家学生式』が平安中後期に著された偽書であるならば、律令制の崩壊に依って僧綱は依然として存在してもほとんど名誉職となってその価値は無く、したがってここに言及されていることがおかしいという点から、『末法灯明記』を最澄真撰とする学者があった。しかし、そのような見方は、最澄が僧綱を論敵として争ったことは後代の誰でも知る所であり、また僧綱の力と存在意義が平安中期以降はほとんど無くなっていたからこそ、後代の者が僧統の存在意義自体をこうして否定し、長年の溜飲を下げたのであろうと容易く反論し得るものであった。
    また『顕戒論』に拠れば、最澄は僧綱から仏滅後における印度にて破僧を行った大天に比せられていた。最澄はそれに猛反論しているが、その事実をまた後代の天台の門徒が恨んで、むしろ僧綱こそ破僧の存在であると今更ながら言い返したかったのであろう、とも考えられる。したがって、ここに僧統に対する言及があることをもって最澄真撰とする根拠には全くならない。

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