VIVEKA For All Buddhist Studies.
Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

最澄『末法灯明記』

訓読

次に像季の後は、全く是無戒なり。佛、時運を知りて、末俗をすくはんが爲に、名字みょうじの僧を讚して、世の福田と爲す。

又『大集だいじゅう』の五十二に云く、「若し後の末世に、我が法中に於て、鬚髪しゅほつを剃除し、身に袈裟を著する名字の比丘を、若し檀越だんをち有りて、信施供養すれば、無量阿僧祇あそうぎの福を得」と。

又『賢愚經げんぐきょう』に云く、「若し檀越有りて、將末來世、法盡んと欲するに埀なんなんとして、正使たとひ比丘、妻を蓄へ子をはさむも、四人以上の名字みょうじの僧衆、當に敬視すること、舎利弗しゃりほつ大目連だいもくれん等の如くすべし」。

又『大集だいじゅう』に云く、「若し破戒・無戒の身に袈裟を著するを打罵だめするの罪、萬億の佛身ぶっしんの血をいだすに同じ。若し衆生有りて、我が法の爲の故に、鬚髪を剃除し、袈裟を被服せん。たとひ戒を持たずとも、彼等ことごとく已に、涅槃の印の印する所と爲る也。是の人、猶ほ能く諸の人天の爲に、涅槃の道を示す。是の人、便ち已に三寶の中に於て、心に敬信を生じて、一切の九十五種の外道に勝る。其人、かならず能く速に涅槃に入り、一切在家の俗人に勝る。唯在家の忍辱にんにくを得たる人を除く。是の故に、破戒なるも天人、當に供養すべし」。

又『大悲經だいひきょう』に云く、「佛、阿難あなんに告たまはく。後の末世に於て、法滅せんと欲するの時に、當に比丘・比丘尼、我が法中に於て、出家を得已りて、手にの臂を牽きて、共に遊行ゆぎょうし、酒家しゅけ從り酒家に至り、我法中に於て、非梵行を作すこと有る。彼れ等、酒の因縁爲りと雖、此賢劫げんごうに於て、一切皆當に般涅槃はつねはんを得べし。斯の賢劫中に、當に千佛有りて世に興出すべし。我は第四爲り。次後に彌勒みろく、當に我が處を補ふべし。乃至、最後に盧遮るしゃ如來なり。是の如く次第す。汝、當に知るべし、阿難、我が法中に於て、但使たとしょうのみ是沙門にして、沙門の行をけがし、自ら沙門と稱す、形は沙門に似て、當に袈裟を被著する者有るべし。賢劫中に於て、彌勒をはじめと爲し、乃至盧遮如來、彼の諸の沙門、是の如き佛の所にして無餘涅槃むよねはんに於て、次第に涅槃に入ることを得て、遺餘ゆいよ有ること無し。何を以ての故に。是の如き一切の沙門の中に、乃至一たび佛名を稱へ、一たび信を生ずる者は、所作の功德、終に虚設こせつならず。我れ佛智を以て、法界ほうかいを測知するが故に云云」。

維摩經ゆいまぎょう』に云く、「佛の十號じゅうごうの中に、初の三を聞くの福、佛若し廣く説かば、こうを經るも盡きず云云」と。

此れ等の諸經は、皆年代を指して、將末來世の名字の比丘を、世の導師と爲す。若し正法の時の制文を以て、而も末法の世の名字の僧を制せば、敎と機と相乖あひそむき、人と法と合せず。此に由りてりつに云く、「非制を制せば、是の制、三明さんみょうの記する所を斷ず」と。豈罪有らんや。

此上經を引きて配當すること已に訖ぬ。後に敎を擧げて比例すれば、末法は法爾ほうにとして正法毀壊す。三業さんごう無記、四儀しぎ乖くこと有り。

且く『像法決疑經ぞうほうけつぎきょう』に云ふが如し、「若し復人有りて、塔寺を造りて三寶を供養すと雖、而も敬重きょうじゅうを生ぜず。僧を請じて寺にくも、飲食おんじき衣服えぶく湯藥とうやくを供養せず。返て更に乞貸して、僧食そうじきを食噉し、貴賤きせんを問はず一切專、衆僧の中に於て、不饒益ふにょうやくを作し、侵損惱亂せんと欲す。比の如き人の輩、永く三途に墮す」と。今俗間ぞくけんを見るに、さかんに此事を行ず。時運自ら爾なり。人の故に爾るに非ず。檀越旣に檀越のこころざし無し。誰か僧に僧の行無きことを誹ることを得んや。

又『遺敎經ゆいぎょうきょう』に云く、「一日車馬に乗すれば、五百日の齊を除く」と。當代行者の罪、何ぞ持齊の德を呈せんや。

又『法行經ほうぎょうきょう』に云く、「我が弟子、若し別請べっしょうを受くは、國王の地上に行くことを得ざれ。國王の地水を飲むことを得ざれ。五百の大鬼、常に其の前に遮り、五千の大鬼、常に從ひ罵りて佛法の大賊なりと言はん」と。

鹿子母經ろくしもきょう』に云く、「五百の羅漢を別請せんは、猶ほ福田と名くることを得ず。若し一の似像の惡比丘に施せば、無量の福を得ん」と。當代の道人、已に別請を好めり。何の處に福を植えんや。持戒の人、豈之の如くならんやと。旣に王の地上を踐まず、亦王の地水を飲むことを許さず、五千の大鬼、當に大賊なりと罵むべし。嗟乎ああ、持戒の僧衆、何ぞ其れに於てあやまちを改めんや。

又『仁王經にんのうきょう』に云く、「若し我弟子、官の爲に使は所れんは、すべて我が弟子に非ず。大小の僧統そうとうを立てて、共に相攝縛しょうばくせん。爾の時に當りて、佛法滅沒す。是を佛法を破し、國を破する因縁と爲す云云」と。『仁王』等を推するに、僧統そうとうを拜する、以て破僧はそうの俗と爲す。彼の『大集』等には、無戒を稱して、以て濟世の寶と爲す。豈破國のいなごを留め、かえって保家の寶をてんや。

須く二類を分たず、共に一味をさんして、僧尼跡を絶たず、鳴鐘めいしょう時を失せざるべし。然れば乃ち末法の敎、國をたもた令むるの道にかなはん。

現代語訳

次に、像季の後は、まったく無戒でなる。仏は時運を知られ、末法の俗世間を救うために、(末法の世における)形ばかり名ばかりの僧侶を賞賛され、世の福田とされた。

また『大集経』の巻五十二に、「もし後の末世において、我が法の中に於いて、鬚と髪を剃り、身に袈裟をまとうだけの名字の比丘を、もし檀越だんおつ〈施主〉あって信施するなど供養すれば、無量阿僧祇あそうぎ〈計り知れないほど膨大な数量〉の福を得るであろう」と説かれる。

また『賢愚経』には、「もし檀越あって、来るべき末世に法がまさに滅びようとしている際は、たとえ比丘が妻をめとって子をもうけていたとしても、四人以上の名字の僧衆〈似非僧伽〉を、まさに尊敬して恭しく思うこと、舎利弗しゃりほつ〈Śāriputra〉大目連だいもくれん〈Mahāmaudgalyāyana〉などのようにせよ」と説かれる。

また『大集経』には、「もし破戒・無戒の身でありながら袈裟をまとう者〈名字の比丘〉を打ち罵る罪は、万億の仏陀の身体を傷つけ流血させる〈五逆罪の一つ〉のに等しい。もし衆生あって、我が法のために鬚と髪を剃り、袈裟を身にまとう者。(その者が)たとえ戒を持つことがなくとも、彼らは悉く、すでに涅槃を象徴して顕現するものである。その人はさらに諸々の人や天のため、涅槃に至る道を示すのだ。その人はすなわち、すでに三宝の中に於いて、心に敬信を生じ、一切の九十五種の外道〈仏教外の思想・宗教〉に勝る。その人は必ず速やかに涅槃に入り、一切の在家の俗人に勝るのだ。ただし、在家信者で忍辱にんにく〈耐え忍ぶこと.特に怒りを制すること〉の徳を得た人には及びはしない。このようなことから、破戒(の比丘)であっても、天や人はまさに供養すべきである」と説かれる。

また『大悲経』には、「仏が阿難に告げたまわれた、『後の末世に於いて法が滅びようとしている時、まさに比丘・比丘尼は、我が法の中に於いて出家しながらも、手に子供の腕をとって、共に経巡り歩き、酒家しゅけ〈飲み屋〉から酒家へと渡り歩き、我が法の中に於いて非梵行〈破戒行為〉をなすことがあろう。(しかしながら、)彼らに酒の因縁〈不飲酒戒を破った罪過〉があったとしても、この賢劫げんごう〈現在の宇宙の名称〉において、一切皆がまさに般涅槃はつねはんを得るであろう。この賢劫に於いては、まさに千仏あって世に出現する。私〈釈迦牟尼〉はその第四である。次は弥勒〈Maitreya〉が、まさに我が処〈仏陀としての位置〉を補うであろう。乃至、最後は盧遮るしゃ〈Vairocana. 毘盧遮那〉如来である。そのように(賢劫における仏陀の出現は)次第する。汝、阿難よ、このように知れ、我が法の中に於いて、たとえその しょう が沙門〈具足戒を受けて比丘性を獲得した者〉でありながら、沙門の行を汚して〈破戒によって比丘性を失うこと〉なお自ら沙門と称し、形は沙門のように袈裟をまとう者があるだろう。賢劫の中に於ける弥勒をはじめとする、乃至、廬遮那如来(の出現する世)では、その諸々の沙門は、それら仏の無餘涅槃むよねはん〈入滅.般涅槃〉に於いて、次第に涅槃に入ることを得て(一人として)余すことはない。なんとなれば、そのような一切の沙門において、乃至、一度でも仏名を称え、一度でも信を生じた者まらな、その作したところの功徳は、遂に虚しいものとならないためである。(このように言うのは)私が仏陀としての智慧により、法界ほうかいを知り抜いてのことである』」と説かれる。

『維摩経』には、「仏の十号〈如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏世尊〉の中で、初めの三つを聞くことの功徳を、仏がもし詳細に説かれたとしたら、こう〈Kalpa. 長大な宇宙的時間〉を経ても語り尽くせないであろう」と説かれる。

これらの諸経では、すべて年代を特定して、来るべき末世における名字の比丘を、世の導師としている。もし正法の時の制文をもって末法の世の名字の僧を制したならば、教と時機とがそぐわず、人と法とが噛み合わない。このようなことから、律に、「(仏が)制されなかったことを(後代の比丘らが)制すれば、その制は三明〈三種の智慧、ここでは仏陀の意〉が説かれたことを断絶する」と説かれている。(時機に応じて異なる、仏が説かれたその制を適応すること、)それがどうして罪であろうか。

以上、経を引いて(像・末法の時の)論拠としてきた。後は教と挙げて比例〈照合〉してみれば、末法は法爾〈自然、必然〉として正法が毀損する。三業は善悪どちらでもなくなり、四威儀は乱れるのだ。

たとえば『像法決疑経』に説かれている通りである。「もし人あって、塔やや寺を造り三宝を供養したとしても、しかしその心に敬意はない。僧を招いて寺に住まわせても、飲食・衣服・湯薬を供養することはない。むしろ逆に(僧に)せがんで、僧食〈僧伽の食事〉をむさぼり喰らい、出自の貴賤を問わずあらゆる者が、専ら衆僧の中に於いて不利益な行為をなし、侵害して秩序を乱そうとする。そのような人の輩は、永く三途〈地獄・餓鬼・畜生〉に堕ちるであろう」と。今、世俗社会を見てみたならば、さかんにそのような事が行われている。時勢がまさにその通りであって、人(の過失)によってそうなっているのではない。檀越がすでに檀越としての志など無いのだ。誰が僧に僧としての行が欠落していることを謗ることが出来ようか。

また『遺教経』には、「(比丘が)一日として車や馬に乗ったならば、五百日の斎食を除く」と説かれる。当代の行者が罪深くある中、どのようにして持斎の徳など表すことが出来ようか。(出来るわけが無いのだ。)

また『法行経』には、「我が弟子で、もし別請〈信者から指名されての食事の招待〉を受けた者は、国王の領地を移動してはならない。国王の領地の水を飲んではならない。五百の大鬼が常にその行く手を遮り、五千の大鬼は常に後ろにあって『仏法の大賊である』と罵るであろう」と説かれる。

『鹿子母経』には、「五百の阿羅漢を別請することは、それを福田と言うことは出来ないが、もし一人の似像の悪比丘〈名字・無戒の比丘〉に食事を施したならば、計り知れない福を得る」と説かれる。当代の道人〈出家者〉は、すでに別請を好んでいる。(それで)一体どこに福を植えようというのか。持戒の比丘が、どうしてそのようで有り得ようか。すでに王の地を踏めず、また国王の地の水を飲むことも許されず、五千の大鬼からまさに「大賊だ」と罵られるであろう。嗟乎ああ、(別請を望む過失ある)持戒の僧衆は、どうしてそれ〈『鹿子母経』〉に於いてあやまちを改めないのか。

また『仁王経』には、「もし我が弟子で、官によって使役される者は、すべて我が弟子ではない。(国家が)大小の僧統そうとう〈支那の僧を監督する国家機関.日本の僧綱に同じ〉を設立し、共に(僧伽を)管理・監督する、という時が来れば、仏法は滅亡する。それを仏法を滅ぼし、国を滅ぼす因縁という」と説かれる。『仁王経』等から推察すると、僧統を拝することは破僧はそうの俗である。あの『大集経』等には、無戒(の比丘)を名付けて「世を救う宝」としているのだ。どうして国を滅ぼす いなご を保護し、むしろ家を守る宝を捨てるというのか。

すべからく(僧をして持戒・破戒などと)二類に分かたず、たがいに(仏法という)一味を食して、僧・尼の伝統を滅ぼさせず、(僧院の時を告げる)鐘の音を絶やしてはならない。そのようなことからすなわち、末法の教は、国を存続させていく道に叶うものとなるであろう。

現代語訳 貧道覺應