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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

慈雲 『数息観大要』

原文

庚申春こうしんのはる右京阿彌陀寺爲衆示安那般那觀法あんなぱんなかんぼう。時淨智請其要。此是應其需

大聖世尊二甘露門を開て四部しぶの弟子を攝取す。一には不淨觀門。二には數息觀門なり。若し偏に貪欲の患を除くには不淨觀を要とす。汎爾に一切煩惱を制伏するには數息觀を作すべし。數息に十六特勝じゅうろくとくしょうの功德あり。初に心を静かに打坐し。或は半跏はんか。或は全跏ぜんか坐相齋整ざそうさいせいなるべし。退分たいぶん住分じゅうぶん昇進分しょうしんぶん決擇分けっちゃくぶんを知るべし 初にかずを起す。一より十に至る。中間餘念あるを退分とす。慚愧し懺悔して更に精進すべし。一より十に至るまで餘念起らず。いつも坐中安穩なるを住分とし。住し竟れば更に昇進を起す。二をかぞへて一とし。三を數へて一とし。乃至四五を一とするに至れば此坐の安樂なるを知る。更に七八九十を一息とするに至るべし。能く能く安坐なる。是れ漸次の住分なるなり。

より已住は。數を捨て隨息ずいそくを修すべし。出るに出るを知る。入るに入るを知る。長短麁細遠近悉く知る。是れ昇進分なり。此昇進分。安穏に坐と相應すれば住分に至るべし。住し竟て其處に住せず。更に昇進を起す。此中に得生ず。見得けんとく觸得そくとくなり。觸得は輕觸。重觸。煗觸。冷觸。たまし息道より起て總身に徧滿す。此樂ありて定力任持の功あり。手足百骸皆定と相應す。見得は白色を本とす。靑黄赤等。息道より起て總身に徧滿す。乃至一弓いっきゅう二弓倶廬舎くろしゃ由旬ゆじゅん。昇進分に至ては一世界を見ると云ふ。決擇分に至ては此に死し彼に生ずる。皆自在じざいを得と云り

數息の法。年月修習して餘念生ぜざれば。隨息に至る。其長自ら知る。其短自ら知る。其麁自ら知る。其細自ら知る。煗息冷息も亦自ら知る。是より見得若は觸得に至る。此得增長して總身に徧じ。其樂を覺し其靜法生ず。若し内外相應して。息光一肘いっちゅう二肘四肘一倶廬舎由旬に至るべし。乃至法界ほうかいにも徧ずと云り。此内外相融ずれば。現今一刹那いっせつな。過去際に入り未來際に入る久遠成道くおんじょうどうの如來をも見得し觸得すと云り 以上略記

現代語訳

(寛政十二年)庚申〈1800〉の春、右京の阿彌陀寺にあって衆人の為に安那般那念〈ānāpāna sati〉の法を示した。その時、浄智がその要を書とすることを求めてきた。これはその求めに応じたものである。

大聖世尊〈釋尊〉は二つの甘露門〈解脱に至る門〉を開いて四部〈出家・在家の男女〉の弟子を開導された。一つは不浄観門、二つには数息観門である。もし特に貪欲〈性欲〉の患いを除くには不浄観を要とする。総じて一切煩悩を制伏するには数息観を修すのが良い。数息には十六特勝〈安那般那念の十六段階であり、四念処の具体〉の功徳がある。初めには心を静かにして打ち坐り、あるいは半跏坐、あるいは結跏趺坐して、坐相斎整〈姿勢を瑜伽を修めるのに正すこと〉としなければならない。(そこで)「退分」・「住分」・「昇進分」・「決択分」を知るが良い。初めに(吸う息・吐く息を数える)数を起こす。一から十に至る(まで数えることを繰り返す)。その中間に(数えることから意識が離れ)余念が起こるのを「退分」という。慚愧し懺悔してさらに精進せよ。(呼吸を数えて)一より十に至るまで余念が起こらず、いつも坐する中に安穏であることを「住分」とする。(この状態に安定して)留まり得るようになって、さらに精進する。二を数えて一とし、三を数えて一とし、乃至四・五を一とするようになれば、この坐の安楽であることを知る。更に七、八、九、十を一息とするまでに至るであろう。さらによくよく安坐となる。これが漸次の「住分」である。

これより已住〈住分において習熟するようになった者〉は、数えることを止め、随息を修めよ。(息が)出ているならば(そのように)出ていることを知る。(息が)入っているときは(そのように)入っていることを知る。(その息の)長短、粗細、遠近など(いかなる息を我が身がなしているかを)悉く知るのだ。これが「昇進分」である。この昇進分にて、安穏に坐と相応するようになったならば、(またその)「住分」に至るであろう。すでに住に習熟したならば、その境地に留まらず、更に昇進を起こす。この課程において得が生じるであろう。見得もしくは触得である。触得とは、軽触・重触・暖触・冷触である。気が息道より起こって総身に遍満する。この楽が生じてのち、定力を保つことの功がある。(我が身の)手足百骸、すべて定と相応する。見得は白色を本とする。青・黄・赤など、息道より起こって全身に遍満する。乃至、一弓、二弓、倶盧舎、由旬(に遍満し)、「昇進分」に至っては一世界を見るともいう。「決択分」に至ったならば、ここに死し彼に生じるなど、すべて自在を得ると言われる。

数息の法は、年月修習して余念が生じぬようになったならば、随息に至る。(我が身がなしている息の)その長きをありのままに知る。その短きをありのままに知る。その粗きをありのままに知る。その細をありのままに知る。暖息・冷息もまたありのままに知る。(瑜伽行者は)これより見得、もしくは触得に至る。此の得を増長して全身に遍し、その楽を覚したならば、静法が生じる。もし内外相応したならば、息光一肘、二肘、四肘、一倶盧舎、由旬に至るであろう。乃至、法界にまで遍ずると言われる。この内外相融すれば、現今の一刹那において、過去際に入り未来際にも入る、久遠成道の如來をも見得し、触得すると言われのだ。以上略記

脚註

  1. 庚申春こうしんのはる

    かのえさるの年、寛政十二年〈1800〉。尊者齢八十三、法臘六十の時。この年の春であるから、『金剛般若経』を講じられた頃のことであろう。

  2. 安那般那觀法あんなぱんなかんぼう

    安那般那念。安般念とも。[S].Ānāpāna smṛti / [P].Ānāpāna satiのĀnāpānaを安那般那と音写し、smṛti(sati)を念と漢訳した語。持息念と漢訳される。数息観は安那般那念のあくまで前行、その予備の行であるが、しばしば安那般那念と混同され理解される。

  3. 四部しぶ

    比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷。もって仏教徒すべてを指した語。より審には七衆といい、四部に沙弥・沙弥尼・式叉摩那の出家を加える。

  4. 十六特勝じゅうろくとくしょう

    四念処(四念住)の具体としての安那般那念を十六段階に分けたもの。『成実論』にて詳説される。解脱に至る特に勝れた十六段階の術であることから十六特勝という。

  5. 半跏はんか

    半跏坐。胡座の状態から右足を左太腿の上に載せて組む坐法。この際、下に敷いた左足の踵が会陰(性器と肛門の間)に触れるほどに尻の側に引き込み、左右の膝が地に着くようすることが肝要。多くの者は、左脚の位置を中途半端なところに据えるために、右足が浮き、体がよじれて正しく坐し得ていない。また、無理に左脚上に載せた右足裏もしくは側面を左股関節に引きつけようとすると右膝が浮き上がり、結果やはり体がねじれて長く座るに至るまでに股関節ならびに背中に痛みが早く出だす。その痛みによって坐することついに頓挫するであろう。

  6. 全跏ぜんか

    結跏趺坐。まず半跏坐を組み、ついで組み敷いているところの左脚を右太腿の上に引き上げ、右足踵を右の股関節の付け根程につける坐法。坐法として最も正統とされる。

  7. 坐相齋整ざそうさいせい

    坐禅中の姿勢は正しく直ぐ安定させること。例えば明恵上人も同じく、「禅定を修するに三の大毒あり。是を除かざれば、只身心を労して年を経るとも成就し難し」とされ、その三とは「一に睡眠、二には雑念、三には坐相不正也」と説いたとされている(『栂尾明恵上人伝記』巻下)。

  8. 退分たいぶん住分じゅうぶん昇進分しょうしんぶん決擇分けっちゃくぶん

    諸々の阿毘達磨典籍に説かれる、八等至すなわち四禅八定それぞれの三摩地。これに味定・浄定・無漏定とある中、特に浄定について四つに分かったもの。四浄定と総称する。たとえば『倶舎論』ではこれを順退分・順住分・順勝進分・順決択分と言い、『成実論』では退分・住分・増分・達分と言う。
    退分(順退分)とは、煩悩(味定)に順じてその段階における三摩地を確立しえずに退せんとする状態。本文中の意味では坐する中に余念の起こる状態。住分(順住分)とは、その段階における三摩地を確立して進みもせず退きもせず安住している状態。昇進分(順勝進分)とは、安住していた三昧から進んでさらに上の三摩地に昇らんとする状態。決択分(順決択分)は、無漏(煩悩のないこと)に順じる状態、あるいは以前より上の三摩地(順住分)に順った状態。
    声聞乗の諸論書によれば、基本的にこれらは四禅以上の三摩地の、しかも浄定についてのみ言われるものであって、それ以前のただの三摩地や修習法の一一について言われるものではない。しかし、尊者はこれを安般念の数息と随息について応用し説かれているが、若干不明瞭。あるいは、尊者は数息の段階において行者が禅を得ることを前提として、これを説かれているか。実際、尊者は最後に見得ならびに神通について触れているが、神通は四禅において獲得されるもののため、未至定から初禅に至る過程を説かれているものと見て良いように思う。

  9. かずを起す

    呼吸の吸う息を一つ、吐く息を一つとして、一から十まで数えるのを反復すること。しかしながら、慈雲がここで言うのを、そのような一般的な数息観の方法と見ることには少々問題がある。のちの文脈をたどると、尊者はここでそのような「呼吸を数える」という、一般的な数息観を説いていないように思われるためである。すなわち、尊者は「数を数えながら息をする」という意味で言っている可能性がある。今は一応、一般的な意味でこれを言ったものとして現代語訳に記したが、しかし尊者の意図したものとは異なっている可能性がある。

  10. 二をかぞへて一とし

    前註の「数を起こす」から連なる問題であるが、これはそのまま読めば、後に続く「七八九十を一息とする」とあることからも、「二つ数えている間に一つ息をする」ことを言っているものとなる。ならばそれは、呼吸を数えるのではなく、呼吸の長さを数えるものとなって、いわゆる数息観ではない。また、吸う息吐く息を一つと数えよ、と言っているならば、それは『安般守意経』が両悪といい『修行道地経』が二瑕穢とし『達磨多羅禅経』が「修行退」と説く明らかな安般念における過失となり、慈雲の説は安般念として誤りとなる。慈雲は特に『達磨多羅禅経』の所説らしきものを本書で用いており、『達磨多羅禅経』は安般念を修行する上での用心を懇切に説いているのであるから、そう説くはずがないように思われるがどうであろうか。尊者がもしそのような息の長さを数えるという意味で言っているとすれば、それはもはや数息観でもなんでもない、尊者の独自説であってしかも誤りである。
    あるいは、最初は一から十まで息を数えることはせず、ただ一から二まで、すなわち「(吸う息)一つ、(吐く息)二つ」と息を数える。そして次に、一から三、一から四と、その最大数を漸く増していって、終には十まで余念を起こさず、吸う息・吐く息を数えることを反復するという意味で言っている可能性もあろう。そのような意味であれば、数息観として問題ないものとなるが、訳者の果て無き無能によって、ここでの慈雲の真意は計りかねる。
    参考までに、これと似たような方法を、今は亡きビルマの大徳、Mingun Sayadawが衆に示していたことを、我が師Pandita長老より聞いた。すなわち、初めは一から十まで数えることはせず、一から五まで数え、次に一から六、一から七と漸次十まで増やし、一から十まで数え終われば、また一から五と数える術である。一から五を始めとするのは『清浄道論』でBuddhaghosaが五以下を最大数として数えることを禁じ、最大数は五から十までとしていることに基づく。
    呼吸のみを意識の対象とし集中しているうち呼吸は漸く細く長く、自ずからかすかとなっていく。いや、集中した意識のもとでは、その長短はあるとして、時として呼吸は止まる。呼吸は、自身の意識の状態を知る一つの指標となる。

  11. 隨息ずいそく

    安般念には、例えば『安般守意経』には数・相随・止・観の四事が、あるいは『倶舎論』などに數・隨・止・觀・轉・淨の六因があると説かれる。その内の相随(随)を云うものであろう。相随とは、自らがなしているところの息を、その状態のままに覚知すること。本文中、「出ツるに出ツるを知る。入るに入るを知る。長短麁細遠近悉く知る」とあるのは、そのことを意味する。これはそもそも『雑阿含経』の所説を本としたもの。

  12. 見得けんとく

    修定中に見る、と言っても実際は眼を半眼にしているため、あるいは定が深まるにつれ視覚が働かなくなるので眼で見るというのと異なりいわば「感じる」(と言うしかない)のであるが、その光のこと。この現象は、止の対象としている事象に伴って現れる。例えば仏陀の姿を対象とした場合、すなわち観仏(念仏)において観想するところの仏菩薩の姿が眼を閉じてもありありと現前するまで修習したとき、やがてその心像としての仏・菩薩の姿が光輝き出す。そこで見られる光の色は様々で、時に赤や黄、まれに青をみることもあるが、尊者のいうようにはっきりとした、そして強烈な無色透明の、それは白と言えたものであるが、光となる。
    まず、安般念に見と触との二種があるとの説を説く漢訳仏典は『達磨多羅禅経』である。しかし不浄観については言われるが、安般念に関しては色(光)については全く説かれない。三摩地(特に観仏)において光を見る、ということに触れている仏典は、例えば『五門禅経要用法』。
    また、これについてさらに参考になるものとして分別説部の修道法から。瑜伽中(特にsamathaの修習中)、集中する対象に伴って現れる光をnimitta(相)と言って、Appanā-samadhi(安止定。有部の言う根本禅)を得る前段階たるUpācara-samādhi(近分定)において、初めはぼんやりと、そして漸くはっきりと得られるものとされる。チベット仏教においてもまた、瑜伽を修習中に見る光云々についてあれこれと説く伝統があるという。
    平安時代初期、弘法大師空海が唐に渡る以前、山林修行者であった頃、土佐は室戸岬の岩窟において虚空蔵求聞持法を修していたある暁、「口に明星来影す」と全く簡単ながら何事か光を修習中に経験したことが、その著『三教指帰』から知られる。
    瑜伽の修習中における「光」について、それは結局幻想に過ぎないのであるが、しかし単にそれを幻想と一言で片付けるのより、瑜伽を深めるための一つの指標としたほうが良い。それは古来、好相として捉えられてきたこともある。ただし、それは決して高い境地でこそ得られる崇高なるモノ、悉地を得た証などではなく、あくまで誰でも瑜伽を深める過程で経験せられる一現象である。故に、それは好相ではあっても、決して囚われてはならない。古来、キリスト教の修道僧などが深い祈りの中で、それは一種の瞑想と言えるのであるが、彼らが経験した神の光とは、この光のことであろうと思われる。彼らはそれを、確かに現に感じられるものだし、しかも全く強烈な経験であるから気持ちはわからなくもないが、「神に触れた」「神の御光に照らされた」などと勘違いし、今も勘違いしているのであろう。キリスト教などにおいては、仏教ほどの瞑想に対する理解や教義・修道体系が全く無いため、そのような誤解をしやすいものと見える。

  13. 觸得そくとく

    未詳。
    尊者の典拠としているものが何か未だ不明の為、あくまで推測に過ぎないが、瑜伽が深まっていく過程で経験する身体的な楽のことであろうか。十六特勝でいうところの「覚楽」を意図しているか。あるいは特に、初禅を得たときに得られる楽のことか。ならばそれは、説一切有部の阿毘達磨説に従ってこれを言うならば軽安の楽。経量部のそれから言うならば受蘊の楽。あるいは、安般念など瑜伽修習者が行を深め、ついに初禅に達したときには必ず思考を伴った喜・楽が生じるとされるが、それを言ったものか。

  14. 一弓いっきゅう

    古代インドにおける長さの単位の一つ。[S].dhanuの訳で約180cm。 一説には、四肘で一弓となり、五百弓で一倶廬舎、八倶廬舎で一由旬となるとされる(各単位については後述)。
    日本では弓の的までの距離をいうもので、六尺。あるいは土地を測量する際に用いる単位で、その場合は八尺。

  15. 倶廬舎くろしゃ

    古代インドにおける長さの単位の一つ。[S].krośaの音写。一倶廬舎が五百弓とした場合、一倶廬舎は約900m。

  16. 由旬ゆじゅん

    古代インドにおける長さの単位の一つ。[S].yojanaの音写。八倶廬舎で一由旬となるという。一倶廬舎を約900mとする説に従うと、一由旬は約7.2km。
    yojanaは車と牛とをつなぐ「牛の軛」に由来する語であり、二頭の牡牛が車いっぱいに積んだ荷を一日で運ぶことが出来る距離などと譬えられる。また、帝王の軍隊が一日に行軍する距離とも言われる。
    支那では四十里(古代支那の一里は約405m)すなわちおよそ16.2kmとされるが、また三十里もしくは六十里などと諸説ある。現代でも文献学者等によって諸説乱立しており、例えばこれを7mile(11.2km)もしくは9mile(14.4km)ではないかする説がある。古代インドにおいて、現代のメートル法などとはまったく異なって、言葉として同一の単位が用いられていたとしてもその内容は土地あるいは宗教などによって異なっていた、というのが実際のところであろう。またそのために後代の我々にとってインドのそれら古代単位の内容を正確に知ることを困難としている。

  17. 自在じざい

    神通力を意味するか。文脈からすると、特に天眼通ならびに宿命通のことか。

  18. 一肘いっちゅう

    指を伸ばし肘を曲げたときの、肘から中指の先までの長さ。[S].hastaの訳。およそ45cm。
    支那・日本ではこれを延肘とし、指を折り曲げて拳となし肘から拳先までの長さを拳肘として使い分けることがある。

  19. 法界ほうかい

    広義では全世界。また狭義では、人の認識可能な対象すべて。釈尊が弟子からの「一切とは何か?」と問われたとき、「一切とは五蘊十二処である」と答えられ、そのうち意識の対象を法界とされたことによる。

  20. 現今一刹那いっせつな。過去際に入り未來際に入る

    禅那に達したときに獲得される、宿命通など神通力を意味しているのであろう。

  21. 久遠成道くおんじょうどうの如來

    久遠実成の仏。インドに誕生され、出家・降魔成道・涅槃された釈迦如来が世間に初めて様々に教えを説かれたものが今我々が触れている仏教でなく、実ははるか彼方の昔に釈迦如来は悟りを開き、衆生を教化・教導し続けているのであって、その本体としての時空を超えた真理の現れが釈迦如来であり、その種々の教えである、という『法華経』の説。

慈雲尊者について

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