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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

『無畏三蔵禅要』

『無畏三蔵禅要』解題

禅門との対論

無畏三蔵禅要むいさんぞうぜんよう』(以下、『禅要』)とは、『大日経』系の密教の正統を支那に伝えた最初の人とされる印度僧Subhāgaraスバーガラ輸波迦羅しゅばがら)、すなわち善無畏ぜんむいが、支那の北宗禅の祖とされる嵩岳会善寺の敬賢きょうけんと対論した際に教授した内容を、長安は終南山西明寺の慧警えきょうなる人が筆記したものです。

もっとも、本書は後代、何者か(あるいは一行いちぎょう、あるいは慧琳えりん)によって再補されたものです。すなわち、それが具体的にいつのことであるかも未詳ではありますが、その口説者は善無畏ではあるものの、時代を経て二度に渡り支那僧による編集を経ていることが本書自体に記されていることから、その内容が当初のまま伝えられたものではありません。

なお、善無畏の名についてここで補足しておきます。善無畏は輸波迦羅しゅばがらという名で称されていたものの、その梵名は正しくは戍婆掲羅僧訶じゅばけいらそうか、すなわちŚubhakarasiṃhaシュバカラシンハであるとされていました。

三藏沙門輸婆迦羅者。具足梵音。應云戍婆 誐羅僧賀。唐音正翻云。淨師子。以義譯之。名 善無畏。中印度摩伽陀國人。住王舍城那爛陀寺。本刹利種姓。
三蔵沙門輸波迦羅しゅばがらは、梵音で具さには戍婆誐羅僧賀〈Śubhakarasiṃha〉と言う。唐音でこれを正しく翻じたならば「淨師子」である。そこでこれを意訳すると「善無畏ぜんむい」という。中印度は摩伽陀まがだ〈Magadha〉の人である。王舍城〈Rājagṛha〉那爛陀ならんだ〈Nālandā vihāra〉に住していた。本は刹利せつり〈Kṣatriya〉の種姓である。

李華『玄宗朝翻經三藏善無畏贈鴻臚卿行状』(T50, p.290a)

しかしながら、仮にその梵語がŚubhakarasiṃhaシュバカラシンハであったとして、śubhakaraシュバカラは「吉祥な」・「幸運な」で、siṃhaシンハは「英雄」・「ライオン」・「権力者」の意であり、どうやっても善無畏と訳すことは出来ません。淨師子(浄獅子)とするにしても、śubhakaraを浄とすることも不適のように思われます。けれども今上に示したように、伝統的には輸波迦羅しゅばがらはŚubhakaraの音写であり、Śubhakarasiṃhaがその正しい梵名であるとされてきました。そしてこれを善無畏とするのは、師子には恐れるものなど無いことによる意訳である、と善無畏より後代の支那の人によって解されています(輸婆迦羅の漢訳名が善無畏とされていたのはその生存時からのこと)。

ところが、20世紀末の1981年、ベルギーのDr. Charlesチャールズ Willemenウィレメンにより、輸婆迦羅とはサンスクリットでなくマガダ語のsubhāgalaスバーガラの音写であり、そのサンスクリット語形はsvabhayakaraスヴァバヤカラであると論証されています。これをごく単純に解してしまうとsva(自ら)+bhayakara(危険な・恐ろしい)の意となってしまいますが、su(善)+abhaya(畏れ無い)+kara(作)と分別することにより、まさに善無畏と訳すことが出来ます。ウィレメンによって長年支那でなされてきた誤解が解かれ、その名の真を顕したのでした。善無畏の名は、Śubhakarasiṃhaでなく、[M].Subhāgala([S].Svabhayakara)です。

さて、本書は一般に『禅要』あるいは『無畏禅要』などと通称されるものですが、本書に触れたことの無い者にはただ修禅について説かれた書であるとしばしば誤解されています。しかしながら、その末尾に『無畏三蔵受戒懺悔文及禅門要法』と銘打たれているように、まず授戒作法が説かれ、併せて修禅の意得が説かれたものです。まず持戒して正しく誓願を起こし、そうしてこそ初めて修禅が正しくなされてついに智慧の獲得があることを示した、仏教の三学に則った教示です。

本書にて説かれる戒は、三聚浄戒および無漏清浄法戒(真法戒)です。まず三聚浄戒を授けてその戒相とする十重戒を逐一示し、その後、(『大日経』ではなく)『金剛頂経』に依拠した瑜伽法を教授する以前に、密教行者に必須のものとして、清浄法戒を重ねて授ける流れとなっています。

本書にて説かれる三聚浄戒の受戒次第は、『菩薩善戒経』や『菩薩地持経』、『瑜伽師地論』所説のものとは異なり、何を根拠としたものか必ずしも判然としたものでありません。そして、戒相とされる十重戒は、支那において流行しよく用いられた『梵網経』や『菩薩瓔珞本業経』にある十波羅提木叉(十波羅夷不可悔法)、いわゆる十重禁戒とも異なり、また『大日経』などに説かれる十善戒とも異なった独自のものです。

(『禅要』は戒相として十重戒を示す前に、戒行として布施・愛語・利行・同時の四摂法を説いています。)

『禅要』説 三聚浄戒 戒相
No. 十重戒
1. 不應退菩提心。 菩提心を後退させてはならない。
2. 不應捨三寶歸依外道。 三宝への信を捨て、外道に帰依してはならない。
3. 不應毀謗三寶及三乗敎典。 菩薩乗・縁覚乗・声聞乗の三乗の教典を謗り、非難してはならない。
4. 於甚深大乗經典不通解處。
不應生疑惑。
甚深なる大乗経典において、己が理解できない点について疑いを生じてはならない。
5. 若有衆生巳發菩提心者。
不應説如是法令退菩提心趣向二乗。
すでに菩提心を発している者には、如是の法を説いてはならない。
6. 未發菩提心者。
亦不應説如是法令彼發於二乗之心。
いまだ菩提心を発していない者にも、、如是の法を説いてはならない。
7. 對小乗人及邪見人前。
不應輒説深妙大乗。
小乗および邪見の人に対し、安易に深妙なる大乗を説いてはならない。
8. 不應發起諸邪見等法。 (常見・断見など)諸々の邪見を起こしてはならない。
9. 於外道前。不應自説我具無上菩提妙戒。 外道に対し、自ら「私は無上菩提の妙戒を受持している」などと言ってはならない。
10. 但於一切衆生。有所損害及無利益。
皆不應作及敎人作見作隨喜。
生けるものを損害し、あるいは何ら利益ない行為を、自ら行ってはならない。また他者に行わせ、あるいはそれを行っているのを見て喜んではならない。

これら十重戒を三聚浄戒の戒相として示した後、善無畏は密教の修習を示す前に無漏清浄法戒を受けるべきであるとします。それが日本でいわれるところの三昧耶戒です。清浄法戒は四種の極短い陀羅尼と共に説かれ(続けて行者における種々の障礙を取り除くための二種の陀羅尼が説かれ、いずれか一方を誦すこと一洛叉〈十万回〉に及ぶまでが推奨されて)いますが、その意味内容は示されません。

日本に初めて密教の正統を伝えた空海ですが、日本に初めて本書を伝えたのも空海です。空海は『禅要』および不空訳とされる『受菩提心戒儀』、そして『大日経』・『大日経疏』など密教における戒にまつわる諸典籍の所説を統合し、三昧耶戒という言葉、その概念を造ってそれに基づいた儀礼が創始されています。ただし、本書で十重戒は三聚浄戒の戒相として説かれているのが、空海はそれを三昧耶戒の戒相として説いている点、必ずしも本書に順じていません。そしてそのような三昧耶戒の構成は、真言宗ばかりでなく天台宗にも大凡共有されています。

なお、空海の後、特に密教を学ぶため入唐した円仁や宗叡などもまたそれぞれ本書を持ち帰って伝えています。それは当時の唐にて本書が重んじられよく用いられていたことの証しであり、また彼ら入唐僧らも重要であると見なしたがためのことであったでしょう。今も日本密教における三昧耶戒を理解するのに、本書はまず最初に触れるべき最も重要な典籍となっています。

本書はそのような授戒作法を述べた後、ごく簡略ながらも重要で有益な修禅の法を教示しています。就中、調気や一般に月輪観と称される瑜伽法、そして印度由来であろう経行の法が注目すべきものです。また、瑜伽行者が陥りやすい見解や態度について勅め、その肝要なる心構えを述べていることは、まさに「禅要」と称するに相応しいものです。そのような、ところどころで善無畏のものとして示される短いながらも重い言葉の数々は、三蔵が真に修定を深め、仏教を深く体得していたであろうことを察するに充分なものです。

『禅要』は禅門の人と対論した際に教授したものとされていますが、実際本書は特に密教徒に限らず、瑜伽を修習する人が触れて利益すこぶる大きい書であることは間違いありません。

『禅要』における留意点

『禅要』には、それが元は印度僧善無畏の口舌を筆記したものだとしても、その内容には支那僧によって加上、編集されたものであると思しき点がいくつか見られます。

特に善無畏が説いたものと特に見難いのは、授戒作法を十一門に分かって示す中、その第六に「問遮難門」が設けられ、またそこで七逆罪を犯した者に懴悔を要求し、さらにそれを「好相」を見るまで行えとしている点です。

 第六 問遮難門
先づ問ふに、若し七逆罪を犯せること有らん者には、師は應に戒を與授よじゅすべからず。應に敎えて懺悔せしむべし。七日、二七日、乃至七七日にかさねて、復た一年にも至れ。懇到子むごろにに懺悔して、須く好相こうそう 異本「見」 ずべし。若し好相を見ざれば、戒を受くとも亦た戒を得ず。
 第六 問遮難門
先ず問う。もし七逆罪を犯したことがある者は、師は(その者に)戒を授けてはならない。(もし授けるのであれば、)教誡して懺悔させよ。(懺悔は)七日あるいは二七日〈14日間〉、ないし七七日間〈49日間〉、または一年間に及ぶまでせよ。心底より懺悔して、必ず好相〈夢あるいは現に見る、何らか吉祥なる現象・事象〉が現われるまでなせ。もし好相を見ることがなければ、戒を(儀礼上)受けたとしても、戒は得られない。

『無畏三蔵禅要』(T18, p.943a)

この何が問題かと言えば、まず、菩薩戒の受戒に際して「遮」を問うことです。ここで「遮」とは七逆罪が意図されています。そして次に、仮に七逆罪を犯している者はそのままで受戒することは出来ず、それを懺悔することを要求している点です。さらにその懴悔も、誰か他者に対して発露するのでなく、礼拝や瑜伽、読経・称名念仏などの行を最低一週間から一年に至るまで、「好相」を得るまで修めよとする点です。

これらは、印度における受戒作法に全く見られないものです。そしてそれは、むしろ印度にて行われた形跡がまったくなく支那においてのみ流行した菩薩戒経、特に『梵網経』(および『瓔珞経』)に記されたのにまさしく準じたものとなっています。

佛言。佛子。與人受戒時。不得蕑擇一切國王王子大臣百官。比丘比丘尼信男信女婬男婬女。十八梵天六欲天子無根二根黄門奴婢。一切鬼神盡得受戒。《中略》
若欲受戒時師應問言。汝現身不作七逆罪耶。菩薩法師不得與七逆人現身受戒。七逆者。出佛身血。殺父。殺母。殺和上。殺阿闍梨。破羯磨轉法輪僧。殺聖人。若具七遮即現身不得戒。餘一切人盡得受戒。《中略》
若佛子。教化人起信心時。菩薩與他人作教誡法師者。見欲受戒人。應教請二師和上阿闍梨。二師應問言。汝有七遮罪不。若現身有七遮。師不應與受戒。無七遮者得受。若有犯十戒者應教懺悔。在佛菩薩形像前。日夜六時誦十重四十八輕戒。若到禮三世千佛得見好相。若一七日二三七日乃至一年要見好相。好相者。佛來摩頂見光見華種種異相。便得滅罪。若無好相雖懺無益。是人現身亦不得戒。而得増受戒。
《第四十一軽戒》 仏が言われた。
「仏子よ、人のために(この梵網の)戒をさずける時は、すべての国王・王子・大臣・百官、比丘・比丘尼、信男・信女、婬男・婬女、十八梵天・六欲天子、無根・二根・黄門・奴婢、すべての鬼神でも別け隔てしてはならない。悉く受戒することが出来る。《中略》
もし戒をさずけようとする時は、師は問うて言え。「汝、現身に七逆罪を犯していないか」と。菩薩法師は、七逆(を犯した)人のために現身に戒を受けてはならない。七逆とは、①仏身から血を出すこと。②父を殺すこと。③母を殺すこと。④和上〈師僧〉を殺すこと。⑤阿闍梨〈先生〉を殺すこと。⑥羯磨転法輪僧を破すこと〈破僧〉。⑦聖人〈阿羅漢〉を殺すことである。もし七遮〈七逆罪〉を(一つでも)有していたならば、現身に戒を得ることは出来ない。その他すべての人は悉く受戒することが出来る。《中略》
《第四十一軽戒》 もし仏子が、人を教化して信心を起こさせた時、菩薩が他人のために教誡の法師となるならば、戒を受けようと願う人を見たならば、それに教えて二師を請わせよ。(二師とは)和上と阿闍梨である。そこで二師は(その受者に)問うて言え。「汝、七遮罪〈七逆罪〉があるか、ないか」と。もし現身において七遮があるならば、師は(彼に)受戒させてはならない。七遮が無ければ受けることが出来る。(しかしそこで、)もし十戒を犯したことがあれば、教えて懺悔させよ。仏菩薩の形像の前にて、日夜六時に、十重四十八軽戒〈『梵網経』心地戒品〉を読誦させ、三世の千仏〈三千仏〉への礼拝を終えたならば、好相を見させよ。あるいは一七日、二、三七日、乃至一年。必ず好相を見なければならない。好相とは、仏が来たりて摩頂し、光を見、華を見るなど種種の異相である。(その好相を得たならば)すなわち(十戒を犯した)罪を滅し得る。もし好相を得なければ懴悔しても無益である。その人は現身にまた戒を得ることは出来ない。そのように(好相を得たならば)増して戒を受けるが出来る。

《伝》鳩摩羅什訳『梵網経』巻下(T24, p.1008b-c)

遮とは本来、人が比丘あるいは比丘尼となるのに具足戒を受ける際、必ず問われるべき条件のことであり、これを一般に遮難と言います。具足戒は内容的には律のことであり、戒とは本質的に異なったものです。例えば、印度由来の菩薩戒(三聚浄戒)の授受の法式を伝える『菩薩善戒経』や『瑜伽師地論』・『菩薩地持経』にて、それはあくまで戒ですから本来当たり前の話なのですが、遮難を問いなどしません。

そして、『梵網経』が言う懴悔と好相ということについても印度にて見られないものであり、その好相の例示も『華厳経』にある授記などとしての摩頂、すなわち仏陀から頭を撫でられるという説を取り込んで言い出したかのように思われたものです。

そもそも支那人は、仏教伝来当初から戒と律との違いを理解しておらず両者を混同していたことがその訳語の混乱などから知られます。そこで『梵網経』を捏造した作者は、具足戒の受戒の場においてそのような遮難が問われることに倣い、他方では律でその受者としての条件を様々に列挙するのに対抗して誰でも受け得ることをうたって、より開かれた平等で自由なものであることを言わんとしたように考えられます。要するに、これは戒と律とを混同した者が、菩薩戒とは律の上を行ったものであると強調しようとした結果であるのですが、それと似たようなことは『梵網経』のあちこちで見られます。

(戒とは本来何かについては別項「戒律とは」および「戒とは何か」を参照のこと。)

もっとも、『梵網経』では七逆罪を犯したことのある者への受戒は不可とされ、当然その懴悔も許さるものとはしていないのに対し、『禅要』は七逆罪も懴悔して好相を得られれば許され、受戒することも出来るとしている一点が大きくなります。『禅要』は、『梵網経』における懴悔と好相の説に則った上で、一歩踏み込んだものとなっているのです。

いずれにせよ、『禅要』には『梵網経』の説が取り込まれていくることは確実で、したがってこれを印度以来の受戒作法と見ることは決して出来ません。ただし、先に示したように、『禅要』が示す三聚浄戒の戒相は、『梵網経』など支那撰述の偽経が説く十重禁戒ではありません。

そこで果たして印度僧である善無畏が、そのような支那において初めて触れたであろう『梵網経』にある懴悔法や好相を得よとするなどの説を自身が述べる受戒次第の中に組み入れるであろうかと、不審に思われます。そしてそのように見た時、この「第六 問遮難門」は、後代の支那僧、それも特に天台系統の人が当時流行していたのであろう支那流の法式を善無畏の式に取り入れて編纂した可能性があります。

それだけでなく「第七 請師門」も、『梵網経』や『菩薩瓔珞本業経』等によって撰述された湛然の『授菩薩戒儀』の説の影響が濃厚に見られ、これを印度の法式と見ることは困難、すなわち、善無畏が説いたとは思われない内容となっています。

また「第九 結界門」は本文では「結戒門」となっており、撞着しているばかりでなくそのいずれとも名目と実が伴っていません。それは内容的に結界などしたものでなく持戒を勧めたもの、いわゆる「勧戒」・「勧持」となっています。そもそも菩薩戒の授受においては、律の授受ではないため必然的に結界など不要であり、湛然『授菩薩戒儀』に説く十二門にもありません。仮に結界するにしても、受戒の前に行わねばならないことであり、ここで結界する意味が全く無い。これは戒律についてほとんど無知な者が意味もわからず無理やり一門として設けたようなもので、非常におかしな点です。

以上のことから、『禅要』が十一門に分かって説くその受戒法則については、当初は十門、いや、おそらくそれ以下の構成であったろうと考えられます。天台系の学者の編集の手が入ったことにより、原初の形は失われていると見るのが妥当です。

ただし、瑜伽者としての立場から懴悔ということについて見た時、瑜伽を修習して三昧を深めていくのに大きな障害となるものの一つが、自身に対する猜疑、自らの先来の所行に対する後悔や罪悪感です。たとい妄想、幻想の類であったとしても、それを解消し得る有効な手段であるならば、そのような支那で流布していた懴悔と好相という説を、善無畏が敢えて取り入れたということも考えられます。結局、もはやそれがどのように成立したかを示す史料など存在しないため、今の吾人はただ想像の上であれこれ言うのみでありますが、しかし、上記の点は一応留意しておくのが良いことではあります。

いくらか中途半端ながらも指摘すべき点を述べましたが、しかし重要なのは、本書が持戒した上で修定を勧め、ついに慧を獲得するという三学の階梯を踏まえたものであることです。前述したように、本書に善無畏の言葉として伝えられるいくつかの一節は、現代においてなお修道を志す者を大いに益するものです。

部派であれ禅であれ密教であれ、瑜伽を修める人が本書に触れたならば、三学の階梯を踏み登る糧となるに違いありません。

非人沙門覺應 敬識

凡例

一.本稿にて紹介する『無畏三蔵禅要』は、承応四年三月に京都の書肆、前川茂右衛門により発刊された『無畏禅要』を底本としている。

一.原文および訓読にては、底本にある漢字は現代通用する常用漢字に改めず、可能な限りそのまま用いている。これにはシステム上、Windowsのブラウザでは表記されてもMacでは表記されないものがある。表記されない場合、ブラウザ上でその文字は□で表記される。ただし、Unicode(またはUTF-8)に採用されておらず、したがってWeb上で表記出来ないものについては代替の常用漢字などを用いた。

一.原文に句点は付されていないため、適宜に句点を設けた。また、訓読は底本にある訓点に原則として従っている。

一.原文にある陀羅尼は悉曇文字にて表記されているが、悉曇はテキスト上で再現出来ないため、画像データとして挿入している。底本とした承応版の悉曇は多分に誤りが含まれているが、原文の項では底本のまま記述し、脚注にてその誤りを指摘した。そこで正確な悉曇の記述は、他の儀軌や梵本に基づき、対訳の項にて赤字にて示している。

一.現代語訳においては読解に資するよう、適宜に常用漢字に改めた。また、読解を容易にするために段落を設け、さらに原文に無い語句を挿入した場合がある。この場合、それら語句は括弧()に閉じてそれが挿入語句であることを示している。しかし、挿入した語句に訳者個人の意図が過剰に働き、読者が原意を外れて読む可能性がある。そもそも現代語訳は訳者の理解が十分でなく、あるいは無知・愚かな誤解に由って本来の意から全く外れたものとなっている可能性があるため、注意されたい。

一.現代語訳はなるべく逐語訳し、極力元の言葉をそのまま用いる方針としたが、その中には一見してその意を理解し得ないものがあるため、その場合にはその直後にその簡単な語の説明を下付き赤色の括弧内に付している(例:〈〇〇〇〉)。

一.難読あるいは特殊な読みを要する漢字を初め、今の世人が読み難いであろうものには編者の判断で適宜ルビを設けた。

一.補注は、特に説明が必要であると考えられる人名や術語などに適宜付し、脚注に列記した。

一.本論に引用される経論は判明する限り、すべて脚注に『大正新脩大蔵経』に基づいて記している。その際、例えば出典が『大正新脩大蔵経』第一巻一項上段であった場合、(T1, p.1a)と記している。

懸命なる諸兄姉にあっては、本稿筆者の愚かな誤解や無知による錯誤、あるいは誤字・脱字など些細な謬りに気づかれた際には下記宛に一報下さり、ご指摘いただければ幸甚至極。

愚老覺應(info@viveka.site)