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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

『慈雲大和上伝戒記』

『慈雲大和上伝戒記』 解題

十善の系譜

本稿にて紹介する『慈雲大和上伝戒記』は、寛政四年壬子〈1792〉十二月、慈雲尊者七十五歳の冬、十善がいかなる経緯を辿って自身が相承するに至ったかを自ら著した書です。ただし、題目は慈雲の弟子が後に付したものです。

『慈雲尊者全集』の編者、長谷宝秀は本書を全集に編じたその跋に以下のように記しています。

編者曰。右慈雲大和尚傳戒記一紙は尊者の撰なり。但だ表題は後人の安置する所なるのみ。今高貴寺所藏の故大澄戒心和尚書寫の本に依て之を出す。此記は人登奈留道第三編の末にも之を載す

『慈雲尊者全集』, vol.6, p.352

慈雲は、自身が相承した十善が槇尾山にて近世戒律復興を成し遂げた俊正明忍からのものであることを指摘。また明忍が復興を成し遂げられる経緯、その背後には春日明神の存在があると考えていました。

平安中期、九世紀中頃には鑑真がもたらした具足戒の伝統は絶え、それを鎌倉期初頭の嘉禎ニ年〈1236〉に復興したのが覚盛や叡尊ら四人でした。その後、覚盛は唐招提寺に入り、また叡尊は西大寺に入って律宗を中興、それぞれ一門を構えています。そのうち、叡尊の律宗教団は全国的に崇敬され、当時随一の勢力を誇るに至っています。しかしながら、それも室町期に入って戦乱の世となるとたちまち衰微し、再び日本で具足戒の伝統は滅びたのでした。それからしばらく時を経た近世初頭、慶長七年〈1602〉、特に西大寺の叡尊の先蹤を踏んで、また再び復興したのが明忍です。

慈雲は、浅学なる菲才はそれがいかなる典籍・伝承に基づくのか今のところ知らないのですが、鑑真が伝戒したその当初から春日明神が護法神としてあったと考えていました。春日明神、特には天児屋根命が常に仏教に寄り添い、その戒脈を継いで自らも護持する存在だとしていたのです。そこで日本に戒律の伝統が滅び、また持戒の人が絶えたとしても、それを春日神が密かに守り伝え、それを復興せんとする人が現れた時にはその者を補助したと見ています。

画像:洪善普摂尊者頂相(法樂寺蔵)

慈雲自身はまさにその明忍の戒脈に連なる者でした。慈雲の出家および依止阿闍梨は忍綱貞紀、そのまた師が廃絶していた法樂寺を復興した洪善普摂(右写真)です。そして慈雲を含めたその誰もが野中寺にて受具しています。その野中寺とは、明忍が中興した槇尾山出身の慈忍慧猛が槇尾山と袂を分かった後、律院僧坊とする基とした寺で「律の三僧坊」と天下に名の知れた律宗寺院です(現在は真言宗)。

慈雲はそこでしかし、ただ戒律をのみ護持するのでなく、江戸中後期にあって仏教衰亡の影が色濃くあった時、正法律復興すなわち仏教復興を志しています。そこで戒であれ律であれ、これは龍樹の『大智度論』の所説にも依拠したものであったのですが、その核であり根幹であるのは十善業道であると結論するに至っています。

そして慈雲はまた、十善とは仏教に限られたものでないことを指摘。そもそも、それが何であれ真理であるならば、それは古今東西を問わず不変であり普遍であるべきもの。そこで当時、日本社会でせめぎ合っていた仏教や儒教、そして神道、はてまたは無宗教・唯物論など問わず、さらにはすでに当時いくらかその知識が流入していた欧州の思想や宗教をすら超えた普遍的な人の道であると、十善を位置づけています。

また、歴史的に仏教に内包され伝えられ形成してきた神道は、慈雲は実際その代表的なものである両部神道の相承者でもあったのですが、盛んに仏教を批判し邪教であると断じていた儒教に優越するものであるとしています。そこで慈雲は、仏教と神道とは光と影のような関係にあるもので、両者をいたずらに交えて語るべきでなく、そもそも交えることは出来ないものであると見ていました。

(詳細は別項「慈雲と神道」参照のこと。)

そんな神道の神であり、その非常に重要な位置にある春日神が仏教の守護神であって戒を継いで護り、また十善を擁護するものであるという伝承は、慈雲にとって極めて重要な意味をもつものでした。そのような慈雲の見方の一端、自身がその歴史の中でいかなる立場にあるかを示したものが、本書『慈雲大和上伝戒記』です。甚だ短い小篇に過ぎないものでありますが、慈雲という三世紀にも満たない昔にあった大人物を知るのに不可欠の書です。

貧翁覺應 謹記

凡例

一.本稿にて紹介する『慈雲大和上伝戒記』は、『慈雲尊者全集』第十七輯所収のものを底本としている。

一.原文および訓読にては、底本にある漢字は現代通用する常用漢字に改めず、可能な限りそのまま用いている。これにはWindowsのブラウザでは表記されてもMacでは表記されないものがある。ただし、Unicode(またはUTF-8)に採用されておらず、したがってWebブラウザ上で表記出来ないものについては代替の常用漢字などを用いた。

一.現代語訳においては読解に資するよう、適宜に常用漢字に改めた。また、読解を容易にするために段落を設け、さらに原文に無い語句を挿入した場合がある。この場合、それら語句は括弧()に閉じてそれが挿入語句であることを示している。しかし、挿入した語句に訳者個人の意図が過剰に働き、読者が原意を外れて読む可能性がある。そもそも現代語訳は訳者の理解が十分でなく、あるいは無知・愚かな誤解に由って本来の意から全く外れたものとなっている可能性があるため、注意されたい。

一.現代語訳はなるべく逐語訳し、極力元の言葉をそのまま用いる方針としたが、その中には一見してその意を理解し得ないものがあるため、その場合にはその直後にその簡単な語の説明を下付き赤色の括弧内に付している(例:〈〇〇〇〉)。

一.難読あるいは特殊な読みを要する漢字を初め、今の世人が読み難いであろうものには編者の判断で適宜ルビを設けた。

一.補注は、特に説明が必要であると考えられる人名や術語などに適宜付し、脚注に列記した。

一.本論に引用される経論は判明する限り、すべて脚注に『大正新脩大蔵経』に基づいて記している。その際、例えば出典が『大正新脩大蔵経』第一巻一項上段であった場合、(T1, p.1a)と記している。

懸命なる諸兄姉にあっては、本稿筆者の愚かな誤解や無知による錯誤、あるいは誤字・脱字など些細な謬りに気づかれた際には下記宛に一報下さり、ご指摘いただければ幸甚至極。

非人沙門覺應(info@viveka.site)