evaṃ me sutaṃ — ekaṃ samayaṃ bhagavā sāvatthiyaṃ viharati pubbārāme migāramātupāsāde sambahulehi abhiññātehi abhiññātehi therehi sāvakehi saddhiṃ — āyasmatā ca sāriputtena āyasmatā ca mahāmoggallānena āyasmatā ca mahākassapena āyasmatā ca mahākaccāyanena āyasmatā ca mahākoṭṭhikena āyasmatā ca mahākappinena āyasmatā ca mahācundena āyasmatā ca anuruddhena āyasmatā ca revatena āyasmatā ca ānandena, aññehi ca abhiññātehi abhiññātehi therehi sāvakehi saddhiṃ.
tena kho pana samayena therā bhikkhū nave bhikkhū ovadanti anusāsanti. appekacce therā bhikkhū dasapi bhikkhū ovadanti anusāsanti, appekacce therā bhikkhū vīsampi bhikkhū ovadanti anusāsanti, appekacce therā bhikkhū tiṃsampi bhikkhū ovadanti anusāsanti, appekacce therā bhikkhū cattārīsampi bhikkhū ovadanti anusāsanti. te ca navā bhikkhū therehi bhikkhūhi ovadiyamānā anusāsiyamānā uḷāraṃ pubbenāparaṃ visesaṃ jānanti.
tena kho pana samayena bhagavā tadahuposathe pannarase pavāraṇāya puṇṇāya puṇṇamāya rattiyā bhikkhusaṅghaparivuto abbhokāse nisinno hoti. atha kho bhagavā tuṇhībhūtaṃ tuṇhībhūtaṃ bhikkhusaṅghaṃ anuviloketvā bhikkhū āmantesi — “āraddhosmi, bhikkhave, imāya paṭipadāya; āraddhacittosmi, bhikkhave, imāya paṭipadāya. tasmātiha, bhikkhave, bhiyyosomattāya vīriyaṃ ārabhatha appattassa pattiyā, anadhigatassa adhigamāya, asacchikatassa sacchikiriyāya. idhevāhaṃ sāvatthiyaṃ komudiṃ cātumāsiniṃ āgamessāmī”ti. assosuṃ kho jānapadā bhikkhū — “bhagavā kira tattheva sāvatthiyaṃ komudiṃ cātumāsiniṃ āgamessatī”ti. te jānapadā bhikkhū sāvatthiṃ osaranti bhagavantaṃ dassanāya. te ca kho therā bhikkhū bhiyyosomattāya nave bhikkhū ovadanti anusāsanti. appekacce therā bhikkhū dasapi bhikkhū ovadanti anusāsanti, appekacce therā bhikkhū vīsampi bhikkhū ovadanti anusāsanti, appekacce therā bhikkhū tiṃsampi bhikkhū ovadanti anusāsanti, appekacce therā bhikkhū cattārīsampi bhikkhū ovadanti anusāsanti. te ca navā bhikkhū therehi bhikkhūhi ovadiyamānā anusāsiyamānā uḷāraṃ pubbenāparaṃ visesaṃ jānanti.
tena kho pana samayena bhagavā tadahuposathe pannarase komudiyā cātumāsiniyā puṇṇāya puṇṇamāya rattiyā bhikkhusaṅghaparivuto abbhokāse nisinno hoti. atha kho bhagavā tuṇhībhūtaṃ tuṇhībhūtaṃ bhikkhusaṅghaṃ anuviloketvā bhikkhū āmantesi — “apalāpāyaṃ, bhikkhave, parisā; nippalāpāyaṃ, bhikkhave, parisā; suddhā sāre patiṭṭhitā. tathārūpo ayaṃ, bhikkhave, bhikkhusaṅgho; tathārūpā ayaṃ, bhikkhave, parisā yathārūpā parisā āhuneyyā pāhuneyyā dakkhiṇeyyā añjalikaraṇīyā anuttaraṃ puññakkhettaṃ lokassa. tathārūpo ayaṃ, bhikkhave, bhikkhusaṅgho; tathārūpā ayaṃ, bhikkhave, parisā yathārūpāya parisāya appaṃ dinnaṃ bahu hoti, bahu dinnaṃ bahutaraṃ. tathārūpo ayaṃ, bhikkhave, bhikkhusaṅgho; tathārūpā ayaṃ, bhikkhave, parisā yathārūpā parisā dullabhā dassanāya lokassa. tathārūpo ayaṃ, bhikkhave, bhikkhusaṅgho; tathārūpā ayaṃ, bhikkhave, parisā yathārūpaṃ parisaṃ alaṃ yojanagaṇanāni dassanāya gantuṃ puṭosenāpi”.
“santi, bhikkhave, bhikkhū imasmiṃ bhikkhusaṅghe arahanto khīṇāsavā vusitavanto katakaraṇīyā ohitabhārā anuppattasadatthā parikkhīṇabhavasaṃyojanā sammadaññāvimuttā — evarūpāpi, bhikkhave, santi bhikkhū imasmiṃ bhikkhusaṅghe. santi, bhikkhave, bhikkhū imasmiṃ bhikkhusaṅghe pañcannaṃ orambhāgiyānaṃ saṃyojanānaṃ parikkhayā opapātikā tattha parinibbāyino anāvattidhammā tasmā lokā — evarūpāpi, bhikkhave, santi bhikkhū imasmiṃ bhikkhusaṅghe. santi, bhikkhave, bhikkhū imasmiṃ bhikkhusaṅghe tiṇṇaṃ saṃyojanānaṃ parikkhayā rāgadosamohānaṃ tanuttā sakadāgāmino sakideva imaṃ lokaṃ āgantvā dukkhassantaṃ karissanti — evarūpāpi, bhikkhave, santi bhikkhū imasmiṃ bhikkhusaṅghe. santi, bhikkhave, bhikkhū imasmiṃ bhikkhusaṅghe tiṇṇaṃ saṃyojanānaṃ parikkhayā sotāpannā avinipātadhammā niyatā sambodhiparāyanā — evarūpāpi, bhikkhave, santi bhikkhū imasmiṃ bhikkhusaṅghe.
“santi, bhikkhave, bhikkhū imasmiṃ bhikkhusaṅghe catunnaṃ satipaṭṭhānānaṃ bhāvanānuyogamanuyuttā viharanti — evarūpāpi, bhikkhave, santi bhikkhū imasmiṃ bhikkhusaṅghe. santi, bhikkhave, bhikkhū imasmiṃ bhikkhusaṅghe catunnaṃ sammappadhānānaṃ bhāvanānuyogamanuyuttā viharanti ... pe ... catunnaṃ iddhipādānaṃ ... pañcannaṃ indriyānaṃ ... pañcannaṃ balānaṃ ... sattannaṃ bojjhaṅgānaṃ ... ariyassa aṭṭhaṅgikassa maggassa bhāvanānuyogamanuyuttā viharanti — evarūpāpi, bhikkhave, santi bhikkhū imasmiṃ bhikkhusaṅghe. santi, bhikkhave, bhikkhū imasmiṃ bhikkhusaṅghe mettābhāvanānuyogamanuyuttā viharanti ... karuṇābhāvanānuyogamanuyuttā viharanti ... muditābhāvanānuyogamanuyuttā viharanti ... upekkhābhāvanānuyogamanuyuttā viharanti ... asubhabhāvanānuyogamanuyuttā viharanti ... aniccasaññābhāvanānuyogamanuyuttā viharanti — evarūpāpi, bhikkhave, santi bhikkhū imasmiṃ bhikkhusaṅghe. santi, bhikkhave, bhikkhū imasmiṃ bhikkhusaṅghe ānāpānassatibhāvanānuyogamanuyuttā viharanti. ānāpānassati, bhikkhave, bhāvitā bahulīkatā mahapphalā hoti mahānisaṃsā. ānāpānassati, bhikkhave, bhāvitā bahulīkatā cattāro satipaṭṭhāne paripūreti. cattāro satipaṭṭhānā bhāvitā bahulīkatā satta bojjhaṅge paripūrenti. satta bojjhaṅgā bhāvitā bahulīkatā vijjāvimuttiṃ paripūrenti.
このように私は聞いた。ある時、世尊は舎衛城〈Sāvatthī〉の東園〈Pubbārāma〉にある鹿子母講堂〈Migāramātupāsāda〉において、衆多の高名な上座〈Thera 〉の弟子〈sāvaka〉らと共に、具寿〈āyasmant 〉サーリプッタ〈Sāriputta. 舎利弗〉、具寿マハーモッガッラーナ〈Mahāmoggallāna. 目犍連〉、具寿マハーカッサパ〈Mahākassapa. 摩訶迦葉〉、具寿マハーカッチャーヤナ〈Mahākaccāyana. 摩訶迦旃延〉、具寿マハーコッティカ〈Mahākoṭṭhika. 摩訶俱絺羅〉、具寿マハーカッピナ〈Mahākappina. 摩訶迦匹那〉、具寿マハーチュンダ〈Mahācunda. 摩訶純陀〉、具寿アヌルッダ〈Anuruddha. 阿那律〉、具寿レーヴァタ〈Revata. 梨婆多〉、具寿アーナンダ〈Ānanda. 阿難〉、そしてその他の高名な上座の弟子らと共に、留まっておられた。
さてその時、上座比丘たちは、新比丘たちを教え、諭していた。またある上座比丘たちは、十人の比丘を教え、諭していた。またある上座比丘たちは、二十人の比丘を教え、諭していた。またある上座比丘たちは、三十人の比丘を教え、諭していた。またある上座比丘たちは、四十人の比丘を教え、諭していた。彼ら新比丘たちは、上座の比丘たちに教誡され訓誡され、崇高で以前よりもさらに勝れたる(境地)を知った。
その時、十五日の布薩〈uposatha. 僧伽における月二度の重要儀式〉の日にして自恣〈雨安居最終日の儀式〉の満月の夜、世尊は、露地にて比丘僧伽に囲まれ坐されていた。そこで、世尊は、清閑として沈黙している比丘僧伽を見渡され、比丘たちに告げられた。
「比丘たちよ、私はこの(汝ら比丘たちの)行跡に満足している。 比丘たちよ、私の心はこの行跡に満足している。その故に、比丘たちよ、いまだ得ざるを得るがため、いまだ達せざるに達するがため、いまだ現証せざるを現証するがために、さらに一層つとめ励め。私はここサーヴァッティにてコームディーの四ヶ月祭〈雨季の最終月における満月祭〉を待つであろう」
と。さて、地方の比丘たち〈jānapadā bhikkhū. 教導が必要な田舎者の比丘〉は聞いた。
「皆が言うには、世尊は彼のサーヴァッティにてコームディーの四ヶ月祭を待たれるであろう」
と。彼ら地方の比丘たちは、世尊にまみえるためにサーヴァッティに赴いた。さて彼ら上座比丘たちは、さらに一層、新比丘たちを教え、諭していた。またある上座比丘たちは、十人の比丘を教誡し、訓戒していた。またある上座比丘たちは、二十人の比丘を教え、諭していた。またある上座比丘たちは、三十人の比丘を教え、諭していた。またある上座比丘たちは、四十人の比丘を教え、諭していた。彼ら新比丘たちは、上座の比丘たちに教誡され訓誡され、崇高で以前よりもさらに勝れたる(境地)を知った。
その時、十五日の布薩の日にしてコームディーの四ヶ月祭となる満月の夜、世尊は、露地にて比丘僧伽に囲まれ坐されていた。そこで、世尊は、清閑として沈黙している比丘僧伽を見渡され、比丘たちに告げられた。
「比丘たちよ、(この)衆〈parisā〉は駄弁を弄することがない。比丘たちよ、(この)衆は無駄口をたたくことから離れている。清浄なる真実において安立している。比丘たちよ、そのようなのがこの比丘僧伽である。比丘たちよ、そのようなのがこの衆である。そのような衆とは、もてなすに値するものであり、(衣・食・住などを)供えるに値するものであり、供養するに値するものであり、合掌するに値するものであり、この世界におけるこの上ない福田〈puññakkhetta. 布施して果報ある対象〉である。比丘たちよ、そのようなのがこの比丘僧伽である。比丘たちよ、そのようなのがこの衆である。そのような衆に、少々(の物)が与えられれば多く(の利益)がもたらされ、多く(の物)が与えられてより多く(の利益)がもたらされる。比丘たちよ、そのようなのがこの比丘僧伽である。比丘たちよ、そのようなのがこの衆である。そのような衆は、この世においてまみえることは稀である。比丘たちよ、そのようなのがこの比丘僧伽である。比丘たちよ、そのようなのがこの衆である。そのような衆は、行李と共に長い長い道のりを赴き、まみえるに値する衆である」
「比丘たちよ、この比丘僧伽には、煩悩を滅ぼし、(修行を)完成し、為すべきことが為され、重荷を下ろし、自己の利益をすでに得、生存にまつわる軛を滅ぼし尽くし、完全なる理解によって解脱した、阿羅漢〈Arahanta. 修行完成者、無学〉たちが存する。比丘たちよ、そのような比丘らが、この比丘僧伽には存している。比丘たちよ、この比丘僧伽には、五下分結〈貪・瞋・有身見・戒禁取見・疑〉を盡くし、(死後には天界に)化生してその世から(人界へと)還ってくること無く涅槃を得る者〈Anāgāmin. 不還〉たちが存する。比丘たちよ、そのような比丘らが、この比丘僧伽には存している。比丘たちよ、この比丘僧伽には、三結〈有身見・戒禁取見・疑〉を盡くし、貪欲と瞋恚と痴とを減衰する一来〈Sakadāgāmin〉があり、一度だけこの世に戻って苦しみの終焉を成すであろう。比丘たちよ、そのような比丘らが、この比丘僧伽には存している。比丘たちよ、この比丘僧伽には、三結を盡くし、もはや悪趣に堕ちることが無く、三菩提〈sambodhi〉に至ることが決定した、預流〈Sotāpanna〉が存する。比丘たちよ、そのような比丘らが、この比丘僧伽には存している」
「比丘たちよ、この比丘僧伽には、四念処〈cattāro satipaṭṭhānā〉の修習に専心・没頭して住する比丘たちが存する。比丘たちよ、そのような比丘らが、この比丘僧伽には存している。比丘たちよ、この比丘僧伽には、四正勤〈catāro sammappadhānā〉の修習に専心・没頭して住する比丘たちが存する。比丘たちよ、この比丘僧伽には、四如意足〈cataro iddhipādā〉の修習に専心・没頭して住する比丘たちが存する。比丘たちよ、この比丘僧伽には、五根〈pañca indriya〉の修習に専心・没頭して住する比丘たちが存する。比丘たちよ、この比丘僧伽には、五力〈pañca bala〉の修習に専心・没頭して住する比丘たちが存する。比丘たちよ、この比丘僧伽には、七覚支〈satta bojjhaṅga〉の修習に専心・没頭して住する比丘たちが存する。比丘たちよ、この比丘僧伽には、八支聖道〈ariya aṭṭhaṅgika magga〉の修習に専心・没頭して住する比丘たちが存する。比丘たちよ、そのような比丘らが、この比丘僧伽には存している。比丘たちよ、この比丘僧伽には、慈観〈mettābhāvanā〉に専心・没頭して住する比丘たちが存する。比丘たちよ、この比丘僧伽には、悲観〈karuṇābhāvanā〉に専心・没頭して住する比丘たちが存する。比丘たちよ、この比丘僧伽には、喜観〈muditābhāvanā〉に専心・没頭して住する比丘たちが存する。比丘たちよ、この比丘僧伽には、捨観〈upekkhābhāvanā〉に専心・没頭して住する比丘たちが存する。比丘たちよ、この比丘僧伽には、不浄観〈asubhabhāvanā〉に専心・没頭して住する比丘たちが存する。比丘たちよ、この比丘僧伽には、無常想観〈aniccasaññābhāvanā〉に専心・没頭して住する比丘たちが存する。比丘たちよ、そのような比丘らが、この比丘僧伽には存している。比丘たちよ、この比丘僧伽には、安那般那念の修習〈ānāpānassatibhāvanā〉に専心・没頭して住する比丘たちが存する。比丘たちよ、安那般那念が修習され習熟されたときには、大きな果報と大きな利益がある。比丘たちよ、安那般那念が修習され習熟されたときには、四念処を完成する。四念処が修習され習熟されたときには、七覚分を完成する。七覚分が修習され習熟されたときには、明〈vijjā〉と解脱〈vimutti〉とを完成する」
Evaṃ me sutaṃ. パーリ経典のほとんど多くの経は、このように言って始まる。ほとんど多くの漢訳経典もまた、訳者によってその文言は若干異なるが、「如是我聞(是の如く我れ聞けり)」と始まる。ここに言う私(我)とは、仏陀滅後三ヶ月後に王舎城にて五百人の阿羅漢により行われた法と律との第一結集において、すべての経を誦出したと伝承されるアーナンダ(阿難)尊者。▲
ekaṃ samayaṃ. ▲
[S/P]bhagavant. 幸ある人、尊い人の意。仏陀の敬称。薄伽梵(ばがぼん)と音写される。▲
[P]Sāvatthī ([S]Śrāvastī). サーヴァッティ。北インドのガンジス川中流域(現インドのウッラルプラデーシュ州北東部)に栄えたコーサラ([S/P]Kosara)国の都。
コーサラは、当時のガンジス川中流域を中心とする北インドには、十六大国といい十六の国々があったと経に伝承されるが、その中でも最も強大であったという国。
釈尊在世当時のコーサラ国王Pasenadiは、釈尊の最大の外護者の一人であったとされる。しかし、仏陀ご在世中、この王が死んで王位を継承したその子Vidūdabha王により釈迦族はほとんど皆殺しにされ、仏陀の故国は滅びる。それからまもなく、そのコーサラ国自体は北インドで覇権を競っていたMagadha国によって滅ぼされた。▲
[P]Pubbārāma ([S]Pūrvārāma). pubba(pūrva)は「東」、ārāmaは「園」の意。サーヴァッティーの東方にあった園。▲
[S]Migāramātupāsāda. サーヴァッティの長者でMigāra(鹿子)に嫁いだVisākhā(毘舎佉)の寄進により建てられた精舎。祇園精舎にならび称される仏陀ご在世に創建されていた大精舎の一つ。数多くの教えがこの地で説かれた。
夫ミガーラは最初、六師外道の一人Niganthaの信者であったが、妻ヴィサーカーの勧めによってついに仏陀の信者となる。ミガーラは仏陀の教えに導いてくれたことを感謝し、ヴィサーカーを「māta(母)」と呼んだ。このことから、彼女は「Migāramāta(ミガーラの母・鹿子母)」と呼ばれるようになった。▲
[P]thera ([S]sthavira). 年長者、長老。仏教では比丘の席次を決めるのは具足戒を受けて以降、三ヶ月間の雨安居を過ごしてきた数によってのみ定められる。広義では、相対的にある比丘に対して過ごした雨安居の数が多い比丘が上座であるが、狭義には受具して後相当の年数を重ねた者であり、法と律とに通じてなお行に長けた行学兼備の高徳の人をのみ指して言う言葉。契経(AN, dutiyauruvelasutta)には、「therakaraṇa dhamma」として上座とする為の四種の条件が説かれる。
現在のスリランカなどではこのような区別などされず、出家してまもない比丘であっても総じて僧名の下にthero(上座)が付せられて誰彼無く呼ばれる。▲
[P]sāvaka ([S]śrāvaka). 教えを聞く者、すなわち弟子の意で、一般に声聞と漢訳される。▲
[P]āyasmant ([P]āyuṣmat). 寿命長き人、幸ある人。仏教では大徳、尊者の意として用いられる。▲
Sāriputta. 舎利弗、舎利子。仏陀の高弟のうちもっとも智慧が勝れていたと讃えられる人(智慧第一)。バラモン出身。実名Upatissa(ウパティッサ)とされるが、それは出身の村の名Upatissagāmaによるという。しかし、その母の名がRūpasāriということからSāriputta(サーリの子)と称され、仏典ではほとんどこの名が用いられる。また一部の仏典(Apadāna)では、Sārisambhavaともされる。
もともと六師外道といわれる沙門の一人Sañjayaに師事していたが、開悟してまもない五群比丘の一人Assaji(馬勝)との邂逅により仏陀の門人となる。以降、仏弟子の中でも主導的な役割を担う大弟子となった。▲
Mahāmoggallāna. 目蓮あるいは目犍連。仏陀の高弟のうち神通力の最も秀でたるを讃えられる人(神通第一)。バラモン出身。実名Kolita(コーリタ)。コーリタは、ウパティッサに同じく彼の出た村の名Kolitagamaに因むものという。母の名はMoggallāni。サーリプッタとは幼い頃から無二の親友であったといい、二人揃ってサンジャヤの弟子として出家。しかし満足できず、いつか二人のうちどちらかが良き師・教えに巡り会えたならば必ずそれを一方に知らせる、という約束を交わしていた。ついにサーリプッタは仏陀の教えに出逢い、これを告げられたモッガーラーナは二人して仏門に入り、諸仏弟子中において二大巨頭となる。
モッガッラーナの最期は悲惨なもので、外道(ジャイナ教)の信徒に激しく打ちのめされて殺された。それは、前世において盲目の両親を疎ましく思って森に連れ出し、妻と計って打ち殺したというその因果のためであったとされる。尊者は神通により外道の襲撃があることを知っていたものの、それが避けがたい自らの業果であるとも知り、あえてそれを避けなかったと云われる。サーリプッタは、莫逆の友モッガッラーナの非業の死に際し、仏陀に暇を告げ、自らの寿命を捨てて先に涅槃した。▲
Mahākassapa. 摩訶迦葉。飲光と漢訳される。仏陀の高弟のうちその行業の最も清貧にして厳しいことが称えられる人(頭陀第一)。マガダ国はMahātittha村のバラモン出身。実名Pippali。仏陀滅後、その法と律とが散逸してしまわぬようにと結集を開催することを主導した。そのとき、マハーカッサパ尊者の齢は120歳であったと伝説される(仏典における120歳は、大変な高齢であったことを形容する言葉で実年齢でない)。それは尊者が仏陀より年長であったろうことを示唆したもの。マハーカッサパとアーナンダとは不仲であったような記述が仏典のそこここに記録されているが、上座部ではこれをマハーカッサパのアーナンダへの愛情の現れであったと楽観的・肯定的に捉えられている。▲
Mahākaccāyana. あるいはMahākaccānaとも。摩訶迦旃延。仏陀の高弟のうちその教えを敷衍して説くことが最も優れていた人と称えられる(広説第一)。Avantiの首都Ujjenīのバラモン出身。父はまさしく国のバラモン(司祭)であったといい、父の死後これを嗣ぐも仏陀に出会って出家。上座部では、現在もいまだ用いられているパーリ語の文法書Kaccāyana-vyākaraṇaは、このマハーカッチャーヤナによるものと伝説される。▲
Mahākoṭṭhika. 摩訶俱絺羅。あるいはMahākoṭṭhitaとも。仏陀の高弟のうちその教えを論理的に理解することに最も優れていた人と称えられる(無礙解第一)。▲
Mahākappina. 罽賓那、あるいは迦匹那。出自不明。相応部因縁品のMahākappina-suttaでは大威力(神通力)あり説法に優れて巧みな人と称えられ、また同じく相応部大品のMahākappina-suttaでは彼が安般念によってすぐれた境地を得た人として仏陀から讃えられている。
漢訳経典(『増一阿含経』巻廿二)にても「能行出入息 迴轉心善行 慧力極勇盛 此名迦匹那」(T2, p.662c)との偈によって安般念に秀でた人として讃えられていたことが伝えられる。▲
Mahācunda. 摩訶純陀。サーリプッタの弟であり、仏陀の随行のうちの一人とも伝えられる人。実名はSamanuddesaであったという。Mahā(偉大な)と冠されているように、仏陀の高弟の一人として挙げられるが、経からはその出自など詳細を知り得ない。▲
Anuruddha. 阿那律。仏陀の従兄弟でMahānāmaの兄弟。釈迦族すなわちクシャトリヤ出身。仏陀の高弟のうち天眼のもっとも優れていたことが称えられる(天眼第一)。彼が出家したのは、マハーナーマの勧めによってであり、同じく釈迦族からĀnanda・Bhagu・Kimbila・Devadatta、そしてシュードラ(奴隷)階級で理髪師のUpāliと共にであったという。サーリプッタからの八大人覚の教示により、そして仏陀の助言によって阿羅漢果を得た。釈尊が亡くなる際にはアーナンダと共に側仕えており、偉大な師の死に際して、涙を止め得ないアーナンダと対照的に、世の全ては無常であることを静かに冷静に見つめている。尊者の最期はVajjiのVelugāmaであったといい、世寿115歳であったと伝えられる。
北伝では、仏陀の説法中、覚えず居眠りをしているのを咎められたアヌルッダは、以降不眠の誓いを建て失明するに至ったと云われる。しかし、むしろこれによって天眼を得たとされる。南伝でも尊者が、数十年間も不眠であったと伝えているが盲目となったとは伝えられない。▲
Revata. 梨婆多。サーリプッタの実の末弟。仏弟子中、阿蘭若住の比丘のうち最も勝れた人であったと称えられる。▲
Ānanda. 阿難。歓喜と漢訳される。仏陀の従兄弟でアヌルッダならびにマハーナーマ(の異母弟?)、ならびにデーヴァダッタの兄弟。仏弟子中、その言動・教説をもっとも耳にし、記憶していた人と称えられる(多聞第一)。仏陀が成道された翌年、アヌルッダらと共に出家。ほどなく預流果を得たという。仏陀の成道から二十年後、その随行として僧伽から指名されるもこれを最初拒絶。しかし、ついにこれを受け入れ、以降仏陀の般涅槃までの二十五年間をあたかも身にその陰が付き従うように、常に行動を共にし、仏陀の身の回りの世話をしたという。
アーナンダは、出家して四十四年間、仏陀の最期を迎えてもついに阿羅漢果を得ることは出来ず、仏陀の死に際してはその悲しみをこらえることが出来ず涙にくれている。このことは多くの仏教美術の主題となった。しかし、仏滅後の三ヶ月後に行われる結集の日の朝、なんとか阿羅漢として結集に参加しようと明け方まで瞑想に励むもついに果たせず、疲れた身体を横たえようとしてその頭が枕につくかつかないかというその瞬間、期せずして阿羅漢果を得る。これによって、晴れて阿羅漢として結集に参加し、ウパーリ尊者の律の誦出に続いて、法すなわち経を誦出している。以降、尊者は多くの弟子を育てている。尊者の最後は壮絶なもので、尊者の死が近いことを耳にしたマガダとヴェーサーリーとの近隣国の王とその軍勢とが、尊者の舎利をめぐって今にも争いを起こさんとする構えを見せる中、尊者は、河の中洲にあって火生三昧に入り、自らその身を燃やしてその遺骨を分配したと伝えられる。
尊者の涅槃に関して興味深い説話を伝えるものに、玄奘三蔵の『大唐西域記』がある。それによれば、老齢となった尊者がマガダ国の林を散歩していたところ、偶然にも沙弥が誤った教法を口にしているのを耳にする。これをたしなめた所、この教法は沙弥の優れた師より聞いたものであって、誤っているのは老いさらばえて耄碌した長老(アーナンダ)である、と逆に笑われ責められ、「もはや仏滅から時を経、正法も失われかけている。衆生は煩悩にまみれて、これを教誡することは困難であり、これ以上世にとどまっていても利は少ない。もはや般涅槃の時である」と決心したことに依るという。『大唐西域記』 「阿難陀者如來之從父弟也。多聞總持博物強識。佛去世後繼大迦葉。任持正法導進學人。在摩揭陀國於林中經行。見一沙彌諷誦佛經。章句錯謬文字紛亂。阿難聞已感慕增懷。徐詣其所提撕指授。沙彌笑曰。大德耄矣。所言謬矣。我師高明春秋鼎盛。親承示誨誡無所誤。阿難默然退而歎曰。我年雖邁為諸眾生欲久住世。住持正法。然眾生垢重難以誨語。久留無利可速滅度。於是去摩揭陀國趣吠舍釐城。度殑伽河泛舟中流。摩揭陀王聞阿難去。情深戀德。即嚴戎駕疾驅追請。數百千眾營軍南岸。吠舍釐王聞阿難來。悲喜盈心。亦治軍旅奔馳迎候。數百千眾屯集北岸。兩軍相對旌旗翳日。阿難恐鬪其兵更相殺害。從舟中起上昇虛空。示現神變即入寂滅。化火焚骸骸又中折。一墮南岸。一墮北岸。於是二王各得一分。舉軍號慟。俱還本國。起窣堵波而修供養」(T51, p.909c)
仏陀の高弟とされた人の多くはバラモンあるいはクシャトリヤ出身、しかも軒並み裕福な家の出の人で、ウパーリはむしろ異例である。これはその階級を受け継ぐ血が優れているということではなく、そのような社会階級がそのまま教育の有無・高低・優劣に反映されていると見ることが出来る。仏陀の教えは、無教養の人に容易く受け入れられ、理解されるものではなかった。「衣食足りて礼節を知る」というが、「衣食が足りても幸福にはなれない」こと、衣食の質と量とが幸福の質と量とに関しないことは、ほとんど衣食が足り礼節(すなわち教育)ある人にこそ真に知り得ることであろう(例外的に、現代ではブータンの如き例もあり、彼の国は決して物質的には豊かではないけれども、「幸福」についての教育そして西洋的先進諸国からの情報の抑制によって、自身を幸福であると感じる人が多いといわれるが、定かでない)。▲
nave bhikkhū. 具足戒を受けてまもない比丘。律蔵では、具足戒を受けた後、その比丘は自身の師である和上の元で最低五年間、基本的には十年間、法と律とを学ばなければならないと規定される。この間に新比丘は基本的な比丘としての行儀作法や律の規定する諸項目・諸儀礼、経典・論書を学び、波羅提木叉を暗唱する。なんらか事情があって和上の元を離れる場合には、具足戒を受けて十年以上経過し、法と律とに通じた依止師(阿闍梨)の許しを請い、その下について従わなければならないとされる。▲
ovadanti anusāsantīti āmisasaṅgahena dhammasaṅgahena cāti dvīhi saṅgahehi saṅgaṇhitvā kammaṭṭhānovādānusāsanīhi ovadanti ca anusāsanti ca. (MA )▲
uposatha (posatha). 満月と新月の日すなわち十五日毎に行われる、僧伽においてもっとも重要な儀式の一つ。その地域・境界に住んでいる全ての比丘が、特定の一処(戒壇など)に集まり、一人の上座比丘が波羅提木叉を暗唱するのを他の比丘たちが静聴して行われる。しばしば僧侶の反省会・懺悔の儀式などと説明されるが正確でない。
布薩とは、僧伽の清浄性を確認する儀式であって、それまでの十五日間、またはそれ以前になんらか罪を犯している比丘は、布薩に参加することは出来ない。ただちに出罪可能なものであれば、布薩に参加する以前に懺悔して出罪しておく。もし、同一地域・境界にある比丘が一人でもこれに参加していなかった場合は、その布薩は不成立となって再度全員集まって行わなければならない。▲
pavāraṇā. 雨安居の最後の日、満月の日に行われるいわば雨安居の終式。自恣を迎えてからの一ヶ月間、比丘たちは袈裟衣を縫い繕うなどしてその後の一年に備え、遊行のための旅支度を整えた。これを衣時という。▲
āraddho. ārabhatiの過去完了形で「始めた」・「励んだ」、あるいは「成し遂げた」・「得た」であるが、そうすると意味がよく取れない。よってここは注釈書の説によった。「Āraddhoti tuṭṭho.(āraddhoとは、満足している[の意])」(MA)。▲
komudiṃ cātumāsiniṃ. komudiは雨季の四ヶ月間の最期の月となるKatthikaの満月の日。なぜこの日をコームディーと言うのかについて、ブッダゴーサは以下のように解している。「Komudiyāti kumudavatiyā. Tadā kira kumudāni supupphitāni honti, tāni ettha santīti komudī.」(DA)。
本経の復註書でも以下のように言う。「Komudīti kumudavatī. Tadā kira kumudāni supupphitāni honti.(Komudīとは、kumuda[睡蓮]である。その時、kumuda[睡蓮]が満開となるためにかく云われる)」(MT)。
古代の印度歴については別項「『盂蘭盆経』 ―盂蘭盆とは何か」の「解題」第四項を参照のこと。▲
jānapadā bhikkhū. jānapadaは「地方」の意であるが、多くの言語でそうであるように、ここでも「田舎くさい」・「洗練されていない」といった意が暗に込められ、教導することの必要な比丘たちが意味されている。▲
parisā. 集い。▲
apalāpāyaṃ, bhikkhave, parisā; nippalāpāyaṃ. 出家者は普段、寡黙であることが勧められ、また修行が進むほど自ずから寡黙となっていく。もっとも、それは口下手であることとは全く異なり、必要であるときには雄弁・饒舌であり、また直截にものを言うに畏れることがない。さらには、何事かを説明するに、譬喩を用いるに巧みで簡明であることが徳とされる。
修禅に専心している期間は、極力言葉を発せず、また何事につけ言葉を発しなければならない環境に身を置かないことが、己が精神を明晰にするに非常に有効な手段となる。その期間中、いかなる言葉をも発せず、極力その身体的動作も抑制して静かであることは、瑜伽を修習する者に強く推奨される。
これに直接関しない事柄となるが、英語にはregurgitate (regurgitation)という語がある。これは「飲み込んだものをもどす(吐く)」ことを意味する語であるけれども、転じて「(人の言うこと・聞いたことを)オウム返しに言う」「(理解すること無く)繰り返す」を意味する語でもある。たとえば仏陀の言葉でも過去の大徳の言葉であっても、それをただ繰り返すだけならば、それはあたかも吐きもどされたゲロのような汚物。それは元は同じでも、まるで別ものである。しかし、それは食物などではなく言葉であるから、吐き戻されたゲロであってもそっくり同じように見えてしまうが、どうしてもそこには吐瀉物の臭気が漂う。そのようでは自他を損なうものとなるであろう。そのようではいかにも勿体無い。
仏陀の教え、達磨はregurgitateではなく、あくまでdigest (digestion)、すなわち消化・吸収して会得しなければその用をなさない。同じ口にするのならば、これを吐き戻す如くにするのではなく我が血肉としなければならないし、それがそもそもの目的であったろう。けれどもそれは、先に述べたように南アジア・東南アジアの分別説部においてもただregurgitationとなって、むしろそうすることこそが褒むべきもの、讃うべきものという文化・習慣を形成するに至って膠着している。そこでは、まさしく臨済禅師など禅の師家らが自身の言葉が記録され、また繰り返す者を大変嫌った、その訳がまさしく現実化して明らかなものとなっている。よく憶念して避けるべきこと。▲
puññakkhetta. 功徳を生み出す場。田畑に種を播けばいずれ大きな収穫となるように、それに布施をなすことによって大きな功徳がもたらされることから、僧伽をして福田と言う。いまここに挙げられている文言は、上座部で読誦される僧伽への帰依の言葉(「Saṅgha vandanā」)と同様。▲
puṭosenāpi. 「旅行かばん」あるいは単に「籠」などとしても良いかも知れなかったけれども、ここはあえて古風に「行李」とした。「Puṭosenāpīti puṭosaṃ vuccati pātheyyaṃ. taṃ pātheyyaṃ gahetvāpi upasaṅkamituṃ yuttamevāti attho. ‘‘Puṭaṃsenā’’tipi pāṭho, tassattho – puṭo aṃse assāti puṭaṃso, tena puṭaṃsena, aṃse pātheyyapuṭaṃ vahantenāpīti vuttaṃ hoti.」(MA)。▲
anuppattasadatthā. しばしば、大乗は忘己利他などと言い、自分をさて置いて先ず他を利して救うべき、などというものがある。しかしそれは僻事であって空言にすぎない。泳げぬものは溺れるものを助けることは出来ない。自ら楽器を弾けないものが他に楽器の弾き方を教えることは出来ない。他を利すにはまず自らを確立し、自らを利益してから他に向かわなければならない。▲
Arahanta. 声聞における修行の最終目標にして最高の境地。上座部では、悟りの智慧(菩提)には、上から正等覚(sammāsambodhi)・独覚(paccekabodhi)・無上声聞覚(aggasāvakabodhi)・大声聞覚(mahāsāvakabodhi)・初因声聞覚(pakatisāvakabodhi)との五段階があるとする。第一のものが仏陀、第二は独覚仏、残りの三つは阿羅漢の菩提。現在の人が到達可能であるのは、それらの中で智慧の最も劣る、最後の初因声聞覚に限られるとされる。▲
pañca orambhāgiyāni saṃyojanāni. 衆生を下界(欲界)に結びつける五つの結(煩悩)。その五つとはすなわち有身見(sakkāyadiṭṭhi / 我が有るとの思考)・疑(vicikicchā / 業と輪廻・因果、四聖諦に対する疑い)・戒禁取見(sīlabbataparāmāsa / 涅槃を得ることの因とならない誤った戒・道徳を信じて行うこと)・貪欲(kāmacchanda / 特には性欲)・瞋恚(byāpāda / 自他を害さんとする思い)。▲
opapātikā. 両親(雌雄)の性交や受精などの過程を経ずして、忽然と誕生する生命。仏教では、生命の誕生の仕方を四種に分類する。その四つとはすなわち、胎生・卵生・湿生・化生。そのうちの化生とは、下は地獄や餓鬼の衆生、上は天界の神々の誕生の仕方をいう。ここでは後者の神々のそれを指す。▲
parinibbāyino anāvattidhammā. 一般にAnāgāmin、漢訳で不還あるいは阿那含といわれる聖者。人としての一生の中でこの境涯に達した者は、死後もはや人間として生まれ変わること無く、天界のいずこかに生まれ変わってそこで修行を完成し、解脱する。これに五種の別があることが説かれる。▲
tiṇṇaṃ saṃyojanānaṃ. 五下分結のうちの有身見(sakkāyadiṭṭhi)・疑(vicikicchā)・戒禁取見(sīlabbataparāmāsa)の三。▲
rāga. 満足することを知らず、無闇に欲しがる衝動的欲求。生命が等しく有する三つの根本煩惱、三毒の一。▲
dosa. 怒り。自ら思い通りにならぬ時の衝動的、破壊的衝動。三毒の一。▲
moha。無常・苦・無我たる真理に暗く、この世の事物は常・楽・我・浄であるとする理解。三毒の一。▲
Sakadāgāmin. 人としての人生の中でこの境涯に至った者は、死後一度だけ天界に転生。神としての一生を終えた後に、ふたたび人として生まれ変わって、そこで解脱を得ることからこのように言われる。漢訳で一来、あるいは斯陀含。▲
avinipātadhammā. 預流果に至った者は、もはやその境地から転落することがなく、また地獄・餓鬼・畜生に生まれ変わることもなくなって、必ず七回生まれ変わり死に変わるうちに菩提を得ることが定まっているとされる。声聞における不退転の境涯。▲
sambodhi. 正しい悟りの意で、正覚と漢訳される。ここでは阿羅漢の正覚を指す。
上座部ではこれに五つの浅深があるとされ、仏陀のそれは無上正覚、阿耨多羅三藐三菩提すなわち無上正等正覚は仏陀の悟りで、阿羅漢の正覚とは区別される。声聞乗では、人は仏陀はもとより独覚仏にも到底成り得ないとして、阿羅漢こそが人の到達可能な最高の境涯とする。上座部でも、仏陀となるには幾多の長大な宇宙的時間(劫)を、生まれ変わり死に変わりしながら十の波羅蜜を満足しなければならないとされ、それは不可能であるとする。また、阿羅漢となるためにも、同様に十波羅蜜を長大な時間をかけて満足しなければ成り得ないとするが、その期間は仏陀に比して著しく短い。▲
Sotāpanna. sota(流れ)にāpanna(入った・落ちた)ことから預流と漢訳される。その流れとは、四向四果あるいは四双八輩といわれる声聞の聖者の類。預流果に至った者は悪趣に堕ちることが無く、最大で七回、人か神として転生する間に阿羅漢果を得るとされる。預流に至った者は聖者であるけれども、いまだ三毒煩悩は健在であり、それによってしばしば悩み苦しむ。四向四果などといっても預流向の者など実質的に存在し得ない。なんとなれば、預流向に至った者は一瞬というにも満たない三、四刹那の後に、自ずから預流果となるとされるためである。他に入流とも漢訳され、あるいは須陀洹との音写される。▲
cattāro satipaṭṭhānā. 直訳すれば「四つの注意を向けるべき処」。一般に、身体は不浄(身念処)、感受は苦(受念処)、心は無常(心念処)、法は無我(法念処)であることを、それぞれの対象に意識を向け観察する修習。上座部では、身念処は止(samatha)、次の二つは止観(samathavipassanā)、最後の法念処は観(vipassanā)の修習であると定義される(『清浄道論』)。
四念処以下、三十七菩提分法と総称される七つの修道法、修道内容が列挙される。▲
bhāvanānuyogamanuyuttā. bhāvanāは、開発・発展・増大を原意とするもので修習と訳す。いわゆる瞑想のこと。anuyogaは専念・没頭、anuyuttaも集中・没頭・かかずらうの意。したがって、ここでは「修習に専心・没頭」と訳した。▲
viharanti. viharati(生きる・留まる・住む・滞在する)の三人称複数形。漢訳では一般に「住」と漢訳され、ここでも「住す」と訳した。英訳では一般に「abides(留まる)」。
仏典において頻出するこの語の意味を理解しておくことは非常に重要。しかしながら、「住す」にしろ「留まる」にしろそれでは今ひとつ理解できない者が多くあるようであるためこれを咀嚼して言えば「(~するのを)日常・日課とする」こと。▲
catāro sammappadhānā。直訳すると「四つの正しい努力」。①未だ生じていない悪を生ぜぬよう努めること(断断)・②すでに生じた悪を永く断ぜしめようと努める勤こと(律儀断)・③未だ生じていない善を生ぜしめるよう努めること(随護断)・④すでに生じた善をさらに強く確かなものとするよう努めること(修断)。
四正勤は日常において憶念し、諸々の修行において総括的に行われるべきもので、学処を護持することによって戒を実現する具体。▲
cataro iddhipādā. 直訳すると「四つの神通力の基」。iddhiは超常的能力、pādaは足・脚・基の意。四神足・四如意分とも漢訳される。①勝れた三摩地を得ようと欲すること(欲如意足)・②勝れた三摩地を得るために努力すること(精進如意足)・③心を守護して三摩地を得よう念を保つこと(念如意足)・④智慧によって三摩地を得ようと観察すること(思惟如意足)。
仏教では、第四禅に至った者でその獲得を望むならば、五神通が得られると説かれる。▲
pañca indriya. indriyaは元を司るもの・能力・感覚の意。直訳すれば「五つの能力」。①信仰・②精進・③念・④定・⑤慧。信仰と慧、精進と定とは相互にバランスを保つべきものと言われ、念は常に働かせるべきものとされる。▲
pañca bala. 「五つの力」。先の五根を強め確固たるものとなった状態。▲
satta bojjhaṅga. 「七つの悟りの構成要素」。①念覚支・②択法覚支・③精進覚支・④喜覚支・⑤猗覚支・⑥定覚支・⑦捨覚支。七菩提分・七覚分などとも。▲
ariya aṭṭhaṅgika magga. 一般に八正道。①正しい見解(正見)・②正しい思考(正思惟)・③正しい発言(正語)・④正しい身の振る舞い(正業)・⑤正しい生活手段(正命)・⑥正しい努力(正精進)・⑦正しい念(正念)・⑧正しい三摩地(正定)。
①正見は縁起・四聖諦および輪廻に対する理解。②正思惟は、慈(不瞋恚)・悲(不害)・不慳貪。③正語は不妄語・不綺語・不悪口・不両舌、④正業は不殺生・不偸盗・不邪淫、⑤自身の立場に応じた律儀を護持し生活すること、⑥四正勤・⑦四念処・⑧四禅。▲
mettābhāvanā. 自他に対する怒りを鎮めて安楽であれと願う、慈しみの心を育てるための修習。▲
karuṇābhāvanā. 自他に対する害意を鎮めて苦しみなくあれと願う、哀れみの心を持ち育てるための修習。▲
muditābhāvanā. 自他に生じた幸福を喜ぶ、随喜の心を持ち育てるための修習。▲
upekkhābhāvanā. 自他に執着せず捉われず、動じない心を持ち育てるための修習。▲
asubhabhāvanā. 自他の身体の不浄であることを見て、執着し渇望するに値しないものと解し、特に愛欲を退治するための修習。▲
aniccasaññābhāvanā. 世の事物すべてが無常であることを想起して観察して、貪欲を退治する修習。▲
ānāpānassatibhāvanā. 本経の主題。自身の吸う息・吐く息に集中し念じることを軸に、四念処ならびに七覚分を成就する修習。漢訳では持息息、あるいは安般念・安般守意とされる。▲
bahulīkatā. 直訳すれば「多く為した」。漢訳仏典では「多修習」とされる。一度となく何度も何度も修めること。ここでは意訳して「習熟」とした。▲
vijjā. 智慧。真理を認識する心の働き。vijjā(明)とはmagga(道)であると解される。▲
vimutti. 解脱。際限ない生死輪廻が止んで二度と転生しなくなること。vimutti(解脱)はphala(果)であると解される。▲