比丘とは、「乞う者(男)」を意味する[S]Bhikṣuまたは[P]Bhikkhuの音写で、仏教においては正式な男性出家修行者を言います。なぜ仏教の出家者が「乞う者」と称されるのか、それは出家修行者が日々に家々を巡って托鉢し、在家信者から(食の)施しに依って存在する者であるからです。このことから、Bhikṣu(Bhikkhu)は漢訳で乞士ともされます。
なお、南宋の学僧法雲は、Bhikṣu / Bhikkhuという梵語の意について、それまでの支那における理解を広くまとめ、以下のように記しています。
比丘。大論云。比丘名乞士。清淨活命故。復次比名破。丘名煩惱。能破煩惱故。復次比名怖。丘名能。能怖魔王及魔人民。 《中略》 又云此具三義。一殺賊。從破惡以得名。二不生。從怖魔而受稱。三應供。因乞士以成徳。涅槃説四種比丘。一者畢竟道無學二者示道初二三果三者受道通内外凡四者汚道。犯四重者。善見論云。善來得戒。三衣及瓦鉢貫著左肩上。鉢色如青欝鉢羅華。袈裟鮮明如赤蓮華。針線斧子漉嚢備具
【比丘】 『大智度論』に「比丘とは乞士という。清浄〈戒律を厳守すること〉にして命を活かすからである。また次に、『比』は破であり『丘』は煩悩である。よく煩悩を破ることから(比丘)である。また次に、『比』は怖であり『丘』は能である。よく魔王〈魔波旬〉および魔の人民〈魔波旬の眷属〉を恐怖させるから(比丘)である」という。 《中略》 (『淨名疏』〈智顗『維摩経略疏』〉には)またこれに三義があると云われる。「一つには殺賊、悪を破ることからこの名がある。二つには不生、魔を恐れさせることからの称である。三つには応供〈阿羅漢〉、乞士に因って徳を成就した者である」と。『涅槃経』〈曇無讖『大般涅槃経』〉には四種の比丘が説かれる。「一つには畢竟道(の比丘)無学〈阿羅漢〉。二つには示道(の比丘)初・二・三果〈須陀洹・斯陀含・阿那含〉。三には受道(の比丘)通内外凡〈修行途上〉。四には汚道(の比丘)、四重〈四波羅夷罪〉を犯した者である」と。『善見論』〈『善見律毘婆沙』〉には「善く(仏の正法律に)来て戒を得たならば三衣〈三種類の衣〉および瓦鉢を左肩の上に貫著する。鉢の色は青欝鉢羅華〈欝鉢羅華はutpalaの音写で睡蓮〉のようであり、袈裟〈kāṣāyaの音写.赤褐色。衣の色〉の鮮明であることは赤蓮華のようである。針・糸・斧子〈小刀〉・漉嚢〈漉水嚢.水漉し〉を具備する」と云われる。
法雲『翻訳名義集』巻一 七衆弟子篇第十二(T54, p.1072b)
[S]Bhikṣuはまた、唐代の大翻訳家、玄奘以降の新訳ではその発音により近い音写として、苾蒭または苾芻という語が充てられています。苾蒭とは一般に全く耳にすることがなく、見慣れないものであって、ルビがなければ読むことすら出来ない語であろうと思われます。しかし、戒律関係の仏典や史書、そして授戒や布薩といった重要な儀式の中では今に至るまでよく用いられています。
おそらく、比丘はサンスクリット(聖語)からの音写ではなくパーリ語などプラークリット(俗語)、あるいは中央アジアでそれが訛って通用していた胡語の音写であったのでしょう。例えば、パーリ語のBhikkhuはまさに比丘の音写としてよく合致したものとなっています。そこでしかし、実際に中インドにおいて長らくサンスクリットにより仏典を深く学んだ玄奘は、比丘とは誤った語であるとし、苾蒭というサンスクリットの発音により忠実な漢字を充てたのでした。
これは法顕や玄奘などの行跡に憧れ、自らも渡天して二十五年の長きにわたり印度および東南アジアを巡訪。そこで仏教を実地に学んで各地の様子を事細かに記録した上、数々の仏典を収集して支那にもたらし翻訳した、義浄三蔵も同様で、玄奘の創出した音写の例を多く踏襲しています。
ところで、比丘とは何も仏教の修行者に特有の呼称ではなく、古代印度における出家遊行者全般を示す言葉でした。故に、仏教以外の出家修行者にも比丘が存在していました。また、仏陀が出家修行者組織、すなわち僧伽を形成する過程で、人を出家させて比丘とする方法に変遷がありました。その故に仏教における比丘とは何かを厳密に定義する必要が生じたため、律蔵では何をもって仏教の比丘というのかを詳細にしています。したがって律蔵における比丘の定義がそのまま、仏教における比丘の定義となります。
そこで以下、現存する五つの律蔵のうち、現代も世界のいずこかにおいて依行されている三つの律蔵、すなわ南から東南アジアにて実行されている『パーリ律』、東アジア(支那・日本)で行われてきた『四分律』、ならびにチベットで行われている「根本説一切有部律」の『根本説一切有部毘奈耶』(以下『有部律』)における、比丘とは何かの定義を示します。
No. | 『パーリ律』 | No. | 『四分律』 | No. | 『有部律』 |
---|---|---|---|---|---|
① | 乞士比丘 | ||||
― | ― | ② | 相似比丘 | ||
② | 行乞食比丘 | ⑤ | 乞求比丘 | ③ | 乞求苾芻 |
③ | 著割截衣比丘 | ⑥ | 著割截衣比丘 | ||
④ | 名字比丘 | ① | 名字比丘 | ① | 名字苾芻 |
⑤ | 仮名比丘 | ③ | 自称比丘 | ② | 自言苾芻 |
⑥ | 善来比丘 | ④ | 善来比丘 | ||
⑦ | 以三帰得具足戒比丘 | ||||
⑧ | 善比丘 | ||||
⑨ | 真比丘 | ||||
⑩ | 学比丘 | ||||
⑪ | 無学比丘 | ⑦ | 破結使比丘 | ④ | 破煩悩苾芻 |
⑫ | 和合僧伽白四羯磨 如法受得処比丘 |
⑧ | 受大戒白四羯磨 如法成就得処所比丘 |
⑤ | 白四羯磨円具苾芻 |
(『パーリ律』が挙げる各種比丘の称は、ここでは便宜的にその注釈書Samantapāsādikāの漢訳である『善見律毘婆沙』にて相当する訳語を借用しています。ただし、⑫の『善見律毘婆沙』の訳「具足戒白四羯磨比丘」は、その原語「samaggena saṅghena ñatticatutthena kammena akuppena ṭhānārahena upasampannoti bhikkhu」に照らすと少々問題があるため、これについては従わず筆者が仮に直訳した語を充てています。なお、④の名字比丘は、檀越からの食事の招待(請食)などで比丘らと共にある沙弥のことであって、仮に比丘の数に含めて称したものであるとされます。)
上記表に示した通り、『パーリ律』では12種、『四分律』では8種、『有部律』では5種と、比丘と云われる者の数々を列挙しています。そこでしかし、そのうち仏教において比丘と認められる者はただ一つ、それぞれ最後に示されている「(諸条件を満たした上で)白四羯磨による具足戒を受けた比丘」で共通しています。
重要なことなのでここで繰り返し述べておきますが、仏教における比丘とは「(十比丘もしくは五比丘以上の僧伽から)白四羯磨により受具した者」をのみ言います。
白四羯磨とは、僧伽における最も重要な議題を決定する際の方式です。「白」とは、宣言・提議を意味する[S]jñapti・[P]ñattiの訳で、僧伽に対して何かの課題を提議することであり、「羯磨」は行為を意味する[S]karma・[P]kammaからの音写で、その議題の是非を問い議決することです。
提議の内容がなんであれそれはただ一度だけなされるので 一白、最も重要な議題は三度問われるのでこれを三羯磨といいます。そこでこれらを総称して一白三羯磨とも言います。そして、白すなわち提議もまた行為、すなわち羯磨(karma)であることに変わりないことから、白四羯磨と一般に称します。
なお、議題の是非について、賛成であれば沈黙を以って答え、反対であればその旨を自ら発言します。もし、たった一人であっても反対の者があれば、その提議は否決されます。原則として、僧伽における決議はあくまで全員一致によってのみ行われるのです。
具足戒を授けることは、僧伽において最も重要な儀式であり議題であるため、白四羯磨によってなされます。それほど重要でない決議は白二羯磨、すなわち議題が提議された後、ただ一度の議題の是非が問われて決議されます。ただ僧伽に何か告知すべきことがある場合は、決議を取る必要など無いため白一回で終わる、単白羯磨というのもあります。
実は仏陀が成道され、僧伽を形成していく当初は「白四羯磨」以外の方法で出家した比丘、例えば上の表で『パーリ律』の⑥、『四分律』の④で挙げられる「善来比丘」、すなわち仏陀から「来たれ、比丘よ( [P]Ehi Bhikkhu!)」との呼びかけに答えたことだけで出家した者が、正式な比丘として認められる存在でした。また、ここでは『パーリ律』だけに挙げられる「三帰得具足戒」のように、仏陀あるいは仏弟子に対して三帰依することが具足戒となって比丘となった者も当初は相当数ありました。
しかしながら、仏陀が中印度から北印度各地を巡って伝道され、また僧伽がそれに伴って大きくなっていったことにより、新たに出家を希望する者に様々な不都合が生じ、仏陀はその都度、出家の方法を改められています。そして最終的に仏教の比丘となるための絶対条件として規定されたのが、「白四羯磨によって具足戒を受けること」でした。
先にたびたび述べましたが、比丘とは原義から言えば「乞う者」、食を乞いながら遊行する出家修行者です。しかし、仏教においては、比丘とはただ「乞う者」というのではなく、「白四羯磨によって具足戒を受けた出家修行者」であり、これが声聞乗はもとより大乗であっても、仏教において比丘と呼び得る者の条件であり定義です。
比丘は誰でも彼でもなれるものではなく、諸々の欠格条項を有しておらず、また一定の適格条件を満たすことが求められます。これを一般に遮難と言います。しかしながら、遮難は、現存する律蔵によって若干の相違がみられ、全ての律蔵において同一というわけではありません。そこでここでは仮に、支那および日本で依行されてきた『四分律』に基づき、その所説の遮難を示します。
『四分律』では、十三難と十遮で計二十三の条件が挙げられています。これを今一般に「十遮十三難」と称します。もっとも、先ず問われるのは十三難であり、十遮はその後で問われるため、遮難あるいは十遮十三難というのは誤解を招くものであり、あまり好ましいものではありません。ここでは遮難が如何なるものかを示すにあたり、『四分律』に基づき、先ず十三難(左)を挙げ、次に十遮(右)を連ねます。
なお、十遮という語については、『四分律』にて用いられる語ではなく、『十誦律』にある語であって唐代の南山律宗祖、道宣により流用されるようになったものです。したがって本来的な称ではありません。難も遮もその原語は同じく[S/P]antarāyaあるいはantarāyikaで違いなど無かったように思われます。
ただし、「難」として挙げられる諸条件については、これを問われた際に偽って具足戒を受けた者が後にその虚偽であったことが発覚した場合、問答無用でただちに比丘たる資格を剥奪され僧伽から追放(滅擯)される点で「遮」とは異なります。「遮」の場合は、それが虚偽であることが発覚した場合に軽度の処罰が科せられるものと、追放に処せられるものとが混成しています。
No. | 十三難 | 十遮 |
---|---|---|
1 | 不犯辺罪 | 字 |
昔比丘であった時に波羅夷を犯し、 今また受具しようとする者でないこと |
自らの名を言えること | |
2 | 不犯比丘尼 | 和尚字 |
比丘尼を犯した経験がないこと | 自らの和尚の名を言えること (和尚の許しを得てその弟子であること) |
|
3 | 非賊心入道 | 年満二十 |
経済的理由等で出家したのでないこと | 数え二十歳以上であること | |
4 | 非壊二道 | 衣鉢具足 |
昔外道であったのが仏門で出家、 しかし後に元の外道に戻り、 さらにまた再び仏門に入って 比丘となろうとする者でないこと |
自らの衣*1と鉢*2を備えていること (*1 三種の衣、いわゆる三衣) (*2 借り物・石鉢・木鉢は不可) |
|
5 | 非黄門 | 父母聴 |
性的不能者(去勢者)でないこと | 父母の許可を得ていること | |
6 | 非殺父 | 非負債人 |
父を殺していないこと | 負債がないこと | |
7 | 非殺母 | 非奴 |
母を殺していないこと | 奴隷でないこと | |
8 | 非殺阿羅漢 | 非官人 |
阿羅漢を殺していないこと | 王臣・軍人・役人でないこと | |
9 | 非破僧 | 丈夫 |
破僧した経験がないこと (仏陀に対し反逆した経験が無いこと) |
五体満足の男性であること (身体的欠損の一切ない男であること) |
|
10 | 不悪心出仏身血 | 有如是病癩癰疽白癩乾痟顛狂病 |
悪意を以て仏陀を傷つけ 出血させた経験が無いこと |
癩・癰疽・白癩・乾痟・顛狂でないこと (伝染性の皮膚病および癲癇でないこと) |
|
11 | 非是非人 | |
非人でないこと (神霊が人に変化した者でないこと) |
||
12 | 非畜生 | |
動物でないこと (龍などが人に変化した者でないこと) |
||
13 | 非有二形 | |
両性具有でないこと |
以上に挙げた諸条件のうち、一つでも抵触するものがあれば、その者は比丘となることが出来ません。この十遮十三難は、受具が行われる前に必ず問われ、逐一それらに該当しないかが確認されます。なお、これら諸条件に抵触する者であっても、沙弥出家する際にこれらが問われることは無いため、沙弥となることは一応可能です。
比丘(苾蒭)になるためには、誰でも例外なく、比丘戒や大戒、または二百五十戒などと一般に言われる具足戒を、律蔵が規定する方法に従って受けなければなりません。具足戒とは、到着・獲得・取得・入手・同等などを意味する[S]upasaṃpadā・[P]upasampadā、あるいは[S]upasaṃpanna・[P]upasampannaの漢訳です。漢語の具足とは備えること・所有することを意味し、upasaṃpadā(upasaṃpanna)の訳として適切なものです。
ただし、ここでよくよく注意せねばならないのは、漢訳ではこれを具足戒などというものの、その原語には漢語の「戒」に相当する語など無いことです。
これによってよく誤解が招かれてきたのですが、upasaṃpadāは戒ではありません。仏教においてupasaṃpadāとは、「比丘あるいは比丘尼たることを得ること」です。より専門的には、「比丘たること」・「比丘尼たること」をそれぞれ比丘性(bhikṣubhāva)・比丘尼性(bhikṣunībhāva)といい、そこでupasaṃpadāは「比丘性あるいは比丘尼性を得ること」を意味するのであって、何かいわゆる戒律の条項を意味するものではありません。
この点を指摘した上で、以下もupasaṃpadāを具足戒という伝統的な語を用いますが、自らが比丘性あるいは比丘尼性を(僧伽から正しく承認されて)受けることを、受具足戒といい、またこれを略して受具といいます。
ここでもう一点、日本で非常によく誤解されている、「誰が具足戒を授けるか」ということについて述べておきます。一般に、日本では和尚といわれる人が具足戒を授けるのであると考えられ、ほとんど必ずそう説明されています。しかし、それは誤りです。
具足戒を授けるのは、あくまで授戒の場に集った十人以上の比丘からなる僧伽であって、和尚個人ではありません。和尚の授戒の場における役割、それは自身の弟子たる新たに比丘となろうとする者の身元保証であり、その者が比丘となることを僧伽に対して乞うことです。また、その者が受具して比丘となった後には、比丘として備えるべき素養一切を教え授ける教育者、出家者としての父としての役割を担うことです。
ここで、和尚(和上)という語について述べておきます。
和尚とは、指導者を意味する[S]upādhyāya / [P]upajjhāyaが于闐 〈ホータン王国。ウイグル〉など中央アジアの胡語に転訛した語の音写で、今一般に用いられる高僧であるとか老僧であること、あるいは何らか僧としての位階などを意味したものではありません。和尚とは(ある出家者個人の)師僧を意味する言葉です。
和尚。或和闍。羯磨疏云。自古翻譯多雜蕃胡。胡傳天語。不得聲實。故有訛僻。傳云。和尚梵本正名鄔波遮迦。傳至于闐。翻爲和尚。傳到此土。什師翻名力生。舍利弗問經云。夫出家者。捨其父母生死之家。入法門中。受微妙法。蓋師之力。生長法身。出功徳財。養智慧命。功莫大焉。又和尚亦翻近誦。以弟子年少不離於師。常逐常近。受經而誦。善見云。和尚外國語。漢言知有罪知無罪也明了論本云。優波陀訶翻爲依學。依此人學戒定惠故。即和尚也 義淨云。鄔波陀耶。此云親教師。由能教離出世業故。故和尚有二種。一親教即受業也。二依止即禀學也。毘奈耶云。弟子門人。纔見師時。即須起立。若見親教。即捨依止
【和尚】 あるいは和闍〈和社・烏社〉とも。『羯磨疏』〈道宣『四分律刪補随機羯磨疏』〉には、「古くから翻訳は多く蕃胡〈未開で野蛮人とみなされた中央アジア諸国。ここではその言葉や訛り〉を交えている。胡国における(訛謬した)天語〈天竺の言葉〉を伝えているのであって、その発音の実際は伝えられていない。その故に訛僻〈訛って誤った音・言葉〉がある」とある。『伝』〈道宣『続高僧伝』〉には、「和尚は梵本にて正しくは鄔波遮迦〈upādhyāya〉という。それが伝わり、于闐〈ホータン〉に至って翻じられ、(音が訛って)和尚となった。それがまた伝わり、この国〈支那〉に至ったのである」とある。什師〈鳩摩羅什〉は、これを翻訳して「力生」としている。
『舍利弗問経』には、「そもそも出家とは、その父母の生死の家を捨てて法門の中に入り、微妙の法をうけることである。思うに、その師の力によって法身を生長し、功徳の財を出すのだ。智慧の命を養う、その功はこれより大いなるものは無い」と説かれている。和尚はまた「近誦」とも訳される。弟子の年少なる者は、その師の側を離れず、常に従い常に近くにあって、経典を学び受けて誦習することに基づく。
『善見』〈『善見律毘婆沙』〉には、「和尚とは外国語である」という。漢地では「知有罪知無罪」という。(道宣『行事鈔』では)「『律二十二明了論』に「本来は『優波陀訶』という」とある。これを翻訳して依学という。この人に依って戒定慧を学ぶことから、すなわち和尚という」とある。
義浄は「鄔波陀耶〈upādhyāya. 鄔波馱耶〉、この国では親教師と云う」と述べている〈『南海寄帰内法伝』〉。よく(弟子に)離出世の業を教えることに由るからである。故に和尚には二種ある。一つには親教(の和尚)、すなわち受業〈出家の師〉である。二つには依止(の和尚)、すなわち禀学〈受具した際の師〉である。
『毘奈耶』〈『根本説一切有部毘奈耶雑事』〉には、「弟子門人は、わずかでも師の姿を見かけた時には、ただちに須らく起立すなければならない。もし親教(師)を見たならば、ただちに依止を捨てよ〈この一文だけでは全く意味不明であるが、要するに自身の和尚・阿闍梨に対しては常に敬意をもって随時し、その教導を仰ぐべきことを言ったもの。なぜこのように云うかの詳細は『毘奈耶雑事』の当該項にて説明されている〉」と説かれている。
法雲『翻訳名義集』巻一 釈氏衆名篇第十三(T54, p.1074a-b)
以上のように、法雲は諸典籍にあるその意義を集め色々述べていますが、この中、[S]upādhyāya(和尚)の漢語の意訳として、もっとも仏教におけるその位置づけをよく表した語は、「親教師」であると言えます。先ほど述べたように、和尚の役割は「出家における父」として子たる弟子を側において出家者としての行儀・知識を遺憾なく教え伝えることであるためです。
ただ、この『翻訳名義集』における和尚についての記述は、重要な点の言及がない、少々舌足らずなものとなっています。というのも、和尚とは、受具してから十夏以上、すなわち十回以上の夏安居を恙無く過ごした比丘であって、多聞で三学に通じて智慧あり、律の規定に詳しく、羯磨に堪能で、年少の人を教育指導し得る能力ある人が、「なり得る」ものであるからです。
子がなければ父と言えないように、そのような能力ある比丘が弟子を持ってはじめて和尚、すなわち親教師、師僧と呼ばれる存在となります。ただ十夏を過ごしただけで自ずから和尚と称されるようになる、などということはありません。
なお、具足戒の授戒の場を取り仕切り、主導するのは羯磨師といわれる役割を担う比丘であって、和尚ではありません。もう一人、授戒の場で新受者に対して質問し、またその場における所作やいかに衣を着るべきかなどを教えるのは、教授師あるいは威儀師といわれる役割を担う比丘です。
そこで和尚と羯磨師と教授師をまとめ、「三師」と支那および日本では言い習わしています。そして、三師以外の授戒の場にある比丘達、それが十人による授戒であれば残りの七人を証明師といい、これを総じて三師七証などといいます。
しかしながら、この三師七証という語もまた、よく人に誤解を生じさせるものとなっています。なぜならば、その七人(以上)の比丘の役割は、その授戒が如法に行われたものであることを証明する役割もあると言えばありますが、その者が具足戒を受けて比丘となることを承認することが主であるためです。実はその七人以上の比丘たちこそ、新受者に具足戒を与える主体であって、「証明」などという補助的な役割を担う者ではありません。
(具足戒の授戒は、最低十人、辺地では例外的に最低五人の比丘によってなされなければならないと規定されています。しかし、それは「最低限」ということであって、十人以上であれば百人であっても五百人であっても問題なく、その人数に上限はありません。例えば、菲才はビルマのとある僧院にて、五百人以上の比丘がただ三人の新受者のために具足戒を授けた場に列したことがあります。)
さて、先に具足戒は二百五十戒とも言われると述べましたが、実際に比丘の受具の場で、おおよそ二百五十の禁則条項が全て一々述べられ、例えばこれを「能く持つや否や」などと確認されることは決してありません。受具の場において比丘にならんとする者に示されるのは、以下に示す四波羅夷という、比丘としての禁忌、最も重い罪となる行為のみです。
No. | 罪名 | 構成要件 |
---|---|---|
1 | 淫 | 故意に相手の異性・同性、天人・獣を問わず、口・性器・肛門を通じて性交。 |
2 | 盗 | 故意にPañca māsaka(五銭 *俗法で死刑に相当する価値)以上の窃盗。 |
3 | 殺 | 故意に他人・天人を自ら殺害、あるいは他に殺害教唆、自殺奨励して遂行。 |
4 | 妄 | 故意に禅定、あるいは賢者・聖者の位を得たと虚言。 |
受具の場において、先に述べたように二百五十ヶ条程の条項すべてが一々示されることはありません。しかし四波羅夷は、これを比丘として犯した者はただちに還俗の上、僧伽から永久追放という最重罪であるために、これだけは受具の場で新たに比丘となる者に必ず「能く持つや否や」と問われます。
波羅夷とは、[S/P]pārājikaの音写です。これを玄奘は他勝処と漢訳しています。何故、他勝処(他の勝つ処)と訳されたのか。それはpārājikaという語はpara(他の)+√aj(動かす・投げる)と、para(他の)+√ji(勝つ)との二様に解釈することが出来、玄奘は後者の意であるとしてそう訳したのでしょう。
これをまた新羅における法相宗の学僧であった遁倫(道倫)は、その著『瑜伽論記』に、なぜこれを他勝処と言うかについて「若犯此戒者他所勝(もしこの戒を犯したならば他に勝たれる)」ためであると説明しています。他とはすなわち煩悩・魔のことであって、それに負かされて為される行為であるから他勝処という、とされます。
pārājikaの漢訳には他に、特に律蔵において不応悔罪や断頭罪と意訳された語がありますが、それを犯すことが比丘としてどれほど重い罪となるかをよく表したものとなっています。もし波羅夷罪を比丘もしくは比丘尼が犯した場合、その者はただちに僧伽から追放され、今生において二度と比丘・比丘尼となることは出来ません。そのように、懺悔しても許されない罪であるから不応悔罪であり、また比丘・比丘尼としての死罪を意味するから断頭罪とされます。
なお、波羅夷において挙げられる「淫」とは、もちろん性行為のことですが、具体的には「相手の同性・異性、天人・獣を問わず、口・性器・肛門を通じての性行為」を意味します。仏教では出家者の性について非常に厳しい態度が採られています。故に、在家の五戒の邪婬戒、また八齋戒・沙弥の十戒などでの淫戒は第三に挙げられますが、比丘の場合、婬について波羅夷の第一に挙げられます。
世間には、「仏教では出家者の異性に対する性行為は禁じられているが同性は禁じられていない。なんという欺瞞であるか」、あるいは「仏教は同性愛には寛容であった。故に仏教の僧には同性愛者が多かった」などと、何を間違ったかすっかり勘違いして言う輩がままあります。しかし、それは無知と怠慢に基づく誤解です。
巷間、「面倒な世の中を離れて世俗の事柄から逃げ出し、頭を剃り、袈裟衣をまとって托鉢するなど僧として静かな出家生活はしてみたい。けれども二百五十戒などと言われる律などは守れない、いや守りたくない、自分は窮屈な(不合理で時代遅れの)戒律に縛られたくなどない」などという者がしばしば見られます。
実際としてこのような考えを持つ四十あるいは五十を超えた者が、出家生活に虚ろな浪漫を感じて軽々しく出家。ところが、自分の俗世での経験に基づいた「しかし、わたしはこう思う ―ワタシだけの仏教」といった類の自分勝手な主義主張、すでに失敗を見たはずの「私の人生哲学」が如きものに固執し、これを出家生活に持ち込んで周囲と衝突。結局なじめずに還俗し、声高に「現代のいずれの僧侶も腐敗しきっている」などと誹謗中傷を始めるなどという場合があります。
「律など守れない、いや守りたくない」、「自分の主義主張や習慣を捨てることは出来ないし、これを出家生活にも持ち込みたい」、ひどいのになると「不況で経済的に苦境になった。人生にも疲れた。仏教のことはよく知らないが、本を少し読んでみたところ楽そうである。聞けば、南方では僧侶には簡単になれるという。では、老後は出家となって悠々自適に送ろう」などという、極めて安直で邪な考えを持つ中年・老人が存在しています。菲才は南方でそのような日本人に幾人か出逢ったことがあります。
しかし、経済不況など不純な動機にて出家を志すような者など論外で、それは先に挙げた賊心入道に他なりません。このような人はそもそも比丘になれず、沙弥にもなるべきではありません。
また、日本で僧侶を生業としている者が、南方に旅行などで行ったとき、僧として認められなかった、扱われなかったと不満を漏らす者があります。しかし、これは当然のことです。彼らが大乗・小乗の区別無く定義される比丘、正式な仏教の僧侶ではまったく無い、すなわち具足戒を受けてもおらず、また万一仮に受けていたとしてもこれを全く守っていないということが、その理由の一つです。
そもそも、普段から袈裟衣を身にまとうことなどなく、僧衣としては全くありえない現代の作務衣を含めた俗服で生活し、儀式などあるほんの一時だけしか身にまとわないのが日本の僧職者らのごく一般的ありかたです。大体、現代における日本のオボウサンから在俗の人が僧衣の一種だと思いこんでいる作務衣とは、元々は腰に巻く袈裟衣(antarvāsa)いわゆる五条袈裟を指して言ったものです。作務衣の作務とは、掃除や修繕などの営事を意味します。そして作務「衣」とは、それが袈裟衣であることによります。作務を為すときは上の袈裟衣(いわゆる七条袈裟など)を脱いで、腰に巻く袈裟衣だけまとっていたからのことです。
今言される作務衣とは、現代考案された俗服であり、いってしまえば実に端なく、甚だみっともない格好なのですが、もはやそんな意識は僧職者らになく、これをボーさんの略装であるかのように思い込んでどんな公の場でも平気でウロウロするようになったのですからたまったものではありません。実は戦後、今いわれる作務衣を「ボーさん」が着ることについてトンデモナイことであるとあちこちで大論争があったのですが、なし崩しに着られるようになり、今に至っています。
しかし、それが僧として根本的に非法であり、また世界的に見ても異常です。したがって、これが「オボウサンごっこの人」・「似非僧」・「僧を称する俗人」と見られて、正式な僧として扱われないのは当たり前です。
何依佛法乍出家不從佛誡哉勸誡時至持戒那倦苦輪責項不可不厄無常當額莫放逸眠
一体どうして仏法に依って出家しておきながら、仏の教誡に従わないのであろう。勧誡〈善を勧めて、悪を制すること〉、まさに今こそなすべき時である。持戒するのに、どうして思いあぐねることがあろうか。苦輪〈生死輪廻という際限なき苦の循環〉は項〈人の急所。切迫していることの譬え〉を責め続けている。これを厭わずあってはならない。無常は額〈項に同じく、切迫していることの譬え〉に当たっている。放逸に眠ることなかれ。
栄西『出家大綱』第一 二衣法
日本では、明治維新から昭和初期の間に僧伽が完全に滅びて潰えたため、日本仏教には比丘が存在しません。比丘が無いということは、すなわち沙弥も存在しえないということになります。
すなわち、日本で僧とされる人々、オボウサンとは、ただ日本の一宗団内でのみ認定されるだけの、先に挙げた比丘の定義でいうところの「自称比丘」、あるいは「賊心入道」でしかなく、また彼らが奉じる大乗の教義からしても、仏教僧として認められるものでは到底ありません。したがって、これは妙な話に聞こえることであるでしょうが、事実として仏教(経・律・論)の観点から、「仏教の僧侶と日本仏教に於いて云われる僧侶(オボウサン)とは異なる」ということになります。
非人沙門覺應