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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

『無畏三蔵禅要』

原文

中天竺摩伽陀國王舍城那爛𨹔竹林寺三藏沙門諱輸波迦羅。唐言善無畏。刹利種豪貴族。共嵩岳會善寺大德禪師敬賢和上。對論佛法。略敍大乗旨要。頓開衆生心地令速悟道。及受菩薩戒。羯磨儀軌。序之如左

夫欲入大乗法者。先須發無上菩提心受大菩薩戒身器清淨。然後受法。略作十一門分別

第一發心門 第二供養門 
第三懺悔門 第四歸依門 
第五發菩提心門 第六問遮難門 
第七請師門 第八羯磨門 
第九結界門 第十修四攝門 
第十一十重戒門

第一發心門

弟子某甲等。歸命十方一切諸佛諸大菩薩大菩提心。爲大導師。能令我等離諸惡趣。能示人天大涅槃路。是故我今至心頂禮

第二供養門 次應敎令運心。遍想十方諸佛。及無邊世界。微塵刹海。恒沙諸佛菩薩。想自身於一一佛前。頂礼讃歎供養之

弟子某甲等。十方世界所有一切㝡勝上妙。香華旛蓋種種勝事。供養諸佛及諸菩薩大菩提心。我今發心盡未來際。至誠供養至心頂禮

第三懺悔門

弟子某甲。自從過去無始巳來。乃至今日。貪瞋癡等一切煩惱。及忿恨等諸隨煩惱。惱乱身心廣造一切諸罪。身業不善殺盜邪婬。口業不善妄言綺語惡口兩舌。意業不善貪瞋邪見。一切煩惱無始相續纒染身心。令身口意造罪無量。或殺父母。殺阿羅漢。出佛身血。破和合僧。毀謗三寶。打縛衆生。破齋破戒。飮酒噉完〈宍〉。如是等罪。無量無邊不可憶知。今日誠心發露懺悔。一懺巳後永㫁相續更不敢作。唯願十方一切諸佛諸大菩薩加持護念。能令我等罪障消滅。至心頂禮

第四歸依門

弟子某甲。始從今身乃至當坐菩提道場。歸依如來無上三身。歸依方廣大乗法藏。歸依一切不退菩薩僧。惟願十方一切諸佛諸大菩薩。證知我等。至心頂禮

第五發菩提心門

弟子某甲。始從今身乃至當坐菩提道場。誓願發無上大菩提心
衆生無邊誓願度 
福智無邊誓願集 
法門無邊誓願學 
如來無邊誓願仕 
無上佛道誓願成
今所發心。復當遠離我法二相。顯明本覺眞如。平等正智現前得善巧智。具足圎滿普賢之心。唯願十方一切諸佛諸大菩薩。證知我等。至心懺悔

第六問遮難門

先問。若有犯七逆罪者。師不應與授戒。應敎懺悔。復七日二七日乃至七七日。復至一年懇到懺悔須現異本「見」好相。若不見好相。受戒亦不得戒。諸佛子汝等。從生巳來。不殺父耶有輕犯者。應須首罪。必不隱藏。得大罪報。乃至彼等犯者亦𡭗。無犯者答無
汝等不殺母耶。不出佛身血耶。不殺阿羅漢耶。不殺和尚耶。不殺阿闍梨耶。不破和合僧耶。汝等若犯如上七逆罪者。應須對衆發露懺悔。不得覆藏。必墮無間受無量苦。若依佛敎發露懺悔者。必得重罪消滅得清淨身。入佛智慧速證無上正等菩提。若不犯者但自答無 諸佛子等。汝從今日乃至當坐菩提道場。能精勤受持一切諸佛諸大菩薩。㝡勝㝡上大律儀戒否。此名所謂三聚淨戒。攝律儀戒。攝善法戒。饒益有情戒。汝等從今身乃至成佛。於其中間誓不犯能持否 答能 於其中間。不捨離三聚淨戒四弘誓願能持否 答能 既發菩提心受菩薩戒。惟願十方一切諸佛大菩薩。證明我等加持我等。令我永不退轉。至心頂禮

訓読

中天竺摩伽陀まがだ王舍城おうしゃじょう那爛𨹔ならんだ竹林寺ちくりんじ三藏沙門、いみな輸波迦羅しゅばきゃら、唐には善無畏ぜんむいと言ふ。剎利種せつりしゅにして豪貴の族なり。嵩岳すうがく會善寺えぜんじの大德、禪師敬賢きょうけん和上と共に、佛法を對論するに、略して大乗の旨要をべ、にはかに衆生の心地しんぢを開き速やかに悟道せしむ。及び菩薩戒をさずくる羯磨こんま儀軌ぎきあり。之れをぶること左の如し。

夫れ大乗の法に入んと欲せば、先ず須く無上菩提心をおこして、大菩薩戒を受け、身器清淨しんきしょうじょうにして、然して後ちに法を受くべし。略して十一門を作して分別す。

第一發心門 第二供養門 
第三懺悔門 第四歸依門 
第五發菩提心門 第六問遮難門 
第七請師門 第八羯磨門 
第九結界門 第十修四攝門
第十一十重戒門

第一 發心門

弟子某甲むこう等、十方一切の諸佛、諸大菩薩、大菩提心に歸命きみょうたてまつる。大導師と爲て能く我等をして諸の惡趣あくしゅを離れしめ、能く人天に大涅槃のみちを示したまへ。是故我今、心を致して頂禮ちょうらいし上る。

第二 供養門 次、應に敎へて運心せしめ、遍く十方の諸佛及び無邊世界、微塵刹海の恒沙の諸佛菩薩を想ひ、自身は一一の佛前に於て、頂礼讃歎して、之を供養すと想へ

弟子某甲等、十方世界の所有一切の㝡勝上妙の香・華・旛蓋、種種の勝事を以て、諸佛及び諸の菩薩、大菩提心に供養くようし上る。我れ今、發心より未來際を盡くすまで誠を至して供養し、心を至して頂禮し上る。

第三 懺悔門

弟子某甲、過去の無始巳來、いまし今日に至るまで、貪・瞋・癡等の一切煩惱、及び忿・恨等の諸の隨煩惱ずいぼんのうは、身心を惱乱して廣く一切の諸罪を造れり。身業の不善、殺・盜・邪婬、口業の不善、妄言・綺語・惡口・兩舌、意業の不善、貪・瞋・邪見なり。一切の煩惱は無始より相續して身心を纏染てんぜんし、身・口・意をして罪を造ること無量ならしむ。或るは父母を殺し、阿羅漢を殺し、佛身より血を出し、和合僧わごうそうを破し、三寶を毀謗きぼうし、衆生を打縛し、齋を破り、戒を破り、酒を飲み、にくふ。是の如く等の罪、無量無邊にして憶知すべからず。今日、誠心もて發露ほつろ懴悔さんげし上る。一たびさんして巳後、永く相續を㫁じて更に敢へて作らず。唯だ願はくは、十方一切の諸佛・諸大菩薩、加持かじ護念して、能く我等が罪障を消滅せしめたまえ。心を至して頂禮し上る。

第四 歸依門

弟子某甲、始め今身より乃し當に菩提道場に坐すに至るまで、如來の無上の三身さんしん、方廣大乗法藏に歸依きえし上る。一切の不退ふたいの菩薩僧に歸依し上る。惟だ願くは十方一切の諸佛・諸大菩薩、我等を證知したまえ。心を至して頂禮し上る。

第五 發菩提心門

弟子某甲、始め今身より乃し當に菩提道場に坐するに至るまで、誓願して無上大菩提心むじょうだいぼだいしんを發す。
衆生は無邊なり。度せんと誓願す。 
福智は無邊なり。集せんと誓願す。 
法門は無邊なり。學せんと誓願す。 
如來は無邊なり。仕へんと誓願す。
無上の佛道、成ぜんと誓願す。
今發す所の心、復た當に我法がほうの二相を遠離して、本覺の真如を顯明けんみょうすべし。平等の正智しょうち、現前して、善巧智ぜんきょうち、具足することを得て、普賢ふげんの心を圎滿し、唯だ願くは、十方の一切の諸佛諸大菩薩、我等を證知し玉へ。心を至して懺悔し上る。

第六 問遮難門

先づ問ふに、若し七逆罪を犯せること有らん者には、師は應に戒を與授よじゅすべからず。應に敎えて懺悔せしむべし。七日、二七日、乃至七七日にかさねて、復た一年にも至れ。懇到子むごろにに懺悔して、須く好相こうそう 異本「見」 ずべし。若し好相を見ざれば、戒を受くとも亦た戒を得ず。諸佛子、汝等、生まれしより巳來、父を殺さざるや 輕犯有らば、應に須く首罪を必ず隱藏せざれ。大罪報を得。乃至、彼等犯者も亦た𡭗なり。犯無くば無しと答ふ
汝等、母を殺さざるや。佛身より血を出さざるや。阿羅漢あらかんを殺さざるや。和尚わじょうを殺さざるや。阿闍梨耶あじゃりやを殺さざるや。和合僧を破さざるや。汝等、若し如上の七逆罪を犯さば、應に須く衆に對して發露懺悔すべし。覆藏ふくぞうすることを得ず。必ず無間むけんに墮して無量の苦を受く。若し佛敎に依て發露懺悔すれば、必ず重罪消滅することを得て、清淨の身を得、佛智慧に入り、速かに無上正等菩提を證すべし。若し犯さずは、但だ自ら無しと答えよ。諸佛子等、汝、今日より乃し當に菩提道場に坐せんとするに至るまで、能く精勤して、一切の諸佛・諸大菩薩の㝡勝㝡上の大律儀戒を受けたもてんや否や。此れを所謂、三聚淨戒さんじゅじょうかいと名く。攝律儀戒しょうりつぎかい攝善法戒しょうぜんぽうかい饒益有情戒にょうやくうじょうかいなり。汝等、今身より乃し成佛に至るまで、其の中間に於て、誓て犯さずして能く持つや否や。 能くすと答へよ。 其の中間に於て、三聚淨戒・四弘誓願しぐせいがんを捨離せずして、能く持つや否や。能くすと答へよ。 既に菩提心を發し、菩薩戒をさずく。ただ願くは、十方一切の諸佛・大菩薩、我等を證明しょうみょうし、我等を加持して、我をして永く退轉せざらしめたまえ。心を至して頂禮し上る。

脚註

  1. 摩伽陀まがだ

    Magadha. 古代印度にあった大国の一。釈尊在世当時、印度には十六大国といわれる諸国があったと諸仏典に言われるが、そのうちコーサラ(Kosala)国に並ぶ大国であったとされる。

  2. 王舍城おうしゃじょう

    Rājagṛha. ガンジス川中流域に位置した摩伽陀の都。周囲を外輪山に囲まれた緑豊かな地。釈尊在世時、最も長く滞在され説法・布教した地として知られ、今も多くの遺構が残る。

  3. 那爛𨹔ならんだ

    Nālandā. 那爛陀。施無厭などと漢訳される。王舎城の北側およそ三里(13km)程に位置する街。五世紀頃、この地に大僧院が建立されて後、十二世紀末にイスラム教徒らに破壊されるまで、印度仏教における中心的地であった。善無畏は王位を捨てて那爛陀寺に入り、その衆首であった達摩掬多(Dharma-gupta)に師事し、やがて密教を受法している。『宋高僧伝』では、達摩掬多は見かけは四十歳ほどであったが、当時すでに八百歳であったと伝説している。

  4. 竹林寺ちくりんじ

    Venuvana-vihāra. 竹林精舎。王舎城に位置する、釈尊在世当時から存在した精舎の一つ。ここではあたかも那爛陀に竹林寺があるかのように言われているが、竹林寺があったのは王舎城であって那爛陀ではない。

  5. 輸波迦羅しゅばきゃら

    [S].Svabhayakaraが転訛した[M].Subhāgaraの音写([M]はマガダ語)。その漢訳が善無畏。これは
    伝統的にはŚubhakaraの音写とされ、浄らか・美しいの意。その名は正しくはŚubhakarasiṃhaであるとされるが、これに善無畏との意はなく、浄獅子と漢訳される。

  6. 剎利種せつりしゅ

    kṣatriya. 古代印度の階級制度(varṇa)の婆羅門(Brahmin)に次ぐ階級で、王族・貴族(武士階級)のこと。善無畏は王族の子であったと言われる。

  7. 敬賢きょうけん和上

    支那の禅宗第六祖で北宗禅の祖とされる神秀の弟子であったとされる人。

  8. 羯磨こんま儀軌ぎき

    羯磨は[S].karma / [P].kammaの音写。行為・行いの意。漢訳は一般に業であるが、律においては受戒や布薩等の僧伽の重要な儀式、または僧伽の運営についての決議等を行うための定められた一連の言葉が意味される。ここで羯磨儀軌とは、特に授戒次第の意。

  9. 身器清淨しんきしょうじょう

    修定に際し、先ず自身が整えなければならない身心の条件や心構え。諸仏典に散説されたのを整理したものとして、例えば『倶舎論』に具体的に説かれる。

  10. 悪趣あくしゅ

    durgatiあるいはapāyaの漢訳。地獄・餓鬼・畜生などの、苦しみ多大なる忌むべき境涯。

  11. 供養くよう

    pūjā. 尊敬を以て、あつくもてなすこと。

  12. 隨煩惱ずいぼんのう

    upakleśa. 根本煩悩に付随して生じる悪しき心の働き。『倶舎論』ではこれに十九種ありとされ、『瑜伽論』などでは二十二種あるとされる。

  13. 和合僧わごうそうを破し

    僧伽の和合を乱すこと。ここでの和合とは、僧伽の成員である比丘・比丘尼ら皆が律に準じた生活を送った上で、その組織としての僧伽の運営を行うこと。例えば、布薩など僧伽の行事を原則として全員参加によって行い、その進行に無闇に異議を唱えて妨害しないこと。これをまた一味和合という。  和合僧とは、僧伽の運営を「皆が律に準じた生活を送った上で」円滑に行うことであって、日本の僧職者らがしばしば誤用しているような、事なかれ主義であったり無知・無規範の輩が烏合することを意味する語ではない。

  14. 發露ほつろ

    deśana. 自らの罪業を他に告白すること。

  15. 懴悔さんげ

    kṣama. 自らの罪業を悔いて許しを乞うこと。

  16. 加持かじ

    adhiṣṭhāna. 加護。

  17. 三身さんしん

    如来のありかたを三種に分類したもの。法身(dharma-kāya)・報身(saṃbhoga-kāya)・応身(nirmāṇa-kāya)。

  18. 不退ふたい

    avyāvṛtti. 阿鞞跋致。もはや退転することのない境地。

  19. 無上大菩提心むじょうだいぼだいしん

    仏陀と等しい菩提を求める意志、心。

  20. 我法がほうの二相

    人には霊魂の如き恒常不変の実体(我)があると考えることと、事物・事象(法)の背後や本質に恒常不変の実体があると考えること。一般には人法といい、それぞれ実体の無いものであることを人法二空といって、それが大乗の教えの特徴であると言われる。

  21. 善巧智ぜんきょうち

    人あるいは神々など生ける者らを導くのに巧みな智慧。

  22. 普賢心ふげんしん

    生きとし生けるものを救わんとする広大な大悲心。

  23. 好相こうそう

    夢あるいは現に現れる、なんらか吉祥なる現象。この受戒するため懴悔した際に見る好相がいかなるものであるかについて、例えば『梵網経』では、「好相者。佛來摩頂見光見華種種異相」(T24, p.1006c)とあって、仏陀が現れて自身の頂を撫でること・光を見ること・華を見ること等々の、様々な尋常ならざる現象であると規定されている。ここでいう光や華というのは、もちろん通常のものではなく、自身が明らかに異常、しかもなんらか吉祥であると感ぜられる形状・事象を、思いがけぬ状況において見るものとされる。
    なお、ここで善無畏が授戒に際して好相について言及していることは不可解である。なんとなれば、そのような説は印度以来のものでなく、当時の支那において通用していたやはり『梵網経』の所説に従ったものであるためである。『梵網経』「若佛子。佛滅度後。欲心好心受菩薩戒時。於佛菩薩形像前自誓受戒。當七日佛前懺悔。得見好相便得戒。若不得好相。應二七三七乃至一年。要得好相。得好相已。便得佛菩薩形像前受戒。若不得好相。雖佛像前受戒不得戒」(T24, p.1006c)。
    『梵網経』を初めとする諸々の菩薩戒を説く諸経典(『菩薩瓔珞本業経・占察経』。いずれも偽経)では、懴悔して好相を得よとするのは、あくまで授戒させ得る戒師が近くに無い場合である。善無畏が、本来許されざる罪である七逆罪を犯したことのある者は、菩薩戒を受ける以前になすべき懺悔として当時の支那で通用していた『梵網経』の説を斟酌して取り入れた可能性も一応有りはする。けれども『無畏三蔵禅要』所説の授戒法が、現前の戒師があり、また羯磨師すらあることを前提としながら、しかし内容的には自誓受戒の体裁を不完全な形で取り入れている点は実に不審な構成であることに変わりない。『梵網経』だけではなく、後述する『観普賢菩薩行法経』の所説をも取り入れているなど、多分に支那において重要視された経典、中でも天台教学の影響を受けて説かれたと思われる。したがって、ここに記された法式は、善無畏所説そのままでなく、後代二度なされたという編集の過程で、編者が当時流行していた支那流の授戒法を取り入れ加筆したものと見たほうがよいであろう。

  24. 阿羅漢あらかん

    arhat/arahantの音写。修行を完成し解脱した聖者。供養するに相応しい者の意であるとして、応供と漢訳される。仏陀の異称の一つであり、また声聞乗における聖者の最高位ともされる。

  25. 和尚わじょう

    [S].upādhyāyaが中央アジアの胡語に転訛した語の音写。その正しい音写は鄔波駄耶であるとされる。師僧、自身の根本の師のことであって、出家者にとっては出家生活上の親となる人の称。
    比丘が誰か弟子をとってその者の和尚となるためには、具足戒を受けて比丘となって後、最低でも十年を経ており、また経律に通じてその行業正しく、人を導くに耐える器量を備えてる必要があると律蔵にて規定される。

  26. 阿闍梨耶あじゃりや

    ācāryaの音写。教師・先生の意。

  27. 覆藏ふくぞう

    隠し立てすること。

  28. 無間むけん

    阿鼻地獄。阿鼻とはavīciの音写。地獄の最下層とされ、「絶え間ない苦しみに苛まれる境涯」であることから、無間地獄と漢訳される。

  29. 三聚淨戒さんじゅじょうかい

    trividhāni śīlāni. 菩薩戒の総体、六波羅蜜のうち戒波羅蜜の具体。

  30. 攝律儀戒しょうりつぎかい

    saṃvara-śīla. 仏教徒として持すべき基本的な戒あるいは律。それまで為してきた諸々の悪行を止めるための種々の禁則。在家であれば五戒・八斎戒、出家で沙弥・沙弥尼は十戒、正学女は六法戒、比丘・比丘尼は具足戒(律)。
    「律儀戒」といわず「摂律儀戒」という語を用いるのは『占察経』や『本業経』など中国にて偽作された菩薩戒経のみである。なお『梵網経』は三聚浄戒を説かない。本書には生粋の印度僧が述べたにしては不審に感じられる点がいくつか見られるが、この語についても善無畏が用いたというのは奇妙に感じる。あるいは慧警など編集者らによるものであろう。
    なお、律儀戒はただ三聚浄戒を受けることによっては受けることは出来ず、別途、三聚浄戒を受ける以前にそれぞれの分際に応じた戒あるいは律を、必ず受けておかなければならない。これを別受という。その上で、大乗を志向する者として三聚浄戒を受けることにより、すでにそれぞれ受けている律儀戒があらためて菩薩戒の一環であるとするのが、三聚浄戒の受戒における律儀戒。

  31. 攝善法戒しょうぜんぽうかい

    kuśala-dharma-saṃgrāhaka śīla. 大菩提を得るための、諸々の善を行うこと。具体的にいかなることを行うべきかについては、『瑜伽師地論』が最も詳しい。

  32. 饒益有情戒にょうやくうじょうかい

    sattvārtha-kriyā-śīla. あらゆる生ける物を利益するためになすべき諸々の事柄。それがどのような内容の行為を意味するものかは、やはり『瑜伽師地論』が最も詳しい。摂衆生戒とも。

  33. 四弘誓願しぐせいがん

    無上菩提を志向する菩薩が立てるべきものとされる四つの弘誓願。「衆生無辺誓願度 煩悩無量誓願断 法門無尽誓願智 仏道無上誓願成」。その語の典拠としては『仏名経』および『観彌勒菩薩上生兜率天経』にのみ見られるもので、特に智顗が強調して以来、天台宗で称揚される。
    善無畏は、先の第五発菩提心門では今一般に五大願といわれる五つの誓願を挙げながら、ここでは四弘誓願と述べている(あるいは、これを筆記した慧警がそのように理解して記したものか?)。これは先に挙げた五大願と四弘誓願を同一・同等のものと見ての言であるかもしれない。いずれにせよここに、『禅要』には天台教学の影響のあることを看取することが出来る。

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