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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

『雑阿含経』 巻二十九 ―安般念の修習

原文

《No.801》

如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。爾時世尊告諸比丘。有五法。多所饒益。修安那般那念。何等爲五。住於淨戒波羅提木叉。律儀威儀。行處具足。於微細罪。能生怖畏。受持學戒。是名第一。多所饒益。修習安那般那念。復次比丘。少欲少事少務。是名二法。多所饒益。修習安那般那念。復次比丘。飮食知量。多少得中。不爲飮食起求欲想。精勤思惟。是名三法。多所饒益。修安那般那念。復次比丘。初夜後夜。不著睡眠。精勤思惟。是名四法。多所饒益。修安那般那念。復次比丘。空閑林中。離諸憒閙。是名五法。多種饒益。修習安那般那念。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行

《No.802》

如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。爾時世尊告諸比丘。當修安那般那念。若比丘修習安那般那念。多修習者。得身止息。及心止息。有覺有觀。寂滅純一明分想修習滿足。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行

《No.803》

如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。爾時世尊告諸比丘。修習安那般那念。若比丘修習安那般那念。多修習者。得身心止息。有覺有觀。寂滅純一明分想修習滿足。何等爲修習安那般那念。多修習已。身心止息。有覺有觀。寂滅純一明分想。修習滿足。是比丘。若依聚落城邑止住。晨朝著衣持鉢。入村乞食。善護其身。守諸根門。善繋心住。乞食已還住處。擧衣鉢洗足已。或入林中閑房樹下。或空露地。端身正坐。繋念面前。斷世貪愛。離欲清淨。瞋恚睡眠掉悔疑斷。度諸疑惑。於諸善法。心得決定。遠離五蓋煩惱於心令慧力羸爲障礙分不趣涅槃。念於内息繋念善學。念於外息繋念善學。息長息短覺知一切身入息。於一切身入息善學覺知一切身出息。於一切身出息善學覺知一切身行息入息。於一切身行息入息善學覺知一切身行息出息。於一心〈切の誤写〉身行息出息善學覺知喜覺知樂覺知身〈心の誤写〉行。覺知心行息入息。於覺知心行息入息善學覺知心行息出息。於覺知心行息出息。善學覺知心覺知心悦覺知心定。覺知心解脱入息。於覺知心解脱入息善學覺知心解脱出息。於覺知心解脱出息善學觀察無常。觀察斷。觀察無欲。觀察滅入息。於觀察滅入息善學。觀察滅出息。於觀察滅出息善學。是名修安那般那念。身止息心止息。有覺有觀。寂滅純一明分想修習滿足。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行

訓読

《No.801》

かくごとけり一時いちじほとけ舍衛國しゃえいこく祇樹給孤獨園ぎじゅきっこどくおんに住せり。の時、世尊せそんもろもろ比丘びくに告げたまはく。五法ごほう有り。饒益にょうやくする所多ければ、安那般那念あんなぱんなねんしゅすべし。何等なんらをか五とす。淨戒じょうかい波羅提木叉はらだいもくしゃ律儀りつぎに住し、威儀いぎ行處ぎょうしょ具足して、微細みさいの罪に於て怖畏ふいを生じ、學戒がっかいを受持する。是れを第一と名づく。饒益する所多ければ、安那般那念を修すべし。復た次に比丘、少欲・少事・少務なる。是れを二法と名づく。饒益する所多ければ、安那般那念を修すべし。復た次に比丘、飮食おんじきについて量を知り、多少たしょうちゅう。飮食を為して求欲ぐよくの想を起こさずして、精勤しょうごん思惟しゆいする。是れを三法と名づく。饒益する所多ければ、安那般那念を修すべし。復た次に比丘、初夜しょや後夜ごや睡眠すいめんかずして、精勤・思惟すべし。是れを四法と名づく。饒益する所多ければ、安那般那念を修すべし。復た次に比丘、空閑林くうげんりん中にて、諸の憒閙かいにょうを離る。是れを五法と名づく。饒益多種なれば、安那般那念を修習しゅじゅうすべしと。佛、此の經を説きおわりたまひし。諸の比丘、佛の所説を聞きて、歡喜かんぎ奉行ぶぎょうしき。

《No.802》

是の如く我れ聞けり。一時、佛、舍衛國祇樹給孤獨園に住しき。爾の時、世尊、諸の比丘に告げたまはく。まさに安那般那念をしゅすべし。若し比丘、安那般那念を修習しゅじゅうするに、多く修習しゅじゅうせばしん止息しそくし、及びしん、止息することを得、かく有り、かん有り、寂滅じゃくめつ純一じゅんいちにして、明分想みょうぶんそうの修習を滿足す、と。佛、此の經を説き已りたまひし。諸の比丘、佛の所説を聞きて、歡喜かんぎ奉行ぶぎょうしき。

《No.803》

是の如く我れ聞けり。一時、佛、舍衛國祇樹給孤獨園に住しき。爾の時、世尊、諸の比丘に告げたまはく。安那般那念を修習しゅじゅうすべし。若し比丘、安那般那念を修習するに、多く修習せば、身・心、止息し、有覺・有觀、寂滅・純一、明分想の修習滿足す。何等をか安那般那念を修習するに多く修習し已らば、身心止息し、有覺・有觀、寂滅・純一にして、明分想を修習し滿足すと為すや。是の比丘、若し聚樂じゅらく城邑じょうゆうに依りて止住し、晨朝じんちょうころもを著けはちを持ち、村に入りて乞食こつじきするに、善く其の身を護り、諸根の門を守り、善く心をけて住し、乞食こつじき已て住處に還り、衣鉢えはつを挙げ、洗足し已る。あるいは林の中、閑房けんぼう、樹の下、或は空露地くうろじに入て、端身たんしん正坐しょうざし、面前めんぜん繫念けねん。世の貪愛とんあいを断じ、欲を離れ清淨しょうじょうにして、瞋恚しんに睡眠すいめん掉悔じょうけを断じ、諸の疑惑を度して、諸の善法に於て心、決定けつじょうすることを得。五蓋煩悩ごがいぼんのうの、心に於て慧力をしてよわらしめ、障礙分しょうげぶんと為て涅槃ねはんに趣かざるを遠離す。内息ないそくを念じては、繫念けねんして善く學す。外息げそくを念じては、息の長き・息の短きに繫念して善く學す。一切身いっさいしんを覺知して入息にっそくし、一切身において入息するを善く學す。一切身を覺知して出息し、一切身において出息するを善く學す。一切身行いっさいしんぎょうむを覺知して入息し、一切身行息において入息するを善く學す。一切身行のむを覺知して出息し、一切身行のむにおいて出息するを善く學す。 を覺知し、らくを覺知し、心行しんぎょうを覺知す。心行しんぎょうを覺知して入息し、心行のむを覺知して入息するを善く學す。心行のむを覺知して出息し、心行のむを覺知して出息するを善く學す。しんを覺知し、心悦しんえつを覺知し、心定しんじょうを覺知す。心解脱しんげだつを覺知して入息し、心解脱を覺知して入息するを善く學す。心解脱を覺知して出息し、心解脱を覺知して出息するを善く學す。無常むじょう觀察かんざつし、だんを觀察し、無欲むよくを觀察す。めつを觀察して入息し、滅を觀察して入息するを善く學す。滅を觀察して出息し、滅を觀察して出息するを善く學す。是れを名づけて、安那般那念を修して、身止息・心止息し、有覺・有觀、寂滅・純一にして、明分想の修習滿足とする。佛、此の經を説き已りたまひしに、諸の比丘、佛の所説を聞きて、歡喜かんぎ奉行ぶぎょうしき。

脚註

  1. かくごとけり

    Evaṃ me sutaṃ. ここに言う我とは、仏陀滅後三ヶ月後に王舎城にて五百人の阿羅漢によって行われた第一の法と律との結集において、すべての経を誦出したと伝承される阿難尊者。

  2. 一時いちじ

    ekaṃ samayaṃ. ある時。

  3. ほとけ

    [S/P]Buddhaの音写、佛陀の略。Buddhaとは、その語源が√bud(目覚める)+ta(過去分詞)であって「目覚めた人」の意。(それまで知られなかった真理に)目覚めた人、悟った者であるからBuddhaという。仏陀とはあくまで人であった。
    外来語であったBuddhaは当初「浮屠」・「浮図」などとも音写されたが、後にBudhに「佛」の字が充てられ「佛陀」あるいは「佛駄」との音写も行われて今に至る。それら音写のいずれにも「屠」や「駄」・「陀」などのいわば好ましからざる漢字が当てられているが、そこに当時の支那人における外来の文物を蔑視し、矮小化しようとする意図が明らかに現れている(この傾向はその後も比較的長く見られる)。やがて略して「佛」の一文字でもそれを称するようになった。
    そもそも「佛」という一文字からも、当時の支那人におけるいわば「Buddha観」を見ることが出来る。『説文解字』では「佛」とは「見不審也(見るに審らかならず)」の意とする。また「佛」とは「人+弗」で構成されるが、それは「人にあらざるもの」・「人でないもの」を意味する。ここからも、当時の支那人にはBuddhaをして「人ではない」とする見方があったことが知られる。
    なお、日本で「佛(仏)」を「ほとけ」と訓じるのは、「ふと(浮屠)」または「没度(ぼだ)」の音変化した「ほと」に、接尾辞「け」が付加されたものである。この「け」が何を意味するか未確定で、「気」または「怪」あるいは「異」が想定される。それらはおよそ明瞭でないモノあるいは特別なモノを指すに用いられる点で通じている。

  4. 舍衛國しゃえいこく

    [P]Sāvatthī ([S]Śrāvastī). 北インドのガンジス川中流域(現インドのウッラルプラデーシュ州北東部)に栄えた古代国Kosala(憍薩羅)の首都。
    釈尊在世当時のコーサラ国王Pasenadi(波斯匿)は、釈尊の最大の外護者の一人であったとされる。しかし、仏陀ご在世中、この王が死んで王位を継承したその子Vidūdabha(毘瑠璃)王によって、仏陀の一族たる釈迦族はほとんど皆殺しにされ、仏陀の故国は滅びる。そしてそれからまもなく、そのコーサラ国自体も同じく北インドで覇権を競っていたMagadha(摩掲陀)国によって滅ぼされる。

  5. 祇樹給孤獨園ぎじゅきっこどくおん

    [P]Jetavana Anāthapiṇḍikārāma ([S]Jetavana Anāthapiṇḍadārāma). 給孤獨(Anāthapiṇḍada)は、当時舍衛城に住んでいた須達(Sudatta)なる豪商が、常に貧しく孤独な孤児や人々に衣食を分け与えていたことに基づく通称。須達は祇陀太子が所有していた森林を譲り受け、仏陀に寄進して精舎としたことから、そこは祇樹給孤独園(ぎじゅきっこどくおん)あるいは祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)と称されるようになった。以降今に至るまで、印度における精舎として最も著名な寺院の一つ。現在はその遺構が同地に保存されている。

  6. 比丘びく

    [P]bhikkhu ([S]Bhikṣu).(食を)乞う者の意で、仏教の正式な男性出家修行者。苾芻(びっす)に同じ。女性は比丘尼。

  7. 五法ごほう

    安那般那念を修習するに際して、五つ事柄について整えること。その五つとは①戒、②事物、③飲食、④睡眠、⑤場所。パーリ経典の相応部安般相応にはこの経に対応するものは無い。
    後代、本経で説かれている五法のごとき修禅のための諸条件が、部派それぞれや大乗において詳細に言われている。たとえば説一切有部では安住尸羅清浄ならびに身器清浄を説き、分別説部では優波底沙『解脱道論』やブッダゴーサ『清浄道論』の中であれこれ説かれ、智顗は『修習止観坐禅法要』の中で廿五方便として説いている。それらはほとんど似通った内容のものである。
    『中阿含経』巻十 相應品「彌醯経」では、瑜伽を修習するための諸条件として(というよりも比丘の義務として)、これとやや異なる五法を挙げる。すなわち、①親近善知識、②持戒、③修学・少欲知足、④精進、⑤分別智の五。「彌醯経」では、これを説いて後、不浄観・慈観・安般念・無常観を修すべきことが説かれる。「世尊告曰。彌醯。心解脫未熟。欲令熟者有五習法。云何為五。彌醯。比丘者。自善知識與善知識俱。善知識共和合。彌醯。心解脫未熟。欲令熟者。是謂第一習法。復次。彌醯。比丘者。修習禁戒。守護從解脫。又復善攝威儀禮節。見纖芥罪。常懷畏怖。受持學戒。彌醯。心解脫未熟。欲令熟者。是謂第二習法。復次。彌醯。比丘者。謂所可說聖有義。令心柔軟。使心無蓋。謂說戒說定說慧說解脫說解脫知見說漸損說不樂聚會說少欲說知足說斷說無欲說滅說燕坐說緣起。得如是比沙門所說。具得。易不難得。彌醯。心解脫未熟。欲令熟者。是謂第三習法。復次。彌醯。比丘者。常行精進。斷惡不善。修諸善法。恒自起意。專一堅固。為諸善本。不捨方便。彌醯。心解脫未熟。欲令熟者。是謂第四習法。復次。彌醯。比丘者。修行智慧。觀興衰法。得如是智。聖慧明達。分別曉了。以正盡苦。彌醯。心解脫未熟。欲令熟者。是謂第五習法」(T2, p.491b-492a)。

  8. 安那般那念あんなぱんなねん

    [P]ānāpāna-sati ([S]ānāpāna-smṛti). 自らが普段、無意識になしているところの呼吸、入る息・出る息を特に対象として意識を向かわせ、これを淡々と念じて身心を止息させていく修習。持息念とも漢訳される。なお、本経において最も重要な語である念(sati / smṛti)については別項「念とは何か」を参照のこと。

  9. 波羅提木叉はらだいもくしゃ律儀りつぎ

    波羅提木叉は[S]prātimokṣa ([P].pātimokkha)の音写。戒本・隨順解脱・別解脱・最勝などと漢訳される。一般に「律にて禁則とされる諸条項の集成」、いわば「出家の禁則条項集」とでも言うべきものが意味される。出家者にとって非常に重要なものであり、毎月二回必ず行われる布薩(説戒・長養)の際には、一人の長老あるいは上座比丘がこれを暗誦し、その他の比丘はこれを静聴してその僧伽が律に違反せずあることを確認する。現代誤解している者が非常に多くあるが、戒律が書かれた本であるから「戒本」というのではなく、戒律の根本であるから「戒本」という。そもそもこれは「本」として伝えられず、仏滅後数百年以上も口授・口伝された。
    律蔵によって異なるがその禁則事項の数はおよそ二百五十で、このことから二百五十戒などとも言われる。支那・日本で一般に依行された『四分律』はちょうど二百五十項目、南方の上座部で依行される『パーリ律』は二百二十七項目ある。
    律儀は[S/P]saṃvaraの漢訳で、その原義は「止めること」から「防護」・「制御」の意。悪しき行いを防いで自らなさず、その悪しき習慣と(三途に転生するなどの)果報から自らを護るもの。ここでの場合、比丘の律儀の総称、具体的内容が波羅提木叉に説かれる諸々の禁則条項。

  10. 微細みさいの罪

    律蔵にて禁則とされる規定のうち、突吉羅(悪作)や悪説とされる最も軽微な行為。「罪」という言葉をキリスト教的な原罪、Sinの如き概念をもって捉えるのは全く誤りとなるため注意が必要。出家者の場合、出家者として為すべきでない行為はすべて罪といわれるが、それがたちまち「地獄に導く」云々、「人という罪深き」云々といわれるような種類のものではない。
    微細の罪を恐れるとは、波羅提木叉で禁じられているのが明瞭な行為を為さないのはもちろんのこと、たとえば比丘がある行為をなすのに、「もしやすると、これは罪(非法・不浄)となるかもしれない」と疑問に思ったならば、それをひとまず為さぬよう躊躇すること。

  11. 多少たしょうちゅう

    仏教の出家修行者は原則として一日一食のみで、その食も托鉢によって得るものとされ、正午までにこれを採り終わらなければならない。その一食を採るとき、どれほどが自らに適量であるかを出家者は知らなければならない。もし不足であれば、夜、空腹に悩まさえることとなり、それが続けば栄養失調となる。もし過度であれば、食後身体が重くダルくなって眠気が襲い、心が明瞭でなくなり、それが続けば(たとえ一食であっても)だらし無く太りだす。
    朝食など栄養を何も取らずに托鉢に出ると、人によっては低血糖などを起こすことがあるが、それを予防するために氷砂糖(飴など)を托鉢に出る前に口にすることは律に違反しない。例えばタイ北部のとある修禅寺院では、早朝五時頃托鉢に出る前(粥ではなく)重湯を飲む。近年は、多くの出家者が一日一食では到底なく、朝(粥・軽食)・昼の二食摂るのが一般的。

  12. 初夜しょや後夜ごや睡眠すいめんかず

    初夜は戌の刻(20:00頃)、後夜は寅の刻(4:00頃)。
    惰眠を貪ってはならないことは、多くの経で教戒される。『仏遺教経』「汝等比丘。昼則勤心修習善法無令失時。初夜後夜亦勿有廢。中夜誦經以自消息。無以睡眠因縁令一生空過無所得也」(比丘達よ、昼は勤めて善法を修習し時間を無駄にしてはならない。初夜にも後夜にもまた、善法を修習することを止めてはならない。中夜に誦経して自らを救済せよ。睡眠を貪ることによって一生を空しくすごして得るものが何も無いようであってはならない)。

  13. 空閑林くうげんりん

    [P]arañña ([S]araṇya). 人里から遠すぎず近すぎぬ閑静な森林。修行するのに最も適した場所。一般に阿蘭若とも。禅・瑜伽の修習に励む比丘たちは、街中や村落を好まずその中に住まず、森林の中で過ごし修行に励んだ。
    阿蘭若について、『大毘婆沙論』では「去村五百弓。名阿練若處。從此已去名邊遠處。則五百弓成摩揭陀國一俱盧舍」(大正27, P702上段)とし、“Visuddhimagga”(『清浄道論』)では‘Tattha araññagatoti "araññanti nikkhamitvā bahi indakhīlā sabbametaṃ arañña"nti ca, "āraññakaṃ nāma senāsanaṃ pañcadhanusatikaṃ pacchima"nti ca evaṃ vuttalakkhaṇesu araññesu yaṃkiñci pavivekasukhaṃ araññaṃ gato.’という。一弓(dhanu)とは四肘(hasta)で、一肘とは約45cmであるから、およそ180cm。故に五百弓はおよそ900mであり、それはまた一俱盧舍(krośa)と言われる。
    そもそもガンジス川中流域にそのような、日本人や欧州の人々が想像するような奥深い山や森などという場所はない。もっとも、これは例外的に、王舎城(現:ビハール州ラージギル)には、それほど高くはないがその地を取り囲みこれを天然の要害としている山々と、それに囲まれた森がある。今でもその森には稀ではあるが虎が出るという。

  14. 多く修習しゅじゅうせば

    パーリ経典でこの一節に対応する語は「bahulīkatā(多く為した・しばしば修めた)」。

  15. かく

    [P]vitakka ([S]vitarka). 粗雑な思考。玄奘による新訳語は「尋」。

  16. かん

    [S/P]vicārā. 微細な思考。玄奘による新訳語は「伺」。

  17. 純一じゅんいち

    心解脱した状態。『雑阿含経』(No.41)「若心得解脱者。則為純一。純一者。則梵行立。梵行立者。離他自在」(T2, p.10a)。本経の「覚有り、観有り」云々という一節は初禅を意味する。求那跋陀羅はekāgratā(心一境性)には一心の訳語を用いているため、純一とは心一境性ではない。パーリ経典には対応するものがなく、また似たような一節も見当たらない。

  18. 明分想みょうぶんそう

    ①一切行無常想・②無常苦想・③苦無我想・④観食想・⑤一切世間不可楽想・⑥死想の六種。『雑阿含経』(No.1034)「修習六明分想。何等為六。謂一切行無常想無常苦想苦無我想観食想一切世間不可楽想死想」(T2, p.270b)。ただし、この経は、仏陀が王舍城の迦蘭陀竹園におられたとき、樹提長者の孫で長寿童子というのが重病にかかっていると聞かれ、そこに托鉢時に赴かれて、四不壊浄と共に説かれたもの。その時、これによって長寿童子は斯陀含果に至ったと仏陀によって記される。今まさに死に逝かんとする者(とするのは早計かもしれぬが、とにかく重病人)に対しての経説であるため、この説をそのままここでの経文に適用するのはためらわれる。パーリ経典には該当する一節は見いだせない。

  19. 晨朝じんちょう

    6:00頃。現在、仏教が伝わった国で托鉢を日常的に行なっている国は、タイ・ラオス・カンボジア・ビルマにほぼ限らえるが、それらの国々でもビルマ南部のヤンゴンでは托鉢に出る時が遅く朝八時半から九時が一般的であるのに対し、その他地域では6時半頃、北部のマンダレーでは大変早く朝4時から五時には出ている者がある。マンダレーの場合は僧侶の数が多すぎて、それが同時刻に一斉に出ると不都合であるためという。タイやラオス、カンボジアではおおよそ朝六時から六時半に僧院を出るのが一般的。

  20. ころも

    cīvara. いわゆる袈裟衣。袈裟とはkaṣāyaの音写で、「汚れた色」特には「赤褐色」を意味する。
    比丘は、三衣といい原則として三種の袈裟のみを着用することが許されている。その三種とは、安陀会(antarvāsa)・鬱多羅僧(uttārasaṅga)・僧伽梨(samghātī)で、順に下衣・上衣・外衣(重衣)とも呼ばれる。安陀会は腰に巻きつけて着用する、いわば腰巻のようなもので、故に僧院の内と外とを問わず、洗浴時を除いて一日中着ている袈裟。三衣の中でもっとも小さいものではあるが、「三輪を覆うを最小とする」と言い、腰に巻きつけたときに臍と両膝がすっぽり覆い隠されるのが最小限度の大きさ。鬱多羅僧は、僧院内で誦経・瞑想・経律の学習や僧伽の諸行事にて必ず着用しなければならない袈裟。これは普段、右肩を顕わにするように着用する。これを偏袒右肩という。そして僧伽梨は、たとえば托鉢の際など、僧院・精舎や住居としている森林・洞窟から出て市街や村など集落に出るときに着用しなければならない袈裟。その場合、両肩を覆い隠すよう身体にグルッと巻くようにして着用する。この着用法を通肩という。もしくは、折りたたんでただ左肩に掛けることもされる。僧伽梨は寒い時に防寒着としても用いることが出来るが、そもそも寒さが原因でこの僧伽梨の使用が始まった。鬱多羅僧と僧伽梨の大きさは同じであるが、僧伽梨は必ず二重(裏地がなければならない)に作られなければならないため、これをまた重衣ともいう。これら三衣は、場合によっては着用していなくとも、常に側に携えていなければならない(摂衣界などといって、寺院内・精舎の境内にある場合はその限りでない)。また更に、これにいわば下着として鬱多羅僧の下に着用する左肩を覆う布(僧祇支)が許可され、安陀会の下に着用する腰巻も使用されている。なお、比丘の三衣一鉢という言葉があるが、これは「比丘は三衣一鉢しか所有できない」などという意味ではなく、「三衣一鉢を持っていなければならない」という意味のもので、三衣一鉢を備えていなければ比丘とはなりえない。
    本経には、比丘が托鉢から帰って「衣鉢を挙げ(袈裟と鉢を片付け)」という一節があるが、ここで言われる袈裟とはただ僧伽梨のことであって、三衣すべてではない。 インドというおおよそ年間を通して温かい土地では、袈裟そしてそれらの布だけで過ごすことが可能であった(北インド・ガンジス川中流域でも冬季の朝晩はかなり冷えるため、三衣は必要)。しかし、仏教がインド亜大陸に広まり、またチベット、支那・日本などに伝わると、そこでは気候がまるで異なるため三衣だけで過ごすことが非常に困難となった。また、偏袒右肩にする際、直接肌をあらわすことは文化的・社会的にも好ましいことではなかった。そこで支那では、袈裟の下に着る本来下着であった上記のものを支那風・宮廷風に改変したのが褊衫・裙である。褊衫は僧祇支が元になっている。支那以来日本でも、本来ならばどの宗派であっても、方服と言える褊衫・裙と三衣を着用して然るべきものであった。

  21. はち

    [P]patta ([S]pātra). その音写、鉢多羅の略。比丘が用いて良いのは鉄製(あるいは陶器)の鉢で、石鉢や木鉢は禁止されている。したがって、ここで言う鉢とは鉄鉢か陶鉢。現在、禅宗の徒が応量器として用いている漆塗りの木製の鉢は非法。
    乞食托鉢を日常的にしなかった為か、托鉢で受けた食事のみをとることを前提としていなかったためか、日本で用いられている鉢は小さすぎ不如法・非法である。『四分律』の規定では、鉢の最大の大きさは三斗(唐代の尺では一斗・日本の尺では四升五合五勺とされる)の米が入り得るもの、最小の大きさは一斗半(唐代の尺では五升)を受け得るものとされる。なお、比丘は玄米であろうと白米であろうと炊いていない穀類を(直接)受けてはならないため、これら米の量はあくまで容量を示したもの。

  22. 乞食こつじき

    仏教の出家修行者が、午前中にその日の食を乞うて集落の家々をまわること。仏教の正式な出家修行者が生活する上での四大原則(四依法)の一つ。
    現代の日本の街頭でまれに見られる午後に托鉢で町を回り、あるいは街角で立つということは、仏教においてありえない。かなりの割合で、街角で一日立って「托鉢のようなこと」をしている彼らは、日本の仏教宗派からすら認められていない似非僧職であるか、浮浪者がその日の酒代などのために僧形をして物乞いをしている、江戸時代に言われたところの願人坊主。

  23. 端身たんしん正坐しょうざし、面前めんぜん繫念けねん

    端身正座とは、上半身を姿勢をゆがませることなく直くし腰を立て、結跏趺坐すること。パーリ経典の対応箇所では「nisīdati pallaṅkaṃ ābhujitvā ujuṃ kāyaṃ paṇidhāya parimukhaṃ satiṃ upaṭṭhapetvā.(結跏趺坐し、身体を直くし、面前に念を備える)とある(*以下同様に、パーリ経典の対応箇所を適宜引いていく)」。
    本経ならびにパーリ経典にもある「面前に念を備える」とはいかなることか。多くの論書では面前(parimukha)のmukhaを「上唇・鼻頭」であると解されている。mukhaとは口・顔・入り口・正面を意味する語。安般念を修習する際の念を置く場所として必ず上唇あるいは鼻頭と指定されているのは、このような経説に根拠をもつ。
    しかしmukhaが口の意味であるならば、何故に文字通りの口ではないのか。鼻頭・上唇が良いというならば、口でも良いのではないか、という単純な疑問をもつ者があるかもしれないためにここで言っておく。口を開けたまま集中して長時間安般念の修習など出来ないため口では不可である。これは根拠云々ではなく、経験的事実である。
    坐法に関して、一部の例外を除き、およそすべての経典に説かれるのは、結跏趺坐(あるいは条件付きで半跏坐)に限られている。結跏趺坐でなければならない、などとは言われないが、多くの仏教諸派がおよそ2500年の昔からずっと同じ坐法を伝えてきたことは一考すべきこと。背筋を伸ばして反らし過ぎぬようし、足は安定して股関節ならびに腰をねじらぬようにすること。すると結跏趺坐がもっとも安定した坐法となる。結跏趺坐が出来ない場合、半跏坐でも良いが、上手く座らなければ股関節ならびに腰に相当な無理が加わるため、坐法を確かなものとしておかなければ長時間坐すことは出来ない。

  24. 貪愛とんあい

    [S/P]kāmacchanda. 愛欲。五欲に対する愛着、欲望。

  25. 瞋恚しんに

    [S/P]vyāpāda. 悪意。自他を害そうとする破壊的感情。

  26. 睡眠すいめん

    [P]thina ([S]styāna)と[S/P]middha. 無気力さと物憂さ。心が晴れやかでなく、ぼんやりと弛緩していること。
    パーリ経典ではthina(惛沈)-middha(睡眠)と共に挙げられる。『倶舎論』の梵本を参照すると、睡眠と惛沈とはstyāna-middhaとやはり一緒に挙げられている(玄奘三蔵は「惛眠」あるいは「惛沈睡眠」と訳している)。したがってここでの睡眠という語は、thinaを睡としmiddhaを眠としたものと見て良いであろう。

  27. 掉悔じょうけ

    掉は掉挙(auddhatya / uddhacca)で、心がソワソワとして落ち着かないこと。悔はとは悪作(kaukṛtya / kukkucca)で、過去になした善悪の行為を嫌悪・後悔してあれこれ思い悩むこと。

  28. [P]vicikicchā ([S]vicikitsā). 四聖諦・縁起・輪廻(前世・現世・来世)・涅槃についての疑い、惑い。

  29. 五蓋煩悩ごがいぼんのう

    先に挙げた貪愛から疑までの五つの煩悩(心所)の総称。パーリ語ではpañca nīvaraṇa(五つの障害)。経文にあるこれに続いての「心に於て、慧力をして羸らしめ障礙分と為て」とは五蓋の説明。分別説部では、それら五つの心所が心を覆って、様々な善の生じ増上することの障害となることから五蓋というとする。『倶舎論』では、五蓋について「諸煩惱等皆有蓋義。何故如來唯說此五。唯此於五蘊能為勝障故」と説明される。

  30. 涅槃ねはん

    「火が吹き消されたこと」(√nir+vā)を原意とする、[S]nirvāṇa ([P]nibbāna)の音写。仏教における最高最上の平安の境地。すべての煩悩が滅尽し、来世に転生させる因がもはや無くなったこと。
    涅槃を説くのは仏教に限らず、仏教に先行するヴェーダ(バラモン教)や仏教と同時期に誕生したジャイナ教でもこれを最上の境地として目標としたが、それへの到達方法やそれをいかに見るかの見解が異なった。仏教内においても涅槃をいかに見るかで、小乗と大乗では見解が異なる。声聞乗、たとえば上座部や説一切有部などでは、涅槃を恒常不変の実在するモノ(世界)として見ている。対して大乗では、これを不生不滅の義であるとして、そのような恒常不変の実在であるとの見解を批判して無住処涅槃を説いた。

  31. 一切身いっさいしん

    身体全体。パーリ経典の対応箇所では「sabbakāyappaṭisaṃvedī assasissāmī'ti sikkhati.(「私は身体の全体を感知し、入息しよう」と彼は学ぶ)」とある。ここに言う「一切身」とは、単純に解したならば「身体全体」あるいは「全ての身体」のことに他ならない。しかし、所属部派を異にする論書の多くが、この「身体(kāya)」とについてそれぞれ異なった解釈をした。故にこれについては別途の考究が必要。
    例えば、Buddhaghosaはその著Visuddhimagga(『清浄道論』)にて、この一説に解釈を加える中、要約すれば「一切身とは息の全体、その息の初めから終わりまで」と説いている。対して、彼が蹈襲した『解脱道論』では「知一切身我入息如是學者。以二種行知一切身。不愚癡故以事故。問曰。云何無愚癡知一切身。答曰。若坐禪人念安般定。身心喜樂觸成滿。由喜樂觸滿。一切身成不愚癡。問曰。云何以事知一切身。答曰。出入息者。所謂一處住色身。出入息事心心數法名身。此色身名身。此謂一切身」(T32, p.430c)とする。この『解脱道論』の説の根拠となっているのは、Paṭisambhidāmagga, Ānāpānassatikathā(『無礙解道』安那般那念論)にある、「Kathaṃ "sabbakāyapaṭisaṃvedī assasissāmī"ti sikkhati, "sabbakāyapaṭisaṃvedī passasissāmī"ti sikkhati? Kāyoti dve kāyā – nāmakāyo ca rūpakāyo ca. Katamo nāmakāyo? Vedanā, saññā, cetanā, phasso, manasikāro, nāmañca nāmakāyo ca, ye ca vuccanti cittasaṅkhārā – ayaṃ nāmakāyo. Katamo rūpakāyo? Cattāro ca mahābhūtā, catunnañca mahābhūtānaṃ upādāyarūpaṃ, assāso ca passāso ca, nimittañca upanibandhanā, ye ca vuccanti kāyasaṅkhārā – ayaṃ rūpakāyo.(どのように「身体の全体を感知し、入息する」と彼は行じ、どのように「身体の全体を感知し、出息する」と彼は行じるのであろうか?身体には二種の身体がある。名身と色身とである。何が名身であろうか?受・想・思・触・作為・名・名身、これらはまた心行とも呼ばれるが、これらが名身である。何が色身であろうか?四大と四大所造色、入息と出息、相と結縛、これらはまた身行とも呼ばれるが、これらが色身である)」。入息と出息、すなわち呼吸とは色法であると見なされるのである。『解脱道論』は『無礙解道』の釈に忠実に従っている。対してブッダゴーサのそれは、『無礙解道』の所説を頻繁に引用しつつ、あれこれと詳細に解釈しているものではあるが、このように遡ってみると、一切身の解釈については、あえて全面的には従わなかったものと見える。なお、出入息を身体と見るのは、「Kāyaññatarāhaṃ, ānanda, etaṃ vadāmi yadidaṃ – assāsapassāsaṃ.(アーナンダよ、―入息と出息、これを名づけて「ある種の身体」であると、私は説く)」という、SN. M/AのKimilasuttaならびにPaṭhamaānandasuttaの経説に基づく。なお、この説は『雑阿含経』に見られない。
    説一切有部の『大毘婆沙論』では「問此觀息風從鼻而入還從鼻出。何故乃說我覺遍身入出息耶。答息念未成觀入出息從鼻入出。息念成已觀身毛孔猶如藕根息風周遍於中入出」(T27, p.136b)とある。説一切有部では、上座部がそうするように呼吸と鼻頭との接触を念ずるということを行わない。訶梨跋摩『成実論』にては「遍身者行者信解身虛。則見一切毛孔風行出入」(T32, p.355c)とあって、これは有部のそれと同様のものであろう。遍身(=一切身)とはいかなるものかの解釈などなされていないが、身が虚ろなものであると了解して風(息)が体中の毛孔より出入していると見るという。とにかく、このように「身」について種々の解釈が行われている。
    ところで、『大毘婆沙論』巻廿六「雜蘊第一中補特伽羅納息第三之四」では、入息出息とは身心のどちらに依って生じるものであるかの議論が長々となされ、その所説が紹介されている。 その冒頭、このような経説を引いている。「謂契經說。佛告長者。此入出息是身法身為本繫屬身依身而轉」(T27, P132上段)。有部においても入出息を身体とする説を採っていた。

  32. 一切身行いっさいしんぎょう

    パーリ経典では「passambhayaṃ kāyasaṅkhāraṃ assasissāmī'ti sikkhati.(「私は身行を止息させて、入息しよう」と彼は学す)」とあって、一切に該当する言葉がない。本経にいう「一切身行の息む」の「息」とは、passambhayaṃすなわちpassambheti(止息させる・落ち着かせるの現在分詞・主格単数)に対応する語であって呼吸のことではない。漢訳では、これを使役動詞として訳していないようなので、現代語訳ではこれを「静まっている」としておいた。
    身行(kāyasaṅkhāra)という語を 単純にそのまま現代的に訳せば「身体の形成力」あるいは「身体という形造られたモノ」となるが、それではまるでしっくりしない。また、上の語注.31で挙げた分別説部の『無礙解道』の解釈をそのままここに持ち込むのは不適切のように思う。そこで、ここでは無理に訳さず、身行とそのままにしておいた。
    なお、『大毘婆沙論』では「止身行者。謂令息風漸漸微細乃至不生。應知此中念入出息者是總。念短入出息等是別。復次念入出息者是欲界持息念。念短息者是初靜慮。念長息者是第二靜慮。覺遍身者是第三靜慮。止身行者是第四靜慮」と身行を呼吸とし、止身行(身行息)を第四禅であると解している。『成実論』には「除身行者。行者得境界力心安隱故。麁息則滅。爾時行者具身憶處」(T32, p.355c)と、身行とは麁息であるとしてそれが滅するものとする。「爾時行者具身憶處」とは、経にて一切身行息が身念処に配当されるのに言及したもの。
    『解脱道論』では「云何名身行者。此謂出入息。以如是身行。曲申形隨申動踊振搖。如是於身行現令寂滅」と、ここでの身行とはやはり出入息すなわち呼吸であるとしている。呼吸に伴う身体の動きを麁い身行とし、まずこれが止む。そして、これに続けて「復次於麁身行現令寂滅。以細身行修行初禪。從彼以最細修第二禪。從彼最細修行學第三禪。令滅無餘修第四禪」(T32, p.430c)と、麁なる身体の動きが寂滅したならば、ただ細なる身行すなわち細なる呼吸となって初禅を行じ、最細なる呼吸をもって第二禅、またさらに最細なる呼吸で第三禅を行じ、ついに呼吸は無くなって第四禅を行じるとする。第四禅に至ると呼吸が無くなるというのは経説に基づくもので、それに言及しているもの。この釈からすると、この「一切身行息」以下、行者は呼吸の無い状態で安那般那念を行じていくものとなる。これについて『解脱道論』では、呼吸がなくなってなお出入息を念じるなど不可能ではないのか、という至極もっともな疑義が挙げられ、それについての回答がなされている。この『解脱道論』の所説は、そのまま『清浄道論』において同様に述べられている。いずれにせよ諸部派にて、一切身行息とは畢竟四禅を意味するものとして解されている。

  33. よろこび、歓喜。パーリ経典では「pītippaṭisaṃvedī...(私は歓喜を覚知して…)」。 諸論における解釈を列挙すれば以下の通り。『大毘婆沙論』「覺喜者。觀初二靜慮地喜」(T32, p.136b)、『成実論』「覺喜者是人從此定法心生大喜。本雖有喜不能如是。爾時名為覺喜」(T32, pp.355c-356a)、『解脱道論』「知喜為事知我入息如是學者。彼念現入息念現出息。於二禪處起喜。彼喜以二行成知。以不愚癡故。以事故。於是坐禪人入定成知喜。不以愚癡以觀故。以對治故。以事故成」(T32, pp.430c-431a)。

  34. らく

    安らかさ、安楽。楽を分類すれば、身体的なもの(sukkha)と精神的なもの(somanassa)との二種となるが、ここでは身体的なもの。「sukhappaṭisaṃvedī...(私は[身体の]安楽を覚知して…」)。
    『大毘婆沙論』「覺樂者觀第三靜慮地樂」(T27, p.136b)、『成実論』「覺樂者從喜生樂。所以者何。若心得喜身則調適。身調適則得猗樂。如經中說。心喜故身猗。身猗則受樂」(T32, p.356a)、『解脱道論』「知樂我入息如是學者。彼現念入息現念出息。於三禪處起樂。彼樂以二行成知。以不愚癡故。以事故。如初所說」(T32, p.431a)。

  35. 心行しんぎょう

    大正蔵経では「身行」となっているが、明らかに心行の誤りであるために心行と訂している。先の身行と同じように、ひとまずは心行とそのままにした。「cittasaṅkhārappaṭisaṃvedī...(私は心行を覚知して…)」。
    『大毘婆沙論』「覺心行者觀想及思」(T27, p.136b)とあって、心行とは想と思であるとする。『成実論』は「覺心行者。見喜過患以能生貪故。貪是心行從心起故。以受中生貪故。見受是心行」(T32, p.356a)として、受を見ることを心行としている。『解脱道論』では「知心行我息入。如是學者說心行。是謂想受」(T32, p.431a)と心行を想と受であるとしている。

  36. 心行しんぎょう

    心の活動が静まっていること。「passambhayaṃ cittasaṅkhāraṃ...(私は、心行を止息させて…)」。
    『大毘婆沙論』「止心行者謂令心行漸漸微細乃至不生」(T27, p.136b)、『成実論』「除心行者。行者見從受生貪過。除滅故心則安隱。亦滅除麁受。故說除心行」(T32, p.356a)、『解脱道論』「令寂滅心行我息入。如是學者說心行。是謂想受。於麁心行令寂滅。學之如初所說」(T32, p.431a)。

  37. しん

    [P]citta ([S]citra). 精神作用の主体、こころ。仏教では、心を心の本体と作用とに分けて考えるが、その前者を指す。前者を心王、後者を心所・心数と言う。「cittappaṭisaṃvedī...(私は心を覚知して…)」。
    『大毘婆沙論』「覺心者。謂觀識體」(T27, p.136b)、『成実論』「覺心者行者除受味故。見心寂滅不沒不掉」(T32, p.356a)、『解脱道論』「知心我入息如是學者。彼現念入息現念出息。其心入出事以二行成所知。以不愚癡以事故。如初所說」(T32, p.431a)。

  38. 心悦しんえつ

    大いに喜ぶこと、喜悦。満足。「abhippamodayaṃ cittaṃ...(私は心を喜悦させて…)」。
    『大毘婆沙論』は「令心歡喜等者。佛雖不復令心歡喜攝持解脫。然菩薩時有如是事故復重觀」(T27, p.136b)と、「令心歡喜等者」と心悦以下心解脱までについて述べている。
    『成実論』は「是心或時還沒。爾時令喜」(T32, p.356a)と先の覚心によって心が沈んだ場合に行うものとしている。『解脱道論』は「令歡喜心我入息。如是學者說令歡喜說喜。於二禪處。以喜令心踊躍。學之如初所說」(T32, p.431a)とする。

  39. 心定しんじょう

    心が集中し、統一されていること。三昧。「samādahaṃ cittaṃ...(私は心を統一して…)」。
    『成実論』は「若心還掉爾時令攝」(T32, p.356a)と、心が浮ついたときには行うものとする。『解脱道論』「令教化心我入息。如是學者彼坐禪人。現念入息現念出息。以念以作意。彼心於事令住令專。一心教化以彼心住學之」(T32, p.431a)。

  40. 心解脱しんげだつ

    心から諸々の塵垢(悪しき心の働き・煩悩)を脱すること。「vimocayaṃ cittaṃ...(私は心を解脱させて…)」。
    『成実論』は「若離二法爾時應捨。故說令心解脫」(T32, p.356a)、心解脱とは心が沈んでもなく浮ついてもいない状態において為すものとする。『解脱道論』「令解脫心我入出息如是學者。彼坐禪人。現念入息現念出息。若心遲緩從懈怠令解脫。若心利疾從調令解脫學之。若心高從染令解脫學之。若心下從嗔恚令解脫學之。若心穢污從小煩惱令解脫學之。復次於事若心不著樂。令著學之」(T32, p.431a)。

  41. 無常むじょう

    生滅変化して常住でないこと。「aniccānupassī...(私は無常を随観して…)」。
    『大毘婆沙論』は、まず世友の「隨觀無常者謂觀息風無常」の説を挙げ、さらに他の説として「隨觀無常者觀四大種無常」・「隨觀無常者觀色身無常」・「隨觀無常者觀大種造色等皆是無常」と諸説枚挙し、また大徳の説として「隨觀無常者觀五取蘊無常」(T27, p.136c)を挙げる。
    『成実論』「行者如是心寂定故生無常行」(T32, p.356a)、『解脱道論』「常見無常我入息如是學者。彼現念入息現念出息。其入出息及入出息事。心心數法見其生滅學之」(T32, p.431a)。

  42. だん

    煩悩を断ずること。パーリ経典には「観察断」に対応する一節が見られない。『大毘婆沙論』ならびに『成実論』の挙げる十六特勝では、ここに対応する箇所に「隨觀斷」・「観随断」としており、全体としてもこの経によく一致している。しかし、『修行道地経』の言う十六特勝では、これに対応する箇所を「若無欲則知」とする。これはむしろパーリ経典の所説に一致し、また全体としてもパーリ経典の所説とほぼ一致している。
    『大毘婆沙論』では何を断ずるのであるかということについて、世友尊者説「隨觀斷者觀八結斷」を挙げ、他説「隨觀斷者觀無明結斷」・「觀斷者觀過去結斷」・「隨觀斷者觀苦受斷」を列挙し、大徳説「隨觀斷者觀五取蘊空無我」(T27, p.136c)とを挙げる。また、『成実論』は「以無常行断諸煩悩是名断行」(T32, p.356a)と、単に諸煩悩を断じることとしている。

  43. 無欲むよく

    貪欲から離れていること、離欲。「virāgānupassī...(私は貪欲から離れていることを観察して…)」。
    『大毘婆沙論』は世友説「隨觀離者觀愛結斷」、他説「隨觀離者觀愛結斷」・「隨觀離者觀現在結斷」・「隨觀離者觀樂受斷」、大徳説「隨觀離者觀五取蘊苦」(T27, p.136c)。『成実論』「煩惱斷故心則厭離。是名離行」(T32, p.356a)、『解脱道論』「常見無欲我入息。如是學者。現念入息現念出息。彼無常法彼法無欲。是泥洹入息學之」(T32, p.431a)。

  44. めつ

    パーリ経典では「nirodhānupassī...(私は滅を観察して…)」。
    『大毘婆沙論』は世友説「隨觀滅者觀結法斷」、他説「隨觀滅者觀餘結斷」・「隨觀滅者觀未來結斷」・「隨觀滅者觀不苦不樂受斷」、大徳説「隨觀滅者觀五取蘊不轉寂滅」(T27, p.136c)。『成実論』「以心離故得一切滅。是名滅行」(T32, p.356a)、『解脱道論』「常見滅我入息。如是學者。彼無常法如實見其過患。彼我滅是泥洹。以寂寂見學之」(p.431a-b)。
    パーリ経典では、この滅を第十五支とし、第十六支として「paṭinissaggānupassī assasissāmī'ti sikkhati, paṭinissaggānupassī passasissāmī'ti sikkhati.(「私は捨離を観察して、入息しよう」と彼は行じる。「私は捨離を観察して、出息しよう」と彼は行じる)」を挙げる。『雑阿含経』と相応部との十六特勝の相違する点である。なお、『解脱道論』はパーリの第十六支について「常見出離我入息。如是學者。彼無常法如實見其過患。於彼過患現捨。居止寂滅泥洹。使心安樂學之。如是寂寂如是妙。所謂一切行寂寂。一切煩惱出離。愛滅無欲寂滅泥洹」(T32, p.431b)と、それは涅槃であるとする。

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