Pāṇātipātā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
Adinnādānā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
Abrahmacariyā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
Musāvādā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
Surāmeraya majja-pamādaṭṭhānā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
Vikālabhojanā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
Nacca-gīta-vādita-visūkadassanā mālā-gandha-vilepana-dhāraṇa-maṇḍana-vibhūsanaṭṭhānā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
Uccāsayana-mahāsayanā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
私は、生けるものを殺すことを控える学処を受持します。
私は、与えられていない物を我が物とすることを控える学処を受持します。
私は、非梵行〈あらゆる性行為〉を控える学処を受持します。
私は、偽りを語ることを控える学処を受持します。
私は、穀物酒や果実酒など、酔わせ放逸とさせるものを控える学処を受持します。
私は、非時食〈正午から翌朝の日の出までの食事〉を控える学処を受持します。
私は、踊り・歌唱・演奏・舞台の鑑賞、花輪・香料・化粧・飾り付け・着飾ること・装飾を控える学処を受持します。
私は、高い床・大きな床(で坐したり寝たりくつろぐこと)を控える学処を受持します。
Aṭṭhaṅga sīlaとは、「八つの戒」という意で、漢訳では「八戒」あるいは「八斎戒」と言われる、在家仏教徒の戒です。八斎戒は五戒のうち不邪淫戒を不淫戒とし、さらに出家生活に準じた三戒を加えたもので、原則として月のうち布薩と言われる六日に限り、それを行うことを望む者に推奨されたものです。故に八斎戒はまた布薩戒(Uposatha sīla)とも言われます。
これは前項のPañca sīla(五戒)において示した、SuttanipātaはDhammikasuttaの続きにある、仏陀が八斎戒について説かれた箇所です。
gahaṭṭhavattaṃ pana vo vadāmi, yathākaro sāvako sādhu hoti. na hesa labbhā sapariggahena, phassetuṃ yo kevalo bhikkhudhammo.
[...]
pāṇaṃ na hane na cādinnamādiye, musā na bhāse na ca majjapo siyā. abrahmacariyā virameyya methunā, rattiṃ na bhuñjeyya vikālabhojanaṃ.
mālaṃ na dhāre na ca gandhamācare, mañce chamāyaṃ va sayetha santhate. etañhi aṭṭhaṅgikamāhuposathaṃ, buddhena dukkhantagunā pakāsitaṃ.
tato ca pakkhassupavassuposathaṃ, cātuddasiṃ pañcadasiñca aṭṭhamiṃ. pāṭihāriyapakkhañca pasannamānaso, aṭṭhaṅgupetaṃ susamattarūpaṃ.
tato ca pāto upavutthuposatho, annena pānena ca bhikkhusaṅghaṃ. pasannacitto anumodamāno, yathārahaṃ saṃvibhajetha viññū.
dhammena mātāpitaro bhareyya, payojaye dhammikaṃ so vaṇijjaṃ. etaṃ gihī vattayamappamatto, sayampabhe nāma upeti deve”ti.
さて在家者〈gahaṭṭha〉の行うべきつとめ〈vatta. 義務〉を、私は汝らに語ろう。この通りに行う者は、善い声聞〈sāvaka. 教えを聞く者、仏弟子〉である。全き比丘の法〈kevala bhikkhudhamma. いわゆる具足戒〉(を護持すること)は、財を所有する者〈sapariggaha. 妻帯者。ここでは在家者の意〉によっては成し遂げることは出来ない。
《中略》
生きものを殺してはならない。また、与えられていないものを取ってはならない。嘘を語ってはならない。また、酔わせるもの〈majja〉を飲んではならない。性交渉〈methuna〉による非梵行〈abrahmacariya〉を控えよ。夜の非時食〈vikālabhojana. 正午から翌日の日の出までの食事〉をしてはならない。
花環〈māla. 装飾〉を着けず、香料〈gandha. 塗香〉を用いてはならない。地に(直接)臥具〈mañca〉を敷いて寝よ。実に、これが八支〈aṭṭhaṅgika〉からなる布薩〈uposatha〉であると云われる。苦を終焉した仏陀が知らしめられたものである。
そこでまた、半月〈pakkha〉の十四日と十五日、そして八日に布薩を修めよ。そして、八支を備えた完全な姿の神変月〈pāṭihāriya pakkha〉を、清らかな心で(過ごせ)。
そこでまた、布薩を修める者は早朝に食物と飲物とを、比丘僧伽〈bhikkhusaṅgha〉に、清らかな心で喜びながら、それにふさわしく智者として分かち与えよ。
法〈dhamma. 道義〉によって母と父とを養え。人は法〈dhamma. 正当・道義的〉なる商売〈vaṇijja. 交易〉に従事せよ。このように怠ること無く、つとめる在家(者)は、(その死後には)自光天〈sayampabha. 六欲天〉という神々のもとに趣く。
Suttanipāta, Cūḷavagga, Dhammikasutta, 395, 402-406 (KN 5.26)
布薩([P]uposatha / [S]upavasatha)とは、実はもともと古代インドのバラモン教における新月と満月の日の祭式で、信者たちが寺院や祠堂などに趣いてバラモン達に布施をなし、供犠や祭儀を行って、その一日を断食して過ごすというものでした。そして、仏陀の当時、そのような布薩という習慣はすでに社会一般に風習として根づいていたようで、それをマガダ国王ビンビサーラの勧めを受け入れた釈尊が、これを仏教に取り入れられたものと伝えられています。
もっとも、布薩を釈尊が取り入れられたといっても、バラモン教における布薩の祭儀をそのまま行いはせず、いくらかの紆余曲折を経て、出家修行者においては律の条項を再確認して僧伽の結束を強める日となり、在家信者にあっては寺院に趣いて比丘らからの説法を聞き、出家に準じた静かな生活を送る一日となっています。そのような日となったのも、仏陀が積極的に制定されたものでなく、布薩という習慣に馴染んでいた在家信者からの要請によって次第にそのような日となっていったものでした。
そこで布薩の日とされたのは、やはり世間で定着していた新月(黒月十五日)と満月(白月十五日)の日の二日であり、さらに新月・満月それぞれの日から八日目と十四日目の四日の、都合六日間でした。すなわち、太陰暦でいうところの一ヶ月の内の8・14・15・23・29・30日の六日間が布薩の日となり、これを一般に六斎日と称します。
布薩はバラモン教においては断食の日であったのですが、仏教の場合は八斎戒という学処をたもつ特別な日となっています。特には、断食ではなく、その日正午から翌朝の日の出まで一切の固形物を摂らないという、いわば節食の日であることが主眼です、そのように、正午から翌朝までの食を摂らないことを「不非時食」と言います。不非時食は出家者にとっては日常のことですが、それを在家信者は布薩の日に限って準じることを推奨し、今に至っています。
さて、一般的に通用する八斎戒とは以下のようなものです。
No. | 学処 | 戒相 |
---|---|---|
1. | 不殺生戒 | いかなる生き物も、故意に殺傷しない。 |
2. | 不偸盗戒 | 与えられていない物を、故意に我が物としない。 |
3. | 不淫戒 | すべての性行為から離れる。 |
4. | 不妄語戒 | 偽りの言葉を語らない。 |
5. | 不飲酒戒 | 酒など人を酔わせ放逸にさせる物を摂取しない。 |
6. | 不過中食戒 | 正午から日の出まで、固形物を一切口にしない。 |
7. | 不著香華瓔珞香油塗身戒 | 化粧や香水、宝飾品などで身を飾らない。 |
不作唱技楽故往観聴戒 | 音楽や演劇等を自ら為さず、また鑑賞しない。 | |
8. | 不坐臥高広大床戒 | 高く・広いなど立派な寝具や坐具でくつろがない。 |
日本・支那などでは、上に挙げた戒条のうち七番目のものを別けてに二条とし、実質九ヶ条の戒としている場合があります。実際、ここで第七条に挙げている戒は、出家者の戒では別々に挙げられるものです。そして、上に挙げた『スッタ・ニパータ』の一節でもそうであるように、第七条の「音楽や演劇等を自ら為さず、また鑑賞しない」という条項は、欠けて無い場合も経説によってはあります。
また、なぜ九ヶ条あるのにこれを八斎戒と呼称するかを説明するのに、上の表では第六条としている不過中食戒を第九条としてこれを「斎戒」とし、八戒と斎戒で八斎戒であるとされます。
漢字としての「斎」は、もともと「ととのえる」・「つつしむ」の意で神に対して身心を清めること、日本でいうところの「物忌み」を意味する漢字です。そこで仏教では日の出から正午迄の食事が修行者にとって適切なものとされ、これを時食というのですが、それをまた支那および日本では斎食とも称していることから、「斎戒」であるとされます。
仏教信者で、特に望む者・それが可能である者は、布薩の日には寺院に赴いて僧侶から直接、あるいは自分で誓って八斎戒を受け、この日はさらに意識してこれら戒を守り、静かな一日を送ることが勧められます。もっとも、八斎戒は布薩日だけに限って守るべきものとされているということもなく、特に希望する者で、またそれが可能であれば、常日頃持って可なるものです。
実際のところ、上座部が信仰される現代の南アジアや東南アジアにおいて、ハ斎戒を寺院に赴いて布薩日に受けるのは、日中は外に仕事に出かけている男性ではなくて、家にいる女性が「圧倒的に」多くあります。
(ビルマにおいてのみ見られる、仏教徒の七衆という範疇からすれば特殊な立場となる尼僧ティーラシンは、この八斎戒をこそ受けて尼僧としての生活を送り、しかし出家者として社会的に位置づけられています。)
在家信者は布薩の日、必ずしも八斎戒を受けることが出来ず、一日を寺院にて過ごすことなど出来はしなくとも、その日一日を穏やかなものとするように努めて過ごし、仏教に対する信仰を新たにしています。
以下、具体的にどのように比丘から五戒を受けるかの正式な次第を、パーリ語とその日本語訳の対訳によって示します。国によってその前後の文言に若干の相異がありますが、概ねその授戒の構成は、①懺悔・②乞戒・③礼仏・④三帰・⑤受戒・⑥廻向・⑦勧誡・⑧随喜となっています。要するに、その構成は五戒と全く同じです。
おそらく、仏陀の当時は今のような整備されたものでなく、より素朴で簡潔なものであったろうと思われます。しかし、以下のように定式化された授戒の次第はよく考えられた合理的なもので、南アジアや東南アジア諸国ばかりでなく、今や西洋においても一般に行われています。
①【受者】
Okāsa, Okāsa, Okāsa!
Dvārattayena kataṃ sabbaṃ aparādhaṃ khamatha me bhante.
Dutiyampi dvārattayena kataṃ sabbaṃ aparādhaṃ khamatha me bhante.
Tatiyampi dvārattayena kataṃ sabbaṃ aparādhaṃ khamatha me bhante.
②【受者】
Ahaṃ bhante tisaraṇena saha aṭṭhaṅga uposathasīlaṃ dhammaṃ yācāmi, anuggahaṃ katvā sīlaṃ detha me bhante.
Dutiyampi ahaṃ bhante tisaraṇena saha pañcasīlaṃ dhammaṃ yācāmi, anuggahaṃ katvā sīlaṃ detha me bhante.
Tatiyampi ahaṃ bhante tisaraṇena saha pañcasīlaṃ dhammaṃ yācāmi, anuggahaṃ katvā sīlaṃ detha me bhante.
【戒師】
Ya mahaṃ vadāmi taṃ vadetha.
【受者】
Āma bhante.
③《復唱》 *戒師と同時に唱えてはいけない。以下同。
Namo tassa Bhagavato Arahato Sammāsambuddhassa.
Namo tassa Bhagavato Arahato Sammāsambuddhassa.
Namo tassa Bhagavato Arahato Sammāsambuddhassa.
④《復唱》
Buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi.
Dhammaṃ saraṇaṃ gacchāmi.
Saṅghaṃ saraṇaṃ gacchāmi.
《復唱》
Dutiyampi Buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi.
Dutiyampi Dhammaṃ saraṇaṃ gacchāmi.
Dutiyampi Saṅghaṃ saraṇaṃ gacchāmi.
《復唱》
Tatiyampi Buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi.
Tatiyampi Dhammaṃ saraṇaṃ gacchāmi.
Tatiyampi Saṅghaṃ saraṇaṃ gacchāmi.
【戒師】
Tisaraṇagamanaṃ paripuṇṇaṃ.
【受者】
Āma bhante.
⑤-1《復唱》
Pāṇātipātā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
⑤-2《復唱》
Adinnādānā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
⑤-3《復唱》
Abrahmacariyā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
⑤-4《復唱》
Musāvādā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
⑤-5《復唱》
Surāmeraya majja-pamādaṭṭhānā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
⑤-6《復唱》
Vikālabhojanā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
⑤-7《復唱》
Nacca-gīta-vādita-visūkadassanā mālā-gandha-vilepana -dhāraṇa-maṇḍana-vibhūsanaṭṭhānā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
⑤-8《復唱》
Uccāsayana-mahāsayanā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
⑥《復唱》
Idaṃ me punnaṃ āsavakkhayāvahaṃ hotu.
《復唱》
Idaṃ me sīlaṃ nibbānassa paccayo hotu.
⑦【戒師】
Tisaraṇena saha aṭṭhaṅgasīlaṃ dhammaṃ sādhukaṃ (surakkhitaṃ) katvā appamādena sampādetha.
【受者】
Āma bhante.
⑧【戒師・受者】
Sādhu, Sādhu, Sādhu.
①【受者】
許しを!許しを!許しを!
(身体と言葉と心の)三つの門によって為された我が罪を許したまえ、大徳よ。
二たび、三つの門によって為された我が罪を許したまえ、大徳よ。
三たび、三つの門によって為された我が罪を許したまえ、大徳よ。
②【受者】
大徳よ、私は三帰依と共に八つの布薩戒の法を請います。どうか(我が願いを)受け入れて我に戒を授けたまえ、大徳よ。
二たび、大徳よ、私は三帰依と共に八つの布薩戒の法を請います。どうか(我が願いを)受け入れて我に戒を授けたまえ、大徳よ。
三たび、大徳よ、私は三帰依と共に八つの布薩戒の法を請います。どうか(我が願いを)受け入れて我に戒を授けたまえ、大徳よ。
【戒師】
私が言うことを復唱しなさい。
【受者】
はい、大徳よ。
③《復唱》 *戒師と同時に唱えてはいけない。以下同。
阿羅漢であり、正等覚者たる、かの世尊を礼拝します。
阿羅漢であり、正等覚者たる、かの世尊を礼拝します。
阿羅漢であり、正等覚者たる、かの世尊を礼拝します。
④《復唱》
私は、仏陀に帰依します。
私は、法に帰依します。
私は、僧伽に帰依します。
《復唱》
二たび、私は、仏陀に帰依します。
二たび、私は、法に帰依します。
二たび、私は、僧伽に帰依します。
《復唱》
三たび、私は、仏陀に帰依します。
三たび、私は、法に帰依します。
三たび、私は、僧伽に帰依します。
【戒師】
三帰依は完成された。
【受者】
はい、大徳よ。
⑤-1《復唱》
私は、生けるものを殺すことを控える学処を受持します。
⑤-2《復唱》
私は、与えられていない物を我が物とすることを控える学処を受持します。
⑤-3《復唱》
私は、非梵行〈あらゆる性行為〉を控える学処を受持します。
⑤-4《復唱》
私は、偽りを語ることを控える学処を受持します。
⑤-5《復唱》
私は、穀物酒や果実酒など、酔わせ放逸とさせるものを控える学処を受持します。
⑤-6《復唱》
私は、非時食〈正午から翌朝の日の出までの食事〉を控える学処を受持します。
⑤-7《復唱》
私は、踊り・歌唱・演奏・舞台の鑑賞、花輪・香料・化粧・飾り付け・着飾ること・装飾を控える学処を受持します。
⑤-8《復唱》
私は、高い床・大きな床(で坐したり寝たりくつろぐこと)を控える学処を受持します。
⑥《復唱》
願わくは、この功徳が諸々の煩悩の滅尽をもたらさんことを。
《復唱》
願わくは、この戒が涅槃の因とならんことを。
⑦【戒師】
三帰依と共に八斎戒の法をよく(護持して)行い、怠らずに励んで目的を果たせ。
【受者】
はい、大徳よ。
⑧【戒師・受者】
善い哉、善い哉、善い哉!
受戒の際には、戒師のために一段高い座を設け、受者は戒師より一段低い位置にあって、共に坐った状態で戒を受ける必要があります。どちらかが立ち、また一方が坐っているという状態であってはなりません。これは戒を尊び、三宝の一角を担う僧伽の成員たる比丘を尊ぶための礼式です。宗教的にそうせよというのではなく、それが仏教の本拠であった印度における礼法であり、それをまた踏襲して行う習い、いわゆる伝統となっているためです。
先に述べたように、八斎戒は布薩戒とも言われるものではありますが、特に布薩日に限らず、たとえば修禅寺院(瞑想道場・瞑想センター)などにて一週間や十日、あるいは一ヶ月にわたって定を修める場合などには、おそらくほとんど必ず八斎戒を護持することがその参加条件となっています。歌舞音曲などを止め、食を節するなどして三業を抑制し、さらに極力会話すらせずに集中して一週間から一ヶ月程度のごく短期間であっても定を専ら真剣に修めれてみれば、ほとんどの人にはそれが最初非常に苦しいものと感じられれるかもしれません。しかしそのような習慣を実際に備えていったならば、仏教のなんたるかを、その真を身をもって知る非常に良い機会となることでしょう。
Ñāṇajoti