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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

上座部 常用経典(帰敬文

Buddha vandanā(礼仏)

Buddha guṇā(仏徳)

Itipiイティピ soソー Bhagavāバガヴァー Arahaṃアラハン Sammāsambuddhoサンマーサンブッドー Vijjācaraṇasampannoヴィッジャーチャラナサンパンノー Sugatoスガトー Lokavidūローカヴィドゥー Anuttaroアヌッタロー purisadammasārathiプリサダンマサーラティ Satthāサッター devamanussānaṃデーヴァマヌッサーナン Buddhoブッドー Bhagavāバガヴァー.
かの婆伽梵は、応供であり、正遍知であり、明行足であり、善逝であり、世間解であり、無上士であり、調御丈夫であり、天人師であり、仏陀であり、世尊である。

Buddha vandanā(礼仏)

yeイェー caチャ buddhāブッダー atītāアティーター caチャ, yeイェー caチャ buddhāブッダー anāgatāアナーガター, paccuppannāパッチュパンナー caチャ yeイェー buddhāブッダー, ahamアハン vandāmiヴァンダーミ sabbadāサッバダー. n'atthiナッティ meメー saraṇaṃサラナン aññaṃアンニャン, buddhoブッドー meメー saraṇaṃサラナン varaṃヴァラン.
etenaエーテーナ saccavajjenaサッチャヴァッジェーナ, hotuホートゥ meメー jayamaṅgalaṃジャヤマンガラン. uttamaṅgenaウッタマンゲーナ vande'haṃヴァンデーハン, pādapaṃsuṃパーダパンスン var'uttamaṃヴァルッタマン, buddheブッデー yoヨー khalitoカリトー dosoドーソー, buddhoブッドー khamatuカマトゥ taṃタン mamaママ.
過去世の諸々の仏陀、未来世の諸々の仏陀、そして現在世の諸々の仏陀すべてを、私は敬礼いたします。私には他に帰依処などなく、仏陀こそが私の尊い帰依処。
この真実の告白によって、私に勝利をもたらす吉祥あれ。私は、(自分の額を仏陀の)御足の尊い塵につけ、最上の礼拝をいたします。仏陀について、私になにか過失や罪があったならば、仏陀よ、どうか許したまえ。

仏陀の九徳

Buddha guṇā(以下、「ブッダ・グナー」)とは、「仏陀の徳」の意で、文字通りその徳の数々を挙げ連ねて讃えた文言です。「ブッダ・グナー」にて挙げられる仏陀の諸徳は、上座部では世尊を除外して九徳とし、支那や日本においては、仏十号あるいは如来十号といわれ、仏陀の十の異称として挙げられるものです。

仏陀の九徳
No. パーリ語 漢語 日本語訳
1. Arahaṃアラハン 応供おうぐ
阿羅漢あらかん
供養するに値する者
敵(煩悩)を倒した者
2. Sammāsambuddhaサンマーサンブッダ 正遍知しょうへんち
正等覚しょうとうがく
完全な悟りを得た者
3. Vijjācaraṇasampannaヴィッチャーチャラナサンパンナ 明行足みょうぎょうそく 智と行とを備えた者
4. Sugataスガタ 善逝ぜんせい (涅槃に)善く逝きし者
5. Lokavidūローカヴィドゥー 世間解せけんげ 世界を知る智者
6. Anuttaraアヌッタラ 無上士むじょうし この上ない者
7. Purisadamma-sārathiプリサダンマ・サーラティ 調御丈夫ちょうごじょうぶ 導くべきを能く導く御者
8. Satthāサッター devamanussānaデーヴァマヌッサーナ 天人師てんにんし 神々と人々との師
9. Buddhaブッダ 仏陀ぶっだ
覚者かくしゃ
目覚めた者

(「如来十号」という場合は、以上の九徳に世尊(Bhagavantバガヴァント / 婆伽梵ばがぼん)もその一つとして数えたものを言います。あるいは、仏陀と世尊を「仏世尊」と合わせて一つとし、さらにTathāgataタターガタ(如来)を加えて十号とされています。)

帰敬偈ならびに三帰依を唱えた後に、この「ブッダ・グナー」などが唱えられ、その徳が讃えられます。続いて唱えられる文言Buddha vandanāブッダ・ヴァンダナー(礼仏)の偈文は、特に仏陀に帰依することを改めて述べ、さらに懴悔してその許しを求めるものです。ここでその対象とされているのは、特に釈迦牟尼仏陀に限ったものではなく、過去・未来・現在という三世の仏陀すべてに対するものです。

巷には、「上座部は釈迦牟尼仏陀(釈尊)以外の仏陀を認めていない。釈尊だけを礼拝し、信仰するものである」などと認識している人があるようです。しかし、実際はその様なことは全くなく、釈尊を含めて七人、あるいは二十八人の過去の諸仏がしばしば奉られており、そのためのパリッタ、その意を述べるパリッタも多くあります。実際、いずれか過去仏のものとして祀られる仏塔(ストゥーパ)はインド以来、現在の南方にも少なくありません。また、未来仏としての弥勒仏を奉り、礼拝している処もあります。

いずれにせよ、上座部では、釈尊以外の仏陀の存在など認めないなどということはありません。しかし、この宇宙、この時代、この世界の教主は釈尊であり、現実にその教えが残されているのは直接にしろ間接にしろ釈尊のものに限られているので、主として信仰されるのは釈尊であることは違いありません。

ところで、そもそもなぜこのように仏陀の徳が列挙され讃えられるのか。これについて七世紀中頃、唐代の支那から海路インドに入り、当時のインドおよび東南アジアにおける僧院生活などその仏教の様相を25年間に渡って滞在して記録し、帰国した義浄が語っています。

神州之地。自古相傳。但知禮佛題名。多不稱揚讃徳。何者聞名但聽其名。罔識智之高下。讃歎具陳其徳。故乃體徳之弘深。
神州〈支那〉の地にて古より相伝しているのは、ただ「仏の名を挙げて礼拝する」〈称名〉だけであって、多くはその徳を讃じて称揚するものではない。何をもって「(仏陀の)名を聞く」とするかといえば、(文字通り)ただその名を聴くだけのことであって、(それだけでは誰も仏陀の)その智慧の高下を識ることなど出来はしない。そもそも讃歎とは、具さにその徳を陳べることである。故に(仏陀を讃嘆することによって)その徳の弘く深いことを知り得るのだ。

義浄『南海寄帰内法伝』巻二(T54, p.227a)

むしろ印度や南海(南アジア・東南アジア)の人々からすれば、その徳を挙げ連ねることは当たり前のことであって「何故か」など問題にならなかったでしょう。けれども、義浄は違いました。義浄は、当時の支那仏教における礼仏というのは、たとえば「南無釈迦牟尼仏」であるとか「南無阿弥陀仏」などと、ただ仏陀の名を幾度となく唱えて礼するだけであって、それでは何も実態も実感も伴わない形式的で空虚なものであることを、むしろインドにおける僧院生活の中でどのように仏陀が捉えられ礼拝されているかを知って、こう述べています。

義浄は、数世紀前の渡天の先達である法顕や玄奘に対して憧憬を抱いていました。そしてまた、支那に閉じこもっていては、戒律についての様々な疑問など「仏教の実際」を知ることは出来ないと、これは決死の覚悟を要することでしたが自らインドに渡っています。そこで目の当たりにした「仏教の実際」に対して深い反省を感じ、支那にて日常的あるいは正統として行われている諸々の仏教理解や営為に対して、様々な批判を展開するに至っています。その一例が、今の菲才からしても至極もっともと思われる、礼仏についての批判であった以上の一節です。

これは当時の支那だけでなく、その伝統を継いできた日本仏教にも全く同じことが言え、ただ「南無釈迦牟尼仏」・「南無阿彌陀仏」などといくら繰り返しても、なぜ「南無」(帰依)すべきかはまったくわかりません。実際、釈尊はなぜ「世尊」などとして尊敬されてきたのかを、整然と答えられる人はごく少ないことでしょう。

しかし、それではいわゆる空念仏に過ぎず、下手をすればそこらの「イワシの頭」を拝んでいるに等しいものです。

この上座部で仏陀の九徳とされるのにほぼ同じことは、先に述べたように、支那および日本で「如来十号」すなわち「如来の十の呼称」として知られているものではあります。しかし、それはあくまで「仏陀の異称」つまり「名号」といった把握がされるに留まり、それを仏陀の徳を具体的に挙げ連ねたものであるという理解はほとんどされていません。

この「ブッダ・グナー」は、仏教を信じる者がなぜ仏陀が敬すべきものであるか、仏宝とされるものであるかを、九徳としてまとめられた簡潔な言葉によって日々改めて確認するものでもあります。

三世の仏陀 ―法を見る者は私を見る

釈尊以前に現れた仏陀によっては、教えを説かれても、律(戒律)が説かれることが無かったために、その仏陀が涅槃した後にはたちまちその教えが滅びてしまった、と伝えられています(律蔵)。およそ二千五百年の昔に釈尊は入滅されていますが、幸いなことに、釈尊は法だけではなく律も共に説かれたために、未だ我々はその教えに触れることが出来るというわけです。

古の仏教徒には、釈尊ご在世の中北印度に生まれ得なかったことを悔やみ、一度でも良いから釈尊の姿を見たいと望んだ僧、しかも印度でも当代随一と言われた高僧があった、などという話も嘘か真か語られています(『今昔物語』巻四「優婆崛多降天魔語」)。

しかしながら、釈尊ご自身は以下のような言葉を遺されています。

alaṃ, vakkali, kiṃ te iminā pūtikāyena diṭṭhena. Yo kho, vakkali, dhammaṃ passati so maṃ passati; yo maṃ passati so dhammaṃ passati.
ヴァッカリよ、この汚れて悪臭を放つ(我が身体)を見ることが何であろうか?ヴァッカリよ、法を見る者は私を見る。私を見る者は法を見る。

SN. Khandhavagga, Vakkalisutta.

ここで呼びかけられているヴァッカリという人は、仏教の出家修行者(比丘)となっていたものの、未だ釈尊に直接会ったことのない人でした。しかし、ヴァッカリは重い病に罹っており、その死を目前とする中で、どうしても釈尊にお目にかかりたいと渇望していました。果たしてヴァッカリは釈尊にお会いすることが出来たのですが、しかし、そんなヴァッカリに対して釈尊が言われたのが、上記の言葉でした。ヴァッカリは、そんな釈尊からの言葉を聞いたことにより、ついに解脱を果たしています。

そこで、その後の話が非常に有名なものとなっているのですが、ヴァッカリは自分がもはや再生しないことを確信し、釈尊が去った後には(その恐るべき病苦を厭うて)自殺することを決意しています。そんなヴァッカリに対し、釈尊もまたもはや再生の無いことを保証する言葉を弟子を通じて送っており、ヴァッカリは自ら刀をもって自ら命を終えています。ヴァッカリは永遠の平穏を、自殺という手段によって達したのでした。

釈尊が、(最後の解脱を果たした)弟子に対してとはいえ自殺を聴していた、ということから、現代における自殺や安楽死の問題に絡めて広く知られたものとなっています。しかし、ここでそれは問題ではありません。

もし仮に、今仏陀がこの世に存命されており、かたじけなくもそのご尊容を拝することが出来た、あるいは言葉を交わすことが出来た、その身に触れることが出来たなど、人にとってはそれが尊く得難いことだと感じられたとしても、ただ見ただけ、拝するだけであるなるば、なんら意味のないことであると仏陀は言われています。

(また一方、仏陀のお姿を一目見たことによって、その心に信仰を起こすこともまた、得難く尊いとするような経説もあります。仏陀の教えは、その対象となる人の能力・時にふさわしいものが説かれた対機説法といわれるものです。故に場合によってはある経典の一説をもって仏陀の教えすべてに当てはめることなどできず、一事が万事ということにはなりません。とはいえ、しかしながら、やはりその姿を見て拝することで救いがある、拝めば助かる・救われるなどということは、仏教では決して説かれることはありません。)

この世の苦を厭い、終わり無き再生を恐るべきものと見るものがなすべきことは何か。それは、仏陀が悟られ開示された四聖諦を現観することです。それを果たした者は、たとえばヴァッカリのように、あるいは釈尊の高弟であったモッガーラーナ(目連)やサーリープッタ(舎利弗)などのように、もはや最後の生をどのように終えるかなど問題ではありません。

仏陀は説かれました。人は法を見ること、すなわちこの世の全ては常に移り変わりゆくもの(無常)であって、恒常普遍のモノなど何も存せず(無我)、故に何ものも我が意のままにすることなど出来ず、それは苦しみ(苦)であって厭い離れるべきものである、ということを真に見た時、「仏陀」を目の当たりにすることが出来る、と。

そのような法を自ら体得して涅槃を得、また人に開示されて、人と天の師となった仏陀に帰依してその教えを真摯に自ら受け、考証し実践すること。その一つの形が、仏陀の九徳を唱えてその徳を想い、また仏陀に信を寄せることを表明する、この礼仏の偈文です。

Ñāṇajoti