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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

智廣 『悉曇字記』

訓読

悉曇(しったん)字記(じき)南天竺般若菩提悉曇

大唐山陰(さんいん)沙門智廣(ちこう)撰

悉曇(しっだん)は天竺(てんじく)の文字(もんじ)なり。西域記(さいいきき)に云く、梵王(ぼんおう)の所製なり。原始、則(のり)を垂(た)るること四十七言(しじゅうしちごん)、物に寓(よ)せて合成(ごうじょう)し、事に隨て轉用(てんよう)す。支派(しいは)を流演(りゅうえん)して其の源、浸(やうや)く廣し。地に因り人に隨(したごう)て㣲(すこし)き改變(かいへん)あり。而も中天竺(ちゅうてんじく)を特に詳正(しょうせい)と爲す。邊裔(へんえい)の殊俗(しゅうしょく)、兼て訛文(がもん)を習へり。其の大較(だいこう)の本源(ほんげん)、異なること莫(な)しと語(い)ふに、斯れ梗概(こうがい)なり。頃(このごろ)、嘗(こころみ)に陀羅尼(だらに)を誦(じゅ)して、音旨(いんし)を訪(とぶら)ひ求るに差舛(しゃせん)する所多し。南天竺(みなみてんじく)の沙門般若菩提(はんにゃ ぼだい)、陀羅尼の梵挾(ぼんきょう)を齎(もつ)て、南海(なんかい)より五臺(ごだい)に謁(えつ)して山房(さんぼう)に寓(やどれ)るに會(おう)て、因(ちな)んで從ひ受けたり。唐書(とうしょ)の舊翻(きゅうほん)と、兼て中天の音韻(おんいん)とを詳(つまびら)かにするに、差反(さほん)無きにあらず。源濫(げんらん)を考覈(こうげき)するに歸する所、悉曇なり。梵僧(ぼんそう)自ら云く、少字(しょうじ)にして先師般若瞿沙(はんにゃ くしゃ)に學して、聲明(しょうみょう)の文轍(ぶんてつ)、將(まさ)に微致(びち)を盡くせりとす。南天は摩醯首羅(まけいしゅら)の文を祖(そ)とし羕(う)く。此れ其れ是れなり。而も中天(ちゅうてん)は兼(かね)るに龍宮(りゅうぐう)の文を以てす。南天と少しき異ること有れども、而も綱骨(こうこつ)必ず同じ。健駄羅(ごんだら)國の喜多迦(きたか)の文、獨(ひと)り將(まさ)に尤異(ゆうい)なりとす。而ども字の由(よし)、皆な悉曇なり。因(ちなみ)に其の所出(しょしゅつ)を請ふて研審(げんしん)し翻註(ほんちゅう)す。即ち其の杼軸(ちょじく)の科(しなじな)にして、以て章を成す。音、少しき殊(こと)なりと雖ども、文軌(ぶんき)斯れ在り。絶域(ぜついき)の典を効(かんが)へて、詭異(くい)を尚(たうとぶ)には弗(あら)ず。眞言(しんごん)の唐書を以て梵語(ぼんご)を召(よぶ)に髣髴(ほうふつ)なるのみ。豈(あ)に其の本文(ほんもん)を觀るに若(しか)んや。學者を俾(し)て、信宿(しんしゅく)を逾(こ)へずして懸(はるか)に梵音に通ぜしめん。字、七千に餘り功(こう)少くして用るに要なり。懿(おおいなるかな)、夫(そ)れ聖人(しょうにん)利物(りもつ)の智なり。總持(そうじ)の一文に理、衆德(しゅどく)を含むること、其れ茲(こ)れに在るをや。未だ具(つぶさ)に彼の史誥(しこう)の流別(りゅうべつ)を觀ざると雖も、而も内經の運用、固(まこと)に亦た備はれり。然れども五天(ごてん)の音(しらべ)、或は楚夏(そか)の若(ごと)し。中土(ちゅうど)の學者、方(まさ)に詳正を審(つまびらか)んせよ。竊(ひそか)に簡牘(かんどく)を書して、以て遺文(いぶん)を記す 古へ楚書を謂て胡文と謂ふは、西域の記を案ずるに、其の閻浮地の南に五天の境に、梵人居たれり。地の周り九萬餘里、三埀は大海、北背は雪山なり。時に輪王の運に膺ること無ければ、七十餘國に中分す。其れを總じて五天竺と曰ふ。亦た身毒と曰ひ、或は印度と云ひ、有ひは大夏と曰ふ是れなり。人遠く梵王に羕けたり。大に四姓を分かつ雖も、通じて之を婆羅門國と謂ふ。佛、其の中に現じ玉へり。胡土には非ず。雪山の北の傍ら、葱嶺に臨で即ち胡人居り。其の字、元より製して異ること有り。良に以みれば、境ひ天竺に隣て、文字參はり渉れり。來る所の經論、咸く梵挾に依て風俗す。則ち其の文を效ひ習ふに粗ぼ増損有り。古へより佛經を求請するに、多く彼に於て之を獲たり。魚魯渾淆して、直に胡文と曰ふは謬りなり。

其の始めに悉曇と曰ふ。而も韻(いん)に六(む)つ有り。長短兩(ふた)つに分れて字十有二なり。將に下の章の首(はじ)めに冠(かぶら)しめて、聲(しょう)に對して呼て而も韻を發(はつ)す。聲、韻に合(かなつ)て、字、生(しょう)ず。即ちa阿(ア)上聲、短に呼べ・@a阿(ア)平聲、長に呼べ等、是れなり。其の中に、r.紇里(キリ)二合等の四つの文、悉曇に之れ有れども生字(しょうじ)の所用(しょよう)に非ざれば、今は略すなり。其の次に體文(たいもん)三十有五なり。前(さき)の悉曇に通じて四十七言明なり。聲の發する所は則ち牙(げ)・齒(し)・舌(ぜつ)・喉(こう)・脣(しん)等なり。宮(きゅう)・商(しょう)に合(かなつ)て、其の文、各(おのおの)五つなり。遍口(へんこう)の聲(しょう)の文に十有り。此の中にra囉(アラ)曷・力・遐の三聲合なりは、生字に於て諸章に遍ずべからず 諸章に之を用れば多くは第八に屬し、及び當體重と成り、或は字と成らず。後に具に論じるが如し。llam.羅(ラン)聲は全く生用(しょうよう)を闕(けつ)せり。則ち初章より通じて羅(ラン)、之を除くこと一つ除ける羅字は羅鑒の反。餘單章(よたんしょう)には之を除くこと二つ囉・羅の二字を除くなり。即ち第二・第三、及び第八・第九・第十の章なり。字、重成に非ず。第一に簡ぶが故に、餘單章と云ふなり。重章(じゅうしょう)には之を除くこと三つ重成なり。即ち第四・五・六・七、及び第十一已下の四章なり。異章(いしょう)には句の末へ、他の爲に用ひ所(ら)れ、下もを兼て之を除くこと六つ即ち盎迦の章の字なり。牙・齒・舌等の句の末の第五の字、上の四字の爲に用ひ所れて、亦た更に自重すべからず。故に之を除くなり。 之(これ)を除(のぞ)いて自(よ)り餘(よ)は、各(おのおの)遍く能く生ずなり。即ちka迦(カ)・kha佉(カ)等、是れなり。生字(しょうじ)の章は一十有七なり。各(おのおの)字を生ずること殆ど將に四百になんなんとして、則ち梵文(ぼんもん)彰(あらわ)なり。正章(しょうじょう)の外(ほか)に孤合(こごう)の文(もん)有り。連字(れんじ)重成(じゅうじょう)、即ち字の名なり。十一の摩多(また)有り。囉(アラ)は此れ點畫(てんが)の猶(ごと)し。兩箇(りょうか)の半體(はんだい)、兼合(けんごう)して文を成(な)す 阿・阿等の韻、字を生ずるに十の摩多を用ふなり。後の字の傍らの點を、毘灑勒沙尼と名く。此には去聲と云ふ。摩多と爲るに非ず。訖里の章には、一の別の摩多を用ふ。里耶は半體なり。祗耶を用て、半體の囉を兼たり。

初章は前(さき)の三十四の文を將(もつ)て、阿(ア)・阿(ア)等の十二韻に對して之を呼んで増すに摩多を以てす。生字四百有八なり。即ちka迦(カ)上・k@a迦(カ)平等是れなり。迦の聲の下の十有二の文は、並びに迦を用て字體と爲して、阿阿等の韻を以て之を呼んで其の摩多を増す。声(しょう)、韻(いん)に合して各(おのおの)形を成すなり。kha佉(カ)・ga伽(カ)等の聲の下、之に例して、以て一章を成す。次、下も十有四章まで、並に初章を用(もつ)て字體と爲す。各(おのおの)其の増す所に隨て、阿・阿等の韻を將て、所合(しょごう)の聲字(しょうじ)に對して之を呼んで、後に其の摩多を増す。當體兩字の將に合せんとするに遇ふ寸(とき)は、則ち之を容(い)れて生ずること勿(なか)れ。謂く第四章の中の重のlla羅(ラ)、第五の重のvva嚩(バ)房柯の反、第六の重のmma麼(マ)、第七の重のnna那(ナ)等、是れなり。十一已下(いげ)の四章は、次での如く上の四章に同なるを以て之に同じく除く。

第二の章は、半體(はんだい)の中のky@a祇耶(ギヤ)を將て、初章の迦(カ)・迦(カ)等の字の下に合して、kya枳(キ)也(ヤ)・ky@a枳(キ)耶(ヤ)と名く。生字三百九十有六 枳字は幾爾の反。今、祗耶を詳するに、當に是れ耶字の省なり。若し然ば亦た同く重を除て、唯だ三百八十四有るべし。先づ字體三百九十六を書て、然して祗耶を將て之を合して後に摩多を加へよ。夫れ重成の字は、下なるは皆な頭を省除するなり。已下、並びに同なり。

第三の章は、ra囉(アラ)字を將て、初章の迦(カ)・迦(カ)等の字の下を合して、kra迦(カ)上略(ラ)上・kr@a迦(カ)平略(ラ)平と名く。生字三百九十有六 上の略は力價の反。下の略は力迦の反。上の迦、下の迦、並に略の平上に同じく、聲を取るなり。他皆な之に效へ。

第四の章は、la攞(ラ)字を將て、初章の字の下に合して、kla迦(カ)攞(ラ)・kl@a迦(カ)攞(ラ)と名く。生字三百八十有四 攞字は洛可の反。

第五の章は、va嚩(バ)字を將て、初章の字の下に合して、kva迦(カ)嚩(バ)上・kva^迦(カ)嚩(バ)平と名く。生字三百八十有四 嚩字は房可の反。

第六の章は、ma麼(マ)字を將て、初章の字の下に合して、kma迦(カ)麼(マ)・km@a迦(カ)麼(マ)と名く。生字三百八十有四。

第七の章は、na曩(ナ)字を將て、初章の字の下に合して、kna迦(カ)那(ナ)・kn@a迦(カ)那(ナ)と名く。生字三百八十有四。

現代語訳

悉曇(しったん)字記(じき)南天竺般若菩提悉曇

大唐山陰(さんいん)沙門智廣(ちこう)撰

悉曇(しっだん)は天竺(てんじく)〈印度〉の文字(もんじ)である。(玄奘三蔵の)『西域記(さいいきき)』に、「梵王(ぼんおう)〈梵天〉が製ったものである。(現在の宇宙が創生された)原始、(梵語の)則(のり)が垂(た)れられたのが(その根本の音・字である)四十七言(しじゅうしちごん)〈四十七の母音と子音〉であり、(その字音をもって)物に寓(よ)せて(動詞・名詞など単語を)合成(ごうじょう)し、事(の数・性・格などを文法)に隨って転用(てんよう)〈活用〉する。(語根から動詞・名詞など)支派(しいは)が展開され、その源〈四十七言〉は次第に広く(天竺の世間に)及んでいった。(天竺の)地方により、人に随って(その発音は)㣲(すこし)く改変(かいへん)がある。そこで(その発音において)中天竺(ちゅうてんじく)を特に詳正(しょうせい)とする。辺裔(へんえい)〈辺境.印度の外境〉の殊俗(しゅうしょく)〈異習〉は、(梵語の音・言葉とその地方の言葉を)兼ねた訛文(がもん)〈訛った言葉〉を習っている。(しかしながら、)その大較(だいこう)〈あらまし〉の本源(ほんげん)〈四十七言〉は異なってない」と述べられているのが、その梗概(こうがい)〈概説〉である。この頃、嘗(こころみ)に(梵字そのものでなく、漢字に音訳された)陀羅尼(だらに)を誦(じゅ)して、その音旨(いんし)〈音義〉を調べてみたところ誤りが多くあった。(そんなところ、)南天竺(みなみてんじく)の沙門般若菩提(はんにゃ ぼだい)〈Prajñabodhi〉が陀羅尼の梵挾(ぼんきょう)〈梵本〉を持って、南海(なんかい)〈東南アジア〉を経由して五台山(ごだいさん)に参詣し、その山房(さんぼう)に寓居(ぐうきょ)しているのに出逢い、そこで(彼に)従って(梵学を)受学した。(般若菩提から教わった南天の梵文と)唐書(とうしょ)の旧翻(きゅうほん)〈古訳・旧訳〉と、さらに兼ねて中天の音韻(おんいん)とを詳(つまびら)かに比較すると、差反(さほん)〈相違〉が無くはなかった。(とはいえ、)源濫(げんらん)〈原初.根本〉を考覈(こうげき)〈調査研究〉してみれば、その帰するところは悉曇である。梵僧(ぼんそう)〈般若菩提〉が自ら云われたのは、「少字(しょうじ)〈幼少〉にして先師般若瞿沙(はんにゃ くしゃ)〈Prajñaghoṣa?〉に学び、声明(しょうみょう)〈梵語の音韻学〉の文轍(ぶんてつ)〈文法〉について、まさに微致(びち)を盡くそうと思った。南天では摩醯首羅(まけいしゅら)〈Maheśvara. 大自在天〉の文を祖(そ)として受けるが、これがまさにそれである。しかるに、中天(ちゅうてん)は(梵王以来の伝承に)兼(か)ねて龍宮(りゅうぐう)の文を以ってしている。(中天と)南天と少し異なることはあるが、而も綱骨(こうこつ)〈核心〉は必ず同じである。(そんな中でも)健駄羅(ごんだら)国〈Gandhāra〉の喜多迦(きたか)の文〈カローシュティー文字か?〉は、独(ひと)りもっとも特異なものである。しかしながら、字の由来はすべて悉曇である」とのことであった。そこで、(私智廣は、般若菩提に)その所出(しょしゅつ)〈悉曇章〉(の教授)を請い、研究して審らかにし、翻訳して註釈を加えた。すなわち、その杼軸(ちょじく)〈書籍.ここでは悉曇章を指す〉は科目に別れており、そうして(十八の)章を形成している。(梵字悉曇を漢語に音訳した)音には少しく異なるとはいえ、(その梵字悉曇の構造・音の本来を示す)文軌(ぶんき)が(記されて)ある。絶域(ぜついき)〈外国〉の書典を学ぶのは、詭異(くい)〈怪しく変わった事物〉を尚(たっと)んでのことではない。真言(しんごん)であるのに唐書〈漢字で記述されたもの〉によって梵語(ぼんご)を読むのでは髣髴(ほうふつ)〈不明瞭〉でしかない。どうしてその本文(ほんもん)を観るのに及ぶであろうか。(この『悉曇字記』により)学者をして信宿(しんしゅく)〈二晩〉を超えることなく、(梵語と漢語と)懸(はるか)に(異なったものであっても)梵音に精通させられるであろう。その字は七千以上あるが、功(つとめ)ること少くして通達できるものである。なんとお大いなることであろうか、その聖人(しょうにん)〈仏陀〉が物〈衆生〉を利益(りやく)される智は!総持(そうじ)〈陀羅尼〉の一文に、真理や諸々の徳を含意させるのは、まさにここ〈梵字悉曇〉に在る。いまだ具(つぶ)さに彼〈天竺〉の史誥(しこう)〈歴史や勅命を記した書物〉の諸々を観たことがないとしても、内経〈仏典〉の運用〈読み、唱えること〉にはもとより差し支えとならない。しかしながら、五天(ごてん)〈五天竺.印度全土〉における(梵語の)発音は、あるいは(支那における)楚(そ)〈渭水と長江の間に展開した古代国家。ここでは辺境の意〉と夏(か)〈黄河中流域にあった古代国家。中原。ここでは中央の意〉のようなものである。中土(ちゅうど)〈中華.支那〉の学者らよ、まさに(その)詳正〈中天竺の正音〉を審(つまびらか)にせよ。(私、智廣は)竊(ひそか)に簡牘(かんどく)〈文書。『悉曇字記』〉を書すことにより、(般若菩提から受学した悉曇の)遺文(いぶん)を記した 古えの楚書を「胡文」と謂うことについて、『西域記』を案じたならば、その閻浮提の地の南にある五天の境に梵人が居住していた。その地の周りは九万余里。(東・南・西の)三方は大海であり、北の背は雪山である。当時、転輪聖王が出現していなかったため、七十余国に別れていた。それを総じて「五天竺」という。また「身毒」といい、あるいは「印度」と云い、あるいはは「大夏」というのがそれである。人は(梵字悉曇を)、はるか遠く梵王から受け継いだ。(その身分は)大きくは四姓に分かっているが、通じてこれを婆羅門国と謂う。仏はそんな中に現われ玉えり。(したがって)「胡土」ではない。雪山の北の傍ら、葱嶺から即ち胡人がある。その(用いられる)字は元より製られており(梵字とは)異っている。よくよく考えてみたならば、その境は天竺に隣あっており、(胡字に梵字の)文字が交わることもあろう。(しかしながら、彼の地に)もたらされる経論はことごとく梵挾に依るものであって、それが習慣となっていた。そこでその文を倣って習うのに大凡は(梵字で理解し、その一部は胡文をもってするなど)増損があった。古来、(支那では)仏経を求め請うのに、その多くはその胡地において獲たものである。したがって、魚魯渾淆したものではあっても、直に「胡文」というのは謬りである。

その始めに「悉曇」という。しかも韻(いん)〈母音の響き〉に六(む)つ〈a / i / u / e / o / aṃ〉有って、それが長・短の両(ふた)つに分れ、字は十二となる。まさに以下の(十八の)章の首(はじ)めに(その十二の音・字を)冠(かぶら)せ、声(しょう)〈子音・体文〉に対して呼んで、しかも韻を(その末に伴わせて)発(はっ)する。声は韻に合(かな)って、字が生(しょう)じる。すなわち、a阿(ア) 上声、短に呼べ ・ā阿(ア) 平声、長に呼べ 等がそれである。その中に、ṛ紇里(キリ) 二合 等の四つの文が悉曇〈母音〉に有るが、生字(しょうじ)〈母音記号の十点〉が用いられるないことから、今は略す。その次に、体文(たいもん)〈子音の字〉三十五である。前(さき)の悉曇と合わせて四十七言明となる。(三十五の体文のうち、口中にて)声を発する場所は、すなわち牙(げ)〈kaṇṭhya. 軟口蓋音〉・歯(し)〈tālavya. 口蓋音〉・舌(ぜつ)〈mūrdhanya. 反舌音〉・喉(こう)〈dantya. 歯音〉・脣(しん)〈oṣṭhya. 唇音〉である。(それは、古代支那音楽の音階である)宮(きゅう)・商(しょう)などにも合(かな)ったものであり、その文は各々(おのおの)五つとなっている。遍口(へんこう)の声(しょう)〈遍口声〉の文には十ある。その中のra囉(アラ) 曷(ア)・力(リ)・遐(カ)の三声を合わせたもの は、生字において諸章〈第二・四・五・六・七章〉に遍じてはならない 諸章にこれを用いたならば、その多くは第八章に属し、および当体重と成り(第十八章に摂し)、あるいは字と成らない。後に具さに論じる通りである。llam.羅(ラン)声は全く生用(しょうよう)〈生字を点じること〉を闕(か)いている。すなわち、初章から通じて羅(ラン)、これを除外すること一つとなる 除いたllam.羅字は羅鑑の反。余単章(よたんしょう)ではこれを除くこと二つ ra囉・llam.羅の二字を除く。すなわち第二・第三、及び第八・第九・第十の章である。字が重成でなく、(単章である)第一章に準じたものであることから余単章と云う。重章(じゅうしょう)ではこれを除くこと三つ〈ra囉(アラ)・llam.羅(ラン)と各章の当体重〉 重成、すなわち第四・五・六・七、及び第十一以下の四章である。異章(いしょう)〈第十五章〉では句の末〈五類声の各末字.ṅa(ṅa)・ña(ña)・ṇa(ṇa)・na(na)・ma(ma)〉が他〈五類声の末字を除いた各四字〉に用いられ、下を兼ねてこれを除くこと六字〈llam.・ṅa・ña・ṇa・na・ma〉 すなわち盎迦章の字である。牙・歯・舌等の句の末の第五の字を上の各四字に用いて、またさらに自重してはならない。故にこれを除く。 これらを除いた他は、各々(おのおの)遍く能く(字を)生じる。すなわちka迦(カ)・kha佉(カ)等がそれである。生字(しょうじ)の章は(第十八章を除いた)十七章である。各々(おのおの)(の章にて)字を生じることは、ほとんどまさに四百字になろうかというもので、(これによって)すなわち梵文(ぼんもん)〈梵字〉(がどのように構成されるのかの規則)が彰(あきら)かとなる。正章(しょうじょう)の外(ほか)に孤合(こごう)の文(もん)が有る。連字(れんじ)・重成(じゅうじょう)は字の名である。十一の摩多囉(またら)〈mātṛ. 母音〉がある。それは点画(てんが)のようなものである。二つの半体(はんだい)〈ra(ra)の半体llam.(r-)とya(ya)の半体-ya(-ya)〉が、兼合(けんごう)して文〈文字〉を成(な)す〈r-(r-)+-ya(-ya)=r-(rya)〉 阿・阿等の韻が字を生じるのに十の摩多を用いる。後の字の傍らの点を毘灑勒沙尼〈visargani. 涅槃点〉という。唐では去声と云う。摩多ではない。訖里の章〈第十六章〉では、一つの別摩多を用いる。里・耶は半体である。祗耶〈-ya(-ya)〉を用って半体の囉と兼ね合わせる。

初章〈第一章〉は前(さき)の三十四の体文をもって、阿(ア)〈r-〉・阿(ア)〈r-〉等の十二韻に対してこれを呼んで〈声に出して言うこと〉、(各字を)増すのに摩多〈点画〉を以てする。生字四百八である。すなわちka迦(カ)上・k@a迦(カ)平等がそれである。迦の声の下の十二の文は、いずれも迦をもって字体として、阿・阿等の韻を以てこれを呼んでその摩多を増す。声(しょう)、韻(いん)に合わせて各々(おのおの)字形を成す。kha佉(カ)・ga伽(カ)等の声の下もこれと同様にし、それによって一章を成す。次は以下、(第二から第十五章までの)十四章は、いずれも初章(の三十四字)を用いて字体とする。各々(おのおの)〈各章〉は、その増す所〈第二章の各字に合重する字〉に随って、阿・阿等の韻を用いて所合(しょごう)の声字(しょうじ)に対して呼んで、後にその摩多を書き加える。当体両字〈同じ字の二つ〉を合わせる場合に遇ったならば、すなわち(その字自体は)容(い)れて(書き入れ、しかし点画を付して十二字を)生じさせてはならない。謂く、第四章の中の重であるlla羅(ラ)、第五章の重であるvva嚩(バ)房柯の反、第六章の重であるmma麼(マ)、第七章の重であるnna那(ナ)等がそれである。第十一以下の四章〈第十一から第十四章〉は、次でのように上の四章〈第四から第七章〉に(半体のr-(r-)を上に冠らせるだけで)同じであることから、今述べたのと同様に除く。

第二の章は、半体(はんだい)の中のky@a祇耶(ギヤ)をもって、初章の迦(カ)・迦(カ)等の字の下に合わせて、kya枳(キ)也(ヤ)・ky@a枳(キ)耶(ヤ) とする。生字三百九十六 枳字は幾爾の反。今、祗耶について詳かにすると、まさにこれは耶字の省である。もしそう(見るの)であれば、また(-yaと-yaに)同じく、重字(となる)-yaも除き、ただ三百八十四字とするべきである。(しかし、ここでは-yaと-yaを別体とみて除かず、)先づ字体三百九十六を書き、そうして(-ya)祗耶をもってそれに合わせて後に、摩多を加えよ。そもそも重成の字は、下に付す場合はすべて(その字形の)頭を除く。以下、いずれも同じとする。

第三の章は、ra囉(アラ)字をもって、初章の迦(カ)・迦(カ)等の字の下に合わせて、kra迦(カ)上略(ラ)上・kr@a迦(カ)平略(ラ)平とする。生字三百九十六 上の略は力價の反。下の略は力迦の反。上の迦、下の迦、並に略の平上に同じく声を取る。他も皆、これに倣え。

第四の章は、la攞(ラ)字をもって、初章の字の下に合わせて、kla迦(カ)攞(ラ)・kl@a迦(カ)攞(ラ)とする。生字三百八十四 攞字は洛可の反。

第五の章は、va嚩(バ)字をもって、初章の字の下に合わせて、kva迦(カ)嚩(バ)上・kva^迦(カ)嚩(バ)平とする。生字三百八十四 嚩字は房可の反。

第六の章は、ma麼(マ)字をもって、初章の字の下に合わせて、kma迦(カ)麼(マ)・km@a迦(カ)麼(マ)とする。生字三百八十四。

第七の章は、na曩(ナ)字をもって、初章の字の下に合わせて、kna迦(カ)那(ナ)・kn@a迦(カ)那(ナ)とする。生字三百八十四。