悉曇字記南天竺般若菩提悉曇
大唐山陰沙門智廣撰
悉曇天竺文字也西域記云梵王所製原始垂則四十七言寓物合成隨事轉用流演支派其源浸廣因地隨人㣲有改變而中天竺特爲詳正邊裔殊俗兼習訛文語其大較本源莫異斯梗概也頃嘗誦陀羅尼訪求音旨多所差舛會南天竺沙門般若菩提齎陀羅尼梵挾自南海而謁五臺寓于山房因從受焉與唐書舊翻兼詳中天音韻不無差反考覈源濫所歸悉曇梵僧自云少字學於先師般若瞿沙聲明文轍將盡微致南天祖承摩醯首羅之文此其是也而中天兼以龍宮之文有與南天少異而綱骨必同健駄羅國喜多迦文獨將尤異而字之由皆悉曇也因請其所出研審翻註即其杼軸科以成章音雖少殊文軌斯在効絶域之典弗尚詭異以眞言唐書召梵語髣髴而已豈若觀其本文哉俾學者不逾信宿而懸通梵音字餘七千功少用要。懿夫聖人利物之智也總持一文理含衆德其在茲乎雖未具觀彼史誥之流別而内經運用固亦備矣然五天之音或若楚夏矣中土學者方審詳正竊書簡牘以記遺文古謂梵書曰胡文者案西域記其閻浮地之南五天之境楚人居焉地周九萬餘里三埀大海北背雪山時無輪王膺運中分七十餘國其總曰五天竺亦曰身毒或云印度有曰大夏是也人遠承梵王雖大分四姓通謂之婆羅門國佛現於其中非胡土也而雪山之北傍臨葱嶺即胡人居焉其字元製有異良以境隣天竺文字參渉所來經論咸依梵挾而風俗則效習其文粗有増損自古求請佛經多於彼獲之魚魯渾淆直曰胡文謬也
其始曰悉曇而韻有六長短兩分字十有二將冠下章之首對聲呼而發韻聲合韻而字生焉即阿上聲短呼阿平聲長呼等是也其中有紇里二合等四文悉曇有之非生字所用今略也其次體文三十有五通前悉曇四十七言明矣聲之所發則牙齒舌喉脣等合于宮商其文各五遍口之聲文有十此中 囉曷力遐三聲合也於生字不應遍諸章諸章用之多屬第八及成當體重或不成字如後具論也羅聲全闕生用則初章通羅除之一除羅字羅鑒反餘單章除之二除囉羅二字即第二第三及第八第九第十章也字非重成簡於第一故云餘單章也重章除之三重成也即第四五六七及第十一已下四章也異章句末爲他所用兼下除之六即盎迦章字牙齒舌等句末之第五字爲上四字所用亦不可更自重故除之也 自除之餘各遍能生即迦佉等是也生字之章一十有七各生字殆將四百則梵文彰焉正章之外有孤合之文連字重成即字名也有十一摩多囉此猶點畫兩箇半體兼合成文阿阿等韻生字用十摩多後字傍點名毘灑勒沙尼此云去聲非爲摩多訖里章用一別摩多里耶半體用祗耶兼半體囉也
初章將前三十四文對阿阿等十二韻呼之増以摩多生字四百有八即迦上迦平等是也迦之聲下十有二文並用迦爲字體以阿阿等韻呼之増其摩多合于聲韻各成形也 佉伽等聲下例之以成于一章次下十有四章並用初章爲字體各隨其所増將阿阿等韻對所合聲字呼之後増其摩多遇當體兩字將合則容之勿生謂第四章中重羅第五重嚩房柯反第六重麼。第七重那等是也十一已下四章如次同上之四章同之除
第二章將半體中祇耶合於初章迦迦等字之下名枳也枳耶生字三百九十有六枳字幾爾反今詳祗耶當是耶字之省也若然亦同除重唯有三百八十四先書字體三百九十六然將祗耶合之後加摩多夫重成之字下者皆省除頭也已下並同也
第三章將囉字合於初章迦迦等字之下名 迦上略上迦平略平生字三百九十有六上略力價反下略力迦反上迦下迦並同略之平上取聲他皆效之也
第四章將攞字合初章字之下名迦攞迦攞生字三百八十有四攞字洛可反
第五章將嚩字合初章字之下名迦嚩上 迦嚩平生字三百八十有四嚩字房可反
第六章將麼字合初章字之下名迦麼迦麼生字三百八十有四
第七章將曩字合初章字之下名迦那迦那生字三百八十有四
悉曇字記南天竺般若菩提悉曇
大唐山陰沙門智廣撰
悉曇は天竺の文字なり。西域記に云く、梵王の所製なり。原始、則を垂るること四十七言、物に寓せて合成し、事に隨て轉用す。支派を流演して其の源、浸く廣し。地に因り人に隨て㣲き改變あり。而も中天竺を特に詳正と爲す。邊裔の殊俗、兼て訛文を習へり。其の大較の本源、異なること莫しと語ふに、斯れ梗概なり。頃、嘗に陀羅尼を誦して、音旨を訪ひ求るに差舛する所多し。南天竺の沙門般若菩提、陀羅尼の梵挾を齎て、南海より五臺に謁して山房に寓るに會て、因んで從ひ受けたり。唐書の舊翻と、兼て中天の音韻とを詳かにするに、差反無きにあらず。源濫を考覈するに歸する所、悉曇なり。梵僧自ら云く、少字にして先師般若瞿沙に學して、聲明の文轍、將に微致を盡くせりとす。南天は摩醯首羅の文を祖とし羕く。此れ其れ是れなり。而も中天は兼るに龍宮の文を以てす。南天と少しき異ること有れども、而も綱骨必ず同じ。健駄羅國の喜多迦の文、獨り將に尤異なりとす。而ども字の由、皆な悉曇なり。因に其の所出を請ふて研審し翻註す。即ち其の杼軸の科にして、以て章を成す。音、少しき殊なりと雖ども、文軌斯れ在り。絶域の典を効へて、詭異を尚には弗ず。眞言の唐書を以て梵語を召に髣髴なるのみ。豈に其の本文を觀るに若んや。學者を俾て、信宿を逾へずして懸に梵音に通ぜしめん。字、七千に餘り功少くして用るに要なり。懿、夫れ聖人利物の智なり。總持の一文に理、衆德を含むること、其れ茲れに在るをや。未だ具に彼の史誥の流別を觀ざると雖も、而も内經の運用、固に亦た備はれり。然れども五天の音、或は楚夏の若し。中土の學者、方に詳正を審んせよ。竊に簡牘を書して、以て遺文を記す 古へ楚書を謂て胡文と謂ふは、西域の記を案ずるに、其の閻浮地の南に五天の境に、梵人居たれり。地の周り九萬餘里、三埀は大海、北背は雪山なり。時に輪王の運に膺ること無ければ、七十餘國に中分す。其れを總じて五天竺と曰ふ。亦た身毒と曰ひ、或は印度と云ひ、有ひは大夏と曰ふ是れなり。人遠く梵王に羕けたり。大に四姓を分かつ雖も、通じて之を婆羅門國と謂ふ。佛、其の中に現じ玉へり。胡土には非ず。雪山の北の傍ら、葱嶺に臨で即ち胡人居り。其の字、元より製して異ること有り。良に以みれば、境ひ天竺に隣て、文字參はり渉れり。來る所の經論、咸く梵挾に依て風俗す。則ち其の文を效ひ習ふに粗ぼ増損有り。古へより佛經を求請するに、多く彼に於て之を獲たり。魚魯渾淆して、直に胡文と曰ふは謬りなり。
其の始めに悉曇と曰ふ。而も韻に六つ有り。長短兩つに分れて字十有二なり。將に下の章の首めに冠しめて、聲に對して呼て而も韻を發す。聲、韻に合て、字、生ず。即ち阿 上聲、短に呼べ阿 平聲、長に呼べ等、是れなり。其の中に、紇里二合等の四つの文、悉曇に之れ有れども生字の所用に非ざれば、今は略すなり。其の次に體文三十有五なり。前の悉曇に通じて四十七言明なり。聲の發する所は則ち牙・齒・舌・喉・脣等なり。宮・商に合て、其の文、各五つなり。遍口の聲の文に十有り。此の中に囉 曷・力・遐の三聲合なりは、生字に於て諸章に遍ずべからず 諸章に之を用れば多くは第八に屬し、及び當體重と成り、或は字と成らず。後に具に論じるが如し。羅聲は全く生用を闕せり。則ち初章より通じて羅、之を除くこと一つ除ける羅字は羅鑒の反。餘單章には之を除くこと二つ 囉・羅の二字を除くなり。即ち第二・第三、及び第八・第九・第十の章なり。字、重成に非ず。第一に簡ぶが故に、餘單章と云ふなり。重章には之を除くこと三つ 重成なり。即ち第四・五・六・七、及び第十一已下の四章なり。異章には句の末へ、他の爲に用ひ所れ、下もを兼て之を除くこと六つ 即ち盎迦の章の字なり。牙・齒・舌等の句の末の第五の字、上の四字の爲に用ひ所れて、亦た更に自重すべからず。故に之を除くなり。 之を除いて自り餘は、各遍く能く生ずなり。即ち迦・佉等、是れなり。生字の章は一十有七なり。各字を生ずること殆ど將に四百になんなんとして、則ち梵文彰なり。正章の外に孤合の文有り。連字重成、即ち字の名なり。十一の摩多有り。囉は此れ點畫の猶し。兩箇の半體、兼合して文を成す 阿・阿等の韻、字を生ずるに十の摩多を用ふなり。後の字の傍らの點を、毘灑勒沙尼と名く。此には去聲と云ふ。摩多と爲るに非ず。訖里の章には、一の別の摩多を用ふ。里耶は半體なり。祗耶を用て、半體の囉を兼たり。
初章は前の三十四の文を將て、阿・阿等の十二韻に對して之を呼んで増すに摩多を以てす。生字四百有八なり。即ち迦上・迦平等是れなり。迦の聲の下の十有二の文は、並びに迦を用て字體と爲して、阿・阿等の韻を以て之を呼んで其の摩多を増す。声、韻に合して各形を成すなり。佉・伽等の聲の下、之に例して、以て一章を成す。次、下も十有四章まで、並に初章を用て字體と爲す。各其の増す所に隨て、阿・阿等の韻を將て、所合の聲字に對して之を呼んで、後に其の摩多を増す。當體兩字の將に合せんとするに遇ふ寸は、則ち之を容れて生ずること勿れ。謂く第四章の中の重の羅、第五の重の嚩 房柯の反、第六の重の麼、第七の重の那等、是れなり。十一已下の四章は、次での如く上の四章に同なるを以て之に同じく除く。
第二の章は、半體の中の祇耶を將て、初章の迦・迦等の字の下に合して、枳也・枳耶と名く。生字三百九十有六 枳字は幾爾の反。今、祗耶を詳するに、當に是れ耶字の省なり。若し然ば亦た同く重を除て、唯だ三百八十四有るべし。先づ字體三百九十六を書て、然して祗耶を將て之を合して後に摩多を加へよ。夫れ重成の字は、下なるは皆な頭を省除するなり。已下、並びに同じ。
第三の章は、囉字を將て、初章の迦・迦等の字の下を合して、迦上略上・迦平略平と名く。生字三百九十有六 上の略は力價の反。下の略は力迦の反。上の迦、下の迦、並に略の平上に同じく、聲を取るなり。他皆な之に效へ。
第四の章は、攞字を將て、初章の字の下に合して、迦攞・迦攞と名く。生字三百八十有四 攞字は洛可の反。
第五の章は、嚩字を將て、初章の字の下に合して、迦嚩上・迦嚩平と名く。生字三百八十有四 嚩字は房可の反。
第六の章は、麼字を將て、初章の字の下に合して、迦麼・迦麼と名く。生字三百八十有四。
第七の章は、曩字を將て、初章の字の下に合して、迦那・迦那と名く。生字三百八十有四。
唐代の人であるという以外、ほとんどその詳細が明らかでない僧。自らを山陰沙門とするが、しかし山陰がどこか比定出来ない。あるいは越州山陰県(現在の浙江省紹興市周辺)、すなわち支那東部の東シナ海沿岸部を意味し、その出身であったか。▲
[S]siddhaṃの音写。成就・達成・完成、あるいは吉祥の意。本書にて後ほどそうされているように、その字表を示す最初に「namaḥ sarvajñāya siddhaṃ(一切智者に帰依す、悉曇)」とある帰敬文に基づいた称とされる。その文字体系が「完成されたもの」という賛辞であったか。梵語では今一般にsiddha mātṛkā(完成された字)と称される。
しかしながら、本書において「悉曇」とは、その文字体系のうち特に十二字(あるいは十六字)の母音についてのみ言うものであって、文字体系すべてを指す称ではないことに注意。
悉曇は七旦とも書かれ、「しったん」と読まれるが、「しっだん」と読むのがその原語siddhaṃからして、また往古に義浄がこれを「悉談」と音写して伝えていることからも正しい。ただし、近世後期の慈雲は悉曇という語について、「。これを外々の傳の梵文は。と引點なしに書することも有り。今の相承はシダアンなり。常に言ときは七旦シッタンと呼べし。正く十八章傳受のときは悉曇シダアンと呼べし」とするなど、悉曇の原語について空海が『梵字悉曇并釈義』において(誤って)伝えたものを相承としては正であるとし、これを「シダーン」と読むべきとした。▲
古代支那におけるインドの称。語源未詳。支那ではまた身毒あるいは賢豆とも称していたが、玄奘は印度(indu)というのが正しいとし、その意は月であるとした。▲
玄奘『大唐西域記』(以下、『西域記』)巻二「詳其文字。梵天所製原始垂則。四十七言也。寓物合成隨事轉用。流演枝派其源浸廣。因地隨人微有改變。語其大較未異本源」(T51, p.876c)。ただし、ここで引かれる一節は後半部に少しく異なる点がある。▲
梵字の悉曇(母音)・体文(子音)における四十七音とその字。この一節において玄奘は『大唐西域記』にて「四十七言也」(T51, p.876c)とするが、義浄は『南海寄帰内法伝』巻四にて「本有四十九字」(T54, p.228b)と報告しているように、その依る書によって根本の字として挙げられるものに四十七字から五十一字まで所説ある。
しかしながら、やはり玄奘がそう言ったように、四十七字をその根本とする説が正しい。なぜそう言うかは本書を見ることによって理解できるであろう。▲
なんであれあらゆる物に対し、何か一音あるいは音の組み合わせを以てその名とすること。例えば、我々が今「世界」または「宇宙」あるいは漠然と「場」と称するものに対し、梵語でloka(ローカ)と云い、梵字悉曇でと書くようなこと。(a)のように否定を意味する接頭辞として一字で何等か意味をなす音・字もままあるけれども、(lo)あるいは(ka)の一字のみでは意味を成さないが、その音・字の組み合わせによって単語となり、意味を生じること。▲
動作を表す語(動詞)には、その主体の数により種々の活用の別があること。また語根から諸々の名詞等を転じて生じさせ、その名詞の性(男性名詞・女性名詞・中性名詞)により活用の別があること。梵語の文法を意味した言。▲
日本では悉曇の相承、その字形と発音において中天竺と南天竺の異なりがあると云われ、特に真言宗では中天竺を正統とする見方があるが、それは先ず玄奘のこの一説に基づく。▲
変わった風俗や習慣。異俗。異習。しゅぞく。▲
あらまし。概略。▲
ここでは四十七言、すなわち梵字悉曇の四十七字の字形。▲
あらまし。概略。▲
[S]dhāraṇīの音写。読誦し三昧に入ることにより念慧の力を強めて事物をよく記憶させるもの。呪、総持、能持、能遮などと漢訳される。
『大般若経』巻三百四十七「汝等若能受持如是甚深般若波羅蜜多陀羅尼者。則爲總持一切佛法」(T6, p.785a)
『仏地経論』巻五「陀羅尼者。増上念慧能總任持無量佛法。令不忘失。於一法中持一切法。於一文中持一切文。於一義中持一切義。攝藏無量諸功徳故名無盡藏」(T26, p.315c)▲
違い誤っていること。▲
[S]Prajñabodhi. 本書の著者智廣の梵学の師。智廣に同じくその詳細が伝えられていない人。一説に空海が師事した醴泉寺の般若三蔵かとも云われるが、伝承と撞着して諸々の不審があり、まず異なるであろう。▲
梵本。梵字で書かれた典籍。特に乾燥させた多羅葉の本末を断ち切って長方形にし、裏表の表紙に同形の木板で挟みこみ、それらの中央部に二箇所小さな穴を開けて糸を通し綴じたもの。▲
五台山。現在の中国北部、山西省にある山脈の主峰五山。文殊菩薩の住処たる清涼山として古来、支那ばかりか印度・西蔵からも信仰された霊山。▲
玄奘以前の古訳・旧訳の仏典。特にそこで為された梵字の音写。▲
考えて調べること。こうかく。▲
小字。幼名。ここでは幼少、幼い頃の意。▲
[S]Prajñaghoṣa?(智音?). 般若菩提の師として挙げられるが一切未詳。▲
[S]śabda-vidyā. 梵語の音韻・文法学。印度における伝統的五種の学問、五明の一。▲
[S]Maheśvara. 大自在天。いわゆるŚiva神。▲
智廣が般若瞿沙から聞いた、梵字悉曇は梵天の所製ではあるが、中天竺はそれを根本としつつ龍宮の文を交えたものであるとの印度における伝承を伝えた一説。ここで「龍宮の文」とはいかなる意味であるか不明。
後代、安然は『悉曇蔵』において悉曇の相承に四種ありとし、智廣がこのように記したことを根拠として、そのうちの一つは龍樹が龍宮から受けたものとした。「二承龍宮者賢劫千佛四佛已出各至法盡皆移龍宮。今我釋尊滅後初五百年小乘教興。諸大乘經皆移龍宮。後五百年大乘教興。龍樹菩薩入海取經。所傳中天兼龍宮文者即是也」(T84, p.372a)。▲
核心。大綱の骨髄、或る事物の根本。▲
Gandhāra. 現在のパキスタン・ペシャワール周辺部。▲
未詳。
この語について、安然は『悉曇蔵』にて「其北天竺犍駄羅國喜多加文。其雪山北胡地文字元制有異」(T84, p.365b)あるいは「犍駄羅國喜多迦文是北天本。迦字可作加字。或與加字同音。故便書之」云々(T84, p.372c)などと説明を加えようとしているが臆説。 ▲
書。あるいは文章を構成すること。▲
外国。遠く離れた地。▲
ぼんやりとしてはっきりしない様。▲
二晩、同じ場所で泊まること。ここでは二日の意。▲
史は朝廷において書を司る官名。誥は天子や王から家臣への言葉、勅命・王命。ここでは天竺における勅命や歴史を記した書の意。印度ではそれを[S]Nīlapiṭa(ニーラピタ)と云い、玄奘はそれを尼羅蔽荼と音写している。智廣はここで玄奘などを念頭に「実際に印度にいかなくとも」の意で言ったのであろう。『大唐西域記』巻二「至於記言書事各有司存。史誥總稱謂尼羅蔽荼 唐言青藏 善惡具擧災祥備著」(T51, p.876c)▲
印度を東・西・南・北・中と五つの地方に分けた称。▲
楚は春秋戦国時代の七雄の一で、渭水と長江の間に展開した古代国家。ここでは辺境の意。夏は黄河中流域にあった古代国家。古代の支那人は黄河中流域を中原といい、その限られた範囲を世界の中心と見てそれ以外の地方を蛮夷とした。ここでは中央の意同じ支那でも時代と土地により、使う文字は同じであっても、その発音が異なっていたこと。▲
支那。▲
文書。紙のない、あるいは貴重な時代に、竹や木などを削って書いたもの。▲
魚と魯の字が似て誤りやすいこと。『抱朴子』内篇・遐覧「故諺曰、書三寫、魚成魯、虚成虎(故諺に曰く、書は三たび写せば魚は魯と成り、虚は虎と成ると)」に基づく語。一般に「魯魚亥豕(ぎょろがいし)」。▲
韻とは響き、音声。ただし、本書において智廣は原則として「韻」と「聲(声)」とを別物としている点に注意。「声」は子音について言うものとしている(但し、一部ではただ「音」の意味でも用いている)。
ここでの韻とは、母音のうち特に (a)・ (i)・ (u)・ (e)・ (o)・ (aṃ)の六つを指す。▲
智廣は先に挙げた六字を短韻とし、その長韻は (ā)・ (ī)・ (ū)・ (ai)・ (au)・ (aḥ)があって計十二字となるとする。そして、その十二韻を基本とし、以下に述べる子音に適用させるべきことが云われる。▲
悉曇(母音)のうち、先に挙げられた十二韻以外の四字、すなわち (ṛ)・ (ṝ)・ (ḷ)・ (ḹ)。これらは子音の変化にはほとんど用いられないため、おなじ悉曇(母音)であっても別個に扱われる。▲
[S]vyañjana. 子音。また字母(じも)と云う。▲
五類声(ごるいじょう)、あるいは五五相随声(ごごそうずいしょう)とも。梵語の子音のうち、後述する遍口声を除いた廿五字の発音の仕方として、口中にてその発せられる部位により五つに分類したもの。
・牙声([S]kaṇṭhya. 軟口蓋音)
・歯声([S]dantya. 歯音)
・舌声([S]mūrdhanya. 反舌音)
・喉声([S]tālavya. 口蓋音)
・唇声([S]oṣṭhya. 唇音)
以上の五類声のうち歯声および喉声について、その訳語の順に混乱、あるいは訳としての錯誤が見られる。歯声と喉声は梵語本来の順からいえば倒錯しており、歯声はその第四に、喉声はその第二に挙げられるべきもの。したがって、これら漢訳された五類声について、特に第二と第四については原語と異なってその要を云い得たものでないことに注意しなければならない。この誤りによる後代への影響は非常に大きく、梵字の発音理解に甚だしい混乱をもたらした。▲
古代支那の音楽における五つの基本音階、宮・商・角・徴・羽の五音(ごいん)の最初の二音を例示し、その全てを言わんとした語。
この一説から、智廣は梵語の五類声と支那の五声(五音)とを同じものであると考えていたことが知られる。実際、この一説を根拠に後代、五類声のいずれが五声の何に該当するか日本で諸説乱立した。
しかし、そのような理解は最初から誤ったものであって、五類声と五声に関連性は全く無い。▲
五類声以外の子音を遍口声、あるいは満口声(まんこうしょう)といい、本書ではこれに・・・・・・・・・の十字を挙げる(※遍口声として挙げれられる字数には諸説あるが、本書では十)。▲
ra字であるを何故に日本では「アラ」などと(サンスクリット本来的にありえない読みを)訓じるのか?その原因は本書における智廣のこの自註にある。智廣は般若菩提からraの発音を聞いたとき、これを「曷力遐の三聲合(曷・力・遐の三聲合なり)」と理解していたのである。梵語のraの音が「曷・力・遐の三音」から成っている、という特殊な理解は、あるいは般若から音韻学の一環として聞いたことも一応考えられるであろう。しかし、智廣がここで梵字でなく漢語で示しているということから、その可能性は極小さい。もし印度の音韻学由来の特殊な理解であれば、(そのような理解が印度にあったとは寡聞にして知らないが)について同じく梵字で示したであろう。そこでまた智廣は、の半体(後述)を冠する文字を「阿勒~」と音写、すなわち「囉」を阿勒としている。
まず、「曷・力・遐」の各字は日本で「ア・リ・カ」と読まれた。そしてまた「阿勒」を往古の日本人は「アロ」と読んだ。したがって、字および囉は仮名で「アラ」と訓じられるようになったのである。しかしながら、「アラ」と訓じられていても、日本語でそのままはっきりと「アラ」と発音してはならない。これはあくまで反舌で「ra」を発音すべきことの表記として理解すべきものである。例えば現代、英語にてLとRの発音の違いを教え、その発音が出来ない生徒に対して、Rの場合は「ウラ」と云えというようなものである。実はこの智廣の自註がどういうことか往古の日本でもよく理解されず、それら三字の反切である等と混乱した解釈を生んでいた。そこで慈雲は反切とする説を否定し、最初の「曷」は発音する前の口の形、その勢いを示したものであるなどという理解をしている。
なお、音写として充てられている漢字「囉」は、不空が梵字を漢語に音写するに際し、それがlaでなくraであることを示し、両者の混同を防ぐために新たに作り出したもの。
以上の経緯によって日本で字を伝統的に「アロと訓じ表記してきたこと」は致し方ないことながら、しかし実際にこれを日本語で「あろ」などと発音することは梵語としてありえず、全く誤りとなることに注意。悉曇の発音について、空海や円仁、宗叡など入唐して印度僧などから直接その韻を聞いた者、特に漢語を話し得た者ならば、まずその発音はおおよそ正しく為し得たであろう。そしてそれが日本語や漢語の音韻とも異なるものであることを、その表記方法は必然的に漢語に頼らざるを得なかったとしても、当初の先師らはきっと理解していた。そこで現代の我々も、日本語としての表記と実際の発音は確実に違っていたと考えなければならない。▲
同じ字を切り継ぎして別の字とすること。自重に同じ。
ここではの当体重であるは、その法則からすれば第三章と第八章とにも有るべき字であるが、第十八が特に当体重を摂める章であることから、それらの章からは除くことを言ったもの。▲
第二・第三・第八・第九・第十章の総称。単章とは、ただ体文一字すなわち単字に十二点(摩多)を付す章であることから第一章のこと。例えば第二章は第一章の体文三十四字に(ya)字を下に合わせる章ではあるものの、が体文であっても摩多の用を兼ねるものであることから、その他の重章に比して軽く、しかし単章ではないことから余単章と称される。▲
第四・五・六・七・十一・十二・十三・十四章の総称。▲
第十五章の異称。第十五章のみ、その他の章における規則にそぐわない字を収録する特異なものであることによる称。▲
第十五章の初めの字が(ṅka)盎迦であることに基づく異称。これをなぜ盎迦などと音訳しているかは本書に後述。▲
本稿にて底本とした澄禅本では「自除之餘」を「之を除いて自り餘は」と読み下しているが、慈雲はその読みを誤りであると断じ「自の之を除いて餘は」と読むべきであるとしている。慈雲の読みが正しいであろう。▲
十八章のうち孤合章(第十八章)を除いた十七章すべて。▲
生字の章に同じ。十八章のうち第十八章を除いた十七章すべて。一定の規則に基づいた章であることによる称。▲
第十八章に摂せられる字。第十七章までの規則次第と合わず、独り特異な章であることから第十八章は孤合章といわれる。どのように異なるかは本書を次第して観ることにより明らかとなるであろう。▲
必ずしも定かでないが、一説に連字は異体重(異なる字の切継)、重成は同体重(同じ字の切継)。▲
この原文の一節「有十一摩多囉此猶點畫」は、ここで一応それに従って記したように底本(澄禅本)では「十一の摩多有り。囉は此れ點畫の猶し」と読み下されている。しかし、慈雲はその読みを「有ルが囉ハ此レ點畫ノ猶シと訓ずるは非也」と誤っているとし、宗叡『悉曇私記』(以下、『林記』)における読み「問下文皆云摩多今何云摩多羅 答此具彼略文如設利羅云舎利也」に従って「摩多囉」を本来の語であるとし、「十一の摩多囉有り。此れ點畫の猶し」と読んでいる。これも慈雲の読みが正しいであろう。
摩多囉は母を意味する[S]mātṛの音写で、摩多はその略。麼多とも。その原語に則して言えば母音のことであるが、本書において摩多は特に母音の十二点画を意味していることに注意。ここで十一摩多とは、十二韻から(a)と(aḥ)とを除き、別摩多の(ṛ)を加えた十一字。
點畫(点画)とは、十二韻のうち例えば(i)は(-i)、(o)は(-o)など、体文に付してその韻を変える時に用いるいわば記号。▲
半体とは体文の字の半分。子音を二つ以上組み合わせて一つの字を作ることを切継(きりつぎ)というが、その場合には各字の上あるいは中あるいは下半分を切り取り、もしくは変形させたものを用いる。例えば(ṛ)の半体は(-ṛ)など、字によっては大きく変化する。上部の半体の場合、母韻を脱落させてその子音を先とし、下部の半体の場合はその音が後となって母韻を伴う。
ここで「両箇の半体」とは、(ra)の半体(r-)と(ya)の半体(-ya)を意味する。その二箇の半体を合せば(rya)となる。
また半体にはもう一義あり、体文の変形とされない独自の字、あるいは記号をいう。たとえば、後述する祇耶という字や、母韻を脱落させる点画「怛達(たたつ)」も半体と云われる。▲
[S]visargani. 語末にḥを付す点画。今一般にvisarga(ヴィサルガ)と言い、悉曇学ではこれを涅槃点と言う。▲
第十六章。その初めの字が訖里であることに依る称。▲
(rya) ▲
(ya)の半体(-ya)。なぜ也(ya)の半体である筈のを、本来無い音である祇を付して「祇耶」などと表記するのか。
それはをの「省」と見るのと「別体」、すなわち独立した一箇の字と見るのと二つの見方があったことに基づいたものであった。智廣は一応、これを別体として本書で扱っており、そのため「耶」でなく「祇耶」であるとしたようであるが、同時に省略(半体)であるとの見方も述べており、その自註において断りをいれている。あるいは(その真偽はともかく)印度においてそのような見方があることを般若菩提から聞き、智廣は伝えているのかもしれない。
しかしながらその発音については半体一字の場合の特別の称であって、他字と合成して連字に読んだ場合は「耶」と読むと解された。これに絡めて漢語の四声を以て様々に説明されてきたが、それ以外に方法が無かったため致し方ないことであるものの、いずれも見当違いの説である。今の見地からすれば、要は本来の字体と半体とを表記の上、読み分けるために付した便宜の称と理解するべきであろう。▲
体文(子音)三十五字のうち、(llaṃ)を除いた三十四字。▲
第二章から第七章は、第一章の体文三十四字に、順に(ya)・(ra)・(la)・(va)・(ma)・(na)を能合の字としてその半体を下に合成し、第七章以下は、それら六章の各字に、(ra)の半体を上に合成すること。▲
(ka)+(ya)=(kya)
(k-)は(ka)の半体。▲
第三章以下の諸章はいずれもこの例に倣うこと。ただし、第八章は単章であり、第十五章は異章であることから例外として除く。▲
(ka)+(ra)=(kra)
(ra)を能合の字として下に付す場合、その半体は(-ra)となる。
ここで不審であるのは、囉(ra)の半体(-ra)を合したものであるにも関わらず、何故に(kra)を「迦囉」とせず「迦略」と対訳しているのかという点である。慈雲はこれについて、囉は本来四声の入声であるが、これを異体字と合した場合、それが上声あるいは入声となることを示すために「囉」でなく「略」とされている、と理解している。智廣は自身のこのような音訳の用い方、使い分けた理由について何ら言及していないため、その真偽は不明である。
いずれにせよ、このような音写に用いる字の不統一は、智廣が(支那人である彼自身が理解した)その微細な音の異なりを極力正確に漢語に写し表現しようとした結果のことであったろう。しかし、それはより後代の、しかも異邦の者には種々の混乱を引き起こすことになった。今、我々はローマ字表記によってこれを極簡単に単純に見ることが出来るが、当時の日本はもちろんそのような手立てがなく、古代から中世まではあくまで漢語における四声や反切をのみ頼りとした。そして近世、江戸時代中期からは、唐末に編纂された『韻鏡』のような支那の古音を伝える典籍を頼りとするようになったが、それ以外に梵語の音を探る手立てが無かった。したがって、その理解は非常に迂遠で、時として明後日の方向に飛躍したものとならざるを得なかった。▲
(ka)+(la)=(kla) ▲
(ka)+(va)=(kva) ▲
(ka)+(ma)=(kma) ▲
(ka)+(na)=(kna) ▲