輸波迦羅三藏曰く、既に能く修習して、觀一び成就し、巳に汝等、今此の心の中に於て、復た五種の心義有り。行者は當に知るべし。一には剎那心。謂く初心に見道、一念相應して速かに還て忘失すること夜の電光の如く、暫く現じて即ち滅す。故に剎那と云ふ。二には流注心。既に見道巳て、念念に功を加へ相續して絶えざること、流れの奔注するが如し。故に流澍と云ふ。三には甜美心。謂く功を積むこと巳まざれば、乃ち虚然として朗に徹て、身心輕泰なることを得て、道を翫味す。故に甜美と云ふ。四には摧散心。爲て卒に精懃を起し、或は復た休廢して、二つ俱に道に違す。故に摧散と云ふ。五には明鏡心。既に散乱の心を離れて、鑒達圎明にして一切に著すること無し。故に明鏡と云ふ。若し五心を了達して、此に自ら驗めては、三乗の凡夫と聖位と自ら分別すべし。汝等行人、初にして修定を學せば、應に過去の諸佛の秘密方便加持修定の法を行ずべし。一體と一切の揔持門と相應す。是の故に、應に須く此の四の陀羅尼を受くべし。𨹔羅尼に曰く、
別本漢註 唵 蘓乞叉嚩日羅
此の𨹔羅尼は、能く所觀をして成就せしむ。
此の𨹔羅尼は、能く所觀をして失無からしむ。
此の𨹔羅尼は、能く所觀をして漸く廣からしむ。
此の𨹔羅尼は、能く所觀をして廣からしめ、復た漸略して故の如くならしむ。
是の如くの四の𨹔羅尼は、是れ婆誐梵自證の法の中の甚深方便なり。諸の學人を開て、速かに證入せしむ。若し速かに此の三摩地を求めんと欲する者は、四威儀に於て、常に此の𨹔羅尼を誦せよ。念を
剋し功を用て暫くも虚廢すること勿れ。速かに驗かならずと云こと無し。
汝等、習定の人は、復た須く經行の法を知るべし。則ち一の静處に於て淨地を平治せよ。面の長さ二十五肘、兩の頭に標を竪て、頭に通して索を繫けよ。纔に𦙄と齊くすべし。竹筒を以て索を盛れよ。長さ手に執る可り。其の筒を日に隨て右に轉じて、平に𥄂く來往す。融心普周して前六尺を視よ。三昧の覺に乗じて本心を任持せよ。諦了分明にして、忘失せしむこと無かれ。但だ一足を下て便ち一の真言を誦すべし。是の如く四の真言は初より後に至れ。終て復た始めよ。誦念、住まること勿れ。稍疲懈すと覺へば、即ち所に隨て安坐すべし。行者、應に入道の方便を知て深く助進すべし。心を脩めること金剛の如く、遷らず、易らざれ。大精進の甲冑を被り、猛利の心誓願を作して、成得を期と爲せば、終に退轉の異無し。雜學を以て心を惑して、一生をして空しく過ごさしむること無かれ。然も法は二相無く、心言兩忘せり。若し方便開示せざれば、悟入するに由し無し。良に以れば梵漢殊に隔つ。譯に非ざれば通じ難し。聊か指陳を蒙て、憶に隨て鈔録して、以て未だ悟らざるに傳ふ。京西明寺の慧驚 異本「警」 禪師、先に撰集すること有り。今再び詳補す。頗る備れりと謂ふべし。
南無稽首し上る、十方の佛、真如海藏甘露門、三寶・十聖・應真僧。願くは威神加念力を賜んことを。
希有の揔持禪祕要は、能く圎明廣大心を發く。我今、分に隨ひ、略して稱揚して、法界の諸含識に廻施す。
無畏三藏受戒懺悔文及禪門要法一卷
保安四年七月十二日於成身院住短心点之恐失大聖之深意焉
末學 實範記
承應四年三月吉日
前川茂右衛門
輸波迦羅三蔵は言われた。
「すでによく修習して、観をひとたび成就し、すでに汝らには、今この心の中に於いて、また五種の心義がある。行者はまさに知れ。一つには、刹那心。謂わく初心に見道し、一瞬(法に)相応しながらたちまち忘失すること、あたかも夜の電光のように、しばらく現じてたちまち滅する。故に刹那という。二つには流注心。すでに見道し終わって、瞬間瞬間に功を加えて相続して絶え間ないこと、あたかも水の流れが威勢よく注ぎ続けるようなもの。故に流注という。三つには甜美心。謂わく功を積んで止めることがなければ、すなわち虚然朗徹として身心軽泰となり、道を翫味する。故に甜美という。四つには摧散心。突如として精懃を起こし、あるいはまた休廃したならば、その二つ倶に道に違背する。故に摧散という。五には明鏡心。既に散乱の心を離れて、鑑達円明にして全てに頓着することが無い。故に明鏡という。もしこれら五心に了達し、これを自ら経験したならば、三乗の凡夫と聖位と自ら分別されるであろう。汝ら行人よ、初めて修定を学ぶならば、まさに過去の諸仏の秘密方便加持修定の法を行ぜよ。それは一体と一切の総持門と相応する」と。この故に、まさにすべからくこの四陀羅尼を受けなければならない。陀羅尼に曰く、
別本漢註 唵 蘓乞叉嚩日羅
この陀羅尼は、よく観ずる所をして成就させる。
この陀羅尼は、よく観ずる所をして失わせることが無い。
この陀羅尼は、よく観ずる所をして漸く拡張させる。
この陀羅尼は、よく観ずる所を拡張させ、また漸く収縮させて元のようにさせる。
これらの四つの陀羅尼は、これ婆誐梵〈世尊〉の自証の法の中の甚深なる方便である。諸々の学人を啓発し、すみやかに証入させるであろう。もし速やかにこの三摩地を得たいと願う者は、四威儀〈行住坐臥〉において、常にこの陀羅尼を誦せ。念をよく増上させ功をもってしばらくたりとも止めることなかれ。速やかに経験できないということは無い。
汝ら、定を修習する者は、また須く経行〈歩みながら行う修定〉の法を知れ。すなわちある閑静なる地において清潔な地を平らかにせよ。その幅の長さは二十五肘〈11.3m〉、その両端に目印(の棒)を立て、その先に縄を結びつけよ。わずかに胸の高さほどとする。そして、竹筒をその縄に通せ。(その竹筒の)長さは掌で握れるほどである。その筒を(握って)日に従って右回りに、平らかに(その二十五肘ばかりの距離を)往来するのだ。融心普周〈極めて注意深く、また心を専らとすること〉して前方、六尺(の地面)を視よ。三昧の覚に乗って本心を任持せよ。諦了分明にして、念を失ってはならない。一足を下すたびに一真言を誦せ。このような四つの真言は、初めから後へと順番に誦せ。(第四の真言を誦し)終わったならばまた(第一の真言から)始めよ。誦念するのに立ち止まってはならない。(そのように経行しているうち、)やや疲労を覚えたならば、適当な場所にて安坐せよ。行者は、まさに入道の方便を知って深く助進せよ。その心を修めること、あたかも金剛〈vajra〉のようにして、退転せず、変わらぬように。大精進〈mahā-vīrya〉という甲冑を被り、猛利〈情熱〉の心誓願を立てて、成就することを期したならば、終に退転することはないであろう。雑学によって心を惑わし、一生をして空しく過ごすことのないように。しかも法〈dharma〉には二相無く、心言両とも絶したものである。もし(これを)方便して開示することがなければ、悟入する縁など無い。まことに考えてみたならば、梵語と漢語とは全く異なる言語である。翻訳によらなければ意味が通じることはない。(善無畏三蔵より)いささか指陳を蒙ったのを、記憶したままに従って鈔録し、以て未だ悟りに至っていない者らに伝える。(これに)京の西明寺の慧警禅師が先に撰集したものがあって、今再び詳補した。(この再編によって)全く完備したものとなったと言えよう。
南無稽首し上る、十方の仏陀、真如海蔵甘露門、三賢・十聖・応真僧。願くは威神加念力を賜んことを。
希有なる総持禅の祕要は、よく円明広大の心を開く。私は今、分に従い略し称揚して、法界の諸々の含識〈衆生・有情〉に廻施する。
無畏三蔵受戒懺悔文及禅門要法一卷
保安四年〈1123〉七月十二日於成身院住短心点之恐失大聖之深意焉
末学 実範記
承応四年〈1655〉三月吉日
前川茂右衛門