VIVEKAsite, For All Buddhist Studies.
Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

Bhaddekaratta sutta

Bhaddekaratta sutta 解題

Bhaddekarattaについて

Bhaddekaratta suttaバッデーカラッタ・スッタ(以下、『バッデーカラッタ・スッタ』)は、分別説部ふんべつせつぶ(上座部)が伝持してきたパーリ語仏典の経蔵五部のうち、Majjhimanikāyaマッジマ・ニカーヤ(中部)に収録されている、Bhaddekarattaバッデーカラッタuddesaウッデーサ(説示)を主題とする一連の経の第一です。

一連の経とはBhaddekaratta suttaを初めとした、Ānandabhaddekaratta suttaアーナンダ・バッデーカラッタ・スッタMahākaccānabhaddekaratta suttaマハーカッチャーナ・バッデーカラッタ・スッタLomasakaṅgiyabhaddekaratta suttaローマサカンギヤ・バッデーカラッタ・スッタの四経がそれです。それらはそれぞれ題目の通り、アーナンダ(阿難)やマハーカッチャ―ナ(摩訶迦旃延)、そしてローマサカンギヤ(盧夷強耆)など著名な仏弟子が登場し、ある場合には仏陀に代わってその内容を詳説する経典となっています。

(最後のローマサカンギヤは日本では耳慣れない名の人であると思われますが、「調弦の喩え」によって悟りに至った人として知られるSoṇa-Koḷivisaソーナ・コーリヴィサとはまた別の、「足の裏が毛に覆われていた」と伝えられる人です。)

主題となるBhaddekaratta uddesaは、偈頌(gāthāガーター)すなわち韻文によって説かれており、これを一昔前の日本の学者は「一夜賢者偈」などと訳したため、今だにその訳でもって紹介されることが非常に多くあります。そのようなことから巷間、本経を「一夜賢者偈」が説かれたものとして愛好する人が今も少なからずあることでしょう。

しかしながら、このBhaddekarattaを、日本では「一夜賢者偈」という訳に疑問を呈する人がほとんどありませんが、特にrattaをどのように訳すべきかは議論のあるところとなっており、実はいまだ定説を見ていません。というのも、Bhaddekarattaはbhadda(=bhadra)+eka+rattaの複合語ですが、これをパーリ語でごく単純に訳したならば「bhadda(吉祥な・幸運な・良い・聡い)+eka(一つ・或る)+ratta(夜)」であって、「吉祥な一夜」もしくは「聡き一夜」、あるいはさらに単純に「良いある夜」となります。ところが、そのような意味で理解し訳したならばBhaddekaratta uddesaの内容とその題目の訳とが一致せず、意味不明という事態を生じます。

ではどう一致しないのか。そこでまず、本経などに説かれるBhaddekaratta uddesaがいかなるものかを、ここでは仮に「一夜賢者」とされた従来の訳を用いて示します。

"Atītaṃ nānvāgameyya, nappaṭikaṅkhe anāgataṃ;
Yadatītaṃ pahīnaṃ taṃ, appattañca anāgataṃ.
"Paccuppannañca yo dhammaṃ, tattha tattha vipassati;
Asaṃhīraṃ asaṃkuppaṃ, taṃ vidvā manubrūhaye.
"Ajjeva kiccamātappaṃ, ko jaññā maraṇaṃ suve;
Na hi no saṅgaraṃ tena, mahāsenena maccunā.
"Evaṃ vihāriṃ ātāpiṃ, ahorattamatanditaṃ;
Taṃ ve bhaddekarattoti, santo ācikkhate muni".
過去にすがることなく、未来を俟つことなかれ。
過去、それは捨てられしもの。未来、それはいまだ到らざるもの。
現在の事物〈dhamma〉、それをその場、その場にて明らかに観る。
支配されることなく、動じることなく、それを知って心に確固たらしめる。
今日こそ努力の為されるべき時である。誰が明日の死を知れようか。
実にいかなる交渉も、死の大軍と交わすことは出来ない。
このように、昼夜〈ahoratta〉おこたることなく熱意もってあること、
それはまさしく「 一夜賢者」である、と寂静なる牟尼〈聖者.賢者〉は説く。

Bhaddekaratta uddesa (MN, Bhaddekaratta sutta. 131 )

以上のように、この偈は過去・未来・現在のうち、我々が注視すべきは現在のみであって、死がいつ訪れるか知れない中、それを昼夜に絶え間なく忘れず、「今・現在」こそ専注して努め生きるべきことを説いたものです。したがって、日本の学者が好んで用いる「一夜賢者」との訳を用いたならば、この偈頌との内容とその題との連絡がついたものとは言い難くなります。それは、この語を「吉祥なる一夜」あるいは「良い一夜」であるとしても同様であって、なぜ「一夜」なのか理解不能となるでしょう。

あるいは、その一日一日と昼夜怠らず励む者には、その日の締めくくりが「良い一夜」となるから「ekaratta」だ、という解釈も可能かもしれません。が、どうもこねくり回したもののように思われ、やはり釈然とするものではない。そのようなことから、ここにある「ratta」は文字通りの夜のことではなく一日のことである、と言う者も海外の学者や学僧の中にあります。またあるいは、一昔前の日本の学者はそのように解釈して「一夜賢者」としたのかもしれませんが、現在を専らとしたならば一夜にして賢者となる、という理解も可能ではあるでしょう。いわば「一夜漬けの賢者」といったところでしょうか。しかし、それも苦しい解釈であると思われてなりません。

菲才も『バッデーカラッタ・スッタ』を知り、また「一夜賢者」という邦訳が付けられていることを知ってから、その邦訳と内容とが齟齬しているように久しく感じていたため、南方のビルマやセイロンの諸僧院にあって修道していた際、パーリ語に隨分通じた学僧に出逢えた時にはそれまで抱えていた疑問の数々をほとんど必ず尋ねたものです。すると、この問題については大体が揃って「ここでのekarattaは夜ではなく夢中になること、または拘ることの意である」との答えが帰ってきました。あるいは「喜びを得ること」であるとも。その場合、rattaの一般的用例としては少し特殊なものとなるように感じられはしましたが、題目として意味は通じるようになるため、「なるほど」と一応納得したものです。

もっとも、それが分別説部としての伝統的見解かといえば、註釈書(Aṭṭhakathāアッタカター )や複註書(ṭīkāティーカー)を参照すると確かに「こだわ ること」などの意でもっても理解できるのですが、具体的に他の語に依ってそう定義されているのではないため必ずしも正しいとは言えず、他にも読みようのあるところであって決定的なものとなりません。

ただ少なくとも確実に一つ言えることは、これを「一夜」であるとか「一日」であるとする理解など、分別説部の伝統においてなされていないことです。

なお、Bhaddekaratta uddesa(Bhaddekaratta gāthā)は漢訳仏典にも説かれ、例えば『中阿含経ちゅうあごんきょう』にはパーリ仏典における『バッデーカラッタ・スッタ』を除く三経が収録されています。『温泉林天経』(Mahākaccānabhaddekaratta suttaに対応)・『釈中禅室尊経』(Lomasakaṅgiyabhaddekaratta suttaに対応)・『阿難説経』(Ānandabhaddekaratta suttaに対応)です。それらの経において、Bhaddekaratta uddesaは同じく再三に渡って説かれていますが、以下のようなものとなっています(ここでは敢えて原文と読み下しを示します)。

愼莫念過去 亦勿願未來 
過去事已滅 未來復未至 
現在所有法 彼亦當爲思 
念無有堅強 慧者覺如是 
若作聖人行 孰知愁於死 
我要不會彼 大苦災患終 
如是行精勤 晝夜無懈怠 
是故常當説 跋地羅帝偈
慎んで過去を念ずること莫れ。また未来を願うこと勿れ。
過去事は已に滅し、未來復た未だ至らず。
現在所有の法、彼亦たまさに思いを為すべし。
堅強有ること無きを念ずる、慧者の覚ること是の如し。 
若し聖人の行を作さば、孰か死を愁うことを知らん。
我要ず彼に会わず、大苦災患終らん。 
是の如く精勤を行じ、昼夜懈怠無し。
是の故に常にまさに、跋地羅帝偈を説くべし。

瞿曇僧伽提婆訳『中阿含経』巻四十三「温泉林天経」(T1, p.697a)

パーリ仏典におけるものとはその原文が相違していたものか若干の相異があり、また文章として読み難い点もありますが、その内容は概ね同じです。しかし以上のように、訳者の瞿曇僧伽提婆くどん そうぎゃだいばGautama Saṃghadevaガウタマ・サンガデーヴァ)はBhaddekarattaを訳さず、跋地羅帝ばっちらていと音写するに留めています。

伝承によれば、僧伽提婆は罽賓けいひん(Kapiśā / Kaśmīra)出身で説一切有部の僧であったとされ、ならば経論を訳出(誦出)した際の言語はサンスクリットであったろうと考えられます。あるいは、僧伽提婆が音写するに留めたのは、同時代の釈道安しゃく どうあんによる「五失本 三不易」などの訳経方針が影響してのことかもしれませんが、これは詮無い憶測にすぎません。

しかし、漢訳仏典にはまた他にBhaddekaratta uddesaを伝える経があります。『仏説尊上経』です。これはLomasakaṅgiyabhaddekaratta suttaに対応する単経で、そこに説かれる偈文は『中阿含経』にあるものと前半は全く同一で、後半のみ相違しています。したがって、ここではその後半部のみ示します。

得已能進行 何智憂命終 
我心不離此 大衆不能脱 
如是堅牢住 晝夜不捨之 
是故賢善偈 人當作是觀
已に能く行を進むことを得ば、何ぞ智は命終を憂えんや。 
我心此を離れざれば、大衆脱すること能わず。 
是の如く堅牢に住して、昼夜に之を捨てず。 
是の故に賢善偈、人當に是の觀を作すべし。

 竺法護訳『仏説尊上経』(T1, p.886b)

このように、内容としてよりわかりにくいものとなっていますが、竺法護じくほうご訳では「賢善偈」とされekarattaに該当する箇所がありません。あるいは、偈文として一句五文字以内にしなければならない制約上から思い切ってこう訳したのかもしれない。いや、散文でも「賢善偈」としかされていないため、その可能性は極小さい。そこで、原文にBhadda gāthāとしかなかったか、あるいはekarattaが翻訳困難のために切り捨てて訳された可能性も一応考えられます。

いずれにせよ、つまるところ特にrattaをいかに訳すべきかの一点が問題となるのですが、漢訳仏典を見てもこれをどのように解すべきかは不明のままです。しかしもし、何らかのサンスクリット文献に同様あるいは類似の偈頌があればこの問題は比較的簡単に解消することでしょう。何故ならば、パーリ語のrattaという語をサンスクリットから考えた場合、rakta(染められた・色のついた・紅色)とrātra(夜)という全く異なった語の二様となるためです。仮にraktaであった場合、その意をどう取るかの課題が残りはしますが、少なくとも一夜であるとか一日という理解は消えます。その逆もまた然りであって、rātraであったならば「一夜漬けの聖者」が正解であったということになる。

一昔の学者にはこの偈頌は特に仏教に限られない、当時の自由思想家(沙門)で一般に通用していたものであったろうと見ていた者があり、不確かながら増谷文雄などがそう主張していたように思います。そのような主張が何を根拠としたものであったか知れず、菲才はこれを甚だ怪しむものでありますが、もしそれが事実であれば、外道の文献や他派の文献にもありそうなものです。しかし、不佞は無知であって、そのようなものの存在を今のところ知りません。

偈文の題目をいかに訳すかなど些末の小事であって、ここで重要であるのはその内容である、と考える者もあることでしょう。けれども、小事の積み重ねが大事になるのであり、またこの場合、その偈文自体にある語でその核心にも幾分か関わることであるため、そのように簡単に割り切ることはできません。

以上のことから、日本で一般に通用するBhaddekarattaを「一夜賢者」とする訳が適切なものとは言えません。そしてekarattaを一端脇に置くとして、ここでのbhaddaを「賢者」とするのも誤訳であろう、と個人的に考えています。そのような「一夜賢者偈」なる一昔前の訳を先例として、これは学者ばかりでなく日本人に共通する 陋習ろうしゅう ですが、無闇に踏襲し、漫然と用い続けることは決して良いことではありません。

なお、拙訳ではBhaddekarattaを、菲才が接した南方の諸学僧のそれに倣って「 さと しき一つの拘り」としていますが、これも我ながら巧い訳とはととても思えず、いまだ釈然としたものでないため、あくまで仮のことです。

「今を生きる」とは

本経『バッデーカラッタ・スッタ』およびその一連の経の主題は、仏教者はいかにして今を生きるべきかです。それがまず上述のBhaddekaratta gāthāによって端的に説示され、その後にその具体の解説がなされていくのが本経の内容です。

同じ主題で四経あるのも、それぞれ若干ながら切り口を異にして説いたものであるため、その内容をより詳しく知ろうとするならば、本経だけでなく四経すべてを読むことを勧めます。

ではBhaddekaratta gāthāによって総説される「今を生きる」とは何か。それはまず、過去における自分にまつわる諸々の事象・経験を思い出し、アレは良かった、コレが楽しかったなどと喜ばないことです。また未来にあのようにありたい、このようにありたいと想像し、やはりそこに喜びを見出さないことです。経説では喜びだけが言及されていますが、それだけでなく反対の憂いや怒りについても同様です。

そこでただ現在における、自身を取り巻き、経験する諸々の事象に対して注意深くあること。自身を構成する諸々の物質的・精神的諸要素について、伝統的に「 (atta/ātman)」といわれる実在、ここでの場合は仮にそれを魂であるとか霊魂などと一般的にいわれる物といっても良いでしょうが、そのようなものの存在を見出さないことです。すべては変わりゆく、移ろいゆくものであることを知り、恒常普遍の存在など無いことを知ることです。

これが哲学的でわかりにくいというのであれば、自らが現在その諸感覚器官を通して見聞覚知している、内外からの様々な刺激・情報に心奪われず、振り回されないこと、いわば「心踊らされないこと」・「うつつを抜かさないこと」です。今行ったことが次なる今を生み出す過去となり、今の積み重ねの先にあるのが未来であるならば、なにより大切なのは今この時です。そして誰であれ、その時は無限でなくしかも極短く、その終わりは突如としてやってくる。ならば、今こそ自らの作すべきことを作す時であり、そのように今に専注することが、「今を生きる」ことです。

一応念のため述べておきますが、この説示はビスマルクの言葉として巷間いわれる「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」の逆を言ったものではありません。人が、諸々の事象が「今、なぜこうあるのか」を知るのには過去を振り返り、必ずその歴史を知らねばならない。それでこそ、今の問題の生じた原因を究明でき、それを未来に解決し、また再発することを防止することが出来るからです。釈尊の説かれた「縁起」とは、まさにそのようなものです。今、自らの経験だけ見てどうにか出来るものではありません。ここで、現在こそ専注すべき時であるというのは、そのようなことではない。

「Here and Now(今、ここ)」であるとか「The present moment(この今という瞬間)」や「The moment to moment(この瞬間、瞬間)」という文句は、18世紀の欧州に始まる啓蒙主義から実存主義へと展開する中、また19世紀のアメリカにて生まれた実用主義の潮流においてよく用いられたものです。そして20世紀となってアジアからvipassanāヴィパッサナーや日本の禅が欧米に紹介されmindfulnessマインドフルネスとして流行すると、より一層人口に膾炙されるようになってそれが日本にも伝わり、今もよく世間で耳にする言葉となっています。

このBhaddekaratta gāthāはそのような文脈で理解して謬りない。あるいは日本の禅宗でいわれる「脚下照顧」にも一つ通じるものとして捉えて可なるものです。または、禅宗で「莫妄想まくもうそう」と云われたことは、Bhaddekaratta gāthāにて説かれている生き様の、その一つの表現であると言うことも出来るでしょう。

莫妄想とは、「妄想することなかれ」と読み下しますが、これは中世鎌倉期に支那から日本に渡来して帰化した臨済僧、無学祖元むがくそげんが、時の執権北条時宗ほうじょう ときむねに対し放った言葉です。それは当時、元の襲来いわゆる元寇があったばかりのことで内外のまつりごとに心を悩ませていた時宗に対し、すでに宋において元の襲来を経験しておりその恐るべきことを知っていた無学は、日本に再びその襲来のあることを予期し、過去や未来についてアレコレ思い悩まず、今なすべきことをなせ、との意で送ったものでした。

Bhaddekarattaの説示を好む人の中には「この偈文だけ憶念していればよい」であるとか「これだけあれば他の教説など要らない」とまでいう、忌憚なくいえば阿呆、少し柔らかく言えば粗忽者のポン助・ポン子がしばしば現れます。そのような主張は、この説示だけで事足りることなど決して無いことを、自らその言葉で証明しているようなものです。

持戒がその根本として肝要であると言えば、そこにのみ拘泥しようとする者がある。あるいは逆に「戒律だけ守っていることに何の価値がある。実にくだらん教条主義だ」などと持戒不要論を唱える人が出る。あるいは四念住(四念処)が仏教の修習における核心であるなどと言えば、「畢竟、四念住だけ修めれば良いのであって、他は蛇足の無用」と言い出す者がある。止観のうち観(vipassanāヴィパッサナー)の修習が仏教に特有であって解脱の鍵だとわかれば、「観こそ修めるのが仏教徒の本来であって、止(samathaサマタ)は不要であり、それはむしろ外道の所業」などと声高に口にする者が次々、しかも大量に湧きだす。すぐに世間の風潮や流行に飛びつくのも軽佻浮薄けいちょうふはくなことですが、もっとも罪作りでたち が悪いのは、人をそう考えるよう吹聴して仕向ける輩です。

そのような事態が生じるのは今に始まったことでなく、往古の印度においても見られたことであり、また日本でも特には中世以来強く見られた 一向いっこう選択せんちゃくという極端な態度です。それは宗旨宗派の教義として形作られ、中世・近世を通して定着していき、今に至るまでその信奉者の態度に根強く蔓延はびこっています。そして今、そのような(もはや仏教と見なしがたくなっていると場合すらある)宗旨宗派の教学やその体制自体を批判し反対する者の多くが、同じく一向・選択という精神を旺盛に有しているのですからどうしようもない。

これは何も仏教など宗教にまつわる話において見られることでなく、健康維持のためのヨーガや漢方などでも同様に見られる事で、それらにハマった人はしばしば「ヨーガ(漢方)さえ正しくやれば何でも解決。身も心も健康間違いなし」などと、まさに古典落語の『葛根湯かっこんとう医者』のはなしが現実に行われているようなのがあちこちにあります。

いや、そもそも一般にヨーガと称されるものは仏教に影響され形成された印度思想の一派、数論学派(Sāṃkhya-darśanaサーンキャ・ダルシャナ)や瑜伽学派(Yoga-darśanaヨーガ・ダルシャナ)をその淵源とするものであり、また漢方も支那の道教思想に深く関わったものであって、故にしばしば今も宗教的営為に関りやすいものであるのですが、そのようなものにも限られはしません。今の日本社会を広く覆う商業主義、経済至上主義における諸々の思想・習慣でも同じことが言えます。

『葛根湯医者』は、世間にはそのようなのが多くあるからこそこれが落語たり得る、ということであろうと思います。それはまさに昔から繰り返されてきた愚かな人の営みで、その故にまた笑いを誘うものでもある。

この『バッデーカラッタ・スッタ』には四聖諦や八正道、そして縁起など仏教の教義の根幹や、四念住など瑜伽のアレコレは全く説かれていません。故にこれだけで仏教的に足る、などということは全くあり得ません。その他諸々の教説を知り、また行っていて初めて、その「賢」であれ「善」であれbhaddaたるこの偈文の価値を了解することが出来るでしょう。

今を生きる。そこに世間一般にいわれる信仰や宗教心なるものは必要ありません。それは今の人にとって聞こえの良い、いかにも善いように思われる言葉であり、人生の指針のように思われるかもしれません。しかし、それはいわゆる人情を否定する側面ある、人というものの自然の真反対に行かせようとものであって、実際これを行うとなると生半可な者では到底出来かねること。偈文の中では「熱意ある(ātāpī)」とありますが、強い決意・精神力を要することです。

とはいえ、誰しもその初めから何ごとも十全に行えるはずもありません。そもそも修行、そして精進とはそういうもので、それはまた学問・スポーツ・芸事など鍛錬するについても通じて言えることですが、まずは一日一日、あるいはその瞬間瞬間において、「今を生きる」ことを少しずつ、絶え間なく積み重ね習慣づけていけばよいことです。

Bhikkhu Ñāṇajoti