Chiggaḷayuga sutta(以下、『チッガラユガ・スッタ』)は、上座部(分別説部)が伝持してきたパーリ語仏典の経蔵五部のうち、Saṃyutta Nikāya (相応部)に収録されている二つの小経です。二つというのは、ごく短い経ながらもこれに第一(Paṭhama)と第二(Dutiya)があるためです。
題目のChiggaḷayugaとは何かと言えば、chiggaḷaとは穴でありyugaとは軛のことであって、「穴の空いた軛」です。そこでまた軛とは、農耕や馬車や牛車として使役するためにニ頭の牛や馬などを並列に繋ぐための道具です。それは一般に木の長く厚い板、あるいは太い棒状のもので牛馬の首の上にかける、まさに首木です。そのような「軛に一つの穴が空いたもの」が経題となっています。
実は、この経に該当するものが漢訳仏典にもあり、その話は日本でも非常によく知られたものです。その話とはいわゆる「 盲亀浮木の譬え」で、一般に、人としての生を受けることがどれほど稀有なことかを説くものとしてしばしば言及されます。
如是我聞。一時佛住獼猴池側重閣講堂。爾時世尊告諸比丘。譬如大地悉成大海。有一盲龜。壽無量劫。百年一出其頭。海中有浮木。止有一孔。漂流海浪。隨風東西。 盲龜百年。一出其頭。當得遇此孔不。阿難白佛。不能世尊。所以者何。此盲龜。若至海東。浮木隨風。或至海西。南北四維圍遶亦爾。不必相得。佛告阿難。盲龜浮木。雖復差違。或復相得。愚癡凡夫。漂流五趣。暫 復人身。甚難於彼。所以者何。彼諸衆生。不行其義。不行法。不行善。不行眞實。展轉殺害。強者陵弱。造無量惡故。是故比丘。 於四聖諦。當未無間等者。當勤方便起増上欲。學無間等。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
このように私は聞いた。ある時、仏陀は、(毘舎離〈Vesālī〉の)獼猴池の側にある重閣講堂〈Kūtāgārasālā〉に留まっておられた。その時、世尊は比丘達にこう告げられた。
「譬えばこの大地が悉く大海となり、そこに一匹の盲目の亀がいたとしよう。その寿命は恐ろしく長く、百年ごとに一度だけその頭を(水面へと)出すだけである。その海にはまた一本の浮かんだ木が漂っており、そこには一つの孔が空いている。それは海波によって漂流し、また風によって東へ西へと当て所もなく浮かぶのみである」
「さて、盲目の亀が百年ごとに一度だけその頭を(水面へと)出すところに、ちょうどその浮かんだ木の孔がスッポリと嵌まることなどありえるであろうか」
阿難は、仏陀に答えて申し上げた。
「ありえないことだと思います、世尊。その理由は、その盲目の亀がもし海の東にある時には、その浮いた木は風によって或いは海の西にあるでしょう。(盲目の亀が)東西南北のどこにあっても、(浮いた木がまったく異なる場所を漂うのは)同様でありましょう。決して盲目の亀の頭が浮いた木の穴にはまることなど無いでしょう」
仏陀は、阿難に言われた。
「盲亀と浮木とは、そう容易く出会うものではないけれども、しかし決して合致しないわけではない。しかし、愚かな凡夫らが(地獄・餓鬼・畜生・人・天の)五趣に生死輪廻する中でしばらくの間でも人として再び生まれ変わることは、盲亀と浮木とが邂逅するよりもずっと稀なことである。その所以は、諸々の生ける者らは、義を行わず、真理を理解せず、善を行わず、真実を行わず、次々と他の生命を殺し傷つけ、強き者は弱き者を苦しめ、数しれぬ程の悪を造るからである。その故に比丘達よ、四聖諦について未だ正しく理解していないのであれば、まさに勤め励んで、様々な方法でもって増上欲を起し、涅槃を得よ」
仏陀がこの経を説き終わられた時、諸々の比丘らは仏陀の所説を聞いて、歓喜奉行した。
求那跋陀羅訳『雑阿含経』巻十五(T2, p.108c)
漢訳では特に経題は付されていないものの、「如是我聞(是の如く我聞けり)」と始まり、その説かれた場所を特定していう一般的な経の形式となっているのに対し、パーリ語仏典のものでは「Evaṃ me sutaṃ (このように私は聞いた)」と始まらず、冒頭から仏陀が弟子たちに語りかけられたものとなっています。しかし、内容はほぼ同様でほとんど相異ありません。
「盲亀浮木の譬え」はまた大乗の『大般涅槃経』にある偈文の数句の中で極簡単ながらも説かれています。
生世爲人難 値佛世亦難
猶如大海中 盲龜遇浮孔
世に生まれて人となること難し。仏世に値うことも亦た難し。
猶し大海中の、盲亀の浮孔に遇うが如し。
曇無讖訳『大般涅槃経』巻二(T12, p.612b)
これら漢訳仏典でいわれる「浮木。止有一孔」や「浮孔」がパーリ語仏典でのChiggaḷayuga、すなわち「穴の空いた軛」です。このように大乗経において簡略に触れられているのも、『チッガラユガ・スッタ』や『雑阿含経』のそれがよく知られたものであったことからこそ出来たことでしょう。
他の大乗の諸経典あるいは論書においてもこの譬えはしばしば用いられあるいは言及されており、古くからよく流布していたものであったことが知られます。
日本語には仏教由来の語彙が実に豊富にあり、もはや仏教に対する信仰も教養もほとんど失って無くしてしまった現代日本人であっても、それと知らずにいまだ使われている言葉の数々を日常的に耳にします。
例えば、普段ごく当たり前に使っている「ありがたい」であるとか「ありがとう」などといった言葉はまさにそれです。これは今、感謝をあらわす語として使われていますが、その語源は「有り難 い」であり、その本来の意は「稀有である」・「滅多にない」です。何が稀有かといえば、この「盲亀浮木の譬え」によって説かれている、この世で人としての生を受けることです。
生死輪廻、いわゆる輪廻転生という仏教の世界観を前提とし、生命が様々な境遇に生まれ変わり死に変わりする中で、しかし人として生を受けることがどれほど「有り難い」ことであるかを云ったものが「盲亀浮木の譬え」でした。
今、輪廻など到底信じられない、という人こそ世間には多くあると思います。しかし、仏教はそれを真なる生命のあり方であると見ています。そして、そのような生命のあり方が恐るべき、故に逃れるべき苦しみであると捉えるからこそ、そこからの解脱を目的とするのであって、仏教から輪廻を切り離すことは出来ません。
そしてその輪廻とは、例えば芥川龍之介が『蜘蛛の糸』で描いたような天上・雲上の「お神さま」ならぬ「おブッダさま」の如き存在がどうこう出来るものではありません。この小説で、極楽浄土になぜ阿弥陀ではなく釈迦牟尼がそぞろ歩きしているのか、ということは問題ではない。そもそも仏陀という存在が、そのような「おブッダさま」のようものでないことを指摘しておかなければなりません。
あくまでそれぞれの生命の個々の行い、これを業といいますが、その善悪の如何によって次なる境涯(趣)が決定されます。それは誰かに与えられたり決められたりするものではなく、自分が自分の行き先を無意識であっても決めているのです。これを自業自得あるいは因果応報といい、あるいは善因楽果・悪因苦果と表現します。仏陀であれ誰であれ、その業果というものをどうこうすることは出来ません。
(一昔前、左傾化していることが知的であり高尚であるといった風潮のあった戦後の昭和期における仏教学者や僧職者の中には、輪廻など印度の俗習・迷信であって、それを仏陀は方便として取り入れ仕方なく説いていたに過ぎない、という主張をする者が非常に多くありました。実は、その主張の元をただしていけば江戸中期の冨永仲基に行き着くのですけれども、それを知って意識している人などまず無く、しかしその影響を多分に受けたまま同様に言う者が、今もなお多くあります。)
生死輪廻のあり方には地獄・餓鬼・畜生(・修羅)・人・天の五種、あるいは六種があるとされ、五趣輪廻あるいは六道輪廻といわれます。その中、地獄・餓鬼・畜生(・修羅)を特に苦しみの甚だしい境涯とし、これを三悪道あるいは四悪趣といいます。したがって、人あるいは天が善趣であって、そこに生まれ変わることが好ましいとされます。
なお、仏教についてなど特に知っていなくとも今なおこれを言う人は比較的多くあると思いますが、「三途の川を渡る」という言葉があります。この言葉について、人が死後の世界に赴く際、この世とあの世の境にある「三途」という川があって、これを超えなければジョーブツ出来ないのだ、などと想起し理解している者があることでしょう。しかし、三途というのは三悪道の譬えであって、実際に「この世とあの世の間に川がある」などと言ったものではない。死んだ後にはせめて三悪道に生まれ変わるのは避けたい、ということで、「三途の川を渡る」と表現されたまでのことです。そしてその譬えには、「あの世に行く」だとか「ジョーブツする」といった意など露ほどもない。
では、そのような三悪道に生まれ変わらず、人より快楽甚だ大きくその寿命も非常に長いという天に生まれ変われたならばそれで良いか、と言うとそうではない。この世に存在すること自体が苦しみである、と仏教は見るからです。
そもそも「苦しみ」とは何か。総じて言えば、まず生(生まれること)・老(老いること)・病(病むこと)・死(死ぬこと)であり、 愛別離苦(好ましいものごとと別れ離れる苦しみ)・怨憎会苦(不快なものごとと関わる苦しみ)・求不得苦(求めるものを得られない苦しみ)・五蘊盛苦 (自らの身心への執着による苦しみ)です。これらを「四苦八苦」といい、人ばかりかあらゆる生命が必ず経験する事象に基づく苦しみです。
五趣あるいは六道のいずれに生じてもそれら種々の苦しみから逃れることは決して出来ないため、ただその程度と期間の問題からいって人や天での生が「マシである」という程度のことです。そこで人と天とを比べた場合、天と一口に言っても色々あるのですが、一般に天に生まれたならばその楽は大きくさらに長く続く分、その終わりが近づき、またいよいよその最期を迎える時には尋常でない苦しみを受けることになる。
その天人の苦しみを表現したのが「五衰」あるいは「天人の五衰」と云われる語です。天人として生を受けたならば、その楽が甚だ大きく強く、また苦しみは極少ないことから、ただその楽を享受するばかりでノホホンと何ら努力しないまま長大な寿命を終えてしまう。
天に生まれることは、自身が前世で積んだ業の果報ではあります。しかし、それは先代が遺した財産を浪費するばかりで何もしない大富豪の救いがたい放蕩息子のようなもの。その財が尽きて破綻する目前となってようやくそれに気づいても後の祭。それまでの生活水準を落とすことも出来ず、かといって今更何か出来ることがあるわけでもなく、地獄のそれも比べ物にならないほどの恐るべき失意と苦しみの中で惨めに死んでいく。極めつけは、そのような平凡な天人として生まれたが故にこれといった善業など何もせず、むしろ享楽的で自堕落な生活を送り続けたことにより、その死後は地獄など悪趣に生まれ変わる以外にない、とされることです。
こうなると、天といってもそこに生まれ変わるのも御免被りたい。天に神として生まれても所詮は娑婆世界の範疇を出たものではない。
ならば人として生まれることはどうか。人として生まれると、天に比せばごく小さいながらもそれなりに楽もあれば苦もあり、なにより餓鬼や畜生には無い理性・知性がある。そこで、何とかそのような苦たる生から逃れようと、自らを変えんとする努力をすることが出来る。人と言ってもやはり種々様々で、本能のままにまるで畜生のように生き、それで良しとする下賤な者もあれば、その選択や努力次第では世人として一廉の大人物、あるいは賢者となって生きる者もあり、その道を自らある程度は選ぶことが出来る。遂には釈尊に準じた「(真理に)目覚めた人」となることも可能でしょう。それもあくまで人としての生を受けたからこそのことです。
したがって、この苦たる輪廻という生命の有り様の中にあっても人としての生を受けることが最も良い、と仏教では考えます。ところが、そのような人として生を受けることは「盲亀浮木の譬え」でいわれるように滅多に無いこと、非常に「有り難い」、すなわち稀有なことであるとされます。さらにまた、「有り難い」人としての生を受けた上に、仏陀の教えが存在する世に生まれることは極めて「有り難い」とされます。
そのような人としての生命を受け、さらに仏陀の教えが伝えられている世に生まれながらも、あたかも天に生まれたかのように種々の苦楽に翻弄されつつ、しかし小さな楽をこそ享受しようと求め費やし終わることは実に勿体ないことです。
ところで、この「盲亀浮木の譬え」を説くChiggaḷayuga suttaおよび『雑阿含経』の一経における主題は、実は「人として生まれることは有り難い」ということではありません。いや、「盲亀浮木の譬え」は確かに「人として生まれることは有り難い」ことを表現したものです。けれども、それは主題ではない。その主題とは、なぜ生命あるものは無闇やたらに生まれ変わり死に変わりし続けるのか、それは善業よりむしろ悪業を作り、真理を理解していないからである、ということにあります。
その真理とは何か。それは仏陀の教えの核心、四聖諦 のことです。人は、生命あるものは、四聖諦を知ることなく理解することがないために輪廻し続ける。それを逆に言えば、釈尊が説かれた四聖諦を真に理解し、目の当たりに知見した者は輪廻を脱することが出来る、ということになる。そのような、いわば「四聖諦のススメ」が本経の主題です。その四聖諦を自らが知り悟ることこそ、人として生まれた果報というもの。
しかし、本経では四聖諦とは何かの具体は説かれていません。そこで今、これをあくまで概説ではあるものの示したらならば以下の通り。
1. | 苦聖諦(苦諦) dukkha ariyasacca |
この世界に存在することは「苦」を本質としているという真理。四苦八苦・三苦。 |
---|---|---|
2. | 苦集聖諦(集諦) dukkhasamudaya ariyasacca |
「苦」の本源についての真理。無明・渇愛を因縁として生起すること。 |
3. | 苦滅聖諦(滅諦) dukkhanirodha ariyasacca |
「苦」の滅についての真理。その本源がなくなり、「苦」が滅した状態、すなわち涅槃について。 |
4. | 苦滅道聖諦(道諦) dukkhanirodhagāmī paṭipadā ariyasacca |
「苦」の滅へと導く道についての真理。いかにして無明・渇愛を超克し、「苦」を滅するかの術。八聖道(八正道)・三学。 |
さらにその具体的内容を知らんとする人があれば、また別の経論になるべく直接あたって段階的に知ることを勧めます。しばしばこの四聖諦について、小乗(声聞乗)における教えであるとか一段浅い真理であると言う見方が、あたかも大乗の見解であるかのように紹介されますが、それは甚だしい謬見と言えたものです。仏陀の教えはこの四聖諦が核心であって、大乗であれ小乗であれここから逸脱するものではありません。もしこれを逸脱するのであれば、それはもはや仏教ではない。
先にも述べたように「盲亀浮木の譬え」に同じく人としてこの世に生を受けることが「有り難い」ことを説く経は多くあります。それを受け、たとえば中世の日本ばかりでなく宋代の支那にすら大きな影響を与えて浄土教が流行する契機を作ることとなる『往生要集』の中で、源信〈平安中期の天台僧.恵心僧都〉は以下のように書き述べています。
我等未曾修道。故徒歴無邊劫。今若不勤修。未來亦可然。如是無量生死之中。得人身甚難。縱得人身。具諸根亦難。縱具諸根。遇佛教亦難。縱遇佛教。生信心亦難。故大經云。生人趣者。如爪上土。墮三途者。如十方土。法華經云。無量無數劫。聞是法亦難。能聽是法者。此人亦復難。
私達はいまだかつて道を修めず、その故にいたずらに無辺の劫〈kalpa. 劫波.一つの宇宙が生まれてから滅びるまでの時間〉を歴巡ってきた。今もし(道を)勤め修さめなければ、未来もまた同様であろう。このように無量の生死の中、人の身を得ることは甚だ難しい。たとえ人の身を得たとしても、諸根を具えている〈五体満足であること 〉ことがまた難しい。そしてたとえ諸根を具えていたとしても、仏の教えに遇うことがまた難しい。たとえ仏の教えに遇えたとしても、信心を生じることがまた難しいことである。故に『大般涅槃経』〈(北本)巻三十三・(南本)巻三十一〉では「人趣に生まれる者は、爪の先の土のようなもの。三途〈地獄・餓鬼・畜生〉に墮する者は、十方の土のようなものである」と説かれ、『法華経』〈巻一「方便品」第二〉では「無量無数の劫においても、この法を聞くことがまた難しい。よくこの法を聴く者、そのような人もまた(あることが)難しい」と説かれている。
源信『往生要集』巻上(T84, p.39c)
宗派というものを立てるとたちまち「道」とは何かについての独自説をアレコレ言い出し、「我が道は他宗の道と異なり、より優れた云云」と主張したがるものです。いや、まず何事かの独自説があってそれがやがて宗派を形成し、さらにその独自性を高めるために次々新説を言い立てるようになるのでしょう。けれども、経説に基づいて言えば、この「道」とは四聖諦であると断じて間違いありません。
巷間、「盲亀浮木の譬え」を引き合いに出す日本の僧職者が今もあちこちにありますが、そのおよそほとんどが「人として生まれることは実に『有り難い』ものです。ですから、このような生を与えてくださったご両親、ご先祖様に、そしてホトケサマに毎日感謝の心を忘れてはいけません。人は一人では生きていけない。ありがたい。では皆さんご一緒に、南無南無~」といった、「有り難い=感謝=法事しろ・先祖供養しろ」といった方向に持っていった話をするように思われます。そして、それでおしまい。
しかし、それは本来の趣旨からかけ離れ、仏教の真を誤魔化した杜撰な話であり、もはや欺瞞とすら言って良いほどのものです。
冒頭述べたように、「有り難い」は一般に感謝の意で用いられる語となってはいます。けれども、その由来となる「盲亀浮木の譬え」はそういうことを言わんとしたものでは全然ありません。なぜこれを「ありがたや~。ナムナム」にしてしまえるのか。
それは結局、そう言っておけば、自らに何ら責任など生じず社会的に安全であり、また自ら何か本来の僧としてなすべきことをせずに済ませてしまえる、最も楽で便利な詞となっているからです。
人として生を受けること。それは非常に「有り難い」ことではあるけれども、あらゆる生命はその生存競争、弱肉強食の中で自他を傷つけ、ただ生きることに汲々としており、そもそもそうして生まれ変わり死に変わりして存在し続けること自体が苦しみである。そんな中で人としてようやく生を得たのであれば、その生を享楽的・動物的に無益に浪費せず、四聖諦を自ら努めて証得せよ、ということにあります。
源信より後の中世、明恵上人〈平安末期から鎌倉初期の華厳僧〉は以下のように語っていたと伝えられます。
上人の御消息に云はく、遣はされける処、未だ之を勘へ出さず。或るは云ふ、湯浅権守の許へと云々 如来の在世に生れ遇はざる程に口惜しき事は候はざる也。我も人も、在世若しは諸聖の弟子、迦葉・舎利弗・目連等のいませし世に生れたらましかば、随分に生死の苦種を枯らし、仏道の妙因を植ゑて、人界に生れたる思出でとし候べきに、如来入滅の後、諸聖の弟子も皆失せ給へる世の中に生れて、仏法の中において一の位を得たる事も無くて、徒らに生じ徒らに死する程悲しき事は候はず。昔仏法の盛んに流布して候ひし世には、在家の人と申すも皆、或るは四菩提の位を得て、近く聖果を期するもあり、或るは見道と云ひ、無漏の智慧を起して三界の迷理の煩悩を断ち尽して、預流果と云ふ位を得るもあり、或るは進みて欲界の六品の修惑を尽して、一来果と云ふ位を得るもあり。是までは在家の人も得る位也。此の位に至りぬれば、欲界の煩悩を断ち尽して、不還果と云ふ位を得て、其の次に色界・無色界の煩悩を断ち尽して、阿羅漢果を得るなり。或るは随分に修行して菩薩の諸位に進むもあり。人間界に生れたらば、此の如き所作を成したらばこそいみじからめ、煩悩悪業にからめ纏れて徒らに老死にするは、何事にも合はずしてのどかに老死にに死ぬとても、思出あるにも候はざる也。皆前の世に業力の催し置きたるに随ひて、今生安くして死ぬる様なれども、さりとても、やがて進みて生死を出でて仏に成らんずるにてもなし。只静かに飯打ち食ひて、きる物多くきて、年よりて死ぬる事は、犬・烏の中にもさる物は多く候也。
明恵上人の御消息〈手紙〉にこのように書かれている宛先はいまだどこか不明である。一説には、湯浅権守藤原宗重にあてられたものという。
「如来がご健在の世に生まれ遇わなかったこと程に残念な事はありません。私も人も、釈尊がご健在もしくは諸々の偉大な仏陀の直弟子達、摩訶迦葉や舎利弗・目連などのおられた世に生まれていれば、それぞれの分に応じて生死輪廻の原因たる煩悩を枯らし、仏道を成就する優れた種を植えて、人として生を受けた甲斐もあったことでしょうに。
如来ご入滅の後、諸々の聖者たる弟子等も皆亡くなってしまった世の中に生まれて、(仏法に巡り逢えたにもかかわらず)仏法の中において一つとして悟りへの階梯の位を得る事も無く、空しく生まれて虚しく死ぬことほど悲しいことはありません。昔、仏法が盛んに行われていた時代では、在家の人であるといっても皆、あるいは四菩提〈四善根の誤りであろう。説一切有部における修行階梯で見道の前段であり、賢者の位〉の位を得て、近い将来に聖者の位に到達する者もあり、あるいは見道〈預流向以上〉といって、煩悩を離れた智恵を起こして三界に迷い続けて地獄・餓鬼・畜生に生まれ変わる因たる煩悩を断ち尽くし、預流果〈聖者の位の初め。この位に達した者は七度の転生の内に必ず阿羅漢果を得ると云われる〉という位を得る者もあり。あるいはさらに進んで欲界の六品〈九品煩悩(九品惑)のうち下の六種〉の煩悩を尽くして、一来果〈預流果の次の段階。この位に至った者は死後天に生まれた後、また一度だけ人として生まれ変わって阿羅漢となることから一来と云われる〉という位を得る者もあり。これまでは在家の人も得られる位です。この位にまで至ったならば、欲界の残りの煩悩をも断ち尽くして、不還果という位を得て、その次に色界・無色界の煩悩を断ち尽くして、阿羅漢果〈供養するに相応しい人。悟りを得て解脱を果たした人〉を得るのです。あるいは可能な限り修行して菩薩の諸位に進む者もありました。
人としてこの世に生まれたならば、このような行いをなしてこそ甲斐があるというもの。煩悩・悪業にからめとられて徒に老い死んでいくことは、何か特別苦しいこと・つらいことがあるわけでもなく、のどかに老いて死んでいけたとしても、人の生を受けた甲斐にはなりません。皆それぞれ前世になした業の力により今世を安らかに送って死ねる様であっても、だからといって、やがて漸漸として生死の苦海を解脱して仏になれようわけでもなし。ただ静かに飯をあれこれと喰らい着る物も多く着て、年を取りやがて死ぬことは、犬や烏の中でも斯様なのは多くあります」
『栂尾明恵上人伝記』
感謝の心を持つこと、謙遜・謙譲の心を持つことは、人が社会に生きる上で重要ではあるでしょう。しかし、それとこれとはまた別の話です。人としての生は、あくまで自業自得で得るものであって、ホトケサマから与えられるものでも、ましてやゴセンゾサマなどの加護で与えられるものでもない。そもそもそのような意味でのホトケサマもゴセンゾサマも存在しません。我々は物質的には父母から生じたものであり、また遠く祖先からの遺伝を持って生まれていますが、この「有り難い」はそういう話では全然ありません。
それをただ「ありがたや~。おかげさま、おかげさま」と空念仏を称える為の話とするのは、その意味も価値もまるで失わせてしまうものです。それはまさに空言に他ならず、諺に云われるような、しかも非常に質の悪い虚言です。
空言に似たる誠は言うとも、誠に似たる空言は言うべからず
そのような意味で「ありがたい」と言いたがるのは、現代における生をなんとしてでも肯定しようとする精神・価値観からのことであるのでしょう。そしてまたさらにその裏には、本来は仏教と関わりのほとんどない先祖供養や祖先崇拝を世人がしなくなれば、たちまち現今の僧職者と寺家の商売上がったりとなることから、そのように「おかげさま」と「ありがたや」を言い続けなければならないのでしょう。すなわち、あれは一種の利益誘導であり、(仏教を伝えるためではなく)自身と家族を養うための経済活動とも言える。
けれども、少なくともそんな彼らが引っ張り出してくる仏典やそれに基づく古典では、そのような精神に基づいてなど決していません。
人として生を受けても、まるきり餓鬼・畜生あるいは修羅のように生きる者はこの世に少なくない。そして人に生まれたからといっても、なんでも自らの意志で選択し、ある程度自由に生き得る境遇にある者の数はそれほど多くはありません。いや、自由に生き得ているにも関わらず、自由にどう生きていけばよいか自分ではわからず、ただ右顧左眄するばかりの不甲斐ない者もある。
飽食煖衣。逸居而無教。則近於禽獸
飽食煖衣、逸居して教なくば、則ち禽獣に近し
『孟子』滕文公
人に生まれた者であって、この世の生命という美しくも、残酷で、悲しく、そしてまた滑稽なものの有り様をありありと見たならば、そこでそれが確かに苦しみであることを思って自らなすべきことをなすのが良い。
人生はまさに「邯鄲の夢」の如し。
決して長くなどなく、それはあっという間に過ぎ去り消えゆく陽炎のようで、明日があるとは誰も言えない実に儚く脆いものです。我々人に 多岐亡羊としてアレコレ思いあぐねる余裕はそれほどありません。それでも人は悩み、失敗し、後退りし、あるいは絶望してまた立ち直るなど七転八倒しつつ生き、そうしてこそ成長し得るものでしょう。けれども、時々刻々として死魔は容赦なく近づき、突如としてその牙を剥くのです。
Bhikkhu Ñāṇajoti