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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

慈雲『根本僧制』

原文

第二。若欲依律而行事。律文或闕或不了。須依経及論蔵諸説

律文不了とは、三浄肉を開する等なり。或闕とは、三聚通受羯磨自誓受の式なき等也。末世の伝持、この式もなかるべからざるなり。涅槃経、梵網経等に依るに肉食を制すること四重にひとし。大聖弥勒尊の別願、五重の制ある。今よりして顕了也と云べし。 十善の如きは、佛世よりして今日に至る。その系統を失せず。五衆の戒は、我国両度伝承を缺く瑜伽通受の式によりて、我等今日の篇聚を全うする。此第二条の式なり

第三。若三蔵所説。於事不可行者。聖言未具者。則須依支那扶桑諸大徳諸誥。及現前僧伽和合

印度よりして支那、支那よりして我朝、風土同からず。 其正法律十善の法は、万国におし通じ、古今に推通じて、差異なけれども、行事は或は通塞あり。 支那の風これを我朝に施すべからず。立を礼とする等なり。 沙門の中或は可也。貴人官辺には其式行ふべからず。此の類先徳の所誥あり。亦現前僧の和合あるべし。 内衣を着せず、直に偏袒する。又食時に匙箸を用ひざるは、印度の聖儀なれども、此邦の風儀に異なり。又先徳の所誥、現前和合の式あるなり。

《西賀茂神光院所蔵本》
飲光曰。吾扶桑邊國與西天大隔。如一切有袖衣律文不開。此土寒凍不得不著之類

現代語訳

第二:若し律に依て行事せんと欲するに、律文或は闕け或は不了ならば、須く経及び論蔵の諸説に依るべし。

《慈雲自註》
律文に「不了」とは、三種浄肉を許していること等についてである。「或は闕け」とは、三聚通受の羯磨や、自誓受の法式など無いことについて等である。(しかし、仏教を)末世に伝持するには、三聚通受の羯磨や自誓受の式は無くてはならない。『涅槃経』や『梵網経』等に依れば、肉食を禁じることは四重禁に等しい。大聖弥勒菩薩の別願には、五重の制がある。(よって大乗の徒が、肉食を制すべきことは)今や明白と言うべきである。十善については、仏世から今日に至るまで、その系統を失っていない。(しかしながら、)五衆の戒は、我が国では二度も伝承を欠いている。瑜伽通受の式によって、我らは今日の篇聚を全うする。これが第二条の式である。

第三:もし三蔵の所説であったとしても、事において行うべきでないことや、聖言で未だ具わっていない(が、今では何らかの規定が必要となっている)ものについては、すなわち須く支那や扶桑における諸大徳の諸誥、および現前僧伽の和合に依らなければならない。

印度と比較して支那、支那と比較して我朝と、風土は同じではない。その正法律、十善の法は万国におし通じ、古今におし通じて差異無きものであるが、こと行事に関しては、あるいは通用するものもあれば憚られるものもある。支那の風儀を我朝で実行してはならない。(例えば、支那での礼法では)立って礼すること等である。沙門同士であれば、あるいは良いであろう。しかし、貴人や官辺にはその礼式を行ってはならない。この類については先徳の所誥がある。また現前僧伽の和合に依れ。内衣を着ず、直に偏袒すること。また食時に(右手を使って)匙や箸を用いないのは、印度の聖儀であるけれどもこの邦の風儀とは異なる。(この類の風儀の相異については)また先徳の所誥や現前僧伽の和合の式がある。

《西賀茂神光院所蔵本》
飲光曰く、我が扶桑という辺境の国は西の天竺から遠く離れている。(支那以来日本で用いられる褊衫等の)なんであれ「袖のある衣」などは律文では許されていない。(しかしながら、)この地(の気候は)寒凍であって(「袖のある衣」を)着ざるを得ないといった類のことである。

脚註

  1. 行事ぎょうじ

    事を行ずること。事とは、受戒や布薩など僧伽における儀式、または日常の僧伽における行儀作法。

  2. 三浄肉さんじょうにく

    三種浄肉の略。律にて布施として受けて良いことが許されている「三つの条件」を満たした肉。
    三つの条件とは、直接自分に布施することを目的として動物が殺され、肉とされたものではないことを、①見ていない・②聞いていない・③疑いがないの三。以上の肉であれば、布施されてこれを受け、また食して良いと律蔵では規定されている。その根拠の一つは『四分律』巻四十二 薬揵度「有三種淨肉應食。若不故見不故聞不故疑應食。若不見爲我故殺。不聞爲我故殺。若不見家中有頭脚皮毛血。又彼人非是殺者。乃至持十善。彼終不爲我故斷衆生命。如是三種淨肉應食」(T22, p.872b)
    もっとも、肉を自ら好んで食べようとすること、たとえば「肉が食べたいから布施してほしい」などと比丘が信者に依頼することは禁じられている。

  3. 三聚通受さんじゅつうじゅ

    三聚は三聚浄戒の略。『華厳経』や『菩薩善戒経』に説かれ、あるいは『瑜伽師地論』(及びその部分訳の『菩薩地持経』)などにて詳細にすされる戒。三聚とは、律儀戒・摂善法戒・摂衆生戒という三種の戒の分類。その三つそれぞれに、律や菩薩戒などが割り当てられるが、経論によって諸説あってその内容は必ずしも一定しない。支那撰述の偽経の疑い濃厚である『菩薩瓔珞本業経』は、三聚浄戒(三受門)の「摂律儀戒」の内容として十重禁戒(十波羅夷)を挙げているため、これに影響を受けた支那の律宗の人に『梵網経』の十重四十八軽戒と『瓔珞本業経』の諸説を合して理解する者が現れ、そのような解釈が日本に伝えられた。この三聚浄戒の内容についての問題は後代、しばしば問題にされることがあった。例えば凝念大徳などはその著『律宗綱要』において、三聚浄戒の内容について諸経論によって説が不同であることについて詳細に論じられている。
    通受はまた総受(『占察経』)といい、その三聚浄戒全てを「通じて受ける(総じて受ける)」こと。そもそも通受の意は「出家・在家が共通して受ける」の意であったが、中世の覚盛によりその意が全く改変されて用いられるようになった。本来、律儀戒は別受と言い、三聚浄戒とは別途に受けなければならないものであるが、それを通受といってすべて総じて受けてしまうという覚盛により考案された受戒法であり、経律に典拠がないどころかむしろ違反するものであった。

  4. 羯磨こんま

    [S]Karmaまたは[P]Kammaの音写。「行為」を意味し、一般には「業」と漢訳される。ただし、律蔵では「僧伽における諸儀式・諸会議にて使用される、ある議題について用いられる特定の言葉」が意味される。ここでは、律蔵に「通受」という受戒法を成立させる羯磨(すなわちその方法)など説かれていない、との意。

  5. 自誓受じせいじゅの式

    現前の師を立てず、誰にも依らずして「自ら戒を受けることを誓う」ことによる受戒法。一般にこれが可能なのは五戒あるいは八斎戒、または律儀戒を除いた菩薩戒に限られる。しかし、大乗の『占察善悪業報経』(占察経)では自誓受によって「比丘として正しく受戒」出来るとされている。「復次未來之世。若在家若出家諸衆生等。欲求受清淨妙戒。而先已作増上重罪不得受者。亦當如上修懺悔法。令其至心得身口意善相已。即應可受。若彼衆生欲習摩訶衍道。求受菩薩根本重戒。及願總受在家出家一切禁戒。所謂攝律儀戒。攝善法戒。攝化衆生戒。而不能得善好戒師廣解菩薩法藏先修行者。應當至心於道場内恭敬供養。仰告十方諸佛菩薩請爲師證。一心立願稱辯戒相。 先説十根本重戒。次當總擧三種戒聚自誓而受。此亦得戒。復次未來世諸衆生等。欲求出家及已出家。若不能得善好戒師及清淨僧衆。其心疑惑不得如法受於禁戒者。但能學發無上道心。亦令身口意得清淨已。其未出家者。應當剃髮被服法衣如上立願。自誓而受菩薩律儀三種戒聚。則名具獲波羅提木叉。出家之戒名爲比丘比丘尼。即應推求聲聞律藏。及菩薩所習摩徳勒伽藏。受持讀誦觀察修行」(T17, p.904c)。しかし、これは古来ほぼ間違いなく偽経とされてきたの経典である。

  6. 肉食にくじきを制すること四重にひとし

    『梵網経』では『涅槃経』など大乗経では、肉食を無慈悲として忌み禁じるていることが多い。ここで慈雲は四重(四波羅夷)に等しいとしているが、それは過剰解釈であって肉食したからといって波羅夷とする経説はない。肉食に対する慈雲の態度は先の請食についてのものと全く真逆であって不合理に感じられるが、当時の仏者にとって肉食はそれほどの禁忌であった。

  7. 五衆ごしゅの戒

    仏教における出家者の五種をいった語。その五種とはすなわち、比丘・比丘尼・正学女・沙弥・沙弥尼。五衆にはそれぞれ異なる律あるいは戒が説かれており、そのいずれかの立場はそのそれぞれの戒あるいは律を正しく受け、また遵守することによってのみ保証される。

  8. 我国両度伝承ぼんじを缺く

    江戸期にいたるまで、日本では戒律の伝統が二度にわたって滅んだこと。一度目は鑑真渡来後、その約百年余りの平安中期、皇族や貴族らで出家するものが続出。その受け皿となったのが主に真言宗・天台宗、そして法相宗および華厳宗であった。しかし貴族らは出家などと言いつつ、俗世における出自や官位をそのまま僧界に持ち込むなどし、また僧界もそれを受け入れてしまったことなどによって、僧侶の官僚化・貴族化が生じ、律など厳密に守り得る状況でなくなくなって自浄作用を喪失。また、時代としても摂関政治および荘園制が盛んとなったことにより律令制は有名無実化し、国家もこれを管理しえなくなって、戒律の伝統は潰えた。二度目は、まず中川実範によって戒律復興の狼煙が上げられ、それをいわば継承する流れに笠置の解脱上人貞慶および栂尾の明恵上人などが現れる。そしてついに戒律復興は、叡尊や覚盛らによって現実のものとなる。しかし、これも戒律の宗派化と戦国時代突入などによる世情の混乱により、律僧は存在し得なくなって滅んだ。

  9. 瑜伽ゆが

    『瑜伽師地論』(『瑜伽論』)。実は『瑜伽論』は覚盛のいう通受など許しておらず、また律儀戒を除いた三聚浄戒の自誓受をのみ許して僧としての律儀戒の自誓受は不可であることを明記している。しかし、何故か覚盛はこれを通受および自誓受の論拠の一つとした。覚盛が依ったのは特に『瑜伽論』における三聚浄戒の自誓受の羯磨であり、玄奘によって編纂されたものであった。

  10. 篇聚ひんじゅ

    律蔵所説の禁止条項を、その罪の軽重の差によって分類した呼称。戒律違反の罪を大きく五種に分類した場合と、六つもしくは七つに小分類した場合との総称で、これを五篇六聚または五篇七聚という。

  11. 三蔵さんぞう

    その内容から三種に分類された仏典の総称。主に仏陀の思想的言動の記録である経典の集成である「経蔵」と、律の規定に関する記録の集成たる「律蔵」、ならびに経典の注釈書である論書の集成「論蔵」の三種。

  12. 現前僧伽げんぜんそうぎゃ

    僧伽とは[S]saṃghaまたは[P]saṇghaの音写で、「集まり」・「集団」を意味する語。仏教においては特に「出家者の集い」を意味する。仏・法・僧の三宝の僧とは、誰か特定の僧を意味するのではなくこの「僧伽」を指す。
    現前僧伽とは、世界中のすべての僧伽を「四方僧伽」と言うのに対して、ある限られた地域、例えば国・町・村、最小では寺院境内あるいは堂内を区切りとし、その中に属する「僧侶の集い」を現前僧伽という。なお、集いとあるが、それは必ず四人以上でなければならないとされるため、現前僧伽を形成するには比丘が四人以上なければならない。

  13. 和合わごう

    ある現前僧伽に属する「持律の僧侶」全員が、その儀式や会議に全員出席したうえで意見を全会一致させること。あくまでも「律に従って生活する比丘たち」がその規定にそむかず暮らす中、それぞれ行事を常に共にし、また布施の配分も規定に従って等しく行い、なにか議論すべき事柄があれば終には意見を一致させて皆がそれに従うこと。
    日本の僧職者には、この語をひどく牽強付会し、いわば「何事も穏やかに」・「波風立て無いこと」・「(嘘でも)皆が仲良く」などといった意味で理解してるている者が甚だしく多い。しかしながら、日本の僧職者らのように、そもそも僧侶では無いのに僧侶の姿かたちを取ってその権利を主張しつつ、もちろん戒も律も一向にまもらず、すなわち自浄作用などまったく持たずに、ただ利益互助団体の一員として事なかれ主義を貫き、表向き仲間割れしていないようにしながら実はみなが面従腹背しているようなのは和合とは言わない。それは「烏合」あるいは「野合」と呼ばれるべきものである。

  14. 沙門しゃもん

    [S]śramaṇaあるいは[P]samaṇaの音写で、その原意は「静める人」あるいは「努める人」。桑門とも。漢訳には息心・勤息・静志・淨志・貧道などがある。
    仏陀在世の当時、沙門とはインドにおけるバラモン教とは異なる自由思想家で出家遊行していた人々の称であったが、今は特に仏教の出家修行者を意味する語となった。

  15. 内衣ないえ

    日本では袈裟の下に着す、褊衫・裙と言われる衣など。印度以来、そして支那でいかに改変されたかの、衣の変遷がよく分かる形態を伝える服。褊衫・裙を繋いだものが直綴といわれ、中世以来禅宗などで用いられているが、これは支那の当時から非法で着るべきでないといわれた崩れた服。

  16. 偏袒へんだん

    相手に敬意を表すために、衣を右肩をあらわにして着用するインド古来の礼法。仏教僧の場合、右肩をあらわにして袈裟を着用するのは、自分より上座の者(仏像・仏塔を含む)に対して礼をなすときであり、それ以外の時は、通肩といって両肩を隠すように袈裟を着なければならない。例えば托鉢する時は例外なく、必ず通肩に袈裟を着なければならない。

慈雲尊者について

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