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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

慈雲『三昧耶戒和釈』

原文

此の自利勝義利他行願の二心を廣くあらはせば。五大願となるなり。此本誓の義也。

一には衆生無邊誓願度。謂く限りなき諸の衆生を殘なく濟度するなり。此れ利他行願の下化衆生の心なり。二には福智無邊誓願集。謂くかぎりなき六度萬行を修行し。功德を積集せんと思ふなり。六度とは布施持戒忍辱精進。この四をと云ひ。禪定智慧。この二つをと云なり。三には法門無邊誓願學。謂く佛の説たまへるかぎりなき佛法を。殘りなく學問せんと誓願する也。四には如來無邊誓願事。謂く十方世界の一切の諸佛のみもとに到りて。親み近き供養し奉事し。まのあたり教化を蒙り奉らんと誓願するなり。五には菩提無上誓願證。謂くまたと上なき菩提の道を悟り得て。佛果に至らんと誓願するなり。

第二の願より第五の願に至る。此の四は自利勝義。上求菩提の心なり。かくの如き誓願を起しても。一旦おこりしまゝにて退轉すれば。其願成就せぬゆゑに。此心を退轉し廢忘するまじきために。三聚戒を受てふせぎまもる也。

三聚戒と者。一には攝律儀戒。謂く一切のあしきことを悉く止るなり。此に四の品あり。一には五戒。二には八齋戒。三には沙彌の十戒。四には比丘の二百五十戒なり。二には攝善法戒。三には攝衆生戒。亦饒益有情戒と云ふ。攝善法戒とは一切の善根を修行することなり。攝衆生戒とは一切の衆生を濟度することなり。梵網經の十重禁四十八輕戒。瑜伽論の四重禁四十三輕戒。此等の戒をさすなり。謂く一一の戒に善根となる邊は攝善法戒。一切衆生を救ひ助くる爲なるは攝衆生戒なり。

且く一二を擧げば。殺生戒を持て。物の命をころさぬは善根なり。物の命を救ひ助くるは攝衆生なり。偸盗戒を持ちて。人の物を盗みかくさぬは攝善法なり。物を盗まねば。他に財寶を與へ。他のたすけとなるは攝衆生なり。飮酒戒を持ちて。酒をのまぬは攝善法なり。自のまねば人にものましめざるは攝衆生なり。かくの如く意を得て知るべし。

此等の戒法を受持て。先におこすところの自利利他の心を廢忘せざるやうに。ふせぎ守るゆゑに菩薩戒と云ふ。此戒を受け持つ人を菩薩とは云なり。此の上に菩提心の眞言をうけて。先の菩提心を印可决定し。又三昧耶戒の眞言をうけて。前の戒法を印可决定する時は。眞言行の菩薩と云者なり。此れを三昧耶戒と云ふ。

現代語訳

この自利勝義と利他行願の二心を広く表したならば五大願となるのだ。これは(三昧耶の別意である)本誓の義である。

一つには「衆生無辺誓願度」、すなわち限りない諸々の衆生を残り無く済度するものである。これは利他行願の下化衆生の心である。二つには「福智無辺誓願集」、すなわち限りない六度万行を修行し、功徳を積集しようと思うこと。六度とは布施・持戒・忍辱・精進、この四つを福といい、禅定・智慧、この二つを智という。三つには「法門無辺誓願学」、すなわち仏の説かれた限りない仏法を残り無く学問しようと誓願することである。四つには「如来無辺誓願事」、すなわち十方世界の一切の諸仏のみもとに到り、親しみ近づき供養し奉事し、目の当たりにその教化を蒙り奉らんと誓願することである。五つには菩提無上誓願證。すなわち二つと無くこの上ない菩提の道を悟り得て、仏果に至らんと誓願することである。

第二の願から第五の願、これら四つは自利勝義、上求菩提の心である。このような誓願を起こしたとしても、一度起こしただけで退転すれば、その願いが成就することはないから、この心を退転し廃忘させないように、三聚浄戒を受けて防ぎ守るのだ。

三聚浄戒とは、一つには摂律儀戒、すなわち一切の悪しきことを悉く止めることである。これに四つの品がある。一つには五戒、二つには八斎戒、三つには沙弥の十戒、四つには比丘の二百五十戒である。二つには摂善法戒。三つには攝衆生戒、または饒益有情戒という。摂善法戒とは一切の善根を修行することである。摂衆生戒とは一切の衆生を済度することである。『梵網経』の十重禁四十八軽戒、『瑜伽師地論』の四重禁四十三軽戒、これらの戒を指す。すなわち一つ一つの戒で善根となることは摂善法戒であり、一切衆生を救い助けるためのものは摂衆生戒である。

仮にここで一、二(の例)を挙げたならば、殺生戒を持って、物の命を殺さぬことは善根〈摂善法〉である。物の命を救い助けるのは摂衆生である。偸盗戒を持って、人の物を盗まず隠さないのは摂善法である。物を盗むより他に財宝を与え、他の助けとなるのは摂衆生である。飲酒戒を持って、酒を飲まないことは摂善法である。自ら飲まず他者をも飲まさぬことは摂衆生である。このように(他の諸々の戒についても)その意を得て知るがよい。

これらの戒法を受け持って、先に起こした自利利他の心を廃忘しないよう、防ぎ守ることから(三聚浄戒をして)菩薩戒というのである。この戒を受け持つ人を菩薩という。この上にさらに菩提心の真言を受け、すでに発した菩提心を印可决定し、また三昧耶戒の真言を授けられて、前の戒法を印可决定したならば、その人は真言行の菩薩という者である。これを三昧耶戒という。

脚註

  1. 五大願ごだいがん 菩提心戒を受けた者として誓うべき五項目。不空『受菩提心戒儀』に初めて説かれたもので経典に基づくものではない。その一々の内容については本文における慈雲の優れて簡便なる所説に譲る。空海以降、菩提心戒は三昧耶戒に同じとされる。しかし、少なくとも不空の当時は明確に菩提心戒と三昧耶戒とは同一視されていなかったようである。慈雲はここで不空および空海の所説に基づき、発菩提心の内容として五大願を示している。
  2. 六度萬行ろくどまんぎょう [S].ṣaṭ-pāramitā. 六度とはすなわち六波羅蜜。度は[S].pāramitāの漢訳で、その意は「最上のもの」または「完成」。漢語仏教圏の伝統においては「到彼岸」すなわち「解脱への道・術」であると解釈される。無上菩提を求めて得るために必須の功徳行とされるのが六波羅蜜であり、それに関するあらゆる功徳行を六度萬行という。
  3. 布施ふせ [S].dāna(-pāramitā). 施すこと。なんであれ自らが施し得る事物を分け与えること。布施の最上は法を説くこと。六度の一として上げられる場合、それは波羅蜜すなわち完成あるいは最上のものとしてであることに留意。以下同。
  4. 持戒じかい [S].śīla(-pāramitā). 戒を受け現実に実行すること。ここでいわれる戒とは特に三聚浄戒であるが、その中の律儀戒については人の立場や能力によって異なる。一般に在家信者ならばまず五戒であるが、機に応じて八斎戒を受持する。出家者は沙彌ならば十戒、比丘であれば二百五十戒(具足戒)。
  5. 忍辱にんにく [S].kṣānti(-pāramitā). 耐え忍ぶこと。特に自他の怒りを堪え忍ぶこと。怒りを耐え忍ぶとは、自らの心に生じた怒りを身業・口業として表さず、また心にそれ以上強まらせぬようすることであり、他からの怒り・害意や身業・口業による加害に対し、怒りを伴っては応じないこと。
  6. 精進しょうじん [S].dāna(-pāramitā). 努力すること。達成すべき目標を成就するまで、決して止めず諦めずにコツコツと努力し続けること。ただ努力すれば良いというのではなく、その努力が正しいものでなければ目標は達成されない。何をもって正しいとするかは、八正道の正精進の内容である四正断であり、その善悪の基準は十善となる。
  7. ふく [S].puṇya. 菩提を求めて修行する者が積集すべき二つの資糧〈二資糧〉のうちの一つ。福とは布施・持戒・忍辱・精進の徳。
  8. 禪定ぜんじょうの出世 [S].dhyāna(-pāramitā). 定とは深い三昧(三摩地)すなわち極度に集中した心の状態で、禅はその中で一等高度で特定の心的状態のこと。禅には四段階あって四禅といわれる。禅定波羅蜜とは、いわゆる瞑想によってそのような定、中でも四禅に至ること。
  9. 智慧ちえ [S.prajñā(-pāramitā). 様々な世間的知識、および一切が無常・苦・無我であって空なるものであるとする出世間的知見。全き解脱に至るのに必要な明知を備えること。般若波羅蜜。
  10. 菩提を求めて修行する者が積集すべき二つの資糧〈二資糧〉のうちの一つ。ここで慈雲が言うように、智とは禅定・智慧の徳であり、それらは畢竟、出世間の徳である。
  11. 退轉たいてん 一旦得た、なんらか高き状態から退き、転落・退行すること。ここでは五大願を起こすことを一度は決意したものの以降にそれを忘れ、あるいはその意志を失って全くその実行を欠いてしまうこと。
  12. 三聚戒さんじゅかい [S].trividhāni śīlāni. 三聚浄戒。(密教を除く)仏教における様々な戒および律を、大乗の立場からその目的や効用の観点によって三種に分類したもの。
  13. 攝律儀戒しょうりつぎかい [S].saṃvara-śīla. いわゆる七仏通誡偈の第一句「諸悪莫作」すなわち止悪のための具体的戒あるいは律のこと。摂律儀戒は人の立場によって受けるべきもの、その内容は異なる。
    なお、慈雲はここで摂律儀戒というが、『瑜伽論』など印度撰述の典籍では「摂」は無くただ「律儀戒」というのみである。原語からしても「摂」に該当するものは無い。摂律儀戒とするのは『菩薩瓔珞本業経』や『占察経』などのいわゆる支那撰述の偽経においてのことであるが、日本では中世以来、それらに基づいて摂律儀戒ということが多い。
  14. 五戒ごかい 仏法僧の三宝に帰依(三帰)して後に在家者が受けるべき五つの戒。在家者としてもっとも基本的な戒。
  15. 八齋戒はっさいかい 普段は五戒をのみ受持する在家信者が、布薩あるいは六斎日などの機に応じて一時的に受持する出家に少しばかり準じた戒。
  16. 十戒じゅっかい 出家した者がまず受けるべき十ヶ条の戒。沙彌には原則として数え十三歳以上でなることが出来、誰か師僧についてもとで出家し仏教の諸事項を学ぶ。沙彌が数え年二十を満じたならば比丘となることができる。もっとも、身体的欠損や両親の許可が無いなどの、比丘になることが出来ない条件に抵触する者は、二十を超えてもそのまま沙彌として生涯過ごす。
  17. 二百五十戒にひゃくごじゅっかい 仏教の正式な出家者たる比丘が必ず受けなければならないおよそ二百五十ヶ条からなる禁則。これを一般に具足戒(比丘たることを得る戒)とも称する。比丘となるためにはまず必ず具足戒を受け、その中でも最重要なる四波羅夷罪および十三僧残罪を犯さぬよう努めなければ、比丘としての立場はただちに消失する。
    二百五十という数は、特に支那および日本でもっとも依行された『四分律』所説の律が二百五十ちょうどであるためであるが、項目数が若干ながら異なる『十誦律』や『五分律』など所説の律も慣用的に二百五十戒といわれる。よって二百五十はあくまで概数であり、たとえば二百二十七項目が説かれるパーリ語によって伝えられたいわゆる「パーリ律」のそれも二百五十戒と称して全く差し支えない。
  18. 攝善法戒しょうぜんぽうかい あらゆる善法を行うこと。仏教における善の基準は十善業道であるが、ただ悪を行わないだけでなくその状態を積極的に自他において造り出すこと。
  19. 攝衆生戒しょうしゅじょうかい あらゆる生ける物に対し積極的にその利益となるよう働きかけること。
  20. 十重禁四十八輕戒じゅうじゅうきんしじゅうはちきょうかい 大乗の『梵網経』所説の戒。梵網戒とも。日本では行基など天平の昔から重んじられた菩薩戒の一つ。
  21. 四重禁四十三輕戒しじゅうきんしじゅうさんきょうかい 『瑜伽師事論』所説の戒。おそらくは梵網戒より先んじて日本にもたらされ依行された戒。三聚浄戒の具体。法相宗だけでなくその他の宗旨でも重要視され受持されたが、中世の戒律復興がなされて以降もまた注目され受持された。
  22. 菩提心ぼだいしんの眞言 『大日経』等所説の真言。oṃ bodhicittaṃ utpādayāmi.(唵冐地喞多母怚波二合那野彌)。
  23. 印可决定いんかけつじょう 印可とは何ごとかを認めること、あるいは許可すること。ここでは菩提心あるいは三昧耶戒を受けたことを認め証明すること。
  24. 三昧耶戒さんまやかいの眞言 『大日経』等所説の真言。oṃ samayastvaṃ.(唵 三摩耶薩怛鑁)。

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