原文
此の戒法を地盤として三密の行法を修行するなり。三密の行は此れ定なり。此の行を修して。無初以來の惡業を消滅し。妄念を斷除すれば。自然に心明かになりて。本來不生不滅の理を悟り得る。此れを慧と云なり。慧は定にあらざれば得がたく。定は戒にあらざれば。その定眞實ならず。外道も定を修すれども。戒法なきによつて。邪定となつて。惡見を起し。還て輪廻の基となるなり。
此の故に先ずかたく禁戒を持て後三密の行を修すべし。たとへば戒法は盗賊を捕るが如し。三密の行は盗賊を縛るが如し。其の上に本不生の悟をひらくは盗賊をころすが如くなり。
是を以て菩提心論の中にも。勝義行願三摩地を戒とし。成佛に至るまで。しばらくも忘るゝ事なしと説き給へり。三摩地と云は則ち平等の義なり。
大疏五云。眞言行人不曉如此淨戒。則雖口誦眞言。身持密印。心住本尊三昧。具修次第儀軌供養諸尊。猶名造作諸法。未離我人之網。云何得名菩提薩埵。又云。當持此戒方便。普入一切眞言行中。苟戒有虧而得成菩薩行。無有此處文 よくゝ此等の文をみるべし。
上につらねる三聚戒は。人々の力に隨て受け持つべし。
攝律儀は。五戒或は八齋戒など。心に從てたもつべし。後の二の戒は。力の堪たる人は。或は梵網經瑜伽等をのこらず兼うくべし。若し堪ざる人は。梵網ばかりをうけ。猶たへがたきは梵網の内にて。或は前四重。輕戒にては食肉五辛等の戒をゑらびぬいてうくべし。
今時近住の男女は。其體は在家なれども。而も妻子を具せず。剃髪し。不如法ながら衣をも著すれば。一分出家の相なり。ゆゑに且く出家分と意得て。不如法の形同沙彌とも思ふべきなり。しかれば八齋戒を攝律儀戒とし。梵網の重戒の内にて。快意殺生戒。劫盗人物戒。無慈行欲戒。故心妄語戒。酤酒生罪戒。毀謗三寶戒。此の六戒を持ち。輕戒の内にては。不敬師長戒。飮酒戒。食肉戒。食五辛戒。退菩提心戒。不重經律戒。此等の戒を受くべし。よくゝ師に從て戒相をまねび得て。違犯なきやうにすべきなり。
此の戒を受て後には。半月半月に布薩の日ごとに。佛前に至りて我が受けし梵網の戒の文を暗誦すべし。若し又比丘僧或は梵網分受したる人。布薩あらば。我が受たる重禁の分を聞て座を立つべきなり。懴悔の法は別に師に從て學ぶべきなり
現代語訳
この戒法を地盤として三密の行法を修行するのである。三密の行とは定〈三摩地〉である。この行を修して、無初以来の悪業を消滅し、妄念を断除すれば、自然に心(に迷いの闇なく)明らかとなって、本来不生不滅の理を悟り得る。これを慧という。慧は定に依らなければ得がたく、定は戒に依らなければ(たとい定を得たとしても)その定は真実なるものでない。外道も定を修すけれども、戒法が無いことから邪定となって悪見を起こし、むしろ(邪定を修めることにより)輪廻の基となるのだ。
その故に、先ずは固く禁戒を持って後に三密の行を修せよ。たとえば戒法は盗賊を捕らえるようなものであり、三密の行は盗賊を縛るようなものである。そうしてから本不生の悟りを開くのは盗賊を殺すようなものである。
このようなことから、『菩提心論』の中にも「勝義・行願・三摩地を戒とし、成仏に至るまで一時たりとも忘れることは無い」と説かれている。三摩地とは、すなわち平等の義である。
『大日経疏』巻五に「真言行人は、このように淨戒を持さなければ、たとい口が真言を誦し、身は密印を持し、心は本尊の三昧に住して詳細に次第・儀軌を修し諸尊を供養したとしても、なお『諸法を造作する者』〈解脱できずに生死輪廻し続ける〉と名づける。いまだ我人の網〈恒常的存在、我があるとの邪見〉を離れられていないのだ。(そのような者を)どうして菩提薩埵と名づけることが出来ようか」とある。また、「まさにこの戒方便を持って、あまねく一切の真言行の中に入るべし。かりそめにも戒を守らなくとも菩薩の行を成就出来る、ということはあり得ない」とある。よくよくこれらの経文を見るがよい。
以上に示し連ねた三聚浄戒は、それぞれ人の分際に応じて受け持つがよい。
摂律儀は、五戒あるいは八斎戒など、(それぞれ自身の)意志に従ってたもつがよろしい。後の(摂善法と摂衆生戒との)二つの戒は、その能力で堪えうる人であれば、あるいは『梵網経』や『瑜伽師地論』等(の戒)を残らず兼ね受けたらよい。もし(全ての戒を受持するに)堪えない人であれば、『梵網経』(の戒)のみを受け、(『梵網経』の戒でも)なお堪えられないのであれば、梵網の中でも、あるいは前の四重のみ、軽戒では食肉や五辛等の戒を選び抜いて受けたらよい。
今時の近住の男女は、その立場は在家であるけれども、しかし妻子を娶らず剃髪し、不如法ながらも衣をも着ているのであるから、一分出家の姿である。故に仮に(近住は自身らは)出家分であると心得て、不如法の形同沙弥であるとも思うべきである。そうであるならば八斎戒を摂律儀戒とし、梵網の重戒の中から快意殺生戒・劫盗人物戒・無慈行欲戒・故心妄語戒・酤酒生罪戒・毀謗三宝戒とこれら六戒を持ち、軽戒の中では不敬師長戒・飲酒戒・食肉戒・食五辛戒・退菩提心戒・不重経律戒の戒を受けよ。よくよく師に従って戒相を学び得て、違犯無いようしなければならない。
この戒を受けて後には、半月半月の布薩の日毎に、仏前に至って自ら受けた梵網の戒の文を暗誦せよ。もしまた比丘僧で、あるいは梵網を分受した人であれば、布薩の日には自身が受けた重禁の分を聞き終いてから座を立たなければならない。(半月の間に違犯があった者でいまだその法を知らぬ者は)懺悔の法を別途、師に従って学ぶがよい。
脚註
三密の行法
三密瑜伽。密教における修習を表した語。手(身)に印契を結び、口に真言を唱え、意は三昧に住すること。
定
[S].samādhi の漢訳。音写が三摩地あるいは三昧。集中した心の状態、あるいはそれを目的とする修習、いわゆる瞑想をも定という。定の同義語に等持・等引・心一境性などがあるが、禅那・禅は定の中でも一等高度な心の種々様々な働きが止んで静まった特定の状態をいい、概して禅定などと言われる。
慧
[S]prajñā. ここで慈雲は先ず戒を受持することを示して、次に定の修すべきことをいい、その上にこそ慧があると、いわゆる戒・定・慧の三学に則って示している。ここで慧とは、「本来不生不滅の理を悟り得る」ものであって世間的知ではなく、空性を如実に識るための出世間のもの。
外道も定を修すれども
外道すなわち仏教外の思想・宗教においても定は修される。たとえば仏教から多大なる影響を受け成立したインド教の一派、ヨーガ学派およびサーンキャ学派などにおいてもやはり定は必須とされる。しかし、それが仏教からの影響を受けて成立したと言っても、まず根本的な思想が異なり、さらにその思想に基づく戒も当然異なっているため、仏教からすればいくら彼らが深い定を得たとしても、そこに慧はありえない。
菩提心論
『金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論』。真言宗における伝統説によれば龍猛によって著されたとされ、密教の修道について様々な教示を載す書。ただし、この書が龍猛によって著されたとするのは無理にすぎ、日本でも往古からそのような指摘があるように、不空が著したものであろう。それでもなお真言教学において『菩提心論』を知らない、その所説を学んでいないなどありえないほど重要な位置を占める書。
ここで慈雲が引いているのは、「既發如是心已。須知菩提心之行相。其行相者。三門分別。諸佛菩薩。昔在因地。發是心已。勝義。行願。三摩地爲戒。乃至成佛。無時暫忘」(T32, p.572c)という一節。『菩提心論』の冒頭の一部である。
大疏五
『大日経疏』巻五にある「若眞言行人。不曉如是淨戒。則雖口誦眞言身持密印心住本尊三昧。具修次第儀式供養諸尊。猶名造作諸法。未離我人之網。云何得名菩提薩埵耶」(T39, p.629c)、および「當持此戒方便。普入一切眞言行中。苟戒有虧而得成菩薩行。無有是處也」(T39, p.629c)。
近住
八斎戒を恒常的に受け、寺院内に起居して諸々の寺の雑務を行う在家信者。多くの場合、在家信者ではあっても独身で妻子を帯しなかった。これは慈雲も述べていることであるが、そのあり方はほとんど後述の形同沙彌に同じ。ただし、立場としてあくまで在家信者とされる点が異なる。近住には女性もあり、比丘の寺院には男性の、比丘尼の寺院には女性の近住があった。近住はまた浄人とも称される。
不如法ながら衣をも著す
慈雲の門人で近住となった者は剃髪し、墨染(鼠色)の褊衫を着していた。法要の際には、漫衣ではあるが袈裟を着すことが許されていた。このように在家であっても衣を付けることは奇異に感じられるが、その根拠は『梵網経』に求められており、それを慈雲は文字通り実行していた。
形同沙彌
一応出家者(沙彌)としての姿形を取って剃髪しているものの、いまだ十戒を受けてはいない沙彌のこと。実質的に近住とほとんど変わらないあり方であるが、立場上は出家者の範疇とされる。
支那の律宗において、沙彌には三種のあるいは四種の沙彌の別があるとされたものの一つ。その三あるいは四とは、先ずは正規の沙彌で数え年十四歳以上十九歳以下で十戒を受けた者であり、これを法同沙彌という。次に両親が死亡あるいは捨てられるなどして保護者の無い七歳以上十三歳以下で、精舎の鳥を追い払う程度の能力がある年少者(十戒は受けない)を駆烏沙彌という。また、二十歳以上であるにも関わらず、なんらか身体的欠損や両親の許可が無い、あるいは借金があるなどで、比丘になることが出来ず沙彌のままである者は名字沙彌と言われる。
戒相
戒の具体的内容。
布薩
一ヶ月のうち新月と満月の日の二回、僧伽で行われる最も重要な儀式。同一の僧界内にある比丘が全員一箇所に集まり、一比丘が波羅提木叉を暗誦するのをその他全員が静聴し、僧伽の成員が律に違犯の無いことを確認する。一般に「布薩とは懴悔の儀式」などと説明されるが誤り。布薩自体は懺悔の場ではない。なんらか律の規定に違反する行為を為していて、懴悔告白すべき罪がある者は、そのままでは布薩に参加することが出来ない。よって布薩が開始される以前に懺悔可能な罪であれば懺悔した上で、布薩に参加しなければならない。
支那および日本の僧伽では、大乗戒の布薩も行われるため、律の布薩の前日に大乗戒の布薩が行われた。すなわち、大乗戒と律について、計月四回の布薩が行われた。
分受
大乗戒に限り、その戒条全てではなく受持可能な戒条のみを選んで受けること。『菩薩瓔珞本業経』の所説に基づいたもので、その昔は不邪淫戒を立場上決して守れなかった天皇なども行っていた。
座を立つべきなり
本来の律の布薩では、その途中で座を立つなどありえないことで、もし布薩を執行中に誰か一人でもその場(界)から立ち去ってしまうと布薩が破綻する。しかし、大乗戒の場合はそのような界の厳密性が問われず、大乗戒を分受した者は自らが分受した箇所の波羅提木叉の読誦が終わったならば、逆に座を立つべきとされたようである。
懴悔の法
布薩に参加すべき者で、前回の布薩以降に律あるいは戒の規定に抵触する行為があった場合、布薩に参加する以前に懺悔しなければならない。律ではその罪の軽重によって懺悔の法は様々に異なる。
慈雲尊者について
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