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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

栂尾の上人の物語の事 (無住『沙石集』巻三)

原文

明慧みゃうヱ上人しゃうにんニ。結緣けちえんノタメ髙野こうや遁丗とんぜい上人アマタ。アユミツレテ栂尾とがのをさん𬼀じて。シカシカト申入ル。折節をりふし風氣ふうきアリテ見參けんざんセヌ由。返事シ給テ。ヤガテ使者ニツヾキテ上人オハセケリ。人々サハキテいりたてまつル。上人申サレケルハ。此明慧房ガ過職くゎしょくニナリテさうらふガニクサニ。𬼀まいりはべる也。各々おのおのハルハルト髙野ヨリ。老法師御覧セントテ。ヲハシマセリ。ヤガテ見參けんざんベキニ。風氣ナント申セバ。丗間せけん人人ひとびとシキ風情ふぜい也。大事だいじナラバふしてナガラモ見參𬼀。佛法ノ物語ものがたりモ申ベシ。ナヲザリナラバ。トカクノ子細しさいアルマジキニ。身ノアルべキやうヲワスレテはべリケリ。一代ノ聖教しゃうげうヲ年久ク見侍ルニ。ヲシフル所假名かなニカヽバ。アルベキヤウノ六文字ろくもじナリ。在家ノアルベキ様。出家ノアルベキ様。遁丗ノアルベキ様。如此このごとくノ道々ニヘ法々ニヲヒテアルヘキ様。ヲシヘヲキ給ヘリ。シカルニ末代まつだいハ有ベキ様ミダレテ侍ナリ。國王大臣ハ外護げご知識ちしきト𬼀。佛法ヲ守護シ信敬しんきゃう𬼀。釋尊しゃくそん付屬ふしょくノ事ヲワスレ給フベカラズ。是王臣ノ有ヘキヤウ也。ソノほかノ在家。王ノ御意ぎょいニソムクベカラズ。諸寺諸山ノ出家ノ僧侶ハ。宗ハかはリ學ハことナリ共。釋子しゃくしノ風ナレバ。戒儀かいぎニヨリテ。剃髪ていはつ染衣ぜんねノ形トナラバ。欲ヲステ。愛ヲタチ。五衆ごしゅノ位ヲワキマヘ。二學にがくノ行ヲもはらニスベキニ。頭ヲソレども愛欲ヲソラズ。衣ヲ染テ心ヲソメズ。あるハ妻子ヲたいシ。或ハ甲冑かっちうヲヨロヒ。只三毒さんどく五欲ごよくヲホシヰマヽニ𬼀。カツテ五戒ごかい十善じうぜんたもツ事ナキ。僧トモ次第ニ國ニミテリ。コレ出家ノアルベキ様ヲワキマヘズ。遁丗門コソコトニ我慢がまん執著しうぢゃくヲステ。丗情妄念ナク𬼀。丗間ノ人ニカハリテ。佛法ノヲシヘノアルベキヤウニ。身心ヲナスヘキニ。人々シキ。ヤウニ申テ候ツル。マメヤカほとけノヲシヘニ。ソムキテコソトテ。一代ノ教門ノ肝要かんよう出離しゅつり解脱げだつノ道ニ入ル。人ノアルベキヤウトテ。佛法ノ大意ウチナキウチナキカタリたまふ。上人ともスミゾメノ袖シボルバカリナリ。サテ今日ノ夕方ヨリ通夜よもすガラ語リアカシ。次日ヒメモスニ。カタリクラシたまふニ。かねノナルヲコレハナニノ鐘ゾトとひ給ニ。日没ト申ケレハ。コハイカナル物語ものがたり申テさうらひケルトテ。いり給ヌ。只片時へんじ心地ここちナリケリ。佛ノ説法ノ六十ろくじう小劫せうこうヲ時ノしゅ。半日ト思ケンモ思シラレケリ。誠ニ在丗ニアヒ佛ノ説法ヲ聽聞ちゃうもんセンモ。カクコソト思アヒテ。ナクナクかへりケリトナン。髙野ノ遁丗者ノ。キヽツタヘテ物語リシはべりキ。

現代語訳

明恵みょうえ上人に結縁けちえんするため、高野の遁世とんぜい上人が、数多あまた歩み連れだって栂尾とがのお〈梅尾山高山寺〉へ参じ、あれこれと申し入れてきた。その時、(明恵上人は)「風気ふうき〈風邪気味〉であるからお目にかかれない」とのよし〈事情〉を返事されたが、やがて(応対した高山寺の)使者に続いて上人〈明恵〉がおいでになった。(訪ねてきた)人々は騒いでおられた。上人が申されたのは、
「この明恵房が過職かしょく〈分不相応〉になってあるのが憎さに、(使者に)続いて参りました。各々はるばると高野より、老法師〈明恵〉をご覧になろうとおいでになった。すぐにお目にかかるべきであるのに、風気(を理由に面会謝絶)などと申したならば、世間の人々のような風情ふぜい〈態度〉であります。大事だいじについてのことならば、臥しながらでも見参けんざん〈面会〉し、仏法の物語ものがたり〈会話・対話〉も申しましょう。(私は今)等閑なおざりでありますので、あれこれ子細〈支障、差し障り〉などあるはずもなく、身のあるべきようを忘れております。(釈尊)一代の聖教しょうぎょうを年久しく見てきましたが、その教えている所を仮名でもって書いたならば、『あるべきやう』の六文字です。在家のあるべきよう、出家のあるべきよう、遁世のあるべきよう。(仏陀はそれを)此の如くの道々に、法々において『あるべきよう』を教え置かれ給われたのです。ところが末代は、『あるべきよう』が乱れております。国王・大臣は外護げごの知識〈善知識。ここでは篤信者の意〉として仏法を守護し信敬しんきゃうし、釈尊が付嘱ふしょくされたことを忘れ給われてはなりません。それが王臣の『あるべきよう』です。その他の在家は、王の御意に背いてはなりません。諸寺・諸山の出家の僧侶は、(それぞれの)宗は替わり、その学も異っていたとしても、(いずれも等しく)釈子の風儀であるのですから、まず戒儀〈律儀。律による規定によって剃髪染衣〈髪を剃り、袈裟衣を着ること〉の形となったならば、欲を捨て、愛を断ち、五衆ごしゅ〈出家者の総称。比丘・比丘尼・式叉摩那・沙弥・沙弥尼〉の位をわきまえ、二学〈定學と慧學〉の行を専らにすべきであるのに、頭を剃っても愛欲を剃らず、衣を染めて(仏法に)心を染めず、あるいは妻子をもうけ、あるいは甲冑をよろい、ただ三毒・五欲をほしいままにして、かつて五戒・十善をすら、なお持つことがない僧どもが、次第に国に満ちております。これは出家の『あるべきよう』をわきまえたものでありません。遁世門こそ、殊に我慢・執着を捨て、世情・妄念を無くして、世間の人に代わって仏法の教えの『あるべきよう』に身心をなすべきであるのに、(世俗の)人々のように申してあります、『まめやかに〈本格的に〉仏の教えに背いてこそ』」
などと、一代の教門の肝要、出離解脱の道に入る人の『あるべきよう』について、仏法の大意を打ち泣き打ち泣き語り給われた。上人は(高野の遁世僧らと)共に、(流した涙で濡れた)墨染めの袖を絞るばかりであった。
さて、今日の夕方より 通夜よもすがら語りあかし、次の日も終日語り暮らし給われたが、鐘が鳴るのを聞いて、
「これは何の(刻を告げる)鐘であろう」
と問い給われると、
「日没のです」
と申したならば、
「これはどういった物語りを申していたのであろう」
と、(驚いて)あられた。(上人は)ただ半刻ほどの心地でおられたのだ。(経に)仏の説法の六十小劫しょうこう〈極めて長大な時間〉を、当時の(聴聞)衆は半日と思っていた、というのも(真であったろうと)思い知ったものである。誠に(仏の)在世に遭って仏の説法を聴聞することも、このようであったろうと思い合い、泣く泣く帰っていった、ということだ。高野の遁世者の、聞き伝えて物語りしていることである。

脚註

  1. 遁丗とんせい上人

    遁世。元来は出家と同義であったが、古代平安中期以降から中世鎌倉初頭ともなると、堕落・世俗化していた寺院・僧侶の世界から脱して距離をとる、いわば再出家・二重出家することを意味するようになり、当時そうした者を一般に遁世僧と称したが、ここでは遁世上人としている。

  2. 栂尾とがのを

    洛外北西の山間部の地名。現在の京都市右京区梅ヶ畑。神護寺の北に位置し、明恵はここを開いて神護寺の一子院、別所として高山寺とした。古くは度賀尾と記し、また明恵の当時は梅尾と記述した。

  3. 風氣ふうき

    風邪気。風邪気味であること。

  4. 過職くゎしょく

    華飾。元来は華やかに飾り立てること、あるいは贅沢な生活を送ることの意であるが、転じてその言動が分を超えること、僭越であることも意味する。ここでは後者の意。

  5. 見參けんざん

    「見参」は面会の意。ここでの「入る」もまた、(目上の人に)面会すること、拝謁すること。

  6. 風情ふぜい

    ①様子・②態度・③光景。ここでは②の意。

  7. 大事だいじ

    生死の本源、真理を諦めること。菩提を成就して生死輪廻を解脱すること。

  8. 物語ものがたり

    語らうこと。会話。この『沙石集』における明恵上人にまつわる主題。

  9. 子細しさい

    ①詳しいこと、具体的な理由・②差し支え・支障、不具合。ここでは②の意。

  10. 一代ノ聖教しゃうげう

    釈尊がその生涯で語られた言葉、またはその生涯を伝える聖典すなわち経と律。あるいはその注釈書たる論書や仏伝文学などを含める。

  11. 六文字ろくもじ

    本書では「アルベキヤウノ六文字」というが、高信『梅尾明恵上人遺訓』では「阿留辺畿夜宇和と云ふ七文字」とする。明恵の金言は中世当時、六文字とも七文字とも一定せず理解されていたのであろう。

  12. 末代まつだい

    末世。仏法が衰え、人心乱れた世。しばしば末法と同義とみなされることがある。しかし、当時流行した法然(後に親鸞)の浄土教が盛んに主張した末法思想に同調しない、明恵を初めとする多くの(まともな)僧は、現実として同義乱れた世にあっても、当時を末法とはいわず末世あるいは末代といったことに注意。

  13. 知識ちしき

    善知識。仏教の篤信者。

  14. 戒儀かいぎ

    律儀に同じ。律蔵にて規定された出家のあるべきよう。具体的な行為や所有物についての規定、生活指針。

  15. 五衆ごしゅ

    仏教の出家者には五種あるが、その総称。すなわち比丘・比丘尼・式叉摩那・沙弥・沙弥尼。これに在家の優婆塞・優婆夷を加えて、出家在家の仏教徒の総称としたのが七衆。

  16. 二學にがく

    定學(増上意学・増心学)と慧學(増上慧学・増慧学)。心を陶冶するために学ぶべきこと(いわゆる瞑想についての修学)と解脱のために学ぶべきこと(いわゆる智慧を増進するための修学)。

  17. 三毒さんどく

    生命を永遠に流転させ苦しみの生存に結びつける根源的な心的衝動と愚かさ。貪(貪欲)・瞋(瞋恚)・痴(無知)。

  18. 五欲ごよく

    五根、すなわち眼・耳・鼻・舌・身・意からなる五つの感覚の各対象である色(物質)・声(音声)・香(匂い)・味(味)・触(触り心地)に対する欲望。

  19. 五戒ごかい

    五つの離れるべき行為、およびそれらを戒めた条項。いわゆる不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒。詳しくは別項「五戒」および「Pañca sīla 五戒」を参照のこと。

  20. 十善じうぜん

    十の慎み離れるべき行為。十の悪なる行為から離れた、徳の基準。詳しくは別項「十善戒」を参照のこと。

  21. マメヤカ

    忠実まめやか。まじめであること。真剣で抜かり無くあること。

  22. 六十ろくじう小劫せうこう

    劫は[S] kalpaの音写「劫波」の略。長大な宇宙的時間を表す。ただし、小劫と言われる場合は同じく長大な時間を表す語ではあるものの、喩えとして「人の寿命が八万歳から百年毎に一歳減っていきやがて十歳になるまでの間、または逆に十歳から百年毎に一歳を増して八万歳になるまでの間」とされる。

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