明慧上人ニ。結緣ノタメ髙野ノ遁丗上人アマタ。アユミツレテ栂尾ヘ參𬼀。シカシカト申入ル。折節風氣アリテ見參セヌ由。返事シ給テ。ヤガテ使者ニツヾキテ上人オハセケリ。人々サハキテ入奉ル。上人申サレケルハ。此ノ明慧房ガ過職ニナリテ候ガニクサニ。具𬼀參テ侍也。各々ハルハルト髙野ヨリ。老法師御覧セントテ。ヲハシマセリ。ヤガテ見參ニ入ルベキニ。風氣ナント申セバ。丗間ノ人人シキ風情也。大事ナラバ臥ナガラモ見參𬼀。佛法ノ物語モ申ベシ。ナヲザリナラバ。トカクノ子細アルマジキニ。身ノアルべキ様ヲワスレテ侍リケリ。一代ノ聖教ヲ年久ク見侍ルニ。ヲシフル所假名ニカヽバ。アルベキヤウノ六文字ナリ。在家ノアルベキ様。出家ノアルベキ様。遁丗ノアルベキ様。如此ノ道々ニヘ法々ニヲヒテアルヘキ様。ヲシヘヲキ給ヘリ。シカルニ末代ハ有ルベキ様ミダレテ侍ナリ。國王大臣ハ外護ノ知識ト𬼀。佛法ヲ守護シ信敬𬼀。釋尊ノ付屬ノ事ヲワスレ給フベカラズ。是レ王臣ノ有ルヘキヤウ也。ソノ外ノ在家。王ノ御意ニソムクベカラズ。諸寺諸山ノ出家ノ僧侶ハ。宗ハ替リ學ハ殊ナリ共。釋子ノ風ナレバ。先ツ戒儀ニヨリテ。剃髪染衣ノ形トナラバ。欲ヲステ。愛ヲタチ。五衆ノ位ヲワキマヘ。二學ノ行ヲ専ニスベキニ。頭ヲソレ共愛欲ヲソラズ。衣ヲ染テ心ヲソメズ。或ハ妻子ヲ帯シ。或ハ甲冑ヲヨロヒ。只三毒五欲ヲホシヰマヽニ𬼀。カツテ五戒十善猶ヲ持ツ事ナキ。僧トモ次第ニ國ニミテリ。コレ出家ノアルベキ様ヲワキマヘズ。遁丗門コソコトニ我慢執著ヲステ。丗情妄念ナク𬼀。丗間ノ人ニカハリテ。佛法ノヲシヘノアルベキヤウニ。身心ヲナスヘキニ。人々シキ。ヤウニ申テ候ツル。マメヤカニ佛ノヲシヘニ。ソムキテコソトテ。一代ノ教門ノ肝要。出離解脱ノ道ニ入ル。人ノアルベキヤウトテ。佛法ノ大意ウチナキウチナキカタリ給。上人共ニスミゾメノ袖シボルバカリナリ。サテ今日ノ夕方ヨリ通夜ガラ語リアカシ。次ク日ヒメモスニ。カタリクラシ給ニ。鐘ノナルヲコレハナニノ鐘ゾト問給ニ。日没ト申ケレハ。コハイカナル物語申テ候ケルトテ。入給ヌ。只片時ノ心地ナリケリ。佛ノ説法ノ六十小劫ヲ時ノ衆。半日ト思ケンモ思シラレケリ。誠ニ在丗ニアヒ佛ノ説法ヲ聽聞センモ。カクコソト思アヒテ。ナクナク歸ケリトナン。髙野ノ遁丗者ノ。キヽツタヘテ物語リシ侍キ。
明恵上人に結縁するため、高野の遁世上人が、数多歩み連れだって栂尾〈梅尾山高山寺〉へ参じ、あれこれと申し入れてきた。その時、(明恵上人は)「風気〈風邪気味〉であるからお目にかかれない」との由〈事情〉を返事されたが、やがて(応対した高山寺の)使者に続いて上人〈明恵〉がおいでになった。(訪ねてきた)人々は騒いでおられた。上人が申されたのは、
「この明恵房が過職〈分不相応〉になってあるのが憎さに、(使者に)続いて参りました。各々はるばると高野より、老法師〈明恵〉をご覧になろうとおいでになった。すぐにお目にかかるべきであるのに、風気(を理由に面会謝絶)などと申したならば、世間の人々のような風情〈態度〉であります。大事についてのことならば、臥しながらでも見参〈面会〉し、仏法の物語〈会話・対話〉も申しましょう。(私は今)等閑でありますので、あれこれ子細〈支障、差し障り〉などあるはずもなく、身のあるべきようを忘れております。(釈尊)一代の聖教を年久しく見てきましたが、その教えている所を仮名でもって書いたならば、『あるべきやう』の六文字です。在家のあるべきよう、出家のあるべきよう、遁世のあるべきよう。(仏陀はそれを)此の如くの道々に、法々において『あるべきよう』を教え置かれ給われたのです。ところが末代は、『あるべきよう』が乱れております。国王・大臣は外護の知識〈善知識。ここでは篤信者の意〉として仏法を守護し信敬し、釈尊が付嘱されたことを忘れ給われてはなりません。それが王臣の『あるべきよう』です。その他の在家は、王の御意に背いてはなりません。諸寺・諸山の出家の僧侶は、(それぞれの)宗は替わり、その学も異っていたとしても、(いずれも等しく)釈子の風儀であるのですから、まず戒儀〈律儀。律による規定〉によって剃髪染衣〈髪を剃り、袈裟衣を着ること〉の形となったならば、欲を捨て、愛を断ち、五衆〈出家者の総称。比丘・比丘尼・式叉摩那・沙弥・沙弥尼〉の位をわきまえ、二学〈定學と慧學〉の行を専らにすべきであるのに、頭を剃っても愛欲を剃らず、衣を染めて(仏法に)心を染めず、あるいは妻子をもうけ、あるいは甲冑を鎧い、ただ三毒・五欲をほしいままにして、かつて五戒・十善をすら、なお持つことがない僧どもが、次第に国に満ちております。これは出家の『あるべきよう』をわきまえたものでありません。遁世門こそ、殊に我慢・執着を捨て、世情・妄念を無くして、世間の人に代わって仏法の教えの『あるべきよう』に身心をなすべきであるのに、(世俗の)人々のように申してあります、『まめやかに〈本格的に〉仏の教えに背いてこそ』」
などと、一代の教門の肝要、出離解脱の道に入る人の『あるべきよう』について、仏法の大意を打ち泣き打ち泣き語り給われた。上人は(高野の遁世僧らと)共に、(流した涙で濡れた)墨染めの袖を絞るばかりであった。
さて、今日の夕方より
通夜語りあかし、次の日も終日語り暮らし給われたが、鐘が鳴るのを聞いて、
「これは何の(刻を告げる)鐘であろう」
と問い給われると、
「日没のです」
と申したならば、
「これはどういった物語りを申していたのであろう」
と、(驚いて)あられた。(上人は)ただ半刻ほどの心地でおられたのだ。(経に)仏の説法の六十小劫〈極めて長大な時間〉を、当時の(聴聞)衆は半日と思っていた、というのも(真であったろうと)思い知ったものである。誠に(仏の)在世に遭って仏の説法を聴聞することも、このようであったろうと思い合い、泣く泣く帰っていった、ということだ。高野の遁世者の、聞き伝えて物語りしていることである。
遁世。元来は出家と同義であったが、古代平安中期以降から中世鎌倉初頭ともなると、堕落・世俗化していた寺院・僧侶の世界から脱して距離をとる、いわば再出家・二重出家することを意味するようになり、当時そうした者を一般に遁世僧と称したが、ここでは遁世上人としている。▲
洛外北西の山間部の地名。現在の京都市右京区梅ヶ畑。神護寺の北に位置し、明恵はここを開いて神護寺の一子院、別所として高山寺とした。古くは度賀尾と記し、また明恵の当時は梅尾と記述した。▲
風邪気。風邪気味であること。▲
華飾。元来は華やかに飾り立てること、あるいは贅沢な生活を送ることの意であるが、転じてその言動が分を超えること、僭越であることも意味する。ここでは後者の意。▲
「見参」は面会の意。ここでの「入る」もまた、(目上の人に)面会すること、拝謁すること。▲
①様子・②態度・③光景。ここでは②の意。▲
生死の本源、真理を諦めること。菩提を成就して生死輪廻を解脱すること。▲
語らうこと。会話。この『沙石集』における明恵上人にまつわる主題。▲
①詳しいこと、具体的な理由・②差し支え・支障、不具合。ここでは②の意。▲
釈尊がその生涯で語られた言葉、またはその生涯を伝える聖典すなわち経と律。あるいはその注釈書たる論書や仏伝文学などを含める。▲
本書では「アルベキヤウノ六文字」というが、高信『梅尾明恵上人遺訓』では「阿留辺畿夜宇和と云ふ七文字」とする。明恵の金言は中世当時、六文字とも七文字とも一定せず理解されていたのであろう。▲
末世。仏法が衰え、人心乱れた世。しばしば末法と同義とみなされることがある。しかし、当時流行した法然(後に親鸞)の浄土教が盛んに主張した末法思想に同調しない、明恵を初めとする多くの(まともな)僧は、現実として同義乱れた世にあっても、当時を末法とはいわず末世あるいは末代といったことに注意。▲
善知識。仏教の篤信者。▲
律儀に同じ。律蔵にて規定された出家のあるべきよう。具体的な行為や所有物についての規定、生活指針。▲
仏教の出家者には五種あるが、その総称。すなわち比丘・比丘尼・式叉摩那・沙弥・沙弥尼。これに在家の優婆塞・優婆夷を加えて、出家在家の仏教徒の総称としたのが七衆。▲
定學(増上意学・増心学)と慧學(増上慧学・増慧学)。心を陶冶するために学ぶべきこと(いわゆる瞑想についての修学)と解脱のために学ぶべきこと(いわゆる智慧を増進するための修学)。▲
生命を永遠に流転させ苦しみの生存に結びつける根源的な心的衝動と愚かさ。貪(貪欲)・瞋(瞋恚)・痴(無知)。▲
五根、すなわち眼・耳・鼻・舌・身・意からなる五つの感覚の各対象である色(物質)・声(音声)・香(匂い)・味(味)・触(触り心地)に対する欲望。▲
五つの離れるべき行為、およびそれらを戒めた条項。いわゆる不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒。詳しくは別項「五戒」および「Pañca sīla 五戒」を参照のこと。▲
忠実やか。まじめであること。真剣で抜かり無くあること。▲
劫は[S] kalpaの音写「劫波」の略。長大な宇宙的時間を表す。ただし、小劫と言われる場合は同じく長大な時間を表す語ではあるものの、喩えとして「人の寿命が八万歳から百年毎に一歳減っていきやがて十歳になるまでの間、または逆に十歳から百年毎に一歳を増して八万歳になるまでの間」とされる。▲