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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

戒律講説

戒とは何か

徳 ―その身を飾る最上のもの

仏教とは何か。そのような問いに端的に答えるものとして非常に良く知られた偈頌げじゅがあります。

Sabbapāpassaサッバパーパッサ akaraṇaṃアカラナン, Kusalassaクサラッサ upasampadāウパサンパダー,
Sacittapariyodapanaṃサチッタパリヨーダパナン, Etaṃエータン buddhānaブッダーナ sāsanaṃサーサナン.
すべての悪しきをなさず、善を行い、自らの心を浄める。これが諸々の仏陀の教えである。

KN. Dhammapada, Buddhavaggo 183.

ここに挙げたのは南アジアから東南アジアにかけて伝えられた上座部がパーリ語によって伝持してきたDhammapada(『ダンマパダ』にあるパーリ語による偈文げもんですが、漢訳経典にもインド語から忠実に翻訳されたものが伝えられています。

諸悪莫作しょあくまくさ 衆善奉行しゅぜんぶぎょう 自浄其意じじょうごい 是諸仏教ぜしょぶっきょう
諸々もろもろの悪を作すことく、衆々もろもろの善を奉行ぶぎょうし、自ら其の心をきよめる。是れ諸仏しょぶつおしえなり。

瞿曇僧伽提婆訳『増一阿含経』巻一 序品第一(T2, p.551a)

この偈文はこの『増一阿含経ぞういちあごんきょう』以外にも『法句経ほっくぎょう』や『大般涅槃経だいはつねはんぎょう』などその他の経典、そしていくつかの律蔵などに全く同じ語句で伝わっています。この偈文は日本において、釈尊とそれ以前の六人の仏陀も皆等しく同じ教えを説かれたということから「七仏通誡偈しちぶつつうかいげ」と称されています。

(「七仏通戒偈」はパーリ語にしろ漢語にしろ非常に重要でありながら極短いものです。志ある人はパーリ語と漢文のいずれも、その意味と共に暗誦することを強く勧めます。)

まずあらゆる悪をなさぬように勤めて、実際にこれをなさず、そして諸々の善を行うように努めて、現実にそれをなす。その過程で、そしてその結果として、自分の心を清らかにしていく。これが誰であれ仏陀となった者が説き、また未来の仏陀も同じく説くであろう教えです。

画像:戒の原字

ではどのように悪をなさぬように勤めるのか。それは戒を修めることに依ります。

そもそも戒とは、サンスクリットで「行う」や「修める」・「耕す」を意味する語根śīlシールから生じたśīlaシーラの漢訳で、その原意は「習慣」・「癖」あるいは「傾向」。仏教においては普通、「良い習慣」もしくは「道徳」の意で用いられる言葉です。

そのようなことからすると、前項にて触れたように、śīlaシーラを、警戒(よく気をつけること・用心すること)を意味する「戒」と漢訳したことがまず不適であったように思われます。もっとも、漢訳仏典では、時としてこれを訳さず、尸羅しらと音写した語も用いられています。

そこで仏典において、仏陀は戒(śīla)とはどのようなものであると説かれていたかの一例を示します。

所謂戒者息諸惡故。戒能成道令人歡喜。戒纓絡身現衆好故。夫禁戒者。猶吉祥瓶。所願便剋。諸道品法皆由戒成。
いわゆる戒とは諸々の悪を止めることから、戒は能く道を成就し、人をして歓喜させる。戒は身を飾って諸々の好ましき姿を現すことから、禁戒ごんかいとはあたかも吉祥瓶きっしょうびょう〈意のままに宝を出すという伝説的宝瓶〉のようなものであって願いをよく叶える。諸々の道品どうほんの法〈菩提分法〉はすべて戒によって成就する。

瞿曇僧伽提婆訳『増一阿含経』巻二 広演品第三(T2, p.551a)

戒とは、悪を止めるものであり、その故に道(菩提)を成就するものとされます。あるいはまた、人に喜びをもたらし、その身に徳という飾りをまとわせるものであり、また願いを叶えるものであるとも説かれています。ここにいわれる願いとは、戒を修めたその果報として冨貴や病気平癒などといった福があるという類の世俗的ものから、苦からの解脱、悉地しっちを成就したいとの出世間の思いまで含めたものであるのでしょう。

最後の一節「諸道品法皆由戒成(諸の道品どうほんの法は皆、戒に由て成る)」とは、道品いわゆる三十七菩提道品(三十七菩提分法)という菩提を得るために必須の要素、菩提を構成していく徳目が戒によってのみ得られるなどという意味でなく、しかし自らが戒を備えること無くしては決して達成されることは無いことを示しています。戒は菩提の素地、必要不可欠の条件であるとの意です。

したがって、仏教ではその実践において、大きくかい増上戒学ぞうじょうかいがく)・じょう増上意学ぞうじょういがく)・増上慧学ぞうじょうえがく)の、三学と言われる階梯のあることが説かれます。これはどれでも人が好きなものを選んで修めることが出来る、といったものではありません。仏教の修行には、日々の生活の中で自らが戒を備えた上で、定いわゆる瞑想を深め、無常・苦・無我という事物の真を知る智慧を得ていく、という段階のあることを示したものです。

これを譬えるならば、戒とは大地であり、定とは樹であり、慧とはその果実です。大地がなければ樹が根付くことも、その実がなることもあり得ないようなものです。戒を備えなければ、修定において真の心の安定が得られず、よって智慧を得ることも出来ません。上に示した「七仏通戒偈」でいうならば、諸悪莫作しょあくまくさとは戒であり、衆善奉行しゅぜんぶぎょうとは定であり、自浄其意じじょうごいとは慧であって解脱に導くものです。

「七仏通戒偈」といえば、支那および日本で古来よく知られた話があります。

元和中白居易出守茲郡。因入山禮謁。乃問師曰。禪師住處甚危險。師曰。太守危險尤甚。曰弟子位鎭江山。何險之有。師曰。薪火相交識性不停。得非險乎。又問如何是佛法大意。師曰。諸惡莫作衆善奉行。白曰。三歳孩兒也解恁麼道。師曰。三歳孩兒雖道得。八十老人行不得。白遂作禮。
元和年間〈806-820〉白居易はっきょい〈唐代の政治家で非常によく知られた詩人〉が出てこの郡〈余杭郡.杭州〉の太守〈刺史.州長官〉となった。ある時、(白居易は)山〈秦望山〉を訪れて(鳥窠道林ちょうかどうりん〈唐代の禅僧.鵲巣和尚〉に)拝謁し、禅師に尋ねた。
「禅師が住まわれている処〈松の木の上.それによって道林は鳥窠(鳥の巣)と呼ばれた〉は非常に危険です」
すると禅師は、
「太守の危険こそもっと甚だしいものでしょう」
と答えた。白居易がそれに対し、
「弟子〈私.白居易〉の位は江山の長官です。どのような危険があるというのでしょう」
と問うと、禅師は
「(太守という地位にあって)薪の火が飛び交うように識性しきしょう〈心〉が留まることないのが、どうして危険でないと言えますか」
と言った。そこで(白居易は)、
「仏法の大意とはいかなるものでしょう」
と問いかけると、禅師は
諸々もろもろの悪をなさず、衆々もろもろの善を奉じ行うことです〈諸悪莫作衆善奉行〉
と答えた。白居易は(やや呆れた調子で)
「三歳の幼児ですらそのようにうことはわかることです」
といったが、師が言う。
「三歳の幼児もうことは出来ても、八十の老人でも行い得ないことです」
これを聞いた白居易は(その答えに敬服して)礼を作した。

道原『景徳伝灯録』巻四 杭州鳥窠道林禅師(T51, p.230b)

この白居易はっきょい道林どうりんとの話は史実でなく、釈尊と摩訶迦葉まかかしょうの間の「拈華微笑ねんげみしょう」であるとか達磨大師だるまだいし梁武帝りょうぶていとの間の「無功徳むくどく」の話などと同様、著名な二人に仮託した支那の禅宗において創作された寓話ぐうわです。実際にあった話ではなく、支那人による作り話です。しかしながら、この話をもって言わんとしているのは、よくある事実の端的な指摘です。

実に、道を知ることと、歩むことは異なる。

そもそもが、「仏の教え」というものは高邁なものであろう、高邁なるものならば高尚でややもすれば難解であるに違いない、と漠然と思っていた所に、還ってきた言葉が「悪いことをせず善いことを行うこと」というごく単純なものであれば、これを幼稚あるいは劣ったもののように見なしてしまうのも無理はありません。

けれども、道林がそう答えたとされるように、仏教とはそのごく単純なことを行うものです。そして仏教の説く戒とは、先に述べたように諸悪莫作とは戒のことであるとして、その悪とは何かを明らかにして自ら止めるよう示し、善へと向かわせるものです。

そして、人は何が正しいか、どうすべきかを知っていたとしても行わず、あるいはどうすべきかなど普段からまるで意識もせず、むしろその逆をこそ行って平然としていることが往々にしてあります。ところが、そのごく単純なことを人は出来ない。知っていたとしてもそれを行えない。知っていることは、していることと同じにはならない。それが世の中ではむしろ当たり前にまかり通っています。いや、これは時代や国の違いによって大きくその状況が変わることでしょうが、そもそも「悪いこと」と「善いこと」とを何かをよく知らないほうが多いかもしれません。

そこで仏教では、悪とは端的に十悪業道(十不善業道)、善とは十善業道として示されます。そしてそれは、「仏教における善悪」などといった条件付きのものでなく、仏陀が説いたから正しく、従うべきといった類のものではありません。それは、仏陀が有ろうが無かろうが、あらゆる意識あるもの、人および神々にとって古今を通じて普遍なる道であり徳、すなわち「śīla(戒・尸羅)」です。

(十善業道については別項にて詳説。)

では、その戒とは真にいかなるものであるのか。

人は「戒」を授受することは出来ない ―戒と律、そして学処と律儀

宗旨宗派など一切問わず、自身が仏教徒たらんとする人は誰であれ、まず戒を受けることが求められます。そして、仏教徒としてのもっとも基本的な戒は五戒です。

何故にこれが基本的な戒かと言うと、人はまず三宝に帰依(三帰依)し、その上で五戒を受けることによって仏弟子となるためです。たとえば日本において檀家寺の檀家であること、あるいは何らか仏教系新興宗教の会員・信者であったとしても、それで仏教徒とは言えません。その意味を理解した上で、みずから三宝に帰依する意志を持ち、どのような形であれ三帰依文を唱えて五戒を受けたならば、それでその人は仏教徒です。

(五戒については別項「五戒」あるいは「Pañca sīlaパンチャ・シーラ」を参照のこと。)

五戒を受けることに関して大乗や声聞乗、あるいは宗旨宗派など一切関係なく、本来、ただ仏教徒であることに特定の宗旨宗派に属することなど不可欠ではありません。そもそも「釈迦在世に宗派無し」。釈尊の当時、いわゆる宗派など存在しておらず、そこで人はただ三宝に帰依して五戒を受けることに由って仏教徒、いや、仏弟子となっていました。そのようなことから、仮にもし「我が宗旨宗派において戒は不要である。あえていうならば『ひたすら信心すること』が戒である」などといった主張をする者があったならば、その宗旨あるいは団体の奉じる思想は仏教では無い、と自分から公言しているようなものです。

と、このように言っておきながら、実のところ「戒」というものについて厳密に言ったならば、人は「戒」を授けることも受けることも出来ません。人は出来ない、というのは仏ならば出来るという意味か、といえばそうではない。それが仏陀であれ、神や精霊であれあるいは動物であれ、誰であっても「戒」を授受することなど出来ないのです。

その内容がなんであろうと、いわゆる受戒という儀式・儀礼の中で行われているのは、実は戒の授受ではなく学処がくしょの授受です。学処とはまた一般には耳にしないであろう言葉と思われます。しかし、戒および律について理解するのに、学処という語について押さえておくことは必須ですので、これについて述べておきます。

学処とは、印度以来の仏教独自の術語であってサンスクリットśikṣāpadaシクシャーパダ(パーリ語sikkhāpadaシッカーパダ)を訳した言葉です。śikṣāpadaとは、śikṣāシクシャー(学び・訓練)+ padaパダ(足・足跡・場所・言葉・原因)で「訓練すべき事柄」・「学ぶべき所」を意味し、故に漢訳では「学処」とされます。

一般に、私の知る限り現代日本の全ての僧職者や仏教学者は、śikṣāpada(学処)とsīla(戒)とは単純に同義語である、戒も学処も同じで類語だ、と考え説明しています。しかしながら、sīlaとsikkhāpadaとは確かに同じ場面や文脈で共に用いられる言葉ではありますが、同義語や類語ではありません。よって、この二つの語を無闇に混同して考え、用いることは全く正しくない。

(そのうちそんな学者の誰かが、あたかも自身の説・発見として指摘し、論文などでこれを言い出すことでしょう。)

これは漢訳仏典においてその両語が混同して訳され、また往古の支那や日本の律宗の学僧などもそれらをないまぜにした言葉を新たに造って用いてきたため、今の我々もその異なることに気づくことが出来ず、その違うことも判じ得ずに、「戒と学処は一緒だ」という理解が一般的となったと考えられます。

なんとなれば、先に述べたように、戒とはサンスクリットśīlaシーラの漢訳で、「良い習慣」もしくは「道徳」の意です。それに対し、śikṣāpadaは前述のとおり「学ぶべき事柄」です。したがって、戒(śīlaシーラ )とは、学処を日々守り修めたことによって実現されるべき、いわば理想の状態です。すなわち、戒とは目標であって、学処はそれを達成する為の手段、訓練内容です。人は何らか学処を受け、それを自ら日々努めて行い、我が習慣とすることによって「戒」という理想の状態、いわゆる徳を自らにおいて実現し、体得していきます。

(すでに前項にて触れ、またここでも先程述べたことですが、そもそも「戒」という漢字の原意が「警戒」であることからすれば、それはむしろśikṣāpadaシクシャーパダの意訳としてならば適当であったもので、śīlaシーラの訳としては不適であったと考えられます。したがって、今更の話ではありますが、戒と学処との混同は、支那に仏教伝来して漢訳が始まったその最初期に於いて生じたことであったと言えます。)

そのようなことから、人は誰かに戒を授けることも誰かから戒を受けることも出来ません。受戒と言いながら受けているのは学処であって戒ではない。戒はそのとき規範として示されるのみです。戒を得るのはあくまでその後、本人が学処を保った日頃の行いの中においてのことです。

人から「これが戒(徳)ですよ」と言われ示されたとしても、それはただ言葉だけのことであって、それを聞いた本人が直ちにその習慣、徳を身につけることなど出来はしません。人がある行いを「学ぶべきこと」などと気張ること無く、何ら意識せず自然とごく当たり前に癖として行えるようになった時、その人には「(良い)習慣」や「徳」という原意どおりの戒が身に備わったといえます。

すなわち、śīla(戒)とは他から授かるものではなく、自ら具えるものです。

譬えば、クラシック音楽のピアノを弾くようになるには、その最初に必要なことは座り方、手の形、姿勢、楽譜の読み方を教わり学ぶことから始めるものです。そして、練習曲の楽譜を与えられ、その楽譜に書かれているとおりに弾けるよう、何回も何回も何回も練習を重ね、楽譜も覚えてしまってさらに練習を重ねていくと、そのうちすっかりピアノの基本的な弾き方も身に付き、曲も作曲者の指示や意図を踏まえながら、また自分の解釈や個性をもった音色を奏でることが自然に出来るようになるようなものです。この場合、作曲者が意図した通りの曲自体が戒であり、楽譜を与えられることが受戒であり、楽譜とは学処です。

以上のことから、戒と学処とはそれぞれ原意どおりであって、それらが同義語でも類語でも無いのは最初から当たり前、文字通りの語であったという、何てこともない結論に至ります。回りくどくはなりましたが、しかしこれによって、今まで漠然と同じものと考えられてきた、戒と学処とが如何に違うかということが明確になったであろうと思います。

実際、パーリ語による受戒の際に用いられる文言では、その一々の内容はsikkhāpada(学処)と云われて区別され、sīla(戒)とは言われません。また、学処という語は戒についてだけでなく、出家の律における諸々の条項においても学処という語が用いられますが、それは以上の理由に基づいたものです。

ここには「人は他を救うことは出来ない」・「他の何者も自身を救うことは出来ない、ただ自身を除いては」という、仏教の根本的命題が現れています。それはまた仏教が真理として説く業報思想、因果応報ということわりからして当然のことでもあります。

とはいえ、世間での一般的表現としては「戒を受ける」とか「戒を授ける」と云われ、菲才も日頃当たり前にそのように表現して、上にもそのように言ったばかりです。しかし、戒と学処とは、普段は同義の如くに慣用表現として用いていたとしても、以上に述べたようにその実は似て非なるもの、いや、全く異なるものです。

なお、これは前項においても少し触れたことですが、「してはいけないこと」・「するべきこと」などのいわゆる禁止事項や規則という、今の世間一般に用いられる意味での戒に該当する語は、サンスクリットおよびパーリ語でsaṃvaraサンヴァラにも該当します。その原義は「止めること」から「防護」・「制御」の意であり、新訳家しんやくけ玄奘げんじょうはこれを「律儀」と訳し、義浄ぎじょうはこれを「擁護」・「護」と訳し、また旧来の訳を重ねて「律儀護」としている語です。自らの悪しき行いを防ぐ、悪行を自らなさず、その悪しき習慣と(三途に転生するなどの)果報から自らを護るというのが、saṃvaraサンヴァラの意です。

したがって、saṃvaraサンヴァラは必ずしも学処のような定まった条項を示したものでなく、自らよく正念正知してあることをも意味します。そこで、玄奘以前の旧訳にはこのsaṃvaraサンヴァラもまた「戒」と訳されています。この場合は漢語としての戒の原意である「警戒」、すなわち「よく気をつけること」が充てられた適訳であるといえます。

(ここでは話が込み入りすぎるため詳しく言及せず、別項にて改めて述べますが、支那・日本でしばしば大きな問題とされた「戒体」とは、saṃvaraについて言われるものであってsīlaではありません。)

以上のようなことからも、漢訳で戒とあるからといってそれが実は律(vinaya)を示したものであることがあるのと同様、ただちにその原語がśīlaシーラであるとは限りません。

学処も律儀も、律および戒の双方に絡めて頻繁に用いられる語ですが、それらの意味の違いを知っておくことは仏教を理解し実際に行っていく上で必要なことです。ここで示しているのは三学の初め、増上戒学でありますが、それはまさに「戒という徳を自ら実現するための学び」でありその課程です。

(そのように言えば、ならば仏教はすべて原語たるサンスクリットあるいはパーリ語で学べば問題なかろう、実際私はそうしている、との意見も出ることでしょう。それは、より好ましく間違いないことではあります。しかしながら、それでも我々はそれを日本語で学び考えるであって、その故に従来の言葉・概念に引きずられます。したがって、上に述べたような点を事前に整理しておくことは非常に有益であり、必要なことです。)

自誓受戒 ―師について

以上のことから、ただ戒に関していえば、その学処を誰から受けるか、誰から受けたかなど全く問題になりません。例えば、五戒であれ八戒であれ、その学処を誰か非常に高名な僧から受けたからといって、それは非常に名誉なことではあるでしょうけれどもそこに本質的価値はありません。

それは大乗の菩薩戒でも同様であって、誰から受けるかに根源的意味はありません。その故に五戒や八斎戒そして菩薩戒もまた、誰か他者からでなく自らが誓ってその学処を受ける「自誓受戒」ということが可能とされます。自誓受が可能とされるのはあくまで五戒・八斎戒および菩薩戒に限られますが、その理由は上に述べたように、授者が誰であるかなど問題ではないことに依ります。ただし、律については、誰から・いつ・どのように受けたかということが非常に重要であるため、この点においても戒と律とでは全く異なっています。

日本では「大乗戒の戒脈」・「菩薩戒の血脈」などということが強調され、誰から受けたかを極めて重要視する向きがあります。しかし、それは以上のことを理解せず、あるいは律のそれと混同、もしくは準じて権威主義的に言ったものに過ぎません。というのも、大乗戒の典拠となる諸々の経典は自誓受戒を許しており、従って「戒の血脈」なるものが重大であるなどとは一言も説かれていないためです。

例えば、世界的に有名なダライ・ラマ14世から五戒を受けたとしても、だからといってその戒それ自体に何か特別な意味が生じるということはなく、せいぜいが実に詮無いことですけれども他人に自慢したり、少しばかりの高揚感を味わえたりするくらいのことです。もっとも、それがきっかけでその本人が真剣に学処を修めるようになった、というのであれば、意味が全くないとは言えない。それは授ける人の徳の力によると言え、あるいは受ける人の宿善のたまものとも言えます。

(これは他のことにも言えることだと思いますが、何につけ容易く「感動して胸がいっぱいです」・「涙が溢れて止まりません」などと瞬間的にワーッと感情的になって言うのが日常的な人は、ただその場限りそう感じて騒ぐに過ぎず、ニ、三歩進めばすっかり忘れてしまうようなのがほとんどです。そしてそのような感情的な人ほど世人の注目を浴び、取り上げられることがあります。しかし、そのような衝動的、ともすると激情的な態度を自ら取ることや、常日頃からそのような態度の人からは離れるべきであるでしょう。)

では、なんでも戒であるならば、自誓受だけで済まして良いのかと言えばそういうことではありません。その目指すべき到達点、理想の状態、あるいは指針を自ら言葉上誓って済ますわけにはいかないからです。自ら誓って受けようが、他から受けようが、それがいかなる内容で、詳しく細かな点でどういうことか、それを戒相であるとか戒行というのですけれども、それを知らなければ行いようがない。すなわち、受けただけでは全く意味がありません。

そのようなことから、それとは全く逆に、まるで学処など修めず戒から程遠い人からであっても、その指し示す目標としての戒が正しいものであり、それを能く人に詳しく語り示すことが出来るのであれば、その人から受戒することに意味が無いことはありません。それは譬えば、誰から得るものであろうと黄金は黄金であるようなものです。ある人の手元にある時は黄金であったのが、ある人の手に渡るとたちまち黄金でなくなる、などということがないように。

また例えば、これは持戒について言われたものではありませんが、今から千八百年ほど前の仏教が伝わって間もない頃の往古の支那において、言の実行不実行について(仮想)展開した問答が伝わっています。

若知而不言可也既不能知又不能言愚人也故能言不能行國之師也能行不能言國之用也能行能言國之寶也三品各有所施何德之賊乎唯不能言又不能行是謂賤也
もし知って言わないのであれば、それも良い。すでに知ることも出来ず、また言うことも出来ないというのであれば愚人でしかない。故に「く言い、能く行わざるは国の師なり。能く行い、能く言わざるは国のゆうなり。能く行い、能く言うは国の宝なり」〈『荀子』〉である。それら三品〈国師・国用・国宝〉の人は、それぞれ有益な所がある。それがどうして(孔子〈『論語』陽貨〉が言ったような)「徳の賊」であろうか。ただ言うことも出来ず、また行うことも出来ない者、それをこそ「しず〈異本では「賊」〉と謂うのだ。

牟子『理惑論』(僧祐『弘明集』巻一)(T52, p.5a)

これは実に現実的な言葉であり、誰でも彼でもが言動一致する、それが容易く可能だということはまずありません。それはもちろん理想的であって、そのような将来像や展望を常に掲げるのは非常に重要で不可欠なことです。けれども、そう簡単にいかないのが現実というものです。この手の話はしばしば感情的となり、現実を離れて極端な方向へと傾きがちでしょうが、自らがしかも漠然と抱く理想に合致しない全てをおしなべて排除することは愚かしいことです。

春秋時代の荀子じゅんしが言い、後漢の牟子ぼうしや唐の湛然たんねんなどその他往古の賢人達が倣って云ったように、言うことも出来ず、やることも出来ないのはどうしようもない。しかし、その手合が傍からアレコレ批判の言だけ好き勝手に大声を挙げるのが世間というものでしょうか。

とはいっても、これは人情として、どうせなら語るだけでなく言葉通り戒を身に備えている人から受けたいと思うものではあるでしょう。そしてまた、ただ語るだけの人をあらゆることの師とし得るのか、その後の実際の教導を任せられるのか、となると話は別となります。ピアノなどまるで弾けない人を先生としてピアノの弾き方を習うことは出来ない。泳げない者から泳ぎを教わることは出来ない。

現実には善い師、良い友を得ること、周りの人に恵まれるなど非常に稀であり、もしそのような環境に生まれながらにある人は実に幸いです。それはまさに宿世の果報というもの。道を往くのにそれほど幸運なことはなく、それだけで道は半分達せられた、とすら言えることです。けれども、繰り返しますが、善き師と友に恵まれるということは実に稀有であって、いくらそれを願っても叶えられるものではない。「能く行い、能く言うは国の宝なり」とそれが「宝」とされるのは、当時もそれが希少であったことによります。その故に、無いのがむしろ当たり前と思い、無いなら無いなりに自ら努め励むしかない。

ただし、その努力は正しいものでなければならない。仏教では、誤った戒や勤めを正しいと考えることを、戒禁取見かいごんじゅけんあるいは戒取かいしゅと称して典型的な惑いの一つとします。その原語は、śīla(習慣)+vrata(つとめ・徳行・誓い)+parāmarśa(取る・掴む)+dṛṣṭi(見解・思想)の複合語である、[S].śīlavrataparāmarśadṛṣṭi([P].sīlabbataparāmāsadiṭṭhi)。

戒禁取見とは、たとえば印度における具体例としては、その苦行者が昔も今も行っているような、犬や牛と同じ様に四つ足で這いつくばる生活を送るであるとか、片手を上げ続けて決して下げないなどの苦行を、正しく解脱への道・習慣であるとする(全く誤った)思想・見解です。日本で言えば今の世人が何となく「これぞ仏教の修行だ」「貴い」「アリガタイ」などと考える苦行、たとえば寒中水行や滝行、ただ山林を走り回って陀羅尼や読経などするばかりの斗藪なども、まさにその典型です。

いくら努力しそれを継続したとしても、それが誤った思想・方法に基づくものであれば、ついに徒労に終わります。それをやっている者は、だいたいその類の行為は肉体的に大なる刺激・苦しみを伴うものですから、「私はやっている!」というした気には容易く成り得るでしょう。その故、それを行っている間、あるいは一通りやり遂げたときには達成感も得られるでしょう。しかしながら、そもそもそれをいくらやっても「戒(徳・良い習慣)」とはなりえず、そう称し得るものではない。したがって、なんでも頑張れば良い、というものでは決してありません。

(世人が修行だと思う苦行の類については、別項「『法句譬喩経』 ―なぜ読経するのか」または「Asibandhakaputta sutta ―死者を救うことは出来ない」を参照のこと。)

そこで、そのようなことからしても、「く言い、能く行わざるは国の師なり」という荀子の言もしかるべし、ということになる。少なくともその方向性と道筋、いわば目的地への確かな地図をきっと提示する人であるのだから。

何であれ人がある目標を立て、その実現を目指すならば、自らの弛まぬ努力が必要なことは言うまでもありません。ここでその努力を為し得るのは世界にただ一人、自分だけです。それを自分の代わりになしえる者は、この世に誰も無い。そこでもし、自ら仏弟子たらんと考え、仏教が勧める苦海からの解脱を目指すならば、その人がまず最初に行うべきことはそれに必要な徳とは何であるかを心得、それを備えるための学処を自ら為し得る限り修め、徳たる戒を自らの生のうちに実現していくことです。

非人沙門覺應