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Dharmacakra
智慧之大海 ―去聖の為に絶学を継ぐ

栄西 『出家大綱』

原文

第二二食法者初請食者檀越請并僧中共淨食是也次乞食者帶十三資具㰎十八種物次第乞食也此食皆持齋食也持齋者旦晨自明相現至午時正合食時日若乃至一線一髪移西不合食時若食犯聖戒理當謹愼矣如來在世時雖曰調達善星雖曰二軍六群未曾犯非時食何况餘純善衆哉又如來滅後二種僧菩薩僧比丘僧 若一髪時移皆共失食云云不可不學此法律云因毘舎佉鹿母白佛佛聽旦晨喫粥但其粥書字不成也若書字成字卽犯也或喫飯或喫餅皆勿飽是名小食亦名小飯然至午時喫飯食是名中食亦名時食仁王經云小飯中食者正是也小飯者食前點心也中食者午時正食也此頃大宋國禪院食法正其是也但粥大硬(石+㪅) 不合聖制義淨三藏有部律云五正食一飯二麥豆飯三麨四肉五餅五嚼食一根二莖三葉四華五果若食前五正食已畢不可食後五嚼食若先食後五嚼食尚前五正食随意食之無罪 乳酪等非二五之數云云意爲二食正嚼 分別出義淨有部律文

有人謂可聽肉食耶此事無其謂今大乗戒人食否有斟酌若不出此文者此土之人不知二食故出本文一向用之則有小乗依行之失今只令知二食之體也可意得之此頃或人云未食者雖過中可食之云云 此事予昔如此謂之悔哉今後莫謂是法佛在世時佛并諸比丘或有失食皆是過中之故也予門弟持齋者存此惡儀不如不爲焉可愼予昔敎持齋者多破敎斷酒者多飮悔哉其時隨佗意雖爲之全爲自罪願佛消除今正對佛悔過自今已後不可爲之舎利弗問經曰比丘非時請食事食比丘待時與之若非時與令食得重罪云云亦非時水事義淨三藏云持淨瓶畜水其水旦晨觀蟲無蟲水漉之盛瓶乃至非時飮用無失云云 又殘食事律云作殘食法而食無犯云云 律言殘食者餘食之事也不必殘分也亦食諸食時佛言比丘食飯時如飢渇時食兒肉若請食若乞食先作三分一分施三寳一分施貧人及鳥獸一分自食律云一分就淨石上施鳥獸若請食不得別請獨一赴請謂之別 若乞食時徃至惡家得食必應樹下坐食但日本樹下不清淨若檀越家隨𠊳食之乞食若得米等生物不得自手作食而喫若人家臨時無飯而欲作飯供者瞻日影而待而受食矣乞食只欲支持幻身不欲得好味也非時得食不得安置待於明日而食隨有當座人分與而食莫顧自分若顧自分置待明日卽是破齋日本國風如何尤可商量之是只因佛制阿那律之法如是云耳

若欲食時先淨手若不爾不成齋法西方直手而食諸天等法也如來亦用此法制戒但東方諸國不爾用匙箸是不可也或號鄕風土俗若爾者佛何不制此哉義淨三藏云西天食法唯用右手但有病時開聽匙其箸則五天所不聞四部亦不見獨東夏共有此事

今諸小比丘欲知初心入道之法書傳於新學之輩也若在家出家欲持齋者先隨持齋之師受齋法受畢必應恭敬也欲成其齋者朝起先嚼齒木矣義淨三藏云毎日朝須嚼齒木疏齒刮舌務令如法清淨方行敬禮若其不然受禮禮他共得罪云云嚼齒木法楊枝削時以大方左右如刀削爲刮舌也熟嚼如筆疏齒齒木長短隨意本量十二指也當八寸四分初三寸許後有事長之矣明相現時喫粥若夜分勿食若夜分食則非法也世人多悞之不知律制故也義淨三藏云明相未出時不可怱食粥寧知索一盂粥違四種佛敎云云可愼可愼喫粥後餅并果子食但不可多飽也粗先示之日本國持齋絶故人可飢故必聽小食非必可爲事也但大峯葛木葛川作法非律制是別事也不可學彼矣

日中時至喫飯作法者
 先合掌唱十佛名
 稽首薄伽梵 圓滿修多羅
 大乗菩薩僧 功德難思議 
 仰憑大衆念
清淨法身毗盧遮那佛 
圓滿報身盧舎那佛
千百億化身釋迦牟尼佛 
當來下生彌勒尊佛
十方三世一切諸佛 
大聖文殊師利菩薩
大聖普賢菩薩 
大悲觀世音菩薩
諸尊菩薩摩訶薩 
摩訶般若波羅蜜
 次咒願曰
三德六味 施佛及僧 
法界有情 普同供養
 五觀
一觀物功多少二觀己德厚薄三觀良藥四觀施主是善知識也五觀爲得道也
 六念 普賢經文 又有別本六念法
一佛二法三僧四施五戒六天
喫粥作法同之但咒願異也其咒願曰
粥有十利 饒益行人 
果報無邊 究竟常樂
 已上皆用合掌
 殘食法合掌
今日得食 施與某甲 
某甲於我 不計爲我
我當飯食
若受施主供則食畢唱所有福業悉皆隨喜然後怱復嚼齒木作法具如先若未嚼齒木以前不可咽津若飮津則犯非時徒飢不成齋矣

持齋之人黄昏時出入上厠其作法者淨觸二瓶持至厠門以淨瓶置淨處以十四塊土置淨板上二七土置二行之外㪅置一土然後取觸瓶持三塊土入厠裏既事了以一塊洗小𠊳處次以一塊洗大𠊳處後以一塊畧洗觸手卽出外以觸瓶置𠊳處就淨瓶處以一七塊土洗觸手後以一七塊土合洗兩手若有童子令持淨瓶懸洗若爾時則只可用一七土歟而後又洗兩足以淨水洗手以㪅置一土洗淨瓶唐土用桑葉末尤宜却垢也已上是畧儀也不可爲指南歟今用黄昏時是餘時無暇故

又中以後以漉水嚢濾水蓄淨瓶常可飮謂之非時水但不可用常之食器別㪅可持非時水器也湯藥不添米穀類而不可成食之物非時可服也四分律云辛苦甘醎物不可爲食者盡形非時受可服云云謂橘皮朴狼牙甘葛甘蔗糖等也但甘葛等可作淨也作淨者可添水也此外設雖重病雖遠行雖入死門不可犯用也一生是如夢何以一旦食欲之心亡萬劫福田之報持齋現受諸天恭敬後得菩提出家人若不長齋者損佛法人也在家人若不勤六齋年三長齋者非四部衆之數也世間有俗人出家者名之入道雖名入道不入此佛法故可名不入道世間有僧人遁世者號之聖人而不習此聖法故可名非聖人也凡佛法者是長齋也凡聖法者是持戒也聖敎所制繁多而只出少分也又此齋法者有現證腹病脚病必除之如來妙術何空哉可仰信也若大食小根人明相出後午時以前度度食有何苦哉故如跋陀梨比丘佛聽午時前四度食云云又若作食之人僧未食之前不甞一塵甞則成觸食何况如法食一口哉又可堪者作食人可洗淨又不可試鹽梅云云

訓読

第二、二食にじきの法とは、初に請食しょうじきとは檀越だんおちしょうならびに僧中の共淨食ぐうじょうじき、是なり。次に乞食こつじきとは十三資具をおび十八種物じゅうはっしゅもつたずさえて次第に乞食するなり。此の食は皆、持齋食じさいじきなり。持齋とは、旦晨、明相みょうそう現てより午時に至る正に食時じきじかなふ。日、若し乃至一線一髪も西に移れば食時に合なはず。若し食すれば聖戒しょうかいぼんず。理、謹愼きんしんなるべし。如來在世の時、調達ちょうだつ善星ぜんせいと曰ふと雖も、二軍六群にぐんろくぐんと曰ふと雖も、未だ曾て非時食ひじじきを犯ぜす。何ぞ况や餘の純善のしゅをや。又、如來の滅後、二種の僧菩薩僧・比丘僧、若し一髪も時移れば皆共に失食しつじき云云。此の法を學ばざればあるべからず。りついは毘舎佉鹿母びしゃきゃろくもが佛に白すに由て、佛、旦晨たんしんかゆきっすることを聽し玉ふ。但し其の粥は字をしょしてらざるなり。若し字を書して字を成すは卽ち犯なり。或は飯を喫し、或は餅を喫すとも、皆くこと勿れ。是を小食しょうじきと名け、亦、小飯しょうぼんと名く。然して午時に至て飯食ぼんじきを喫す。是を中食ちゅうじきと名け、亦、時食じじきと名く。仁王經にんのうきょうに云ふ小飯・中食とは正に是なり。小飯とは食前の點心てんしんなり。中食とは午時の正食しょうじきなり。此の頃、大宋國禪院の食法、正に其れ是れなり。但し粥、大に硬(石+㪅)し。聖制に合はず。義淨三藏の有部律うぶりつに云く五正食ごしょうじきは、一に飯、二に麥豆飯、三にしょう、四に肉、五に餅。五嚼食ごしゃくじきは一に根、二に莖、三に葉、四に華、五に果。若し前の五正食を食ひ已畢ば、後の五嚼食を食ふべからず。若し先づ後の五嚼食を食はば、尚前なほさきの五正食、随意に之を食て罪無し乳酪にゅうらく等は二五の數に非ず云云。意、二食正・嚼 分別の爲に、義淨有部律うぶりつの文を出す。

有人謂く、肉食を聽すべしやと。此事、其のいわれ無し。今、大乗戒だいじょうかいの人、食否じきひ斟酌しんしゃく有るべし。若し此の文を出さざれば、此のの人、二食を知らざらんが故に本文ほんもんを出す。一向に之を用る寸は、則ち小乗依行えぎょうの失有り。今は只々二食の體を知らしむるなり。之を意得こころうべし。此頃このごろ、或人云く、じきせずんばちゅうすぐと雖も之を食すべし云云。此事、予昔、此の如く之を謂ふ。悔めるかな。今より後、是の法を謂ふこと莫れ。佛在世の時、佛并に諸比丘、或は失食すること有り。皆是れ中を過ぐの故なり。予門弟、持齋する者、此の惡儀を存せば、爲さざらんにはしかじ。愼むべし。予昔、持齋じさいの者をして多く破らめ、斷酒者をして多く飮ま敎む。悔めるかな。其の時はの意に隨て之を爲すと雖も、全くみずからの罪と爲る。願は佛、消除し玉へ。今正に佛に對しを悔ゆ。今より已後いご、之を爲すべからず。舎利弗問經しゃりほつもんきょうに曰く、比丘、非時に食を請はば、事食じじきの比丘、時を待て之を與へよ。若し非時に與へて食はしめば重罪を得云云。亦、非時水ひじすいの事、義淨三藏ぎじょうさんぞう云く淨瓶じょうびょうを持して水を畜ふ。其の水、旦晨に蟲を觀、蟲無き水、之を漉て瓶に盛る。乃至、非時に飮用するに失無し云云。又、殘食ざんじきの事、りつに云く、殘食の法を作して食するは犯無し云云。律に殘食と言ふは、餘食よじきの事なり。必しも殘分にあらず。亦、諸食しょじきを食する時、佛の言く、比丘、めしを食す時、飢渇きかつの時、の肉を食ふが如くにせよしくは請食しょうじき、若しくは乞食こつじき、先づ三分と作す。一分は三寳に施し、一分は貧人及び鳥獸に施し、一分は自食じじきせよりつに云く、一分は淨石の上に就て鳥獸に施せ。若し請食は別請べっしょうを得ざれ獨一、請に赴く、之を別と謂ふ。若し乞食の時、徃て惡家に至て食を得ば、必ず樹下に坐して食すべし但し日本は樹下清淨にあらず。若しは檀越の家に𠊳に隨て之を食せ。乞食に若し米等こめなど生物しょうもつを得ば、自手に食と作して喫することを得ず。若は人家、時に臨んで飯無くして飯と作して供せんと欲せば、日の影をて待て食を受く。食を乞て只、幻身を支持せんと欲し、好味を得んことを欲せざれ。非時に食を得ば、安置して明日みょうにちを待て食することを得ず。有るに隨て當座に人に分ち與て食して、自分をかえりみること莫れ。若し自分を顧み、置て明日を待たば卽ち是れ破齋なり日本國の風、如何。尤も之を商量すべし。是ただ佛、阿那律を制するの法に因んで是の如くに云ふのみ

若し食せんと欲する時、先づ淨手じょうしゅせよ。若し爾らざれば齋法を成ぜず。西方は直に手をもて食す。諸天等の法なり。如來も亦、此の法を用て制戒す。但し東方の諸國は爾らず。さじはしを用ゆ。是れ不可なり。或は鄕風土俗ごうふうどぞくと號す。若し爾らば、佛、何ぞ此を制せざるや。義淨三藏ぎじょうさんぞう云く、西天の食法、唯々ただただ右手を用ゆ。但し病有る時、匙を開聽かいちょうす。其の箸、則ち五天に聞かざる所、四部にも亦見ず。獨、東夏とうか共に此の事有り。

の小比丘、初心入道の法を知んことを欲して、書して新學のやからに傳ふ。若し在家出家、持齋せんと欲せば、先づ持齋の師に隨て齋法を受けよ。受けおわって必ず應に恭敬くぎょうすべし。其の齋を成ぜんと欲する者は、朝に起て先づ齒木しもくを嚼め。義淨三藏ぎじょうさんぞう云く、毎日朝、須く齒木を嚼み、齒をしょし、舌をこそげ、務て如法清淨ならしめて、方に敬禮きょうらいを行ずべし。若し其れ然らずんば禮を受け、他を禮する、共に罪を得云云。齒木を嚼む法、楊枝ようじを削る時、大なる方を以て左右を刀の如く削るは、舌を刮んが爲なり。熟嚼じゅくしゃくして筆の如くにして齒を疏す。齒木の長短は意に隨ふ。本量は十二指じゅうにしなり。八寸四分に當る。初めは三寸ばかり。後に事有て之を長す。明相現の時、粥を喫す。若し夜分には食すこと勿れ。若し夜分に食する寸は則ち非法なり。世人、多く之をあやまる。律制を知らざるが故なり。義淨三藏ぎじょうさんぞう云く、明相未だ出ざる時、たちまちに粥を食すべからず。寧ぞ知ん、一盂の粥をもとめて四種ししゅ佛敎ぶっきょうに違することを云云。愼しむべし、愼しむべし。粥を喫して後、餅ならびに果子を食ふ。但し多く飽くべからず。粗々あらあら先に之を示す。日本國、持齋絶るが故に。人飢ゆべきが故に必ず小食を聽す。必しも爲すべき事に非ず。但し、大峯おおみね葛木かつらぎ葛川かつらがわ作法さほうは律制に非ず。是れ別事なり。彼を學ぶべからず。

日中、時至て飯を喫する作法とは、
 先、合掌して十佛名じゅうぶつみょうを唱ふ。
 稽首薄伽梵ばがぼん 圓滿修多羅しゅたら 大乗菩薩僧 
 功德難思議 仰憑大衆念
清淨法身毗盧遮那佛 
圓滿報身盧舎那佛
千百億化身釋迦牟尼佛 
當來下生彌勒尊佛
十方三世一切諸佛 
大聖文殊師利菩薩
大聖普賢菩薩 
大悲觀世音菩薩
諸尊菩薩摩訶薩 
摩訶般若波羅蜜
 次、咒願しゅがん
三德六味 施佛及僧 法界有情 普同供養
 五觀ごかん
一には物の功の多少を觀、二には己が德の厚薄を觀、三には良藥なりと觀、四には施主は是れ善知識なりと觀、五には道を得んが爲なりと觀。
 六念ろくねん 普賢經の文。又、別本の六念法有り
一に佛、二に法、三に僧、四に施、五に戒、六に天。
粥を喫する作法、之に同じ。但し咒願異る。其の咒願に曰、
粥有十利 饒益行人 果報無邊 究竟常樂
 已上皆、合掌を用ゆ。
 殘食の法、合掌。
今日得食 施與某甲 某甲於我 不計爲我 我當飯食
若し施主の供を受けば、則ち食畢て所有福業悉皆隨喜と唱へ、然る後に怱に復た齒木を嚼む。作法、つぶさに先の如し。若し未だ齒木を嚼まざる以前、を咽むべからず。若し津を飮む寸は、則ち非時を犯ず。徒に飢ども齋を成さず。

持齋の人、黄昏たそがれの時、出入かわやに上がる。其の作法は、淨・觸じょう・そく二瓶にびょう持して厠門しもんに至り、淨瓶を以て淨處に置く。十四塊じゅうしかいの土を以て淨板の上に置き、二七の土を二行に置く。之の外、㪅に一土を置く。然る後に觸瓶そくびょうを取り、三塊の土を持してかわやの裏に入る。既に事了れば、一塊を以て小𠊳處しょうべんしょを洗ひ、次一塊を以て大𠊳處だいべんしょを洗ふ。後に一塊を以て畧々ほぼほぼ觸手そくしゅを洗ひ、卽ち外に出て觸瓶を以て𠊳處べんしょに置き、淨瓶の處に就て一七塊の土を以て觸手を洗ふ。後に一七塊の土を以て合して兩手を洗ふ。若し童子有ば、淨瓶を持たしめて懸け洗ふ。若し爾る時は、則ち只一七の土を用ふべし。而後しかしてのち、又兩足を洗ひ、淨水を以て手を洗ふ。さらに置ける一土を以て淨瓶を洗ふ。唐土とうどには桑葉くわのはの末を用ひ、尤もあかを却るに宜し。已上は是れ畧儀りゃくぎなり。指南と爲すべからず。今、黄昏の時を用るは、是餘時はいとま無きが故。

又、中以後に漉水嚢ろくすいのうを以て水を濾て淨瓶に蓄へ常に飮むべし。之を非時水ひじすいと謂ふ。但し常の食器を用ふべからず。別に㪅に非時水器を持つべきなり。湯藥とうやくに米穀の類を添へざれ。食と成るべからざるの物、非時にも服すべし。四分律しぶんりつに云く辛苦甘醎しんくかんかんの物、食と爲るべからずんば、盡形じんぎょう、非時に受て服すべし云云。謂く橘皮きっぴほお狼牙ろうげ甘葛あまづら甘蔗糖かんしょとう等なり。但し甘葛等は作淨さじょうなるべし。作淨は水を添ふべきなり。此の外、たとひ重病と雖も、遠行おんぎょうと雖も、死門に入ると雖も犯用ぼんようすべからず。一生は是、夢の如し。何ぞ一旦食欲の心を以て、萬劫福田の報を亡ぜんや。持齋は現に諸天恭敬くぎょうを受け、後に菩提を得。出家の人、若し長齋じょうさいにあらずんば佛法を損ずる人なり。在家の人、若し六齋ろくさい年三長齋ねんさんちょうさいを勤めずんば、四部衆しぶしゅかずに非ず。世間に俗人の出家する者有て、之を入道と名く。入道と名くと雖も、此の佛法に入らざるが故に、不入道ふにゅうどうと名くべし。世間に僧人の遁世する者有て、之を聖人しょうにんと號す。而も此の聖法を習はざるが故に、非聖人ひしょうにんと名くべし。凡そ佛法は是れ長齋なり。凡そ聖法は是れ持戒なり。聖敎の制する所繁多なれども、しかるに只少分を出す。又、此の齋法さいほう現證げんしょう有り。腹病ふくびょう脚病かくびょう、必ず之を除く。如來の妙術、何ぞ空からんや。仰信ごうしんすべし。若し大食小根たいしょくしょうこんの人、明相出で後、午時以前、度度たびたび食すも何の苦しきこと有らんや。故に跋陀梨比丘ばっだりびくの如く、佛、午時前四度の食を聽し玉ふ云云。又、若し食を作すの人、僧未だ食せざるの前に一塵いちじんめず。甞る寸は則ち觸食そくじきと成る。何に况や如法に一口を食ふをや。又、堪べくんば食を作す人、洗淨すべし。又、鹽梅あんばいを試むべからず云云

脚註

  1. 請食しょうじき

    在家信者からその家などに招かれての食事。招待されての食事。

  2. 檀越だんおち

    [S/P]dānapatiの音写。施主の意。「だんおつ」とも読むが「だんおち」が古形。

  3. 共淨食ぐうじょうじき

    出家者が一堂に会して行う食事。托鉢から精舎などに還った僧伽の成員が揃って摂る食。ここで栄西は、檀越が精舎などに送って用意した食事のことを言っている。檀越が食事を精舎に対して送る際は、その中の特定の者や一定の人数などを指定することは出来ず、その精舎・結界に属する全員に対するものでなくてはならない。
    比丘は原則として、その結界を共にする他の比丘と常に一緒に食事をしなければならない。もし一つの結界内にありながら、四人以上の比丘が、その他の衆僧と別に集まって食事したならば単堕法の別衆食戒の違犯となる。

  4. 明相みょうそう

    夜明け。具体的に、夜明の光で自分の手のシワが見えるほどの明るさになった早暁のこと。律ではただ地平線あるいは山稜から太陽が出たことをもっては夜が明けたとされない。

  5. 調達ちょうだつ

    [S/P]Devadattaの音写、調婆達多の略。提婆達多に同じ。釈尊の従兄弟で、釈門において出家しながら後に反乱を企て、破僧・出仏身血・殺比丘尼の三逆罪を犯して生きながら地獄に落ちたとされる。極端な禁欲主義を主張したことでも知られ、その信奉者の流れは玄奘が印度に遊んだときにもあったという。

  6. 善星ぜんせい

    [S]Sunakṣatra/[P]Suna-kkhatta。釈尊の弟子、あるいは実子の一人とも言われる人。釈門において出家し四禅を獲得するなど優れた修行者であったが、それを最高の境地と誤認し、さらに外道(ジャイナ教)の苦行を信奉するようになってついには仏陀およびその法を誹謗した。ついに地獄に落ちたとされる。須那呵多あるいは須那刹多羅と音写された名でも知られ、また四禅比丘あるいは闡提比丘とも言われる。

  7. 二軍六群にぐんろくぐん

    二軍が何を意味するか明瞭でない。一つの可能性として二軍はニ群であり、六群比丘と十七群比丘の意か。そのいずれも僧伽において数々の悪行をなしたと言われる一群の比丘たちで、互いに反目し合ってしばしば争い、多くの律義(学処)が制定されたその原因を作っている。

  8. 非時食ひじじき

    正午を超え、翌朝の日が出て明相が出ていない間における食。出家者として不適切な時間における食。

  9. 失食しつじき

    その日の食を取りそこねること。

  10. りついは

    『四分律』巻十「毘舍佉母白世尊言(中略)世尊聽阿那頻頭國諸比丘食粥。若世尊當聽比丘食粥者。我當盡形壽供給」(T22, p.629b)。

  11. 毘舎佉鹿母びしゃきゃろくも

    [S]Viśākhāmṛgāra-mātṛ. 毘舎佉鹿子母。釈尊に帰依した舎衛城の長者、鹿子の妻。

  12. 字をしょしてらざるなり

    粥の表面を指等で撹拌した際にその痕跡が残るもの、あるいは粥に匙を立て刺して倒れないものは小飯とならず正食(正規の食事)とされる。したがって、もしそのような堅い粥を食したならば、その日の食は終わりとなる。粥は穀物の形がほとんど残っていない、いわゆる「天井粥」であるべきことの表現。。
    『根本説一切有部毘奈耶』巻三十六「爾時鄔波離白佛言。世尊。食何等粥名爲足食。佛告鄔波離。若粥新熟竪匙不倒。或指等鉤畫其跡不滅。食此粥時名爲足食。大徳。食何等麨名爲足食。佛言。若初和水攪時竪匙不倒。或五指鉤其跡不滅。食此麨時名爲足食。又鄔波離。凡是薄粥薄麨皆非足食」(T23, p.822c)
    栄西は根本有部律の「足食学処第三十四」の規定に従って、「字を書して成らざる」と表現したのであろうが、実に支那的・日本的発想である。もし、炊いた粥が、指や匙などで撹拌しても、その痕跡を残さない、字が書かれたような状態とはならないほど柔らかい、あるいは薄いものであるならば小飯となって、それを朝採ったとしても昼前の正食(時食)を摂ることが可能となる。

  13. 仁王經にんのうきょうに云ふ

    『仏説仁王般若波羅蜜経』巻下「三衣什物供養法師。小飯中食亦復以時」(T8, P.830a)。

  14. 有部律うぶりつに云く

    「足食学処」第三十四の一節。『根本薩婆多部律摂』巻八「言食者。有五蒲膳尼。即五種可噉食。一飯二麥豆飯三麨四肉五餅。魚是肉攝故不別言。又有五種珂但尼。即五種可嚼食。謂根莖葉華果。若先食五種嚼食及乳酪菜等。後食五噉食者無犯」(T24, p.585b)

  15. 五正食ごしょうじき

    正食は[S]bhojanīya(蒲闍尼)の漢訳で、食べやすく消化の容易な比丘の常食。「有部律」では米・麦豆類・麨(米粉・麦粉)・肉・餅の五種とされるが、他律では餅の変わりに魚とされている説もある。

  16. 五嚼食ごしゃくじき

    食べやすく消化の容易である五正食に対し、よく咀嚼しなければならない食。五不正食、五雑正食とも。ここでは根・茎・葉・華・果実の五種。要するに副菜、植物由来のおかずのこと。

  17. 乳酪にゅうらく

    ミルクとバターやヨーグルト、あるいはチーズなどの乳製品。これらは五正食・五嚼食の範疇に入れられておらず、また別途の規定がある。もし病でない比丘が非時にこれらを食し、あるいは飲んだなら律の違犯となる。

  18. 大乗戒だいじょうかいの人、食否じきひ斟酌しんしゃく...

    ここにおける栄西の書きぶりは、場合によっては食肉を可としているかのようである。律において食肉は条件付きではあるが禁じられていない。これは前段の衣について、南山律宗が禁忌とした絹と動物由来の繊維の使用を可であるとする栄西の態度からすれば当然のことであろう。しかし、食肉は『梵網経』等の大乗経(特には支那撰述の偽経)にて厳禁とするところであって、絹衣の所持・着用とはまた別の問題となる。そこで栄西は「斟酌有るべし」と自身が「食肉可なるべし」と断言することを避け、いわば逃げたのであろう。

  19. じきせずんばちゅうすぐと雖も...

    時に食をとることが出来なかったならば、正午を過ぎても食べてもよい、との意。栄西自身が、これは二度目の渡宋以前であろうが、そのように考えていた。しかし、二度目の渡宋にて禅院における律儀に則った僧院生活を自ら体験し、また律をある程度は深く学んだことにより、仏教僧においてはそのような主張が全く誤りであったことに気づいたという。

  20. 持齋じさいの者をして多く破らめ...

    栄西は、宋にて持戒持律の必須であることを目の当たりにして知る以前、日本では持斎しようと勤める人にむしろ勧めて破戒させ、あるいは酒を飲ませて自らも飲んでいたという、その昔の振る舞いをここで告白している。積極的に当時の栄西と同様の行為をする者は今の日本の僧職者にも非常によく見られる。不完全であっても努めて持斎持戒しようとする者を嫌い、あるいは誹謗し妨害して止めさせようとする者が出るのは、いかなる精神に基づくものか。

  21. 舎利弗問經しゃりほつもんきょうに曰く

    『舎利弗問経』「來世僧有似出家僧。非時就典食僧。索食而食。與者食者得何等罪。其本檀越得何等福。佛言。非時食者。是破戒人。是犯盜人。非時與者。亦破戒人。亦犯盜人。盜檀越物是不與取。非施主意施主無福。以失物故。猶有發心置立之善」(T24, p.902b)

  22. 事食じじきの比丘

    食を管理する比丘。典食僧。食を管理と言っても比丘が自ら調理することは禁じられているため、ここでの食とは托鉢で皆が得た食事、あるいは檀越から寄進された食に限られるが、それらの分配など管理を任された比丘。

  23. 非時水ひじすい

    非時、すなわち正午から翌朝の明相が出るまでに嗽口や飲料として用いる水。

  24. 義淨三藏ぎじょうさんぞう云く

    『寄帰伝』巻一「唯斯淨瓶。及新淨器所盛之水。非時合飮」(T54, p.207c)および「毎於晨旦必須觀水。水有瓶井池河之別。觀察事非一准。亦既天明先觀瓶水。可於白淨銅盞銅6楪。或7蠡杯漆器之中。傾取掬許安置甎上。或可別作觀水之木。以手掩口良久視之。或於盆罐中看之亦得。蟲若毛端必須存念。若見蟲者倒9瀉瓶中。更以餘水再三滌器。無蟲方罷。有池河處持瓶就彼。瀉去蟲水濾取新淨。如但有井准法濾之。若觀井水汲出水時。以銅盞於水罐中。酌取掬許如上觀察。若無蟲者通夜隨用」(T54, p.208a)

  25. 殘食ざんじき

    ここの残食は「余食(よじき)」の意。余食とは、一旦手を付けた食で、いわば食事の中断を「余食法をなす」と宣言された状態のもの。余食法をなした食であれば、その比丘は正午以前であれば再び食すことが出来る。
    一般的な残食の意は、比丘が得た食を「食べ終わった」と宣言あるいは決意された状態の食事。これをまた停食食(ちょうじきじき)などとも言う。それは廃棄あるいは他に与えるべきものであって、その決意・宣言をした比丘はこれに再び手を付けることは出来ない。

  26. りつに云く

    『四分律』巻十七「不犯者。食作非食想不受作餘食法。非食不作餘食法。自取作餘食法。若不置地作餘食法。乃至手及處若與他他與已作餘食法。若病不作餘食法。病人殘食不作餘食法。若已作餘食法。無犯」(T22, p.661b)

  27. めしを食す時、飢渇きかつの時...

    密教経典を根拠とした言。栄西は食について密教経典をも引いて述べているが、彼が密教をよく学び行っていたことの証左。「兒の肉を食ふが如く」などという衝撃的な譬えがなされているが、ここでの栄西の引用の仕方は若干不十分でその意を解し難いものとなっている。この譬えは、極限状態において自らの(死んだ)子の肉を食べるかのように、出家者は味を貪らずただ飢えや病を除くためにこそ食を取るようにせよ、ということを言わんとした一節。
    『蘇婆呼童子請問經』伴侶分第一巻上「之行者喫食亦復如是。但除飢渇。不樂滋悦。譬如有人入於深磧。飢渇所逼。當食兒肉。行者喫食亦復如是。但除飢病。勿著其味」(T18, p.737a)

  28. しくは請食しょうじき、若しくは乞食こつじき...

    『蘇婆呼童子請問経』伴侶分第一巻上「乞得食已。即還本處。以水洗足。分食爲三分。一分供養本尊。一分通無礙。一分自食。依時而食」(T18, p.737b)
    同様の所説は『一字佛頂輪王経』「若得飯餅應淨濤擇。分爲三分一分獻佛呪神諸天。若食獻已。持施水陸一切有情。一分給施外來乞者。若無乞者施與禽獸。一分自持依法而食」(T19, p.236c)および『妙臂菩薩所問経』巻一「乞得食已持還本處。洗足敷座然後可喫。其食未喫先分三分。一分奉於本尊而爲供養。一施無礙。一乃自食依時而食」(T18, p.748b)と密教経典に散見される。

  29. りつに云く

    諸律蔵に同趣旨の一節を見いだせない。

  30. 若し米等こめなど生物しょうもつを得ば...

    比丘は調理されていない生米など穀物自体を托鉢で直接在家者から受けることは出来ず、またそれを自ら調理することも出来ない。その類の寄進は托鉢に随行する浄人が代わりに受け、必要に応じて浄人が調理する。

  31. 佛、阿那律あなりつを制するの法

    『摩訶僧祇律』巻十七「復次佛住舍衞城。廣説如上爾時阿那律在仙人山岐黒方石上。曬穢爛麥飯。佛即以神力。往至其所。知而故問。汝作何等。答言。世尊。聲聞弟子有信心歡喜。明日欲依。是故不入聚落乞食。佛言。汝雖欲省衆因縁。從今日後不聽汝非時食停食食」(T22, pp.359c-360a)

  32. 義淨三藏ぎじょうさんぞう云く

    『寄帰伝』巻二「西方食法唯用右手。必有病故開聽畜匙。其筯則五天所不聞。四部亦未見。而獨東夏共有斯事」(T54, p.218a)

  33. 齒木しもく

    [S]dantakāṣṭhaの訳、音写は憚哆家瑟詑。歯磨きにもちいる木片あるいは木棒。その先半寸ほどをまず歯でよく噛んほぐして繊維状(筆状)にし、それでもって葉を磨く。今も印度の地方部やアフリカなど第三世界の一部では特定の木を用いて葉を磨くことが普通に行われている。日本では、今も密教の灌頂の儀式において儀礼的に用いられている。
    ここで栄西が歯木について言及しているのは、これが非時食に関わる問題となるためである。食後、もし口中・歯間に食物の粕があったならば、それを食後に飲み込んだ場合、非時食の犯となる。義浄はこのことについて詳しく『寄帰伝』に記述しており、それを栄西はまた非常に重視し、ここで食に絡めて「比丘における歯磨きの重要さ」を強調しているのである。

  34. 義淨三藏ぎじょうさんぞう云く

    『寄帰伝』巻一「毎日旦朝。須嚼齒木揩齒刮舌務令如法。盥漱清淨方行敬禮。若其不然。受禮禮他悉皆得罪」(T54, p.208c)

  35. 十二指じゅうにし

    指(し)は古代印度における度量衡の度で、指の横幅を一指としてその単位とするもの。十二指で一搩手(いちちゃくしゅ)となるが、搩手は掌を最大限広げたときの親指の先から中指の先までの長さ。ここで栄西は十二指すなわち一搩手を八寸四分としているが、これを現代のメートル法で言えば約25.5cmとなる。
    また二搩手で一肘(いっちゅう)となるが、これは肘の先から中指の先までの長さ。指・搩手・肘のいずれも仏典、特に律蔵に頻出し、現代でも仏師などが一般に用いる。

  36. 義淨三藏ぎじょうさんぞう云く

    『寄帰伝』巻三「待至日小食時。量身輕重。請白方食。何勞未曉。覓粥怱怱。不及白本師。無由嚼齒木。不暇觀蟲水。豈容能洗淨。寧知爲一盂之粥。便違四種佛教」(T54, p.222a)

  37. 四種ししゅ佛敎ぶっきょう

    未詳。義浄が何をもって「四種」と言ったか、今のところ見当すらつかない。

  38. 大峯おおみね葛木かつらぎ葛川かつらがわ作法さほう

    いずれもいわゆる修験、特に回峰行が行われきたとして知られる地であるが、中世当時それらの地において独自の斎法が行われていたことを示唆する。今も比叡山の回峰行において極めて特異な行がなされているが、ここで栄西はその類は仏制でなく、したがって習い行うべきことでないとしている。当時、回峰行あるいは修験などで行われていたであろう麁食・麁衣での苦行については同時代の明恵も非仏教的・非合理的な行為であるとして批判を加えている。

  39. 薄伽梵ばがぼん

    [S]bhagavatの音写。尊い人、世尊の意。ここでは仏陀を指す。

  40. 修多羅しゅたら

    [S]sūtraの音写。経文・経典の意。十二部経(十二分経)においては特に散文による教説を意味し、契経と訳される。

  41. 咒願しゅがん

    施主に福徳の果報があることを祈願する文言。祈願文。「じゅがん」とも。

  42. 五觀ごかん

    食事(じきじ)において僧が口唱あるいは心念する五箇条。律に直接規定された文言ではなく、諸々の経律に基づき支那の律宗において成立したもの。その典拠、時代によって少しく内容を異にする。たとえば唐の道宣『羯磨疏』には「初計功多少量藥來處。二自知行徳全缺應供。三防心離過貪等爲宗。四正事良藥爲療形苦。五爲成道業故」、宋の道誠『釈氏要覧』では「一計工多少。量彼來處。二忖己徳行全缺應供。三防心離過貪等爲宗。四正事良藥爲療形苦。五爲成道業故應受此食」。
    ここで栄西が挙げているのはそれらより簡略なものであり、また上来依ってきた『寄帰伝』に基づいたものでもなく、南宋の支那におけるそれである。義浄は印度における食時作法についても詳説しているが、食前に必ず唱えるべき語は「三鉢羅佉哆(Saṁprāgata)」。その意は「平等行食」である。

  43. 六念ろくねん

    仏教者として心に念じて忘れずにあるべき六つの対象。ただし、ここで栄西が揚げる六念は一般に僧でなく在家信者におけるものであるが、学んだ南宋の禅院にてはこれが唱えられていたのであろう。割注にて言われている「普賢經の文。又、別本の六念法有り」とはそのことを示している。
    僧にとっての六念は一般に、①念知日月・②念知食処・③知受戒時夏臘・④知衣鉢有無受淨等・⑤念同別食・⑥念康羸の六種。

  44. 淨・觸じょう・そく二瓶にびょう

    比丘が用いる水を貯めておく瓶(びょう)には、浄瓶(じょうびょう)と触瓶(そくびょう)の二種があり、それぞれの取り扱いについて種々の定めがある。浄瓶は陶器製で触瓶は金属製。これは印度における習慣や穢れ思想に基づいたものであり、印度の風俗が僧団の中にそのまま保存され、仏教の伝播とともに外国にも伝えられたもの。
    例えば高僧図や高僧像に瓶が描かれている場合があるが、それが僧の左右どちらに置かれているかに依って、その瓶が浄瓶か触瓶か、またその用途も判じることが出来る。

  45. 十四塊じゅうしかいの土

    塊は手づかみで持てるだけ程の量。ここで土とあるが極乾いた粒子の細かなものであったろう。以下、『寄帰伝』に基づいて便所作法が述べられる。

  46. 小𠊳處しょうべんしょ

    性器、男根。

  47. 大𠊳處だいべんしょ

    肛門。

  48. 觸手そくしゅ

    左手。印度および南アジアから東南アジアにかけての印度文化圏においては、左手は(文字通りの)不浄を扱うものであり、特に便所において(今は水を用いて)性器や肛門を直接洗う際には必ず左手で行われる。したがって、人と物のやり取りをする際は必ず右手で行われ、もし左手を用いたならばそれは失礼以上の行為となる。

  49. 唐土とうどには桑葉くわのはの末を用ひ

    栄西が経験したのは宋の禅院における作法であり、義浄が報告した印度のそれではない。しかし、その作法はおおよそ義浄の言った如きものであったのであろう。ただ支那で用いられていたのは桑葉であったと栄西は言う。

  50. 漉水嚢ろくすいのう

    水漉し。比丘が必ず所有し、日常的に用いていた簡易の浄水器。浄水といっても、水を綺麗にすることが目的でなく、自らが用いる水に肉眼で確認できる大きさ以上の虫の混入を防いでその殺生を防ぐことが目的。

  51. 四分律しぶんりつに云く

    『四分律』に該当する一節、あるいは近似した一節は見られない。あるいは単堕法第三十六(非時食戒)の「比丘煮粥熟頃日時已過。應煮麥令皮不破漉汁飮之無犯」(T22, p.662c)を意図したものか?重湯や蕎麦湯、あるいは果汁飲料など、元は固形物であってももはや固形でない汁状のものとなっていたならば、正午を過ぎてもこれを接種することは日常的に許されている。ただし、乳飲料は許されない。(そのようなことから、タイやラオスなど東南アジアでは豆乳が多く僧伽に午後振る舞われる。)

  52. 作淨さじょう

    比丘が、そのままでは律の規定(学処)に違反してしまう行為を、違反とならぬようにする回避措置。例えば比丘は果物でも、まったく傷のない綺麗な「生の」果実をそのまま食べることは出来ない。そして比丘は自ら生の果実や草花を傷つけることは禁止されて、また自ら調理することも許されない(単堕法)。そこでしかし、比丘あるいは寺院に仕える寺男あるいは浄人といわれる在俗信者が、その果物を敢えて何らかの形で傷をつけ、あるいは火を入れたならば、その果実を比丘は接種することが出来る。そのようないわば律の規定の回避措置を浄法といい、それをなすことを作浄という。もっとも、比丘が直接「この果物に傷をつけよ」と指示することは出来ないため、「汝これを見よ」・「汝これを知れ」と浄人に暗示しなければならない。
    ここで栄西は「甘葛(あまづら)」は作浄しなければならないと言っているが、甘葛は粘度の高い甘味料であるため固形物として摂取することを避けるために、水あるいはお湯を加えてより粘度の低い飲料とすることの謂。

  53. 長齋じょうさい

    長期にわたって持斎すること。出家者は出家者でいる限り、斎日など関係なく常に持斎しなければならないもの、持斎者でなければ出家者ではない、との意。俗にいう「精進おとし」など、僧においてはあってはならないこと。

  54. 六齋ろくさい

    六斎日。在家信者に勧められる(義務ではない)、八斎戒をたもつべき太陰暦での一ヶ月(三十日)のうちの六日。8日・14日・15日・23日・29日・30日。すなわち満月と新月の日を基準としてその中間の日を加えたもの。仏教成立以前からの印度における風習に基づくもので、その日は特に断食が行われていたのを仏教も採用し、在家信者でも八斎戒、特に不非時食を行う日とされた。

  55. 年三長齋ねんさんちょうさい

    三長齋月。一年のうち一月・五月・九月の三ヶ月間は、四天王が人々の行業をよく監視しているとされたことから、在家信者でもその間は八斎戒を守って精進すべきとされる。

  56. 四部衆しぶしゅ

    比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷。出家・在家の仏教徒全体を総括していった語で、ここでは「仏教徒」の意として栄西は言っているであろう。より具体的には沙弥・沙弥尼・正学女を加えた七衆という。
    ここで栄西は、在家信者は六斎日および三長斎月に八斎戒を護持しなければ仏教徒ではない、などと主張しているがそのようなことは仏在世の当時から言われていない。在家信者が五戒あるいは八斎戒を受けても、それを厳密に護るか護らないかは個人の判断・状況・能力に任されており、それらを破ったからと言って破門するなどという規定も存在しない。出家における持戒の重要性を主張する勢いあまって在家にもそれを適用することは、過剰であり極端である。

  57. 此の齋法さいほう現證げんしょう有り...

    栄西における持戒に対する思想・見方が表れた一節。平安中後期以来、出家で持律持戒の者が姿を消すようになると、むしろ受戒は呪術あるいは積徳が期待される儀礼となっていた。護る気などさらさら無く、実際まったく護らずとも、受戒すること自体に功徳があるという信仰が流行した。それに栄西は異を唱え、実行することにこそ意味があり、また功徳があると考えた。そこで栄西は、実際に持戒する者には治病の功徳があると、そのような事例が近くにいくつかあって確信していたのであろう。

  58. 大食小根たいしょくしょうこんの人

    大食らいであり、能力の劣った者。要するに我慢の出来ない者、少々の空腹感に耐えられない者のことであろう。実際の処、不非時食は一週間もすれば精神的に慣れ、一ヶ月も経てば身体的にも順応するため、それで忽ち不健康になって弱るなどということはない。最初の三日から五日がもっとも空腹感に苛まれて苦しいするのであるが、それを乗り越えれば大したことではない。しかし、現実にはそれを乗り越えられない者が相当数ある。

  59. 跋陀梨比丘ばっだりびく

    [S]Bhadrika. いわゆる五群比丘の一人とされる人。『中阿含経』巻五十一「跋陀和利経」に、跋陀梨が一日一食に耐えられないと釈尊に報告し、跋陀梨に限り二座の食事を聴されたが、それでも耐えられないと三度に渡って上申して聴されたと伝えられる。これを栄西は「跋陀梨は(午前中)一日四度の食を聴されていた」としたのであろう。『摩訶僧祇律』巻十七には、跋陀梨が小飯(朝)と中食(昼)とのために二つの鉢を持って托鉢することを特別に聴されていたとされる。

  60. 觸食そくじき

    穢れた食。
    これは義浄が『寄帰伝』において注目し、詳しく報告していることであるが、当時の印度における僧院では、物理的な穢れだけでなく、律儀に違反した状態たる「触」となった人あるいは物は、他に接触することによってその「触」が伝染するものとされていた。これは当時の印度社会における通念が反映したものであったと見え、穢れ思想が様々な形で現実に反映されていたことが知られる。

  61. 鹽梅あんばい

    試食すること。料理の味加減をみること。

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