‘‘Sa kho so, kālāmā, ariyasāvako evaṃ vigatābhijjho vigatabyāpādo asammūḷho sampajāno patissato mettāsahagatena cetasā ekaṃ disaṃ pharitvā viharati, tathā dutiyaṃ, tathā tatiyaṃ, tathā catutthaṃ, iti uddhamadho tiriyaṃ sabbadhi sabbattatāya sabbāvantaṃ lokaṃ mettāsahagatena cetasā vipulena mahaggatena appamāṇena averena abyāpajjhena pharitvā viharati.
‘‘Karuṇāsahagatena cetasā ekaṃ disaṃ pharitvā viharati, tathā dutiyaṃ, tathā tatiyaṃ, tathā catutthaṃ, iti uddhamadho tiriyaṃ sabbadhi sabbattatāya sabbāvantaṃ lokaṃ karuṇāsahagatena cetasā vipulena mahaggatena appamāṇena averena abyāpajjhena pharitvā viharati.
‘‘Muditāsahagatena cetasā ekaṃ disaṃ pharitvā viharati, tathā dutiyaṃ, tathā tatiyaṃ, tathā catutthaṃ, iti uddhamadho tiriyaṃ sabbadhi sabbattatāya sabbāvantaṃ lokaṃ muditāsahagatena cetasā vipulena mahaggatena appamāṇena averena abyāpajjhena pharitvā viharati.
‘‘Upekkhāsahagatena cetasā ekaṃ disaṃ pharitvā viharati, tathā dutiyaṃ, tathā tatiyaṃ, tathā catutthaṃ, iti uddhamadho tiriyaṃ sabbadhi sabbattatāya sabbāvantaṃ lokaṃ upekkhāsahagatena cetasā vipulena mahaggatena appamāṇena averena abyāpajjhena pharitvā viharati.
「さて、カーラーマ達よ、かの聖なる弟子は、このように貪欲から離れ去り、悪意から離れ去り、愚かしきことなく、正しく意識を保って、注意深く、慈しみと共なる思いを、一つの方角に満たして住している。同様に第二の、同様に第三の、同様に第四の方角に(慈しみと共なる思いを満たして住している)。そのように、上に下に横に、あらゆる方角・すべての場所・すべての世界に、慈しみと共なる思いを、拡げ広大として限りなく、敵意なく悪意なくして、満たし住している」
「思いやりと共なる思いを、一つの方角に満たして住している。同様に第二の、同様に第三の、同様に第四の方角に(慈しみと共なる思いを満たして住している)。そのように、上に下に横に、あらゆる方角・すべての場所・すべての世界に、慈しみと共なる思いを、拡げ広大として限りなく、敵意なく悪意なくして、満たし住している」
「(他の幸福への)喜びと共なる思いを、一つの方角に満たして住している。同様に第二の、同様に第三の、同様に第四の方角に(慈しみと共なる思いを満たして住している)。そのように、上に下に横に、あらゆる方角・すべての場所・すべての世界に、慈しみと共なる思いを、拡げ広大として限りなく、敵意なく悪意なくして、満たし住している」
「(自他に頓着すること無い)平静と共なる思いを、一つの方角に満たして住している。同様に第二の、同様に第三の、同様に第四の方角に(平静と共なる思いを満たして住している)。そのように、上に下に横に、あらゆる方角・すべての場所・すべての世界に、平静と共なる思いを、拡げ広大として限りなく、敵意なく悪意なくして、満たし住している」
ariyasāvaka. 仏陀の弟子。声聞。ここでは特に出家在家の別を問わず、ただ仏陀の弟子を意味するものであろう。▲
‘sampajāno’. 正知して。▲
‘patissato’(=paṭissata). 憶念して。今現在、自らが行なっていることに対して注意を向け、忘れずにいて、他のこと(「現在」と関しない妄想)に心を奪われないこと。▲
注釈書はこれを慈観の修習としてVisuddhimagga(『清浄道論』)に説くところに譲っている。この慈しみから以下、思いやり・喜び・平静のいわゆる四無量心が説かれる。▲
Karuṇā. 漢訳では一般に「悲」。(自他の人々、その他あらゆる生物に対する)哀れみ、同情。▲
muditā. 漢訳では一般に「喜」。自他の幸福を喜ぶこと。▲
upekkhā. 漢訳では一般に「捨」。いかなることに対しても愛好・嫌悪せず、執着しないこと。怨親平等であること。▲