猶如有人身被毒箭因毒箭故受極重苦彼有親族憐念愍傷爲求利義饒益安隱便求箭醫然彼人者方作是念未可拔箭我應先知彼人如是姓如是名如是生爲長短麤細爲黒白不黒不白爲刹利族梵志居士工師族爲東方南方西方北方耶未可拔箭我應先知彼弓爲柘爲桑爲槻爲角耶未可拔箭我應先知弓扎爲是牛筋爲麞鹿筋爲是絲耶未可拔箭我應先知弓色爲黒爲白爲赤爲黄耶未可拔箭我應先知弓弦爲筋爲絲爲紵爲麻耶未可拔箭我應先知箭簳爲木爲竹耶未可拔箭我應先知箭纒爲是牛筋爲麞鹿筋爲是絲耶未可拔箭我應先知箭羽爲𪅃𪅋毛爲鵰鷲毛爲鵾鷄毛爲鶴毛耶未可拔箭我應先知箭鏑爲齋爲錍爲矛爲鈹刀耶未可拔箭我應先知作箭鏑師如是姓如是名如是生爲長短麤細爲黒白不黒不白爲東方西方南方北方耶彼人竟不得知於其中間而命終也
若有愚癡人作如是念若世尊不爲我一向説世有常者我不從世尊學梵行彼愚癡人竟不得知於其中間而命終也如是世無有常世有底世無底命即是身爲命異身異如來終如來不終如來終不終如來亦非終亦非不終耶若有愚癡人作如是念若世尊不爲我一向説此是眞諦餘皆虚妄言者我不從世尊學梵行彼愚癡人竟不得知於其中間而命終也
世有常因此見故從我學梵行者此事不然如是世無有常世有底世無底命即是身爲命異身異如來終如來不終如來終不終如來亦非終亦非不終耶因此見故從我學梵行者此事不然世有常有此見故不從我學梵行者此事不然如是世無有常世有底世無底命即是身爲命異身異如來終如來不終如來終不終如來亦非終亦非不終耶有此見故不從我學梵行者此事不然
世有常無此見故從我學梵行者此事不然如是世無有常世有底世無底命即是身爲命異身異如來終如來不終如來終不終如來亦非終亦非不終耶無此見故從我學梵行者此事不然世有常無此見故不從我學梵行者此事不然如是世無有常世有底世無底命即是身爲命異身異如來終如來不終如來終不終如來亦非終亦非不終耶無此見故不從我學梵行者此事不然
世有常者有生有老有病有死愁慼啼哭憂苦懊惱如是此淳大苦陰生如是世無常世有底世無底命即是身爲命異身異。如來終如來不終如來終不終如來亦非終亦非不終者有生有老有病有死愁慼啼哭憂苦懊惱如是此淳大苦陰生
世有常我不一向説此以何等故我不一向説此此非義相應非法相應非梵行本不趣智不趣覺不趣涅槃是故我不一向説此如是世無常世有底世無底命即是身爲命異身異如來終如來不終如來終不終如來亦非終亦非不終我不一向説此以何等故我不一向説此此非義相應非法相應非梵行本不趣智不趣覺不趣涅槃是故我不一向説此也
何等法我一向説耶此義我一向説苦苦集苦滅苦滅道跡我一向説以何等故我一向説此此是義相應是法相應是梵行本趣智趣覺趣於涅槃是故我一向説此是爲不可説者則不説可説者則説當如是持當如是學
佛説如是彼諸比丘聞佛所説歡喜奉行
猶し人有るが如し。身に毒箭を被て、毒箭に因るが故に極重の苦を受く。彼親族有て、憐念愍傷し、利義・饒益・安隱を求めるが爲に、便ち箭醫を求む。然るに彼の人、方に是の念を作す、未だ箭を拔くべからず。我れ應に先づ彼の人の是の如き姓、是の如き名、是の如き生、長・短・麤・細と爲すや、黒・白・不黒不白と爲すや、刹利族・梵志・居士・工師族と爲すや、東方・南方・西方・北方と爲すやを知るべし。未だ箭を拔くべからず。我れ應に先づ彼の弓、柘と爲すや、桑と爲すや、槻と爲すや、角と爲すやを知るべし。未だ箭を拔くべからず。我れ應に先づ弓扎、彼は是れ牛筋と爲すや、麞鹿筋と爲すや、是れ絲と爲すやを知るべし。未だ箭を拔くべからず。我れ應に先ず弓の色の黒と爲すや、白と爲すや、赤と爲すや、黄と爲すやを知るべし。未だ箭を拔くべからず。我れ應に先ず弓の弦の筋と爲すや、絲と爲すや、紵と爲すや、麻と爲すやを知るべし。未だ箭を拔くべからず。我れ應に先ず箭の簳の木と爲すや、竹と爲すやを知るべし。未だ箭を拔くべからず。我れ應に先ず箭の纒の是れ牛筋と爲すや、麞鹿筋と爲すや、是れ絲と爲すやを知るべし。未だ箭を拔くべからず。我れ應に先ず箭の羽の𪅃𪅋毛と爲すや、鵰鷲毛と爲すや、鵾鷄毛と爲すや、鶴毛と爲すやを知るべし。未だ箭を拔くべからず。我れ應に先づ箭鏑の錍と爲すや、矛と爲すや、鈹刀と爲すやを知るべし。未だ箭を拔くべからず。我れ應に先ず箭鏑を作りし師の是の如き姓、是の如き名、是の如き生、長・短・麤・細と爲すや、黒・白・不黒不白と爲すや、東方・西方・南方・北方と爲すやを知るべしと。彼の人、竟に知ることを得ずして、其の中間に於て命終る。
若し愚癡人有て是の如き念を作し、若し世尊、我が爲に一向に世は常有りと説き玉はざれば、我れ世尊に從て梵行を學せずとせば、彼の愚癡人、竟に知ることを得ずして、其の中間に於て命終らん。是の如く、世は常有ること無し、世は底有り、世は底無し、命即ち是れ身なり、命異り身異ると爲す、如來終る、如來終らず、如來終りて終らず、如來は亦終るに非ず亦終らざるに非ずやと、若し愚癡人有て是の如き念を作し、若し世尊、我が爲に一向に此れは是れ眞諦にして餘は皆な虚妄の言なりと説き玉はざれば、我れ世尊に從て梵行を學せずとせば、彼の愚癡人、竟に知ることを得ずして、其の中間に於て命終らん。
世は常有りと。此の見に因るが故に、我に從て梵行を學するは、此の事然らず。是の如く、世は常有ること無し、世は底有り、世は底無し、命即ち是れ身なり、命異り身異ると爲す、如來終る、如來終らず、如來終りて終らず、如來は亦終るに非ず亦終らざるに非ずやと。此の見に因るが故に、我に從て梵行を學するは、此の事然らず。世は常有りと、此の見有るが故に、我に從て梵行を學せざらんは、此の事然らず。是の如く、世は常有ること無し、世は底有り、世は底無し、命即ち是れ身なり、命異り身異ると爲す、如來終る、如來終らず、如來終りて終らず、如來は亦終るに非ず亦終らざるに非ずやと、此の見有るが故に、我に從て梵行を學せざらんは、此の事然らず。
世は常有りと、此の見無きが故に、我に從て梵行を學するは、此の事然らず。是の如く、世は常有ること無し、世は底有り、世は底無し、命即ち是れ身なり、命異り身異ると爲す、如來終る、如來終らず、如來終りて終らず、如來は亦終るに非ず亦終らざるに非ずやと、此の見無きが故に、我に從て梵行を學するは、此の事然らず。世は常有りと、此の見無きが故に、我に從て梵行を學せざらんは、此の事然らず。是の如く、世は常有ること無し、世は底有り、世は底無し、命即ち是れ身なり、命異り身異ると爲す、如來終る、如來終らず、如來終りて終らず、如來は亦終るに非ず亦終らざるに非ずやと、此の見無きが故に、我に從て梵行を學せざらんは、此の事然らず。
世は常有りとせば、生有り、老有り、病有り、死有り、愁・慼・啼・哭・憂・苦・懊・惱、是の如くして此の淳大苦陰生ず。是の如く、世は常無し、世は底有り、世は底無し、命即ち是れ身なり、命異り身異ると爲す、如來終る、如來終らず、如來終りて終らず、如來は亦終るに非ず亦終らざるに非ずとせば、生有り、老有り、病有り、死有り、愁・慼・啼・哭・憂・苦・懊・惱、是の如くして此の淳大苦陰生ず。
世は常有りと、我一向に此れを説かず。何等を以ての故に、我一向に此れを説かざるや。此れ義と相應するに非ず、法と相應するに非ず、梵行の本に非ず、智に趣かず、覺に趣かず、涅槃に趣かず。是の故に我一向に此れを説かず。是の如く、世は常無し、世は底有り、世は底無し、命即ち是れ身なり、命異り身異ると爲す、如來終る、如來終らず、如來終りて終らず、如來は亦終るに非ず亦終らざるに非ずと、我一向に此れを説かず。何等を以ての故に、我一向に此れを説かざるや。此れ義と相應するに非ず、法と相應するに非ず、梵行の本に非ずして、智に趣かず、覺に趣かず、涅槃に趣かず。是の故に我一向に此れを説かず。
何等の法をか我一向に説くや。此の義、我一向に説く。苦・苦集・苦滅・苦滅道跡を、我一向に説く。何等を以ての故に、我一向に此れを説くや。此れは是れ義と相應し、是れ法と相應し、是れ梵行の本にして、智に趣き、覺に趣き、涅槃に趣く。是の故に我一向に此れを説く。是れ説くべからざると爲らば則ち説かず、説くべきは則ち説く。當に是の如く持すべし。當に是の如くに學すべし。
佛の説き玉ふこと是の如し。彼の諸比丘、佛の所説を聞て、歡喜奉行す。
あわれむこと。慈しみの想い。▲
心を痛め、あわれむこと。▲
箭医。外科医。▲
[P]khattiya / [S]kṣatriya. 刹帝利の略。印度における四姓制度(varṇa)の第二、王族・士族。クシャトリヤ。▲
[P/S]brāhmaṇa. 印度における四姓制度のうち最上位となる司祭者階級。一般に婆羅門と音写。バラモン。▲
[P]vessa / [S]vaiśya. 印度における四姓制度のうち第三位。農業や商業に従事する平民。吠舎と音写。ヴァイシャ。▲
[P]sudda / [S]śūdra. 印度における四姓制度のうち最下位。上位三階級に奉仕すべきとされ、ここで工師と漢訳されているように、手工業に従事する者が多かったようであるが、ヴァイシャとの区別は不明瞭。首陀あるいは首陀羅と音写される。シュードラ。▲
弓を構成する数枚の板を束ねる部材。▲
矢じり、鏃。▲
[P]attha / [S]artha. (有益な)意義、有利、実用、利点、利益、繁栄などの意。ここでは(有益な)意義。▲
[P]には無い一節。[S]dharma. 真理、真実、道徳、法律、思想、存在、事物などの意。ここでは真理の意。▲
[P]abhiññā. 特別な知識。一般に神通力を云う場合に用いられるが、ここでは優れた智慧の意であろう。▲
[P]sambodha. 正しい悟り、全き覚り。▲
[P]nibbāna. 心中の欲望の炎が拭き消えた寂静なる境地。▲
[P]dukkha. 苦。以下、いわゆる四聖諦の説示。
仏教は苦を単なる「苦しみ」としない。いわゆる「苦しみ」としては、それを四苦八苦として整理分類して説明し、また我々が普通「苦しみ」とは理解し得ないものについては三苦のうち行苦として提示し、それらを疎い離れるべきことを説く。▲
[P]dukkhasamudaya. 苦の生起、その根源。苦とはどのようにして生じるのか、どのような過程で苦となるかの説示。▲
[P]dukkhanirodha. 苦の滅尽。苦をまったく消し去ること、または消し去った状態いわゆる涅槃。▲
[P]dukkhanirodhagāmin. 苦の滅尽への道。苦をまったく消し去るための方法、その道筋。いわゆる八正道。説くべきことは説き、説くべきことでないことは説かない。釈尊が説かれることの基準は、あくまで苦の滅尽に資するか否かであり、その視点と価値観を共有することがここで勧められている。その基準の核は四聖諦である。何故ならあ四聖諦こそが仏教の核心であり、四聖諦によってこそ人は解脱に至り得るためであった。▲